ベキジ(Bechizi)の屋敷でのカヤンバ

概要

1991年9月、1年5ヶ月ぶりにドゥルマに戻った私が最初に参加したカヤンバ。まだ挨拶回りも済まず、フィールドで生活を再開する準備も終わっていない段階でのいきなり徹夜であった。幸い、なにか問題がある深刻なカヤンバではなく、憑依霊に約束を果たすためだけの楽しいカヤンバだった。

ムエレ(muwele1)つまり患者は屋敷の主であるベキジ氏の妻で、かつて消化器系の病気で占いによって、その主原因が憑依霊ドゥルマ人6であることがわかり、ドゥルマ人はカヤンバの開催を求めていたのだが、チャリは、ドゥルマ人の鍋の差し出しと湯気浴び、それと煎じ薬(憑依霊ドゥルマ人の草木による)を提供した。その際、例のごとく、唱えごとではもし本当にドゥルマ人のせいであったのなら、まずは患者を回復させて欲しい、そうしたらンゴマ(カヤンバ)を開くからと約束した。やがて患者は健康を取り戻したが、カヤンバの約束はそう簡単に果たせない。ずっと(数年間)先送りされてきたのだが、早く開きたいという彼女自身の希望もあり、ついに息子たちによってカヤンバを開く資金が提供されたため、この日のカヤンバとなった。

私はいきなりの当日参加だったのでその仔細は不明だが、この日のカヤンバに先立っては、ドゥルマ人の12日間の鍋が終わっているということである。

憑依霊ドゥルマ人との約束のカヤンバではあるが、すべての霊が招待されている。彼女がもっている他の霊たちの歌が中心だが、それ以外の霊たちの歌も演奏されていく。老齢にもかかわらずムエレは、かなり元気よく踊った。とくに憑依霊ドゥルマ人そして最後の方のシェラ12とマサイ31で。集まった観客のなかでも数人が(今回は女性のみ)、憑依状態になり、激しい者は小屋の中や人々の輪の外に連れ出され介抱されていた。ドゥルマ人の歌の演奏のまえに、チャリ自身も憑依状態になり34、居合わせた女性の一人に対する占いを始める一幕。チャリが主宰するカヤンバではおなじみのイベントで、周りの人々もそれを期待しており、何が明かされるかを興味津々見守っている。ドゥルマ人の歌がひとしきり終わり、その後予想外の展開もあったが、休憩マコロウシク(makolotsiku36)に入る。その後夜明け前に大盛り上がりして終了。今回は、予定外の憑依霊が現れて騒動を引き起こすといったよくある光景は、ほぼ見られなかった。

(1991年9月1日の日記より)

Sept. 1,1991, sun, kpwisha 午前中キナンゴに行きがてら、チャリのところに行って再会の挨拶。....(中略)...タブ37は私の格好を見て(背中にリュック、ウエストポーチ、肩からノートを入れる小さい袋をさげていた)Digozee9みたいだという。Digozeeはmukoba3を下げている。 チャリの病気がひどかったらしく、チャリは以前にもましてすっかり痩せ細っている。ムリナはチャリの治療のためにお金を使い果たし、ヤギも売り払い、もう屋敷には何もないという。....(中略).... 今晩Bechiziの屋敷でkayambaがあるので来いと言われる。....(中略)....1990年3月に私が帰国した直後、チャリは再びmudigo28とshera12についてkulavya konze38しなおした(施術師Chizi)が、また失敗。施術師はチャリのnguo39を取り上げ、返してもくれない。これがChariに病気を注ぎ込むことになったと。以来6回治療し、一向によくならない。5月には、自分はもう死ぬ、再びカリンボが来たときには、もう自分はいない、と思った。でもnashukuru40、こうしてまだ息をしている。....(中略).... チャリ、ムリナ、Mwawaya, Bekpwekpwe, Aliiら41とカヤンバに向かう。muwele1はよく踊ったがmaneno42はあまり喋らなかった。年寄り。年寄りを躍らせてどうするの、というくらいよく踊った。例によってfungu43の支払いと分け前でもめる人々。家に帰って寝ようとするが2時間ほどで叩き起こされる。

当日の出来事

(1991年9月1日~2日のフィールドノートより) 例によってフィールドノートをほぼそのまま転記したテキストをそのまま貼り付ける。ナンバリングは転記の際に付与。フィールドノートそのものの記述に手を加えないため、現地語なども注釈の形で補足説明することにしている。(DB...)は後にフィールドノートに紐づけた書き起こしテキストの、該当箇所を示す番号。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である。

【Kayamba for mukaza Bechizi Chanzala】 書き起こしテキスト(DB2490-2610)

主要な問題=muduruma6; ndani kodzala, kuphaphika, kufyoka, karya, kalala44 nyungu ya muduruma(+ mihi ya kunwa)45 kulaga makayamba46 ...not yet fulfilled → today's kayamba(financed by her sons)

12 days nyungu ya muduruma done

17:45 ku-tsuma mihi47 (for chiza50) mubambakohi54 mugala86 (for mugala) makandage87 mware88 (for Kalimanjaro) makandage mukuyu89 (for laika, shera) makandage mujenga tsongo90 (for laika) murindaziya91 (for mwanamulungu) mutsaka muho = mukonjwe92 ( for laika) mup'ep'o93 (for Mwarabu) kamuhondo= chinuka muhondo94 (for mwanamulungu) chivumbani95 (for chitsimbakazi) mupweke96 (for shera) muvunzakondo97 (for mwanamulungu) mudzala98 (for mwanamulungu) mukaphaha100 (for mwanamulungu) mung'orong'ondo101 (for shera, mwanamulungu) + stock of other mihi(unnamed)

20:00 Bechizi の屋敷に到着 wari na kuku102 で夕食
23:00 kayamba開始 小屋の戸口(西に向いている)の前にchinu103が置かれ、その前にkuchi104 その上にsanduku105 muwele1はsandukuにchinuの方向を向いて座る(北=vurini)を向いて。

カヤンバ開始の言葉(kuhatsa106) (DB2490-2491)ドゥルマ語テキスト 演奏開始108

  1. 序盤の様子 (DB2492)ドゥルマ語テキスト

ここまでmuwele基本機嫌よく踊り、疲れると(?)自ら手を上げて演奏を中止させ次の憑依霊の曲を促す

  1. 中盤: 占い、そして憑依霊ドゥルマ人で大騒ぎ139

2-1. チャリ yugolomokpwa, 自らmuganda140?の歌を歌いだし、周囲の人々に対して占いを始める チャリの憑依と占い (DB2536-2557)ドゥルマ語テキスト 2-2. muduruma で大騒ぎ139 ドゥルマ人から始まる一連の流れ muwele 完全yugolomokpwa、激踊りまくる 年配者なのにこちらが心配 他の踊っている女性たち、何人かyugolomokpwa

2-3. 次の曲をどうするかでkayamba奏者たち議論 マサイ人からペンバ人まで (DB2573)ドゥルマ語テキスト masai31 2songs143, mu no reaction

チャリ、jambaを所望 jamba144 1song143, mu no reaction

Chari自分からmupembaの歌を歌いだす mupemba145 2songs143 mu yugolomokpwa ペンバ人に対するムリナの唱えごと (DB2573-2575)ドゥルマ語テキスト 休憩タイム139 03:00 makolotsiku36 chaiとmahamuri147

04:20 kayamba 再開

  1. 夜明けも近く、フィナーレに向かって盛り上がる139

3-1. ドゥルマ人の仲間139

3-2. 池系の霊たち139

3-3. 締めくくり139 シェラが盛り上がり、もう終わろうと言う者と、まだ続けるという者とでちょっと議論 締めくくりをめぐる議論 (DB2601-2602)ドゥルマ語テキスト 最後はmasaiで締められる。

この夜のカヤンバについてのまとめ

冒頭の概要でも述べたように、この日のカヤンバはなんらかの切迫した課題解決に向けてのものではなく、以前憑依霊にしていた約束の履行としての開催であった。多くの霊が招待されていたが、必ずしもすべての霊の歌が演奏されたわけではない。

当然、ムエレがもっていることがすでに明らかな霊たちの演奏が中心となった。

とりわけ憑依霊ドゥルマ人は、かつて彼女を病気にし、その治療において病気をとりさることと引き換えにカヤンバ開催を要求していた当の霊であったため、ドゥルマ人の歌の演奏が山場となった。実際ムエレはそこで最も激しく golomokpwaし、踊った。ドゥルマ人と同一人物(霊)あるいはドゥルマ人の仲間とされている霊(マンダーノ11、ムガイ149、ムリサ142)なども演目に上がっていた。

彼女のもっていた別の霊は「池系の霊」ライカ121、ディゴ人28、シェラ12などであり、夜明け前の疲れをぶっとばす勢いで激しく演奏され、ムエレもよく踊った。

彼女がもっている霊のもう一つのグループがガラ人138、マサイ人31であったが、これらの霊の歌では彼女はあまり目立った反応を見せなかった。これらの曲が、何度にも渡って繰り返し演奏され、最後の締めに使われたのは、このためである。来るはずの霊が来ないというのは施術師やカヤンバ演奏者にとっては不本意なことであり、これらの霊が当日来ずに、後日やって来て、私は呼ばれなかったぞ、などとイチャモンをつけ、彼女を病気にしてはたいへんなので、そういうことがないようにとしつこく演奏されたのである。結局最後の最後に大盛りあがりを見せ、今回のカヤンバはほぼ成功裡に幕を下ろすことができた。

しかし今回のカヤンバは楽しみの機会という性格が強いもので、こうしたカヤンバはときに緊張感を欠くものになりがちである。事実、開始から数時間は波乱もなくたんたんと進み、ムエレも楽しげに踊るだけであった。主宰する施術師チャリが、突然自分の持ち霊ガンダ人(muganda140)に憑依され、カヤンバを見に来ていた客の一人を相手に、その深刻な「病気」と解決法を教えるという場面があったが、こうした思いがけない見せ場によって、だれ気味のカヤンバがちょっと締まるのは確かである。実際、カヤンバにやって来る人の中には、自分の抱えている問題が有能な施術師によって指摘され、解決法を「無料で」おしえてもらえることを期待してやって来る者も少なくない。

もちろんカヤンバはけっして台本のきまった催しではない。人々が言うように、すべてのカヤンバはそれぞれ違っている。全く同じカヤンバなどないのである。だれも予期していなかった出来事が起こることもある。今回のムエレはイスラム系の憑依霊をもっていないのだが、イスラム系の霊の歌が何曲か歌われている。憑依霊アラブ人は、至高神ムルングに次ぐ霊であるので、すべてのカヤンバで演奏される必要がある。それ以外に試しにジネ・ムァンガ76が1曲、ジャンバ144が一曲演奏され、いずれでもムエレはほぼ無反応であった。がその流れでチャリがペンバ人の歌を自ら率先して歌い始めたとき、予想外のことが起きた。ムエレがいきなり憑依されてしまったのである。あわててイスラム系の霊に詳しいと自称するムリナ氏が唱えごとをする。というのも今回のカヤンバではイスラム系の霊の登場は期待されていなかったので、イスラム系の霊のための薬液やローズウォーターなどは用意されていなかったからである。ムリナ氏は、自身がそのままペンバ人に憑依されてしまい、この日のカヤンバが終了するまで一人小屋に引きこもってしまい、最後の唱えごともできないままに終わった。

一見、淡々と進行したカヤンバではあったが、いくつかのドラマがないわけでもなかった。

 

カヤンバ開催中の唱えごと、会話他の日本語訳

2490 カヤンバ開始の唱えごと: クハツァ・ンゴマ(ku-hatsa ngoma)

Chari: 皆様おだやかに、おだやかに。おだやかにと述べなくても良かったでしょうに。私たちがやってきて、「おだやかに」と述べるとすれば、それはおだやかにということなのです。皆様おだやかに。私たちはンゴマを開始します。このンゴマは予定されていたものです。それもずいぶん昔に。ですが、まだその時になっていませんでした。でも今、今がそのときです。 さて、私たちは皆様にお祈り申し上げます。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu151)の方々に、ニェンゼ152の小池の方々に。 私たちはまた、子神ドゥガ(mwanaduga153)、子神トロ(mwanatoro154)、子神マユンビ(mwanamayumbi155)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga156)、キンビカヤ(chimbikaya157)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera158)、そして子神サンバラ人(mwana musambala137)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi159)、皆さまにお祈りいたします。 私がはじめにお話しするのは、あなたムルング、砦の主に他ならないあなたです。こうして今、私はンゴマ(太鼓)を打ちます。 このンゴマは皆さま方のンゴマ、約束のンゴマです。どうか皆さま、大混乱とともにやって来ないでください。お一人、お一人やって来て、良くお踊りください。やって来るなり号泣するのは、なしです。やって来て、互いに邪魔をしあうのも、なしです。ただやって来てください。

