(Sept. 6, 1992のMwasamaniの屋敷でのmulunguの「鍋」とchiza cha photsiの続編
正直に言って、当時の私は同じ憑依霊といってもイスラム系の憑依霊関係の施術には、あまり興味が持てなかった。内陸系の憑依霊とちがって、なんだか借り物風の印象だったし、唱えごとがスワヒリ語っていうのも魅力的じゃなかった(個人的趣味。スワヒリ語よりもドゥルマ語の方が表現的にも魅力を感じていた。要するに単なる好み)。ただ今から思うと、イスラム系の施術と内陸系では、世界観も違っていて、そのあたりが面白いといえる。 この日の施術の中心は憑依霊ペンバ人に対する鍋(nyungu1)の設置であったが、同時に他のイスラム系の霊も招待されている。またそれぞれの霊にpingu(一応護符と訳しているのだが、その考え方は魔除け的な意味での護符とはまったく異なっているので注意が必要)5の作成、鍋とセットで行われる「大皿(kombe11)」も準備された。
(from diary)13 Sept. 23, 1992, Wed, kpwisha12 ....朝ムリナとチャリ来てZibani14へmihi ya pwani15を取りにいくという。ムリナ一人で行き、チャリはNzovuni16とYapha17でmburuga18を諮問する。ヤギが流産する理由を知りたいとのこと。一瞬、同行しようかとも思うが、今日Mw...(Munyazi19の兄)が来る約束だったので断念。....
Sept. 24, 1992, Thu, jumma98 ....mupemba54のnyungu1のuganga50へ。昼前にチャリが来て、一緒に出発する。pingu5つくりから始まるugangaの過程そのものは時間がかかるが、内容はあんまり、というか全然面白くない。6時近くになってようやく終了。.....ムリナはなんとkombe20シル、pingu一個50シル(x3)nyungu60シルという、けっこう高めな料金を要求。相手を金持ちと見てのことなのだろうか。....
二人の施術師(muganga99)は、Murina100とChari101の夫婦。イスラム系の霊はもっぱらMurinaが中心になって対応する。Murinaは正式に呪医に就任してはいないのだが。
患者(mukongo102)は屋敷の長Mwasamaniの息子の一人M...の妻Mejumaa
(フィールドノートより転記)103 Mwasamaniの屋敷での施術 【メジュマMejumaに対するコンベkombe+壺nyungu治療】
13:00 pinguの絵を描く 一枚目はmupemba54 pingu はsiku yiyo ya kulavira nyungu104 つまり前日に作っておいたりすることはできない。 なぜpinguが必要なのか→nyunguを与えるにはchihi105が必要だから pinguはmupembaが座るためのchihiなのだ さらに saa kpwa masaa、つまり夕方6時までに完成する必要がある mupemba54,sudiani48,rohani107はそれ
逆にイスラム系の憑依霊のなかには7日かけて描きあげないといけないものもある
13:30 一枚目が描き終わり、続いてrohaniの絵にとりかかる。 mupembaには月と星が描かれるが、rohaniには太陽が描かれる
14:25 rohaniの絵が終了し、sudianiの絵にとりかかる。
毛玉のようなもの(花なのだそうだ)が描かれる
rohaniとsudianiには白いchidemu108、mupembaには赤いchidemuが用意される
15:10 描き終わった絵をmukongo102に見せる。絵にmavumba51を包んでpinguを作る。
15:50 kombe ra kunwa11 を描き終わる
サフランを水で溶いたオレンジ色で描く。モスクのような建物。月と星。
その周りをアラビア文字風の文章ふうのもので囲む。


描き終わるとmarashi110で溶いて溶液を
コップに移し、二枚目のkombe(kombe ra koga)に着手。
16:00 mupembaのpingu仕上がる 二枚目のkombe(kombe ra koga11)仕上がる。こちらはアラビア語風のものを3行書いただけ。
16:30 nyungu1の用意を始める mihi ya pwani(葉と根ともども)111 mukoko112 mukandaa113 chipunga(mukungamvula)114 muts'i115 mudazi mbuu116
16:35 makokoteri(ムリナ風アラビア語)117 地面に火のついたmakala119を撒き,ubani120を入れる。その上にnyunguを逆さにかぶせて、両手でもったままマココテリ 鍋を乳香でいぶしつつ唱えごと(ムリナ) スワヒリ語テキスト
