マフフの屋敷における出産祈願の瓢箪子供を差し出すカヤンバ

目次

  1. 概要

    1. 調査日誌より

    2. 主な人物

  2. フィールドノートより:カヤンバ実施の流れ

    1. 嗅ぎ出しのカヤンバ

    2. 瓢箪子供の作成

    3. 徹夜のカヤンバ

    4. チャリによるコメント

    嗅ぎ出しについて 帰り道で jummaとカヤンバ

  3. まとめ: 瓢箪子供とは何なのか

  4. 唱えごとの日本語訳

  5. 注釈

概要

この日のンゴマ(カヤンバ)には、先月末に「外に出す」ンゴマで施術師になったトゥシェが、初めて徹夜のンゴマを主宰する(チャリの弟子の施術師として)という意味もあり、皆かなり気合が入っていた。

ンゴマの目的は、瓢箪子供を正式に授けること。昨年、不妊を悩んでそれがムルングのせいだということで、チャリに「手付の瓢箪子供」を「鍋(nyungu1)」とともに処方してもらった患者(このときは私はすでに調査地を離れ日本に帰郷していた)だが、なんと先週めでたく第一子を出産したそうなのである。うそみたい!ただこの女性患者は、普段から健康状態はすぐれず、ライカやシェラその他の憑依霊をたくさんもっている人で、ライカによってキブリ(chivuri5)を持ち去られている可能性があるので、徹夜のンゴマに先立って、「嗅ぎ出し(ku-zuza6)」をやっておく必要があった。これは占いで指示されていた。そのため、昼の「嗅ぎ出し」のカヤンバと、瓢箪子供を出すための徹夜のカヤンバという二本立てになっていた。

「嗅ぎ出し」のカヤンバについては別項で詳述するが、その事例もかねてこちらのカヤンバについての記述も行う。とはいえ、録音は冒頭部のハプニングのみ。フィールドノートの記述も簡潔だが、それは他の「嗅ぎ出し」と同じプロセスの描写を省略したせい。そちらは他の事例で示すことにする。

この項でのメインは、瓢箪子供の作成と、徹夜で行われた瓢箪子供の授与である。

調査日誌より

(from 調査日記より、写真はウェブ化に際して添付)76 Dec. 14, 1991, Sat, kpwisha

昼過ぎ、Murina、Chari、Tushe来る。全員でMahuhu氏の屋敷へ。屋敷では数人のatumia77が酒を飲んで屯しており、やたら絡んでくるので閉口した。Chai78とmukahe81をご馳走になり、すぐにkuzuza6の準備。
[屋敷の中庭に設置された「池」。ライカ7とシェラ62の草木を中心にしたヴオ4を満たした搗き臼。置いてあるのは「嗅ぎ出し(ku-zuza)」に用いる瓢箪子供たちと、キリャンゴナ(chiryangona82)。]

[出発前、「閉じの瓢箪」の薬を人々に塗ってやるチャリ。助手のトゥシェに念入りに塗ってあげている。この薬は「嗅ぎ出し」の危険から人々を護る。]
Chariはhangu dzuzi tsisikirato83 と言って気分悪そうにしている。しかしいざkuzuzaが始まると踊るような足取りでどんどん進み、ついて行く方ではときおり駆け出さねばならないほど。

[ほとんど駆け足に近いので、ついて行くのも大変]

[子供たちもついて来る。トゥシェも自分の瓢箪子供を抱えて、ついて行く(左)。どこまで行くの~。目的地はキラジニ川みたい。]
muho84ではMurinaとkayamba奏者二人、Tushe、Mwawayaを引き連れてざぶざぶ胸の辺りまで水に入って、実際に数回も潜ったりして大活躍。見ごたえはあった。


[肩に羽織っていたシェラの布をトゥシェに預けて、どんどん深みに向かって進むチャリさん]
さらにmuhoだけでは飽き足らず、人々がやっと家に帰れるかとほっとしていると、屋敷に通じる分かれ道を通り過ぎてどんどん進んでいく。半分くらいの人々はここで脱落してしまう。バオバブの木の根元の穴が目的地だった!
いやはや大変なkuzuzaだった。 Chariは気分は悪いがmaumivu85はないと、kuzuzaの成功に気をよくしている。水の中に蛇がいたとか、話題には事欠かない。また患者はずいぶん昔にchivuri5を奪われたに違いない。彼女のmwiri86の様子を見ればわかる、などとMurinaと話し合っている。 例によって夕食前にfungu87でもめる。というよりfunguの分配でもめる。210シル88のうち、呪医(Murina、Chari、Tusheの3人分)130シル、anamadzi8980シルという提示に、anamadziたち(kayamba96奏者たちで、Chari自身のanamadziはほんの数名)が文句をつける。anamadziは人数が多いのだから、対等に分割するべきだというのだ。Mwainzi98がてこずっているのと同じ問題。 fungu150シルを100と50に。その他にkadzama113はuchi114の代わりに呪医とanamadziそれぞれに20シル。mbuzi115、これも本物のmbuziではなく、4本足=二本足×2というわけでkuku116二羽。さらにkuku=maharagbwe117で、anamadzi分に関しては夕食の提供で相殺、残りの呪医分のkukuは現金20シルで。かくして合計210シルということになる。 funguを引いた残りの60シルを呪医とanamadziで二等分すると30シルずつ。funguの100と50にそれぞれ加えると、呪医の取り分130シル、anamadziの取り分80シルということになる。十分穏当な分配だと思うのだが、もめにもめ、結局呪医が110シル、anamadzi100シルという形で落ち着く。 kayamba開始はようやく10時過ぎてから。今回は私は完徹でつきあった。よく踊る、ただそれだけ。踊るというよりは発作のようなtrance状態(?)。
[憑依されて痙攣みたいに震えている女性を介抱するチャリたち。カヤンバ奏者たちはここぞとばかりにテンション上げて演奏。]
Chariは夕食中からずっとmwana wa ndonga118の用意をしている。私は途中からその様子を記録。瓢箪子供は0:30ようやく完成。Chariもkayambaの場に参加。それまではTusheがつかさどっていた。今晩のkayambaではChariのための歌は一切演奏されなかったし、Chari自身も一度もgolomokpwa124せず、また自ら先に立って歌いだすということもなかった。 明け方再びmulunguが演奏され、そのなかでmwana wa ndonga(chereko119)が患者に対して授与された。最後は例によってmudigo70とshera62で締めくくる。06:45終了。Chai78とmahamuri97を食べて、8時過ぎにはfunguの分配も終わり(Chariたちはfungu 300シルとkadzamaを要求していたのだが、支払われたのは200シル。ないと言われれば仕方ない。昨夜と同様、呪医とanamadziで110シルと90シルに分配。chariは自分の取り分の中からさらにTusheとMwawayaに特別に少し余分に分け与えていた。9:30帰宅。 (日記の記述、ここまで)