2491

Chari: どなたもがやってきて、満足するまでお踊りになり、飽きたら、立ち去る。仲間に場所を譲る。やって来ては、仲間に譲る。でも、一人ひとりがやって来ても、全員が一斉に来てしまっては駄目です。あなたがたはこれなるムエレ(muwele1)を困らせることになります。どうかやって来て、互いに仲良くなさってください。 男: 女性たちがたくさん憑依する(kugolomokpwa)場にしてください。 Chari: そのとおりよ。そして男たちもね、憑依させてください。先日、誰のカヤンバでしたっけ、聞いた話では、憑依したのは男たちだけだったってさ。 Murina: カヤンバ(楽器の)を一つ渡してちょうだい。自分で直すから。だってここにあるのは、あれよ、あれ。私に板がとれちゃってるやつをちょうだい。私が直します。 Man(Mawaya=この日の歌の先導者): 互いに理解し合いながら歌いましょう。張り合いながら歌うのは、なし。理解しあって歌いましょう。人がその人がもつ憑依霊に捕らえられる、その連続。その人がもう疲れてしまって、その先に行かないと見たら、(一緒に歌っている)仲間を制止する。でも仲間が歌っているのに、仲間同士で張り合わないように。だめです。施術師のみなさん、ご注目ください! 人々: ムルングの! Mawaya: 私たちはンゴマをクハツァ106しました。さあンゴマを始めましょう。

2492 ムルング子神の歌(DB2493-2504) (一連のムルング子神の歌の後、音楽は小休止)

Man1: カヤンバ(楽器)がよく鳴らない。変な感じ。 Man2: 全然鳴らないよ。 Chari: カヤンバが女々しいね。 Woman: こんなのマカヤンバじゃないよ。 Man2: 全部気が抜けている。 憑依霊アラブ人の歌(DB2505-2509) キツィンバカジの歌(DB2510-2512) Man1: そいつは誰?なんでだろ、私はそいつが誰か知らないぞ? Mawaya: そうとも、私はこんな風な婦人がいいね。疲れたら、彼女は手を挙げる。そうすれば、終わりだってわかる。

2513

Man1: そいつは誰?(Naye ni nyani ye?)そしてこいつは誰?どうして私はこいつが誰かわからないんだ? Murina: きっとそいつはヒヒ(nyani)なんだよ。160 Chari: その霊はなにか言いたいことがあって出てきている。まず第一に何者なのか?自分は知らないぞ。(という訳で)彼は、一体そいつは誰なんだと尋ねているのさ。 Man3: その霊が何者か知らないのなら、そいつに「あなたの名前は」と尋ねるもの。私は言いたいよ。今どきの、今の世の中の物事ときたら! Man2: 私の孫でも、知らない人がいたら、その人に「あなたはどなた」と尋ねるよ。 Man1: ああ。兄弟!今どきの物事ときたら、これからどうなっていくのかわからないね。 ムクセ(mukuse=laika mukusi)の歌(DB2514-2515) アラブ人(?)の歌(DB2516) ディゴ人の歌(DB2517) キユガアガンガの歌(DB2518) マサイ人の歌(DB2519) クヮビ人の歌(DB2520-2522) サンバラ人の歌(DB2523-2528) ジネ・ムァンガの歌(DB2529) ガラ人の歌(DB2530-2532) ライカ・ムエンドの歌(DB2533-2535)

Man1: あの女性のために(カヤンバを)打ってやれよ、マワヤ。マワヤ、彼女のために打ってやれよ、彼女が踊れるように。 Mawaya: 誰のこと? Man1: さっき手を上げたあの女性本人だよ。 Mawaya: ああ、その人。私たちはまさにその女性のためにカヤンバを打っているのですよ。 (Mawaya歌い出す) ライカ・ムェンドの歌4(2535▼)

2536 (ライカを終えた演奏者たちが、次の曲について話し合っていると、突然、チャリが自ら進んでガンダ人(muganda)の歌を歌い始める。)

Chari: (歌う、Chariのanamadziたち、ただちにカヤンバでリズムを刻み、合唱で追従する) これから私は何をしたらいいの? ガンダ人は貧しくて難儀している 私は癒しの術を乞い祈る 私は困窮しています、お母さん、私は困窮しています、お母さん 眠りにつくと、私は癒しの術を乞い祈る、でもこれからどうしたらいいの? ガンダ人は貧しくて難儀している 私は癒しの術を乞い祈る

(作詞作曲チャリ(の憑依霊))

2537 人々: 落ち着いて、落ち着いてください、落ち着いてください、お母さん。 Chari: (なぜかギリアマ語で)もう、私はとっとと立ち去りたいんじゃ。 Mawaya: どこに行こうというのですか、お母さん。 C: 家には帰らんぞ。私はここにいることに... Man: もしかして、なにかご覧になったとか、ご覧に.... C: たとえここにいるとしても、私がンゴマに(参加しに)やって来たとは、それを邪魔しにやって来たとか、彼女(ムウェレ)で扇いでもらいに来た161とは、言われたくないんじゃ。 Maw(aya): あなたの子供162を治療してください、お母さん。ンゴマで踊りたいというのもまったく結構ですよ。でももしかして、あなたが(ここに集まっている人々のなかに)深刻な病気を見つけたというのなら、それを縷々お話なさりたいというのなら、それも結構ですよ。 C: いやいや、病人はちょっとしかおらんよ。 Maw: いやいや、あなたの子供のためのンゴマのおこぼれに与ることが悪いことでしょうか?

2538

Chari: もし全員がそんなふうに話し始めたら、そいつらだけで私は終わっちまう。だってここにいる全員が病人ばっかりだもの。健全なのは私一人だけじゃ。私は喋りたいくらいじゃが、あんたらは言うだろう?... Mawaya: 喋ってくださいよ、今すぐ。 C: まあ、彼本人が問題を喋ってくれるだろうさ。そうじゃないかい? Maw: 長老はどちらに?屋敷の主の長老はどちらにいます? Man: ムァボンジェさんが屋敷の主だよ。あなた方、挨拶しに行くのかい? Maw: この屋敷の長老だよ? C: なにもその長老を無駄に待っていることはない。ここにいる人に話してしまうよ。誰もが聞くことになる。もし彼が来たら、おまえたちが話してやればいい。でも私は彼を待ったりせんぞ。 Maw: いやいや、彼に話してくださいよ。彼に話してください。私たちも耳を開いておきますが。 Man: さあ、耳をほどきな。あんた、その白い着物を着た人。

2539

Chari: さて、私はお前さんに話そうかね。 Maw: ちゃんと返事して。 Man: どうして黙っているんだい。 Woman: 居眠りしている。 Woman whom Chari picked up(Wp): 眠ってませんよ。起きてます。 Man: じゃあ、へえって返事しなさいよ。今から、この人が彼女に見えた問題をお前に話してくれるから。 C: (小声で聞き取れない) Wp: そんなことないわ。 C: ああ、私あんたを知っとるぞ。あんたはここの住人じゃろう。(聞き取れない) それが腐ってしまったから臭うっていうわけじゃない。遠いやつ(かすかな臭い)。あんた、おおって言ったな。私は腐っているって告げられたが、そんなことはない。かすかな臭い。...もし違っていたら、そうじゃないってお言い。そしたら、私は立ち去って、家に帰ろう。

2540

Wp: そのとおりよ。 Chari: その通りなんじゃな。それがなんだか知っとるか? Man: さあ、はっきり言っちゃいなよ、あんた。私自身も、ウガリの玉(madonje)163を指先でほぐして、すぐに眠りに行くのをこの目で見てるんだから。 C: さて、友よ、この私の腹について話してくれないかね。どうしてお前は病気を与えてくれるんじゃ?その通りかい、それとも間違いかい?164 Wp: その通りよ。 C: 私はちょっとした水について告げられとるぞ。 Wp: その通りよ。 C: ときにはそこがちょっと重い。 Wp: その通りよ。 C: ほら、とっても病気だ。仮にその様をすべて話すとしたら、それは... 話しても良いかい、皆さん。

2541

Mawaya: 話してください、お母さん、話して。もし彼女が苦しんでいるのなら、話してください。彼女に話してあげて。 Chari: 私がおまえたちを遅らせているなんて言わないでおくれね。じゃあ、話そうかね。 Maw: ああ、話してください。だってこれは病気なんだから。 C: この頭、ときどき痛む、そしてそれに伴う悪寒についても話しておくれ。それとも間違いかな? Wp: その通りよ。 C: じゃあ、この心臓が破裂すること、ひどく不安になること、ついには泣いてしまいそうになること。 Wp: その通りよ。 C: ついにはあなたのご主人が「おいお前、誰それの母よ」165と呼びかけると、お前の心臓はすごくうんざりする感じがする。 Wp: その通りよ。 C: でもこの腹だよ、この。このあたりが重苦しい。さらに腹は、特有の問題がある。腹はゴロゴロ鳴る。腹にはトゲが刺さるような痛み。ときにはちょっと何かが詰まってしまった(便秘)みたいな。違うかい?

2542

Wp: その通りよ。 C: それでそもそもずっと以前に治療をしたが、うんざりしてしまった。もう止めた(って言ったほど)。 Wp: すっかりやり尽くした。 C: まだ私が喋り続けていいのかい? Man: まずは私に全部話してください。しっかり聞きますから。 C: 私に喋れと?こんなふうに生粋のドゥルマ語でしゃべるぞ。 Man2: まずはとことん話してください。私もしっかり聞きますから。 C: なに?私に喋り続けろとでも? Man: いいえ、あなたがご覧になったことを喋ってください。それとも見てもいないことをあなたは喋るとでも、あなた。ご覧になっていることをお話ください。私は、それをしっかり聞き届けますから。 C: ああ、ブルブル。こんなふうに身体が震えてしかたない。 Man: 震えないでください。 C: もう齢じゃから、震えるんじゃ。とても喋れない。歯が痛いんじゃってば。 People: まずはお話ください。

2543

Chari: では、さて友よ、お前さん。この背中と、この肺じゃが、ときに感じることはないかい? Wp: 感じてます。 (チャリ、歌い出す) 騒ぎ声が聞こえるよ、癒しの仕事は 戦いだよ、ホー、私の癒しの術 こうして私の心は泣いている、癒しの術 私は泣くだろうよ、ヘー、癒しの術

(作詞作曲チャリ(の憑依霊))

C: こんな風に(占いを)打たなかったっけ?さて、さて、施術師の方々、ご傾聴を。 People: ムルングの167 C: 腹、頭、悪寒、肺、背中の中心部、腰が砕ける、身体のいたる所がが折り潰される、背中がねじ曲げられる。大急ぎで問題を述べて、ここを立ち去りたいもんじゃ。

2544

Wp: その通りよ。 Chari: あんた、重労働した後、胸にすごく感じるじゃろうよ、あんた。それはそれはひどく。もう後は休むだけ。いったいどんな霊のせいなの、これは、ってね。霊たちに対して(施術師が)いろいろ話して聞かせるけど、そいつら(霊たち)は聞く耳をもたない。(あんたは思う。)いったい何者たちなんだ、これらの霊は、ってね。(もう何もしないで)ただ座っているだけのほうがまし。ただ座っているという癒しの術、トウモロコシの練り粥食べて、死ぬのを待つだけじゃ。 Wp: その通りよ。 Mawaya: 言われている通りなのかい? Wp: へえ(「ええ」より強めて応える表現)。 C: 出産はというと、私は子供を生んでいない。私は以前治療を受けた。でも今は、見えるものは何もない(何の希望ももてない)。ただ、トウモロコシの練り粥を食べるだけ、そして寝るだけ。今では死んだほうがまし164 Maw: そのことが彼女をうんざりさせているんだね。

2545

Chari: ああ、この人はうんざりしているよ。それでいて、こいつが、この病気が。 Mawaya: さて、彼女にすこしだけ教えてあげてくださいな(それらの霊が彼女にたいして課している要求について)。彼女が(それらの要求を)調えられるように。 C: (小声でなにか尋ねているが聞き取れない。おそらくこれまで入手した霊のための布の数か。) Wp: そんなの数え切れないわ。 C: ムルングの(布?)、ドゥルマ人の、シェラの、ディゴ人の。シェラとディゴ人とかは?終わった?大皿(makombe)は何枚書いてもらった84 Wp: 大皿ね、3枚じゃなかったかしら。 C: スディアニ導師の大皿は書いてもらったかい? Wp: まだよ。 C: ロハニの大皿は書いてもらったかい?どの霊のを書いてもらったのかな? Maw: 8️枚近い大皿はどの霊のを書いてもらったんだい? Man: 彼女はおよそ3枚だって言ってるぜ。

2546

Chari: およそ3枚書いてもらったんだね。どの霊のを書いてもらったんだい?憑依霊ペンバ人、ロハニ、アラブ人、コーラン導師、ジキリマイティの大皿はね、全員で一つでいい。そいつらの大皿はそれだけ。いっしょに彼らの護符(pingu)もね書いてもらう。 Wp: 私はほかの(pingu)も書いてもらったわ。でもそれらは勝てなかった。身体のなかに入ってしまったの。 C: 護符(pingu)が? Wp: ええ。 C: でも、そいつら(憑依霊)はどうして両の腎臓を食べてるのかな。ときどき腎臓が重苦しくなるだろう、あんた。問題についてもう少し話してもいいかな。 Wp: 話してください。 C: でもね、あんたについて人前で口にできないようなことを言うことになるよ168 Mawaya: でも、彼女を辱めるとしても、それを言えば、(彼女のまわりの人々が)しかるべきことをして、彼女が治ることになるんですよ。 C: でもね、彼女が見ているかもしれないこと(症状)について(私が話して)、彼女が見てませんと言ったら、私は彼女を辱めたことになるじゃろう?

