施術師就任を前にしたTusheのための「招待の鍋」

目次

  1. 概要

    1. 日誌より

    2. 施術師

  2. 招待の鍋設置の流れ: フィールドノートより

    1. 草木

    2. 実施スケジュール

    3. 「鍋」設置の施術

  3. 書き起こしテキストの日本語訳

  4. 注釈

概要

トゥーシェの施術師就任に向けての最後の一歩が、憑依霊全員を彼女を「外に出す」ンゴマに招待するための「鍋」の饗応である。これは「招待の鍋(nyungu ya kurongesha)」と呼ばれ、通常4日間鍋の蒸気を身体に浴びる。

Nov.8, 1991に憑依霊ドゥルマ人の「鍋」を始めたTusheTusheのための憑依霊ドゥルマ人の「鍋」だが、私の個人的予想に反して12日間しっかり湯気浴びが行われた。施術師就任のンゴマ(ngoma ya kulavya nze1)は予定では11月22日の夜に開催されることになっていたので、ドゥルマ人の鍋に12日かけてしまうと、憑依霊全般(世界の住人 arumwengu2)のための4日間の鍋が難しくなるので、ドゥルマ人の鍋は短縮されるだろうと思っていたのだ。そんなに大事だったのか、憑依霊ドゥルマ人対策は。

しかもChari自身のための、シェラ(shera)、憑依霊ディゴ人(mudigo)、ライカ(laika)の3種類の憑依霊の施術師就任のンゴマ--これまでに2回も異なる施術上の父母によって受けていたのだが、手続き上に間違いがあって(チャリ談)うまくいっておらず、これが3度目の挑戦になる--が11月18日の夜から19日の日暮れまで予定されていた。あまりにも過密なスケジュール。11月9日の夜にも徹夜のカヤンバ(Chari自身の「月のカヤンバ」see kinds of kayambaの予定をキャンセルして、Chariの施術上の子供である女性のためのcherekoの瓢箪子供を授けるカヤンバを開いた)を主宰し、11月16日の夜もNgonzini3の施術上の子供のための徹夜のカヤンバ主宰したばかり。

私が憂慮していた通り、Tusheのための「招待の鍋」は11月20日に据えられた。本来は4日間の鍋なのだが、場合によっては2日でいいのだという。朝夕2回kudzifukiza し、キザを浴びる。この日の晩に始めると22日の朝にちょうど4回が終わるから、これでいいのだと言う。いいのか? 憑依霊全般に対して、ンゴマを告知し、鍋に招待して、当日機嫌よく踊ってトラブルを起こさないよう頼むのが目的である。

日誌より

(from diary4) Nov.20, 1991, Wed, kpwisha5 目覚めても疲れが残っていたが6、Murinaたちのことが気になったので、ちょっと様子を見るつもりで訪問。Mwanakombo(昨日来ていて、Bang'a7の帰りにMurinaのところに荷物を届けたときにであっていた)8たちに対するkuphendula9が始まるところだった。それに参加。午後TusheのNyungu ya kurongeshaを据えると言うので、あまり期待していなかったが、一応同行することにする。一発目、学業不振の青年に対するfyulamoyo55のkuphendula9。すっかり慣れたkuphendulaの手順。3時に再訪すると、まだMwanakomboたちに対するugangaの続き。Mwamakomboのmukakazi Chiziに対するt'ego56の治療と、Mwanakombo に対するkutsodza57。Tegoの治療は面白かったのだが(呪文が)、テープレコーダの操作をミスって録音失敗。どうも外部マイクにしてからミスが目立つ。昨日のkayambaでも録音したつもりであった箇所がすっぽり抜け落ちていた。....(中略)... 5時過ぎて、ようやくkurongeshaが始まる。単に普通にnyunguを据えるだけだと思っていたら、Chari, Murina, Tabu, Muchenzala58の4人でTusheを囲んでいきなりkayamba59を打ち始めたのでびっくり。ぼんやりしてたら、お前も入れと言われて打つ。8時過ぎにキジヤモンゾに帰る。TusheはあさってのngomaまでChariの家で過ごす。あさってのNgoma はngoma zenye62だそうだ。

施術師

MurinaとChari夫妻。男性施術師Chaiはンゴマ当日に来訪予定。 患者はTushe(本名Umazi)、Chariの施術上の子供(mwana wa chiganga)63

「世界の住人 arumwengu」の「招待の鍋nyungu ya kurongesha」設置の流れ

(1991年11月20日のフィールドノートより)67

【Umazi(Tushe)のための kumita nyungu ya kurongesha】

草木

mihi ya mulungu69 mulagap'ala(Croton pseudopulchellus; =muyama(?)43 kalagapala, chilagapala)50 chinukamuhondo(Sesbania sesban, Egyptian riverhemp; =mwamusunza mwamutsanza)70 etc.

