Mwasamaniの屋敷でのmulunguの「鍋」とchiza cha photsi(地面のキザ)

(Sept. 23, 1992のMwasamaniの屋敷でのmupembaの「鍋」に続く)

概要

(from diary) Sept. 6(Sun), 1992, kurimaphiri

朝7時、チャリの家へ向かう。キラボ1のあるマサマニ2のところでuganga3。朝早く行けばキラボが見られるという言葉を信じて早起きしたのに、...(中略)。しかしその間に、nzongo4対策やらを見ることができた。新生児に対する。こうしたちょこちょことした施術は偶然現場に出くわさないとわからないものだ。11:30やっとマサマニのところへ。ただのnyungu5とchiza6を据えるだけのugangaかと思ったら、カヤンバまで動員するけっこう派手なugangaだった。チャリが今年から始めた新機軸chiza cha photsiが中心。これがすむと今度はMenandaのところでShera9のnyunguを据える。こちらは若干手抜き。マサマニのところではさすがに80シルものfungu100をもらう。対照的にMenandaの方は、金が出せず、jamvi101がfunguがわり。しかしMenandaは顔は不細工だが気持ちのいいおばさん。サツマイモをお土産にもらう。

1992年、調査地についた私を待っていたのはムリナとチャリの夫婦が、新しい土地に転居したという知らせだった。昨年の近隣との妖術を巡るトラブルは、夫婦が土地を追い出されるという残念な形で終止符をうったらしい。もう一つのお知らせは、チャリが新しい治療法を夢で手に入れたという話。地面のキザ(chiza cha photsi)といって、搗き臼やアルミの容器を「池ziya」に見立ててそこに薬液を入れるかわりに、実際に地面に穴を掘り、その周りに葦などを差して、リアルな池にするという趣向。実際にやってみるとバケツで水をいれてもすぐ地面に吸い込まれてしまうので、あ、これはダメかもと思ったが、案の定、数年後には姿を消してしまった。 この日の施術は、この「地面のキザ」とムルングの鍋の設置。施術の背景については、フィールドノートより転記。

(from fieldnote Sep. 06,1992)

【Mwasamaniの屋敷でのnyungu & chiza cha photsi】 patient: Mejumaa(mukaza Maguta) 今日はmwanamulungu49のnyungu, laika16とmwamunyika102 (=mwanamulungu)のchiza6を据える

chamuno104 身体各部の不調: 頭痛、chizungu105、耳鳴り、動悸、胸が締め付けられる、peho106 食欲不振、腹痛、足腰の痛み

顕著な問題としては、患者の見る夢 男と寝る夢、ヤギと寝る夢 ウシに追いかけられる 家の屋根に上る 象に追いかけられて木の上に上る madzini107に行く

患者の悩み 夜夢の中に男がやってきて彼女と寝る まる一ヶ月見なかったが、また見るようになった

夢にやって来る男はChariによると、p'ep'o mulume32=Sudiani(male)33 ngata38(25シリング)が必要

なお、この日のムルングの鍋がおわったら、後日イスラム系の憑依霊の鍋と大皿を差し出すことになっていた。 Sept. 23, 1992のMwasamaniの屋敷でのmupembaの「鍋」

施術の流れ

(Sept. 06, 1992のフィールドノートより転記) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングは転記の際に付与。フィールドノートの記述内容に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

  1. 途中で採集したmihi(Shera専用は除く108) murindaziya(Sesbania bispinosa)109 mukangaga(Cyperus exaltatus)110 chilongozi(pistia stratiotes, water lettuce)111 mukunguma115 musindaalume[^musinda alume]...bok'oのためのmuhiだが、mulunguのnyunguにも使用

  1. nyungu と chiza cha nyumbani を用意116

  1. chiza cha photsiの準備  これを夢でチャリに教えたのは mwamunyika102(mulungu wa pindiだという)  地面に直径40センチくらいの穴を掘って、水を入れる(すぐに吸い込まれてしまう)  穴の周りにmikangagaを5箇所差し、chilongozi111を3箇所に差す  muwele117はvuri121の方向を向いて座る(mukongo alole ko endako nyama)

  2. ngata38 ya laikaの準備 chilongoziの根とmavumba ga shera123(madukani & matoro)  各mwana wa ndonga124 の中身少しずつ

  1. mulunguのnyunguとchiza cha nyumbaniの提示 小屋の中に患者を座らせる

    (DB 5089-5105)ドゥルマ語テキスト

開始のことば ドゥルマ語テキスト カヤンバ開始 mulungu (DB 5090) ドゥルマ語テキスト mulungu no response

続いて muduruma muduruma no response (DB 5091) ドゥルマ語テキスト 中断

再度 mulungu mwana wa ndongaの口を患者の耳etcに当て、吹き込む mulungu 再開(vunzarere103から) (DB 5094) ドゥルマ語テキスト 来ない、来ないと皆がぶつぶつ文句を言っていると、muwele突然golomokpwa125 泣きながら歌いだす チャリ、カヤンバを打たせながら語りかけるが患者は応答しない チャリ、そのままマココテリ127に移る (DB 5098) ドゥルマ語テキスト

世界の住人全体に対する マココテリ。最後のところでは、チャリ患者と握手を繰り返す (DB 5101) ドゥルマ語テキスト

最後に mwarabu (DB 5104) ドゥルマ語テキスト

なぜMwarabu?=mulunguとmwarabuはmutu na nduguye131だから ムリナ,ubani132を燃やしながら、例の変体アラビア語で語りかける 患者反応なし matso mafu genye133 と言い捨てる(ムリナ)

以上で屋内のkayamba終了

  1. 「地面のキザ」を差し出す

戸外のchiza cha photsi134 vuriに向かって患者を座らせ、chizaの薬液をnjerejere135を上げつつ患者の頭に 注ぎ、makokoteri127 (DB 5106) ドゥルマ語テキスト

chari地面に寝転びchizaの水を飲む 再度makokoteri (DB 5107-5109) ドゥルマ語テキスト

その後chizaの水で患者の頭を洗う 次いでlaikaのngataを患者の左腕に巻いてやる

テキストの日本語訳

各パラグラフ冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語テキストに飛びます。ブラウザの戻るで戻って下さい。

5089 (小屋の中で鍋をkayambaの演奏とともに憑依霊に示す) (憑依霊たちをkayambaに招待する唱えごと)

Chari(C): (途中から録音)...私は人(憑依霊)がやって来て、お話ししに来ていただきたい。私は、ところで、子神ムルングをお呼びします。私は子神ムルングの鍋を差し出したいのです。 Murina(Mu):(Maguta氏にカヤンバ(楽器)の件で) もし(これらが)あなたのカヤンバ楽器じゃないのなら、彼(演奏者・歌い手)がそれを思い出して、自分の楽器(複数)を本人が取って来たんですよ。 C: そしてこうして彼を招待しているのですから、ムルング子神に来ていただきたいのです。病気という争いがあります。私たちは誰が苦しみを引き起こしているのか知りません。どんな過ちがあったのか、私たちは知りません。私たちは、人が苦しみ、もはや健康な身体を持っていないということはわかっています。こうして今日、私たちは争いの主が現れて、来て話してくれることを望んでいます。 (唱えごと終了) W1: (施術に関係ない内輪の会話) C: カヤンバ(楽器)はどこにあるの? Maguta(Ma): ほら、ここに。 C: 打ち板がついてないじゃない。 Ma: 私によこしな。その小壺のところに。 W1: そこに捨てたの? C: (天井裏に積んであるカヤンバを指して)ああ、あの上に。あれから一つ取り出したら、あの上から。 W1: (私に向かって)あなた座らないの? Ma: すわって、あちらに、あちらに。

