目の不自由なMejumaaのためのMwalimu Duniaの「鍋」

概要

(from diary) Nov. 28, 1991, Thu, kpwisha

午後3時、MurinaとChari1が来て、Dunia3のnyungu38を据えに行くというので同行する。Ngonzini55のduka56の少し手前で左に入った屋敷。先日来ていた目の不自由な女性に対するもの。訪問してnyunguを用意していると、いきなり歌うようにninafa57と泣き出し、Chariがベッドに座って彼女の頭を撫でながらmakokoteri58。Chariは私に「Kasidi49の仕事を見たかい?」と面白そうに尋ねる。Kasidiでgolomokpwa60していたのだ。その後は女性はごく普通に機嫌よく振舞う。Murina戸外で女性を水でkogeshaしながらmakokoteri(なんちゃってアラブ語)。女性が、うなり声を上げているので、yugolomokpwa?と尋ねるが、違う、水が冷たいからだと。なんだ。大げさな女性なのだ。 すべてが終わり、fungu62の代わりに(お金がなかった)赤いjogolo63をもって帰る。この女性、機嫌よく見送りにやってきたが、途中でまた泣き出し、自分は死ぬと歌う。Chari 再びKasidiに対してmakokoteri。泣き止む。

目の不自由なこの女性、および彼女の母はかつてMurinaとChariの「治療上の子供」64だった。しばらく疎遠になっていたが、今回のMejumaaの病気で再び治療状の親子関係にたつことになった。Mejumaa 自身が姉妹に手を引かれてChariのもとを訪れて窮状を訴えた。その2つの問題症状、Mejumaaの目が見えなくなったこと、脚が痛くて歩けないほどであることは、妖術のせいだとも考えられており、今回は妖術の治療(施術師Bemureziが従事している)と並行して、MurinaとChariによる憑依霊に対する治療が行われることになった。占い(mburuga66)を介さない形で、治療のための鍋が行われたケースになる。

施術師

MurinaとChari夫妻が鍋38とキザ39設置を行う。世界導師(Mwalimu Dunia)はイスラムと内陸部の非イスラムの2つの属性をもつので、イスラム系の憑依霊の施術も世界導師の治療には含まれる。Murinaは他の施術師(治療上の父、及び母)の手によって正式に憑依霊の施術師になったわけではないが、彼の言い方によると、憑依霊の方から彼の頭にやってきて必要な知識をすべて入れてくれたので、人間の施術師によって「外に出される ku-laviwa konze(nze)」されるまでもないのだそうだ44。Chariは、自らの死にかけたほどの重病のなかで世界導師の治療を受け、その後正式に「外に出され」ている。

世界導師の「鍋」設置の流れ

(1991年11月28日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングはフィールドノートにおけるもの。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

musanduku(ユーカリ)使用! 7日間朝夕 kudzifukiza67

<屋内での施術> (1)Murina、mitsanga ya funguni(砂浜の砂)を nyungu38 に入れる (2)次いで、mihi ya pwani68(乾燥したもの)を入れて、簡単なkugomba69 mukoko 葉(Rhizophora mucorata) mukungu (Terminalia catappa) mukungamvula mudazimbuu (cf. mudaziweru=Encephalartos hildebrandtii mukandaa mutswi (Avicennia marina) (3)Murina、mavumba31の材料(buba70、kafuri72 etc)をchinu73に入れてkuphonda74 (4)Chari, mihi ya bara75 を入れる まず mubambakofi(Afzelia quanzensis) を握って kugomba (DB 4248-4257) ドゥルマ語テクスト (5)Chari, mavumba31を入れ、次いで、musanduku を入れる 次いで、Murina、mubambakofi を持って「アラビア語」でmakokoteri58開始 (DB 4253-4254 his "arabic" was not transcribed.) 患者、泣きはじめ kulaga76 し始めたので、Chari、患者の横に座って makokoteri どうやらkasidi49に憑依されている様子 (DB 4253-4255) ドゥルマ語テクスト (6)Murina、muzyondoherangulwe(同じく muhi wa bara)を入れて スワヒリ語も 混じえて makokoteri (DB 4254, 4256-4257) ドゥルマ語テクスト 続いて他のmihi ya baraを加える mbulushi mutomoko mukanju musanduku mubibo mupera (7)最後に再び mavumba を入れ、kafuri を一片加える

<屋外での施術> (8)chizaの準備 nyunguに用いたmihi + mulungu77、laika83 などその他のp'ep'oのmihi のミックス (9)小屋の外に出て、Murina、患者の右耳をつかんでmakokoteri、バケツ一杯の水 でMejumaaを洗う(Mejumaa悲鳴) (DB 4258-4259) ドゥルマ語テクスト (10)Chari、右手を患者の頭に置いて makokoteri arumwengu osi に対してkokoteraした後、患者の右手を握手しながら kasidiに対して、adzomba101 の nyunguを据えることに対する許しを乞う (DB 4260-4265) ドゥルマ語テクスト (11)その間、Murina はubani102でnyunguをkufukiza103 (12)Murina、患者の頭に右手を置いて makokoteri 患者は脚を開いて投げ出してすわり、脚の間にnyunguを挟んでいる (DB 4266-4269) ドゥルマ語テクスト (13)madzi ga pwani104 を50ccほどnyunguに入れる (14)ryale105(4シル、8シル)をnyunguをkujita106してくれる人に手渡す。 これなしでnyunguをkujitaすることはできない。 (15)患者の母に対してmakokoteri (DB 4270-4271) ドゥルマ語テクスト 患者の母がnyunguをkujitaし、患者をkufukizaしてやる この患者の母にryaleを渡す。そうしないとnyamaが嫉妬して母を病気 にするかもしれないから。 (これについては DB 4631 も参照のこと)

別れ際、ここまで機嫌良かったMejumaaは再度golomokpwaし、頭が金槌で殴られたように痛い、もう自分は死ぬと泣く。Chariがmakokoteriして泣き止む。 (DB 4272-4274) ドゥルマ語テクスト

唱えごと(makokoteri)の日本語訳(抄訳)

唱えごと全文テキスト(ドゥルマ語・スワヒリ語)

Chari、bambakofiを握って唱えごと (DB 4248-4257) 4248

ビスミラーイ、ラハマーニ、ラヒーム...(略) さて、私はお話します。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。私がお話するとすれば、私はメジュマーのためにお話いたします。この子供は病気です。彼女の病気はと言うと、ずっと以前に始まったものです。昨日始まったものではありません。私は彼女を長いあいだ治療しました。でも、その後お互いに音信は途絶えてしまいました。今、この子供は病気です。彼女の病気は周りの人を困惑させるものでした。 まず第一に頭です。頭が耐えられないほど痛い、そして間がまったく見えない。この私の子供は、出かけるにも誰か介助者がいるほど目が見えないのです。まるでとても小さな子どもみたいに。でも、そのときにはまだ目は完全に殺されてはいなかったんですね。もう今では、目は死んでしまいました。私たちにはそれが妖術のせいなのかわかりません。憑依霊のせいなのかもわかりません。でも憑依霊たちのせいでおこりうることだとは言えます。