実施スケジュール

朝夕ku-ohaする72 その後vuoでkoga73 4回、つまり今晩始めると明後日(Nov. 22)の朝に終了

鍋設置の施術

(1)chinukamuhondoを手に持ってnyunguの端に置き makokoteri chinukamuhondoの唱えごと (DB 4065-4066)ドゥルマ語テキスト 次いでTusheがmakokoteri Tusheによる唱えごと (DB 4067-4069)ドゥルマ語テキスト
(2)nyunguの中に集めてきたmihiを次々に円を描くように詰めていく

(3)chivumbani(luvumbani?=Ocimum gratissimum)で作ったmwingo74、およびnzuga75を用意

(4)nyunguとchizaの用意ができると、Tusheを座らせ、mulunguの布76 頭からすっぽりかぶせ、kayambaを打つ(Murina、Chari、私、Chari の2人の娘) カヤンバ開始 (DB 4070)ドゥルマ語テキスト カヤンバ演奏曲 (DB 4071-4076)ドゥルマ語テキスト
(5)Tushe、golomokpwa77する mwingo74とnzuga75を渡して、ngomaを告げる その後Chari, Tusheにkudzifukiza79のやり方教示 Tusheが持ってきたkuni80をくべて kujita nyungu81 憑依状態のトゥシェに唱えごと (DB 4077-4080)ドゥルマ語テキスト

(6)Tusheがnyunguをkufukizaする。kayamba演奏のなかでChariはmakokoteri 鍋の湯気浴び開始 (DB 4080-4082)ドゥルマ語テキスト

今日からTusheはngomaが終了するまで、Chariたちの屋敷で寝泊りし 朝晩 nyunguをkufukizaする。

唱えごとの日本語訳

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4065 (チャリ、キヌカムホンドを持って鍋の縁に手を置き、唱えごと)

Chari: さて、私はお話しします。私がお話しするのはウマジのためです。ウマジはその父と母から、きれいな息をもって生まれました。なのに今、このとき、どうでしょうウマジは。ウマジが発狂したのは昔のことです82。彼女に求められていたもの、それは癒やしの術(uganga)だと言われております。ウマジは長い年月、発狂していました。ついに今や(憑依霊たちと)互いに手を結び合います。そして今や、彼女は癒やしの術を差し出すことを望んでいるのです。 こうして今日、私は鍋を差し出します。この鍋はあなたムルング子神のものです。ムルング子神に続くは憑依霊アラブ人(p'ep'o)83。あなたはバラワ人84、サンズワ85、バルーチ人89、ムクヮビ人90、キツィンバカジ91をおもちです。おだやかに、おだやかに皆さま。私は皆さまに「おだやかに」の言葉を発しに参りました。 私は皆さまにおしずまりくださいと申し上げます。そして「おしずまりください」の言葉に皆さまどうかご傾聴ください、私のキョウダイ92の皆さま。こうして、私はウマジのためにこの鍋をお置きします。この鍋が、癒やしの術をほぐし開いてくれますように。癒やしの術が首尾よく輝きますように。

4066

Chari: もし本当にあなたムルング子神によるものであれば、あなたが自分の瓢箪の子供を欲しておられるのなら、あなたの子供はすでに用意されております。もしあなた世界導師、あなたなら、あなたの子供も用意できています。 でもまずは、彼女にこの上なく良い夢93を与えてください。降りてきて、ウマジとともに薬液(vuo)36の水を浴びてください、あたなムァムニィカ97、またの名をヴンザレレ98、偉大なるヘビよ。あなた、バラ・ナ・プワニ(内陸部と海岸部99)よ。あなたこそ、昔からウマジに癒やしの術を求めている者です。あなたは(ウマジの)夢の中にやってきて、彼女のために護符(pingu)を吐き出してお見せになった。あなた世界導師。そしてあなた世界導師こそ、偉大なるムルングその人ですね、あなた。こうして今日、私たちはウマジに鍋を与えます。(癒やしの)仕事のための鍋だと、お知りおきください。この鍋は癒やしの術(uganga)の鍋で、ンゴマはもう明後日です。月の5日目です。施術師たちよ、ご傾聴ください103 H: ムルングの。 C: さあ、私は鍋を差し込みます。

4067 (チャリはトゥシェ(ウマジ)を呼ぶ。ウマジやってきて、チャリに代わって唱えごとを続ける)

Tushe(Umazi): 私の苦難は昔に始まりました。当時、私には調えてくれる者はおりませんでした。なぜなら、もしお前が子供であれば、お前はお前の配偶者(dzumbero)をお待ちなさいと言われるからです。私は自分の配偶者を待ちましたとも。ついに配偶者を得ましたが、彼はまったく関心をもちませんでした。キリスト教徒だったのです。どうしようもありません。相変わらず苦難つづき、苦難つづき。ああ、私はいったいどうなってしまうのでしょう。私はクェチェ(占いの瓢箪の音)をしに行きました。そして憑依霊のせいだと言われたのです。憑依霊たちが癒やしの術を欲しているというのです。さて、本当にあなたがた私の憑依霊たちのしわざだったのですね。あなたがたは知識をおもちでした。あなたがたは癒やしの術の皆さまでした。私は地面に頭を打ちつけました。そして頭を満たし、ついに今では、癒やしの術に通じております。癒やしの術が輝きますように。輝きますように。癒やしの術とはそれです。この鍋は癒やしの術の鍋です。このキザは癒やしの術のキザです。この癒やしの術が輝きますように。もしあなたがた憑依霊が本当に癒やしの術を望んでおられるのであれば。