5090 (カヤンバ開始)

Chari: (甲高い嬌声とともにキザの液を患者の頭に注ぐ) ヒリリリリ、ヒリリリリ、...ヒリリリリ(計7回)。これでよかったけ? W1: 施術師さん、どっか行っちゃってたの?(チャリが回数を数え忘れたのをからかっている136) C: 施術師は(昼食で出された)いんげん豆のスープで酔っ払ったのよ。 W1: (キナンゴの町の)古着市のことでも考えてたんでしょ? C: さあ、さあ、若者たち。彼ら何を売ってるの? Mu: また、古着だろ。古着商売もちょっとした仕事。 C: 仕事は歌ですよ、我が子たち。 (ムルング子神の歌、開始) (独唱) ムルング子神、 ウェー ハイ ウェー ほら、池に 私は怖いよ ウェー ほら なんと ムルング 池に ムルングがやってくる (合唱) 上記の歌詞を繰り返す

5091 (憑依霊ドゥルマ人の曲を数曲演奏した後に)

Murina: (スワヒリ語で)ドゥルマ人、あなたがたはどこにいなくなったのでしょう? Woman2(W2): (同じく少し文法的におかしいスワヒリ語で)ドゥルマはドゥルマ去った。ドゥルマ、ディゴ行った。ディゴ行った、ドゥルマ。 Mu: (ブロークン・スワヒリ語で)いいえ。ドゥルマ、ここいる。 C: あら、これは誰かのコップ(空き缶の)。

(Chari、瓢箪子供の栓を抜いて、患者の女性の耳、目、鼻と吹きかけていく。患者とくに反応なくじっとしている。この作業の間も、女性たちこの状況を冗談めかして話している)

W2: え、あなた彼女には憑依霊ドゥルマ人がいる、おとなしくなさいって言わなかったっけ。 W1: なんと、(女性の憑依霊ドゥルマ人カシディじゃなくて)ザーニ(zani137)なんだ。お前さん。 W2: 今さっきここで踊ったじゃない、ドゥルマ人が? C: 本人、もういなくなったのかな、それともまだここにいて待ってる... W2: ああ、いなくなったよ。 Woman3(W3): ああ、それどころか近くじゃないよ。 W2: コーラン学校(madarasa)へ行っちゃたとか。 W1: あいつら煙を噴き出してる(忙しくせわしない様子)。鍋があるのに、学校(madarasa)にいかなくっちゃ、みたいな。 W3: さて、何をお祈りしようというのやら。 W1: ドゥルマ人はまずやって来て鍋を与えられ、それからモスク(musikitini)へでも行けばいい。 W4: 締めくくりの曲がまずかったんじゃない? W2: 学校(chuwo)に行きな、学校に行きな。

5092

Man2: (半開きに開いている入口を指して)その扉、どうなってるんだ。 W1: サイディだよ、そこにいるのは。お前、ムァナミシ行きなさい、さあ。 C: (患者について)もしかして、彼女の実家の方に施術上の母(ameye wa chiganga)がいます? W2: 私も知りませんよ。 C: 誰にカヤンバを扇いでもらった(主宰してもらった)の138 W1: ねえ、ムラム145のアリーさんの人たちに扇いでもらったんじゃなかったけ? C: 女性の施術師は呼んでもらわなかったの。アリーだけだったの? W1: 薬液(vuo)を好むのは女性じゃない?男たちはとっととカヤンバを打たせろって。 5092-l10 C: 要するに、カヤンバは開かれたけど、施術師はいなかったてことね。 W1: そう、ただ打ってもらっただけね。 C: ちゃんとした施術師はいないと。 W1: そう。いないわ。 C: もし彼女に治療上の母がいるのなら、そんなふうにやったら、うまくいかない。そいつ(憑依霊)のことを知らない人に歌ってもらう、これもうまくいかない。 W1: そもそも、(霊が)やってきて、もし喋ったとしても、いったい私は誰に呼ばれたんだって言うだろうね。 C: で(霊が言うには)、私はお前のことを知らないぞって。 W1: そうそう。 C: こんなことしたら、結局その人(憑依霊)は無駄にそれをされた(呼び出された)ってことよ。 W1: そうね。

5093

Chari: 私までびっくりしたわ。すっかり。 Murina: うむ。たしかにびっくりだね。 W2: どういう意味? Mu: 彼女がこれまで見たことがなかったことってこと。 W2: あなたの仲間たちが治ったのだから、あなたは驚かないでよ。 Mu: その人たちは、その彼らを治すもの(癒しの術)で、いわば無理やり治されている。 C: あのね、彼はそれ(自分の癒しの術)が癒やすと知っている。でもそのことがムルングを縛りつけてしまうの。 W1: そんな。あなたは彼女を妊娠させた。そこからどこへ行くの? Mu: 瓢箪子供のこと?そうじゃないよ。 W1: (戸口にいる子供に)お父さんのところにいたいの?外へお行き。 Mu: 名前はムルングだけど、そのムルングはまだほどけていない。卵のまま。 C: そこでムルングを縛り付けたその人は... W4: あなたはその人にまだ会ったことがない? C: いいえ、会ったわ。でも問題はムルング本人よ。 Mu:それを必死に引っぱっても、きりがないんだよ。 W1: ムルングが?

この一連の会話は理解しがたい要素を含んでいるので、少し解説したい。最後にムリナ氏がした発言「それを必死に引っぱっても、きりがないんだよ」は、ムルングはヘビだという知識に基づいたちょっとしたジョーク。巨大なヘビなので引っ張り出そうとしても、あまりに長くてきりがないくらいだ、と。憑依霊と施術師が、密接な関係にならないと治療が難しいことを述べている。下手な施術師(あるいはその心得すらない者に呼び出された憑依霊は、ちゃんとした施術師が後で対応しようとしても、なかなか交渉ができなくなる。今チャリたちが直面している問題はそれである。それでもチャリはムルングとじっくり腰を据えて交渉しようとする。

5094 (チャリ、ムルングの歌を再び自ら歌い出す。ゆっくりの「呼び出し ku-suka」の歌。カヤンバそれに続く)

(独唱) ヴンザレレ(vunzarere103) ヴンザレレ そいつは 大きなヘビ 背後をよくご覧なさい ムゼレ(mudzele146) (合唱) ヴンザレレ ヴンザレレ そいつは 大きなヘビ 背後をよくご覧なさい ムゼレ

(患者、いきなり憑依状態に)

P: あああ エヘイェ ウェー ヘー ヘー ヘー

(ムルングの別の歌に変更)

(合唱) わたし見られているわ、お仲間さん 池にムルングがやって来た ホォウェー

Chari: まだ彼女は見てなかった。

5095 (ムリナ歌に参入)

(ムリナ独唱) ムルング子神 ほら ウェー なんと池に ムルング子神 私はムルングを畏れるわ ハイ ウェー 池に ムルングがやって来た

(患者自身も歌い始める)

(患者の独唱) ムルング子神 ほら ウェー ヘー 池には ムルングがいる ムルング子神 あんた 母さん あんた 池に ムルングがやって来た

Mu: あんた、ムルングあんた、もし私がお前の居場所を知っていたら、お前を切り刻んでやったのに。

(歌続く。患者は独唱パートを歌う。そして泣き出す)

Chari: しずまって、しずまって、しずまって、我が子よ。しずまって、我が子よ、しずまって。私たちはあなたをお呼びしています。私たちは知りたいのです。人の子が苦しんでおり、私たちは何がこの子を苦しめているのかわかりません。わたしたちはそれを知りたくてあなたをお呼びしているのです。

