この事例は、全身のさまざまな症状に苦しみ、外出も困難で、町での賃仕事も続かない、一人の男性に対する治療である。占いの見立ては、多くの憑依霊が、一族の祖先の癒やしの術(unganga1)の継承を彼に求めているというもので、この「鍋」は彼自身が癒し手(muganga)になるという到達点を射程にいれたものなので、単純な病気への対処とはやや性格を異にしている。そのため順序としてムルングの「鍋」から始まっている。癒し手としてのキャリアはまずムルングを外に出す(ムルングの瓢箪子供をあたえられ、癒やし手になる)ことからはじめねばならないからである。霊の筆頭であるムルングの鍋は、他の諸々の憑依霊も来て恩恵を受け取ることができるが、いくつかの霊はムルングの鍋とは両立しない。そうした霊たちには別個の鍋を後に据えてやる必要がある。例えば彼を最も苦しめているとされる憑依霊ドゥルマ人はその代表格で、同じく彼を苦しめているイスラム系の霊たちについても、同様に別に対処しなければならない。が、こうした先々の計画は、このムルングの「鍋」に期待された効果がなければ、話にもならない。その点では、このムルングの鍋治療は、通常の鍋治療の事例と変わるところはどこにもない。
すべての鍋治療と同様、鍋は(通常男女の)二人の施術師によって据えられなければならない。
男性施術師: Murina Chimera 女性施術師: Chari Malau
フィールドノートより (1989年12月2日のフィールドノート→注釈を是非ごらんください)2
ハミシ本人が朝 mburuga3を打ちに来て、その結果 Chari4たちが呪医として 選ばれた。呪医夫婦でムルングの池(ziya18 ra mulungu)とムルングの壺(nyungu16 ya mulungu)を据えにいくという。連絡をうけてさっそくChariたちの家へ。
14:00 呪医の屋敷に到着
薬草のほとんどはチャリの家の周辺で手に入れ mukoba84に入れて運ぶ。家の周辺で手に入らなかった分はハミシの家へいく途中のtsaka86で手に入れる。
15:00 ハミシ氏の屋敷に到着 nyungu16を両手で逆さにもち、下に炭熾makala87を置き、ubani88で内部を燻す。 nyungu に灰を水で溶いたもので彩色する。先程の炭熾をnyunguの底に置き、 薬草を円を描くように壺の縁から詰め込んでいく。中心部に丸く隙間ができるように。 さらに嗅ぎタバコとムルングの瓢箪(mwana wa ndonga wa mwanamulungu8994) の 内容物を加える。 スフリアの中に、同じ薬草の葉を細かく千切っていれ、水を加えて水の中でよく 揉みほぐし、薬液(vuo19)を作る。これがそのまま屋内のキザ(chiza cha nyumbani17)となる。 壺の中心のところにチャリのムルングの瓢箪子供 mwana wa ndonga89 を置き、 唱えごと(ku-kokotera)。 それが済むと小屋の中に設置する。
次いで chiza の vuo を使って患者に対し唱えごと(makokoteri)。 njerejere95を上げながらvuoを七回患者の頭に振りかける。 次いで患者に頭からムルングの布(nguo96 ya mulungu)をかぶせて締めくくりの唱えごと
今後は、壺のkudzifukiza101と、chizaのkoga102を7日間朝夕小屋の中で行う。 7日が過ぎると、中身は自分たちで捨ててしまってもよい。 それが済むと束ねられた植物の枝や根(「飲むための薬草(mihi ya kunwa9)」)を ku-jita103して飲む。
(このリストは不完全。患者宅に向かう道すがら採集した19種のみで、ムルングの木で最重要の mutserere(mujongolo104)などが抜けている。mukoba84のなかのmuhiのストックにあったのか。なお、同定可能なものについては後に加筆する。Chariによると、以下の草木のうちでムルングの鍋に絶対不可欠なのは4番目のmwamusunza 別名 chinukamuhondo(字義通りには「明後日の臭いがする」学名 Sesbania sesban(Maundu&Tengnas2005:20))だという。)
