「鍋 nyungu」治療

目次

  1. 「鍋 nyungu」治療とは

    1. 概要

    2. 施術師による説明

  2. 「鍋」治療の種類

    1. 単純な病気治療としての「鍋」

    1. 概要 2. 単純な鍋治療の事例

    1. より複合的な治療の一環としての「鍋」

    1. 概要

    2. 施術師就任のンゴマの準備としての「鍋」

    3. 瓢箪子供を差し出す手続きにおける「鍋」

  3. 参考文献

  4. 注釈

「鍋 nyungu」治療とは

概要

憑依霊(nyama, p'ep'o, shetani)に対する治療の一つで、草木(muhi)を詰めた土器製の鍋(nyungu)を火にかけ、沸騰後、低い椅子に座った患者の両脚のあいだに鍋を置き、鍋と患者の全身を布で覆って、その蒸気を浴びる(ku-dzifukiza)もの。中に詰める草木その他は、対象となる憑依霊の種類によって異なる。多くの憑依霊は独自の鍋をもたず、「世界の住人すべて arumwengu osi」のための鍋に呼ばれる。

「鍋 nyungu」は屋内、あるいは屋外に設置された「キザ chiza」と対になっている。「キザ」には「鍋」に用いた草木と同じものの葉を水で揉み砕いた液(vuo)が入っている。キザには屋内に置かれる「屋内のキザ chiza cha nyumbani」と戸外に置かれる「戸外のキザ chiza cha konze」がある。後者は「池 ziya」とも呼ばれる。「鍋」と対になっているのは通常は「屋内のキザ」である。蒸気を浴びて汗をかいた後に、患者は「キザ」で水浴び(koga)して、身体を冷やす。鍋で発汗し、その後にキザで冷やす。これを決められた日数繰り返す。 鍋と対になった屋内のキザのなかの液(vuo)は、唱えごとにおいてはしばしば施術師用語を用いてmubut'o(ku-but'a munya「水をばちゃばちゃさせて遊ぶ」より)と呼ばれる。鍋から出る蒸気は同じくmwachivuche(vucheは「湯気」)と呼ばれる。

憑依霊に対する治療に共通することだが、これは我々の言うところの「薬」を使って患者の病気を治すという通常の捉え方では理解してはならない。たしかに患者は身体的、心的なさまざまな症状に苦しんでおり、それを取り去ることが目的である。しかしいわゆる「薬」が、患者の心身に働きかけ、その作用で患者の苦痛が取り除かれるという形で理解されているのに対し、憑依霊による病気(ukongo wa nyama)1の治療においては、使用される草木(muhi)14は、症状をひきおこしている憑依霊に対して差し出されており、憑依霊に対して働きかけるものだという点に、注意せねばならない。

「鍋(nyungu)」のなかで煮られた草木その他から立ち上る蒸気を患者は浴びて汗をかく。この行為は、患者が「自らを燻す」(ku-dzifukiza)とか「焼かれる」(ku-ochwa)などと語られる。しかし同時にこのとき、患者に憑いている霊たちはその「鍋」を食べていると言われる。それは患者に憑いている霊たちに対する饗応なのである。その意味では患者そのものを治療するという、通常の理解からは外れている。「鍋」は患者に対してというよりも、取り憑いている憑依霊に対して差し出される贈り物なのである。

この意味でも、憑依霊の治療に用いられる草木(mihi)を「薬」「薬草」と呼ぶことは(私は以前、なんのためらいもなく薬草という言葉を平気で使用していたが)誤解を招きやすい。病気に対して、直接作用するものではないからである。

施術師(muganga、癒し手、治療師、施術師)による説明

施術師たちは、「鍋」治療のやり方について以下のように説明している。

M1: (鍋の調理者(mujiti wa nyungu)41は)鍋が熟すまで煮る。沸騰し、熟すまで。つぎに鍋を火から下ろし、地面に置く。布をもってきて、(患者に)すっぽり被す。そしてこちらをちょっとめくる。鍋は葉っぱで蓋をされている。それらの葉っぱを取り除く。さて、今やその熱気(teri)が身体にやってくる。 Q: それが済めば、池で水浴びするんですね。 M1: その火の場所から出ると、汗びっしょりになっている。つまりその憑依霊(shetani)自身もその鍋を食べたということだ。そして喜んでいる。というわけでそっちで浴びに行くことになる。「池」にね。身体を冷やしにね。 M2: でも、もし憑依霊がその鍋が気に入らなかったら、(患者は)全然汗をかかない。 Q: 汗をかかない? M1: 汗をかかない。でも、もし汗をかいていたら... M2: そいつは食べたっていうことさ。 Q: 憑依霊はよろこんでいるということですね。よくわかりました。 (DB 995)