5096 (患者、なおも歌い続ける)

(患者の独唱) ムルング子神 ああそうなの ええ、お母さんの池 ムルング子神 ええ お母さん、池に問題がやって来た(現在完了形)

(合唱は普通の歌詞を繰り返す(略)) (患者の独唱)

ムルング子神 ああそうなの 私は眠らない ムルング子神 ムルング子神 お母さん、あなた 池に問題がやって来た(過去形)

(チャリ、歌唱に加わる。独唱パートを歌う)

私は驚いた だって あんた だって 池に 私は ああそうなの ムルングを畏れるの 池に問題がやって来た(現在完了形) (合唱) さて、ムルング子神 ウェー だって 池に ムルングがいる 私は畏れる あなたがたのお仲間 池に問題がやって来た(現在完了形)

(以上ゆっくりの「呼び出し ku-suka」の歌) W2: 降りてこい、降りてこい、降りてこい

5097 (歌は速いリズムの「落とす ku-bita」に切り替わる)

(Woman1による独唱) 私は喋らない ムルング子神 お母さん 狂気(あるいは夢)を煮る人 あなたは言われる 解(ほど)いてくださいと ウェー なぜなら、あなたは問われた あなたが解かれますようにと (合唱) 口喧嘩147 ムルング子神 お母さん 封じた方は こう言われる 解きなさいと ウェー

(チャリ、舌足らずの砕けた調子のドゥルマ語で患者に語りかける)

C: 私は田舎者なのよ、あんた。私に言ってちょうだい。私はあんたの友達だけど、あんたは私のことを嫌ってるね、友よ。私はあんたに、とっても美味しい美味しい良いものを持ってきたのよ。 W2: あなた、おしゃべりなさりたくないのね。そいつは喋らないよ。 W1: まあやって来たんだから、それ(鍋)は見えているよね。 Murina: (文の途中からスワヒリ語に)そいつはそこにいるよ。ムルングは自分からやって来た。 W1: 呼ばれたからでしょ。 Mu: いいや。いつの話だよ? C: 最初に始めた歌でしょ。 Mu: (まだスワヒリ語で)その時にはムルングはまだだった。その端っこ148があっただけ。

5098

C: (患者=ムルングに向かってドゥルマ語で)まあ、なんと、まだ故郷の池にいらっしゃったのですか。そこを早くお発ちになって、早くも上ってこられたわけですね。で、今やって来たと。 Mu: 話ししたくないんだよ。 C: 話したくない。 W2: きっと子供たちの食事を作ってたんでしょうよ。蓋をして、だって... C: (患者=ムルングに向かってドゥルマ語で)さてさて、私のお友だち。だってムルング本人は本当は完全にとことんドゥルマ人ですから。ムルングはドゥルマ人です。私はあの鍋とキザを持ってまいりました。それとムァムニィカMwamunyikaの地面のキザそのものです。私は言われているのですが、本当でしょうか。子供を苦しめているのは、あなたなのだと、あなた。私はこの問題をかかえて、ここに参りました。ねえ、私たちは病気を目にしています。私の友よ。とっても重い病気そのものです、あなた。そしてこの病気はこう言われているのです。本当でしょうか。あなたが、あなたこそが、争いの主なのだと、あなた。あなたが騙され続けてきた(約束を破られ続けてきた)というのか、私は知りません。いったい何が理由なのか、私は知りません、あなた。私は何も知りません、私の友よ。もしあなたが騙され続けてきたとしたら、あなたを騙してきたのは私ではありません。今日、私はあなたに差し出しに参りました。私は一昨日来、お約束いたしてきました、あなた。そして今、今日、私はあなたに持って参ったのです。あなたのための、あれなるvibuto(バチャバチャ水をはねるもの=キザのこと)、そしてあなたのためのmwachivuche(少しの湯気をたてる子供=鍋のこと)です。さらにあれなる大いなる地面のキザ(chiza cha photsi)、ムァムニィカのキザです。ムァムニィカ、他ならぬあなたヴンザレレ、あなた大いなる蛇のことです。あなたこそがこの人間の身体を苦しめている、苦しめている者にほかならないと言われております。そして砦はあなたのもの、あなた。それをあなたは壊しに壊していらっしゃる。

5099

W2: こっちを持って。 W3: 彼女疲れてるんだよ、身体の持ち主の方。 W2: 薬液(小屋の中のキザの)を浴びせられた。 Murina: ほら、彼女(ムルング)池に去っていくよ。 W2: そらそら、彼女山を上っていくよ。 Man2: 自分の棲み家に帰っていくんだよ。 Chari:(唱えごとが続く)くわえて、立ち去りあれなる鍋をご覧になるなら、あれなる鍋が病気を治しますように。(その病気について)もう再び耳にしたくはございません。あれなる鍋が病気を治し、病みたる筋肉を一筋一筋辿りますよう。鍋が病気を癒やしますよう。腹が痛むことも、また腹がトゲに刺されることもなし。腎臓が噛み潰されることもなく、頭が痛むことも、悪寒もなし。私たちは人の身体が失われていくのを見、この者を食らっているのが何であるのかもわかりません。今日は、私はいったい誰なのか、あるいはなんの過ちが犯されたのか、それを知りたかったのです。あなたが騙されているのならそう教えて下さい。今日は、それなる鍋、これなる薬液と、本物の大いなる地面のキザです。あなたムァムニィカのキザです。あなたは地面で水浴びするのが習性ですよね。そして問題を話していただければ、それはしかるべく対処され、たしかに調えられます。なぜなら、あなたムルングは、あなた、まったくまったくドゥルマ人だからです。そしてあなたこそが完全なる人、砦の主にほかなりません。今、砦は壊され、身体は失われています。私たちは、何に間違いがあったのかわからないのです。

5100 (チャリの唱えごとは続く)

C: 立ち去ること、鍋を見ること。鍋は熱気を出し、別の鍋(別の憑依霊に対する)が話題に上るまでに、この者が水場にも行き、野草摘みにも行き、薪とりにも行き、トウモロコシを臼で搗くこともこなす、そんな風であってほしいものです。そもそもこの鍋ですが、彼女に薪を持ってきてくれる人は、いったい誰だというのでしょう。彼女に水を持ってきてくれる人は、誰でしょう。だって、人が鍋の湯気に当たるというとき、その人自身が薪を集めに行き、来て彼女の鍋を煮る、その人自身が水場に行き、来て彼女の鍋を煮るものなのです。そして(トウモロコシを)臼で搗いて、石臼で挽く。湯気に当たるのが終わったら、トウモロコシの練り粥が欲しいものです。 今、今日、私は鍋を置きに参りました。そしてそれなる鍋が、病気を癒すようにと願います。もしかしたらあのドゥルマ人たちが来て、その鍋を置きに来ることになるとしても、そのときには、この病人が外に出られるようになっておりますように。外にでて、それも申し分なく、人間らしい健全な身体をもって。 W2: あんた、もしムルングが遠いところ、ムァマンディ(地名)あたりにいるんだとしたら、ここに来る途中で、疲れてしまうことでしょうね。 C: 人間とはこの世に腰を落ち着ける者、食事をすれば、食べ物は心臓に調和する。なのになぜあなたがたはこの者から食べることを奪うのですか。彼女はそもそも食べない。(トウモロコシの練り粥の)一握りすら、腹の中にとどまらない。腹が痛み続けるだけ。ああ、御主人様、もしそれが皆さまのせいならば。 (チャリ、世界の住人全体への唱えごとに移行)