nyunguにmukoko112の葉と根を入れる
次いでChiziyamonzo121でとってきたbara25のmihi49を加える
mavumba51をたっぷり入れる
chipunga114、その他のmihiを入れる
再びmavumbaをたっぷり入れる
mukoko112の根と、muts'i115の葉
もう一度mavumba

残った一握りほどのmavumbaは後に患者がkudziphaka122
17:05 最後のpingu完成 紐を通して、脇腹に身につける(mbavuni123) pinguに対してmakokoteri
17:15 nyunguに差した udiに火をつけ,pinguをnyunguの上に置く
17;20 Chari mukongoに白い布をかぶせ左耳をつかんでmakokoteri 鍋についてのチャリの唱えごと ドゥルマ語テキスト つづいてMurina、mukongoの左耳をつかんでスワヒリ語でmakokoteri 途中から例のムリナ風アラビア語に移行 イスラム系の霊に鍋を差し出す唱えごと(ムリナ) スワヒリ語テキスト
17:35 mukongoにkombe ra kunwaを飲ませる
nyunguは7日間のあいだkudzifukiza124せねばならない 朝夕 1.nyunguをkudzifukiza124 2.ku-oga na kombe ra kuoga125 3.kunwa kombe ra kunwa126 4.muhaso wa kujita127 5.mavumba ga kudziphaka128 これを朝夕7日間繰り返すのである。
pinguは死の場面や、月経期、トイレに行くときなどは、身につけてはならない Mupembaはきれい好きだから
唱えごと全文テキスト(スワヒリ語・ドゥルマ語: DB 5532-5539) 日本語訳の各段落の冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語テキストに飛びます
(ムリナによる、メジュマー(mukaza Maguta)に対するスワヒリ語の唱えごと) 5532 (ムリナ、出だしは彼の「アラビア語」による唱えごと。書き起こし不可能。しばらくしてスワヒリ語にスィッチされる。以下スワヒリ語になってから)
Murina: ご傾聴ください。コーラン導師(mwalimu129 kuruani130)に私は傾聴を呼びかけます131。スディアニ導師(mwalimu Sudiani48)に、ペンバ人導師(mwalimu mupemba54)に、私は傾聴を呼びかけます。私はまたマスカット導師(mwalimu masikati132)に、ジネ・マウラーナ(jine maulana134)に傾聴を呼びかけます。私はジネ・バハリ(jine bahari135)、ジネ・シンバ(jine simba136)、ゴジャマ導師(mwalimu gojama42)、スルタン・ムァンガ(sorotani mwanga137)に傾聴を呼びかけます。私はカドゥメ(kadume39)、ツォヴィヤ(tsovya47)にも、ジネ・ムァンガ(jine mwanga44)にも、傾聴を呼びかけます。皆さま方にご傾聴をと申しましたのちには、この木曜日のこの日に、私は皆さま方に鍋(chungu138)を置いてさし上げます。(患者に)あなた名前は? Patient: メジュマーです。 M: さて、私の兄弟の皆さま、先日、皆さま方に皆さまは鍋(chungu)を、そして飲む大皿(kombe la kunywa)と浴びる大皿(kombe la kuoga)を手に入れられるでしょうと申しました。空におわします王ジャバレ(jabale22)のいるところ、あなた世界導師(mwalimu dunia; dunia=世界)が、あなたメッカのスディアニ、メッカの巡礼者スディアニ、メッカのジャバレとごいっしょにいるところ、メディナとメッカの洞窟(panga139)のすべての皆さまにお話させていただきます。果てはキルワ(タンザニア沿岸部のかつて交易都市として栄えた場所)の皆さま、皆さますべてにお話させていただきます。 今日という日を、このメジュマーが手配するにお任せください。何に関して手配するのかというと、皆さま方の椅子(viti vyenu105)についてです。各人が自分の椅子におかけください。ロハニ導師(mwalimu rohani107)、スディアニ導師、ペンバ人導師、マスカット導師、ジネ・マウラーナ、お一人お一人、各人の椅子に紳士のやり方でお座りください。私の兄弟のみなさま、私は、すべての皆さま方に、満足していただけるようにいたします140。チョウジの木の生える場所の皆さまにも、ミドドーニ(Midodoni=ザンジバル島北部の地名)の皆さまにも。砂漠の皆さまにもお話しいたします。高い木々におわします皆さまにもお話しいたします。同じくペンバの子供(toto la kipemba)もいますが、この子も自分の椅子に座わっていただきます。そして浴びる大皿が、このjama(不明)です。平安のうちに大皿を与えあいましょう、私の兄弟の皆さま。