「鍋」の設置は男女二人のムガンガ(癒し手、治療師、施術師 muganga)によって行われなければならない。

「鍋」治療の種類

単純な病気治療としての「鍋」

概要

「鍋」治療の多くは、単純な病気治療の手段としての鍋治療である。 こうした病気治療としての「鍋」は占い(mburuga42)によって指示される。

咳に苦しみ畑仕事もする気になれない女性患者について、ある占いは次のように指示している。彼女はかつて憑依霊ディゴ人(mudigo43)とシェラ(shera44)のためのカヤンバ儀礼(ku-pungbwa)を(憑依霊たちに)約束したのだが、それを果たしていなかった。それが現在の症状の原因だとされている。占い師はまずディゴ人とシェラのためのキザ(ziya)の設置を指示する。

Muganga wa mburuga(占いの施術師): 今言ったようにキザなんだけど、なんのためのものかわかる?ディゴ人とシェラたちのだよ。 P(患者): まさにそいつらが(約束との引き換えに)私に再び手鍬(をもって畑を耕す力)を私にくれたのです。 Mm: あらら、そりゃ耕せなくなるさ、だって(約束を)果たさなかったんだから。 P: この小雨季にしても、耕してみようとすらしなかった。 Mm: 外のキザ(chiza cha konze=ziya)と屋内のキザ(chiza cha nyumbani)、それからムルング(憑依霊mwana mulungu)の「鍋」をしてもらってちょうだい。その湯気を浴びて(adzifukize)、それがおわったら、お金に余裕ができたら、シェラとディゴ人の「鍋」を設置しておもらい。 (DB 1147)

別の占いでは腹部の膨満が憑依霊ドゥルマ人のせいだとされている。

Mm: あんた、ドゥルマ人の布はもってる? P(患者): ええ。 Mm: ドゥルマ人の「鍋」の湯気をあびた(wadzifukiza)? HP(患者の夫): もうずっと以前のことだ。 Mm: ドゥルマ人の「鍋」を用意してもらって頂戴。お前さん、お腹が膨れ上がるだろうよ。こいつはムァミンバの妖術57にやられたのかと思うほど。だって、空気で膨れているんだから。ウガリも自分では料理しないでしょ。すぐにお腹いっぱいになる。空気でね。それってあいつ、ドゥルマ人のせいだよ。 (DB 1870-1871)

この2つの事例では、患者の身体的不調は、すでに患者が関係をもっている憑依霊たちがおり、彼らとの約束を患者が果たさずにいたためか、患者が憑依霊たちにたいする饗応を長期間怠っていたために起きているとされている。お金がかかるカヤンバ儀礼(makayamba58)は、そう簡単に開けるものではないが、とりあえず憑依霊をなだめるためには、キザ浴びのようなちょっとした心付けも一つのやり方だし、鍋のような饗応であればかなりの効果が期待できる。

饗応の要求が満たされないことに怒っていた憑依霊ならば、鍋でその要求をかなえられたことで、催促のしるしであった病気を引っ込め、患者をときほどいてくれる(はず)のである。結果として、それは病気の治療にもなっている(かもしれない)。鍋のなかの草木はそれぞれの憑依霊の好物である。病気への効果は間接的で、けっして薬が効くように効くわけではないのである。

「鍋」治療の事例

  1. 憑依霊ムルング62のための鍋

    1. Hamisi(Mwachiti)氏のための「鍋」設置

    2. Mwasamaniの屋敷でのmulunguの「鍋」とキザ設置

    3. Umaziのためのmulunguの「鍋」とlaikaのngata, mudoeのpingu,施術途中の思いがけない憑依

     

  2. 憑依霊ニャリ(Nyari)67のための鍋

    1. 老婆Mariamuのための「鍋」設置

 

  1. 憑依霊ドゥルマ人(Muduruma)72のための鍋

    1. Mejumaaのための「鍋」設置

 

  1. 憑依霊世界導師(Mwalimu Dunia)7576のための鍋

    1. Mejumaaのための「鍋」設置

 

  1. 憑依霊ペンバ人(と仲間たち)79のための「鍋」

    1. Mwasamaniの屋敷での「鍋」設置

より複合的な治療の一環としての「鍋」:

概要

カヤンバ(makayamba)あるいはンゴマ(ngoma)に先立つ、あるいはそれに至る諸手続きの一つとしての「鍋」

「鍋」治療が、それ自体で一応完結するものとしてではなく、最初から別のより大掛かりな治療の前段階として実施される場合がある。これも多くは占い(mburuga)の指示による。「鍋」をその手続に含む、より大きな治療についてはそれぞれ別個に詳しく扱うので、ここでは、大きな治療法のなかに含まれた「鍋」について、いくつかの事例を紹介するにとどまりたい。

憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(あるいはカヤンバ)「治療」についてはここに概略を紹介しているので参照していただきたい。

ンゴマ(あるいはカヤンバ)には、その目的やコンテクストに応じて様々な種類がある。

こうしたカヤンバやンゴマの多くでは、その開催に先立っていくつかの「鍋」治療がともなう。カヤンバ(ンゴマ)に先立つ「鍋」がまず要請されないのは「憑依霊を見る」と「嗅ぎ出し」と「除霊」である。それに対して、「鍋」が必須となるのは患者が施術師に就任するためのカヤンバ(ンゴマ)である。 それ以外の場合に、カヤンバに先立って「鍋」が必要となるかどうかは、患者が多くの憑依霊をすでにもっているかどうか、ややこしい憑依霊がいるかどうかなどに依存する。

一例として1989年12月14日から3日間にわたって、施術師チャリがライカ、シェラ、ムディゴ、ニャリをまとめて「外に出す」呪医就任の一連の大掛かりな施術(瓢箪子供とビーズの装身具の作成に始まり、「嗅ぎ出し」、「重荷下ろし」、徹夜の「外に出す」の3連続カヤンバを含む)を、自宅から30キロほど離れた施術師(男性施術師ニャマウィNyamawi+女性施術師Mwaka)の屋敷で受けるに先立って、自宅で浴びた「鍋」は以下の通りだった。いずれも鍋を据えたのは、Chari自身の手で施術師に就任した女性(Chariの治療上の「子供」ということになる)とその夫である。

  1. ムァナムルングmwanamulungu (+サンバラ人musambala)の鍋...7日間

  2. 「招待の鍋」nyungu ya kurongesha... 4日間 これは「外に出す」カヤンバの前に行う「鍋」の通例どおりである。

「招待の鍋」とは、本格的なンゴマ(太鼓 ngoma)やカヤンバ(makayamba)の前に4日間湯気を浴びる(ku-dzifukiza)鍋。これにはすべての憑依霊(nyama osini)の草木(mihi ya nyama osi)を入れる。といってもすべてを入れるのではなく、それぞれの憑依霊のための「鍋」に入れられる代表的な草木を入れたもの。これはそのンゴマ(カヤンバ)で主に演奏される憑依霊たち以外の憑依霊がムエレ(muwele)80が踊る(ku-vina=憑依霊に満たされて憑依状態になる)のを邪魔しないようにと前もって諭しておくために差し出される鍋だとされる。患者がそれほど多くの霊をもっていないことが明らかである場合には2日間に短縮され、あるいはまったく省略されることもある。

同じく施術師chariが1991年11月9日に開催する予定だった「月のカヤンバ(kayamba ra mwezi)」(急遽別のカヤンバの開催が要請されたため中止になった)に先立って行った「鍋」は以下の通り。これらの鍋も、Chariが「外に出し」施術師にした女性(上の例とは別人)とその夫によって据えられた。

  1. ドゥルマ人mudurumaの鍋...12日間

  2. シェラShera(+mudigo, laika)の鍋...4日間

  3. 「招待の鍋」nyungu ya kurongesha...4日間

月のカヤンバは、特定の問題(病気など)の解決を求めて開くものではなく、施術師自身が自分の憑依霊たちに感謝を示すために開くものである。ここでは彼女の持ち霊であるドゥルマ人とシェラに特別な配慮がなされていることがわかる。

ここではこうしたンゴマ(あるいはカヤンバ)の準備としての「鍋」について、施術師就任のンゴマに向けての鍋と、やや特殊ではあるがチェレコと呼ばれる瓢箪子供の差し出しに際しての鍋を、事例としてやや詳しく紹介しておきたい。

施術師就任のンゴマの準備としての「鍋」

施術師にとって、弟子(mwanamadzi81)を「外に出す」ンゴマは、他のンゴマ(カヤンバ)にはない特別な重要性がある。そこに至るまでに、彼(彼女)が自分のもっている霊に対して、どれだけ上手に交渉し、必要な助力を引き出しうるかが試されていると同時に、弟子がその持ち霊と上手につきあっていけるかどうか、それを見極め指導していかねばならない。そしてンゴマ(カヤンバ)の当日に、弟子がその持ち霊との協力関係を見事に立証して見せるかどうかが明らかになる。施術師にとって嫌でも気合のはいった特別なンゴマなのである。失敗は許されない(とはいえ、しばしば起こる)。