4068

Tushe: なぜなら私の困難は昔に始まったもの。本当に昔に、まだ私が小さかった頃に始まったのです。クェチェをしてもらって、憑依霊(p'ep'o)だと言われたのです。 Murina: 鍋はもう煮たのかい? T: いいえ、まだよ。煮ないといけないの?じゃあ、もし私のなかに、どこかちょっとした恨みごと(結び目 kafundo)96があるとしたら、ほどけますように。わたしは自分であれこれ奮闘してまいりました。もしなにか「しこり」があるとしたら、徹底的にそのしこりを取り去ったほうが良いでしょう。そもそも私は今や、どこにも悲しむようなことはありません。私のお母さんをすら売り払うにいたった(これは母の遺産として手に入れたウシを売却したことを差している)私のこの奮闘努力についてすら。私は地下の世界(死後の世界)にいる母をすら売ってしまいました。ですから、私はこの癒やしの術が順調に外にでてくることを望んでいるのです。 (トゥシェは口に含んだ水を自分の胸に吹きかける) T: プーッ、プーッ。これでいいかしら、皆さん。 C: ええ。

4069

Murina: 鍋に熱気あれ。 Tushe: 鍋に熱気あれ。そして夢(k'oma)。私はあらゆる種類の夢を見ます。意味のないバカバカしい夢は嫌いです。もし(憑依霊の)皆さま方、皆さま方が癒やしの術の方々なのでしたら、バカバカしい夢は嫌です。私は言葉と良き段取り(の夢)を望みます。皆さま方が癒やしの方々であり、癒やしの術を望んでおられることの証拠となるような。 C: ンゴマの当日に、草木を示していただけることを。 T: やがてンゴマの当日になれば、どうか皆さま方が癒やしの術を本当に求められていることをお示しください。でも、どこか知らない場所に連れて行かれて、夜が明けたら、頭が気の触れた言葉を喋りだす、そんな夢を見せないでください。まずもって、頭がおとなしくしていますように。癒やしの術とはこういうものだと頭が理解しますように。そしてもしお一人、彼女はどうせうまく行かないよとおっしゃる方がいらっしゃるなら、その方、彼女はうまく行くまいよとおっしゃる方は背中に置き去りにして、皆さま方だけ外に出てらしてください。 これでおしまいでいいですか。それともほかに言うべきことがありますか?

4070

Tushe: じゃあ、あとは煮てもらうだけね。 Chari: いやいや、まだ。黒い布はもってる? T: 布は持ってきました。でも向こうにあります。私が来たときに、受け取って行かれたでしょう。真っ黒な布。 (Tushe 黒い布を頭からすっぽりかぶって鍋の前に座る。) (Chari、長声とともに、キザの薬液をトゥシェの頭に振りかける) C: ヒリリリリリ... T: これが一回目。 C: ヒリリリリリ... T: これで二回目。 (以下、7回目まで繰り返す) C: ヒリリリリリ...

長声

T: これで七回目。 C: さてンズガ(nzuga 三日月型の金属製の鈴)を始めてね。こんな風にチャランチャラン ngbwenje ngbwenje、って。カリンボ、どこに腰掛ける?ランプはないの? Muchenzala(Chari's younger daughter): ランプはあるわ。すぐに持ってくる。

4071

Chari: じゃあ、持ってきて。それと(Tusheに)水の入った割れ鍋(chigae)をもってきてあげて。 (ムルング子神の歌、開始) 降りてこい、おだやかに、ムルング子神 エーエ、降りてこい 昨日、私たちはやって来てとまった。ムクセ(=laika mukusi)子神のおやつ。104 お母さんのところに行きましょう、我が子よ 降りてこい、おだやかに、ムルング子神 エーエ、降りてこい


4072

カンガガの池(カイエンガヤツリ105の生えている池)、お前は不思議。 睡蓮の池には不思議があるよ。 私は眠らない。私は(憑依霊の棲み家の)池を畏れている。そうとも。 睡蓮の池には不思議があるよ。

4073

Chari: カリンボ!なんでずっと黙ってるの。歌いなさいよ。ほらあんたのカヤンバよ。 H: はーい。 (歌) ヴンザレレ(東アフリカグリーンマンバ)、ヴンザレレ まさに偉大なるヘビ 後ろをよく見てごらん そいつはビーズの飾り物を身につけているよ

(Murina、歌が繰り返されているあいだにトゥシェに語りかける)

Murina: さあ、我が友人よ。さあ、我が友人よ。

4074

ヘー、蛇、ヘー、蛇、ヘー、蛇 空(mulunguni)の上の方には蛇がいるってさ 争いごとを壊すもの106 おお、蛇、エエ、蛇、エエ、蛇 争いごとを壊すもの、エエ、蛇

4075

私の子どもたちに会いに行かせて、みなさん ムァチェ(地名、川の名156)に私の子どもたちに会いに行かせて ムァチェに、私の子どもたちに会いに行かせて お母さんのところに 私の子どもたちに会いに行かせて

(歌の演奏中、Chariはトゥシェに繰り返し呼びかける)