鍋用 mvumbani(107?) mudzala108 murahani mwamusunza(mwamusunzwa, =chinukamuhondo)110 chivumanyuchi111 muvumo112 mut'urit'uri113 mup'ep'o114 chilanzyamunda murindaziya115 katsimbakazi mwanamulungu vuwakoe chivumbanikoe vumbamanga116 mukoloutsiku muvunzakondo117 muhi wa chitsimbakazi mukpwaphi
煎じ用(mihi ya kunwa) mwerekera118 muyama119 mudzala108 kakpwaju121 muloe122 mutomoko[^mutomoko] muhi wa mwalimu dunia
唱えごと全文テキスト(ドゥルマ語) (段落の冒頭の数字をクリックすると、対応するドゥルマ語テキストに飛ぶことができます)
鍋を据えるための唱えごと 1001 (途中から)
さて、私たちはムルング(mulungu)の鍋を置きに参りました。こうしてたくさんの問題を述べに来たわけです。まず、私たちはムルングの鍋を置きに参りました。祖先より続く癒やしの術(k'oma ya chiganga) が問題になっていると言われています。彼の一族に受け継がれた(施術師の)「袋」(mukoba84)のことです。そして癒やしの術をのぞむ憑依霊たちが、その督促に来たのだというのです。しかし、あなたがたはこの者を押さえつけて、病人にしてしまうという仕方でおいでになりました。
この者は女性ではありません。養い手の夫(dzumbe)を待ちなさい(=患者が結婚するまで待ちなさい)と(憑依霊に向かっての唱えごとで)述べられる立場ではないのです。彼自身が養い手の夫(dzumbe)本人なのですから。もしあなたがたがこの者をずっと家から出られないような状態に置くとしたら、いったい誰によって、彼に(癒し手になるために)必要な治療(のための出費)が賄われるというのでしょう。彼に必要なのは、自分自身でそうすることなのです。今日、あなたがたは彼を四六時中、家の中に置いておかれる。彼はただ途方に暮れるしかないのです。そこにいるのは彼の妻。妻とは(憑依霊に)かかわられる者で、夫は必要な費用を稼ぎ出す(のが普通のこと)。夫が(憑依霊に)かかわられてしまうとなると、では妻はいったいどこからそのお金を引き出してこれるというのでしょう。 そんなわけで、私たちはムルングにお願いに参ったわけです。私たちは鍋を置きに参りました。鍋はムァナムルング(mwanamulungu=子神ムルング123)のものです。この者に要求されていることが癒やしの術(uganga 施術、治療術)の仕事なのでしたら、やってきて彼にこのうえなく良き夢(k'oma mbidzo)を見せてください。夢の中で彼に草木(muhi)をあたえてください。眠り、夜明けに目覚めると、行って、まさにその草木を手に入れること。けっしてやって来て、このように彼を押さえつけることではないのです。
私はあなたがたにムルング子神の鍋を差し出します。ムルング子神の「池(ziya)」とともに。もし癒やしの術の憑依霊(nyama124)であるのなら、さあ、みんな出てきてください。頭にやってきて、頭をゆらし、癒やしの術が出てまいりますように。出てきて、彼を発狂させ、行って水の中に身を沈めさせたりしないでください。癒やしの術が出てきて、彼に草木を示し、彼に癒やしの術があたえられますように。あなたがたが彼に草木を示したなら、彼は治療上の父と治療上の母とによって、彼に癒やしの術があたえられるでしょう。これこそ癒やしの術にふさわしい祈りなのです。 しかしながら、現在、あなたがたは彼を悲しませている。憑依霊の問題など、もはや知らないかのように立ち尽くしている。なぜなら、彼は窮状にあるのです。彼は苦しみ、食べられず、眠ることもできず、じっとしてもいられない。今や、彼は世界を放浪する者。道を迷い歩き、この世を彷徨うもの。どこへ行っても、そこは彼の居場所ではない。行く先々で、そこは彼の居場所ではない。