そうした失敗を防ぐために、ンゴマの開催を施術師見習いがもっているすべての憑依霊に周知し、それがとどこおりなく実施されるよう協力を要請する必要がある。そのための準備が「鍋」である。初めて施術師になる者は、まずムルングの施術師にならねばならない。同時に他の憑依霊も「出される」かもしれないが、ムルングがまず先頭を切る。したがって、時間と日程に余裕があれば、まずはムルングの「鍋」7日間、その後、弟子の持ち霊によってはンゴマの障害になりかねないものもおり、それらを説得するための「鍋」(日数は問題となる憑依霊ごとに異なる)、最後に、すべての憑依霊に対する「招待の鍋」(4日間、ただし日程の都合で短縮されることもある)という風に、入念な「鍋」活動が必要となる。

ンゴマ開催に向けての「鍋」の事例

  1. 施術師就任を前にしたTusheのための憑依霊ドゥルマ人の「鍋」

  1. 施術師就任を前にしたTusheのための「招待の鍋」

  1. Chariの憑依霊ペンバ人(等)の施術師就任のための「ペンバ人の鍋」

 

 

瓢箪子供を差し出す手続きにおける「鍋」

概要

女性に降りかかるさまざまな災難の一つが、妊娠・出産・子育てを巡る諸問題である。妊娠を妨げるさまざまな要因があるとされており、憑依霊もその一つである。妊娠しても、流産や死産で子供を失うことがある。それを引き起こす要因もいろいろあるとされているが、やはり母親に憑いている憑依霊の仕業とされる場合がある。さらに出産しても、赤ん坊が無事に育たずに、死んでしまうことがある。「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる、特別なグループの霊(キツツキ(nyuni)と総称されるが、想像上の巨大な怪鳥を含め、鳥が多くを占める)も、母親に憑くことを介して子供を苦しめ、死に至らせる場合がある。こうしたケースのいくつかは「除霊(ku-kokomola)」というドゥルマの人々が「危険」だとみなす施術でしか対処できない。

内陸部の霊(nyama a bara77)の筆頭で、池の霊(nyama a ziya)すべての母であるとも言われるムルング(mulungu あるいはムルング子神 mwanamulungu8462)も、女性の妊娠・出産を封じてしまう霊であるが、先に触れた「除霊」の対象になる霊たちとはある意味で正反対の仕方で、それを行う。ムルングは、自分の瓢箪子供がほしくて、高い出産能力のある女性に目をつけて(ある人によると嫉妬して)、彼女の腹を封じてしまう。したがって瓢箪子供を差し出すことを約束すれば、ムルングは彼女を解放し、妊娠させてくれるだろう。子供が無事出産したら、約束通り瓢箪子供を差し出し、それ以降は彼女は背中の子供と瓢箪子供をいっしょに育てることになる。瓢箪子供=ムルングは背中の子どもの成長を助け、彼女のさらなる妊娠出産を助ける。ただ一方的に子供に害を及ぼし、最終的には危険な除霊によって関係を絶ってしまう必要がある霊たちとは違って、霊と彼女の間には恒常的な共生関係が築かれていくことになる。

例えば次に紹介する占いでは、妻(出産経験あり、しかしその後子供に恵まれない)の婦人科的諸問題を占いに来た男性客に対して、占いの施術師は、「出産祈願のための瓢箪子供の差し出し」64という一連の治療プロセスの最初の段階として、ムルングに対する「鍋」の差し出しを指示している。さらに、彼女の病気の別の側面に責任がある憑依霊ドゥルマ人72の「鍋」設置も指示されている。こちらは憑依霊ドゥルマ人自身を満足させるための、瓢箪子供を差し出すこととは独立した「鍋」の設置であるが、ドゥルマ人によって本筋の瓢箪子供の差し出しが邪魔されないための予防措置という側面もある。前節の実例においても、見られるように憑依霊ドゥルマ人は、他の憑依霊のための饗応を妬み、妨害するという厄介な存在なので、患者が憑依霊ドゥルマ人をもっていることがわかっている場合は、ドゥルマ人に介入を思いとどまるよう、説得する必要がある。そのためにもドゥルマ人だけのために「鍋]の饗応を行うことが有効だと考えられる場合がある。

瓢箪子供を差し出す一連のプロセスについては、別項で詳しく紹介するので、ここでは「鍋」に関わる部分のみ挙げておきたい。

占い(mburuga)による瓢箪子供のためのムルングの「鍋」指示

(占いの施術師(muganga wa mburuga=Chari(Mm))、開始してすぐに、客の男性(Client(Cl))の妻が病気であり、問題は腹部85にあることを言い当てる)。

(DB 1156)途中から。一部編集。 Mm: でも腹がとりわけ病気だね。 Cl: それこそ私をここにもたらしたものです。 Mm: 腹は空っぽだね。中に人(胎児)はいない。 Cl: 私の見るところ、なにもないです。 Mm: なのに中で何かが動き回っている。

