チャリの「重荷下ろし」とシェラ、ディゴ人、ライカを「外に出す」ンゴマ

目次

  1. 概要

    1. 日記より

    2. 施術の概要

    • はじめに

    • すでに施術師である者に追加で憑依霊を「外に出す」ケース

    • 主要な関係者

    • 異例ずくめのカヤンバ

  2. フィールドノートより

    1. 1989/12/14(Thu, kpwaluka)

    2. 1989/12/15(Fri, kurimaphiri)

    3. 屋敷での嗅ぎ出し

    4. intermezzo

    5. 徹夜のカヤンバ

    1. 1989/12/16(Sat): 重荷下ろし

    1. 外に出す

  3. ドゥルマ語書き起こしテキストの日本語訳

    1. ムァモコに出発する前に

    2. クズザ開始前のやりとり

    3. 屋敷内での「嗅ぎ出し」

    4. 徹夜のカヤンバ

    1. 重荷下ろし

    1. 外に出す

    1. カヤンバ歌

  4. 考察

  5. 注釈

概要

日記より

(調査日誌より関連する記述を転記1)

1989/12/13(Wed, jumma) チャリと彼女のカヤンバの打ち合せ、現地で炊事などの手助けをする女の子を提供してもらうため「ヒツジの場所」村の彼女の「子供」2のところへいく。その際キラボ4を待っている人々を見かける。チャリの知りあい(mulamu5)だそうだ。

1989/12/14(Thu, kpwaluka) 午後2時にMurina&Chariの小屋で待ち合わせ。ジムニーの後部に11人と鶏4匹、ヤギ1匹を詰め込んで出発。Mtaa6の交易場のあたりで昨日のキラボにいた当人に出会う。口と首筋が腫れ上がって口もきけない。....そこから先は街道(といっても凸凹穴ぼこだらけのダートロード)を離れて、さらに奥地に入る。初めての場所なので道の状況を心配していたが、ムリナたちがbarabara7だというので、半信半疑ながらなんとかなるかと走る。が案の定、道と呼べるような代物ではなく、すぐに単なるweruni8になり、そこを無理して進んだものの、ついに小川にぶつかってEnd。途中通ったJoho wa Mwagombeさんの屋敷までもどって、そこに車を置かせてもらい、そこから「すぐ」だという目的地まで、歩いて40分(遠いぞ)。ようやくMwamoko9のNyamawi氏(Murinaのbaba muvyere10にあたる)の屋敷に到着。瓢箪子供の作成など。

1989/12/15(Fri, kurimaphiri) 今日は、昼間にkuzuza11とku-phula mizigo72をやって、その後夜通しkayamba84を打ったあと、明日の早朝 ku-lavya nze(Shera, malaika)88という日程だったが、肝心のmuganga89の一人(女性)が来ず、なにも出来ない。ku-phula mizigo, kulavya nzeは男女一人ずつのmugangaが必要。午後2時にやっとやって来るが、なんの準備もできていないというので、結局翌日に延期。ndongaとushangaの準備をちんたら始める。16:00なんだか適当な感じでkuzuzaをやって、夜中の11時頃にようやく徹夜のカヤンバ開始。

1989/12/16(Sat, kpwisha) 今日中に帰れるか、だんだん心配になったが、昼前に始まったku-phula mizigoそのものは、なかなかの見もの。ku-lavya nze自体は、話に聞いていたほどのものではない。帰りの車の中ではBekpwekpwe たち、酒が入っていたためか全員上機嫌。車の中でカヤンバの大合唱になる。つられてこちらも愉快になる。道を歩いている人が何事かと(おそらくは怯えて)あわててブッシュに逃げ込むのがおかしいと言ってチャリが笑う。当たり前だ。ジープの中からカヤンバが聞えてくるのを聞けば誰だって肝をつぶす。なんとか全員を送り届けて、その足でモンバサに。Mwamokoを出たのが15時すぎ、キジヤモンゾに着いたのが17時、リコーニには19時前、めちゃ飛ばした。いつもは慎重な運転なのだが、皆のハイテンションが伝染していたのか、ちょっと危険運転の部類?ゆうべ1時間ほど仮眠しただけなのに、不思議に元気。

施術の概要

  1. はじめに 11月の「月のカヤンバ」の後になって、この「月のカヤンバ」がその1週間後に予定されていた(実際には12月15日開催と先延ばしになった)、憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカについてのチャリの「外に出すンゴマ」を、彼女がもっているすべての憑依霊たちに周知するためのカヤンバであったと聞かされた。そして私もその「外に出すンゴマ」に参加していいよと言われた。施術師就任の「外に出す」ンゴマについては、いろいろ話に聞いて想像をたくましくしていたが、未経験だったので、大喜び。ちょっと不便な土地でやるので、そこまで行くのが問題というので、じゃあ、モンバサでレンタカー調達してきますと、前のめりな私。