Chari: 降りなさい、降りなさい。

4076

おぉ 私の蝿追いハタキ お母さん、私の蝿追いハタキ 私はひどい扱いを受けているわ、おぉ、私の蝿追いハタキ 私に蝿追いハタキをちょうだい、施術師の方々 おぉ、私に蝿追いハタキをちょうだい、施術師の方々 私に探索させて(nivoyere)88

(トゥシェ、憑依状態に)

4077

Chari: 皆さん歌いなさいよ。 Tabu(Chari's elder daughter): お父さんにも歌ってもらいましょうよ。(歌い続ける) Murina: ああ、私には歌えないよ、お母さん。 (Chariは彼女に憑いていると思われる霊ムルング子神に語りかける) あなた、あなたに小さな鍋を置いて差し上げましたよ。この小さな鍋は、喜びの鍋ですよ、あなた。癒やしの術(を外にだすため)の鍋ですよ。癒やしの術のための鍋が必要とされていると言われているのです。私たちが言われたことには、その癒やしの術はあなたムルング子神の癒やしの術なのです。わたしたちはあなたがたにあなたがたの鍋を差し上げます、あなた。わたしたちは、仕事が必要とされていると言われております、あなた。だからお互いに理解し合いましょう。私はあなたに小さな鍋を差し上げましょう。私はあなたこそが、あなた、仕事を欲しがっていると言われております。バラ・ナ・プワニ99もいらっしゃいます。でもあなた、それはあなたでもあるのでしょう?あなたじゃないのですか? (中断) Chari: ちょっとそのランプをちょうだい。 (唱えごと再開) Chari: わたしは仕事が外に出てくるよう望んでいます、あなた。ほら蝿追いハタキ(mwingo)ですよ。これは何かを探索する(見出す)ための蝿追いハタキです、この蝿追いハタキは。降りてきてください。 (歌はキツィンバカジの歌に変わる)

4078

キツィンバカジ ムルング子神 ムルング あなたには不思議がある、あなた ああ、池 わたしンダワは苦しめられている ウェー わたしはわたしのムルングに祈ります ムルング あなたには不思議がある、あなた わたしは池に わたしンダワは苦しめられている ウェー わたしはムルングに祈ります 雨が打ちつけてきたら何を背負えばいいの?

4079

Chari: ムルングはまさしくキツィンバカジ。降りてきてください。降りてきてください。さあ、わたしの友よ。わたしの友よ、あなたに小さな鍋を差し上げます、あなた。仕事の鍋です。さあ、今、鍋をお受け取りくださることを願います。これが招待の鍋です、これが、あなた。さらに後ほど、あなた自身のキティティ(chititi 占いに使用する小さい瓢箪のマラカス)も差し上げます。鍋、こちらがムァキヴチェ(mwachivuche 施術用語で「蒸気」、ここでは鍋nyunguを指す)ですよ、あなた。そしてこちらがムブソ(バチャバチャ mubuso、ku-but'a 池や川などの水場で水をバチャバチャさせて遊ぶ、より、ここではキザchiza34を指す)ですよ、ムブソ。それは仕事のためのもの。さあ、わたしの友よ。ムァキヴチェご覧になりましたか。ご覧になって、首尾よくお受け取りいただけましたか? Tushe:(憑依状態で)えぇぇぇぇ! C: 仕事についても、のちに私たちはしっかり見ることになるでしょうね、わたしの友よ。ムルングとその仕事について祈りましょうね、あなた。あなた、バラ・ナ・プワニの仕事も、そして憑依霊ドゥルマ人の仕事も。わたしの友よ、仕事こそ私たちが望んでいるもの。私たちは(さまざまな病気の原因に)仕事があるとだけ言われています。私たちには、その仕事の問題がいつ始まったのかは、わかりません。仕事があるとだけ言われています。私たちはそれについて知りません。

4080

Chari: でも今や、私たちはムァキヴチェを差し出しました。仕事のムァキヴチェです。ンゴマもすでに明後日ですよ、わたしの友よ。 (唱えごと中断、ChariはTusheに普通の口調で鍋の蒸気を浴びる際の注意を与える) C: この鍋は、ここに置いておきます。そしてンズガ(nzuga)はここに。蒸気を浴び終わったらチャラン、チャラン、チャラン、チャラン。 Murina: さて、鍋を火にかけようかね。 C: (Tusheに)さあ、あそこにある薪を焚べて。(Hに)彼女自身に薪を持ってこさせて、来て焚べさせ、すぐに湯気を浴びさせる。そうしないと効果がないのよ。 M: (Hに)彼女が湯気を浴びるとき、このンズガは腕につけておくのさ。 C: そして彼女のキヴンバニ(を束ねて作った蝿追いハタキ)。そしてカヤンバもここに。 (Tushe戻って鍋を火にかけ、kudzifukizaの準備を調える。) (カヤンバが演奏されムルング子神の歌が歌われる中、チャリが唱えごと) C: さてあなたムルング子神。わたしたちは鍋を差し出しています。この鍋は、そう仕事の鍋なのです。