4249

わたしたちは、鍋を置きに来たほうがよかろうと思いました。というのも、昨日、昨日でしたっけ?彼女に手をおいて唱えごとをいたしました。というのも、彼女がツォガ(皮膚をカミソリで切りそこにムハソ(muhaso薬)を擦り込む妖術治療の施術クツォザkutsodza)をしっかり受けることになったとしても(良いように)。(この病気が)妖術のせいだということで、彼女が妖術のクブェンドゥラ107を受けることになる。さらには彼女にクツォザを施される必要があると言われることになるかもしれない。そうなると彼女が、(憑依霊の)みなさま方によって打倒されてしまうことになる108。というわけで私たちは知っておいた方が良い。なるほど彼女の目は見えないが、なんと憑依霊が彼女を煩わしていたんだ(ということなのかどうかを)。 私たちは日程の約束をして、私たちは木曜の日に参りますと言いました。そして今日がその木曜日です。ずっと先の日を約束しなかったのも、この病気は少ない病気ではないからです。だって人は歩いていくとき、目がみえるんじゃないと!さらに頭痛はとても我慢出来ないほど。 このように、私たちは参りました。鍋を置きに参りました。誰の鍋ですか。バラナプワニ(bara na pwani=内陸部と海岸部、世界導師mwalimu duniaの別名)の鍋です。ジャンバ導師と一緒におわします世界導師です。

4250

いま私たちはこの鍋を置きに参りました。わたしたちはこの人がひどい目にあっていると見ています。身体はどうしようもないほど、いっぱいになっています(何かが詰まって膨満している)。彼女が私は病気ですと言っても、誰も同意しないでしょう。でも事実病気なのです。しかし私たちはこうした症状は、あなたジャンバ・スディアーニ(ジャンバのスディアニ Sudiani Jamba)とあなたドゥニア(Dunia=世界、世界導師の別名)によって引き起こされるのだと申します。いま、私たちはあなたがたのためにこの鍋をお置きいたします。いま私たちは欲します。目は、(壁に開いた大きな)割れ目のごとく、見えよと。身体は(中の水が抜けて)小さくなり、頭は冷えよと。いま私たちが願うのは、つつがなきことです。この子供を私たちが治療すれば、この鍋、私たちがあなたがたのためにお置きするこの鍋、この鍋は何をしてくれるのですか?病気を取り除いてくれるのです。 病気は(水辺の)ナピアグラス(elephant grass109)のごとく、清らかなれ!脚は、家の支柱(nguzo)のごとく、しっかと立て!目は、(壁の)割れ目(nanda)のごとく、見えよ。 世界導師よ。私はあなたを盗んではおりません。私自身の苦しみと困難です。私自身、病気に苦しみました。自分はもう治ることはないだろうと思ったほどです。

4251

私はムルング(mulungu)の癒やしの術(uganga)を外に出してもらいました(憑依霊ムルングの施術師に正式になりました)。でもなんと、それでは十分ではなかったのです。さらに世界導師の癒やしの術が求められていたのです。あなた世界導師です。あなた自身がわたしに癒やしの術を授けてくださいました。人から与えられたのではありません。たしかに私は(私の治療上の母と父である)フピ・ンゴメとマスディ・マンガレの二人から世界導師の瓢箪を授かりました。たしかに私は(二人から)授かりました。でもあなた世界導師さまご自身こそが、わたしに癒やしの術をくださったのです。そして今に至るまで、あなたはいまも私を導いてくださっています。 そういうわけで、私は世界導師の瓢箪を手に入れ、こうして私は友のために鍋を据えたいと願っているだけです。私が彼女を治療し、彼女が元気になるようにと。どうかみなさま方(私の言葉を)お聞き届けください。 いま、今日、私はこの鍋を置きます。この鍋を私は誰といっしょに置くのでしょう。平安(amani)とともにです。アマニ(平安)というのはこの人(Chariの夫Murina)のことです。というのはこれはこの人の名前、憑依霊名(dzina ra shetani)だからです。この人はアマニと申します。憑依霊名です。いま、つつがなきことこそ私たちが願うことです。この子供の。

4252

私たちが願うのは、わたしたちがこの鍋を据えたなら、病気は(水辺の)ナピアグラスのごとく、清らかなれ!どうか御主人様方、私の兄弟たち。皆さまがたはこの者を鞭打ってこられました。それはなんとみなさま方のことが(彼らに)知られていないからだったのですね。でもそれは昨日、一昨日のこと(もう過ぎたこと)です。いま、現在、私たちが望んでいるのは、つつがなきこと。あなた、バラナプワニ(bara na pwani=内陸部と海岸部、世界導師の別名)、あなたは、イスラム教徒でありながらドゥルマ人。あなたはドゥルマ語も理解する。あらゆる部族語を理解する。あなた、部族を守り導く者よ。 (チャリのムバンバコフィの唱えごと終了)

4253 (ムリナ、ムバンバコフィの木を手に持って唱えごと開始)

アラー、ヤカナ...(ムリナの「アラビア語」書き起こし不可能と書き起こし係の判断) (少し後、メジュマー(患者)突然泣き出す。ムリナの唱えごとはそのまま続いている。) Mejumaa:お母さん、ええ、ええ、私は死んじゃう、ええ。死ぬよ。お母さん、私死んじゃう。 Chari: 我が子よ、お前は死なないよ。死なないよ!我が子よ! Mej: 死んじゃうよ。お母さん。私死んじゃうよ、私、ええ、ええ。 C: 我が子よ、お前は死なないよ。お前は死なないよ。女の子は死ぬもんですか。わたしゃ、赤ちゃんの我が子を手に入れたよ。なあ、我が子よ。お前は死んだりしないよ。子供が母親を見たら、嬉しくなるもんじゃないかい。なのに今、あなたがたはこの子を殺そうという。どうしてこの子を殺すのですか。もしあなたがカシディ(kasidi49、女性の憑依霊ドゥルマ人)ならば。あなたカシディ、あなたドゥルマ人47。今、頭痛が軽減しますよう、私は願います。あなたがたがもし私がここに来ることをお望みなら、さあ、まずは頭痛を軽くしてください。あの今置こうとしている鍋は、トラブル抜きで湯気を浴びてもらいたいのです。こうした頭痛を感じたりしないように。