彼を治療する者は、誰一人として(本物の)癒し手ではない。彼があなたがたにどんな間違いを犯したというのでしょうか。この者を、あなたがたはまだ外に出してはおられない(kamudzangbwe wakukala mwamulavya nze129正式に癒し手に就任させていない)。もし彼が癒やしの仕事を放置しているというのなら、彼があなたがたを軽視していると、あなたがたがおっしゃる(のももっともです。)でも、あなたがたはまだ、自分たちは仕事がほしいと彼におっしゃってさえいないではないですか。なのにいま、どうして人間をお苦しめになるのでしょう。彼はムルングの人間、あなたがたの被造物(chumbe chenu)なのですよ。 さて、今日、いま、私は鍋を差し出します。頭が痛くなることも、めまいも、耳鳴りも、背中の重苦しさ、胸の重苦しさも、疲労も、腹がとげが刺さったように痛むことも、腹が熱くなることも、腎臓が噛み潰されることも、腰が断裂することも、腹が音をたてることも、すべてなくなるように。 さて、今日、いま、もし(これらが)あなたがたの仕業なら、あなたがたが本当に仕事を欲しがっておられるのなら、私はあなたがたに何をお与えするのでしょうか。私はあなたがたに鍋をお与えします。私たちに(彼を回復させることによって)そのとおりだとお知らせください。私たちはつつがなきことをのぞんでおります。脚が斧で割られる(ように痛む)こともない。脚がしびれることもなくなるように。なくなるように、どうか御主人様。目が闇に閉ざされることもなくなるように。なくなるように。
どうか、御主人様方、御主人様方、わたしどもはみなさまの足元に身を投げ出します。もう争いはございません。争いは一昨日、昨日のこと(もう過ぎたこと)。争い合う二人、三人目がやってきて、争いを鎮めます。今日、私は仲裁する者です。私は争いを鎮めます。 この者は、配偶者に生活を稼いでもらう女性ではありません。彼自身が養い手たる夫なのです。どうか彼に余力(nafasi 金銭的・体力的な二重の意味での)をあたえてあげてください。もしあなたがたが、しかるべく調えてもらうことを本当にお望みなら、彼に余力を与えてください。かれが自分で調えて差し上げられるように。かれはけっして癒やしの術を外にだすことを面倒がってはおりません。でも、あなたがたの要求の仕方がひどいのです。 (唱えごと、一旦中断) (DB 1001-1005)翻訳
Pts(唾液をchizaに)。ビスミラーイ。うう、どうかおだやかに、おだやかに(haini)、北の皆さま(a kpwa vuri)、南(a kpwa mwaka)の、東(mulairo wa dzuwa)の、西(mutserero wa dzuwa)の皆さま。私はみなさまに、ハミシのためにお祈り申します。どうか耳をお傾けください。私は「池」と「鍋」を差し上げます。耳をお傾けください、ブグブグ(bugubugu130)の方々、ニェンゼ131の小池の方々、みなさまに申し上げます。降りてきて、ご傾聴ください。なぜなら私は、どこからやってきたかもわからない病気に驚いているからです。さらにわたしたちは、男性の病気を治療しています。女性の病気を治しているのではないのです。男性の場合、もしあなたがたが仕事がしたくて、その者をお望みになったのなら、ただやって来てその者にそうお告げになればよいのです。彼を(病気によって)悲しませたりしないものです。だって、彼には、彼本人以外では、彼のために調えてくれる者がいないのですから。 hiriririri hiriririri(甲高い嬌声 njerejereを4回)平安を(amani)、平安を(6回)(その間 キザの薬液(vuo)を手ですくい上げて7回患者の頭に垂らし掛ける) 皆さま、おだやかに、降りてきてください(mutserere)、降りてきてください、降りてきてください。やって来て、私が話すことに耳を傾けてください。このうえなくおだやかに、御主人様。
締めくくりの唱えごと 最後にその他の憑依霊たちすべて(arumwengu=世界の住人たち)に対する唱えごと。とりわけ、葉(makodza)を用いない根のみを用いる(mizi miphuphu)鍋を必要とする憑依霊ドゥルマ人に対して、今回の鍋に対して怒らないよう請い、これが終わり次第またお前だけのために鍋を据えに来ると約束する唱えごとで、この日の治療は締めくくられる。(DB 1086-1098)