  2. すでに施術師である者に追加で憑依霊を外に出すケース 聞かされていた話とは随分違ったのだが、すでにムルングについて「外に出され」ている施術師の場合、それ以外の憑依霊を外に出す際には、隠された瓢箪子供を見つけるテストや、占いのテストなどはない。という訳で外に出すプロセスそのものは、たいしてドラマティックではない。それぞれの憑依霊の草木を、自力で見つけ出し、首尾よく見つけると、主宰する施術師たちによってそれを正式に授与されるプロセスは、2度目以降の「外に出す」ンゴマでも必ず実施される。

同じ瓢箪子供を共有する憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカについては一度のンゴマで同時に外に出すことができる。ただしライカ(およびシェラ)を「外に出す」ためには、まずライカやシェラに奪われている(かもしれない)キブリ(chivuri12)を嗅ぎ出(kuzuza)して取り戻す必要があり、さらにシェラを「外に出す」ためには「重荷を下ろす」(kuphula mizigo72)も行わねばならないため、全体は二日がかりの大掛かりな施術となる。

私にとっては、この「重荷を下ろす」施術というのも未経験。という訳で実施の2週間ほど前にそれについて質問したのだが、無知ゆえのトンチンカンな質問で、肝心の施術についてはわからないまま当日を迎えることになった。

さらに当日知ったことなのだが、この日に同時にギリアマ系のお酒の大好きな老人の憑依霊デナ(dena66)の瓢箪子供も与えられた(現物は後日に完成)

  1. 主要な人物

  1. 異例ずくめのカヤンバ 女性施術師の到着が遅れたため、当初のスケジュールは変更となった。当初は1.「嗅ぎ出し(ku-zuza)」2.「重荷下ろし(kuphula mizigo)」3.「徹夜のカヤンバ」4.「憑依霊を外に出す(瓢箪子供の授与、草木折り取り試験)」という順序で行う予定だった所を、「徹夜のカヤンバ」を「嗅ぎ出し」の後に行い、翌日、「重荷下ろし」と「憑依霊を外に出す」を連続して行うという順序に変更された。おまけに今回の「重荷下ろし」も「嗅ぎ出し(kuzuza11)」もともに、ある意味で異例ずくめだった。私のような初心者でも、すぐ気づいて、えっと思ったのは「嗅ぎ出し」のやり方。しかし「重荷下ろし」の方も後にムリナとチャリがこぼしていたように、普通の手順とは随分違っていたらしい。その点は、最後の考察で少し触れたい。

フィールドノートより

フィールドノート記載のメモの転記+録音データとの紐づけ90

1989/12/14(Thu, kpwaluka)

14:20 Murina出発前に唱えごと ムリナのmakokoteri(DB1460-1463) (ドゥルマ語テキストへは日本語訳のパラグラフ先頭の数字(データ番号)をクリックするとジャンプできます)

16:00 Nyamawiの屋敷に到着

ndonga を作る際に乾燥した瓢箪から掻き出された中身(mioyo92)は、遠くに投げ捨てなければならない。鶏などにつつかれるのはよくないから。 ku-finywa93 「防御」: ku-zuza11 の後、患者を ku-tsodza83 するのに用いる。laika13 が二度と患者の chivuri12 を奪うことが無いように。 ku-zuza の呪医は kuzuza に使用する mwana wa ndonga95 に加えて ndonga ya ku-finywa をもっていなければならない。

1989/12/15(Fri, kurimaphiri)

女性施術師99を待ちながら

kuzuzaとkuphula mizigoは翌日に延期(女性施術師が到着しないため) 14:00 女性施術師到着 too late ndonga, matungo100作りの続きなど

屋敷での嗅ぎ出し

突然のkuzuza

15:00 小屋の裏でなにかやっている気配があると思ったら、kuzuzaの準備 チャリは体調が少し悪そう ニャマウィ氏、ムリナたちに説明(説得?)する ニャマウィの説明(DB1464-1469)

16:00 kuzuza を Nyamawi の屋敷内でやってしまう!カヤンバも演奏されずまたmuzuka24 へも川や池にもいかない。屋敷の北東の外れに chinu102 を設置。二束の mikangaga103 を地面に植える。チャリは屋敷の方を向いて椅子に座る。