Murina: 私は人から癒やしの術を授けられたのではありません。私はそれを、皆さま首長、高貴な方々、そして導師の皆さまから手に入れました。こうして私は(皆さまの)使用人となり、こうして奉仕いたしております。私はロハニの皆さまに奉仕いたします。私はジネ・マウラーナに奉仕いたします。私はジネ・マスカットに、ジネ・ペンバ人に奉仕いたします。私はジネ・ロハニとメッカのスディアニ、メッカの巡礼者に奉仕します。私はジネ・シンバ、ゴジャマ導師、スルタン・ムァンガに奉仕します。サンゴ礁におわすヘビたちの頭目ジャンバ(Jamba141, mukuu wa majoka mukalia mwamba)とその配下の皆さまにお話しいたします。皆さま、私は皆さまに、どうか耳を傾けてくださいと申します。さあ、しっかり耳をお傾けください、紳士の皆さま。ご傾聴ください、ジキリ(zikiri142)の皆さま、ジキリ・ナビ(dhikri nabi; dhikri=ムリナ氏のここでの発音,nabi=スワヒリ語nabii=預言者)、ジキリ・マウラーナ143、ジネ・バハリの方々。 皆さますべてに私はシャイルラ(shailula144)と申します。日は、今日、木曜日。今日この日。そして私アマニ(Amani=ムリナ氏の憑依霊名)が、この今日の日をしっかりとおひきうけ(ninaaminisha)いたします。私の兄弟のみなさま、ご傾聴ください。そして「ご傾聴ください(taireni)」(という言葉)は、人を押し倒しはしません。剣を振るうジネの専門家。さあ、あなた(患者に)。
Chari: どうかおだやかに、おだやかに、世界の住人の皆さま。こんな時間にお話するつもりはありませんでした。私がお話しするとすれば、私はメジュマーのためにお話しします。彼女は父と母から産まれました。父と母から生まれたところ....でも彼女は悲嘆と難儀に苦しんでいます。彼女は食べられず、眠ることもできず、じっと座ってもいられない。道を迷い歩き、世界を放浪する者、この世を彷徨う者なのです。人々が占いにまいったところ、あなたがた世界の住人の皆さまのせいだと言われるのです。 さて、どうかおだやかに。私たちはお願いに参りました。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu145)の方々に、ニェンゼ146の小池の方々に。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga147)、子神トロ(mwanatoro148)、子神マユンゲ(mwanamayunge154)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga155)、キンビカヤ(chimbikaya156)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera157)、そして子神サンバラ人(mwana musambala158)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi159)、皆さまにお祈りいたします。私はお祈り申します。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がた、ングラとングラ(ngura na ngura160)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo161)、ムガマーニ(Mugamani162)のサンブル(Samburu 地名)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima163)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe164)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいなのです。どうかおだやかに。 私たちは、(すでに)ムルングの鍋を置きに参りました。今日、今、私たちはイスラム教徒(の憑依霊)たちの鍋を置きます。彼らもその日数が尽きるまで、その鍋の湯気を浴びることになります。さて、あなたムルング子神、もしかしたら他の方々もいるかもしれません。