主な人物たち

患者(muwele): カッゾ(Kadzo) 施術師(muganga): チャリ(Chari wa Malau) 施術師助手(muteji): トゥシェ(Umazi wa Kumbo、3週間ほど前に施術師になる)、ムベユ(Mbeyu、同じくチャリのmutejiだが施術師にはなっていない) 施術師助手: ムリナ(Murina wa Chimera、チャリの夫) ソロ歌い手: ベニャンジェ(Benyanje、チャリのmwanamadziではないが、患者の親族) マワヤ(Mawaya、チャリの筆頭歌い手)

この日のカヤンバ実施の流れ

(以下、Dec. 14, 1991のフィールドノートを転記する)126

【kayamba ra kulavya mwana wa ndonga(chereko)】at Mahuhu's homestead

muganga: Chari muwele: Kadzo muteji: Tushe, Mbeyu

(1)kuzuza

(注: 写真は日記の方に貼りつけておきました)

14:40 小屋の中でkayamba開始。 mwarabu127から始める(ディゴ風128 患者、golomokpwa124 体を揺する mwanamulungu122129 一人の女性(患者の妹)が激しくgolomokpwa Chari、唱えごとをして静める チャリの唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 4544-4545)

15:30 katsimbakazi8 15:45 musambala130 15:56 laika7 15:55 Murina、外でchiryangonaの用意 peremende(白)131 mazu132 2 mahamuri97 2 mikahe81 ya ivu133 6

16:05 Chari、自らリードして "nasikira shenene kazi ya uganga..."134の歌 Chari、mwingo135を持って外に出てくる、患者は屋内に残る mwingoをchinu136のvuo4に漬け、それを使って頭からvuoをかぶる mwingoでchinuのvuoをあたりに振り撒く 再び小屋の中に戻る Chari、kuzagazwa137、laika7の演奏続く

16:10 Chari、すぐに踊りながら出てくる。 頭にmulunguのchiremba138を巻いている kufungira139のndonga(頸のところにmapande28がついている)のlulimi140 を嗅ぎながら、辺りを眺め回す仕草 (kufungiraの瓢箪)

16:20 再び小屋の中に入ると、今度はmangui141たちを連れて出てくる。 manguiたちの足の裏に、kufungira のndongaの液がついたlulimiを一人一人こすり付けていく。 そのままmaironi142に出発 キラジニ川とほぼ水の涸れたmutsara143の二ヶ所。 川の深みに入って、kuku116、chiryangona82を水の中に Chari、水の中にもぐる。 水底から泥や水蓮の根などを持ち帰る そのまま屋敷に帰るのかと思いきや、屋敷への分岐点を過ぎてどんどん進む バオバブの木の洞で、中の枯れ葉や土を採取
17:20 屋敷に帰り、muwele144が仰向けに寝て待っている小屋の周りを反時計回りに 二周。 後ろ向きに小屋に入る。 ku-udzira145 chivuri5 の施術146

(2)mwana wa ndongaの用意

20:30 夫と妻が瓢箪をkuhumbula147する。
まず夫が穴を開け、そして妻がそれを広げ、最後に夫が穴を完成させる。
mihi ya ukulume148 mutserere(Hoslundia opposita)150 mwerekera(unidentified) mihi ya ukuche152 muvumo(Premna chrysoclada)154 muvunzakondo(Allophylus rubifolius)155

4つのmihiはすべて、mapande28に(ニ片ずつ)「心臓 maroho」 夫婦で一粒ずつ交代で瓢箪のなかに入れる

21:30 ムウェレ夫婦、退出。 muvumo, mwerekera, muvunzakondo はチャリがkukuna156してmavumba27

0:30 mwana wa ndonga120 完成 完成した瓢箪子供に対する唱えごと ドゥルマ語テキスト(DB 4546-4549)

(3)kuchesa

徹夜のカヤンバ(kayamba ra kuchesa157)

22:30 カヤンバ開始158 Mawaya(弟)、結婚式のときのようにleso159をすっぽり被った行列 を先導し(taireni161をくりかえしつつ)小屋からmuweleをkayambaの 席に導く

Chariが mwana wa ndonga の制作にかかりっきりのため、kayambaはTusheが差配する Mwarabu127 mwanamulungu122 katsimbakazi8 musambala130 chiyugaaganga162 gasha164 ...このあたりでChariも合流(だが、あまりしゃしゃり出ない)。トゥシェに任せている。トゥシェ、意外と巧み。 dzuni bomu165 mwavitswa167 tsovya43 nyari57 jamba168 zikili169....激しくgolomokpwa jine bahari170 etc.(イスラム系の霊たち)
03:00 makoloutsiku171

03:40 kayamba再開 pungahewa172 mudigo70 masai173 muduruma110 laika7 mukusi45
05:20 mwanamulungu Murina、Chari、患者夫婦を白い布ですっぽり覆い TusheとMbeyuがその布の端をもち、その中で患者夫婦に mwana が授けられる 患者、ndonga121を布でくるみ、それを抱いてひとしきり踊る
父に渡し、父もそれを抱いて踊り、ndongaをvuo4で洗う 父、兄弟にこれがお前の孫だ、お前の息子だと教えるのだという。 lola anangu176 の演奏の中、小屋まで進み、ベッドの上に ndongaを置く。 小屋の中から、先日生まれた本物の自分の子供を抱いて現れる。 kayambaの演奏の中、子供をvuoで洗う。 最後に、例によって mudigo shera でおおいに盛り上がり、kayamba終了。 06:45 Chariのmakokoteriでngomaを閉じる。