主宰施術師による makokoteri ニャマウィのmakokoteri(DB1471-1473)

makokoteri のあと muganga104 ともう一人99が mulungu の黒い布105をチャリの頭上に広げ、そこに muhaso27、黒及び白の k'uk'u106 を入れ、mavuo43 を注ぎかける。
チャリはそれだけで golomokpwa107 してしまう。何者?大騒ぎ。水、水。 Murina、駆けつけて水をぶっかけ、「アラビア語」で唱えごと 「アラビア語」「ガンダ語」の応酬。結局来ていたのはジンジャ導師か 憑依状態のチャリとニャマウィたちの交渉(DB1473-1479)

黒い鶏が chinu の手前(A)で屠殺され、chinuとその背後に座っているチャリの頭を越えて、その背後(B)に投げ捨てられる。

次にチャリの背後(B)で白い鶏が屠殺され、今度はチャリの背後からチャリの頭と chinu を越えて(A)の方向に投げ捨てられる。

白い鶏が屋敷の方向を向いて死んだためムリナはあまりよくない徴だと憂慮している。 これで kuzuza 終了。これでいいのか! 鶏を屠って投げる(DB1480-1481)

kutsodza83省略。チャリはまだ憑依状態。 Nyamawi唱えごと、ジンジャ帰る kuzuza終了、ジンジャ導師を送る唱えごと(DB1481-1486)

intermezzo

17:00 人々は雑談したり酒を飲んだりしながら ushanga109 などの準備。二人の若者がuringo110 などを作りにいく。別の若者たちは屋敷であすチャリが背負う muzigo73 を入れる mahundu112 を若いヤシの葉で編んだりしている。

徹夜のカヤンバ

22:00 夕食終了後月が出始めたのでカヤンバ開始

mwanamulungu から始まる。 続いて憑依霊アラブ人の歌 aganga taireni の歌は歌詞は同じなのだが、チャリたちが連れてきたカヤンバ奏者と Mwamoko のカヤンバ奏者とではメロディやリズムが違う。後者のは私がシャンビーニで聞いたものと同じ。

チャリと来たカヤンバ奏者は現地の奏者と張合うが圧倒される。 途中からチャリ自らが歌うべき歌を先導し始める。 nungu[^nungu]、突然憑依して、ちょっと踊って、話してすぐ去る。 ヤマアラシ出現(DB 1498, 1502)

chitsimbakazi14 musambala113

ジンジャ導師出現

musambalaの後に、場違いにmwalimu jinja114出現 (DB 1502-1513)ジンジャ導師との交渉 長々と居座る。施術師たち相手するが結構手こずる

jinjaようやく立ち去り、

平常運転

sanzua115 mukpwaphi119 mugala120

しばらく平穏(?)に進行 gojama48 mwakulala121 pungahewa131

チャリまたgolomokpwa107 pungahewa? chiyuga aganga? 土を食べたがる 霊去る、チャリも引っ込む (DB 1526-1528)食をめぐる交渉

ジャバレ導師出現

チャリは白いカンズと白い布を頭にターバンのように巻いて再登場。 自分から先導してjabale132の歌を歌いだす。現地の奏者たち知らない。 ムリナ教える。 (DB 1529-1531)ジャバレ導師とのやりとり mwalimu jabale では現地の呪医 Nyamawi 自身が golomokpwaしてしまう! ムリナは自分の描いた絵を彼に見せながらアラビア語らしきもので kukokotera137 Nyamawi 絵を見せられてうれしそう。大げさなジェスチャー。

チャリgolomokpwa、彼らを無視して勝手にjinja114を歌い出す。

カヤンバ演奏続くが、ムリナたちはそれとは関係なくアラビア語らしきもので語り合い ムリナ最後はスワヒリ語で唱えごとをしめくくる (DB 1536-1537)ムリナの唱えごと

休憩前の平常運転

murisa1383 unknown1 unknown2 masai1391 unknown3 unknown4 unknown5 muduruma1284

ここまで、チャリよく踊るが no maneno142

dena666 掛け合い。dena、ヤシ酒を所望 (DB 1555-1560)デナとのやりとり dena去る mudigo791すぐ中断 (DB 1560)憑依霊ディゴ人の歌1 nyari672 mwavitswa1432

イスラム系の霊を巡ってちょっと議論 (DB 1568)日本語訳

luki1442 mbilichimo693

深夜の休憩

02:30 makolo utsiku145 しかし出されたのが uchi146 だったのでテント147で仮眠をとることに。 (私はお腹がすいていたので chai148 と何かパンのようなものが欲しかった)

カヤンバ再開

03:00 カヤンバ、すでに再開している。

ジンジャ導師再び

憑依状態のチャリ、呪医たちとやりとり (DB 1570-1589)日本語訳 mudigo791 変に仮眠をとったのがよくなかったのか、眠くてたまらない

いつのまにか終了

04:00 再びテントにダウン。 05:30 目をさますとカヤンバはすでに終了して人々はchai と mahamuri3 を食べている!! あああ、あちゃあ。 [というわけで、最後どんな風に終わったのか、全く不明]