2547

Mawaya: いやいや、もしあなたがそれを見て、彼女が言わなければ、もし実際には見ていたら、彼女は自分の病気を隠しているということになるでしょう。 Chari: そうした病気なんだよ。 Man: それじゃあ、彼女はその病気をもったまま死ぬことになる。あんた、たとえ恥ずかしい思いをさせられるとしても、その結果、あんたを救うものを手に入れるんだよ。 C: この腹こそもっと大きな病気なんじゃよ。 Wp: へえ。 C: しばしば彼女は少し痛むような何かをもっている。このあたり(陰部を指して)が切られ切られる(ような痛がある)。感じたことはないかい? Wp: あります。 C: 例の女性の問題(月経)のトラブル、経験してないかい? Wp: あります。

2548

Chari: そのときになって、しばしば問題を見ないかい? Wp: 見ます。 C: この行き過ぎたこれ(過度の出血)をしばしば見ないかい?それとも私が嘘をつかれている(憑依霊によって)のじゃろうか? Wp: その通りよ。 Man: ちゃんと「タイレ167」と言いなさい。 C: ときにはそれを見せられたと思ったら、すぐに立ち去る(症状が)。 Wp: その通りよ。 C: さてね、もう完全に終わったわ(生理が)と思ったら...(小声で聞き取れない)... Wp: へえ。それが難儀なのよ。 C: さあ、大皿を書いてもらいなさい。スディアニ導師と、ペンバ人とロハニとジキリマイティの大皿を。ときどきあんた死体の夢を見るじゃろう? Wp: その通りよ。

2549

Chari: そしてベッドのなかでまるで小さい子供みたいにびっくりして目を覚ます。 Wp: その通りよ。 C: ペンバ人、ロハニ、スディアニ導師、ジキリマイティ。肺が重苦しく、血の臭いがする。そしてときに、あれに見舞われる。ああ、私は人前で話せない恥ずかしい話をしてしまっとるな。お前さんが例の出血に見舞われると、ときにその血は真っ黒になっておる。おまけにときに、よく見てみると、そこには肺の肉片のようなものがいくつも見える。 Wp: その通りよ。 C: よくお聞き。私のためにペンバ人とロハニとスディアニ導師とジキリマイティの大皿を調えておくれ。それを飲んで、そいつらの護符(pingu)も手に入れるんだよ。その場でその日に描いて仕上げる護符。聞いているかい。この腹が軽快するのを見ることになるじゃろうよ、あんた。まるで良くなったみたいに感じるじゃろうよ。

2550

Chari: なぜなら、あのトゲじゃが、それを感じることも減るじゃろう。そしてあの(腹部の)膨れて一杯になることと、あの火が燃え盛る(灼熱感)も。でもあんたは、あそこからたくさんの水が溢れて来るのを見るようになるじゃろうし、痒みも感じるようになるじゃろうよ。まあ、一応言っておくよ。さて、私はもう立ち去ろうかね。それらの問題は、もう十分話しましたよ。 Man: もうあなたは話して、彼女については終わったということですか、それとも... C: 彼女については終わったわい。私はペンバ人、ロハニ、スディアニ導師、ジキリマイティ、アラブ人と言ったぞ。わかったか?飲む大皿と浴びる大皿84じゃ。それとそいつらの護符(pingu18)。その場でその日のうちに書く護符じゃ。わかったか?おっと、ちょっと待った。ムルング子神の小さい瓢箪じゃ。彼女は瓢箪子供を授けられたかな。 Woman(Wpの母か?): 私は彼女に与えました。おまけに二人も。 Mawaya: なんと双子を生んだわけだ。 C: 首尾よく?

2551

Wp: 一人はひび割れちゃった。最初の一人も完全に割れちゃった。 Chari: 子供は二人ともすっかり壊れたのじゃな。なんとまあ。 Mawaya: ということは今はもっていない? Wp: 全然もってません。一つも。 Maw: なんとお気の毒に。つまり双子を生んだのに、二人とも死んだと。 Wp: 二人とも完全に死んでしまいました。 Man: 間違いがあった。 C: ところで、その瓢箪子供は誰に口を開いてもらったんじゃな。最初のやつは。 Wp: 最初の子供? C: へえ。 Wp: 自分たちで穴を開けたわ。 C: あんたとあんたの旦那とで?

2552

Wp: そうよ。 Chari: 穴を開けられた。 Wp: 穴を開けられた。 C: 2つ目は? Wp: 穴を開けられたわ。 Mawaya: 最初の一人は彼女とその夫によって穴を開かれた。 C: 二番目の子も同様にあんたたち二人で口を穿ったんじゃな? Wp: ええ。 C: 心臓もあんたら二人が入れたのかな? Wp: それらは施術師が入れたわ。 C: まさか鶏の心臓をかい? Wp: わかりません。 Maw: そのあたりは施術師の問題だからね。

2553

Chari: さて、落ち着こうかね。ここまでのところ特に駄目じゃというところはない。で、その子供の口を穿ったとき、あんた背中に(本物の)子供はおったのかな? Wp: いませんでした。 C: それまでまだ子供を産んだことはなかったのかい? Wp: いまだにそうです。 C: 子供を祈願されたその人(ムルングのこと)が、実際に子供(人間の)をもたらしてくれたら、その子供(瓢箪子供のこと)はその口を穿たれるのじゃ。もしお前がこれから子供を(実際に)産もうというときに、こちらの子供(瓢箪子供)はすでに口が開いていたっていうのかい? Wp: 施術師たちのことは、私は知らないわ。 C: いいかな。その人(ムルングのこと)には鍋(nyungu53)を設置してあげるだけじゃ。その後は、ンゴマそのものもお前は開いてもらうことはできない。ただ鍋を置いてもらって、唱えごとをしてもらうだけじゃ。鍋とキザ(chiza50)じゃ。鍋が(終わって、その中身を)撒き捨てたら、子供(瓢箪子供)はビーズ飾りを施される。そして寝台の脚もとに置いておかれるんじゃ。その子を寝台の上に上げちゃあ駄目じゃ。お前が実際に子供を産むまではな。そしてその子は寝台に上げてもらえるんじゃ。(それ以前に)口を開けられているだって?もしすでに口を穿ってしまっていたら、(本物の人間の子供は)産まれないよ。私はもう帰るよ。

2554

Mawaya: さて、(瓢箪子供は)二つとも口を開かれてしまっていた。二つとも目を開けていた。 Chari: もう(瓢箪子供は)生まれてしまってたのじゃ。もう目も開いていたんじゃ。その子本人(本物の子供)の方はまだ生まれてくるための隙間も開いていないのに。そういうことなんじゃ。 Mawaya: そもそも、あんたは早々に追い越してしまっていたんだね。まず、そうしたいという許しを乞うたのかね。 Man(Wpの夫か?): ところで今、あれらの子供(瓢箪子供)をそんな風にもう一度もとに戻せるのかな?169 C: そもそもその子(瓢箪子供)は穴を開けないものじゃ。その子(実際の赤ん坊)が全然まだ生まれていない。穴をけっして開けてはならんかった。その子(瓢箪子供)が置かれるのは寝台の脚下。穴は開けない。施術師はこう言うじゃろう(言ったはずだ)。「この子供は私は穴を開きません。この目で(本物の)子供を目にするまでは。そのときに私はやってきて子供(瓢箪子供)に穴を開けます。」ってな。そして二人(瓢箪子供と、実際に生まれてきた子供)をそろって寝台にあげてやる。ところが(この人の場合)子供(瓢箪)はすでにその口を開かれておる。(二つの瓢箪子供が言うには)「私たちは寝台のうえにあげてもらっている。きっと彼女は出産したんだ。」あんたがたさらに何を産もうって言うんじゃ?

2555

Mawaya: 私が驚いている驚くべきもの170 Chari: もう帰るぞ。 Maw: (Wpたちに)あなた方はその通りだと言う。でも実は違っている。なのにあなた方はその通りだと言う。 Wp: 一人(瓢箪子供の)は、そもそも長くはもたなかった。たった3日。ひとりでにひび割れちゃったの。 C: その子は口を開けられていない。そもそも、なんで口を開いたりできようか。まだ本人(Wpのこと)が子供を産んでいないのに。(そんなことをしたら)瓢箪子供も死んでしまうのさ。背中に(負われている)子供がいる。それではじめて(瓢箪子供の)口を穿って、寝台の上に登らせるのさ。(それまでは)寝台の脚のところの子供にすぎない。寝台の脚のところに置かれていて、口は開かれていない。所有者はときおりその子をチェックする。シロアリに食われないようにな。彼女が妊娠するまで。彼女が妊娠し、それがはっきりしたら、彼女は再び唱えごとをしに来てもらう。「おだやかに。私たちは今この子供が成熟し、そしてこの子を抱き上げに来ることができるよう望みます。」ってな。その後、その子(胎児)はずっといて、ついには生まれてくる。そして水を落とす(出産後の赤ん坊の肌の色が白っぽい色から黒く変わる)。資金がたまれば、施術師たちに来てもらう。来て何をしてもらうのかというと、(瓢箪子供の)口を開けてもらうのじゃ。徹夜のンゴマを開催し、明け方、その子(瓢箪子供)は、その兄弟(生まれてきた赤ん坊)とともに寝台のうえにあげられる。というわけで、あとは...

2556

Mawaya: そんなふうには運ばなかったってことだ。 Chari: あんたらはその子(瓢箪子供)に心臓もいれてしまった。歩く子供がまだ到来していないのに。で、あんたその子を人目につくところに置いておいた。その挙げ句に、パリンじゃ。 Maw: 彼女は子供がほしいのに、別の子供(瓢箪子供)を寝かしつけて、その子に自身を与えたわけ。 C: さてさて、そんなふうにしてその子(憑依霊ムルングの子供)に授乳してるわけじゃ。ときどき、眠っていて子供の夢を見るじゃろうが。 Wp: まさにその通りよ。 C: さあ、鍋を置いてもらって、穴を穿たれていない瓢箪のために唱えごとをしてもらいな。こちらにはこれらの霊たちの大皿84、そして瓢箪子供、それからおしっこを嫌う58あいつらイスラム教徒(の霊)たちのための護符(pingu)。寝ている時にお前を組み伏せる(性交する)やつらじゃ。夢の中で男に会うじゃろう。お前の夫じゃない男に8059 Wp: まさにその通りよ。 C: さてさて、後日、あんたはやって来て、ここはうまくいきました、ここはうまく来ましたと私に報告しに来ることじゃろうよ。 C: (カヤンバ奏者たちに向かって)さて、お前さんたち、ンゴマを再開しましょうや。 Maw: さあ、もうひと頑張り。別の問題を片付けましょう。

憑依霊ドゥルマ人からニャリへ 2557

Man: カリンボ、お前もこっちに来て座ってカヤンバを打ちなよ。 H: はや。 憑依霊ドゥルマ人の歌(DB2558-2563) Man: まずもってこいつが彼女を苦しめていたやつだ。 Chari: そもそも、このンゴマのための鍋はこいつの鍋なんだよ。さあ、みなさん、もうマンダーノ(の歌)を打ってくださいな。 マンダーノの歌(DB2564) (ムウェレ、嘔吐し始める) Chari: 静まって。ゆっくりゆっくり、おいでください。(他の霊たちに)それぞれ(の歌で踊る)機会をあげてください。静まって、静まって。でも楽しくンゴマを踊ってください。脇腹をつかんだりするのは、なしです。お仕事は踊ることですよ。 (続)マンダーノの歌(DB2565-2567) ムリサ(放牧者)の歌(DB2568-2571) ニャリの歌(DB2572)