一連のmakokoteriは録音。とくにchereko制作の手順に関するもの。 (DB 4544-4549)

この日のカヤンバについてのコメント

kuzuzaについて

Chariはmuhoでkuzuzaしたおりに、水中に大蛇を見たという。最初は丸太かと思ったのだが、大蛇だった。Murinaは足で踏みつけてしまったという。Tushe も確かに見たという。 kufungiraのndongaで治療していたので、危害はおよばなかった。 こちらを向いて口をあけていたとか。本当はただの水中の朽木じゃないのかな? 帰り道で Chariとヤシ酒 Chariは昔は、随分uchi114を飲んでいた。すでにmuchenzala177は生まれていた。 子供を産む前は、夫(前夫)から酒を禁じられていた。夫は酒を飲むと子供が生まれないと嘘をついた。夫は酒が嫌いで、酒を飲んだ人が家に入ろうとしただけで追い払ったりした。

病気の治療にMurinaが来て、kokotera179し、酒を飲むなと言ったのでやめた。イスラム系の憑依霊。marashi183でkuoshwa184される治療。

Murinaによるとしかし、Chariが酒をやめる前は、Chariは健康そのものだった。現在まで続いているこの病気は、酒をやめた後で始まった。Murinaによると、Chariにはすでに酒好きなDena56、Muduruma110、digozee58などが憑いており、後からイスラム系の霊がやってきたが、akala kaana nafasi186 だった。すでにいる酒好きの霊と、イスラム系の霊がapigana[kupigana_here] これが病気の原因。 jumma185とkayamba 今回のkayambaはkpwisha187に開かれ、明けてjumaであったため、Chariは朝6時頃までにngomaを終了させるよう、前もって指示していた。今日のngomaが早く終了したのはそのため。

(フィールドノートからの転記、ここまで)

まとめ:瓢箪子供とは何なのか

瓢箪子供とは、いったい何なのか?瓢箪で作った人形?それを人が自分の子供として受け取る?いや、それはイスラム系を除く全ての憑依霊の母ムルングが、欲しがった自分の子供?そして今や、この子供のムルングが、ほぼ同時に生を受けた人間の子供の成長を助け、さらに多くの出産を可能にしてくれる?壮大なお人形さんゴッコ?

おまけに、この瓢箪の子供を受け取ることは、夫婦にさまざまな行動の制約を強いることになる。まず第一に、夫婦のどちらも浮気ができない。浮気をすると、瓢箪の子供は泣き(なんと瓢箪の口から自然に、中身が溢れ出てくるのだ!)、外で性交をして帰宅した者が、触れるだけで壊れてしまう。再度、作り直して、またカヤンバを開いて受け取り直さなければ、妻はまたまた妊娠・出産を封じられてしまうばかりか、最悪、生まれてきた子供も死んでしまうかもしれない。

実は、他にもいろいろある。例えば近親者に死なれると、瓢箪の子供は(そして女性に憑いているムルングは)その事態を理解できず、宿主の人間が嘆き悲しんでいるのを見て、なんと自分が嫌われていると思うのだそうだ。そして怒って宿主を病気にしてしまう。あるいは日が経っても親族の死を嘆き悲しみ続け、日常生活に復帰できない。となると、カヤンバ・ラ・ポーレ(kayamba ra pore「お悔やみのカヤンバ」と訳したことがある)を開いて、ムルング(瓢箪子供)に「何が起こったのか」をきちんと説明し、納得してもらわなければならない。そう、人知を超えた情報に通じているはずの憑依霊たちは、人間の世界の事情にはめちゃくちゃ疎い連中なのだ。

こうして憑依霊と仲良く生きていくことを選んだ(強いられた)結果、人生、めちゃめちゃややこしくなってしまうのだ。

それでも、ムルングに目をつけられて、封印されてしまった出産力を、再び「とき解いて」もらい、人間としての多産を取り戻すためには、やむを得ないこと。多産はそれほどにも尊いものなのである。

瓢箪子供を作り終えた後のチャリの唱えごとも興味深い。なんども、もう単なる瓢箪ではない。瓢箪子供なのだと繰り返している。本当に、ただの瓢箪ではなくなったのか。ムルングの子供になったのか。見た目ではそう違いはない。おとぎ話のように、突然の閃光が!とか、煙が!とか、変化の印があったわけではない。でも正しいやり方で作ったのだから、瓢箪子供になったはずだ。そう何度も自分に言い聞かせているようにも見える。 でも、それは明け方にまずわかるはずだ。ムルングの歌が打たれ、憑依されたカゾさん=ムルングがそれを喜んで受け入れてくれれば!

人形ごっこなどと、茶化してはいけない。人の運命を左右する「変容」がかかった大真面目な実践なのだ。

私がはるか昔に書いた論考浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22は、訳語も今から見ると変だし、ちょっと論拠の乏しい議論も含まれていたりするのだが、基本的には、瓢箪子供なるものがいったい何であるのかについては、そこでの分析に、今でも付け加えるべきものはあまりない。しかもその論考で、データとして最も多用しているのは、まさにここで紹介したカヤンバの事例なのだ。

というわけで、この論文を、この事例についての一応の結論に代えておきたい。同じ唱えごとの翻訳の違い(当時よりも文法的にはより正確な訳になっていると思います)を検討するのも一興。

唱えごとの日本語訳

(各段落の冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語テキストに飛びます)

場違いに憑依した女性に対する唱えごと 4544 (14:40 ムウェレの女性(Kadzo)を囲んで、カヤンバは屋内で始まる。)