1989/12/16(Sat, kpwisha)

重荷下ろし(ku-phula mizigo)

(ウェブ化に際しての注:「嗅ぎ出し」もそうだが、「重荷下ろし」においては全過程を通じてカヤンバ演奏がなされており、私はその外側にいるために演奏の輪のなかでの施術師と患者のやり取りや、唱えごとなどはほとんど録音しても聞き取れない状態である。なんとか聞き取れるのは、多くがカヤンバが演奏停止している間の、人々の間の雑談的なやりとりや、楽屋裏的な打ち合わせで、残念ながら施術の内容の理解を与えるものにはなっていない。)

屋敷にて

8:00 ku-phula mizigo の準備が調い、カヤンバ開始。 Nyamawi の屋敷の中庭(muhalani)に chinu102 が据えられる。

チャリは chinu の前に座らされカヤンバが打たれる。 (DB 1598)出発の促し mwanamulungu mudigo shera と続く。

チャリは chinuのmavuo43を浴びるように言われる。 (DB 1598)重荷をつけて出発 チャリはすぐに golomokpwa し、男女の呪医に mizigo73 を背負って出発するように命じられる。 ヤシの葉で編んだ篭 mahundu112 の中に、水の入ったビンや石が入れてある。 これを両肩に一つずつ掛け、さらに頭から前後に二つ、合計4つのmahundu を掛ける。

頭の上には chikaphu151 をおかれる。

いかにも不愉快そうにチャリは歩き出す。 二人の呪医が鞭(細い木の枝)をもって続く。もしチャリが立ち止まると鞭打つためである。 カヤンバがその後に続く。

曲はひたすら ichiliku (shera) である。

ウリンゴにて

(DB 1598)ウリンゴ 水辺まで歩くのかと思っていたが、屋敷のすぐ外に設置してある chinu(ziya)42 と uringo110 の場所につく。これは手抜きだ。

(DB 1603)重荷を下ろす チャリは mizigo73 を下ろしてもらい、ziya の前の uringo に腰を掛けさせられる。 uringo の下に nyungu40 が置かれて kufukiza152

次いで ziya の mavuo を頭からかけられる。

赤い雄鶏を身体の各部に擦りつけるようにして二回まわし、屠殺。

続いて黒い山羊を同じように回し、屠殺。

黒山羊の血をコップにとってチャリに飲ませる。 (DB 1605)動物供犠(黒山羊)

続いて mizigo の中身をすべて空ける。チャリの隣にムリナを座らせる。 (DB 1607)ムリナも並んで座る

二人の頭上で「重荷」の一つココナツの核を割って中の液体を振りまく ndonga の内容物をチャリとその隣に座っているムリナに塗り、mavuo43 を二人に振 りかける。

(DB 1607)水をこぼすなっ 水を入れた chibakuli153 をチャリの頭にのせ、「こぼさぬよう。こぼすのは女じゃない。」などと命令。しかしチャリは golomokpwa しているためか身体を揺すってこぼしてしまう。鞭で威しながらじっとしているよう命令。

その後嫌がる(?)チャリに chikaphu151 と mundu154 をもたせ、立上がらせる。 (DB 1607)薪取りに行くぞ

屋敷への道

鞭で威されチャリは言われたとおり進む。

mundu で kuni155 を切らされる。 (DB 1609)薪伐り

次いで、mutsunga156 を摘まされる。

kuni と mutsunga を chikaphu にいれて屋敷に行くように言われる。

チャリは意識が正常じゃないのか少しぼんやりして言われたことがわからないように見える。鞭で威されてふらふら歩き出す。方向が定まらないように見える。

カヤンバ奏者たちが後に続いて行く。

小屋にて

(DB 1610)小屋の中でカヤンバ 屋敷に着くと、Nyamawi の小屋に入らされ、火を起こし、mutsunga を火にかけるよう命じられる。

次いで再び外に連れ出され、一握りの matsere157 を chinu102 に入れてそれを kuphonda158 するよう言われる。

それが済むとそれを lungo159 で篩い分け。

再び小屋の中に入り、lalwa160 でついたトウモロコシを今度は粉にする。 それでワリを作る。

できた一握りのワリとムツンガを Bekpwekpwe が一口食べる。

再び muhala161 の chinu102 でカヤンバが続行され、kukokotera されて終わり。

「外に出す」(kulavya nze)

(DB1611-1614)出発前のやりとり 10:30 ku-lavya nze88 12:00 までに終わらせねばならない(午前中にすべてを終了せねばならないとされている)というので慌ただしく始められる。