マサイ人からペンバ人まで 2573

Murina: マサイ人を。槍をもっている奴。

憑依霊マサイ人の歌; 2 songs untranscribed143

Chari: (カヤンバ奏者たちにスワヒリ語で)憑依霊ジャンバを呼んで頂戴、今すぐ。

ジャンバの歌; 1 song untranscribed

C: 失敗だわ。 (チャリ、自ら率先して今度は憑依霊ペンバ人の歌を歌いだす)

憑依霊ペンバ人の歌; 2 songs untranscribed

(ムウェレ、憑依状態に。ムリナ氏あわてて駆けつけて唱えごとを始める)

C: お静まりください、お静まりください、海岸部の憑依霊よ、お静まりください。(スワヒリ語で)争いはございません。 Murina: (彼の「アラビア語」による唱えごと171。ついで唱えごとはスワヒリ語に。)まさに平安とともに。私は皆さま方にシャイルラーヒ172と申し上げます、またあなたがた紳士の皆さまにご傾聴ください167と申し上げます。皆さま方全員に、そして導師の皆さま全員に、ご傾聴くださいと申し上げます。どうか寛容の心で、どうか寛容の心で、兄弟の皆さま方。御覧ください。王の皆さまがいらっしゃると私たちは知らないのです。

2574 (ムリナの唱えごとは続く)

Murina: 私どもはただンゴマを開催していただけです。それも田舎者たちのンゴマです。しかし、今日この日に王様方が来ておられるのだと、私たちは今知った次第です。別の日でしたら、私たちは差し上げるとしたら、ローズウォーターを同様に差し上げることができるでしょう。それぞれの人ごとにお食べになるものは違います。でも今は、御主人様、御主人様方、私の兄弟たちよ。シャイルラーニ、そしてまたご傾聴ください。そして「ご傾聴ください」の言葉は人を打ち倒すものではありません。癒し手の皆さま。皆さま方にご傾聴くださいと申した後で、さらにはっきりと、私はご傾聴くださいと申し上げます。水の農園の笑いを捨てた孤独な方々173に、そして血の池の方々に、皆様全員に私はご傾聴くださいと申します。クローブ林(mikarafuni)の、ミドドニ(Midodoni ザンジバル島北部の地名)の、さらには砂漠(jangwa)の皆さまにも、ご傾聴くださいと申し上げます。皆さま全員に、ご傾聴くださいと申し上げます。山にお住まいの皆さま方全員に、ご傾聴くださいと申し上げます。洞窟にお住まいの皆さま方全員に、ご傾聴くださいと申し上げます。海にお住まいの方々、(この後「アラビア語」が続く)、スディアニの皆さま、ロハニの皆さま、(再び「アラビア語」が続く)、まさにスラティの皆さま174。スディアニの、コーランのアラブ人の、バルーチ人の、アスディ175チークの木々の、ミスター「剣(upanga)」の方々。

2575 (ムリナの唱えごと続く)

Murina: ミスター「ペンバ人・ジャバレ176」、サンゴ礁におわしますヘビたちのなかの偉大なるヘビ、ジャンバ、ソラ177世界導師、ソラビキ・ジンジャ導師、まさに平安あれ、私の兄弟の皆さま方、お楽しみください。あなたがたの地響き(大地を脚で踏み鳴らす音あるいは太鼓の響き(実際にはカヤンバだが))はまさにこれです。さらに、喜びの心だけをもってお楽しみください。でもまた後日に、おなじように意を通じ合いましょう。私はやって来て、あなたがたに飲む大皿と浴びる大皿84を差し上げます。さらに私はあなたがたに大皿抜きで、まず薬液178をお与えいたしましょう。その後で大皿を差し上げます。そのときに、友好関係が直接に打ち立てられるでしょう。いまは、今日は、言葉だけで始めましょう。 Sauti nukta mbaka, mbaka na kabaila.(意味不明)。私の兄弟の皆さま、シャウリラヒ(shaulilahi172)。さらにご傾聴ください。「ご傾聴ください」の言葉は人を打ち倒すものではありません。紳士の皆さま、私の癒し手の皆さま。平安あれ。 People: さあさあ、お茶をだしてもらいましょうや、男性諸君。(施術師の)弟子たち(anamadzi)はあちらの火の回りをグルグル回り続けて、お疲れだ。 Murina: 火じゃないぞ。人を疲れさせるのは寒さだ。

(ここからマコロツィク(makolotsiku36)の休憩時間にはいる。人々甘い紅茶と揚げパンで一息つく。私はシェルターに潜って一眠りした)

マコロツィク後、シャカからシェラまで 2576 (マコロツィク終了後、カヤンバ再開。怒涛のように立て続けに曲が演奏され続ける) シャカの歌(DB2577) ムガイの歌(DB2578) ガラ人の歌(DB2579-2580) マサイ人(?)の歌(DB2581) ライカニョカの歌(DB2582) カニャンゴの歌(DB2583) ムクセの歌(DB2584-2586) シェラの歌(DB2587-2589) ディゴ人の歌(DB2590-2593) シェラの歌(DB2594-2600)

締めくくり 2601

Mawaya: (小屋に向かって)お父さん(施術上の父Murinaのこと)、(カヤンバ終了の)唱えごとをしてください。彼女(ムウェレ)自身が(続いて演奏するのを)拒絶しました。 Man1: 完全に終わりました。 Woman: まだよー、あんたたち。 Maw: もう夜明けだよ、でも。彼女自身が拒絶したんだ。ほら、彼女自身が(これ以上の演奏を)拒絶したんじゃないか。決まりでは、彼女は唱えごとをしてもらわないと。お母さん(Chariのこと)言ってください。 Chari: はいはい、もし彼女の霊で、まだ来るものがいないのならね。 Maw: じゃあ、あなたの子供(施術上の子供、つまりムウェレのこと)に尋ねてくださいよ。早くあなたの子供に尋ねてくださいよ。私たちは知りたいんです。 Man2: 彼女は拒んだよ。マワヤ、どうしてそんなに心配なんだい? C: あんたたち、彼女に憑依霊マサイは演奏してあげてないんじゃない? Maw: もう打ちましたよ。はじめに打ちました。お父さんはどこにいるんですか。 C: いないよ。(憑依霊に)すっかり覆われてしまっていたでしょ? Maw: へえ。 C: さっきここで憑依霊ペンバ人に覆われてしまったのよ。だって彼自身、海の霊たちでいっぱいになってるんだもの。 Maw: そうですか。じゃあ、皆さん演奏しましょう(字義通りには穴を掘りましょう)。演奏しちまいましょう。ああ、もう明るくなる。とにかく演奏しましょう。...(赤ん坊の泣き声、その子の母親に向かって)あんた、その赤ん坊のお母さん、子供に授乳しなさいよ。その子、うるさくてしかたない。 C: さあ、さあ、私の子供たち(施術上の)。もう明るくなりますよ。 Maw: マサイ人。ほらその人(マサイの歌を得意としている歌い手)の。おい、お前、ねてんじゃないよ。マサイの歌い手、あいつ、そこの。さあ、顔洗って。目やにが出てるぜ。みっともないよ。ああ、いやだってんなら、お前の勝手だよ。 Man2: さあ、みなさんカヤンバを打ちましょうよ。ここで「明日さん」に追いつかれたりしないように。

2602

Man1: (明日が)どこにいるってんだい。 Man2: 明日のこと?もうすぐ今にでも会えるよ。 Mawaya: もう夜明けだよ。さあ、打って。明日さんに追いつかれるぞと言われた、その人。私たちは(マサイの歌は)よく知らないんですよ。だから、あんた旦那が来てくれないと、それとも誰か別の(マサイの歌の)達人がやって来てくれないと。さあ、打ちましょうよ。 M2: もし自信があるなら始めちゃいなよ。もし彼が来て(歌い)始めたら、私たちはその後に続くから。 (マサイ人の歌 1~6) マサイ人の歌(DB2605-2610) (大興奮のうちにマサイの歌終了、人々いつまでもわぁわぁ騒いでいる)

(チャリによる締めの唱えごと)

Chari: おだやかに、おだやかに世界の住人の皆さま...(騒音のため聞き取れず) 私はンゴマのお約束をいたしましたが、そのンゴマは、その後開催する余裕がありませんでした。ンゴマはその後もずっとこんな具合だったのですが、今日の今、それは開催できるようになりました。このンゴマは日時の約束によるンゴマです。今、ンゴマは夜を徹し、夜も明けました。 さて、皆さまおだやかに。私たちは皆様にお祈り申し上げます。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ブグブグ(bugubugu151)の方々に、ニェンゼ152の小池の方々に。

2603

Chari: 私たちはお祈り申します。子神ドゥガ(mwanaduga153)、子神トロ(mwanatoro154)、子神マユンギ(mwanamayungi155)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga156)、キンビカヤ(chimbikaya157)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。そして子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera158)、そして子神サンバラ人(mwana musambala137)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi159)。私は、ゾンボの山(chirima cha Dzombo)の皆さまにお祈りいたします。私は御主人様、御主人の皆さま方にお祈りいたします。私たちは皆さまの脚もとに身を投げ出しております。 おだやかに、おだやかに、あなたムルング子神、バラワ人(mubarawa179)、サンズア(sanzua180)、バルーチ人(bulushi184)、ムクヮビ人(mukpwaphi136)。天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi115 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma185 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。ボニ人(muboni190)の池、ダハロ人(mudahalo191)、コロメア人(mukoromea192)。おだやかに、あなたドゥングマレ(dungumale75)...(騒音のため聞き取れず)...。あなたデナ(dena119)とニャリ(nyari120)、ムビリキモ(mbilichimo10)、カレ(kare195)とガーシャ(gasha196)、そしてイキリク(ichiliku23)もいます。私は皆さま方に、おだやかにと申します。おだやかに、あなたジネ・バラ(jine bara32)もいます。ンガイ(ngai197)もいます。ンガイ、またの名をカンバ人(mukamba198)、カンバ人とあなたマウィヤ人(mawiya72)。 私たちはおだやかにと申します。あなたライカ・ムェンド(laika mwendo124)、私たちはおだやかにと申します。...(騒音のため聞き取れず)...。あなた風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)、ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo199)、そしてあなたカヌンドゥ(kanundu200)、キヌンドゥ・パガオ(chinundu pagao201)、パガオ、またの名をムズカ(muzuka122)。

2604 (唱えごとの続き)

Chari: 私は皆さま方におだやかにと申し上げます。御主人様、御主人様、私たちはあなた方の脚もとに身体を投げ出しております。争いはございません。争いはございません。争いは一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)です。争いあう者は二人、三人目がやって来て、仲裁します。今日、私は仲裁者、争いを収めます。私は癒し手(muganga)ではございません。本物の癒し手はムルングです。私のすることは、手を置き、行って腰を下ろし、静かにしていることです。今、このように皆さま方にこのンゴマを差し上げました。私が望んでいることは、つつがなきこと、そして小雨季に順調に耕作することです。もう再び病気がありませんように。皆さまの椅子でしたら、すでに差し上げました。布でしたら、すでに差し上げました。御主人様、お静まりくださいの言葉はお聞き届けになるものです。彼女の身体をお解きください。頭が痛むことも、背中の中心や、肺が重たくなることも、腰がたち折れることもありませんように。御主人様、おだやかに、彼女に構わないやってでください。 さあ、私は語り終わりましたよ。

 

カヤンバでの歌

歌の日本語訳は、あくまでも私はこんな風に読み取りましたというだけのもので、正しさを主張したりはするつもりはない。というか、ほとんどの歌ははっきり言って何を言っているのかわからないのが正直なところ。歌の中でしか使われない単語で、ドゥルマの人でも意味がわからないというものも多い。しかも歌詞は固定したものではなく、歌い手が即興でアレンジしたりしているので、十全な理解など、フィールドで早々に放棄してしまった。というわけで、以下の訳は、ご参考までにとどめておかれたい。

ムルング子神の歌 2493 (ムルング1)

ムルング子神 ハイ ハア ムルング子神は泣いている ムルング子神 ウェー 私は呼ばれている ハア ムルング子神は泣いている 私の友よ 私は彼女に会う 私の大きな森 それから彼女は癒しの術を池に探す そのとおり ムルング子神は泣いている 私の友よ 私は彼女に会う 大きな森 友よ 癒しの術を探しなさい ここで 池で おだやかに あなたムルング子神 おだやかに

2494 (ムルング2)

歌いなさい 癒しの術 ウェー さあ 歌いなさい 癒しの術 歌いなさい ウェー 不思議 マレラ母さん 彼女は行かない お母さんが戻りますように 歌いなさい 癒しの術

2495 (ムルング3)