4254

C: 私としては、この鍋が終わったら。何日もかかる鍋ではありません、この鍋は。私は今度は皆さまの鍋を置きに参るつもりです。あなた、カシディ49、あなたドゥルマ人47、内側の問題もご存知、外側の問題もご存知と言われるあなたカルメンガラ(kalumengala48)。私はあなたにおしずまりくださいと申します。そして「おしずまりください」と申しましたら、私のその言葉をお聞き届けください。私の友人よ。あなたカリマンジャロ(karimanjaro110)、あなたの住んでいる所は、サカケなのか、ニョンゴロなのか、ルカカーニなのか。それともゴブォなのか。私の望みは、この子供のつつがなきことです。もし私がやってきて、この子が死ぬなんてことがあったら、いったい私はどうしたらよいのでしょう。 (メジュマー泣きじゃくっている。ムリナの唱えごと終了。続いてムリナ、ムジョンドヘラングルウェを手にとってスワヒリ語混在の唱えごとを開始するが、その内容本体については、チャリとメジュマーのやり取りの書き起こしのあとに記す) M: ビスミラーイ、ラハマーニ、ラヒーム....(「アラビア語」部分書き起こされず)... C: さあ、おしずまりくださいな、あなた。私はあなたのことはよく知っています。あなたの(振る舞い)はカシディ(kasidi49)です。今は、このカシディが消え去ることを願います。 (ムリナ、アラビア語の唱えごとを中断して) M: なにごとも一つずつだよ。 C: なにごとも一つずつです。さて、もし皆さま方が香料のこの臭いをお感じになって、彼女を殺そうとなさっているのでしたら、どうかおしずまりください、と申します。

4255

C: ところであなたは私が真剣だってご存知ですね。わたしにあなたの鍋を置きに参らせてください。もうしっかりと鍋をお置きしますよ。だからあちら(世界導師)を先に行かせてやってください。あなたの鍋は12日間の鍋ですよ。さらに私は、あの目が見えるようにと願います、あの目が。私がドゥルマ人の鍋を置きに来たら、すでに目が見えるようになっていますように。どうして今、私がやって来たと思ったら、あなたがたは私の子供を殺そうとなさるんですか。いったいなんのために彼女を殺そうとなさるんですか。ああ、おしずまりください、あなた。さあ、おしずまりください、私の子供を死なせないでください。なぜですか。この子供は、もし母に会ったら、喜ぶもの。なのにこの子はその母に会って、死にそうになる。子供には父がおり、母がいるものです。事を急いでいるあいつら(世界導師ら)も鍋を与えられますが、あのろくでもない奴らのことは、かまわないでください。だってあいつらは腐った連中ですから。彼らの(鍋の)日数なんて数えるほどのものです。今日、もしあなたがこの者を殺そうとなさっているなら、この者には手を出さず、まずは私にあなたのあの鍋、12日間の鍋を置かしてください。香料(ドゥルマ人の好む内陸部の草木の香料)もしっかりお入れします。まずは私の言うことをお聞き届けください。さあ、しずまってしずまって私の子供。

4256 チャリとメジュマに憑いているカシディとのやり取りの途中で開始された、ムリナの唱えごと。

Murina: ビスミラーイ、ラハマーニ、ラヒーム...(以下書き起こされず) スワヒリ語にスィッチ M: さて私はあなたジャブジャブ(jabu jabu)にお話しします。水の上におわすライオン(simba mukalia maji)よ。あなたジネバハリ(jine bahari111)、またの名を(以下、数語聞き取れない)...ああ?私はコーランのアラブ人(mwarabu kuruwani)にお話しします。私はペンバ人のアラブ人(mwarabu mupemba)にお話しします。私はアラビアのアラブ人(mwarabu manga112)に、ロハニ(rohani113)にお話しします。私はマスカット(オマーンの首都)のアラブ人にお話します。私はジャバレ(jabale=大岩、入道雲)のペンバ人のアラブ人(mwarabu mupemba jabale)にお話しします。私はジネ(jine=ジン)・ムァンバ(mwamba=サンゴ礁)のアラブ人(mwarabu jine mwamba114)にお話しします。ジネ・ムァンバまたの名をジウェ(jiwe=石)。7と70。 私はこの鍋をお置きします。私はこの鍋を、王ジャバレ(mufalume jabale; jabale=大岩,入道雲)、空におわします王(mfalme mukalia anga)に、王ペンバ人(mfalme mupemba45)に、空洞(vungu)のペンバ人(vungu mupemba)、白亜(chaki)のペンバ人(chaki mupemba115)に、アウトリガー船(ngarawa(ドゥルマ語)=galawa(スワヒリ語))のペンバ人(ngarawa mupemba)に、お置きいたします。汝イディティ(iditi=不明)よ。水の畑(konde la maji=水田か?)の方々、血の湖(ziwa la damu)の方々、みなさま方に私は、皆さんご注目ください、と申し上げます。私は皆さまにこの鍋を差し上げます。皆さま平安の鍋をどうかお受け取りください。私、自らも平安とともにあります。

4257

M: 今、今日、私は平安の鍋をお差し出しいたします。お聞きください。私は人を欺くことはできません。この癒やしの術を、私は喜んで手に入れはいたしませんでした。またそれを盗みもいたしませんでした。私はそれを、みなさま方首長の皆様、高貴なる皆さまに、みなさま方ご自身によって手に入れたのです。7と70。全能の神の御慈悲を私にお開きください。私の兄弟の皆さま、この鍋は、いうなれば敬意を込めたご挨拶の鍋です。サラーム・ワレイクム、ワレイクム・サラーム。 ムリナ再び彼の書き起こし不能な「アラビア語」にスィッチ。しばらく後に、スワヒリ語に戻る。 M: 私の兄弟の皆さま、シャイルーラ116、そこにいらっしゃるジネ・バハリ(jine bahari=海)、そこにいらっしゃるサンゴ礁におわします高きジネ(jine mukuu mukalia mwamba)、そこにいらっしゃるイリム・ドゥニア(ilimu dunia=世界の知識、ムリナによると世界導師 mwalimu duniaに同じ。ilimu=elimu=知識、学4)、そこにいらっしゃる、あなた天空におわしますジャバレ(jabale mukalia anga)、そこにいらっしゃるジネ・シンバ(jine simba[^jine_tsimba]; simba=ライオン)、そこにいらっしゃるメッカのスディアニ導師(malimu sudiani makka)、そこにいらっしゃるペンバ人(mupemba45)、ヴヴのペンバ人(vuvu mupemba, vuvu=不明、おそらく地名)、白亜のペンバ人(chaki mupemba115)、アウトリガー船のペンバ人(ngarawa mupemba)、タコノキ(mikadi117)、そこにいらっしゃる、あなたマノワリ(manowari=戦士, (英語)man of warより)、そこにいらっしゃる、あなた内陸部のジネ(jine wa bara)、7と70。 みなさま方に申し上げます。どうか全能の神の御慈悲によって7と70の扉をお開きください。シャイルラーニ116、そしてご注目ください。ご注目くださいと申し上げることは、人を押し倒すことではございません。 (ムリナの唱えごと終了)