5101

Chari: 穏やかに、皆さま全員に、私はお願いいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu149)の方々に、ニェンゼ150の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga151)、子神トロ(mwanatoro112)、子神マユンゲ(mwanamayunge152)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga110)、キンビカヤ(chimbikaya153)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera154)、そして子神サンバラ人(mwana musambala155)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi156)、皆さまにお祈りいたします。 私は皆さまにお祈り申します。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura157)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo158)、ムガマーニ(Mugamani159)のサンブル(Samburu、地名160)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima161)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe162)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 おだやかに、あなたムルング子神。ペーポー子神(mwana p'ep'o163)、バラワ人(mubarawa168)、サンズア(sanzua169)、ムクヮビ人(mukpwaphi173)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi17 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma174 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)の皆さまとごいっしょに。あなたガラ人(mugala185)、ボニ人(muboni186)、ダハロ人(mudahalo187)、コロンゴ人(mukorongo188)、あなたコロメア人(mukoromea190)、ドゥングマレ(dungumale47)、ジム(zimu193)、キズカ(chizuka194)、スンドゥジ(sunduzi177)、ドエ人(mudoe178)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao195)。あなた奴隷(mutumwa196)、またの名をンギンドゥ人(mungindo189)。このなかには、あなたデナ(dena72)とニャリ(nyari73)、キユガアガンガ(chiyugaaganga209)、ルキ(luki210)、ムビリキモ(mbilichimo75)、カレ(kare211)とガーシャ(gasha212)、レロニレロ(rero ni rero77)、あなたプンガヘワ(pungahewa213)子神。

5102

Chari: イキリク(83)とともにディゴ人(mudigo88)もいます。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai214)もいます。あなたゴロゴシ(215)、またの名をンガイ(ngai216)もいます。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba217)、カヴィロンド人(mukavirondo192)、マウィヤ人(mawiya44)、ナンディ人(munandi191)、ムマニェマ人(mumanyema218)。私は皆さま方におだやかにと申します。私は皆さま方におだやかにと申します。あなたムビリキモもいます。ムビリキモ、いつもディゴゼーとつるんでいるのは、あなたムビリキモ。私はあなたがたにおしずまりくださいと申します。私はおしずまりくださいと申します。あなたライカ(laika16)、ライカ・ムェンド(laika mwendo60)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo219)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga110)。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi19)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao20)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka18)。ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka64)、ライカ・マフィラ(laika mwafira63)、ライカ・ズズ(laika zuzu220)、ライカ・ドンド(laika dondo66)。ライカ・トブェ(laika tophe62)もいます。あなたライカ・トブェ、またの名をライカ・キフォフォ(laika chifofo65)。私は皆さまにおだやかにともうします。ライカ・マジャロ(laika majaro221)もいます。 ご主人の皆様どうか、私たちは皆さまの足元に身を投げ出しています。私は癒し手(muganga)ではございません。癒し手はムルングです。私がすることといえば、乞い願い、祝福の手を置いて、小指の爪をとり、そこに行って腰を下ろしじっとしているだけです。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、争いを鎮めます。今日、私は仲裁者。争いをしずめます。 私が、治療するとすれば、なぜするのでしょう。私はムルングに祈っているのです。(患者の)一族の祖霊と、私たちの祖霊がともに力を合わせ、ムルングもまたこの者が治るように、受け止めてくださる。この世にいる人間で、つねに寝台にいるような者はいません。

5103

Chari: 私は穏やかに、さらにおしずまりくださいと申します。もう、頭(が痛むこと)はありません。目眩もありません。背中(が重苦しいこと)も、悪寒もありません。肋骨が押しつぶされることも、腎臓が噛み潰されることも、下腹部が重苦しいことも、心臓が破裂することも、心臓が速く打つことも、腰が折れることも、脚が折られることもありません。もし物が全然握れないとしたら、いったい何事でしょう。耳鳴り、食欲が奪われること。私は皆さま方に、おしずまりくださいと申します。そして「おしずまりください」の言葉には耳を傾けるものです。皆さま、どうか砦をほどいてください、そしてそれを健全にしてください、私のキョウダイ222の皆さま。 人間とは歩くように生まれてきています。ずっと寝台に寝ているようには生まれついていません。もし、なんとあなたがたが扇がれる(カヤンバ儀礼を開いてもらう)ことをお望みだというのなら、キョウダイよ、私はあれなる鍋を差し出させていただきました。鍋が病人を癒やしますように。そしてかりにさらに別の鍋も来て置かれることになろうとも、これらの鍋は、私たちは喜びを手に入れられるようにと望んで置きに参るのです。病人が自分で外に出て、薪を集め、水を汲み、トウモロコシを搗いて、挽く。(そうなれば)ンゴマすら、私たちは開催することになるでしょう。でも、今は、いま私たちが扇いだところで、それにどんな美味しさ(喜び)があるというのですか。皆さま方、穏やかに。どうか御主人様方、私たちは皆さまの足元に身を投げ出しています。今はもう争いはございません。穏やかに。今は、この者をどうかお構いにならないでください。この者にちゃんと食欲と、ちゃんとした便通をお与えください。腹が唸り音、あるいはいかなる徴も出さぬよう、皆さま。腹が燃えることもない、腹が刺されるように痛むこともない、腹が膨満することもない、腰が折れることもない、脚が燃えることもない、脚が折れ潰れることもない。どうか皆さま、私たちは皆さまの足元に身を投げ出しております。穏やかに、穏やかに、世界の住人の皆さま。胸が燃えることもない、どうか皆さま。背中の真ん中に石を置かれる(かのように重苦しく感じる)こともない。どうかおしずまりください。私たちはこのように哀願いたしております。目が暗闇に閉ざされることもない。どうか皆さま!!

5104

W3:(泣いている赤ん坊について)ちょっと、この子を連れてってよ。連れてってしまってよ。この子は厄介なのよ。クワレ(地名)に着くまで私は眠れないわ。 W2: 誰? W1: もう最後よ。だって、ここではそいつ(患者に憑いている憑依霊)と面識のない人に扇がれているんだから。 Chari: おまけに、そいつも私のことを全然知らないんだものね。 W1: これからお互いに知り合うんじゃないの。あなたは言わば、あなたのムワレ(muwale=共同耕作でその人に割り当てられた耕作地)に、最初のあなたの一鍬を入れたところ。これからお互いに知り合いになるのよ。 W2: 痩せた女性が見えるだけよ。 W1: ちがうよ。そいつの方でもあなたを知るようになるのよ。 W4: 古着市からやって来たって知るだけ。 W2: そいつはあなたが古着市からやって来たのを知る。 Murina: やってきたのは、なんとアラブ人かも。 W1: お互いに知り合うだろうよ。さあさあ、仕事してくださいな。

(憑依霊アラブ人の歌を数曲続けざまに演奏)

Mu: C: そして、踊っている。 W2: そうね、踊っている。 W4: 私は、それが誰だかわからないわ。みなさん。 C: 私は速いカヤンバ(演奏)は無理だわ。「混ぜ合わせる(kumutsanganya)223」んだったらね。でも、ああ!まるで機関車そのものみたいに、ヴァガ、ヴァガ、ヴァガ。 W2: (浜本に)ねえ、カリンボ。あの人(患者)のこと、いっしょに治療なさいな。 H: うう。無理です。

5105

Murina: (スワヒリ語で)ねえ、乳香をここに置いてよ。もし(憑依霊の)アラブ人なら、私は、アラブ人がいるのがすぐにわかる。もしいるんなら、私が彼を一発でかき立ててやろう(nitachafua=make dirty, disturbed224)。ここに乳香を置いてよ。 W2: 彼をつかむだろう。 Mu: 私は彼のことがとっても気に入っているんだ。もしアラブ人がいれば、私にはわかるだろう。もし別の人(憑依霊)がいるとしても、同じように対面するだけのこと。ここでは私は畏れられている。 W2: ここでは畏れられている。 Mu: 私はここでは敬意を持たれている。もし本当にアラブ人がいるとしたら、私には彼が見える。 C: この布ときたら、この。彼女は座ることもできないわ。 Mu: 私は、本物のアラビア語そのものを話そう。

(ムリナは「アラビア語」で唱えごとを始める。しかし患者は憑依する気配を見せない。ムリナは「完全に素面だmatso mafu genye」と言い捨て、唱えごとを止める。)

5106 (戸外の「地面のキザ」で患者の頭に薬液をかけつつ唱えごと)

Chari: ヒリリリ、ヒリリリ..... ビスミラーイ ラフマーニ ラヒーム アウドゥビラーヒ ミナシェトワーニ ワヤカナブドゥ.... うう。さて穏やかに、おだやかに、世界の住人の皆さま。世界の住人の皆さま、私はお話しいたします。こんな時間にお話しするつもりではありませんでした。私がお話しするとすれば、私は...