行きましょう 行きましょう さあ ムルング子神 行きましょう あなた 急いで 急いで さあ ムルング子神 行きましょう あなた 私は大きな森と呼ばれている お母さん ムジディモヨの池 主がいる池には足を踏み入れちゃいけない 踏み入れられるのは癒し手たち 行きましょう、行きましょう、さあ ムルング子神 行きましょう 大きな池に

2496 (ムルング4)

私は山に登った 私は山に登った ムザの御主人様の山 さあいきましょう ムカンガガ子神156 心は驚愕 ウェー ひんやり子神203 私はムルングに祈るようにと呼ばれました

2497 (ムルング5)

ムカンガガ156 睡蓮の池には事件(不思議)がある ムカンガガ 池には問題(言葉、揉め事)がある エラ ホワ 睡蓮の池には事件(不思議)がある さあ 池には問題がある 睡蓮の池には事件(不思議)がある 驚きの今日 池には問題がある さあ 睡蓮の池には事件(不思議)がある

2498 (ムルング6)

ホー 雨だ お母さん 雨がやって来た 畑に雨だ さあ 落ち着いて 驚いた ムルング ムカンガガ に祈りなさい ムルング子神 私の布にはビーズが縫い付けてある 神(rabi)の祖霊 お母さん 私は痛い ヘー 雨 おだやかに おだやかに あなたは眠るでしょう おしずかに お母さん さあ ムルング おだやかに おだやかに

2499 (ムルング7)

鍋の連中がいるそうな 池に行け ムルング ホー 今日 ムルング子神 ムカンガガの池 ムルング子神 ムルング子神

2500 (ムルング8)

ホワ ムルング子神 お母さん ムルング子神 ハー ホヤ 私の癒し手 私は困っています ムルング子神 ハー ホワ 私の癒し手 私は困っています ムルング子神 ハー ホヤ 私の癒し手 さあ、ムルング子神 ハー さあ 私の癒し手

2501 (ムルング9)

お母さん、さあ、夜が明けた お母さん、あなたは花をもっている もう夜が明けた ホワ 目を覚ましなさい あなたは私の花をもっている

2502 (ムルング10)

ああ 見に行くわ みなさん 私はどうしたらいいの ムァーチェ(Mwache204) 私の子供たちを見に行くわ ウェー ムァーチェ 私の子供たちを見に行くわ

2503 (ムルング11)

子供を産んだ人が やって来て泣いた (これからも)子供を産むんだよ お母さん

2504 (ムルング12)

マレラ あなた ムルング、 マレラ、あなた 家には誉れ ヘー ムルング 癒しの術のマレラ マレラ、さあ癒しの術 お父さん 私はどうすればいいの ンゴマ お父さん

憑依霊アラブ人の歌 2505 (アラブ人1)

癒し手の皆さん ご傾聴ください 匠(たくみ mafundi206)の皆さん ご傾聴ください 癒し手の皆さん ご傾聴ください 私は祖霊に祈ります 慈悲深いムルング 御主人様 癒し手の皆さん ご傾聴ください

2506 (アラブ人2) (独唱 スワヒリ語で歌われる)

憑依霊アラブ人 神(Mungu)に祈ります 預言者の書 ムエレ(muwele1, この単語はドゥルマ語)は神に祈ります 預言者の書 ここにお母さんがいる 神に祈ります 預言者の書 憑依霊アラブ人 神に祈ります それは預言者の書 (コーラス ドゥルマ語のみ) 憑依霊 憑依霊アラブ人 私にマウラーナの護符(pingu)を縫ってちょうだい 泣き止んで、私の兄弟(姉妹) ホワー 泣き止んで、私の兄弟(姉妹) ホワー

2507 (アラブ人3)

アラブ人は盾の剣をもっている 私の盾の剣 ムァナジュマ(女性の名)、どうして失くしてしまったの 盾の剣をもっている ムァナジュマ、どうして失くしてしまったの 盾の剣をもっている

2508 (アラブ人4)

へー お母さん 行く先は池 ンゴマは真っ最中 行く先は池

2509 (アラブ人5)

他人の屋敷 私は他人の屋敷に行かないわ どこに寝たらいいの お母さん 他人の屋敷に 私は行かないわ 私は他人の屋敷に行かないわ ねえ、お父さん どこに寝たらいいの お母さん 他人の屋敷に 私は行かないわ お母さん、サトウキビを採ってきましょう 私に食べさせて 私の憑依霊、お母さん 私にお花を集めてきて、私に食べさせて あなたがたは 私を怒らせた 問題(が表になった) あなたがたは 私を怒らせた お父さん お母さんは 眠らないでしょう あなたがたは 私を怒らせた 問題(が表になった) 神の被造物人間のいるところ

キツィンバカジの歌 2510 (キツィンバカジ1)

ヒヨー ヒヨ ヨー 私はルオ人の施術師の弟子に会いました なんと サトウキビを食べている カリンド207 ホー ホワ ヒヨ ヨー

2511 (キツィンバカジ2) (独唱)

お母さん、それでいいの(あなたがしていることは正しいの)? 私はランギ208についていきます おばさん(父の姉妹)にランギを見てもらいます ムイェムイェは、何をしようとしているのかしら ヘー ムィエムィエ209 私にはお仕事がたくさんある、お前、赤ちゃん 私は池に足を踏み入れなくっちゃ ちょっと変わった子供 そんな子、私は放っておこう 田舎(nyika)へ行って仕事をさがします (コーラス) さあ帰りましょう 誰にでも言いたいこと(あるいは、取り組んでいる問題、仕事)はある お仕事がたくさんあるの 私 誰もが言いたいこと(同上)がある 私はランギについていきます

2512 (キツィンバカジ3)

キツィンバカジ、ムルング あなたには事件(不思議)がある 池に 驚いた 翼 ムルングに祈ります ムルングには事件(不思議)がある ウェー 池に ハヤ イェー 池でンゴマを打ってもらった お話する人 あなた何が言いたいの さあ、メリーさん ウェー キツィンバカジは光る 私は土を池に撒く

ムクセの歌 2514 (ムクセ1)

ヨーヨー 私は叱られたわ 私 私は叱られたわ(ここまで複数回繰り返し)

私は叱られたわ、私 畑で怖い目にあった 大きな獣を見たの その大きな獣は なんとでっかいヒヒ わたしはラシディがタンガ行きのバスに乗り込むのを見たわ それで私は叱られたわ お父さんに叱られたわ

2515 (ムクセ2)

ンゼルーレ(nzerure210) ウェー お母さん ンゼルーレ 昔の喧嘩が戻ってきた

憑依霊アラブ人(?)の歌/or キユガアガンガの歌 2516 (アラブ人?) (独唱)

私はあなたの仲間に呼ばれたわ 学校へ行かせましょうと 学校がどうしてわかるのですかと言われたわ 私は馬の口笛で呼ばれたの (合唱) そう 学校 お母さんといっしょなら そう 学校 私は馬の口笛で呼ばれたの お母さん あなたに何をあげたら良いの 施術師よ ほどいて

憑依霊ディゴ人の歌 2517 (ディゴ人)

私はメッセージを受け取った、マリさん あなたがたのお仲間は驚いた (以上複数回反復) 親なしっ子の問題なんて、お母さん 世間の人にはたいしたことない 私の友よ、私はどこに行ったらいいの、友よ、どう? このンゴマ メッセージは身体にこたえたわ そして貧しい身体でお便りします おちついてね、ンゴマよお母さん おちついて、おちついて、私は何も言いません おちついて、私のお菓子のような兄弟

キユガアガンガの歌 2518 (キユガアガンガ)

お母さん、私はなんていう憑依霊と呼ばれていますか 施術師の友人たちを困らせる うぇーん 気狂い 皆さん、そいつに言いなさい。施術師たちを困らせるなと お母さん、心が痛いの、友よ お父さん、心が痛いの、友よ だから水汲みに行きません 心が痛いの、友よ だから薪とりにも行きません 心が痛いの、友よ 皆さんそいつに言いなさい、そいつに来るように、ゼーゼーゼー

憑依霊マサイ人の歌 2519 (マサイ人)

ハランベー!211 眠らせて ヘー ホリヨー (複数回繰り返し) 昨日私は誓いをたてた 私が言ったことには、私は口笛を吹かない 神にかけて 私は人妻を口説きません そいつは眠らない 私はただでウシを食う 私の施術師よ、箕を握るな、そしたら彼は手を離した 私たちどこへ行こうかね ウシにはロープが付いている 私のウシにはロープがついている、ロープがついている

憑依霊クヮビ人の歌 2520 (ムクヮビ(mukpwaphi136)1)

アヘー、ヘー、ムクヮビ 男たち、一列

2521 (ムクヮビ2)

昨日、私はカセジャさんの評判を聞いた 仲間は「私はまだ彼に会ったことがない」って 私は気持ちをそそられました(字義通りには「心に騙された」)、ホワー カセジャさん、 ご本人はお嫌い

2522 (ムクヮビ3)

うぇーん、ホーワー 行くように言われたの 心臓はびっくりした、皆さんの仲間 ハゲタカ カトゥンガータ、ハゲタカ カトゥンガータ、カトゥンガータ ベコザ・カトゥンガータの屋敷へ

憑依霊サンバラ人の歌 2523 (ムサンバラ1)

へー、お母さん、施術師はサンバラにいるよ、我が子よ さて、お母さん、施術師はサンバラにね、ウェー 私はディゴに呼ばれる 私はイスラム教徒たちに呼ばれる ジョンヴまで行きなさいと 私はディゴたちに呼ばれる サンバラ この言葉、施術師たちはサンバラに、ウェー、兄弟たち 私のために癒しの術のお金を稼いで

2524 (ムサンバラ2)

ムサンバラ いまにも、私に歌わせて 癒しの術を、どう歌う ムサンバラ、ヘー、歌う 癒しの術のために私は歌う ヘー、私に歌わせて 癒しの術のように私に歌わせて ムサンバラ、ヘー、癒しの術のために私は歌う

2525 (ムサンバラ3)

わたしはムクンダを耕作する、ハヤ、ウェー、ハヤ わたしはムクンダで眠ります、ハヤ

2526 (ムサンバラ4)

大きな池にはワニがいる お母さんに言われたの。水浴びしておいで。 はい。じゃあ水浴びに行ってきます。 池にはワニがいる。 お母さんに言われたの。水浴びしておいで。 お母さんに言われたの。水浴びしておいで。

2527 (ムサンバラ5)

ムサンバラ、お母さん、私は歌う ハヤ、私は癒しの術のために歌う、ハヤ

2528 (ムサンバラ6) (独唱)

ムサンバラ、問題がある、お尋ねします 私は癒しの術を捨てます ハヤ、お母さん、 頭の癒しの術(uganga wa chitswa212)は難儀です 私は癒しの術を捨てます (コーラス) 私はあなたに言います 頭の癒しの術は大変です 私は癒しの術を捨てます

ジネムァンガの歌 2529 (ジネ・ムァンガ)

ジネ・ムァンガ、うぇーん、ジネ・ムァンガ 睡蓮子神は眠らない、お母さんと癒しの術 ムサンバラは誰のために殺されたの 祖霊と癒しの術 お気の毒にお母さん ここで私はンゴマを演奏されてます ムサンバラ、ウェー、私の癒し手 ほどいてください

ガラ人の歌 2530 (ムガラ1)

来て見てごらん 並んだ姿を 彼は名前を出されるのがイヤ 来て見てごらん

2531 (ムガラ2)

ウシの通り道 いやいや、鷺(憑依霊)の通り道では? ウシの通り道だと私は言っています ムワカさん、ヘー ガラ人のように 人を苦しめる問題もある 苦々しさと心の苦しみ、ヘー ガラ人のように ヘー、私たちはまだここにいます ムワカさん、ホー ガラ人のように、ホーワ、ヘー

2532 (ムガラ3)

問題の中には難儀なものもある ウェー、お母さん あなたは貧しい惨めな者を驚かせている

ライカムェンドの歌 2533 (ライカムェンド1)

声をあわせてライカ ライカは旅人 夜が明けた、心は悲しい (以上複数回反復) 落ち着いて、落ち着いて、楽士(カヤンバ演奏者、唱者など)の皆さん 楽士たちはどこにいる あなたたちは癒しの術を軽んじた 癒し手はまだここにいる、ウェー 夜が明けた、心は悲しい

2534 (ライカムェンド2)

ライカ・ムェンド、ホーワー 降りてきて、池で水浴びしろ 私は痛い、もうこれまで 列をつくって降りてこい 池で水浴びしろ

2535 (ライカムェンド3)

