1989年の調査が始まって3ヶ月近くたったときだった。カタナ君からムリナとチャリの施術師夫婦を紹介された。 (from diary of Nov.17, 1989(Fri))1
....カタナ君が、ちょうど小屋の前を通りがかったMurina氏に引き合わせてくれる。Murina氏は妖術の治療をする呪医。説明が上手で、礼儀正しいmutumia2だ。奥さんのChariは憑依霊の呪医だとのこと。ジャコウネコの池の坂を下ったMb...地区、mweha3のところを少し右に入ったところに小さな小屋をもっている。歩いても10分ちょっとのところ。 ....さっそく尋ねて行く。Chariは、なんと1987年にkalimbo4に連れられて占いmburuga6を打ちにいった際の女性呪医だった。私のことを覚えていた。ちょうど「ヒツジの場所」村で治療をするからいっしょにくるかというので同行する。「ヒツジの場所」 Bek....氏の屋敷。帰宅は夜の8時になる。疲れたが、とても面白い経験。MurinaはJumma7の日はuganga8の仕事がないので話を聞くにはちょうどいいから、Jummaごとに来るといいと言ってくれる。ありがたい話だ。
会うなり、いきなりのカヤンバ9施術への招待。こうして私とチャリ夫婦との長い付き合いが始まった。
ナイロビで調査許可の延長にやや手間取ったが8月末、ほぼ1年半ぶりにフィールドに戻る。カタナ君に留守を任せていた私たちのフィールドの小屋はかなり荒れ果てており、立て直すためにモンバサで買い出し。9月1日にチャリたちに再会の挨拶。 (from diary of Sept.1, 1991, sun, kpwisha13)1
....タブ14は私の格好を見て(背中にリュック、ウエストポーチ、肩からノートを入れる小さい袋をさげていた)Digozee15みたいだという。Digozeeはmukoba107を下げている。チャリの病気は思いの外ひどかったらしく、以前にもましてすっかり痩せ細っている。ムリナはチャリの治療のためにお金を使い果たし、ヤギも売り払い、もう屋敷には何もないという。....屋敷の隅に chibanda cha k'oma110 が建てられており、奥にはDeleを始めとするチャリの側のk'oma130たちのchigongo[^chigongo]が、右手の壁に沿ってはMurinaの父方の祖父(FF)を始めとするchigongoが並んでいる。今度の日曜「砕石場の場所」村でムリナの母のsadaka115をやるという。詳しく話を聞かないと。 チャリの病気。1990年3月に私が帰国した直後、チャリは再びmudigo96とshera19についてkulavya konze108しなおした(施術師ChiziとChai)が、またしても失敗。施術師Chiziはチャリのnguo131を取り上げ、返してもくれない。これがChariに病気を注ぎ込むことになったと。以来6回治療し、一向によくならない。さらに5月にはchivuri21の妖術に倒れた。自分はもう死ぬ。再びカリンボが来たときには、もう自分はいない、と思った。でもnashukuru[^kushukuru]、こうしてまだ息をしている。 すべてはatsai132のせいである。隣の屋敷(Mw...氏の屋敷)にもいる。ムリナ氏、後はchirapho133に行くだけだ!と鼻息荒くなる。 ....今晩Bechiziの屋敷でkayambaがあるので来いと言われる。いきなりか!夕方、Mawaya, Bek...., Aliiら主だったanamadzi134が集まってくる。皆んなでそろってBechiziの屋敷に向かう。途中でmihiを採るためにブッシュに入り、チャリと二人になったときチャリから気になることを言われる。自分がいないところでこっそりMurinaから金を要求されてもけっして渡してはならないと。Murinaはその金で muche wa weruni と寝るかも知れないから。なにかムリナとの間で女性問題のトラブルでもあるのか?
という訳で、調査初日にいきなり徹夜だった。
ムロンゴの赤ん坊についての占い 新生児についての占い 病気の娘が心配な母の占い 妻の月経不順と不妊の占い
1991年の調査では、ChariとMurinaの夫婦との再会を最も楽しみにしていたのだが、どうやら二人にとっては、多難な一年になりそうだった。ここでは詳しくは述べるわけには行かないが、すでに昨年から近隣のある人物に自分たちに妖術をかけているという疑いをもっており、それがいよいよ正式に訴えるところまで進んでいた。下手をすると当地から彼ら自身が追い出される危険もある。やめて欲しいと思った。
また1989年にシェラとライカ、およびデナの癒しの術を「外に出した」のだが、それでも一向にチャリの病気が良くならず、昨年中に、べつの施術師によって再度「外に出し」なおしたのだが、それも失敗だったということで(このあたりもふたりが妖術告発に向かおうとする背景の一部である)、今年はさらに別の施術師のもとでシェラとライカの癒しの術を「外に出す」手続きをやり直そうとしていた。
そんななかで、二人は彼らの弟子(施術上の子供 mwana wa chiganga)の一人から、自分のためにムルングと世界導師とドゥルマ人の癒しの術を「外に出して」欲しいという依頼を受けていた。私が調査地に到着したときには、そのプロセスはすでに進行しつつあった。
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tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
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「青い芯のトウモロコシ」故マラウ氏のnyumba ya k'oma. 右から 1. Kutsonga(Nyawa Malauの曽祖父) 2. Chikoza(brother of Kutsonga)3. Mekuminga(a wife of Kutsonga)4. Jawa (tsaweye Malau マラウの祖父) 5. Menyawa (Wife of Jawa, wavyala Mwero Pereマラウの祖母の一人で父ムェロの母) 6. Bumbu (Father of Malau's mother)7. Wemulongo (a wife of Bumbu, wavyala ameye Malauマラウの母の母) ↩