(周りの人々に)

C: この女性の名前は?メジュマー? さて私はこんな時間にお話しするつもりではありませんでした。私がお話するとすれば、メジュマーのためです。メジュマーは父と母のあいだに産まれた人です。ですが、苦しんでいます。彼女の苦しみは、いったい何でしょうか。病気の苦しみです。人が苦痛を感じるのは普通のことです。でも人間は、今日熱を出したとしても、明日、あるいは明後日には外に出てきます。どうしてこの者は、(小屋の中に)こんな風にずっといつづけようとしているのでしょうか。

5107

Chari: さて、おだやかに。私は癒し手ではございません。癒し手はムルングです。私はムルングに祈ります。私は皆さまにお祈り申し上げます。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu149)の方々に、ニェンゼ150の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga)、子神トロ(mwanatoro)、子神マユンゲ(mwanamayunge)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga)、キンビカヤ(chimbikaya)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera)、そして子神サンバラ人(mwana musambala)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi)、皆さまにお祈りいたします。あなたヴンザレレ、大いなる蛇。私は皆さまにお祈り申します。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo)、ムガマーニ(Mugamani)のサンブル(Samburu、地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。どうかおだやかに。 おだやかに。キンガンギーニ(Ching'ang'ini 池の名前)の方々、キグルフュラ(Chigulu fyula 池の名前)の、キンベーブォ(Chimbepho 池の名前)の、マレレ(Marere 淵の名前)の、ゾンボ山(Chirima cha dzombo)の、高い木々の、皆さますべて、皆さま方におしずまりくださいと申します。おだやかに、皆さまに穏やかにともうします、あなたムルング子神、ペーポー子神(mwana p'ep'o)、バラワ人(mubarawa)、サンズア(sanzua)、ブルシ人(bulushi バルーチ人)、ムクヮビ人(mukpwaphi)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala)、ボニ人(muboni)、ダハロ人(mudahalo)、コロンゴ人(mukorongo)、あなたコロメア人(mukoromea)、ドゥングマレ(dungumale)、ジム(zimu)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)、ドエ人(mudoe)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao)。あなた奴隷(mutumwa)、またの名をンギンドゥ人(mungindo)。このなかには、あなたデナ(dena)とニャリ(nyari)、キユガアガンガ(chiyugaaganga)、ルキ(luki)、ムビリキモ(mbilichimo)、カレ(kare)とガーシャ(gasha)、レロニレロ(rero ni rero)、あなたプンガヘワ(pungahewa)子神。

5108

Chari: イキリク(ichiliku)とともにディゴ人(mudigo)もいます。私はあなたがたにおしずまりくださいと申します。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)もいます。あなたゴロゴシ(gologoshi)、またの名をンガイ(ngai)もいます。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba)、カヴィロンド人(mukavirondo)、マウィヤ人(mawiya)、ナンディ人(munandi)、ムマニェマ人(mumanyema)。私は皆さま方におだやかにと申します。あなたディゴゼー(digozee)、ムビリキモ(mbilichimo)ともども。おだやかに、私のキョウダイたち。 私は癒し手ではありません。私は祖霊とムルングに祈ります。この身体ある私本人の望みは、私が病人のために祖霊にこのようにお祈りすることが、ちょうど、かつて同じように病に苦しんだ私自身が、私の治療上の母フピ・ンゴメ(Fupi wa Ngome)とマシュディ・マンガーレ(Mashudi wa Mangale)に、そしてバンジュ・ムレマ(Banju wa Murema)とメズマ(Mezuma)によって、私のために祈ってもらえたのと同じ(ように患者を癒すこと)であることです。この私は、もし私が私の草木の束(vanda)をこの者に試みれば、この者が治り、治って仕事ができるようになることです。私は皆さまに穏やかにと申し上げます。 おだやかに、あなたライカ(laika)、ライカ・ムェンド(laika mwendo)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)、ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga)。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)もいます。あなたヌフシ、またの名をパガオ(pagao)、そのまたの名はあなたムズカ(muzuka)。ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira)、ライカ・ズズ(laika zuzu)、ライカ・ドンド(laika dondo)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。あなたライカ・キフォフォ、またの名をライカ・トブェ(laika tophe)。 私はあなたに、おだやかにと申します。あなたムァムニィカ(mwamunyika102)。ムァムニィカはあなたヴンザレレ103、大いなる蛇、あなたこそ地面のキザの主です。さて、多くの人が無くなって年月が経ちました。(こんにちの)人々はキザといえば、シェラどものキザしか知りません。ミルング(milungu225)のキザの存在は、すっかり忘れ去られてしまいました。私は祖父の癒やしの術を与えられましたが、その祖父は今の人ではなく、大昔の人間です。私はそれ(その祖父の癒やしの術)を手に握りました。というのもその祖父の施術師の袋(ムコバmukoba99)を与えられたからです。祖父のムコバをあたえられたとすれば、私が自ら発狂したからです。私は薬を人に教えられたりしませんでした。発狂したことで、ムコバを与えられたのです。ですが、その発狂は、私自身でしたことでした。

5109

Chari: 私は人から癒やしの術を授けられたのではありません。こうして今、私はムルングの鍋とムルングのキザ、そして地面のキザを設置しました。地面のキザ、それはあなたムァムニィカ、あなた大いなる蛇、あなたヴンザレレです。私はつつがなきことを欲します。つつがなきこと。頭(が痛むこと)もない。くらくらすることもない。背中や肺が重苦しいこともない。腰が断たれることもない。脚が折れ潰れることもない。心臓が速く打つこともない、食欲がなくなることもない。どうか御主人様。腹が唸ることもない、腹が突き刺されることもない、腎臓が噛み潰されることもない。下腹部が重苦しいこともない。この者には全身、良いところがありません。私は断言します。こうした問題は、水辺のナピアグラス226のごとく、清らかなれ、どうか御主人様。

(チャリは地面のキザの水を患者の頭に繰り返し掛ける)

C: ヒリリリリ(甲高い嬌声)、ヒリリリリ、ヒリリリリ.さあ、降りてきてください、あなた大いなる蛇、あなたヴンザレレ。ヒリリリリ、あなた大いなるムルング、ヒリリリリ。 穏やかに、私のキョウダイたち。あなたがたが振るった鞭を、彼女は身にしみています。私はお話ししますので、どうか皆さまお聞き届けください。私は癒し手ではありません。私はムルングによって力を与えられているだけです。お話しなら、私はお話しします。でもムルングがそれをお望みになる限りのことです。ムルングがお望みになるなら、皆さま、私にターバンを身に着けさせてください227。私の一族の祖霊たちと、この患者の一族の祖霊たち、一ところで静かに眠れ。どうか御主人様方。穏やかに、私のキョウダイたちよ。この者は人間、ムルングの被造物(chumbe cha mulungu)、ムルングの奴隷(muja)、皆さま方の人間なのです。穏やかに!