(DB 1157) Cl: その動き回っているものをよく見てくださいな。それが人なのか、物なのか。見えるんでしょう? Mm: 病気だよ。腹が切られるよう(に痛い)ってこと、奥さんはあなたに言った? Cl: 言ってました。 Mm: 腹が(なにかで)一杯になっている86感じ。 Cl: 便秘87ってことでは、便秘してます。 Mm: 便秘、一杯になっているということはそういうこと。 Cl: まさにそのとおりですね。 Mm: そしてこの両の腎臓が重苦しいよ、あんた。何かに噛み潰されている88よ、あんた。 Cl: タイレです。 Mm: この下腹部89も。噛み潰されている。 Cl: まさに、そのとおりです。 Mm: 重苦しい。もし違っていたら、違うと言ってちょうだい。間違いだと。

(DB 1158) Cl: 私は否定の仕方なら知ってますよ。でも、あなた、私はタイレだと申しているのです。 Mm: 下腹部が重苦しい。そしてここと、このあたり、針で刺されるような痛み。感じているかい。これから別のことも言いたいんだけど、あなたは私が分別がない(人前では口にできないことを口にする)と言うだろうね。 Cl: ああ、言ってください。 Mm: でもね。 Cl: 私の見解はこうです。もう(あなたの指摘に)私はうなずいたじゃないですか。私が嘘をつくとでも?病気を隠したいと思っているとでも? Mm: まずね。水が(性器から)溢れてくるという、ちょっとした異常(kajama)90だね。

Cl: 今日もありました。

(以下、女性の性器に関するいくつかの不調と、月経不順、夫婦の性関係その他の指摘などが続くが、ここでは(内容が「人前では口にできない」類のものを含んでいるので)訳出しない。次々となされる症状の指摘に、夫は思わず握手を求めるが、施術師は拒む。まだ続きがあると言って。ドゥルマ語のテキストは公開しているので、具体的に知りたい方はドゥルマ語を解読していただきたい。)

(DB 1172)途中から。 Mm: そして、睡眠のちょっとした異常(kajama ka kulala)はどうです。ちっちゃな子供みたいに突然なにかに驚いたみたいに目を覚ます。そんなことはなかったかい。 Cl: ああ、そもそも彼女の異常な癖ですよ。異常な。

(DB 1173) Mm: 夢と話をしているみたいな。ときには何かを食べているみたいに口をむしゃむしゃ。 Cl: ああ、私本人がその場にいるんですよ。見ていますとも。 Mm: 彼女には(解決すべき)いろんなことがあるよ、あんた。 Cl: ああ、あなたが見たものをすべて言ってください。もしもっとご覧になるのなら、言ってください。 Mm: たくさんの心配事。ところで...(小声で聞き取れない)...については、憑依霊(shetani)についてのことは全部、調えたのかい、最後まで。 Cl: やりました。でも最後までかどうか知りません。全部終わったかどうか、見てくださいよ。 Mm: 終わってはないね。 Cl: 私はやりましたと申しましたが、すべて終わったとは言ってません。やりましたと言っただけです。 Mm: 瓢箪子供(mwana wa ndonga64)は彼女に与えたかい? Cl: 瓢箪子供、彼女はまだ瓢箪子供は受けていません。

(DB 1174) Mm: まだ彼女に子供をあたえてないの? Cl: いいえ、まだです。そもそも... Mm: ところであなたは子供はほしいの? Cl: 私自身の子供ですか。 Mm: そうだよ。 Cl: ああ、私が彼女を急かしたとして、いったい何になるでしょう。子供をもうけるまさにその場所が(病気に)捕らえられているんですから。そこが捕らえられているとすれば、私になにが出来ましょう? Mm: 彼女がどうであれ、彼女には可能だよ。でも、今はそんな具合。憑依霊ドゥルマ人72の鍋23はまだ置いてないのかい? Cl: ああ、それなら、私はまだ鍋を置いてません。まだ(そうしろと)言われたこともなかったのです。

(DB 1175) Cl: こうしなさい、ああしなさいと言われたら、私は言われたとおりにいたします。あるときなど、(占いに)見てもらい指示されて、そのとおりにして、太陽があれくらいの時(朝8時くらい)、妻の様子を見ると、もう完全に健康。人も、この女性は健康そのものだと言うほど。 Mm: ああ、彼女のこの病気はね、...そもそも、朝あなたが出かけるときには、彼女は健康そのもので、あなたが帰宅すると、病気の彼女をみることになる。 Cl: そう、まさにそんな感じです。 Mm: 逆に、朝、別れるときには重病人そのもの、でも帰宅してみると、しっかり目を開いている(元気そのもの)74 Cl: まさにそのとおり。 Mm: さて、私はこんなふうには言いません。さあ、行って施術師をさがし、10000シリングの料金をおはらいなさい。彼女の「重荷下ろし(kuphula mizigo)47」の治療に何千シリングですって?あなたはンゴマを開き、重荷下ろしをする。なのに彼女は相変わらず病気。