男女それぞれの呪医は ndonga の中に自分の muhaso27 を入れ、nyuchi162 を注いで chidemu163 で栓をし、カヤンバを始める。

自分の ndonga91 と今できたばかりの ndonga をチャリにもたせ、その匂いを嗅がせる。

チャリは golomokpwa するが、weru8 に行くように言われてもぼんやりしている。

ムリナが呪医に道を示すように言い、呪医がチャリの前にたって進み始める。

チャリは自分で mihi31 を見つけねばならない筈なのだが、結局 Nyamawi が問題のmuhi のところに来る度、それとなく立ち止まったりして暗示している。いんちき?

チャリが木を折りとり、それにつづいて呪医も木を折りとって、その都度白い鶏のケヅメを切取り、uchi146 を地面にたらして kuhatsa164 する。

よく聞き取れないが、この muhi をチャリにやることを同意すると言っているようだ。

ついで川のほとりまで進み、そのそばの木で同様のことが行われ今度は黒い鶏が用いられる。これが一番大事な muhi らしい。

帰り道、Nyamawi はチャリが指摘し損なった何種類かの木をチャリに示し、それを折りとるよう促す。

mudzi170 に帰るとカヤンバを一しきり打ち、もう何もせずに、Nyamawiがこれで済んだと宣言する。11:30

この後、支払いに関して若干もめ(いつものこと)、食事。

15:00 食事終了後、帰途につく。

ドゥルマ語書き起こしテキストの日本語訳

節の先頭の数字をクリックすると、ドゥルマ語本文に飛びます。和訳中の歌のタイトル(リンクとなっているもの)をクリックすると、該当する歌の歌詞に飛びます。

ムァモコに出発する前に

1460 (ムリナの出発前の唱えごと)

Murina(Mu): 私は傾聴を求めます。ご傾聴ください。さらにしっかりご傾聴ください、匠の皆さま。このような時間にお話しするつもりはございませんでした。間違いを犯す者はいつも一人です、皆さま。そうじゃないですか?だから、申し上げます。私たちは出発いたします。仕事のために参ります。私たちは語り合わねばなりません。私たちは理解し合わねばなりません。でも、私は私の過ちをすでに認めております。何の理由ででしょうか?私たちが旅をしたことです、愚か者です。お知らせし合うことなしに。そして貴い方々のなかには、土地の薬(草木)を用いられない方がいらっしゃいます。その方々が用いるのは、輝く水と最終の水です。 世界導師(ilimu dunia133)の仲間の皆さま、さて、このように私は申し上げます。あれらシェラども(mashera71)の仲間たち、あれらドレスを着た発狂者の仲間たちのために割く時間がございます。あれら(憑依霊)ディゴ人(wadigo79)たちのために割く時間がございます。ライカども(malaika13)の仲間たちのために割く時間がございます。風の小人たちです。

1461

Murina(Mu): 私はあなたジャバレ132の王に申し上げます。クルシ172のライオン、あなたマラルア173。ジャンバ174、ヘビたちの長、サンゴ礁(or 断崖)に御座す方に申し上げます。私はマスカット(Maskati175)のアラブ人に、ロハニ(marohani177)の皆さまに申し上げます。私はバルーチ人(bulushi178)、ムサジ(musaji179)に申し上げます。私はコーラン導師(korani ilimu180)に申し上げます。私はメッカ(makka)のスディアニ導師(mwalimu sudiani30)、メッカを彷徨する者に申し上げます。私はペンバ島(Pemba181)の舷外浮材付きの丸木舟(ngarawa182)のアラブ人に申し上げます。私はソマリアのアラブ人に申し上げます。 再び私は貴方がたにご挨拶(ninawashaulila183)いたします。しっかりご傾聴ください、高貴な皆さま。私は高貴な皆さま方にしっかりご挨拶いたします。匠の皆さま全員に私はご挨拶いたします。ご傾聴ください。そしてご傾聴くださいの言葉は人を打ち倒す言葉ではございません、高貴な皆さま。 この瞬間よりは、私どもが、ライカどもの仲間たち、憑依霊ディゴ人の仲間たちの仕事のなかにおりますことを、どうかお知りおきください。私の匠の皆さま、皆さまにしっかりご挨拶いたします。チャキチャキ(Chakichaki184)の皆さま、ヴンバ(Vumba185)。皆さま方全員に、私はご挨拶いたします。イディティ(iditi186)の皆さま全員に、私はご挨拶いたします。