Benyanje(Mahuhu側の主歌い手(B)): 先頭は188... Woman(W): 間違った人、報告して。 B: 誰(どの憑依霊)が先頭か、ってこと。リーダーは何子神?規則にのっとって、最初にその歌から始める人(憑依霊)のことだよ。 W: (ムウェレ)が恥ずかしがらないように。もし言いたいことがあったら、言って。この屋敷の長老は自分でお金の工面に出かけちゃったわ。 B: 彼女のために憑依霊アラブ人でンゴマを始めてあげよう。彼女がしっかり感じるようにね。あとの方でね。 (カヤンバ演奏開始。すぐに一人の女性が激しい憑依状態に陥る。ムウェレではない女性。チャリが彼女(霊)の説得をする) Chari: こうして今、私たちがお話するとすれば、それはこの娘のためにお話するのです。娘は憑依状態になりました(yugolomokpwa)。それも、自分の姉のンゴマでです。さて、おだやかに、私たちはお祈りいたします。北の皆さまに、南の皆さまに、東の、そして西の皆さまに。ブグブグ(bugubugu189)の方々に、ニェンゼ190の小池の方々に。 おだやかに、マンゲラ(mangera「鷺」)の池の方々にもおだやかにと申し上げます。ウヴンヴニ(uvumvuni191)の方々にも、おだやかにと申し上げます。チャキチャキ(Chakichaki192地名)の皆さま、おだやかに。私はまた、おだやかにと申し上げます。子神ドゥガ(mwanaduga)、子神トロ(mwanatoro)、子神マユンギ(mwanamayungi)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga)、キンビカヤ(chimbikaya)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。 子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera「養育する者」)、ムルングジ(mulunguzi)、そしていっしょにおられる子神サンバラ人(mwana musambala)。 でも、私がお話しするとすれば、あなたムルング子神とお話しします。あなたこそ砦の主なのです。もしかしたら、お客人たちもいらっしゃるのかもしれません。私はその方々を存じ上げません。ムルング子神、ペーポー子神(mwana p'ep'o193)、バラワ人(mubarawa198)、サンズア(sanzua199)、ブルシ(bulushi203)、ムクヮビ人(mukpwaphi204)、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi8 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma205 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)、ガラ人(mugala211)、ダハロ人(mudahalo212)、コロンゴ人(mukorongo213)、コロメア人(mukoromea215)、ドゥングマレ(dungumale39)、ジム(zimu218)、キズカ(chizuka219)、スンドゥジ(sunduzi208)、ドエ人(mudoe209)。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao220)。あなた奴隷(mutumwa221)、またの名をンギンドゥ人(mungindo214)。

4545

Chari: 私は皆さまにおだやかにと申します、私の兄弟たちよ。あなたデナ(Dena56)とニャリ(nyari57)、キユガアガンガ(chiyuga aganga162)、ルキ(luki163)、ムビリキモ(mbilichimo59)、カレ(kare222)とガーシャ(gasha164)。あなたレロニレロ(rero ni rero61)、マンダーノ(mandano60)、あなたプンガヘワ子神(mwana pungahewa172)。皆さま方にお静まりくださいと申します。 あなたディゴ人(mudigo70)、あなたイキリク(ichiliku6562)も一緒にいらっしゃいます。あなた方にお静まりくださいと申します。 あなたジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai174)もおられます。あなたゴロゴシ(gologoshi223)、またの名をンガイ(ngai224)もおられます。ンガイ、またの名をカンバ人(mukamba225)。カヴィロンド人(mukavirondo217)、マウィヤ人(mawiya36)、ナンディ人(munandi216)、マニェマ人(mumanyema226)。どうかおだやかに。 どうかおだやかに。あなたアラブ人(mwarabu127)、あなたロハニ(rohani227)もおられます。あなたスディアニ導師(mwalimu sudiani24)もおられます。メッカのスディアニ、メッカの巡礼者(zurura maka)、メッカのジャバレ(jabale maka103)。あなた方にお静まりくださいと申し上げます。そして「お静まりください」の言葉は聞き届けられるものです。あなたペンバ人(mupemba108)。 皆さん全員、どうか収まってください228。眠って夜が明けると、あなた方がこの者の身体をすっかり壊してしまっている、というのは、なしです。私が欲しているのは、つつがなきことです。そしてこうして彼女のところにお出でになったからには、彼女にンゴマを踊らせてください。彼女の姉のためのンゴマです。姉と一緒に満足するまで踊ること。でも、こんな風に身体を震わせて(痙攣させて)、夜が明けたら身体じゅうが壊れている、というのは、なしです。どうか皆さま方、私たちは皆さま方の足元に身を投げ出しております。争いごとはございません。さあ。

完成した瓢箪子供に対する唱えごと 4546

Chari: さて、私はお話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。私がお話するとすれば、それはあなた瓢箪子供とお話するのです。 あなた、瓢箪子供(mwana wa ndonga)。そうあなたは瓢箪(chirenje229)だと言われます。あなたは瓢箪です。でもあなたが瓢箪であったのは一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)です。今は、そう、私はあなたを子供として置きました。カゾ(Kadzo)がいて、彼女は瓢箪子供を必要とされていると言われたのです。彼女が瓢箪子供を必要とされていると言われた際に、私たちはンゴマ(の開催)を約束しました。まず私たちは、あなた瓢箪子供の鍋(nyungu1)を設置いたしました。そして今、(約束の)ンゴマは今日です。あなた瓢箪子供を差し出すンゴマです。 あなたは、(植物の)瓢箪(murenje)の実になった瓢箪(ndonga)でした。あなたは瓢箪(murenje)から生まれました。そして瓢箪(ndonga)になりました。あ、あなたは瓢箪(chirenje)になりました、あなたは。今日、私はあなたに心臓(moyo230)をお入れしました。私はあなたに血(mulatso)もお入れしました。ヒマの油(mafuha ga nyono123)です。心臓はマパンデ(mapande28)です。 そして今、私はあなたをカゾに与えると宣言しました。あなたは彼女、カゾのために子供を育ててあげてください。昼も夜も。