(DB 1176) Mm: 私はあんたにほんのちょっとした課題だけをあげるよ。それであなたはここに戻ってきて、私に握手を求めることになるよ。まず、ムルング子神(mwanamulungu62)の鍋を彼女においてあげてちょうだい。 Cl: ムルング子神の鍋。 Mm: それとムルング子神のキザ24 Cl: それとムルング子神のキザ。 Mm: わかった? それとシェラ44と憑依霊ディゴ人43の「外のキザ」 Cl: シェラと憑依霊ディゴ人の。 Mm: それとライカ・ムズカ本人の。奥さんが鍋の湯気を浴びて、終わったらこのキザ(ムルング子神の)を浴びるのよ。この(ムルング子神の)キザを浴びたら、まずは彼女はよくなるから。このキザを浴び終わったら、彼女はあっち(外)に行く。(搗き臼は)上手に模様を描いてある(灰の白、炭の黒とオーカーの赤で)。(赤、白、紺三色の)布切れをこんな風にね。ムコネの枝を2本こんな風に(搗き臼の上に)渡してね、カンエンガヤツリ草91をこんな風に差して、搗き臼に向かってこちら(北)を向いてね。とっても気にいるわよ。奥さん自身も。ここ(小屋の中)で鍋の湯気を浴びて、終わったらそちら(小屋のキザ)で浴びる。

(DB 1177) そちらが終われば、彼女はあちら(外のキザ)に行く。それが済んだら、また小屋に戻って煎じ薬(muhaso)を飲む。鍋が終わるまで。7日間で終わります。さあ、中身は捨てて。さあ、憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きなさい。 Cl: この彼女が湯気を浴びるのはムルング子神の鍋ということでしょうか。 Mm: ムルング子神のです。 Cl: で、あちらで浴びるのは。 Mm: 池はムルング子神の池です。あちらの方には、ライカ92・ムズカ94とシェラと憑依霊ディゴ人いっしょのキザです。 Cl: あちらの外れのほうの? Mm: そう。さて、彼女が湯気を浴びて、終わったら、そちらで水浴び。そちらで水浴びして終わったら、あっちの方で水浴び。で、終わりです。 Cl: 7日が終わるまで。 Mm: 7日が終わると、このドゥルマ人の鍋を(施術師が)設置に来ます。奥さんは良くなりますよ。

(DB 1178) Cl: 鍋を設置に来る。そしてタイレと? Mm: さらに、そんなふうに彼女が(ムルング子神の)鍋の湯気を浴びる際に、こちらに瓢箪(chirenje)、まだ口を開けていない瓢箪を。 Cl: うまく立たせておくのですか。 Mm: ここ、(ムルングの)キザのところによ。で唱え手に唱えてもらいます。「私は、この腹が小康を得ることを望みます」って。小康を得ることは、治ることよ。腹が治るのを見ることは、腹に子供を見ることよ。その腹を見ても(妊娠がわかっても)、この子供(瓢箪)の口は穿ちません。それからは、寝台の脚のところ(gunguhi)に置いておかれます。その子供(瓢箪)にはこれ(占いに用いる瓢箪のマラカス(chititi))みたいに3連程度のビーズを巻いておくだけよ。それは寝台の脚のところに置いておかれます。この子は口を穿ちません、脚をもった(人間の)子供が生まれるのを見るまではね。そのときにこの子の口を穿って、彼女に二人の子供(生まれてきた人間の赤ん坊と瓢箪子供)を与えるのよ。この鍋の湯気を浴びて、このムルングの鍋が終わったら、施術師を連れてきて、彼(彼女)にこの子を寝台の脚のところに置いてもらいます。でもこの子を寝台の上に上げてはだめよ。

(DB 1179)繰り返し一部省略 Cl: 上にあげたらだめ? Mm: (施術師に)寝台の脚のところに、こんな風に置いてもらいます。この子はそこにずっといます。ときどき、見てあげます。それはそこにいます。奥さん本人も、ときどきその子を見てあげます。 Cl: ああ、自分でもその子を見るんだね。 Mm: ああ、そうそう。まずね黒い布(nguo nyiru=ムルングの布。実際には色は黒というよりも紺色)を手に入れて、その上に置いてあげる。石(このあたりにみられる平たい粘板岩)があれば、そこに置いてあげる。そこに座らせておく。以上。あんたは(奥さんの病気が治ったと言って)私に握手を求めに来るでしょうよ。それから憑依霊ドゥルマ人の鍋を置きます。ドゥルマ人に鍋の湯気を浴びさせるのよ。12日間。ドゥルマ人の鍋を差し出す際には、ほんの少しばかり歌を用意してね。 Cl: 歌を用意しておく? Mm: さらにいっそう祈願するのよ。つつがなきことと、子供が生まれることをお願いするんだよ。 Cl: (徹夜のじゃなくて)昼間の(カヤンバ)でも?