ペーポー子神(mwana p'ep'o165)、バラワ人(mubarawa170)、サンズア(sanzua171)、ムクヮビ人(mukpwaphi175)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi67 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma176 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala183)、ボニ人(muboni184)、ダハロ人(mudahalo185)、コロンゴ人(mukorongo186)、あなたコロメア人(mukoromea188)、ドゥングマレ(dungumale43)、ジム(zimu191)、キズカ(chizuka192)、スンドゥジ(sunduzi180)、ドエ人(mudoe181)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao193)。あなた奴隷(mutumwa194)、またの名をンギンドゥ人(mungindo187)。
C: あなたデナ(dena82)とニャリ(nyari83)、キユガアガンガ(chiyugaaganga195)、ルキ(luki196)、ムビリキモ(mbilichimo60)、カレ(kare197)とガーシャ(gasha198)、レロニレロ(rero ni rero62)、あなたプンガヘワ(pungahewa199)子神。イキリク(87)とともにディゴ人(mudigo92)もいます。あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai200)もいます。あなたゴロゴシ(201)、またの名をンガイ(ngai202)もいます。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba203)、カヴィロンド人(mukavirondo190)、マウィヤ人(mawiya40)、ナンディ人(munandi189)、ムマニェマ人(mumanyema204)。私は皆さまにおしずまりくださいと申します。おしずまりください(の言葉)は、聞き届けるものでしょう。皆さま方、どうか砦を解(ほど)いて、皆さま方がつつがなきことを。私は癒し手ではございません。癒し手はムルングです。私のすることは乞い願うこと(ku-tayamamu)そして祝福の手を置いて、小指の爪に戻り、そこに腰をおろして静かにしていることです。 こうして今日、あなたがたは鍋を与えられます。鍋は(憑依霊)ペンバ人の鍋です。もしあなたがた(ペンバ人の仕業)なら、降りてきて、腰をおろし、静かにしていてください。私の兄弟の皆さま、仲直りして、皆さん(憑依霊全員)で鍋をお受け取りください、そしてお互いに仲良く手をつなぎ合ってください、どうか私の兄弟の皆さま。この者(メジュマー)がつつがなきことを私は欲します。今より、この者がこの場を出たのちには、頭が痛むこともくらくらすることもありません。腹の問題も、完全になくなりますように。どうかおだやかに。 さて、あなた(憑依霊)ドゥルマ人もいます。ドゥルマ人はこれらの(イスラム系の霊の)香料を食べませんね。今日、このときより、まずはここをお発ちください。どうか家に帰り、あなたがたの家キリマンジャロで腰をおろしていてください。この鍋はと申しますと、あなたのものでは全くありません。全然。これはイスラム教徒たちのものです。あなたはイスラム教徒のものはお食べにならない。今日、今、この鍋があなたのものではないとご理解いただけたなら、あなたの鍋というなら、あなたはお手に入れられるでしょう。でも、これらがすべて終わってからです。御主人様! やれやれ、終わった。
5536 (ムリナ氏のスワヒリ語での唱えごと)
Murina: さて、紳士の皆さま、私は皆さまおそろいの場所に入るお許しを乞う205ています。この時間は、鍋の時間だと申せましょう。木曜日の今日、この日が鍋の(約束の)日なのです。というわけで、私の兄弟の皆さま、私は紳士の皆さまがおそろいの場所に入るお許しを乞うています。こう述べたうえで、私はコーラン導師にお話しいたします。コーラン導師、私は導師アラブ人自身にお話します。導師アラブ人ロハニ、アラブ人ロハニ、マスカット導師、マスカット導師、私は導師ジネ・マウラーナにお話します。ジネ・マウラーナ、私はスディアニ導師、メッカのスディアニ、メッカ巡礼者のスディアニにお話します。私たちは、争いがあったとお聞きしました。何を巡っての争いでしょう。鍋を巡っての争いに過ぎません。それと皆さまの護符(hanzima)、さらに皆さまの装身具(mapambo)。 しかしながら、私たちは今日という日に感謝いたします。私たちは必要なものを一つお差し出しするのです。全能の神に感謝するべきでしょう。思うに、いまこの瞬間に。 あなたがた紳士の皆さまに申し上げます。シャイルーラ(Shailula144)と、そして「ご傾聴ください」は人を打ち倒すものではございません。このように申し上げましたうえで、さて、この者は病人です。彼女の病気は腹です。腹にトゲが突き刺さる(ような痛み)。腹は焼ける。腹は切られる。人の子の眠りが得られない。こうした状態とその理由は、あなたがた憑依霊(shetani)だというのです。憑依霊は人です。話し聞かされれば、傾聴するもの。私は皆さま自身に言われた通りに、こうしてお話しているのです。