4547

Chari: 子供が激しい激しい熱病に捕らえられることは、なしです。もしあなたが瓢箪子供であるならば。 こうして今日、私はあなたをカゾに与えます。彼女が瓢箪子供を必要とされていると言われることは、二度となしです。瓢箪子供は、そう、この子です。そして、こうして今日、そう私はあなたを、ひとつの心をもって差し出します。これはもう二度と瓢箪(chirenje)ではありません。そうチェレコ(chereko119)の瓢箪(ndonga)になったのです。この子は、瓢箪子供(mwana wa ndonga)と呼ばれます。この子は相方の子供(カゾの実の子供)、自分の足で歩く子どもと、いつもいっしょです。 そう、この子、この子が褒め称えられるようにと、カゾがたくさんの子供たちをこの子とともに背中に負うことになるようにと、彼女が閉経し出産しなくなるまでそんな風にあれと、私は宣言いたします。もしあなたが瓢箪子供であるのなら。 私はあなたムルング子神を盗んではおりません。盗みませんでした。私はあなたをバンジュ・ワ・ムレマによって与えられました。それも上首尾に。私は(施術上の)父、バンジュ・ワ・ムレマによって与えられました。それもとても首尾よく、一つの心で。

4548

Chari: 思いますに、私がムァバンジュさんに与えられたその子は、この瞬間、私がここでお話しているこの時に至るまで、まだ壊れておりません。それをとても上首尾に与えてもらったからです。そして今、お父さんに与えられたような仕方で、今も私が人々に与えているその仕方で子供を差し出せば、そう、私も褒め称えられますように。施術師は、ノーと言われるべきではありません。施術師はその通り(taire)と言われるべきです。 その後、私はあなたをフピ・ワ・ンゴメとマシュディ・ワ・マンガーレによって与えられました、あなたムルングの瓢箪子供を。そして、もし困難に遭って瓢箪子供を必要とされている人に会ったら、お前もその人に与えておあげなさいと言われたのです。 私はあなたを盗んではおりません。私はニャマウィ・ワ・マゴンゴからもあなたムルング子神を与えられました。私はあなたを盗んではおりません。私は、あなたムルング子神を、チャイとキジからも与えられました。あなたムルング子神、私はあなたを盗んではおりません。私はあなたを、ムァインジとその妻アンザジからも与えられました。思いますに、その数は5人の父と5人の母に達しています。だから10人です。

4549

Chari: でも、癒しの術(uganga)について言えば、私はそれを祖霊とムルング自身から与えられたのです。私は自分で(憑依霊たちに)呼びかけておりましたし、自分で草木を採取しており、(正式に)癒しの術を与えられるに至ったときも、すでに癒やし手だったのです。なぜなら、占い(mburuga)も、まだ私が「外に出される」前から、すでに打ち始めていたんですよ。自分ひとりで、占いを打っていたのです。それどころか、道端でたまたま見かけた病人に、(その人の病気について)話してあげちゃっていたほどです。 さて、今日、私はカゾにこの子を与えます。そしてこの子について、何か間違っていたとか、なんとか、言われることがありませんように。私の見たところ、うまく行っています。今や、これはもはや瓢箪(chirenje)ではありません。この子はちゃんとした子供です。そう、瓢箪(ndonga)の。この子は血を手に入れました。この子は心も手に入れました。今、私はつつがなきことを欲します。 本当に、これで終わり。 Hamamoto: この子は夜が明けたら与えられるのですか? C: そう午前4時頃ね。