ハヤ、もしザワディと一緒なら 私は何をしたらいいの? 人のお母さん 太鼓は小屋の中 言っておやり、ヘー もし太鼓なら、ザワディ ハヤ、太鼓は小屋の中

2535▼ (ライカムェンド4)(浜本の信頼性低い書き起こしの信頼性の低い翻訳) (独唱)

ライカムェンド、ウェ お前はお父さんに呼ばれている、ウェー ライカは傲慢でおしゃべりだ、うれしくない、ホーウェー ライカムェンド、ウェ お父さんに呼ばれたよ、ウェー 速い、速いライカ (合唱) ライカムェンド、ウェ お前はお父さんに呼ばれている、ウェー 速いお母さん、池に お父さんに呼ばれたよ、ウェー 速い、速いお母さん (独唱) ライカムェンド、ウェ お前はお父さんに呼ばれている、ウェー ライカは転がっていくよ(ンゲレンゲ(=村の名前)にいるよ)、うれしくない、ホーウェー お父さんに呼ばれたよ、ウェー 速い、速いライカ (独唱パートは即興で変化しつづける) (合唱パートの女性たちは繰り返し)

憑依霊ドゥルマ人の歌 2558 (ムドゥルマ1:カルメンガラ7の歌)

ホー、ゼ、私はカルメンガラと呼ばれている 災難に巻き込まれてしまったよ、お母さん 私はカルメンガラと呼ばれている 外の問題も知っている、内の問題も知っている お母さん、私は尋ねられる 私はカルメンガラと呼ばれている もしお前が男なら、来るがよい213

カヤンバは打たずに左右に静かに揺すってジャラジャラという音を出す。これは ku-suka と呼ばれ、憑依霊を最初に呼ぶリズム。

2559 (ムドゥルマ2:カシディ8の歌) (独唱)

ホー、私は立ち去ります、行くよ、行くよ カシディのンゴマを打ってもらいました 兄弟、私は荒地(田舎)に行きます 歌作りを知らない人は、来て歌をご覧あれ さあ、私ドゥルマ人は立ち去ります (合唱) お母さん、カシディが旅人だと知らない人 さあ、ドゥルマ人がやって来る

独唱パーツはその直後に男たちに唱和されつつ何度も繰り返される。繰り返しの都度、独唱者は言葉を変えたりいろいろ変化を加える。これは最初の3行を4度目に反復した部分。(荒れ地に行きますのところを、ヨーロッパに行きますに変えたりしている)

規則正しいリズムが反復する。これは ku-tsanganya (混ぜる)と呼ばれるリズム。

2560 (ムドゥルマ3)

うちにおいでよ ジュマ214じゃないの うちにおいでよ 妻娶りは難題がいっぱい うちにおいでよ 妻娶りは難題がいっぱい

2561 (ムドゥルマ4)

もしヤシの葉で編んだマットをもってるなら それよりも ウシの皮の方が寝るのにはましなんじゃない

2562 (ムドゥルマ5) (独唱)

ドゥルマ人、(カシディ)、私は貶められている ドゥルマ人、(カシディ)、私は遅れて生まれてきた では皆さんにお話しましょう うれしいことなど何もない 私は貧しい惨め者 (合唱) それは呪詛のせいよ、お母さん 「nayeni(悪しきことがその者とともにありますように)」よ。 今日は大喧嘩

独唱パート、延々と(アドリブ入れつつ)繰り返す
合唱パーツ、こちらも延々と続く。このリズムは ku-bit'a (「叩き落とす」)

2563 (ムドゥルマ6)

いい女は良い評判、ヘー 杵で搗いては、臼で挽く 杵で搗いては、臼で挽く ドゥルマ人は良い評判 とっても可愛く生まれました

もともとは太鼓でややゆっくり演奏されていた曲

マンダーノの歌 2564 (マンダーノ1) ku-suka 霊を呼ぶ(板を打ち付けないで左右に振って鳴らす)

マンダーノ あなたは呼ばれているよ、ウェー、おじさん マンダーノ あなたは呼ばれているよ、ウェ、ンゾンボ あなたはお父さんに呼ばれているよ 牛乳を飲んでおいでと マンダーノ あなたは呼ばれているよ、ウェー、兄弟

(続)マンダーノの歌 ku-tsanganya(少し速いリズム) 2565 (マンダーノ2)

丘に登り、 降りておいで、ゾンボ、ヘー 丘に登り、降りておいで ゾンボには山々 ゾンボには山々 丘に登り、降りておいで ヘー、丘に登り、降りておいで

2566 (マンダーノ3) ku-tsanganya

ハーイェー、私のマンダーノ、役立たず、ヘー マンダーノは胸張って美貌自慢 マンダーノ ヘー、私のマンダーノ

何をあげよか、何をあげよか、何をあげよか へー、施術師さん あなたに何をあげましょか ハッカ飴、ハッカ飴、ハッカ飴、ハッカ飴

歌詞の4行目まで何度も何度も繰り返し
歌詞後半5行、何度も繰り返す

2567 (マンダーノ4) ku-bita(速いリズムで打ち付ける)

粉ばら撒いてかき混ぜる 施術師たちはかき混ぜる

ひたすらアドリブ入れつつ繰り返す

ムリサ(放牧者)の歌 2568 (ムリサ(放牧者)1) ku-suka

ムリサ、どんな風に放牧するの? 大急ぎで走って なんと、ウシたちがトウモロコシの若い穂を食べている 私はどこに行けばいいのか、タイタ人 私は眠らない、タイタ人 ムリサ、ウシの脚を切り落とし その肉を食べた ほうら、ウシたちは眠っている

2569 (ムリサ(放牧者)2)

少年ムリサがやって来る ウシたちは欲しがっている 少年ムリサがやって来る ウシたちは欲しがっている

2570 (ムリサ(放牧者)3)

野草(ご飯のおかずの)を摘んでおいで 私のムリサ 彼が空腹で寝ることになるよ 私のムリサ 彼に野草を摘んで来させましょう ハイ、ハイ

2571 (ムリサ(放牧者)4)

ムリサ、太陽が進んでいく(時間が経っていく) あんた、ムリサ なに内緒話ばっかりしてるんだよ

ニャリの歌 2572 (ニャリ)

ニャリは威張ってる 押さえつけろ お前ニャリ、押さえつけろ ヘー、ニャリは威張ってる 押さえつけろ ニャリ、押さえつけろ

シャカの歌 2577 (シャカ148)

泣くのはおやめ、我が子よ 家でトラブル(shaka)ばかりなんて良くないよ 言い争いにはげんなりだ 家でトラブルばかりなんて良くないよ

ムガイの歌 2578 (ムガイ149)

お母さん、あなたがた癒し手、わたしはわかったぞ、不思議の技をお持ち なんて言えばいいんだ、あなたムガイ(貧しく惨めな人)、お母さん 私に婚資を出させてくれ 田舎の荒れ地への旅 やることいっぱい、私は難儀 私に婚資を出させてくれ 私はギリアマ人

憑依霊ガラ人の歌 2579 (ムガラ1)

最初の子供 ムワカ、ウェー お母さん、私は独りで池に お湯を沸かせて、あなたの頭を剃ったら、ゆがんだ ヴョー、最初に生まれた子って、ホワー

2580 (ムガラ2)

お母さんに池に呼ばれたの どこを通ればいいの ガラ人がいる 何に食べられるの 田舎の荒れ地で ガラ人(複数)がいる

マサイ人(?)の歌 2581 (マサイ) (独唱)

あなた自身が池が好き お母さんは 池をかき乱す (合唱) あなた自身が池が好き あなたは池をかき乱す

ライカニョカの歌 2582 (ライカニョカ) (独唱)

私は治療します、ウェー お母さんに尋ねられたわ ヘエー、おじさん、私は太陽から逃げた 治療しな、治療しな、ウェー 私の蝿追いハタキを見つけに行かせて (合唱) 今日、私は食べられる 邪悪なヘビがやって来た 私の癒し手にはどこで会えるの?

カニャンゴの歌 2583 (カニャンゴ) (独唱)

旅人カニキ、旅人カニキ、旅人カニキ お母さんに言われたよ 私にドレスを買っておくれ 旅人カニキ 旅人カニャンゴ 不潔な年寄女にドレスを買ってやる 旅人カニキ (合唱) お母さん、私の蝿追いハタキ 遅れちゃうわ、私の蝿追いハタキ 最初の子供、お母さん、ゼー 最初の子供

ムクセの歌 2584 (ムクセ1)

子供が泣いてるよ ムクセ、ウェー ムルングが私に機会をくれた ムクセ、ウェー 最初の子供を産みなさい お母さん、ウェー 最初の子供を産みなさい それがお前の兄弟さ

2585 (ムクセ2)

ムクセ、これはやむを得ない事情 お母さん、バスが私を待ってくれなかった(文字通りには「バスが私から逃げ去った」) ムクセ、私の兄弟、お母さん バスは私を待ってくれなかった

2586 (ムクセ3) (独唱)

私は道を行く ムクセ、ハー 太陽が出るところ、雲があるよ、ハー 太陽が出るところ、雲があるよ、ハー (合唱) 背負えないわ、背負えないわ、背負えないわ 仕事(割り当てられた)と太鼓、仕事と太鼓 泣かないで(だまりなさい)、ウェー 仕事と太鼓

シェラの歌 2587 (シェラ1)

私追い払われたわ、お母さん、今日 ニンベガの子供は追い払われた ここにいたのよ 病気はもどってくる、治療される病気 私は施術の狂気を煮立てる(憑依状態になる) 私は施術の狂気を煮立てる 狂気を煮立てる者(mujita komaはシェラの別名)は あなたをもらいに来る、お母さん 施術師は私を困らせる、シェラ お母さんは見えない、シェラ ニンベガの子供は見えない 私はここにいたのよ 病人は戻って来る、治療される病人

2588 (シェラ2)

私はお米を見ている、災難よ、お母さん ああ、私はろくでなしの大人 私のお金は病気に、無駄に使い尽くした お母さん、心は呆然 お金はなくなった 病気は治らない ウェー 惨めの極みよ、お母さん

2589 (シェラ3)

へー、私は食べられるよ、へー、ゼー 瓢箪子供 私は癒しの術が欲しいよ 私の子供 瓢箪子供

ディゴ人の歌 2590 (ディゴ1) (合唱)

お母さん、私は私の布が欲しい お母さんねえ、お母さんってば ディゴ人の布 私の布、お母さんってば 私の布、ヘー ディゴ人の布 (合唱) 被造物人間、ホワー お母さん、病気が私を悩ませる 病院には人間用の薬がない エイズがあるの、お母さん それは伝染するの 用心よ、あなた、慎重な計画よ

2591 (ディゴ2)

お母さん、おっぱい(dondo=乳房)、ウェー、ゼー、癒しの術の 問題が子供をつかまえた 今は争い(kondo)よ、お母さん、争いよ 戦うのよ 癒しの術の戦いからどうやって解放されるというの ヘー、問題が子供をつかまえた 子供はうろつきまわる

2592 (ディゴ3)

病人、ウェー、お母さん 病人、ウェー、お母さん 私は治療してもらえない 呆然としちゃうわ、私 病人、ウェー、お母さん 私は治療してもらえない

2593 (ディゴ4) (独唱)

達者がなにより、健康でいてね お母さんによろしくね、あなた孤独な人 もし健康だったら、あなたは何をなさるの あなたムワカさん、もし健康だったら、 あなた、なにをするの (合唱) あなたムワカさん、あなたムワカさん、 健康だったら、どうするの お父さんに尋ねられました ハヨー 見てよ、そうじゃないでしょ もし健康だったら、よ。 子供は泣いているわ 泣いてるんだってば、ホワー 泣いてるんだってば、ホワー コロブス・モンキーの毛皮だったらよかったな、あんた眠ってるの、ヘー? 私は大男をみたわ、おじいさん コロブス・モンキーの毛皮だったらよかったな

シェラの歌 2594 (シェラ4)

私はシェラに呼ばれました、おだやかに 私はお母さんに呼ばれました、みなさん この道をくだって、池に降りてください 降りてくるところに、降りてください 内臓(mahumbo=腸、内臓?)、淡水魚(kumba(pl.makumba))、池に、なんと 私はお母さんに呼ばれました、蝿追いハタキ お待ち下さい、みなさん、池で、坂をくだって ムヴモ(Premna chrysocladaの木)を探しに行ってください 一本の斧をもってお行きなさい ゾンボの小池、施術には蝿追いハタキ ゾンボの小池、施術には蝿追いハタキ 事件、私は倒れた 皆さん、池に降りてください、坂をくだって

2595 (シェラ5)

行ってお母さんに告げてください、ホー、私は登ります 兄弟よ、池に脚を踏み入れないで、ハー お母さんに言われたの、ハー ゾンボは、私の出身地は遠いの ゾンボは、私の出身地は遠いの ハー、遠いの、お母さん、ハー 行って、池に踏み入りましょう、施術で、ハー 私は登ります、ハー 頭と背中をつかまないで、ハー