4258 小屋の外に出て、ムリナはメジュマーの右の耳をもって唱えごと

Murina: (例によって書き起こし不能な彼の「アラビア語」で1分ほどの後スワヒリ語で) さて、ご注目ください、高貴なる方々(wangwana)、ご注目ください、高貴なる方々。私はチャキチャキ(chakichaki=ペンバ島の中心地 ChakeChake)の方々、ヴヴの方々、水の畑の方々、血の湖の方々、チョウジノキ(mikarafuu)のところの方々、ミドドーニ(Midodoni=ザンジバル島北部の地名)の方々、砂漠(jangwa)の方々に、ご注目いただきます。私は、すべてのコーランの導師の方々に、ご注目いただきます。私は、スディアニ(sudiani)導師、メッカのスディアニ(sudiani maka)、メッカの巡礼者(zurura maka)、メッカのジャバレ(jabale wa maka)に、ご注目いただきます。私はサンゴ礁におわしますヘビたちの最高位ジャンバ(Jamba mukuu wa majoka mukalia mwamba)に、イリム・ドゥニアに、天空におわします王たる導師に、ご注目いただきます。私は、ジネ・シンバに、ゴジャマ導師(mwalimu gojama)に、スルタン・ムァンガ(sorotani=スルタン、mwanga=妖術使い、or 光)に、ご注目いただきます。 同胞の方々、私の兄弟の皆さま、シャイルラ。今、このシャイルラの後に。今日は木曜日です。昨日来、私は、この今日の木曜日に皆さま方に鍋をお差し出しいたしますと申してまいりました。この鍋を、私はあなたがた私の兄弟の皆さまに、もって参りました。全能の神においてアマニ(amani=平安、ムリナの治療上の名前でもある)を知っていただきたいと。

4259

M: そして今、私は皆さま方にjauo118を差し上げます。jauoには...(「アラビア語」)...兄弟に対する隣人...(「アラビア語」)...主に対する主(rabi kwa rabi)、兄弟の皆さま、皆さま方に対して、シャイルラと、そしてまた、ご注目くださいと、私に言わせてください。ご注目くださいは、人を押し倒すことではございません。...(「アラビア語」)...何を求めて私は皆さま方に、7と70の扉を開いてくださるよう申しているのでしょうか。ラハマーニと全能の神のためなのです。皆さま方が開いてくだされば、さあ、それで皆さまもたくさんの物を手に入れます。...よりも(ここからは「アラビア語」が主になる。ところどころ聞き覚えのある言葉が散らばる)...まさに主(rabi kabisa)...ジャバレ導師....ジネ・ムァンガ(jine mwanga, mwanga=光)...サンゴ礁におわしますジャンバ...シンバ・マジョカ(simba=ライオン majoka=ヘビ(複数形))...隣人と友人と平安(アマニ)。 ジンジャ(Jinja119)、カリマンジャロ110、私はあなたがたにjauoを差し上げますと申し上げます。しかし、皆さま方がここをお発ちになるとき、どうか7と70の扉をお開きください。私は、首長の方々(mashehe)、高貴なる皆さま(masharifu)、モスクの導師の皆さまのために、乞い祈ります。なかにいらっしゃるあなたがた高貴な方々(wangwana)ともども、バラカトゥ((アラビア語)wabarakatuh=(神の)祝福)...... (最後まで「アラビア語」で締める。この間、Mejumaaにバケツの水を何度も浴びせる) Mejumaa: ヒェー、ヒェー、ヒィイ、ヒェー...

4260 (チャリ、内陸系の憑依霊全員に対して、イスラム系の鍋を置くことの許しを乞う)

どうかおだやかに、おだやかに、世界の住人の皆さま、私はお話しいたします。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。私はあなたがた世界の住人の皆さまにお話しいたします。さて、私はお祈り(お願い)いたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu120)の方々、ニェンゼ121の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga122)、子神トロ(mwanatoro123)、子神マユンゲ(mwanamayunge124)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga125)、キンビカヤ(chimbikaya126)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera127)、そして子神サンバラ人(mwana musambala140)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi141)、皆さまにお祈りいたします。 おだやかに、ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura142)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo143)、ムガマーニ(Mugamani144)のサンブル(Samburu、地名145)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima146)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe147)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいなのです。どうかおだやかに。私たちがおだやかにと申し上げることもなかったでしょうに。私たちがおだやかにと申し上げにまいったのは、子供が病気だからなのです。 病気になってというもの、彼女は道を迷い歩き、世界を放浪するもの、この世を彷徨う者。食べることもできず、眠ることもできず、座っていることもできない。彼女は悲しんでいます、このうえもなく。わたしたちはこの病気に驚いております。病気は目を捕らえました。目はまったく、全然見えません。そして頭もです。この頭ときたら。目が見えなくなったと思ったら、頭痛です。

4261 (唱えごと中断。ムリナとの短いやりとり)

Murina: あの乳香のかけら、お前あっちに入れたのかい? Chari: ええ。 M: じゃあ、置いてあった例の香料(の包み)を渡してくれ。開いてみよう。そのなかに乳香がある。 (唱えごと再開) C: さて、私は皆さまにおしずまりくださいと申します、私の兄弟の皆さま。私は皆さまにおしずまりくださいと申しに参りました。私はあなたムルング子神(mwanamulungu)にお話しいたします。ムルング子神よ、そこにいるのは、ペーポー子神(mwana p'ep'o148)、バラワ人(mubarawa153)、サンズア(sanzua154)、バルーチ人(bulushi158)、ムクヮビ人(mukpwaphi159)もごいっしょに。ムクヮビ人、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi84 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma160 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala166)、ダハロ人(mudahalo167)、コロンゴ人(mukorongo168)、コロメア人(mukoromea170)、ドゥングマレ(dungumale23)、ジム(zimu173)、キズカ(chizuka174)、スンドゥジ(sunduzi163)、ドエ人(mudoe164)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao175)。あなた奴隷(mutumwa176)、またの名をンギンドゥ人(mungindo169)。皆さまのあいだには、あなたデナ(dena99)とニャリ(nyari100)、キユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki181)、ムビリキモ(mbilichimo51)、カレ(kare182)とガーシャ(gasha183)、レロニレロ(rero ni rero185)、あなたマンダノ(mandano52)、あなたプンガヘワ(pungahewa186)子神。あなたディゴ人(mudigo)もおられます。あなたディゴ人、またの名をシェラ(129)、そのまたの名をイキリク(132)。私は皆さま方におしずまりくださいと申します。皆さまにおしずまりくださいと申します。私の兄弟の皆さま方。