注釈


1 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza2、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
2 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya3)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu1)とセットで設置される。
3 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo4)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza2)と呼ばれるが)。
4 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
5 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza6と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
6 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri5)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika7)やシェラ(shera62)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri5)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza75)を施され、ンガタ30を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
7 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi8)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka9) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri5)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi10など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo44,laika mukusi45など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe46, laika ra nyoka46, laika chifofo49など。(4) その他 laika dondo50, laika chiwete51=laika gudu52), laika mbawa53, laika tsulu54, laika makumba55=dena56など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze2)で薬液を浴びる、護符(ngata30)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza6)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
8 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
9 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
10 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni11)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
11 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu12」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
12 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ11)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola13)の対象となる。
13 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini14」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa1516と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume23)、カドゥメ(kadume35)、マウィヤ人(Mawiya36)、ドゥングマレ(dungumale39)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga40)、トゥヌシ(tunusi41)、ツォビャ(tsovya43)、ゴジャマ(gojama38)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu12」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」11)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
14 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola13)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
15 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa16)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola13)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち19)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba22)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu12)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni11)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini14)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
16 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」17など)を行うことなどを意味する。
17 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ18などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
18 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ17」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
19 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo20)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
20 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso21)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine19)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
21 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
22 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume23)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani24)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
23 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola13)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
24 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」25による鍋(nyungu1)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe34)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu31)。
25 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術26においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba27)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande28)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu1)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
26 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
27 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
28 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符29。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
29 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata30)、パンデ(pande28)、ピング(pingu31)、ヒリジ(hirizi32)、ヒンジマ(hinzima33)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
30 ンガタ(ngata)。護符29の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
31 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符29の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
32 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima33)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
33 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi32)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
34 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
35 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
36 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde37)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama38)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
37 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
38 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola13)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
39 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola13の対象になる)16。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
40 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
41 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine19)の一種という説と、ニューニ(nyuni11)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ42らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola13)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
42 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
43 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ11の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola13)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa16」。see p'ep'o mulume23, kadume35
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
44 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
45 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
46 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira47)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka48)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
47 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
48 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
49 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
50 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi8)の別名ともいう。
51 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
52 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
53 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
54 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
55 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena56)の別名。
56 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari57)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande28)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
57 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)6」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena56が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee58)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande28には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
58 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo59)マンダーノ(mandano60)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
59 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
60 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ61とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ62の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
61 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera62)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza6)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)63」、「外に出す(ku-lavya konze74)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
62 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)6、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす63)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku65)、おしゃべり女(chibarabando66)、重荷の女(muchet'u wa mizigo67)、気狂い女(muchet'u wa k'oma68)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma69)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo71、長い髪女(mwadiwa72)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba73)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
63 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo64)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
64 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
65 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera62)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
66 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera62の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
67 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ62の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
68 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ62の別名ともいう。
69 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera62)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo70))の別名ともされる。
70 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
71 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ62の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo70)の女性であるともいう。
72 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
73 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
74 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
75 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
76 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
77 ムトゥミア(mutumia, pl.atumia)。「長老」と訳すが、結婚した者はmutumiaであるので、必ずしも高齢者を意味する言葉ではない。
78 チャイ(chai)。「お茶、紅茶」ミルクティは chai cha maziya79。ミルク抜きは chai cha rangi80「色のついた茶」
79 マジヤ(maziya)。「ミルク」。
80 ランギ(rangi)。「色」。rangi ya kundu「赤の色」etc.ミルクの入っていない紅茶もランギと呼ばれる。
81 ムカヘ(mukahe, pl.mikahe)。パン。ケーキ。
82 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。
83 「先日から体調が悪い」
84 ムホ(muho, pl. myuho)。「川」。1989年以降の調査の小屋があった「ジャコウネコの池」地区では最寄りの川は、土地の人々がキラジニ川(Chirazini)と呼んでいたペンバ川である。塩分を少し含んでいて灌漑には使えない。飲水は溜池(mutsara)だったが、クワレとキナンゴを結ぶ街道にそってキナンゴ病院に水を送る水道管が走っていたので、街道に近い人々は、本管にそって点在する蛇口で飲用の水道水を購入できた。ただ朝夕30分程度しか水は出なかったが。
85 マウミヴ(maumivu, -gaga)。「痛み」
86 ムウィリ(mwiri, pl. miiri)。「身体」。
87 フング(fungu)。施術師に払う料金
88 この年は1ケニア・シリングは日本円で5円~7円の感じだった。
89 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba73)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)90や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)92ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo4)や鍋(nyungu1)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)9396に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ97)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
90 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」91を参照されたい。
91 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba73)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)90や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)92ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
92 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」91を参照されたい。
93 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri94)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira95)」と呼ばれることもある。
94 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
95 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ96の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(93)、カヤンバ(96)と同じ意味で用いられる。
96 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti94)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira95)」と呼ばれることもある。
97 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
98 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi99)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari102)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)63」とライカ(laika7)およびシェラ(Shera62)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師104を「外に出し」てもらうことになる。
99 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(98)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana100, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
100 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)101」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
101 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
102 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師103などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze74を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba108)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)104」とドゥルマ人(muduruma110)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri5)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza6)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
103 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia104)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
104 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師105。内陸bara系106であると同時に海岸pwani系22であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」107)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
105 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia104)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
106 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
107 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia104)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
108 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba109)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」34、香料27と海岸部の草木25の鍋1。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
109 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
110 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性111)、カシディ(kasidi 女性112)、ディゴゼー(digozee 男性老人58)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
111 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma110)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
112 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma110)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
113 カザマkadzama。本来はヤシ酒を入れる大型の瓢箪製の容器を指す。しかし「ヤギとカザマ mbuzi na kadzama」は、長老からアドバイスを受けるとか、他のクランの所有する土地に一時的に小屋を立てる許しを得る、父の呪詛(mufundo)の解除を願うなど、さまざまな機会に差し出す課金を表す表現になっており、もちろん文字通り(昔ながらのやり方で)本物のヤギとヤシ酒を差し出してもよいのだが、本物を出せという明確な指示がない限り、金銭に換算して支払われるのが普通である。カヤンバ奏者たちが要求する際には、わざわざ酒のカザマ2つとお金のカザマ2つなどという形で要求する。いくらになるかは交渉次第だが、お金のカザマに関しては私の調査期間中は20シリングと相場が決まっていた。当然酒の方が高くつく。
114 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
115 ムブジ(mbuzi)。「ヤギ」。 ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊
116 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' カタグロトビのような模様の毛色(白、黒、灰色)の鶏など。
117 ハラグェ(haragbwe, pl. maharagbwe)。「豆」とくにインゲンマメ。ココナツミルクといっしょに煮たものは日常のおかずのひとつ。
118 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。特定の憑依霊についての施術師は、その就任に際して瓢箪を授与される。複数の霊が単一の瓢箪を共有する場合もある。瓢箪をもたない霊(特にイスラム系の霊)もある。1992年の時点でチャリが持っている憑依霊の瓢箪子供は、mulungu(musambala, chitsimbakazi)、muduruma、mwalimu dunia(jinja, kalimanjaro)、shera(laika, mudigo)、dena(nyari)だった。なお、施術師がもつ瓢箪子供とは別に、不妊問題をもつ女性に与えられるchereko119と呼ばれる瓢箪子供もある。
119 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供120。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神122がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande28)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料27)、血(ヒマ油123)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
120 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供119がある。瓢箪子供の各部の名称については、図121を参照。
121 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
122 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza2)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる120。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている119。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
123 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
124 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka125)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
125 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
126 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。
127 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
128 カヤンバの曲はドゥルマ地域では通常一連のムルングの曲から始まり、その後憑依霊アラブ人の歌が演奏される。しかしイスラム化したディゴ地域では、ムルングの前に憑依霊アラブ人の歌を演奏するという逆転が見られる。ドゥルマでも住民の希望でディゴ風の演奏順が採用される場合がある。
129 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)122との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
130 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
131 ペレメンデ(peremende, pl.maperemende)。スワヒリ語で(ドゥルマ語でも)「飴、キャンディ」、とくに「ハッカ飴。ペパーミント。」英語の peppermint より。いくつかの憑依霊の治療でも用いられる。
132 イズ(izu, pl.mazu)。「バナナの実」バナナの木はムゴンバ(mugomba)。
133 イヴ(ivu, riri-)。「灰」。
134 チャリの持ち霊の一つジンジャ導師の歌。占いの際にも歌われる。
135 ムィンゴ(mwingo)。施術師が「嗅ぎ出し」ku-zuzaなどで使用する短い柄の蝿追いハタキ(fly-whisk)。