ビスミラーイ、ラハマーニ、ラヒーム...(以下省略。アラビア語風の祈祷、不正確だが、明らかにコーランの最初の章句と思われる)
おだやかに、おだやかに、世界の住人(arumwengu)のみなさま。世界の住人のみなさま、私は語りますが、このような時間にお話するつもりはなかったのです。さて、私はお話します。そんなつもりはありませんでした。 ハミシです。ハミシはその父と母から生まれました。父と母から生まれし者、ムルングの子供です。ムルングの被造物です。彼は苦しんでいます。彼は食べられず、眠ることもできず、じっとしてもいられない。道を迷い歩き、世界を放浪する者、この世を彷徨う者なのです。人々が占いにまいったところ、あなたがた世界の住人の皆さまのせいだと言われるのです。 世界の住人の皆さま、私は皆さまにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu130)の方々、ニェンゼの小池の方々、キグルフュラ(の池)の方々、マレレの淵、キンベーブォ(の池)の方々、ゾンボ山の方々、皆さま全員、耳をお傾けください。マカンガの池の方々も。 ここに病気の人がいます。彼の病気は、頭痛とめまいから始まりました。耳鳴り、分別がかき乱され、きちんと思考ができなくなってしまいました。
目は暗闇にふさがれ、胸の重苦しさ、背中の重苦しさ。身体全体が折れ折れに。腹は音をたて、トゲに刺され、熱く焼ける。両腎臓は噛み潰され、尿まで滞る。 どうしてこんなふうになるのかわかりません。一体あなたがたは何を怒っておられるのでしょうか。 腰が断裂する(chibiru kutoka132)という問題もあります。脚も斧で割かれるように痛む。しびれて感覚がなくなる。脚は火がつく。ときには冷たくなって、まるで何日も前に死んだ人みたいに。 あなたがた皆さまにはこうしたことを引き起こすことがお出来です。今、今日、私たちは「どうか御主人様」と申します。私もどうか御主人様、お願いです。私はまた、子神ドゥガ(mwanaduga135)、子神トロ(mwanatoro136)、子神マユンゲ(mwanamayunge137)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga138)、キンビカヤ(chimbikaya139)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera140)、そして子神サンバラ人(mwana musambala141)、彼らとともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi142)、皆さまにお話しいたします。 でも、私がお話するのは、あなたムルング子神(mwanamulungu)に対してです。あなたムルング子神こそ砦の主です。なんと、お客人がおられるかもしれませんが、わたくしは(どなたがおられるのか)存じ上げません。
あなたムルング子神よ、あなたに続かれるペーポー子神(mwana p'ep'o)、バラワ人(mubarawa143)、サンズア(sanzua144)、バルーチ人(bulushi148)、ムクヮビ人(mukpwaphi149)。ムクヮビ人、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni56)、池のキツィンバカジ(chitsimbakaza cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma150)、ガラ人(mugala154)、ボニ人(muboni155)、ダハロ人(mudahalo156)、コロンゴ人(mukorongo157)、コロメア人(mukoromea159)もごいっしょに。 おだやかに、ドゥングマレ(dungumale40)、ジム(zimu162)、キズカ(chizuka163)、ペンバのズカそのもの(zuka renye ra chipemba164)。あなたドエ人(mudoe109)、またの名をムリマンガオ(murimangao168)。あなた奴隷(mutumwa169)、またの名をンギンドゥ人(mungindo158)。