1462

Murina(Mu): メッカのスディアニの方々、メッカを徘徊する者。世界導師の方々、ジャバレ王、天空に御座します大地の長。私はあなたジャンバ王、サンゴ礁、世界の隅々に御座します蛇たちの長。そして7と70、全能の神と、サララーフ・アラリ・ワ・サラーフ(Murina's Arabic187)、預言者と、全能の神のお慈悲を、私に開いてください。今日の日のために私たちを祝福してください。アマン。 私はこの者にこの日を与えます。それが全能の神のもとまで続きますように。御本人が私たちを、私たちの日にお連れになりますように。全能の神と預言者における良き平安のために。サルラーヒ・ワラ・アサラーフ187、平安を。 それゆえ、匠の皆さま、しっかりご傾聴ください。あなた方が草木(の薬液)を浴びているのを見て、ビラーリ・ファキーニ187とおっしゃいませんように。こんなものがいったいどこからやって来たのかと。 (以下、書き起こし不可能なアラビア語的ななにかがしばらく続く) 私の隣人たちよ、各人、別々に、ともに続きましょう。優しさをもって、仕事を続けましょう。平安のうちに仕事を続けましょう。平安のうちに仕事を続けましょう。平安のうちに仕事をつづけましょう。

1463

Murina(Mu): 兄弟や近隣として結び合うことを、平安に。 ですから、彼女(チャリ)に、痒みを注ぎ込むことは、なしです。彼女を焼くことも、なしです。彼女の分別をばらばらにするのも、なしです。彼女の血を失わせるのも、なし。彼女の心臓を破裂させるのも、なし。ラー・ラー・ハウラ187。全能の神において、燃やすこと、私は貴方がたに申します。 再び、しっかりシャウリラーニ(shaulilani183)。行って、彼女にそれらの草木を浴びさせてください。それらは歯を削っている(内陸部の)連中188の草木です。今日は、まさに彼らの時間、私たちが彼らと共にもつ時間なのです。私たちに、彼らに仕事を与えさせてください。ラー・ハウラ・ワ・サラーム187。私の兄弟たちよ、私の兄弟たちよ、御主人様、御主人様。間違いを犯す者は常に一人です。私の兄弟たちよ、ご傾聴ください。高貴な方々よ、しっかりご傾聴ください。平安に。私の兄弟たちよ、皆さまにご傾聴くださいと申します。 ヴンヴ(Vumvu)189の方々、ご傾聴ください。シャケ(Shake190)の方々、ご傾聴ください。ミドドーニ191の方々、ご傾聴ください。山々の方々、ご傾聴ください。光の中に御座します方々192、ご傾聴ください。世界導師の仲間の方々、ご傾聴ください。シャイルーラ183。平安。 (その後、ムリナは書き起こし不可能なアラビア語的な何かをしばらく発話したのちに、唱えごとを終えた)

クズザ(kuzuza11)開始前のやりとり

1464

Nyamawi(Ny): お前の妻は何をしたがっていた?ライカとイキリク(ichiliku74)とディゴ人の瓢箪を与えてもらうことさ。その後は、(今は彼女は)嗅ぎ出し(kuzuza11)していないけれど、今からは彼女は嗅ぎ出しをするだろう。本当のところ、もしお前さんたちの住んでいるところが遠くじゃなかったらね、もしこの辺りだったらね、そしてこの友(チャリのこと)と私の今の状態だと、(チャリの)最初の旅(初めての彼女による嗅ぎ出しの仕事)は、ここに来てやり始めてもらうところなんだがね。彼女のところに、嗅ぎ出しをしてもらいたがっている患者が頼みにやって来たり、あるいは、私の所に病人の依頼が来て、私が「私はその施術をしに行きませんよ。だって、私にはこの人という私の弟子(mwanamadzi2)がいますからね。」と言うことになるよ。私は、この人(チャリ)を訪ねる。彼女に嗅ぎ出しをやらせたいからね。その前にちょっと(教えておくことが)あるのは、わかってるさ。ああ、こうしたことをお前に話してやっているのは、お前が私の息子だからだよ。そうじゃなきゃ、こんなこと他人には話さないよ。お前が私の息子だから話してやってるんだよ。お前の施術を仕上げなさい、お前の施術をね。