「嗅ぎ出し」で右手に蝿追いハタキをもって水の中を進む施術師
136 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
137 チャリがカヤンバの演奏の中心に座らされて、彼女に対してカヤンバが打たれた。
138 キレンバ(chiremba)。「ターバン」。(ス =kilemba)。「ターバンを身に着けさせる」は資格を認定するという意味。
139 ク・フンガ(ku-funga)。「縛る、封印する、封じる、閉じる、結ぶ」などの意味の動詞。施術の文脈では、憑依霊や妖術によって縛られる状態を指す。この動詞の prepositional formであるク・フンギラ(ku-fungira)は悪いことが起こらないように防御するの意味ももつ。ク・フィニャ(ku-finya)「覆う、(目などを)閉じる」もku-fungiraと同じような意味で用いられる。
140 ルリミ(lulimi)。「舌」を意味する名詞。ndonga(瓢箪)の栓の瓢箪内部に入っている部分もlulimi舌と呼ばれる。瓢箪子供の各部の名称については図121を見よ。
141 ングイ(ngui pl. mangui)。カヤンバやンゴマにおける歌い手。特にリードヴォーカル。即興で自ら作詞作曲、アレンジも行う。ンゴマを首尾よく主宰するうえで重要な役割を果たす。
142 マイロ(mairo -gaga)。名詞として「速いこと、高速」。形容詞、副詞として「速い」「速く、高速に」。憑依の文脈では、「嗅ぎ出しku-zuza」の施術において、施術師が奪われたキブリを探しながら早足で(ほとんど走るように)人々を先導していく過程を、マイロニ(maironi)という言葉で表現する。
143 ムツァラ(mutsara, pl.mitsara)。池、とくに生活用水を確保するために掘った溜池。
144 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)91であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
145 ク・ウザ(ku-udza)。「返す、戻す」。prepositional formはク・ウジラ(ku-udzira)
146 クウザ・キブリ(ku-udza145 chivuri)。「嗅ぎ出し(kuzuza)」の施術において、キブリを取り戻し、マイロニ(maironi142)から屋敷に戻った施術師は、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている(あるいは茣蓙の上に脚を投げ出して座っている)患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。
147 ク・ジタ(ku-jita)。「料理する」「煮る」「煎じる」
148 ムヒ・ワ・ウクルメ(muhi wa ukulume, pl. mihi ya ukulume)。「父系クランの草木25」。患者に瓢箪子供が与えられる際に、中に入れる「心臓」となる木片は、患者の父系クランと母系クランの人間から、ぞれぞれ提供されねばならない。父系クラン149の人間(通常は患者の父など)が提供する草木をムヒ・ワ・ウクルメと呼ぶ。
149 ウクルメ(ukulume)。父系クラン。母系クランは、ウクーチェ(ukuche)。ドゥルマはミジケンダの9グループのなかで、隣接するラバイと並んで二重単系出自のシステムをもつ。
150 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo151)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni11と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
151 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
152 ムヒ・ワ・ウクーチェ(muhi wa ukuche, pl. mihi ya ukuche)。「母系クランの草木25」。患者に瓢箪子供が与えられる際に、中に入れる「心臓」となる木片は、患者の父系クランと母系クランの人間から、ぞれぞれ提供されねばならない。母系クラン153の人間(通常は患者の母の兄弟など)が提供する草木をムヒ・ワ・ウクーチェと呼ぶ。
153 ウクーチェ(ukuche)。母系クラン。父系クランは、ウクルメ(ukulume)。ドゥルマはミジケンダの9グループのなかで、隣接するラバイと並んで二重単系出自のシステムをもつ。
154 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ11と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo151の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
155 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
156 ク・クナ(ku-kuna)。「引っ掻く、削り取る、こすり取る」
157 ク・チェサ(ku-chesa)。「徹夜する、夜を徹しておこなう、寝ないでいる」
158 以下の記述において列挙されているのは、演奏されている憑依霊の名前である。それぞれの憑依霊について数曲ずつ演奏されていく
159 レソ(leso pl.maleso)。女性が腰巻きにしたり羽織ったりするプリント柄の一枚布。ポルトガル語に由来するスワヒリ語。スワヒリ語のカンガ(kanga, pl.kanga)に同じ。詳しくはカンガ160を参照のこと。
160 カンガ(kanga, pl.kanga)。レソ(leso159, pl.maleso)。cotton cloth wrapperとも。今日の海岸部の女性たちに愛用されている布で、110cmX160cmの長方形のデザインで下部にスワヒリ語の諺や格言が書かれている。同じデザインのものが2つつながった一枚布として売られており、ゴラ(gora)一つ、ゴラ二つと数える。購入した人はミシン職人にそれを2枚に裁断し、かがり縫いをしてもらう。ワンピースのような薄手のドレスの上に、カンガを巻くが、一枚は腰に巻き、もう一枚は上半身に纏う。ドゥルマの女性たちは茶色と黄色が中心のデザインを好むが、若い女性たちは緑や青その他の色彩のものも喜ぶ。女性たちのお土産に最適。
161 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
162 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki163)、キツィンバカジ(chitsimbakazi8)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか、カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
163 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ56、ニャリ57、ムビリキモ59などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika7)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
164 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。チャリの唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena56)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari57)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga162)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。施術師によっては、ガーシャをディゴ系の憑依霊だとし、rero ni reroやmandanoを同じグループに入れる人もいる。
165 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui166)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni11)」、「上の霊(nyama a dzulu12)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola13)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
166 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu12)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola13)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa15)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni165)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
167 ムヮヴィツワ(mwavitswa)。憑依霊の一種。ヴィツワ(vitswa)は名詞キツワ(chitswa,「頭」を意味する)の複数形であるが、「気狂い」の意味になる。「気狂いである」は字義通りには「ヴィツワをもっている」という意味の句 kukala na vitswa で表現する。ムァヴィツワに憑依されると、人は友人たちと意見を同じにすることができなくなったり、友人の丁寧な物言いに対して、悪罵で答えたり、卑猥な表現を叫んだりする(ku-hakana)。要求は、白い布(赤い線が刺繍されているもの)。
168 ジャンバ(jamba)。ジャンバ導師(mwalimu jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿34、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
169 ジキリ(zikiri)。イスラム系憑依霊のグループの一つ。イスラムの神を称える踊りや祈祷を意味するスワヒリ語 dhikiri より。zikiri maiti, zikiri maulana, zikiri nabisi(nabii=「預言者」の誤りか), zikiri labi(nabiiの間違いか), zikiri maulanaなど。
170 ジネ・バハリ(jine bahari)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。直訳すれば「海のジン」。男性。杖(mukpwaju)を要求。
171 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウツィク(makoloutsiku)、マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
172 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
173 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai174 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande28)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka175)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
174 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
175 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
176 ムルングの歌の一つ。歌詞
177 ムチェンザラ(muchenzala)。チャリの存命している2人の子供のうち年少の娘。ムチェ(muche)は「女性」、ンザラ(nzala)は「飢饉、飢餓」の意。彼女の姉はタブ(Tabu178)。
178 タブ(Tabu)。施術師チャリの長女。タブ(tabu)はドゥルマ語で「困難、難儀」を意味する。チャリの下の娘はムチェンザラ(Muchenzala)。ドゥルマ語で「飢餓の女」を意味する。