皆さまのあいだには、あなたデナ(dena71)とニャリ(nyari72)、そしてキユガアガンガ(chiyugaaganga[^chiyuga])、ルキ(luki176)、ムビリキモ(mbilichimo51)、カレ(kare177)とガーシャ(gasha178)。あなたレロニレロ(rero ni rero180)、マンダノ(mandano52)、プンガヘワ(pungahewa181)子神。どうか御主人様方、御主人様方。私たちはあなたがたの足元に身を投げ出しています。 ディゴ人(mudigo81)もいます。あなたディゴ人、またの名をシェラ(shera73)、シェラまたの名をイキリク(ichiliku76)、またの名をキバラバンド(chibarabando77)、またの名を「重荷の女」(muchetu wa mizigo182)。そこに出くわすのはムミアニの白人(muzungu wa mumiani183)、またの名をライオンのジネ(jine tsimba184)。突然とり憑く「インド商人」(baniyani wa kutsunuka185)、ゴジャマ導師(mwalimu gojama39)、スルタン・ムァンガ(sorotani mwanga186)。ともにおわすはマサイのジネ(jine bara wa chimasai187)。
あなた、ゴロゴシ(gologoshi188)もいます。ゴロゴシ、またの名をンガイ(ngai189)。ンガイまたの名をカンバ人(mukamba190)、カヴィロンド人(mukavirondo161)、マウィヤ人(mawiya37)、ナンディ人(munandi160)、ムマニェマ人(mumanyema191)。 どうか御主人様、私たちは、おしずまりくださいと申します。おしずまりくださいの言葉をお聞き届けください。砦を解(ほど)いてください。つつがなきように。もしかして、皆さんは欺かれていた192のでしょうか。みなさんが欺かれていたのは、一昨日、昨日のこと(もう過ぎたこと)です。それとも皆様に対して過ち193を犯したのでしょうか。過ちが犯されたのは、一昨日、昨日のことです。しかし今、今日、私たちはつつがなきことを望みます。そしてこのつつがなきこと、私たちがのぞんでいるつつがなきことは、この者の頭に癒やしの術(uganga)を与えることです。人に癒やしの術を与えるやり方が、彼に癒やしの術を求めるやり方が、彼に激しい痛みを与えることであってよいでしょうか、いいえ。そうではありません。彼に癒やしの術を求めながら、彼の腰を断裂させる。癒やしの術を乞いながら、腹を火のように焼く。トゲを刺す。腹を膨満させる。便秘させる。そんなことはなしです。なし。 今、今日、彼に便通をあたえるよう、私は命じます。食事をして、用を足しに行き、それをこなす。もどってきて、またしっかり食べる。このうえなくしっかりと。
そして彼に癒やしの術(uganga)を与えてくださる。それも頭に。頭が揺れる。癒やしの術のために揺れる。夢の中で草木が示される。寝ているときに、彼に草木について教える。夜が明ければ、彼はすぐに出かけてその草木を採ってくる。それをもって家に戻る。そうすれば、私たちにも、皆さまが本当に仕事を求めていたのだとわかります。 しかし今、どうして皆さまは私たちを驚き途方に暮れさせるのでしょうか。この者が下腹部を、腹を捕らえられることがないように。もし癒やしの術が皆さまに求められているのなら、彼はこれから何をしたらよいのでしょうか。そもそもその仕事は、どうやったら彼に与えられるのでしょうか。仕事が与えられると言いながら、彼は病人。どうやって彼に仕事をしろと言うのでしょうか。皆さまの要望の仕方は、ひどいというしかありません。 御主人様方、この者は女性ではありません。男性です。この者を癒し手らしいやり方で狂わせてください(Mwayuseni chiganga)。彼を狂わせることは、彼に草木を与えることです。けっして彼を押さえつけることでも、彼に血を排尿させることでも、彼に激しい痛みを感じさせることでも、彼の腰を切り断つことでも、彼の脚を切ることでも、胸に激しい痛みを感じさせることでも、背中に石を叩きつけることでも、頭に目眩を注ぎ込むことでも、目を見えなくさせてしまうことでもありません。そもそも彼はどうやって物を見るというのでしょう?