4262

C: 私は皆さまにおせがみいたします。というのもこの子供(の病気)はずっと前に始まったものなのです。皆さまは彼女を目でお苦しめになりました。人間は、病気になって痛むことはあるでしょう。でも外を自分で見ることができるものではないでしょうか。なのに、病気になって外も見えないなんて、誰にも会いに行けないじゃないですか。こうして私が皆さまに申し上げ、またこのように申し上げに参りました。どうしてでしょう。 あなたディゴゼー(digozee50)と、ごいっしょのムビリキモ(51)がいらっしゃるからです。これからここで鍋が差し出されます。それはイスラム教徒たちの鍋です。どうかいらっしゃって、自分たちは知らなかったぞ、などとおっしゃらないでください。わたしたちは鍋を差し出します。鍋はイスラム教徒たちのための鍋です。そしてこの鍋の湯気が浴びられ、鍋が終了したら、さあ、私たちは別の大きな鍋を置きに参ります。でも今のところは、私たちは皆さまにおしずまりくださいと申し上げます。そしておしずまりくださいに、どうか耳をお傾けください。どうかお聞き届けください、私の兄弟の皆さま。

4263

あれなる鍋の湯気を浴びたら、病気は(水辺の)ナピアグラス(elephant grass109)のごとく、清らかなれ、私の兄弟の皆さま!あれなる鍋の湯気を浴びたら、病気はダルマワシ(pungu)のごとく、飛び去れ!脚は家の支柱(nguzo)のごとく、しっかと立て!腕は握り拳(mikpwaho)のごとく、しかと握れ。頭は木の御椀のごとく、まっすぐ立て。目は(壁の)割れ目(nanda)のごとく、見えよ。 私は皆さまにおしずまりくださいと申し上げます、私の兄弟の皆さま。御主人様、御主人様、私たちはあなたの足下に、身を投げ出しております。私は癒し手ではございません。本物の癒し手はムルング自身です。私のすることは、祝福の手を置いて、小指の爪に戻り、そこに腰をおろして静かにしていることです。 争い合う者は二人。そこに三人目がやってくると、その者は仲裁いたします。今日、私は仲裁者。争いを鎮めます。おだやかに、そしておしずまりください、私の兄弟の皆さま。 (続いてチャリは、憑依霊ドゥルマ人個人に直接話しかける) あなた、ドゥルマ人よ。さて、あなたはめったにお目にかかれない凶兆(chisirani)です。おまけに、あなたはカシディ(女性の憑依霊ドゥルマ人、普通名詞としては「無礼者」「非常識な奴」「故意の悪」などの意をもつ)です。あなたカシディ、そのまたの名をカルメンガラ、そのまたの名をドゥルマ人。あなた、そのまたの名をムガイ(mugayi=困窮者)、そのまたの名をシャカ(shaka=不安、困難)、そのまたの名をニョエ(nyoe=バッタの一種、トウモロコシの中に頭を突っ込んで「身を隠そうとする」)。

4264

C: さて、私はお話しいたします。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。私がお話するとすれば、それはこのメジュマーについてです。子供は病気です。頭痛だけです。今や目も見えなくなりました。皆さま方は彼女の身体を太らせた。今や彼女を見た者なら誰もが、彼女は病気だと言います。あなたがたに同意しない者もいるかもしれませんが。今、このとき、私は彼女に死なれてしまいました。今だって、彼女は私は死にそうだ、死にそうだと言うのです。そしてあなたカシディ、あなたことこうしたカシディ(な振る舞い)の持ち主にほかなりません。 本日、私たちは鍋を差し出します。この鍋はイスラム教徒(の憑依霊)たちの鍋です。この鍋はあなたの鍋ではありません。 この場をお立ち去りください。端のほうに行って立っててください。さあ、羽ばたいて、とっとと居なくなって、端のほうに行って立っていてください。あなたは荒廃地(nyika)の人(mutu wa nyika=田舎者)です。あいつらイスラム教徒のやつらの日が終了するまで、待ってなさい。あいつらの(鍋の)日数はたった7日間です、それだけ。あなた、あなたの日数は12日間ですよ。今は、あいつらが自分たちの物を食べるのを、ほっておいてください。だって、物事はひとつづつひとつづつと言うでしょう?各人には、それぞれ自分の食べ物があるのですよ。ああ、おしずまりください、私の友人よ。

4265

C:この頭、この頭が(憑依霊の干渉から)放置されますように。鍋の湯気を浴びるのに、あなたが彼女の頭を割ろうとするなんて、だめです。まず、私は彼女の目が見えてほしい。私が今度、あなたの鍋と、あなたの香料(mavumba)と、あなたの薬液(vuo)と、あなたの煎じ薬(mihaso ya kujita)を置きに来るときには、彼女が目が見えるようになっていてほしい。そもそも、この鍋の薪を誰に集めてもらおうというのですか?私が鍋を置きに来るときには、彼女が自分で薪を集めに行けるように願います。水汲みにも、自分で行く、そして鍋を自分で煮る。 じゃあ、今日は?彼女は薪を集めに行くこともできない。水場にも行けない。鍋を煮ることすら出来ない。炉石がある場所も見えない。誰がこの子のために鍋を煮てくれるというのでしょう。おしずまりください、御主人様、私の友人よ。私はおしずまりくださいと申します。そしてこのおしずまりください(という言葉)にどうか耳をお傾けください。どうか今日にも(彼女の)頭から手を引いてください。御主人様、私の友よ。

4266 ムリナ氏のスワヒリ語での唱えごとの内容は、イスラム系の憑依霊の名前を列挙する、先の唱えごとと大きく異なっていないため、省略。スワヒリ語の翻訳は、Google翻訳でもなんとかなるかも(ムリナさんは辞書にない単語をけっこう使うが)。