(DB 1180) Mm: 昼間のでも。ちょっとした歌だよ。でも(本当の子供が生まれた後で、正式に)瓢箪子供を与える日にはね、夜の歌(カヤンバ)といっしょに与えられるんだけどね。というのも瓢箪子供は昼に差し出すものではないから。そうされる場合もあるけど、施術的にはちょっとね。瓢箪子供といえば、ンゴマを打ってもらうこと。その日の早いうちに、瓢箪子供の口を穿ちます。そしてンゴマが明け方のひんやりする時間まで打たれます。夫婦がその子作りに励む時間ね、その時間に瓢箪子供は差し出されるんです。おわかり? Cl: わかりました。 Mm: でも祈願すること、それなら、昼間で大丈夫。そのときっていうのは、しっかりこの子を(ムルングに)お示しするのよ。私はこの子に口を穿ちません。 Cl: はっきり口に出して言うんですね。私はこの子に口を穿ちませんって。 Mm: 私はこの子に口を穿ちません。脚をもった子供をこの目で見るまでは。

この占いの訳出されなかった部分を含む全文ドゥルマ語テキスト

こんな具合に、占いはかなり詳細にわたって実施するべき治療を指示する。女性のかかえている問題は、ムルングが自分の子供(瓢箪子供)を求めて、その欲求をかなえるために引き起こした問題だった。したがってムルングの鍋をムルングに振る舞い、同時に瓢箪子供にする瓢箪をムルングに示してやることで、当面の問題は解決するはずだ。この瓢箪は、口を開けないまま夫婦の寝台の下にきちんと置いてやる。あとは彼女が妊娠し、無事子供を産むのを待つばかり。だが、それを邪魔しかねない憑依霊ドゥルマ人に対して「鍋」を振る舞ってちゃんと言い聞かせておかなくては。その時、ムルングに対しても小さい昼間のカヤンバ(3人程度の歌い手で良い)で、出産の祈願に念を入れておく。そして無事、妊娠出産の暁には、徹夜の儀礼を開き、たくさんの憑依霊たちを踊りに招待し、その夜のうちに瓢箪の口を穿って、その中に「心臓」「内臓」「血」を入れて瓢箪子供を仕上げ、夜明け前の儀礼のクライマックスに、ムルングに憑依されたその女性(かつムルング)に、瓢箪子供を差し出せばフィナーレである。それ以降、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、赤ん坊を負う際には、背負い布(mukamba108)の端に結ばれ、赤ん坊と行動をともにしつつ、赤ん坊を「養う」。「鍋」はこの一連のプロセスの重要な結節点となっている。

出産後に、完成した瓢箪子供をムルングに対して差し出す徹夜のンゴマ(61)については別項において実例とともに詳しく紹介しているので、そちらを参照されたい。

「手付けの子供(mwana wa mufunga)」を示すための「鍋」

概要

「鍋」の差し出しとともに、 口を穿ってない瓢箪が「手付けの子供(mwana wa mufunga)」あるいは「瓢箪子どもの手付け(mufunga wa mwana wa ndonga)」が差し出される。

事例

  1. ンカウリの「手付けの子供」を見せるためのムルングの鍋

  2. ビティのための「手付けの子供」をムルングに示す「鍋」

 

参考文献

浜本満, 1992, 「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」, 『アフリカ研究』Vol.41:1-22 浜本満, 1993, 「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28