どうか御主人様方、おしずまりください、私の兄弟たちよ。おしずまりくださいという言葉をお聞き届けください。砦を解いて、健全な眠りを。 どうか、平穏に、そしておしずまりください。あなたがた、カドンゴの方々もいらっしゃいます。ディゴゼー(digozee50)も、ムビリキモ(mbilichimo51)もいます。皆さん、私の兄弟たちよ。あなた方はお仕事が大好きな方々です。今、今日、私は鍋を差し出します。この鍋は他ならぬ、あなたムルング子神のものです。私は、おしずまりくださいと申し上げます。もし仕事が必要だというのなら、この者に仕事を良き仕方でお与えください。この者を悲しませることでは、仕事を与えることにはなりません。この者は仕事を拒みはしませんでした。もし仮にあなたがたが草木をお与えになるのなら。仕事が放棄されているって?あなたがたはまだ彼に、一本たりとも草木をお与えになっていないじゃないですか。 今日、あなたがたはどんなふうに彼にちょっかいを出されるのですか。激しい痛みを与えるのですか。腹をつまらせるのでしょうか。排便を拒むのでしょうか。あんなふうに激しい痛みを与えるのでしょうか。彼が何をしたというのですか?そして、あなた方はまだ彼に、草木をお与えになっていない。たった一本すら。もし彼が、癒やしの術を(手に入れることを)拒んだというならいざ知らず。ああ、皆様方、おしずまりください。
さて、御主人様。御主人様、おしずまりください。そしておしずまりくださいの言葉を、お聞き届けください。お聞き届けくださることは、この者を解いて健康であるようにすることです。私は皆さまがた全員にお願いします、兄弟たちよ。皆さま、降りてきて、ここにいらっしゃり、私が申しますとおりに耳をお傾けください。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の東(mulairo wa dzuwa)の西(mutserero wa dzuwa)の皆さま。ブグブグの方々、ニェンゼの小池の方々、私の兄弟たちよ、皆さん全員私の言うことをお聞き届けください。ゾンボ山の方々、マレレの淵の方々、マカンガ(の池)の方々、キンベーブォ(の池)の方々、キグルフュラ(の池)の方々。さあ、皆さま私の言葉に耳を傾けてください、兄弟たちよ。 施術師は否定されたりしない、そうあるべきものです(muganga kazumwa)。施術師は「そのとおり(taire)」と言われる、そうあるべきものです(Amba muganga wambwa taire)。これまで私がそうしてきたように、人々を治療する(nichilagula)と、人々は回復する、そして私は癒やしの術を与える。今日、私は、皆さま方がこれまでそうであったように、私の言うことをお聞き届けいただきたいのです。皆さま、毎日私の言うことをお聞き届けくださってきた。憑依霊は人間です(nyama ni mwanadamu)。話してきかせれば、理解する(achiambirwa ni kusikira)。憑依霊は血です(nyama ni mulatso)。話してきかせれば、理解する(achiambirwa ni kusikira)。施術師は否定されたりしない、そうあるべきものです。施術師は「そのとおり」と言われる、そうあるべきものです。
私のしていることは、お話して、聞きとどけていただく、それだけです。私は癒し手ではありません。本物の癒し手はムルングです。あなたがたが私にお応えくだされば(返事をしていただければ)、私の方でも、今日、皆さま方に調えて差し上げようと考えるというものです。あなたがたが、もし彼をそっとしておいて、彼が良くなるくのがいやだというのなら、彼はどこから力を得られるというのですか?ねえ、兄弟たち。 どうしてあなたがたは彼を驚き当惑させるのですか。賃仕事も今や彼にはもうありません。ただ何もできないただの人間、道を迷い歩き、世界を放浪する者、この世を彷徨い、ただ立ち尽くしているのです。食べられず、眠られず、じっとしておられず、立ち尽くしているのです。