4081

Chari: 別の鍋については、すでに差し上げています。憑依霊ドゥルマ人たちでしたら、すでに仕事について告げるための彼らの鍋を与えています。今、今日はこの鍋です。鍋よ、熱気あれ。それも、癒やしの術と癒やしの術の夢158にふさわしい熱気を。さらにンゴマの当日には、どうか皆さま、彼女に草木をお示しください。彼女が自分でブッシュに入り、自分で草木を折り採って来て、私たちに彼女は本当に求められているのだと知らしめてください。 でも私たちは、彼女がたしかに仕事を求められているのだということを、確信してはいます。というのも(彼女の病気は)子供のときに始まっていたからです。いまこそ、皆さま方、仕事に降りてきてください。あなたムルング子神、どうか降りてきてください。北の皆さま(a kpwa vuri)も、南(a kpwa mwaka)の皆さまも、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまも、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまも、ブグブグ(bugubugu159)の方々も、ニェンゼ160の小池の方々も、皆さま降りてきてください。降りてきてください、ミドゥングニ(lemon scented knobwood,高木)の方々、おだやかに。降りてきてください、キンガンギーニ(Ching'ang'ini 池の名前)の方々、おだやかに。降りてきてください、キンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の方々、降りてきてください、マレレ(Marere 淵の名前)の方々。皆さまそろって降りてきてください、キグルフュラ(Chigulu fyula 池の名前)の方々、ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の、キリマンジャロの高い木々の方々。

4082

Chari: 皆さまそろって、世界導師(mwalimu dunia)99の仲間の方々。あなた世界導師、またの名をカリマンジャロ(kalimanjaro)161。あなたバラ・ナ・プワニ、あなたジャバレ導師(mwalimu jabale)162。わたしはおしずまりくださいと申します。この仕事、この鍋は仕事の鍋です。ここにおわしますあなたムルング、そこはあなたバラ・ナ・プワニのおわすところ。これなる鍋、この鍋、どうか二本の腕でお受け取りください。憑依霊ペンバ人の皆さまのおられるところ、皆さま、わたしの兄弟の皆さまも。どうか皆さま力を合わせて、この人間の者であるこの者に仕事をお与えください。どうして彼女は苦しんでいるのでしょう。おだやかに。どうかムツァンゾーニ(mutsanzoni 「外に出す」施術師就任のンゴマの際に草木が示される場所を指示する施術師用語)に、わたしは皆さまを心から招待したいのです。皆さま方に招待の鍋を差し上げるのです。この鍋の湯気を浴び、外に出て草木を折り採ってきますように。彼女が眠れば、皆さま彼女に草木を見せてあげてください。この鍋は招待の鍋です。 Murina: そしてわたしはテキパキした163癒やしの術を望みます。 C: それこそフピ(Fupi164)さんのところであった話よ。彼女は鞭打たれたのよ。ンズガを手に取ったらもう、追い立てられて。行って草木を折り取ってこいって。無理やりね。 M: 噛みタバコ、食べさせてよ。