2596 (シェラ6) (独唱)

仲間のみなさん、彼女は見えない、彼女はみえない お母さん、彼女は見あたらない なんと、見あたりません。気狂い女(muchetu wa k'oma=シェラの別名)。 お母さん、なんと、彼女は見あたりません、池では。 (合唱) 気狂い女、お母さん、なんと 彼女は、池では、見あたりません。

2597 (シェラ7)

コンザ(konza=意味不明)、私は道をさまよう、孤独、ハー 待って、癒しの術(uganga、もしかしてここでは占いmburugaか)を打ちに行かせて シェラは私に腹(の病気)を与えた 脚の震え シェラは、お母さん、あなたを石女にしてしまうでしょう あなたシェラ、お前は子供を産んだ お前はその子に、満腹という名を与えた お前はその子にも腹(の病気)を与えた 全身の震え シェラは、お母さん、 私を石女にした

2598 (シェラ8) (独唱)

ここです、(池は)ここです 池に、お母さん かご罠(魚獲の)が行った(運ばれた) ここです、なんと、ここ だって、かご罠が行った シェラは高速女 やって来た、丸太 ワンピースをもって行って、荒れ地で着なさい (合唱) 泣かないで、我が子よ、ウェー お前は綺麗の池に足を踏み入れた お母さんの子供は、池に足を踏み入れた 泣かないで、我が子よ お前は池に足を踏み入れた

2599 (シェラ9) (独唱)

お母さん、あなた、誰にしてもらえるの お母さん、あなた、誰にしてもらえるの 私はここにいたのよ、みなさん あなたは誰にしてもらえるの 貧しく苦しい人、お母さん (合唱) 肩掛け袋をもって こちらではその人は泣いているわ、みなさん ぐるっと回ったほうがましね お話って、いったい何を話せばいいの? 箕(搗いたトウモロコシの薄皮と実をよりわける円形のザル)のように転がっていったほうがましね お気の毒に、金槌(nyundo、人名かも)といっしょで お気の毒に、金槌といっしょで 私の友人の奥さん、私はひどい目にあってます ヘー、一列に(ndaro、人名かも)

2600 (シェラ10)

お母さん、ここ池にやって来た ビーズ飾り(施術師が身につける)に従って それは争いよ、それは ビーズ飾りに続け ビーズ飾りに続け

マサイの歌 2605 (マサイ1)

さあ、目を覚ませ、歌声 歌声、私はやって来た、歌声、光 槍の歌声 目を覚ませ、あなたがたは呼ばれている 光の歌声 槍の歌声

2606 (マサイ2)

私はお父さんに呼ばれた、牛を数えなさいと 私はお父さんに呼ばれた、書を分け与えてもらってこいと 私はお母さんに呼ばれた、ウェー 丸木舟で水を飲んでこいと 私はお父さんに呼ばれた、学校で寝てこいと 私はお母さんに呼ばれた、ヘエー 丸木舟で水を飲んでこいと

2607 (マサイ3)

へー、お母さん、ラライヨ、内陸 へー、お母さん、ラライヨ、内陸 おまえはウシを杵で搗いた そう、ウシを マサイの池、ラライヨ、内陸 マサイの池、ラライヨ、内陸 ヘー、お母さん、ラライヨ、内陸 へー、お母さん、ラライヨ、内陸 お母さん、歌声、ヘー、歌声 今日は戦い さあ、私は帰ります、マサイの歌声 あなたがたは戦いを問う

2608 (マサイ4)

マイェー、マサイは眠らない マイェー、マサイは眠らない コロブス・モンキーの毛皮をユサユサさせながら夜を徹す マサイは眠らない マサイの旦那は眠らない ンズガ215をチャキチャキ鳴らしながら夜を徹す

2609 (マサイ5) (独唱)

私はウシを数えます 蜻蛉の子供 ウシを数えます マサイの池 ウシを数えます お父さんに言われました マンダラの池 (合唱) 蜻蛉、蜻蛉、へー、蜻蛉 ハヤ、ハヤ

2610 (マサイ6)

マサイがいる 施術師のみなさん 私はタンガのニュースを尋ねます あなた方がやってきた山の方では戦争が あなた方がやってきた山の方では戦争が マサイは帰って来た、お母さん、マサイは 癒しのンゴマを打ってもらいに帰ってきた マサイは帰ってきた マサイは癒しのンゴマを打ってもらいに帰ってきた

注釈

カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事

 