4270

Chari: ええ? Murina: 彼女を支えるのなら、こんな風にもった方がいいよ。大人、っていうか年寄りだから。 C: どうして? M: だって、そんなふうに押さえつけちゃ。 C: 私はね、こんな風にしてね... M: ああ、ああ、じゃあ、そんな風にやりな。 (メジュマーの母に対する唱えごと) C: さて、おだやかに。私はこのような時間にお話するつもりはありませんでした。もしお話するとすれば、難儀のせいでお話しているのです。厄介ごとと難儀です。この者は、鍋を与えられます。あれなる鍋は子どものための鍋です。でも子どもとその母親は切り離せないと言うではないですか。鍋です。この者に鍋を煮てもらいたいのです。鍋は他ならぬ、世界導師(mwalimu dunia)の鍋です。どうか皆さま、やってきてこの者が鍋を煮ているのを見て、この者を組み敷いてしまうようなことはなさらないでください。 まず第一に、私はあなたムルング子神(mwanamulungu)にお願いしようと考えました。あなたこと砦の所有者なのですから。なんと、あなたには客人がおられるかもしれません。でもそれら客人の皆さまは、あなたのお子様です。

4271

C: あなたムルング子神、あなたとご一緒なのは、ペーポー(p'ep'o148)、バラワ人(mubarawa153)、サンズア(sanzua154)、バルーチ人(bulushi158)、ムクヮビ人(mukpwaphi159)もごいっしょに。ムクヮビ人、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi84 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma160 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala166)、ダハロ人(mudahalo167)、コロンゴ人(mukorongo168)、コロメア人(mukoromea170)、ドゥングマレ(dungumale23)、ジム(zimu173)、キズカ(chizuka174)、スンドゥジ(sunduzi163)、ドエ人(mudoe164)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao175)。あなた奴隷(mutumwa176)、またの名をンギンドゥ人(mungindo169)。皆さまのあいだには、あなたデナ(dena99)とニャリ(nyari100)、キユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki181)、ムビリキモ(mbilichimo51)、カレ(kare182)とガーシャ(gasha183)、レロニレロ(rero ni rero185)、マンダノ(mandano52)、あなたプンガヘワ(pungahewa186)子神。 Murina: (メジュマーに)お前はよくなるよ、吾が子よ。お前はよくなるよ。 Mejumaa: はい、お父さん。 C: 私たちはおしずまりくださいと申します。このおしずまりくださいは、つつがなきことを求めるおしずまりくださいです。つつがなきこと。この者に、彼女の娘のために鍋を煮させてください。リヤレ(代金植民地時代の貨幣単位で)なら、これです。彼女に払われます。リヤレといえば4シリングのことです。でもこの子はすでに大きい。ですからリヤレは8シリングです。今、この者には4シリングが支払われます。あとで金持ち(tajiri=Mejumaaの夫)が来たら、この者にはさらに4シリングが支払われ、あわせて8シリングになります。今はとりあえず、私は皆さま方におしずまりくださいと申します。このおしずまりくださいを、どうか皆さま、お聞き届けください。この者が自分の娘のために鍋を煮るのを邪魔しないでください。鍋が尽きる日まで。彼女の娘が健康になりますように。人は、目が見えるように(この世に)置かれているのです。どうして彼女自身が誰かに(鍋を)煮てもらわねばならないのでしょう。目が見えないからです。娘とその母親は切り離せません。今は、さあ、おしずまりください。やって来てこの者にトラブルを与えないでください。おだやかに。 (唱えごと終了)

4272 (別れ際になって、メジュマー突然、頭を金槌で叩かれているように痛いと泣き出す)

Mejumaa: ええ。私は死ぬよ。金槌で叩かれるよ。 Chari: 金槌で叩かれるって? Mej: お母さん、あなた、私死んじゃうう。 C: はいはい、しずまってね、吾が子よ。かわいそうに、かわいそうに。今は行くけど、また来てお前を連れて、ドゥルマ人の鍋をお前に置いてあげるからね。今、このときにお前が死んでしまったら.... Mej: お母さん、ウェェ、お母さん、ウェェ、私はこんな風にされているの、お母さん。 C: こんな風にされているって? さあ、あなた、痛みを引かせてください、痛みを引かせてください。(今や、チャリの話し相手はMejumaaに憑いている憑依霊ドゥルマ人である)もう止めて。さて、第一に、あなたがこんな風になさるのなら、私はもうここには二度と戻って来ますまい。私は、戻ってきて吾が娘を連れて、あなたのために鍋を置きに来たいのです。あなたドゥルマ人の鍋ですよ。あなたのために鍋を置きに来いと、それでいて今、私の娘をあなたは殺そうとなさるなんて。さあ、この頭の痛みを引かせてください、どうか御主人様、御主人様。この場で死などありません。 Murina: いまは、金槌などありません。 C: 子供は、その父と母を見ると、言うことを聞くものです。

4373

M: 今はまず、大人しくしていてください。約束の日にちはすでにお伝えしたとおりです。 C: それが約束の日にちです。 M: あの者たち(イスラム系の憑依霊たち)には手を出さずに、彼らに彼らの7日間の鍋にあたらしてやってください。決して長期間じゃありません。ドゥルマ的には。 C: さて、加えてこの頭も、そこから手をひいてください。 M: そしてその8日目の日に、来てあなたの鍋を差し上げます。あなたの鍋は香料オンリーの鍋ですよ。ドゥルマ風そのもの、素敵な鍋ですよ。 C: お聞きになりましたか? Mej: はーいー。 M: 加えて、私は金槌はいやですよ。絶対。今は、金槌は嫌いです。子供は父親に言われたら、言うことをきくものです。子供は母親に言われたら、言うことをきくものです。 C: この頭に、二度と金槌を打ちつけないでください。 Mej: はーいー。 M: 私たちはまるで気狂い(atu a vitswa)みたいに聞こえるだろうなぁ。さて、7日間は大人しくしていてください。8日目に私たちは来て、あなたのためにあなたの鍋を据えに参りますから。 C: こんな風にしていたら、私たちは(人々の)笑い者だと思わないかい?ほらほら、あの人たちを見てご覧、ってね。 M: われわれ全員、まるで気が狂っているみたい。 C: あんたも笑われるよ。あの娘、自分の父と母がそこにいるのに、泣いているよって。 M: さあ、しずまって、お前。かわいそうに。 C: さてさて、御主人様。...吾が娘よ、さあ家に戻りなさい。 M: くわえて、この頭がおとなしくしているように。 C: もう二度と大騒ぎはごめんだよ。 Mej: はい、はい。

 

注釈

 