注釈


1 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
2 アルムェング(arumwengu, sing. murumwengu)。スワヒリ語では人間、とりわけ世俗的な人のことをmlimwengu(pl. walimwengu)と呼ぶ。ulimwengu は「環境、世界、宇宙」を意味する。ドゥルマの施術師たちは、憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ。ドゥルマ語ではなぜかスワヒリ語のこの言葉に対応する言葉を、人ではなく憑依霊を指すのに用いているのである。
3 ンゴンジーニ(Ngonzini)。地名。私の小屋の近所の「ジャコウネコの池」の街道分岐点から3キロほどの村域。
4 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
5 クィシャ(kpwisha)。ドゥルマの4日で一周する週の第三日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは、各自、自分のもつ畑(koho)で耕すことができた。その産物は市の立つ日に売って、自分の自由になるお金となった。またかつてはこの日の夕方から地域の若者男女はダンス場(chiphalo)に集まって、踊りを楽しんだ。詳しくはドゥルマの月日の数え方
6 準備も含めると11月18日の午前中からはじまったチャリの3憑依霊シェラ、ムディゴ、ライカについての施術師就任のンゴマは、その日の夜からの徹夜の歌と踊り、次の日の早朝の「嗅ぎ出しkuzuza」と「重荷下ろしkuphula mizigo」の連続で、ほとんど仮眠もとらないまま夕方まで続いた。
7 地名。11月18日から11月19日のチャリの「重荷下ろし」を含む施術師就任のカヤンバはBang'aの施術師夫妻Mwainzi&Anzaziの屋敷で行われた。
8 Murinaの分類上の姉妹(FBD)。その夫は9月30日にキナンゴ病院で死亡。夫を殺した妖術使いが、残された二人の妻(Mwanakomboと僚妻)に攻撃を向けたとの占いの結果を受けて、Murinaに治療(kuphendula)を求めに来ていた。
9 ク・ブェンドゥラ(ku-phendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。基本的には、妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてやる、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、その患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。他にも、さまざまなやり方が、妖術の異なる種類に応じて、存在する。ニューニ(nyuni10)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。
10 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu11」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
11 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ10)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola12)の対象となる。
12 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini13」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa1415と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume22)、カドゥメ(kadume38)、マウィヤ人(Mawiya39)、ドゥングマレ(dungumale42)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga51)、トゥヌシ(tunusi52)、ツォビャ(tsovya54)、ゴジャマ(gojama41)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu11」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」10)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
13 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola12)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
14 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa15)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola12)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち18)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba21)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu11)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni10)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini13)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
15 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」16など)を行うことなどを意味する。
16 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ17などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
17 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ16」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
18 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo19)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
19 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso20)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine18)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
20 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
21 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume22)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani23)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
22 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola12)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
23 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」24による鍋(nyungu33)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe37)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu30)。
24 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術25においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba26)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande27)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu33)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
25 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
26 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
27 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符28。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
28 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata29)、パンデ(pande27)、ピング(pingu30)、ヒリジ(hirizi31)、ヒンジマ(hinzima32)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
29 ンガタ(ngata)。護符28の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
30 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符28の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
31 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima32)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
32 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi31)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
33 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza34、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
34 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya35)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu33)とセットで設置される。
35 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo36)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza34)と呼ばれるが)。
36 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
37 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
38 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
39 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde40)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama41)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
40 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
41 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola12)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
42 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola12の対象になる)15。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama43
43 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu44)の草木、ドゥングマレ(dungumale42)、ニューニ(nyuni10)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala50)に同じとも。
44 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)45との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
45 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza34)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる46。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている47。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
46 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供47がある。瓢箪子供の各部の名称については、図49を参照。
47 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供46。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神45がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande27)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料26)、血(ヒマ油48)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
48 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
49 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
50 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama43とも呼ばれる。ムルング4445、ドゥングマレ(dungumale42)、ニューニ(nyuni10)の草木。
51 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
52 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine18)の一種という説と、ニューニ(nyuni10)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ53らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola12)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
53 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
54 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ10の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola12)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa15」。see p'ep'o mulume22, kadume38
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
55 フュラモヨ(fyulamoyo, pl.mafyulamoyo)。妖術の一種。ザイコ(zaiko)と呼ばれる薬によって掛けられる妖術。さまざまな症状を示す。特徴的な身体症状の一つが全身が痒くなって掻きむしること。しかし深刻なのはさまざまな「心理的」症状。動詞ク・フュラ(kufyula)は、「曲げる、(無理やり)向きを変えさせる」を意味し、モヨ(moyo)は「心、心臓」を意味する名詞。字義通り、人の心を変な方向に曲げてしまう妖術である。これにかかると、自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がする、自己嫌悪、他人と一緒にいられない、などの異常な心的状態を呈する。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo renye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye( mbayumbayu, mbonbg'e) etc.〔浜本, 2014:61-66を参照のこと〕
56 テゴ(t'ego)。男性性器からの膿と痛みを伴う症状。妖術 utsai あるいは呪詛 chirapho によって引き起こされる。ku-hega t'ego 姦通の防止に夫が妻の性器に仕掛けた呪詛 chirapho、もし他人がこの女性と寝ると t'ego になる。t'ego にはさまざまな種類がある。例えば t'ego ya diya 「犬のテゴ」妻の不義を防ぐため部屋の入口にしかけ、もし誰かが妻と性交すると、彼の性器はワギナに挟まれて抜けなくなる、など。
57 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
58 TabuはChariの長女、MuchenzalaはChariの次女。この年には両者とも未婚
59 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti60)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira61)」と呼ばれることもある。
60 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。別名 mutsongo。
61 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ59の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(62)、カヤンバ(59)と同じ意味で用いられる。
62 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu,mbumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri60)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira61)」と呼ばれることもある。
63 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba64)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)65や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)66ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
64 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
65 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」63を参照されたい。
66 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」63を参照されたい。
67 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である68。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。
68 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には下記の文献を参照した。1990年代以降のこれら一連の民族植物学研究には感謝しかない。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能だった訳ではないが。
Johnson, F., ed. 1971(originally 1939), Standard Swahili English Dictionary, London: Oxford University Press. (参照時にはSSEと略する)
Karisa, J.F., et.al. 2011, Mboga za Watu wa Pwani, Kilifi Utamaduni Conservation Group, Bioversity International
Kokwaro,J.O.,1993,Medicinal Plants of East Africa(Second ed.),Nairobi:Kenya Literature Bureau;
Maundu,P.,& B.Tengnasu eds.,2005,Useful trees and shrubs for Kenya,World Agroforestry Center;
Pakia,M. & J.A.Cooke,2003a, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 1. General perspective and non-medicinal plant uses" South African Journal of Botany 69(3):370-381;
Pakia, M. & JA Cooke, 2003b, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses", South African Journal of Botany 69(3): 382–395;
Pakia, M., 2005, African Traditional Plant Knowledge Today: An ethnobotanical study of the Digo at the Kenya Coast, A dissertation submitted in fulfillment of the Requirements for the degree of a Doctor of Natural Science, at The Faculty of Biology, Chemistry and Geoscience, The University of Bayreuth, Germany; 2. Medicinal plant uses",South African Journal of Botany 2003, 69(3): 382–395;
69 mihi=草木(muhiの複数形)、mihi ya mulungu=ムルングの草木、つまり憑依霊ムルング(ムルング子神)の治療に使われる草木群のこと
70 キヌカムホンド(chinukamuhondo)。ムルング(mulungu)の草木。ムルングの鍋のメインになる草木。別名 mwamusunza, mwamusunzwa, mwamutsanza71 とも。学名Sesbania sesban(Egyptian riverhemp)(Maungu&Tegnas2005:388)。chinukamuhondoドゥルマ語で文字通りには「明後日も匂う」あるいは「明後日の香り」の意。
71 ムヮムスンザ(mwamusunza, pl.myamusunza)。mwamutsunza, mwamutsunza, mwamusunzwaなどの変異形あり。動物としては水中で吸血する「蛭」。植物としてはムルングの草木であるchinukamuhondo70の別名。
72 (火や日光に)あたる、(火に)かける。「鍋」の文脈では kudzifukiza に同じ。
73 コガ (ku-oga(koga))。「浴びる」を意味する動詞。
74 ムィンゴ(mwingo)。施術師が「嗅ぎ出し」ku-zuzaなどで使用する短い柄の蝿追いハタキ(fly-whisk)。