注釈


1 キラボ(chirapho)。薬(muhaso)を使役する者が、命令によって薬にターゲットを攻撃させるという点で、キラボ(chirapho)も妖術(utsai)と同じ理屈に従うが、妖術の場合とは異なり、chiraphoにおいてはその命令は条件節を伴う構文をとる。妖術が単純に薬に「誰それを云々の仕方で殺せ」といった命令を出すのに対し、キラボでは例えば、もし「私のウシが勝手にいなくなったのではなく、誰かがそれを盗んでいったのだとすれば、キラボよその者とその一族を捕らえよ」といった形で命令する。その主たる用法は、作物などの盗難除け、何者かによってなされた損害を当人とその一族に賠償させることを目的とした使用、そして妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める「試罪法」での使用である。私の調査地の近所には最後のタイプのキラボで、単にドゥルマ地域を超えて広くミジケンダ地域全体によく知られた施術者がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。
2 この屋敷のパパイヤを用いた毒の試罪法(パパイヤのキラボ chirapho cha payu)は、妖術告発の採集決着手段としてドゥルマ地域のみならず広くミジケンダ全域でも有名である。
3 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
4 ンゾンゴ(nzongo)。「邪視」。見ただけで対象に害を及ぼす能力。生まれつきのもの。邪視の持ち主が、美味しそうと思って眺めたものは不味くなり、健康そうだと思って眺めた子供は病気になる。意図的に災いをおこそうとしたものではなく、不可抗力と考えられている。邪視の持ち主を告発したりはしないが、避けたり、それを予防する措置を講じたりはする。
5 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza6、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
6 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya7)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu5)とセットで設置される。
7 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo8)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza6)と呼ばれるが)。
8 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
9 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)10、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす78)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku83)、おしゃべり女(chibarabando84)、重荷の女(muchet'u wa mizigo85)、気狂い女(muchet'u wa k'oma86)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma87)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo97、長い髪女(mwadiwa98)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba99)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
10 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri11)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika16)やシェラ(shera9)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri11)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza82)を施され、ンガタ38を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
11 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術12)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza10と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
12 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ11は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine13)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
13 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo14)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
14 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso15)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine13)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
15 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
16 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi17)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka18) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri11)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi22など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo60,laika mukusi61など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe62, laika ra nyoka62, laika chifofo65など。(4) その他 laika dondo66, laika chiwete67=laika gudu68), laika mbawa69, laika tsulu70, laika makumba71=dena72など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze6)で薬液を浴びる、護符(ngata38)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza10)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
17 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
18 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi19)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
19 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao20))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka18)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
20 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi19)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine21)に数えられることも。
21 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ13もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
22 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni23)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
23 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu24」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
24 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ23)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola25)の対象となる。
25 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini26」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa2728と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume32)、カドゥメ(kadume43)、マウィヤ人(Mawiya44)、ドゥングマレ(dungumale47)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga56)、トゥヌシ(tunusi57)、ツォビャ(tsovya59)、ゴジャマ(gojama46)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu24」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」23)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
26 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola25)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
27 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa28)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola25)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち13)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba31)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu24)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni23)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini26)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
28 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」29など)を行うことなどを意味する。
29 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ30などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
30 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ29」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
31 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume32)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani33)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
32 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola25)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
33 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」34による鍋(nyungu5)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe42)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu39)。
34 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術3においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba35)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande36)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu5)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
35 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
36 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符37。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
37 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata38)、パンデ(pande36)、ピング(pingu39)、ヒリジ(hirizi40)、ヒンジマ(hinzima41)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
38 ンガタ(ngata)。護符37の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
39 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符37の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
40 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima41)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
41 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi40)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
42 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
43 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
44 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde45)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama46)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
45 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
46 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola25)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
47 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola25の対象になる)28。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama48
48 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu49)の草木、ドゥングマレ(dungumale47)、ニューニ(nyuni23)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala55)に同じとも。
49 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)50との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
50 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza6)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる51。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている52。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
51 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供52がある。瓢箪子供の各部の名称については、図54を参照。
52 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供51。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神50がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande36)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料35)、血(ヒマ油53)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
53 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
54 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
55 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama48とも呼ばれる。ムルング4950、ドゥングマレ(dungumale47)、ニューニ(nyuni23)の草木。
56 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
57 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine13)の一種という説と、ニューニ(nyuni23)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ58らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola25)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
58 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
59 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ23の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola25)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa28」。see p'ep'o mulume32, kadume43
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
60 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
61 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
62 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira63)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka64)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
63 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
64 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
65 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
66 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi17)の別名ともいう。
67 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
68 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
69 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