あなたがた、どんな風にそれを始められたのですか。彼がどんな過ちをしたというのですか?なぜ、あなたがたは彼を惨めな子供になさろうというのですか。実際、かれはすでに惨めな人間です。ねえ、もし誰かになにか物をお求めになるとしたら、善良な仕方でお求めになってください。(憑依霊の立場での語り)『私たちは、「はい」または「いいえ」を欲している。』もし彼が「いいえ」と言ったなら、それは拒絶です。その後で、あなたがたはお話なさればよいのです。『この者に、私たちは癒やしの仕事を求めている。しかしこの者はその仕事を私たちに与えることが嫌なのだ』なのに、あなたがたはいきなりやって来て、彼を押さえつける。それが客のすることでしょうか。
しかもこの者は、言わば自分で稼ぎ出す者です。誰かに稼いでもらう者ではありません。 ああ、おしずまりください。私の兄弟たちよ。私どもはあなたがたの足元に身を投げ出しております。争いはございません。今、私は仲裁者。争いを仲裁いたします。どうか私に耳をお傾けください。 ここにおわします御主人様キツィンバカジ(chitsimbakazi56)、ここにおわします御主人様ペーポーコマ(p'ep'o k'oma150)。あなたキツィンバカジ、またの名をペーポーコマ。そしてまたの名をムルング子神(mwana mulungu)。あなたムァムニーカ(mwamunyika194)、偉大なムルング。皆さま全員、降りてきてください。降りて、いらっしゃって、この鍋の湯気にあたり、池で水浴びし、この子供に健康をお与えください。どうか御主人様方、おだやかに、おだやかに、私の兄弟たちよ。 さてさて、おしずまりください、御主人様、私の兄弟たち。どうか御主人様、私たちは、良き夢がやって来ることを、草木を示してもらい、ぐっすり眠ることを望みます。(7日間の鍋が終われば)私自身がやって来て、鍋(の中身を)捨てさせていただきます。
この者が眠れば、皆さま方この者に草木をお示しください。そして私が鍋の中身を捨てにまいるときには、彼がすでに自分で草木を手に入れているのを、私に見せてください。この者が、「お母さん、私はこれらの草木を示されたよ。」と言う。まさに、あなたがたに仕事を差し上げたわけです。私はけっして怠け者でも、臆病者でもございません。でも御主人様、この者も「どうか御主人様」と申しております。皆さま方がこの者を打ち据える杖の打擲は、もう十分でございます。おだやかに。まずこの者をそっとしておいてください。おだやかに。 さて、あなたカシディ(kasidi=無礼者49)に言うことがあります。あなたカシディ、またの名をムルング・マランボ(mulungu marambo196)。あなた、内側のことも外側のことも知っておられるというカルメ・ンガラ(Kalume ngala=光る小男[^kalume_ngala])。あなたとは朝からずっとお話してまいりました。今、私は鍋を置きに参りました。この鍋は葉っぱの鍋です。薬液(vuo)も葉っぱの薬液です。この者がこの鍋の湯気を浴び、あの池で水浴びし、それが終わったらあなた自身の鍋を置きに参ります。それが済んだら、あなたの鍋で締めくくります。だから葉っぱで締めか、などとおっしゃらないでください。まずはあなたもこの者に鎮まりを与え(umuphe pore)、この者に彼の幸運を下ろしてやってください。そして病気を去らしてください。
それが終わって、この者がもし健康であるなら、私はただちにあなたのための鍋を置きに参ります。もしあなたが仕事をのぞんでいるのなら、まず彼に仕事を与えてやってください。彼の身体じゅうを砕くことも、ひたすら眠ることも、仕事ができないことも。なぜならあなた、またの名をカシディ、またの名をカルメ・ンガラ。あなたカルメ・ンガラ、またの名をマシキーニ(masikini=貧乏人197)、またの名をムガイ(mugayi=困窮者198)。あなた、またの名をレロ・ニ・レロ(rero ni rero=今日のことは今日中に180)、またの名をマンダーノ(mandano=黄色52)御主人様!