1 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師2などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze44を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba45)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)3」とドゥルマ人(muduruma47)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri53)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza54)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
2 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia3)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
3 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師4。内陸bara系5であると同時に海岸pwani系6であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」43)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
4 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia3)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
5 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
6 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume7)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani28)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
7 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola8)もありうる。
8 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini9」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa1011と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume7)、カドゥメ(kadume19)、マウィヤ人(Mawiya20)、ドゥングマレ(dungumale23)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga24)、トゥヌシ(tunusi25)、ツォビャ(tsovya27)、ゴジャマ(gojama22)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu17」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」18)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
9 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola8)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
10 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa11)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola8)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち14)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba6)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu17)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni18)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini9)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
11 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」12など)を行うことなどを意味する。
12 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ13などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
13 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ12」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
14 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo15)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
15 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso16)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine14)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
16 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
17 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ18)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola8)の対象となる。
18 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu17」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
19 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
20 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde21)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama22)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
21 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
22 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola8)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
23 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola8の対象になる)11。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
24 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
25 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine14)の一種という説と、ニューニ(nyuni18)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ26らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola8)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
26 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
27 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ18の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola8)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa11」。see p'ep'o mulume7, kadume19
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
28 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」29による鍋(nyungu38)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe42)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu35)。
29 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術30においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba31)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande32)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu38)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
30 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
31 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
32 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符33。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
33 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata34)、パンデ(pande32)、ピング(pingu35)、ヒリジ(hirizi36)、ヒンジマ(hinzima37)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
34 ンガタ(ngata)。護符33の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
35 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符33の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
36 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima37)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
37 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi36)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
38 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza39、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
39 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya40)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu38)とセットで設置される。
40 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo41)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza39)と呼ばれるが)。
41 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
42 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
43 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia3)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
44 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
45 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba46)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」42、香料31と海岸部の草木29の鍋38。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
46 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
47 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性48)、カシディ(kasidi 女性49)、ディゴゼー(digozee 男性老人50)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
48 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma47)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
49 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma47)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
50 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo51)マンダーノ(mandano52)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
51 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
52 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
53 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza54と呼ばれる手続きもある。
54 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri53)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ34を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
55 ンゴンジーニ(Ngonzini)。地名。私の小屋の近所のキジヤモンゾの街道分岐点から3キロほどの村域。
56 ドゥカ(duka)。「商店」。かつて私の調査小屋から自転車で20分ほどの街道沿いにインド人家族が経営する小さな商店があった。キナンゴまで行くのが面倒なときに、すごく助かった。
57 ニナファ(ninafa)。動詞ク・ファ(ku-fa)の一人称単数現在。ドゥルマ語で「私は死ぬ(死にそうだ)」
58 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma)から派生したマルミ(marumi59)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
59 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri58)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
60 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka61)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
61 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
62 フング(fungu)。施術師に払う料金
63 ジョゴロ(jogolo)。雄鶏
64 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ65)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
65 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
66 ムブルガ(mb>uruga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
67 ク・ジフキザ(ku-dzifukiza)。「煙を自分に浴びせる」鍋(nyungu)から立ち上る湯気を身に浴びる
68 ムヒ・ワ・プワニ(muhi wa pwani, pl. mihi ya pwani)。「海岸部の草木」。イスラム系の霊の施術に必要とされる。「海岸部の草木(mihi ya pwani)」は海岸部へいかないと手に入れられないので、イスラム系の憑依霊を扱う施術師は、つねに若干のストックをもっている。Nyariはイスラム系ではないが、海岸部の草木を必要とする。内陸系の憑依霊のなかでなぜかイスラム系の特徴をもつ(しかし、あくまでも内陸部の霊)霊である。
69 ク・ゴンバ(ku-gomba)。ドゥルマ語では「話す、発話する、発言する」など発話行為全般を意味する動詞。スワヒリ語では同じ言葉が、議論する、談判する、叱るなどの強い意味をもつが、ドゥルマでもそうした用法もある。とりわけprepositional formのku-gombera などの場合。
70 ブバ(buba)。カキリ(kachiri71)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料名は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。
71 カキリ(kachiri)。ルワフ(lwahu)ともいう。ブバ(buba70)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)
72 カフリ(kafuri)、「樟脳」 camphor
73 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
74 クブォンダ(ku-phonda)。動詞。搗き臼で搗く動作
75 ムヒ・ワ・バラ(muhi wa bara, pl. mihi ya bara)。内陸系の憑依霊に用いられる草木。イスラム系ではない憑依霊たちは、ドゥルマで通常見ることができる草木が治療に必要となる。おおむね近所で採取できる。しかし一部の草木は、今日では数が減少し、遠方にまで探しに行かねばならない。
76 ク・ラガ(ku-laga)。「別れを告げる」「(再開など)約束する」、ku-laga ngoma=ンゴマの開催を(霊に対して)約束する。mbaraは開催予定の日時。
77 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)78との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
78 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza39)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる79。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている80。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
79 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供80がある。瓢箪子供の各部の名称については、図82を参照。
80 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供79。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神78がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande32)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料31)、血(ヒマ油81)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
81 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
82 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
83 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi84)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka85) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri53)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi86など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo87,laika mukusi88など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe89, laika ra nyoka89, laika chifofo92など。(4) その他 laika dondo93, laika chiwete94=laika gudu95), laika mbawa96, laika tsulu97, laika makumba98=dena99など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze39)で薬液を浴びる、護符(ngata34)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza54)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
84 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
85 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
86 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni18)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
87 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
88 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
89 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira90)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka91)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