179 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma180)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
180 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi181)で「唱えごと」の意。。
181 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri182)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
182 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 179」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma180)から派生したマルミ(marumi181)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
183 マラシ(marashi)。スワヒリ語で「香水」、ドゥルマではもっぱらローズウォーターのこと。ローズウォーターは化粧水などの目的で使用されるもので、市販されている。このあたりではもっぱらkombe34治療などの目的で使われている。ンゴマの席などで、イスラム系の憑依霊は、これをガブ飲みしてはゲップする。彼らの好物である。
184 コシュワ(ku-oshwa)。スワヒリ語ク・オシャ(ku-osha)の受動態 ku-oshwa。憑依の文脈では、清潔好きのイスラム系の霊に対する「治療」の一つとしての、香水入りの水(ローズウォーター)で「洗い清める」施術。
185 ジュマ(jumaまたはjumma, pl.majuma)。「週」「4日間からなる週の最終日」。この日は一切の農作業をしてはならないとされてきた。また施術師もこの日は施術は行わない。詳しくはドゥルマの月日の数え方
186 チャリの身体の中には他の憑依霊たちを受け入れる余地はなかった。
187 クィシャ(kpwisha)。ドゥルマの4日で一周する週の第三日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは、各自、自分のもつ畑(koho)で耕すことができた。その産物は市の立つ日に売って、自分の自由になるお金となった。またかつてはこの日の夕方から地域の若者男女はダンス場(chiphalo)に集まって、踊りを楽しんだ。詳しくはドゥルマの月日の数え方
188 スワヒリ語のムェニェキティ(mwenyekiti)より。「議長」という意味だが、ドゥルマでは「筆頭者、リーダー」という意味合いで用いられている。
189 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
190 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
191 ウヴンヴニ(uvumvuni)。不明。文脈からは地名である可能性。ただしドゥルマ語でuvumvuは「孤独」「寂しさ」の意味。
192 チャキチャキ(またはチャケチャケ Chakichaki, Chakechake)。ザンジバルのペンバ島の中心の町。
193 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani194もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞195)という言葉が最も一般的に用いられる。
194 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
195 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o193)、シェターニ(shetani194スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini14)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa15)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola13)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani196)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba22)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara197)」の2つに分ける区別もある。
196 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba22)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
197 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
198 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
199 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga200)
200 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua199)、別名(?)ピーニ(pini201)が必要とする道具の一つ。
201 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua199の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera202)」の技も与えてくれる。
202 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
203 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
204 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
205 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu129)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma206)、ムブァツァ(muphatsa207)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata30)やピング(pingu31)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi208)やムドエ(mudoe209)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
206 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa207)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
207 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma206としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
208 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
209 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu31)は、ムドエの草木(特にmudzala210)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
210 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma110)、憑依霊ドエ人(mudoe209)の草木。
211 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
212 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
213 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人214の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
214 ムンギンドゥ(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
215 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、ナンディ人216の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
216 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea215、mukavirondo217はいずれもナンディ人の別名であるという。
217 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
218 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
219 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola13)の対象となることもある。
220 ムリマ・ンガオ(murima ngao)。民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
221 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)214の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi99)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
222 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
223 ゴロゴシ(gologoshi)。憑依霊カンバ人の女性の別名。
224 ンガイ(ngai)。憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
225 ムカンバ(mukamba)。民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai224)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ224を参照のこと。
226 ムマニェマ(mumanyema)。民族名の憑依霊、マニェマ人(Manyema)。アフリカ東部と中央アフリカのアフリカ大湖地域のバントゥーで、19世紀にはスワヒリ・アラブの隊商のポーター、傭兵、商人として大湖地域と海岸部を広域に活動した。施術師の中には、憑依霊ムマニェマ(mumanyema)を憑依霊カンバ人やゴロゴシの別名とする者もいる。唱えごとの中で名前を挙げられるのみで憑依霊としての具体的な特性などははっきりしない。
227 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
228 ク・ディギリカ(ku-digirika)。「(痛みが)引く、(痛みが)おさまる」など病気の症状がやわらぐことを指す動詞。そのcausativeク・ディギリサ(ku-digirisa)は、「(症状などを)おさめる、緩和する」を意味する。
229 キレンジェ(chirenje)。瓢箪の実、瓢箪で作られた容器。瓢箪を含むウリ科の植物はムレンジェ(murenje)と総称されるが、その実についてはそれぞれ別の言葉がある。瓢箪はキレンジェ。なお施術師が用いる治療のための瓢箪にはンドンガ(ndonga)という特別な名前が与えられている。
230 モヨ(moyo, pl. mioyo)。「心」「心臓」。興味深いことに瓢箪や、カボチャのなかの種もmioyo(moyoの複数形)と呼ばれる。