Murina: 私は癒やしの術を授けてもらいに、人のところに行ってはおりません。私が思いますに、あなたがた自らがこの癒やしの術を私にくださったのです。この癒やしの術は、憑依霊ペンバ人のものです。私は使用人になることを承諾いたしました。昼に夜にお使え申しております。もし私があなた方のように困っている隣人を見れば、表も裏もございません。また、私の兄弟の皆さま、互いの声に傾聴しあいます。声は重要なロープです(sauti ni ukambaa kabaila)。私の兄弟の皆さま、兄弟として隣人として信じ合うこと。 ロハニ様、今日私はあなたに鍋を差し上げます。ペンバ人様、今日私はあなたに鍋を差し上げます。スディアニ様、皆さま方は全員、導師です。必ずや、あなたがた全員、なにをお使いになりますか。今日は、皆さま方の鍋です。木曜日の今日、私は皆さま方の鍋を皆さまに差し上げます。大いにお喜びください、兄弟の皆さま。大いにお喜びください、身分高きお方たち。もうこれなる女性を悩ませる206ことはございません。 今、あなたがたが隣人を得たこと、兄弟を得たことを心にお留めください。私の兄弟の皆さま。そして全能の神のもとでの平安を。助け合いましょう、私の兄弟の皆さま、さらにいっそう7と70の扉をお開きください。思いますに、このように私が神にお話しすれば、神自らが私に幸運をお恵みになるかもしれません。 (ムリナ氏、突然「アラビア語」での理解不能(書き起こし不能)な語りに入る。) 私の兄弟の皆さま、どうか鍋を紳士のやり方でお取りください。どうか、鍋とあなたの人生を、全能の神よ。ペンバ人よ、ロハニ、スディアニ、マスカット導師、ジネ・バハリ... (以下若干の言葉は聞き取れない)
M: ...ジキリ・マウラーナ、ソマリ人たち、ボラナ、ジネ・シンバのお仲間、皆さま全員に申します。どうぞ平安の鍋をお取りください。皆さまに申し上げます。木曜日。今日のこの日。皆さま方が騙されることなどありえないこと、私たちがもしお話しするとしたら、まさに(正直に)お話したということを、ご理解ください。そしてわたしたちも、改善するよう207力を注がねばなりません。今、私たちはこのように改めました。ですから皆さまがたも同様に、7と70の扉をお開きください。また、(患者の)身体が太り、血が身体に戻ってまいりますように。二度と、人の子の腹に殺到なさったりすることのないよう、私の兄弟の皆さま。もし皆さまにこの先、他の要求がおありになるとしても、まずは私どもに健康のしるしをはっきり、はっきりとお示しください。皆さま方はこのように話し聞かされれば、お聞き届けくださり、同じようにお待ちくださる。忍耐は幸福を引き寄せます。私の兄弟の皆さま。私は皆さまに申し上げます。さあ、7と70の扉を開けてください。皆さまの鍋はこれです。両手でしっかりとお受け取りください。皆さま方の大皿、飲む大皿と浴びる大皿とともに。そして皆さまの護符(pingu)も。お一人お一人が自分の椅子にお座りください。 ロハニのいらっしゃるところ、スディアニのいらっしゃるところ、ペンバ人のいらっしゃるところの皆さま、私は皆さまにご傾聴くださいと申し上げます。ご傾聴ください(という言葉)は人を打ち倒しはしません、私の兄弟の皆さま。洞窟のジネの皆さま全員、皆さまに申し上げます。どうか皆さまのことを私たちが忘れずにいたことを、お忘れなく。そして皆さまの方でも同様に、人々のことを覚えおいてください。 私たちの仕事は、私たちはこの女性のつつがなきことを望んでおります。もう二度と、腹の病気は嫌です。その他も、嫌です。絶対嫌です。友情と隣人であること、この場でお互いに信頼しあいましょう。皆さま方が、つつがなきことをくだされば、大変嬉しく思います、私の兄弟の皆さま。私の方でも同様に、怠けたりせずに、望むものを皆さまにただちに調えて差し上げることができます。