「嗅ぎ出し」で右手に蝿追いハタキをもって水の中を進む施術師
75 ンズガ(nzuga)。三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
76 ムルングの布=黒い(実際には紺色の)布
77 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka78)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
78 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
79 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nguvu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
80 クニ(kuni)。「薪」
81 ク・ジタ(ku-jita)。「料理する」「煮る」「煎じる」
82 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」。ク・アユサ(kpwayusa, ku-ayusa)はそのcausative formだが、憑依霊のせいで振る舞いが異常になる場合には、その受動形をもちいて、wayuswa ni nyama(憑依霊によって狂わされた)などといった言い方が用いられる。憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは呼ばない。しかし施術師は自分のkpwayuka経験について語るときに、「もうvitswaそのものだったよ」などと言ったりする。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
83 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
84 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
85 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga86)
86 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua85)、別名(?)ピーニ(pini87)が必要とする道具の一つ。
87 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua85の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera88)」の技も与えてくれる。
88 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
89 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
90 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
91 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
92 ンドゥグ(ndugu, pl.ndugu)。「キョウダイ」ドゥルマ語のンドゥグ(スワヒリ語も同じ)は、それだけでは性別を区別できないので、兄弟、姉妹といった訳語を当てられない場合がある。その場合、カタカナで「キョウダイ」と訳することにした(途中からそう決めたのですべてのファイルで一貫しているわけではない。ドゥルマ語では一人称のキョウダイ(「私のキョウダイ」)を言い表す特別な名詞がある。呼びかけにも用いる。ムェネーフ(mwenehu)がそれである。男女の区別を明示する場合は ndugu wa chilume(兄または弟) mwenehu wa chilume(私の兄または弟)、ndugu wa chiche(姉または妹) mwenehu wa chiche(私の姉または妹)、長幼を明示する場合は muvyere(年長のキョウダイ)、muvaha(年少のキョウダイ)などとなる。
93 コマ(k'oma)。「祖霊」。祖霊は夢に現れてさまざまなメッセージを子孫に伝える。祖霊は子孫に対して様々な要求を課し、それを夢にあらわれて伝える。無視していると災いを送ってくる。憑依の文脈では、祖先に強力な施術師がいた場合、その持ち霊を子孫が継承し、施術師になる場合が多い。祖霊自身がそれを要求しているのだとされる場合もある。祖霊の要求をすぐに叶えることができない場合は、夢を見た者は、明け方、あるいは夕刻に小屋の戸口(あるいは死者の墓で)クハツァ(kuhatsa94)という行為をおこなう。水で溶いたトウモロコシ粉を巻きながら、今は余裕がないので待ってほしいと祖霊に許しを乞うのである。子供を残した者のみが死後、祖霊になる。子供を残さずに死んだものは、埋葬の際に火がついている木の枝(直前に水に入れて火を消される)を、その背中側に置かれ、「お前は子供を残さずに死んだ。これがお前の子供だ。やって来て人に夢を見せるな」と唱えられる。k'omaという言葉はドゥルマ語では「夢」ndoso の同義語でもある(ディゴ語では「夢」の意味では用いられないようだが、ドゥルマ語にはない「狂気」という意味もある)。コマの観念についての概略は浜本, 1992,「ドゥルマにおけるコマの観念」『九州人類学会報』Vol.20:30-51参照。ちょっと古いけど。
94 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊に語りかける」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze1)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele95)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo96))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
95 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)63であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
96 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをクハツァ(kuhatsa94)と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
97 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ98。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
98 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。
99 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia100)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
100 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師99。内陸bara系101であると同時に海岸pwani系21であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」102)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
101 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
102 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia100)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
103 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
104 歌の翻訳はいつも難しい。多くのドゥルマの人々も歌の意味については詳しく解説できない。mukuseは laika mukusiのことだという人もいるが、mukuse の歌はムルング子神で歌われる歌なので、ムルング子神の別名だという人もいる。dunda についてもちょっと厄介。動詞の ku-dunda は鳥が「降り立つ」以外に「動悸がする」「繰り返し打つ」などの意味があり、hwakudza dunda までなら「私たちは降り立った」で、その前の部分の「降りてこい」と呼応している。しかしその後に続く ra は、英語のofにあたる所有関係を示す言葉で、dunda は名詞(単数形 dunda, 複数形 madunda)で、dunda ra mwana mukuse でムクセ子神の嗜好品(dundaは名詞ではタバコや酒のような滋養にならない non-essential luxury foodの意味になる)となる。和歌などでいうところの掛詞になっているのかもしれない。という具合で、歌の歌詞の翻訳は、私のようなドゥルマ語の素人には歯が立たない。というわけで、日本語訳は参考程度にしておいていただきたい。
105 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza34)、池(ziya35)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu45)の別名の一つである。
106 muvunzakondo107はムクロジ属の木の名。憑依霊ムルング子神の草木の一つ。ここではその名が由来する ku-vunza kondo「争いごとを破壊する=終わらせる」の意を表に出している。
107 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius(Pakia&Cooke2003b:393)、ムルングの草木。ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。別名ムスカウォンゴ(musuka wongo108)。テゴ(t'ego56)のような妖術の治療での煎じ薬の成分にもなる。
108 ムスカ・ウォンゴ(musuka wongo)。ニャリ(nyari109)、デナ(dena131)の草木。ku-suka「揺らす」wongo「脳」。Allophylus rubifolius, Allophylus pervillei(Pakia&Cooke2003:393)。ムヴンザ・コンド(muvunzakondo[^mvunzakondo])の別名。
109 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)110」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena131が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee151)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande27には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
110 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri111)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika113)やシェラ(shera132)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri111)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza57)を施され、ンガタ29を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
111 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術112)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza110と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
112 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ111は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine18)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