あなた、カシディ。子供を産むと、その子はお前の母親メカシディ(Mekasidi174)に似る。私はあなたがたの棲み処が田舎(nyika199)だということを知っています。そこがニョンゴロ(地名)なのか、ニサカケ(地名)なのか、それともゴブォ(地名)なのかルカカーニ(地名)なのかは存じません。でもあなたは田舎者ですね。(子どもの命名の際に)耳を掴んだり、頭に手をおいたりする習慣はありませんね。だって、あなたが掴まれるとき、それはもう大人になったとき。あなた、またの名をニョエ(Nyoe=バッタの一種200)。耳をつかまれません。つかまれたときには、ひねり潰されている。今日は、さてさて、おしずまりください。この「おしずまりください」をご理解ください。この(煎じ)薬(mihaso)、この薬液。あなたのための鍋は、これが無くなってからです。だって、ムルングは追い越しても追い越されてもならないのだから。あなたたちの長上者なのですよ。私の兄弟よ。
あなたは3つのカヤのドゥルマ語で話されたら、耳を傾けてくださる。さて、私はこの子供のつつがなきことを欲しているのです。彼に本当に仕事を与えさせてください。私が昼にこの者にあたえたこのムユンボ(muyumbo201)の木が、晩になるとたくさんの草木を彼に示してくれるように。彼の心を不安にさせないでください。だって、この鍋はあなたのではないのですから。彼の心臓を持っていかないでください。ダメです。だってあなたは、すぐに人の心を不安にさせて、この者に「ああ、私はこの鍋の湯気を浴びるまい。だって私は死んでしまうんだから」と言わせてしまう。私は知ってますよ。あなたは、そういう方なのです。ですからこうして前もって言っておくのです。ちゃんと聞いて下さい。この者が、薬液を浴び、煎じ薬を飲み、この鍋が終了すれば、私はあなたの鍋を置きに参ります。仕事がほしいとおっしゃるなら、私は拒絶しなかったでしょう?でも、私はこの子どものつつがなきことをまず望んでいるのです。はい、おしずまりください、私の友よ。さて御主人様、どうかおしずまりください。私たちはつつがなきことを望みます。この子供がなおりますように。彼が治れば、私たちはあなたがたに本当に仕事を差し上げます。
治療として「鍋」を据える標準的な施術だ。ただ、ここでは世帯の稼ぎ手である男性が患者であるため、稼ぎ手を病気で仕事ができなくさせてしまうと、憑依霊たちの要求をかなえる資金の担い手がいなくなるという論点が、憑依霊を説得するポイントとなっていることがわかる。憑依霊の病気に対する治療とは、まず「鍋」などで憑依霊を喜ばせ、その上で、患者の置かれている諸事情を説明し、憑依霊たちに病気を解いてくれるようにと説得するという作業からなる。
そして、もし憑依霊たち(とりわけその筆頭者であるムルング(ムルング子神))が、本当にこの患者に施術師となることを求めているのであれば、この鍋を受け取った上は、その証拠を示して欲しいと懇願している。それは病気をとき解き、患者に施術師として用いる草木を夢を通じて示すことである。
唱えごとの最後は、「世界の住人 arumwengu202」全員に対する締めくくりの唱えごとである。施術師が「親交」をもっているすべての憑依霊の名前がグループごとに列挙されている。
憑依霊ドゥルマ人が絡んでいるときには、ドゥルマ人は他の憑依霊たちとは、別扱いされ、単独で説得の対象となる。ドゥルマ人のための「鍋」は葉ではなく、木の根だけからなる鍋で、ムルングその他の鍋と一緒には供されない。このドゥルマ人に対する唱えごとの中では、ドゥルマ人は無礼者で、田舎者であることがとりわけ強調されている。なんという「自己認識」!しかし、ドゥルマ人は機嫌を損ねると最も凶暴な憑依霊の一人なので、取扱い注意なのである。最後に、最初に施術の要求をかなえられるのはムルングであることを訴えて、ドゥルマ人に待つことを求めている。
↩ ↩ ↩ ↩
↩ ↩
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
↩
↩
↩ ↩ ↩