Murina: この鍋と飲む大皿と浴びる大皿についての証言をいたしました以外に、私にはこれ以上申し上げることはないと思います。今のこの時から、私の高貴なる皆さま。夕方です。私は今、皆さま方全員、7と70の扉を開いてくださることを欲します。そしてこの鍋に、どうか一斉に殺到なさらぬよう。高貴な皆さま、全員、歓迎いたします。けっしてお一人のための鍋ではありません。違います。ひとりひとりがこの鍋に満足なさってくださいますよう。この鍋はスワヒリの皆さま全員にお出し致しております。この鍋は団結の鍋です。今日の木曜日に私が皆さまにお出ししたこの鍋に、皆さま全員、どうかお行儀よく振る舞い、感謝していただけたらと申します。平安とともに、私の兄弟の皆さま。私にはもうこれ以上お話しすることはございません。以上です。憑依霊自身は人間です。話し聞かせられれば、聞きとどけます。私の兄弟の皆さま、御主人様、御主人様方、ご傾聴ください(という言葉)は、人を打ち倒したりしません。そこにいらっしゃる施術師の皆さま、バラカトゥ・スワラ・ハマドゥ(barakatu swala hamadu?)の方々。皆さま全員に私はお話しいたします。洞窟の皆さまにお話しいたします。アウトリガー付きの小舟(ngalawa)の皆さまにお話しいたします。白亜(chaki208)の皆さまにお話しいたします。ミゴロショ(migoroshoni209?)の皆さまにお話しいたします。私は、多くの大木の場所の方々に、多くの洞窟の方々に、多くの大岩の方々に、プランテンバナナの方々に、空中におわします方々に、世界導師にお話しいたします。皆さま全員、どうかご傾聴ください。ご傾聴くださいは人を打ち倒しはしません。私の兄弟たちよ。アマーニ。
「鍋(nyungu)」の施術については解説のページに目を通していただきたい。 海岸系、あるいはイスラム系の憑依霊に対しても「鍋(スワヒリ語で chungu)」が振る舞われる。イスラム系の霊に対しては唱えごともスワヒリ語(となにかアラビア語風の発話)で行われるなどの違いはあるが、基本は内陸系の憑依霊に対するものと同じである。
唱えごとの中で述べられているように、患者の女性の腹の病気は、彼らイスラム系の憑依霊、とりわけ憑依霊ペンバ人(mupemba54)、ロハニ(rohani107)、スディアニ(sudiani48)が引き起こしたものとされている。それは、彼らが鍋の饗応を受けたがっていること、一連の憑依霊のための装身具(これについてはここでは何かは明言されていない)、それに護符(pingu)を欲しがっていたためであった。この日の施術は、そのうちの鍋と護符を彼らに差し出すことで、患者側に憑依霊たちの要求に応える姿勢があることを示し、さらに施術師が患者と憑依霊たちの関係をとりもつ存在として認めてもらえるように、との目的で行われている。
鍋に入れられる草木は、当然イスラム系の憑依霊のための「海岸部の草木mihi ya pwani111」であり、さらにイスラム系の霊のための「香料」(これはモンバサの香辛料店で売られているもののミックスである)がたっぷり加えられている。余った香料は患者の身体に塗られる。鍋にはさらに一連の「内陸系の草木(mihi ya bara210)」も加えられるが、それはこの鍋には、内陸系の憑依霊たちもお相伴に預かれるよう招待されているからである。
内陸系の憑依霊のための鍋は、鍋の蒸気を浴びた後に、池(ziya3)あるいはキザ(chiza2)と呼ばれる薬液(内陸系の草木(mihi ya bara210)を成分とする)を浴びるという手続きからなっているが、イスラム系の霊についても構成は同様で、朝夕「鍋」の蒸気を浴び、その後に「浴びるための大皿(kombe ra koga11)」を浴びるという手続きからなる。内陸系の憑依霊のための「池」が、なまの草木を水の中で揉みしだいた液であるのに対し、イスラム系の憑依霊のための「浴びるための大皿」は、磁器製の大皿にサフランでコーランの章句(というがそれらしい何か)を書いた後、それをローズウォーター(marashi110)で溶いたものを瓶に用意し、浴びる際にそれをバケツに一杯の水に適量垂らしたものを用いる。
水浴び(薬液浴び)が終わった後に、内陸系の霊のための施術では、内陸系の草木の根や木部を煎じた「煎じる薬(あるいは煎じる草木211)」を飲む。イスラム系の霊の施術では、「浴びるための大皿」を浴びた後に、「飲むための大皿(kombe ra kunwa11)」を飲む。この「飲むための大皿」は施術の当日に「浴びるための大皿」を作成する際に同時に作成されている。やはり磁器製の大皿にサフランでコーランの章句(風の何か)と、モスクや月と星の絵などが描かれたうえで、それをローズウォーター(marashi)で溶き、それに甘いバラシロップを加え、ビンなどに入れたもので、飲む際にはそれを少しずつ水で薄めたものを飲む。イスラム系の憑依霊の場合は、それに加えて、「海岸部の草木」の根や木部を煎じた「煎じる薬(草木)211」も飲まねばならない。さらにその後「香料」を身体に擦り込む。このあたりは洗練されたイスラム教徒の身だしなみなのか?