1 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)2であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
2 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba3)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)4や母(女性施術師の場合)5ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
3 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
4 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」2を参照されたい。
5 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」2を参照されたい。
6 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性7)、カシディ(kasidi 女性8)、ディゴゼー(digozee 男性老人9)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
7 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma6)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
8 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma6)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
9 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo10)マンダーノ(mandano11)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
10 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
11 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
12 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)13、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす21)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku23)、おしゃべり女(chibarabando24)、重荷の女(muchet'u wa mizigo25)、気狂い女(muchet'u wa k'oma26)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma27)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo29、長い髪女(mwadiwa30)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba3)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
13 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri14)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ15を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
14 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza13と呼ばれる手続きもある。
15 ンガタ(ngata)。護符16の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
16 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata15)、パンデ(pande17)、ピング(pingu18)、ヒリジ(hirizi19)、ヒンジマ(hinzima20)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
17 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符16。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
18 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符16の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
19 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima20)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
20 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi19)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
21 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo22)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
22 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
23 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera12)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
24 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera12の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
25 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ12の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
26 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ12の別名ともいう。
27 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera12)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo28))の別名ともされる。
28 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
29 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ12の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo28)の女性であるともいう。
30 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
31 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai32 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande17)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka33)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
32 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
33 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
34 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka35)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
35 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
36 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウツィク(makoloutsiku)、マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
37 チャリの長女
38 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
39 ングオ(nguo)。「布」「衣服」を意味する名詞。スワヒリ語も同様。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。多くはカヤンバなどにおいてmuwele1として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
40 「感謝します」アラビア語に由来するスワヒリ語の表現。
41 ムァワヤ(Mwawaya)、アリー(Alii)、ベクェクェ(Bekpwekpwe)はこの時期チャリの男性の弟子たちの中心だった。全員カヤンバの歌の巧みなソロの歌い手(ngui, pl. mangui)であるとともに奏者であった。
42 言葉(neno)の複数形。言葉という以外に、問題、トラブル、議論などの含意もある。ここでは憑依霊が、なにか特別な要求を突きつけてきたり、施術師と議論になったり、騒動を引き起こしたりを指している。
43 フング(fungu)。施術師に払う料金
44 患者の症状は、腹部の膨満、嘔吐、下痢、欠食、不眠
45 なされた治療は憑依霊ドゥルマ人の鍋と煎じ薬
46 ク・ラガ(ku-laga)。「別れを告げる」「(再開など)約束する」、ku-laga ngoma=ンゴマの開催を(霊に対して)約束する。mbaraは開催予定の日時。
47 ク・ツマ・ミヒ(ku-tsuma mihi)。ku-tsumaは「探し求める、集める」ku-tsuma mihi は治療のための草木を探し集めること。その用途によって ku-tsuma mavuo(薬液vuoに用いる草木を集める)、ku-tsuma mihaso(薬mihasoに用いる草木を集める)などとも言う。施術に用いる草木を集め、整えるのは施術師の弟子 mwanamadzi48 の役目なので、私は同行するときには一つ一つの草木を教えられながら折り取ったり、引き抜いたりする(一応弟子)。でもあいにく全然、覚えられない。
48 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ49)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
49 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
50 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya51)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu53)とセットで設置される。
51 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo52)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza50)と呼ばれるが)。
52 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
53 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza50、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
54 ムバンバコフィ(mubambakofi)、世界導師(mwalimu dunia55)の草木。Afzelia quanzensis(Pakia&Cooke2003:390)マメ科の木。
55 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師56。内陸bara系57であると同時に海岸pwani系58であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」85)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
56 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia55)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
57 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
58 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume59)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani80)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
59 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola60)もありうる。
60 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini61」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa6263と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume59)、カドゥメ(kadume71)、マウィヤ人(Mawiya72)、ドゥングマレ(dungumale75)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga76)、トゥヌシ(tunusi77)、ツォビャ(tsovya79)、ゴジャマ(gojama74)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu69」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」70)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
61 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola60)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
62 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa63)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola60)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち66)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba58)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu69)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni70)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini61)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
63 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」64など)を行うことなどを意味する。
64 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ65などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
65 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ64」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
66 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo67)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
67 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso68)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine66)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
68 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
69 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ70)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola60)の対象となる。
70 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu69」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
71 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
72 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde73)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama74)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
73 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
74 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola60)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
75 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola60の対象になる)63。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
76 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
77 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine66)の一種という説と、ニューニ(nyuni70)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ78らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola60)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
78 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
79 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ70の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola60)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa63」。see p'ep'o mulume59, kadume71
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
80 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」81による鍋(nyungu53)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe84)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu18)。
81 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術82においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba83)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande17)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu53)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
82 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
83 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
84 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
85 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia55)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
86 ムガラ(mugala)。憑依霊ガラ人(mugala)の草木。Erythrina sacleuxii, The Duruma use the roots to treat spiritual ailments.(Pakia&Cooke2003:391); Erythrina abyssinica(Abyssinian coral tree(Maundu&Tengnas2005:223)
87 kanda(pl.makanda) 植物の皮、鞘。樹皮は普通 kopha(pl. makopha)だが、makandaが用いられる場合もある。
88 ムワレ(mware)。キワタ。Bombax rhodognaphalon(Pakia&Cooke2003:388)。世界導師(mwalimu dunia55)の草木。ムルングの草木。
89 ムクユ(mukuyu)。野生のイチジク。Ficus sur(Maundu&Tengnas2005:238)。ライカ(laika)、シェラ(shera)の草木。
90 ムジェンガツォンゴ(mujenga tsongo)、ディゴ語で muzengatsongo。 Antidesma venosum(Maundu&Tengnas2005:104); コミカンソウ科; 果実は可食、根は有毒。ライカ(laika)、シェラ(shera)の草木
91 ムリンダジヤ(murindaziya)。キバナツノクサネム。Sesbania bispinosa(Maundu&Tengnas2005:387)。murinda は動詞 ku-rinda(「守る」)より、ziya は「池」、つまり「池を守るもの」という意味になる。ムルングの草木。マメ科、刺、黄色い花、ネムノキに似た葉。
92 ムツァカムホ(mutsaka muho)、別名ムコンジウェ(mukonjwe)。ライカ(laika)の草木。未同定。
93 ムペーポー(mup'ep'o)。憑依霊アラブ人の草木。海岸の草木(muhi wa pwani)。Vitex strickeri(Pakia&Cooke2003:394)
94 キヌカムホンド(chinukamuhondo)。ムルングの鍋のメインになる草木。別名 mwamusunza、mwamutsanzaとも。学名Sesbania sesban(Egyptian riverhemp)(Maungu&Tegnas2005:388)。chinukamuhondoドゥルマ語で文字通りには「明後日も匂う」あるいは「明後日の香り」の意。
95 キヴンバニ(chivumbani)。不明。もしギリアマ語のluvumbaniと同一であれば、ドゥルマ語における muvumbamanga=Ocimum gratissimum(Pakia&Cooke2003:391)つまりAfrican Basilであることになる。ムルング、キツィンバカジの草木
96 ムプェケ(mupweke)。Diospyros squarrosa(Pakia&Cooke2003:389)。Diospyros mespiliformis(Maundu&Tengnas2005:199)。別名ムズングムホ(mudzungu muho)。シェラの草木。
97 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
98 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma6)、憑依霊ドエ人(mudoe99)の草木。
99 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu18)は、ムドエの草木(特にmudzala98)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
100 ムカブァーハ(mukaphaha)、ムルングの草木、未同定。同じくムルングの草木とされるブァハ(phaha)、ルブァハ(luphaha)は、同じものと思われるが、いずれも未同定。
101 ムンゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよびシェラの草木、未同定
102 施術師一行(+私)だけ小屋の中に招じ入れられ、夕食を与えられた。トウモロコシの練り粥(wari)と鶏(kuku)のスープというゲスト向けの料理。
103 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
104 クチ(kuchi, pl. makuchi)。エダウチヤシ(mulala、Hyphaene compressa)の葉で編んだマット。ディゴ地域ではエダウチヤシではなく、野生ナツメヤシ(mukindu, Phoenix reclinata)が用いられている。
105 サンドゥク(sanduku)。木製またはブリキ製の箱で、衣類などの保管に用いられている。スーツケースも同じ名詞で呼ばれる。木製のサンドゥクは、カヤンバにおいてしばしばムエレ(muwele1)が腰をかける椅子として用いられる。
106 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele1)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo107))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
107 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをkuhatsa106と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
108 このタイトルはフィールドノートにはない。html化に際して付加。
109 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza50)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる110。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている111。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
110 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供111がある。瓢箪子供の各部の名称については、図113を参照。
111 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供110。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神109がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande17)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料83)、血(ヒマ油112)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
112 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
113 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
114 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
115 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
116 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
117 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki118)、キツィンバカジ(chitsimbakazi115)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか,
118 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ119、ニャリ120、ムビリキモ10などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika121)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
119 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari120)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande17)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
120 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)13」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena119が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee9)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande17には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
121 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi115)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka122) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri14)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi123など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo124,laika mukusi116など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe125, laika ra nyoka125, laika chifofo128など。(4) その他 laika dondo129, laika chiwete130=laika gudu131), laika mbawa132, laika tsulu133, laika makumba134=dena119など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze50)で薬液を浴びる、護符(ngata15)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza13)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
122 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
123 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni70)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
124 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
125 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira126)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka127)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
126 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
127 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
128 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
129 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi115)の別名ともいう。
130 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
131 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
132 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
133 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
134 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena119)の別名。
135 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ここではマサイとされたが、dzana napiga hati, ...tsituma mukaza mutu(昨日、私は誓いをたてた。人妻を口説かない。)の歌詞は、一般には憑依霊ムクヮビmukpwaphiの歌だとされている。
136 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
137 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
138 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
139 タイトル(ないしはカッコ内)はhtml化に際して付加。
140 ムガンダ(muganda)。憑依霊ガンダ人。民族名の憑依霊。バナナを主食にするなど。Chari以外にこの霊をもっている人にあったことがない。1991年の時点でChariの占いを担う霊とされていた。ジンジャ導師(mwalimu jinja)の別名。
141 muweleの省略(以下同様)
142 ムリサ(murisa)「牛追い」動詞 ku-risa「放牧する」より。憑依霊ドゥルマ人(muduruma6)の別名とする人もいる。ムリサに憑依されると、飼っている山羊が多くの子供を産むが、それを使用することは出来ない。それを個人的な目的で使用すると病気になる。ムリサに憑依された人はカヤンバの席で子供たちに牛追いの真似をさせ、中ごしに座ってウガリと酸乳を食べる。立ち上がって自分でも牛追いの真似をし、また座ってウガリを食べるといった動作を繰返す。持ち手の曲がった杖mukpwajuと木の御椀muvureを要求。
143 なぜか歌の部分が書き起こされていない(書き起こし担当者の判断?)。私の方でもチェックがおろそかだった。
144 ジャンバ(jamba)。ジャンバ導師(mwalimu jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿84、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
145 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba146)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」84、香料83と海岸部の草木81の鍋53。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
146 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
147 砂糖を嫌というほど入れた甘い紅茶と揚げパン。空腹にはうれしい。
148 シャカ(shaka, pl. mashaka)。憑依霊の一種。シャカ(shaka)はドゥルマ語で(スワヒリ語でも)「不安、心配事、疑い、困難、難儀」を意味する。憑依霊ドゥルマ人の別名の一つとも考えられている。
149 ムガイ(mugayi, pl.agayi)。憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは動詞ク・ガヤ(ku-gaya)に由来する。ク・ガヤは「困っている、難儀している」を意味する動詞だが、主として物が不足して困っている状態を指す。mugayi は名詞で人を指す。「困窮者」「貧乏人」
150 ライカ・ニョカ(laika nyoka)。ニョカ(nyoka)は「蛇」。laika mwafira126、laika mwanyoka127などの別名。
151 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
152 ムニェンゼ(munyenza)は一種の黒豆(black cowpea)の草本であるが、唱えごとのなかのkaziya kanyenze の意味とつながりがあるかどうかは不明。kanyenze(kaはdiminutive)は「小さい黒豆」kaziyaは「小さい池」ということになるのだが...
153 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
154 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu109)の別名。
155 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。スワヒリ語ではmayungiyungiは睡蓮(ドゥルマ語ではtoro(pl.matoro))なのだが。ムユンゴ(muyungo)も同じか。「マユンゲ(マユンギ、ムユンゴ)子神」はムルング子神(mwanamulungu109)の別名。
156 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza50)、池(ziya51)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu109)の別名の一つである。
157 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
158 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu109)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo28)やシェラ(shera12)のグループに入れる者もいる。
159 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
160 nyaniは疑問詞「誰?」であるが、普通名詞でnyaniは動物の「ヒヒ」という意味になる。という訳でムリナ氏は、ムエレが憑依した霊の正体が(彼女自身が演奏を止めるよう指示したことから)何者なのか不明だという指摘を、冗談で混ぜ返している。しかし実際には先の歌い手は、次に歌うムクセの歌が「ヒヒ」に関する歌なので、それにかけて冗談で、そいつは誰だ(nyani?)と言ったわけ。冗談がすべりまくり、当然私にもなにがなんだかわからなかった。
161 「今日のカヤンバの主役であるムウェレに憑いている霊として、カヤンバを打ってもらいにやってきた」という意味。
162 ムウェレのこと。ムウェレはチャリの施術上の「子供」である。
163 トウモロコシの練り粥(ワリwari(スワヒリ語でウガリugali))を食べる際には、手で食べやすい大きさをちぎり取り、丸めてスープまたは副菜とともに食べる。この丸めた練り粥をドンジェ(donja pl. madonje)という。胃腸の調子が悪い時、食欲がないときは、それをスープなどの中に潰しいれて食べる。
164 霊による占い特有の言葉遣い。占いの対象者の身体について述べているのに、一人称の所有格を用いる。対象者の腹に問題がある、というのを「私の腹」の問題として語り、そこが病気であるという情報を得た、ということを「お前が私に病気(という情報)を与えた」という言い方で語る。さらに対象者の感じている症状を、一人称で占い師自身が感じているように述べる。
165 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)166」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
166 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
167 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
168 ク・ハカナ(ku-hakana)。動詞。人前で口にできないような言葉を口にすること、罵ること、卑猥な言葉を口にすること。
169 この男は瓢箪子供を「返却する」という言葉を用いているが、おそらくは手続きをやり直す可能性について聞いているのだと思われる(書き起こし係の青年の解釈)。
170 キマコ(chimako, pl. vimako)。「人を驚かせること・もの」動詞 ku-maka 「びっくりする、驚く」より。しばしばチャムノ(chamuno)と同様に、病気の主症状を指すのにも用いられる。
171 書き起こし担当者はこの部分を書き起こすことは断念した。
172 シャイルーラ(shailula)。スワヒリ語にはないが、ザンジバルにおける憑依霊について書いたLarsenは、憑依霊ruhani(ドゥルマのrohaniに相当するか?)に対する特別の挨拶として、現地の施術師がShaulilaと唱えることを報告している(Larsen 2008:65)。Murina氏は、しばしば唱えごとをShaulilani tena taireniで締めており、Shailulaもこのザンジバルにおけるアラブ系憑依霊に対する挨拶の言葉に類似した(に由来する)と考えてよいかもしれない。伝わった経路は不明だが。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
173 この文章は文法的に解析困難。スワヒリ語ベースだが、uvumvuはスワヒリ語ではなく「孤独」を意味するドゥルマ語。ただ、さまざまな地域のイスラム系の霊に対して呼びかけを行っているくだりなので、このコンテクストに沿った訳を与えた。
174 スラティ(surati)は意味不明。
175 アスディ(asudi)意味不明。
176 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia55)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
177 ソラ(sora)、その後のソラビキ(sorabiki)ともに意味不明。スワヒリ語でもドゥルマ語でもない。
178 ジャウオ(jauo)。ドゥルマ語でもスワヒリ語でもない。おそらくMurina氏の造語。内容から判断して「薬液」vuoのaugmentative形のつもりではないか。知らんけど。
179 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
180 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga181)
181 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua180)、別名(?)ピーニ(pini182)が必要とする道具の一つ。
182 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua180の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera183)」の技も与えてくれる。
183 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
184 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
185 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu186)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma187)、ムブァツァ(muphatsa188)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata15)やピング(pingu18)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi189)やムドエ(mudoe99)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
186 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)109との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
187 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa188)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
188 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma187としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
189 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
190 ムボニ(muboni)。民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
191 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
192 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、ナンディ人193の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
193 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea192、mukavirondo194はいずれもナンディ人の別名であるという。
194 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
195 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
196 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena119)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari120)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga117)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。
197 ンガイ(ngai)。憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
198 ムカンバ(mukamba)。民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai197)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ197を参照のこと。
199 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。別表記としてライカ・キブェンゴ(laika chibwengo)、ライカ・キブェング(laika chibwengu)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。スワヒリ語のキブェンゴ(kibwengo)は辞書では「大木や海に棲む悪霊」と定義されている。Caplan,1975によるとMabwenguは憑依しない海の精霊だと述べられている(Caplan,A.P., 1975, Choice and Constraint in a Swahili Community: Property, Hierarchy and Cognatic Descent on the East African Coast, Routledge, p.112)
200 カヌンドゥ(kanundu)。ライカ(laika121)の一種か。ヌンドゥ(nundu)はコウモリ(ka-はdiminutive)以外に「瘤」の意味もある。ライカ・キヌンドゥ(laika chinundu「瘤のライカ」)はライカ・パガオ201の(それゆえライカ・ヌフシ202、ライカ・ムズカ122の)別名だともいう。
201 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
202 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao201))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka122)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
203 おそらくムルング子神の別名の一つ。この歌の中でのみ登場。ku-zizima は「冷える」「穏やかになる」を意味するスワヒリ語の動詞
204 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni205と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
205 ヴョーニ(vyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。
206 フンディ(fundi, pl. mafundi)。「職人、匠」。一般に特定の技術にたけた専門家を指す。憑依霊の治療の際に、フンディと呼ばれるのは太鼓やカヤンバの奏者や歌い手、施術師の助手たちだが、癒しの術の施術師自身もフンディという言葉で指されることがある。「匠(たくみ)」という訳語に統一しようかと思う。
207 意味不詳。
208 ランギ(rangi)はドゥルマ語では(スワヒリ語でも)「色」を意味する名詞。あるいはミルクを入れない紅茶(chai cha rangi)のこと。しかし "namutuwa(I follow him/her) rangi" であるので、人名と考えるしかない。
209 ムイェムイェ(muyemuye)。意味のない言葉。ここでは三人称単数の人称詞yeを伴っているので人名として用いられていると思われる。が、他のキツィンバカジの似た内容の歌では人称詞を伴わず、ムイェムイェの代わりにヤンガヤンガ(yangayanga)、ムンゲムンゲ(mungemunge)などになっていることもあるので、単なる意味のない言葉だろう。
210 ンゼルーレ(nzerure)。カンバ人社会で歌われている歌のジャンルらしい
211 ハランベー(harambee)は、ケニア初代大統領ジョモ・ケニャタが国民統合をもとめてかかげたスローガン。重いものを持ち上げたり押したり、問題に取り組むときに人々の協力的行動と精神を高めるためにかけられる掛け声。「力をあわせて!」「全員で!」
212 施術師になる際に、施術上の父や母である施術師から、いろいろ手ほどきを受ける。しかし憑依霊から直接に頭の中に知識を与えられる場合もある(夢などで)。そうして身につけた癒やしの術を「頭の癒やしの術(uganga wa chitswa)」という。施術師のなかにはチャリのように、自分の癒やしの術は「頭の癒やしの術だ」と誇らしげに語る人もいる。しかしンゴマの歌にも「頭の癒やしの術は、災難だ(あるいは、もうたくさんだ、なんにもならない)。私は癒やしの術を捨てます」(憑依霊サンバラ人の歌)と歌われているように、それは厄介な憑依霊たちとのより直接的な交渉を重ねることであり、病気と裏表の関係にある。それはうとましいことでもある。
213 「もしお前が男なら、来るがよい」は妖術使い、あるいは強力な「薬」を所持している者が、相手を煽って発する脅し文句とされている。ここでは「男」は強力な薬によって自らを防御しているという自信がある者のこと。「もし自信があるならやって来て私に挑戦してみればよい。そうでないなら、目にものを見せてやるぞ。」という脅し文句。
214 ジュマ(jumaまたはjumma, pl.majuma)。「週」「4日間からなる週の最終日」。この日は一切の農作業をしてはならないとされてきた。また施術師もこの日は施術は行わない。詳しくはドゥルマの月日の数え方
215 ンズガ(nzuga)。三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。