113 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi91)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka114) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri111)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi118など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo119,laika mukusi120など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe121, laika ra nyoka121, laika chifofo124など。(4) その他 laika dondo125, laika chiwete126=laika gudu127), laika mbawa128, laika tsulu129, laika makumba130=dena131など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze34)で薬液を浴びる、護符(ngata29)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza110)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
114 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi115)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
115 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao116))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka114)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
116 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi115)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine117)に数えられることも。
117 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ18もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
118 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni10)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
119 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
120 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
121 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira122)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka123)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
122 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
123 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
124 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
125 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi91)の別名ともいう。
126 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
127 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
128 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
129 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
130 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena131)の別名。
131 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ113と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari109)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande27)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
132 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)110、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす133)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku135)、おしゃべり女(chibarabando136)、重荷の女(muchet'u wa mizigo137)、気狂い女(muchet'u wa k'oma138)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma139)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo149、長い髪女(mwadiwa150)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba64)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
133 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo134)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
134 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
135 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera132)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
136 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera132の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
137 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ132の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
138 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ132の別名ともいう。
139 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera132)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo140))の別名ともされる。
140 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo141, mupweke142, mutundukula143, mupera(mpera144), manga145, mbibo(mubibo146), mukanju(mkanju147)
141 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
142 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
143 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
144 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
145 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
146 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)147、muk'orosho(mkorosho)148。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
147 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo146を見よ。
148 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo146を見よ。
149 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ132の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo140)の女性であるともいう。
150 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
151 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo152)マンダーノ(mandano153)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
152 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
153 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ154とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ132の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
154 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera132)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza110)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)133」、「外に出す(ku-lavya konze1)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki155
155 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero154)の草木。
156 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni157と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
157 ヴョーニ(vyoni, pl.mavyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。dzi-maクラスの名詞だが、mu-aクラスの名詞、muvyoni(pl.avyoni)は、上記の意味でも用いられるが、より軽い意味で、「ちょっと変な子」といったニュアンスでも普通に用いられる。
158 k'oma が癒やしの術(uganga)が継承されてきた祖霊(k'oma)を差しているのか、癒やしの術にふさわしい夢(k'oma)を差しているのか、この文脈からだけでは不明。
159 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
160 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
161 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。ムリナとチャリの夫婦は、かつて憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語っていた。ジンジャ導師は世界導師の別名とされる。しかし後には憑依霊ドゥルマ人(女性)だとしていた。こういうことが生じるのは、霊は最初に夢に登場して名乗るが、その正体自体は長く不明なままなので、施術師は憑依霊の要求や、教えてくれた歌などから、あれこれと類推するしかないのである。使用する草木は、世界導師の草木と同じ。歌の中でも「自分は内陸部(bara)にもいる。海岸部(pwani)にもいる」と歌われる。
162 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia100)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
163 テキパキした仕事ぶり、スピード感のある動作を現すスワヒリ語の副詞的表現。ku-chapa「鞭打つ」より。それが続いてのChariの発言に引き継がれている。
164 フピ・ワ・ンゴメ(Fupi wa Ngome)。Chariの二人目の施術上の母。彼女のもとでChariは世界導師、憑依霊ドゥルマ人その他の霊について「外に出した」。Chariは彼女の影響を大きく受けている。後に不和になり決裂。