患者は、この日以降、この鍋の湯気浴びに始まる一連の手続きを朝夕7日間繰り返す。7日が終わっても、鍋の中身を勝手に捨ててはならない。その日に再び施術師に来てもらって、正しくそれを廃棄せねばならない。憑依霊に鍋をふるまうのもけっこう面倒くさいのだ。
さて、この施術の日には鍋が設置されただけではなく、患者が身につける「護符」が憑依霊ペンバ人、ロハニ、スディアニ導師のそれぞれに対して用意された。内陸系の憑依霊の場合は、こうした護符は施術に先立って前もって用意しておいてもよいのだが、イスラム系の憑依霊の場合は、施術の当日に、その日のうちに作って完成させることになっている。というわけで、この日の私は、ムリナ氏が3つのそれぞれの護符用にボールペンで紙に絵を書くところから始まり、それに香料を包んで糸でぐるぐる巻きに念入りに縫い上げる作業(さらに大皿もその場でサフランで絵を描くところから始めるし)を、横で何時間も所在なく見ている感じで、結構退屈してしまった。護符は写真もだめと言われたし。
それはともかく、このピングなのだが、これがいったい何なのかというと、唱えごとのなかでも述べられているように、憑依霊に対して差し出す「椅子」なのだ。憑依霊が気に入った人のところにやってきて、椅子がないと、そのまま患者の身体のいろんなところに腰を下ろしてしまう。その結果患者は病気になってしまうのだ。という訳で、患者を治療するためには、まず憑依霊たちに「椅子」を差し上げねばならない。この椅子がピング(その他ヒリジとかンガタとか私が「護符」という訳語で言及しているものすべて)なのである。護符と言ってしまうとなんだか魔除けのお守りみたいな気がするので、不適切な訳語なのだが、病気はそれである程度防げるので「まあいいか」と思って使い続けて今日に至る。
というわけで患者の苦しみが「椅子」だけで解決する場合もある。でも憑依霊たちがやってきた目的は、何か自分たちの要求を人間にかなえてほしくてやってきているので、それが叶えられるまでは患者を「捕らえ」続ける。
今回のイスラム系の憑依霊たちの要求は「鍋よこせ」だったので、これを叶えることが重要なのだが、鍋の席にやってきても椅子がなければ、また患者の身体に座ってしまう奴らなので、椅子はとにかく必要なのだ。都合の良いことに、この3人の憑依霊たちの連れて来る仲間たちは、この3人の椅子を共有できることになっているらしいので、やってくる憑依霊分の椅子が必要というわけではないらしい。
さらにせっかくの「鍋」なんだから、他の憑依霊たちにもお相伴に与らせてやれば、そいつらの鍋欲求もキャンセルできて好都合、ということで内陸部の憑依霊たちにまで来て、いっしょに食べましょうと唱えている。実に気前が良い。
でも一人だけ、問題児の厄介な憑依霊がいる。それが憑依霊ドゥルマ人だ。ドゥルマ人はイスラム教徒の鍋なんて食えるか!というやつ。自分だけのための鍋じゃないと我慢出来ないやつなのだ。そいつが万一やってくると、すべてを台無しにしてしまいかねない。というわけで、チャリは、自分の持ち霊でもある憑依霊ドゥルマ人だけに、唱えごとを行っている。
施術師は、多くの憑依霊と関係を持ち、彼らと交渉できるエキスパートである。しかし憑依霊たちと付き合っていくのは、とっても厄介なことなのだ。
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tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩ ↩
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