1465

Nyamawi(Ny): さらに私が、この人のことを知り、そもそも彼女が現にこの仕事をしているとわかれば、尋ねられたら答えるのは簡単だろうよ、私にとって。私はお前に、ヤギと黒い鶏と白い鶏をもっておいでと言ったね。ここに一緒に腰を下ろして、弟子(mwanamadzi)もなしで。お前自身がお前の弟子を連れてくる。お前の妻といっしょに出歩いてくれる弟子ね。私はすぐに、例のヒマの油の瓢箪(mwana wa ndonga95)と、もう一つの粉の(薬の)瓢箪(ndonga ya kufinywa93)をあげるよ。私はお前に、お前の妻とともに、独立を与えるよ。(嗅ぎ出しの際に)どの道を辿っていくかも、彼女のためにお膳立てしてあげるよ。お前たちが近くに住んでいれば、そしてこの人のように(ライカなどに)捕らえられ、嗅ぎ出しが必要な人がいれば、お前たちにこの人がしかじかこんなふうに嗅ぎ出しを必要としているよと話してあげるよ。そして私は... さて、私はこの人がどんなふうに(嗅ぎ出しを)遂行するかを見てあげるよ。私自身は、後ろから、この瓢箪をもってね。それが済んだら、彼女にその瓢箪をあげて、言うんだ。さあ、お行きなさい。行って仕事をなさいと。

1466

Nyamawi(Ny): 病人には、しかじかのことを話してあげなさい。そしてこの瓢箪。これ、これはイキリクの瓢箪、こちらはお前を守る瓢箪。(イキリクの瓢箪は)あちら(嗅ぎ出しで訪れる場所)にもって行く。このもうひとつのお前を守る瓢箪、こちらの。一つはそちら(嗅ぎ出しに出発する屋敷)に残しておく。これはお前を守る瓢箪。さて、唱えごとだ。だって、お前あちらで(霊たちに)語るだろう、私がお前に話してやったことがそれだ。私はそんなふうにはお前に話さなかったかい?それとも何がしたい?お前。息子よ、お前、大丈夫かいお前。 何も言うな。お前は、お前がここに来た目的のことをすればよい。そのあとでお前は座って、明日だろうか、用事が終わったら、さて施術師たちはそこで何をする?お前は、その間に起きた不思議な業について話されるだろう。それともお前は、嘘をついてもらおうとやって来たのかい。ああ、もしお前が私の息子じゃなかったら、私はお前を騙しもしたろうに、そして立ち去っただろうに。だって、すべてのことは、すぐさまできることなんだから。私は、すべてのことを今すぐにできる。瓢箪を今すぐに調える。薬も即座に炒める193。できるんだよ。なあ、お前、私はお前に嘘をつくだろう。それともお前はなにを望んでいるんだい?

1467

Nyamawi(Ny): お前はお前を救ってくれることをしてほしいと願っているんだろう、それとも何をしてほしいと言うんだい?ああ、黙ってなさい。じっとおとなしくしてなさい。今はね、おとなしく。お前のあの妻、自分の頭をもっているからね。自分でわかっているよ。そもそも、たとえ遠い所にいても、彼女は自分で(嗅ぎ出しの目的地に)たどり着くだろうよ。でももし彼女が近くに住んでいたら、私としてはもう何の心配もないだろうに、もし近くにいれば。もし嗅ぎ出しを求める病人がやって来ても、私が私の子供(施術上の、つまりチャリのこと)を呼んで、我が子を彼女の所に行かせるだろうに。 さて、ンゴマはこれだ。これはブッシュへ向かう(憑依霊の草木を見つけるために)ンゴマだ。しかも私はお前に(どの草木か)教えないよ。お前はむこうで教えてもらうんだよ。お前はお前の憑依霊自身によって(そこまで)連れて行かれるんだ。さあ、そちらにお前は向かう。私は後ろにいる。私はこの瓢箪を手にしている。お前がそちらに着くと、私は行って、そこで私が行うべき唱えごとをする。 その後で、私はお前にお前の立派な瓢箪を与える。さあ、お前の弟子を手に入れなさい。もしかしてお前の夫、彼が弟子かも。お前は洞窟のなかに入って、出てきて、しかじか、しかじかと述べる。

1468

Nyamawi(Ny): お前が洞窟で奮闘していると、洞窟から突風が吹き出してくる。(そんなとき)お前はこんなふうに、こんなふうに、こんなふうにする。ああ、うんざりして、もうそこには行かない、ここで戻してしまいたい。そんなときには、こんなふうに、こんなふうにしなさい。その後で、こんなふうにしなさい。さあ、そうすれば、病人は治るよ。 お前はンガタ(ngata36)を結びに行く。こんなふうに、こんなふうに、こんなふうにしなさい。そうじゃないかい?そいつは大勢で取りに行く瓢箪じゃない。「外に出される(kulaviwa nze88)」ことが、大勢がいるところでやること。(施術上の)子供たち(anamadzi2)がいるところで。でも、その瓢箪は大勢で取りに行くものじゃない。それに必要なのは、お前本人とお前の妻、施術師とお前自身がいちばん頼りにしている弟子だ。というのも、そいつはすべて知っているだろうから。そのときには、そいつは全部知っているだろう。施術師が洞窟の中に入れば、彼(一番弟子)はそのあとに続く用意ができている。静かに(大騒ぎせずに)ね。