90 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
91 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
92 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
93 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi84)の別名ともいう。
94 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
95 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
96 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
97 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
98 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena99)の別名。
99 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari100)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande32)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
100 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)54」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena99が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee50)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande32には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
101 ムゾンバ(mudzomba, pl. adzomba)。海岸部のイスラム教徒。複数形はadzomba。mwislamu/(pl.)aislamuという言葉もあるが、こちらは宗教的に敬虔なイスラム教徒を指すのに用いられており、それに対してmudzombaは海岸部のスワヒリ人を指すのにも用いられる。内陸部のイスラム改宗者もmudzombaと呼ばれる。キリスト教徒がムジェソmujesoと呼ばれるように。
102 ウバニ(ubani)。乳香
103 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
104 海水(madzi ga baharini)
105 リャレ(ryale)。英国植民地期の貨幣単位リアール。施術師への支払いは今なお当時の貨幣単位で語られることがある。ドゥルマでは1リアールを現在の4シリングまたは8シリングに換算して考えている。
106 クジタ(ku-jita)。「料理する」「煮る」「煎じる」
107 クブェンドゥラ(kuphendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、その患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。ニューニ(nyuni18)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。
108 憑依霊のなかでもとりわけイスラム系の憑依霊は、清潔好きで、妖術(治療)系の黒い薬(mureya, muhaso mwiru)を極度に嫌う。自分の「砦」つまり自分たちがとり憑いている患者の身体に黒い薬が注入されると、自分たちが妖術を掛けられていると誤解して怒り狂い、患者を重い病で苦しめる。したがって、妖術に対する治療に際しては、患者に憑いている憑依霊たちに、そのことを前もって説明し、施術を行う許しを請わなければならない。
109 ナピアグラス。別名 elephant grass(Pennisetum purpureum)。カヤンバの材料になる水辺のガマのような草。
110 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。かつては憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語られていたがのちには憑依霊ドゥルマ人(女性)だとされた。一方使用する草木は、世界導師の草木と同じ。
111 ジネ・バハリ(jine bahari)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。直訳すれば「海のジン」。男性。杖(mukpwaju)を要求。
112 ムァラブ・マンガ(mwarabu manga)。憑依霊アラブ人の一種。「アラビアのアラブ人」Mangaはスワヒリ語でアラビアの意味
113 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
114 ジネ・ムァンバ(jine mwamba)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。ムァンバ(mwamba)はスワヒリ語でサンゴ礁
115 チャキ(chaki)はスワヒリ語では白亜(チョーク)であるが、ペンバ島の中心町Chakichaki(or Chakechake)のことだともとれる。その場合は「チャキチャキ町のペンバ人」ということになる。
116 シャイルーラ(shailula)。スワヒリ語にはないが、ザンジバルにおける憑依霊について書いたLarsenは、憑依霊ruhani(ドゥルマのrohaniに相当するか?)に対する特別の挨拶として、現地の施術師がShaulilaと唱えることを報告している(Larsen 2008:65)。Murina氏は、しばしば唱えごとをShaulilani tena taireniで締めており、Shailulaもこのザンジバルにおけるアラブ系憑依霊に対する挨拶の言葉に類似した(に由来する)と考えてよいかもしれない。伝わった経路は不明だが。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
117 ミカディ(mukadi, pl. mikadi)。「タコノキ」。ムリナの唱えごとでは、おそらく、これにつづく「ペンバ人」が、落ちたもの。別の唱えごと(e.g.[DB4266])ではきちんと「タコノキのペンバ人」と唱えられている。
118 ジャウオ(jauo)。ドゥルマ語でもスワヒリ語でもない。おそらくMurina氏の造語。内容から判断して「薬液」vuoのaugmentative形のつもりではないか。知らんけど。
119 ジンジャ(jinja)。憑依霊ジンジャ(jinja)。ジンジャ導師(mwalimu jinja)。イスラム系か内陸系かあいまい。かつてChariのもつ主要な憑依霊の一つだった。瓢箪子供を世界導師(mwalimu dunia)と共有。使用草木は、ジャバレ導師(mwalimu jabale)、世界導師(mwalimu dunia)、ジンジャ、カリマンジャロ(karimanjaro/kalimanjaro)で同一。他方で、ガンダ人(muganda)の別名ともガンダ人の王だとも言う。上着、横縞の布、羽毛の帽子(chiluu)、右手に毛はたき(mwingo)、左手に瓢箪子供をもった姿で現れる。Chariの占いの担い手。症状: いたるところにヘビが見える、道を歩いていてヘビに出会う、身体じゅうをヘビが這い回る(のを感じる)、意識が変調する(kubadilisha akili)、血を吸われる、死んだり(意識をなくしたり)生き返ったり。治療: 12日間の「鍋」(mudurumaと同じ)。mudurumaと同時に「外に出された」。ただし瓢箪子供はドゥルマ人は自分の瓢箪子供をもち、ジンジャは世界導師の瓢箪子供を共有。歌の中では「私は海岸部(pwani)にもいるし、内陸部(bara)にもいる」とされ、世界導師の属性そのものを示す。
120 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
121 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
122 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
123 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。
124 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。スワヒリ語ではmayungiyungiは睡蓮(ドゥルマ語ではtoro(pl.matoro))なのだが。
125 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)
126 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
127 マレラ(marera)。ムルング子神の別名。「養う者」。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo128)やシェラ(shera129)のグループに入れる者もいる。
128 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
129 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)54、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす130)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku132)、おしゃべり女(chibarabando133)、重荷の女(muchet'u wa mizigo134)、気狂い女(muchet'u wa k'oma135)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma136)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo137、長い髪女(mwadiwa138)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba139)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
130 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo131)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
131 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
132 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera129)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
133 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera129の別名の一つ
134 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ129の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
135 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ129の別名ともいう。
136 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera129)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo128))の別名ともされる。
137 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ129の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo128)の女性であるともいう。
138 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
139 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
140 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
141 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
142 ングラ(ngura)。意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
143 ゾンボ(Dzombo)。地名。モンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。
144 ムガマーニ(Mugamani)。地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cooke2003:393)
145 サンブル(Samburu)。ナイロビとモンバサを結ぶ街道沿いの小さな交易町。モンバサからナイロビに向かい、マリアカーニを過ぎると、次の主要交易町がサンブルである。ドゥルマの中心町キナンゴで分岐する道の一つは、ヴィグルンガーニを経由してサンブルに至るダートロードで、私の最初の調査地、「青い芯のトウモロコシ」村もこのダートロード沿いにあった。この街道のサンブルの手前にムガマーニがある。
146 ンディマ(ndima, ndimwa)。チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
147 ポングェ(Pongbwe)。チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
148 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani149もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞150)という言葉が最も一般的に用いられる。
149 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
150 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o148)、シェターニ(shetani149スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini9)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa10)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola8)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani151)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba6)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara152)」の2つに分ける区別もある。
151 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba6)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
152 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
153 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
154 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga155)
155 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua154)、別名(?)ピーニ(pini156)が必要とする道具の一つ。
156 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua154の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera157)」の技も与えてくれる。
157 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
158 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
159 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
160 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu77)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma161)、ムブァツァ(muphatsa162)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata34)やピング(pingu35)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi163)やムドエ(mudoe164)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。
161 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa162)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
162 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma161としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
163 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
164 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu35)は、ムドエの草木(特にmudzala165)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
165 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma47)、憑依霊ドエ人(mudoe164)の草木。
166 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
167 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
168 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人169の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
169 ムンギンドゥ(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
170 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、ナンディ人171の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
171 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea170、mukavirondo172はいずれもナンディ人の別名であるという。
172 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
173 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
174 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola8)の対象となることもある。
175 ムリマ・ンガオ(murima ngao)。民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
176 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)169の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi177)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
177 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(178)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana179, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
178 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi177)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari1)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)130」とライカ(laika83)およびシェラ(Shera129)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師3を「外に出し」てもらうことになる。
179 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)180」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
180 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
181 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ99、ニャリ100、ムビリキモ51などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika83)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
182 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
183 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena99)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari100)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga184)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。
184 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki181)、キツィンバカジ(chitsimbakazi84)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
185 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera129)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza54)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)130」、「外に出す(ku-lavya konze44)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
186 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。