70 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
71 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena72)の別名。
72 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ16と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari73)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande36)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
73 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)10」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena72が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee74)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande36には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
74 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo75)マンダーノ(mandano76)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
75 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
76 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ77とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ9の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
77 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera9)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza10)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)78」、「外に出す(ku-lavya konze80)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki81
78 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo79)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
79 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
80 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
81 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero77)の草木。
82 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
83 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera9)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
84 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera9の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
85 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ9の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
86 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ9の別名ともいう。
87 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera9)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo88))の別名ともされる。
88 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo89, mupweke90, mutundukula91, mupera(mpera92), manga93, mbibo(mubibo94), mukanju(mkanju95)
89 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
90 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
91 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
92 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
93 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
94 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)95、muk'orosho(mkorosho)96。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
95 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo94を見よ。
96 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo94を見よ。
97 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ9の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo88)の女性であるともいう。
98 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
99 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
100 フング(fungu)。施術師に払う料金
101 ジャンヴィ(jamvi)。mulala(エダウチヤシ)の葉で編んだ長方形の敷物、茣蓙
102 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ103。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
103 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。
104 チャムノ(chamuno)。chitu cha muno「程度の大きいもの」より。munoはドゥルマ語の副詞(名詞)で、程度の大きいことを表す。しかしchamunoというと病気における主要な身体症状の意味でのみ用いられる。
105 キズング(chizungu)。動詞ク・ズングルカ(ku-zunguluka)「回転する、歩き回る」より。頭がくらくらする。目眩。ちなみに、白人はムズングmuzungu。「歩き回るもの」より。英語はキズングchizungu。
106 ペーホ(p'eho)。「風」「冷たさ」「涼しさ」「悪寒」。...wa p'eho =adj. 「冷たい」。スワヒリ語で「風」を意味するウペポ(upepo)とも関係しているが、こちらは「風」以外の意味はなく、また形容詞としての用法もない。憑依霊を意味するp'ep'oとも関係あるような気がするが証拠はない。
107 川、池など水がある場所
108 括弧内は転記の際の注記。この日はMwasamaniの屋敷での施術の後にChariの「子供」であるMenandaに対するSheraの治療もあり、途中でそのためのmuhiも採集した。ここではmulunguのchizaやnyunguにも使われるものだけを抽出転記した。他に多くのmihiが用いられたが、それらはすでに私の到着前にChariの家周辺で採集済みで、内容確認は不可能だった。
109 ムリンダジヤ(murindaziya)。キバナツノクサネム。Sesbania bispinosa(Maundu&Tengnas2005:387)。murinda は動詞 ku-rinda(「守る」)より、ziya は「池」、つまり「池を守るもの」という意味になる。ムルングの草木。マメ科、刺、黄色い花、ネムノキに似た葉。ムルング(mulungu)の重要な草木。
110 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza6)、池(ziya7)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu50)の別名の一つである。
111 キロンゴジ(chilongozi, pl.vilongozi)。浮草の一種。ムルング、ライカ、シェラの草木。Water Lettuce= pistia stratiotes。スイレン(toro112)、ンダゴ(ndago113)とともにムルングの薬muhasoの材料となる。
112 トロ(toro, pl.matoro)。Nypmhoides forbesiana(Pakia2005:72)。私が見たのは紫色の花をつけたNymphaea nouchaliだったように思うが。ライカ(laika)、憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu50)の別名。(Pakia&Cooke2003bは Stylochaeton salaamicus(Pakia&Cooke2003b:387)という学名を現地で toro nyikaと呼ばれる植物与えている。私は調査期間中 toro nyikaという名称には遭遇していないし、見た目もまったく toro とは似ても似つかない。)
113 ンダゴ(ndago)。シュロガヤツリ。水辺に生えるスゲの一種。パピルス。Cyperus alternifolius,or Cyperus kaessneri(Pakia&Cooke2003:389)。ムランゼ(murandze114)とともに、憑依霊ドゥルマ人(muduruma)の香料(mavumba)の主成分の一つ。
114 ムランゼ(murandze, pl.mirandze, alt.muranze)の木。Dalbergia boehmii(Pakia&Cooke2003:391)。ンダゴ(ndago113)とともに、憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba)の重要成分。昔はドゥルマの女性が香料として用いており、出産後の女性や赤ん坊に塗ったり、週ごとの踊り(wirani)に行く際に少女が塗った。今や老人である当時の若者が言うことには、遠くからでも香りでわかったという。
115 ムクングマ(mukunguma, pl.mikunguma)。Sorindeia madagascariensis(Maundu&Tengnas2005:391)。ムルング、シェラの草木。
116 それぞれに対する短い唱えごと、人々との雑談は録音せず
117 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)118であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
118 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba99)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)119や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)120ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
119 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」118を参照されたい。
120 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」118を参照されたい。
121 ヴリ(vuri)。小雨季、10月から1月にかけての雨。短時間に激しく降るのが特徴。またそれがやって来る方角(北西)ヴリーニ(vurini)。反対に大雨季(mwaka122)の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう。
122 ムワカ(mwaka, pl.miaka)。「年、年齢、大雨季」。これに対して小雨季はヴリ(vuri)と呼ばれる。
123 憑依霊シェラのための香料。店で買える香料(ピラウミックス)にmatoro(睡蓮)の葉・根を乾燥させ粉にしたものなどを混ぜる
124 瓢箪子供、特定の憑依霊についての施術師は、その就任に際して瓢箪を授与される。複数の霊が単一の瓢箪を共有する場合もある。瓢箪をもたない霊(特にイスラム系の霊)もある。この時点でチャリが持っている憑依霊の瓢箪子供は、mulungu(musambala, chitsimbakazi)、muduruma、mwalimu dunia、shera(laika)、dena(nyari)だった。
125 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka126)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
126 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
127 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 128」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma129)から派生したマルミ(marumi130)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
128 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma129)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
129 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi130)で「唱えごと」の意。
130 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri127)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
131 ムトゥ・ナ・ンドゥグーイェ(mutu na nduguye) 「人とそのキョウダイ」=キョウダイどうし。性別を問わない。
132 ウバニ(ubani)。乳香
133 マツォ マフ(matso mafu)。「素面(しらふ)」(字義通りにはmatso=目 -fu=固い、固い目=素面)。憑依霊の文脈では、憑依状態にない、素面であるの意味。「憑依状態にある」ことは、kugolomokpwa 以外に kukala t'ele(字義通りには「満たされている」、なおこれは、酒に酔っているという意味でも用いられる)
134 キザチャボツィ(chiza cha photsi)。「地面のキザ」。チャリが編み出した(夢で彼女の憑依霊から教えられた)新機軸。1992年に初めて治療に取り入れられた。容器に薬液を入れる代わりに、地面に掘った穴に入れるというもの。その方がたしかにリアルな「池ziya」の演出だとは言える。でも水がどんどん吸い込まれて、すぐに無くなってしまうんですけど。
135 ンジェレジェレ(njerenjere)。「長声」、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声のこと。励まし、促し、喜びなどの表現。
136 この施術に参加している人々の軽口の多さはなんだろうかと思う。施術師まで、部分的にはそれに乗っている。こうした傾向は、他の憑依霊関連の施術にも見られないこともないが、今回のそれは、あきらかに度を越しているように見える。
137 女性の憑依霊ドゥルマ人の名前の一つがカシディ(kasidi)であるが、このkasidiという言葉には、なにか悪いことをしでかしてそれが「わざと故意に」なされたものだといった場合の「わざと、故意に」の意味がある。それに対し、その悪いことが(例えば人を殺す)が事故で、殺害を意図せずに起こってしまった場合それはザーニ(zani)という。
138 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga139)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni23)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo8)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo144)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
139 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga138)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele117)としてンゴマやカヤンバ140を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola25)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni23)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo8)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo144)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
140 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu,mbumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri141)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira142)」と呼ばれることもある。
141 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。別名 mutsongo。
142 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ143の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(140)、カヤンバ(143)と同じ意味で用いられる。
143 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti141)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira142)」と呼ばれることもある。
144 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ23の治療においては、薬液(vuo8)を患者に振り撒くのにも用いられる。
145 ムラム(mulamu)。妻の兄弟姉妹、(男性から見て)兄弟の妻の兄弟姉妹、(男性から見て)姉妹の夫、兄弟姉妹。(女性から見て)姉妹の夫の兄弟、(女性から見て)兄弟の妻の兄弟。すべて分類上の関係も含む。ややこしいですか?
146 ムゼーレ(mudzele)。施術師(muganga)が身につけるビーズ(ushanga)の装身具(marero)のうち、たすき掛けに身につけるもの
147 ゴンベゴンベ(gombe gombe)。「論争好き、文句の多い人」mutu wa gombe gombeとも。「論争、口喧嘩」の意味でも。動詞 ku-gomba「話す」より。
148 ムリナ氏は、先程のムルング=ヘビ・ジョークを引きずっている。ムルングはヘビなので、さっきはその端っこしか出てきていなかったと。
149 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
150 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
151 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
152 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。チャリによると、viyunge「浮き草」、あるいはキンビカヤ(chimbikaya)のことだとも。ムユンゴ(muyungo)も同じか。「マユンゲ(マユンギ、ムユンゴ)子神」はムルング子神(mwanamulungu50)の別名。
153 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。ムルング(mulungu)の草木
154 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu50)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo88)やシェラ(shera9)のグループに入れる者もいる。
155 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
156 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
157 ングラ(ngura)。意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
158 ゾンボ(Dzombo)。地名。この名で呼ばれる場所は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