注釈


1 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o2)、シェターニ(shetani3スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini4)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa6)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola5)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani39)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba11)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara40)」の2つに分ける区別もある。
2 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani3もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞1)という言葉が最も一般的に用いられる。
3 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
4 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola5)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
5 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini4」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa67と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume12)、カドゥメ(kadume30)、マウィヤ人(Mwawiya31)、ドゥングマレ(dungumale34)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga35)、トゥヌシ(tunusi36)、ツォビャ(tsovya38)、ゴジャマ(gojama33)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu28」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」29)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
6 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa7)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola5)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち8)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba11)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu28)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni29)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini4)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
7 除去する、取り除く
8 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo9)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
9 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso10)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine8)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
10 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
11 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume12)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani13)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
12 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola5)もありうる。
13 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」14による鍋(nyungu23)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe27)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu20)。
14 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術15においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba16)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande17)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu23)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
15 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
16 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
17 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符18。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
18 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata19)、パンデ(pande17)、ピング(pingu20)、ヒリジ(hirizi21)、など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
19 ンガタ(ngata)。護符18の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
20 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符18の一種。
21 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima22)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
22 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi21)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
23 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza24、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
24 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya25)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu23)とセットで設置される。
25 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo26)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza24)と呼ばれるが)。
26 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
27 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
28 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ29)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola5)の対象となる。
29 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu28」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
30 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
31 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde32)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama33)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
32 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
33 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola5)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
34 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola5の対象になる)7。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
35 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
36 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine8)の一種という説と、ニューニ(nyuni29)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ37らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola5)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
37 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
38 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ29の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola5)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa7」。see p'ep'o mulume12, kadume30
39 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba11)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
40 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
41 「鍋」を火にかけて煮る役目の人には、たとえ姉妹や母親であっても、4シリングないし8シリング(ryale)を渡す必要がある。そうしないと憑依霊が嫉妬して料理人を病気にしてしまうかもしれないという。
42 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
43 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
44 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)45、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす47)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku49)、おしゃべり女(chibarabando50)、重荷の女(muchet'u wa mizigo51)、気狂い女(muchet'u wa k'oma52)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma53)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo54、長い髪女(mwadiwa55)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba56)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
45 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri46)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ19を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
46 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza45と呼ばれる手続きもある。
47 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo48)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
48 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
49 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera44)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
50 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera44の別名の一つ
51 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ44の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
52 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ44の別名ともいう。
53 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera44)の別名の一つ。
54 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ44の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo43)の女性であるともいう。
55 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
56 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
57 妊娠していないのに妊娠したかのように腹部が膨れ、死に至る妖術
58 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti59)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira60)」と呼ばれることもある。
59 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
60 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ58の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(61)、カヤンバ(58)と同じ意味で用いられる。
61 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri59)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira60)」と呼ばれることもある。
62 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza24)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる63。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている64。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
63 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供64がある。瓢箪子供の各部の名称については、図66を参照。
64 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供63。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神62がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande17)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料16)、血(ヒマ油65)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
65 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
66 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
67 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)45」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena68が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee69)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande17には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
68 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari67)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande17)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
69 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo70)マンダーノ(mandano71)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
70 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
71 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
72 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性73)、カシディ(kasidi 女性74)、ディゴゼー(digozee 男性老人69)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
73 憑依霊ドゥルマ人(muduruma72)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
74 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma72)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
75 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師76。内陸bara系77であると同時に海岸pwani系11であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」78)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
76 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia75)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
77 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
78 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia75)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
79 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」27、香料16と海岸部の草木14の鍋23。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
80 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)81であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
81 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba56)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)82や母(女性施術師の場合)83ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
82 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」81を参照されたい。
83 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」81を参照されたい。
84 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)62との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
85 「外 nze, konze」に対する「内、内部」を意味するが、「胃」「腹部」の意味でも用いられる。母を同じくする兄弟のことを ndugu ndani mwenga(一つ腹の兄弟)という言い方もある。
86 「一杯になる、溢れそうになる、はち切れそうになる」を意味する動詞
87 ku-odzala とほぼ同義だが、「便秘になる(ku-vumbirwa)」の意味もある。
88 むしゃむしゃ食べる、噛み砕く、またはその動作
89 陰部も含む下腹部。「彼は私のchinenaに触った yudzinikumba chinena」は「彼は私を怒らせた」の意味になる。
90 vyama(=人や出来事が示す悪性の異常な傾向性)の指小辞(diminitive)。「ちょっとした異常」と訳したが、過小評価にみせつつ、大変だとのニュアンスがこもっている。
91 ムカンガガ(mukangaga)「葦」, 正確にはカイエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)
92 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi93)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka94) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri46)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi95など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo96,laika mukusi97など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe98, laika ra nyoka98, laika chifofo101など。(4) その他 laika dondo102, laika chiwete103=laika gudu104), laika mbawa105, laika tsulu106, laika makumba107=dena68など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze24)で薬液を浴びる、護符(ngata19)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza45)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
93 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
94 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
95 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni29)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
96 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
97 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
98 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira99)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka100)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
99 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
100 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
101 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
102 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi93)の別名ともいう。
103 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
104 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
105 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
106 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
107 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena68)の別名。
108 ムカンバ(mukamba pl.mikamba)とは、片方の肩に掛けて赤ん坊を背負い、胸の前でくくる「おぶい布」のこと。 任意の長方形の布(レソlesoとして2枚一組で売られているものが多い)が用いられるが、瓢箪子供(chereko)による赤ん坊の場合はムルングの布(nguo ya mulungu)あるいは黒い布(nguo nyiru)とよばれる紺色の布が用いられる。瓢箪子供はこの布の一方の端、胸の前で結ぶ部分に結び付けられている。