159 ムガマーニ(Mugamani)。地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cooke2003:393)
160 サンブル(Samburu)。ナイロビとモンバサを結ぶ街道沿いの小さな交易町。モンバサからナイロビに向かい、マリアカーニを過ぎると、次の主要交易町がサンブルである。ドゥルマの中心町キナンゴで分岐する道の一つは、ヴィグルンガーニを経由してサンブルに至るダートロードで、私の最初の調査地「青い芯のトウモロコシ」村もこのダートロード沿いにあった。このダートロードでサンブルのちょっと手前に、ムガマーニ159がある。
161 ンディマ(ndima)。チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...畑仕事は正確にはndimaではなくndimwaだという問題もある。
162 ポングェ(Pongbwe)。チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
163 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani164もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞165)という言葉が最も一般的に用いられる。
164 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。同じくスワヒリ語には憑依霊を指す言葉としてシャイタニ(shaitani, pl.mashaitani)もあるが、こちらはドゥルマでは用いられていない。他にペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)もスワヒリ語起源で、ドゥルマで憑依霊の意味で用いられているが、スワヒリ語では「精霊」の意味以外に「他界」「死後の世界」「精霊の棲み処」など場所や空間の意味でも用いられる。ドゥルマ語固有の憑依霊を指す言葉としては、ニャマ(nyama, pl.nyama)があり、憑依霊の話しをする際に最もよく耳にするのがこれである。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞でもある。
165 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o163)、シェターニ(shetani164スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini26)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa27)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola25)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani166)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba31)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara167)」の2つに分ける区別もある。
166 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba31)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
167 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
168 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
169 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga170)
170 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua169)、別名(?)ピーニ(pini171)が必要とする道具の一つ。
171 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua169の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera172)」の技も与えてくれる。
172 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
173 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
174 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu49)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma175)、ムブァツァ(muphatsa176)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata38)やピング(pingu39)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi177)やムドエ(mudoe178)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
175 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指す(「夢」の意味でも用いられている)ので、ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」になる。祖先は大人しく眠ってくれている方が良い(祖霊は子孫にとってさまざまな要求を突きつけて、それが叶えられない場合は子孫を様々な災いで苦しめる存在なので)という観念があり、ヤシ酒などを飲み始める際には、最初に注がれた酒を少し地面にこぼし「祖霊が眠ってくれますように(k'oma nazilale)」と唱える習慣もある。Chariはこの草木の別名をムブァツァ(muphatsa176)としているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
176 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003b:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma175としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
177 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
178 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu39)は、ムドエの草木(特にmudzala179)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
179 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003b:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003b:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma180)、憑依霊ドエ人(mudoe178)の草木。
180 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性181)、カシディ(kasidi 女性182)、ディゴゼー(digozee 男性老人74)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele184)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
181 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma180)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
182 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma180)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga183)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。
183 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供52がある。
184 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
185 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
186 ムボニ(muboni)。民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
187 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
188 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人189の別名とされる。ンギンド人の別名は「奴隸」であり、ムコロンゴも同様にンゴマでは脚に鉄の輪をはめて踊る。カヤンバではなく太鼓による演奏を要求する。しかしもしコロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
189 ムンギンド(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、タンザニア南東部に住むバントゥ系の農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。チャリによるとコロンゴ人(mukorongo)はその別名。
190 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、コロメア人。ナンディ人191の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。まさかカリモジョン(Karimojong)が訛ったとか?それならナンディと同じくナイロート系牧畜民で、住んでいる地域も近いんだけど。
191 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea190、mukavirondo192はいずれもナンディ人の別名であるという。
192 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
193 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
194 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola25)の対象となることもある。
195 ムリマ・ンガオ(murima ngao)。民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
196 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)189の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi197)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
197 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(198)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana207, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
198 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi197)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari199)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)78」とライカ(laika16)およびシェラ(Shera9)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師201を「外に出し」てもらうことになる。
199 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師200などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze80を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba205)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)201」とドゥルマ人(muduruma180)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri11)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza10)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
200 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia201)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
201 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師202。内陸bara系203であると同時に海岸pwani系31であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」204)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
202 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia201)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
203 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
204 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia201)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
205 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba206)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」42、香料35と海岸部の草木34の鍋5。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
206 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
207 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)208」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
208 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
209 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki210)、キツィンバカジ(chitsimbakazi17)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか、カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
210 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ72、ニャリ73、ムビリキモ75などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika16)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
211 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
212 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。チャリの唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena72)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari73)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga209)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。施術師によっては、ガーシャをディゴ系の憑依霊だとし、rero ni rero77やmandano76を同じグループに入れる人もいる。
213 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
214 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
215 ゴロゴシ(gologoshi)。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。
216 ンガイ(ngai)。憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
217 ムカンバ(mukamba)。民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai216)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ216を参照のこと。
218 ムマニェマ(mumanyema)。民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
219 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。別表記としてライカ・キブェンゴ(laika chibwengo)、ライカ・キブェング(laika chibwengu)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。スワヒリ語のキブェンゴ(kibwengo)は辞書では「大木や海に棲む悪霊」と定義されている。Caplan,1975によるとMabwenguは憑依しない海の精霊だと述べられている(Caplan,A.P., 1975, Choice and Constraint in a Swahili Community: Property, Hierarchy and Cognatic Descent on the East African Coast, Routledge, p.112)
220 ライカ・ズズ(laika zuzu)。ズズ(-zuzu)は「愚かな」を意味する形容詞。属性などについては不明。ライカ・ズズによって奪われたキブリを戻す「嗅ぎ出し」を得意とする施術師がいるという話を1993年に聞く。この施術師は通常の「嗅ぎ出し」とは異なり屋敷内ですべてを行った。川にも池にもムズカにも行くことなく屋敷の庭に据えたchizaに奪われたキブリを呼び戻して瓢箪に入れ、それを患者に戻すという施術。
221 ライカ・ジャロ(laika jaro)、ライカ・マジャロ(laika majaro)とも。ジャロ(jaro)は「旅」を意味するチャロ(charo)のaug.形、その複数形がmajaro。このライカは休むことを知らず、ひたすら旅を続ける(mutu ariye kaoya, jaro kpwenda tu.)。ライカ・ムェンド(laika mwendo60)の別名。
222 ンドゥグ(ndugu, pl.ndugu)。「キョウダイ」ドゥルマ語のンドゥグ(スワヒリ語も同じ)は、それだけでは性別を区別できないので、兄弟、姉妹といった訳語を当てられない場合がある。その場合、カタカナで「キョウダイ」と訳することにした(途中からそう決めたのですべてのファイルで一貫しているわけではない。ドゥルマ語では一人称のキョウダイ(「私のキョウダイ」)を言い表す特別な名詞がある。呼びかけにも用いる。ムェネーフ(mwenehu)がそれである。男女の区別を明示する場合は ndugu wa chilume(兄または弟) mwenehu wa chilume(私の兄または弟)、ndugu wa chiche(姉または妹) mwenehu wa chiche(私の姉または妹)、長幼を明示する場合は muvyere(年長のキョウダイ)、muvaha(年少のキョウダイ)などとなる。
223 ク・ツァンガーニャ(ku-tsanganya)。カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
224 ク・チャフア(ku-chafua) は「汚くする」「かき乱す」「興奮させる」などの意味をもつスワヒリ語だが、ここでは患者を golomokpwa させる(憑依状態にする)の意味で用いられている。ク・チャフクァ(ku-chafukpwa)はその受動態の一種で、ほぼ ku-golomokpwaと同義。
225 ミルング(milungu)。至高神(?)ムルング(mulungu, mwanamulungu)のさまざまな化身あるいは、常に一緒にいるとされる仲間の憑依霊たちを総称してムルングの複数形milunguと呼ぶことがある。同様な概念にムルングジ(mulunguzi)があるが、あまり厳密に定義されているようではなさそうである。
226 ナピアグラス。別名 elephant grass(Pennisetum purpureum)。カヤンバの材料になる水辺のガマのような草。
227 キレンバ(chiremba)。「ターバン」。(ス =kilemba)。「ターバンを身に着けさせる」は資格を認定するという意味。