1469

Nyamawi(Ny): なあ、若造よ、お前。もしお前が私たちのキメラが産んだ子供じゃなかったら、私はお前に言ったことだろうよ。「今日、私に200シリングと、白い鶏と黒い鶏をよこしなさい。買っておいで。そしたら私が調えに来てやろう。それこそお前が望むとおりにな。」そのすべては大勢の人々に知ってもらわねばならない。あなたの弟子(mwanamadzi2)を見つけておいで。そしてお前の妻と、お前本人。本物の弟子というのはね、もしお前が、自分が私が不在だと知っていても、「この者(弟子)が私の妻といっしょに行って、どんな嗅ぎ出しもやります。」「ああ、問題ありません。その方と一緒に来てください。」その弟子にはな、2本、ツォガ194を施してやる。そしてお前はそいつ(その一番弟子)に言うだろう。「もし何かしかじかの問題が起きたと気づいたら、こんなふうにしなさい」ってな。その弟子こそ、お前のムコバ(mukoba82)のなかにいる美丈夫じゃないかい?弟子全員がそうじゃない。あの連中は、いわば歌(あるいはカヤンバ)の弟子たちだ、彼らは。実際、彼らは毎日ついてきたりしないだろう。さて、以上が私の秘密。他の人々には話さない。さあ、私の話は終わり。後で私を困らせなさい(質問があればどうぞ)。あんた、ところであんたは病気じゃないね。 Chari(C): 私が今病気じゃないって?私の今の状態が病気じゃないとでも?いったい私、何に殺されてるっていうの?

屋敷内での「嗅ぎ出し」

1470 (ニャマウィ氏、キザ(chiza41)の薬液を作る。搗き臼の水の中で草木を揉み潰しながら)

Nyamawi(Ny): いやいや。単に施術上のしきたりだよ。もし人が示してもらうとすれば、草木を示して欲しいみたいなことだよ。私はね、もしあんたに話してあげるとしたら、本当のことを話してあげるよ。あんたには、ライカたちは全然いないよ。 (ニャマウィ氏、水中で草木を揉みながら、弟子を叱る) Ny: おーい、水だ、早くもってこいよ。 Ny: 単に施術上のしきたりだよ。彼女の裏手に立ちなさい。彼女の後ろに立ちなさい。どうして、お前たちそんなに遅れるんだい。 Man(mwanamadzi of Nyamawi(M1)): (昔の)女性は背が高かったよ。まるで男みたいに。 Ny: なんてこと!(水を)プーマ(Puma 地名)まで汲みに行ったとでも言うのかい?あんた、上を向いて。あんた奥さんの筋肉を捻じ曲げてるよ。ああ、あなた方は背の高い女性たちを娶ったんですね。同胞たちは小柄な女たちを娶ったのに。あなた方は背の高い女たちを娶った。 (ニャマウィ氏、唱えごと開始)

1471 (ニャマウィ氏の、キザに対する唱えごと)

Nyamawi(Ny): おだやかに、おだやかに、おだやかに、睡蓮子神(mwana195 matoro196)、ナゲキバト子神(mwana ngiya197)、ムユンゴ子神(mwana muyungo198)、さあ。おだやかに、ムチェチェコ子神(mwana muchecheko)、海の長(mukubwa wa bahari)よ。あなたククソ(kukuso199)よ、ゴミを飛ばし去り(ukukusaye vidudu)、石場に送りつけ、海岸部に運び去る者よ。ああ、あなたはチャリを海岸に運びつけた。今、チャリがここ池(ziya42)に降り立ちますように願います。こちらには、あちら(海岸部)に属する男たちがいます。メリガナ(merigana200)の仲間たちよ、皆さま、争いをおやめください、争いをおやめください、争いをおやめください。 (唱えごと中断) Ny: お椀持ってった奴はどこに行ったんだい?あいつらだらだらしてる。水を持ってそこに立って。このキザ(chiza41)のところにも。あの水だよ。この薬液の水を汲んで、掛けてやって。震えないで。薬液の水だよ、これは。お椀もってこいよ。水がなくなったら注ぎ足して。汲みなさいよ。そして掛けて。ぶっかけて、でもゆっくりとね。 (唱えごと再開) Ny: おだやかに、おだやかに、おだやかに、睡蓮子神、ムユンゴ子神、おだやかに。おだやかに、あなたキリク(chiliku74)、けしかけ掻き立てる者(mutu wa muchocho)よ、稲光(umeme)の者、刃(upanga)の者よ202

1472 (ニャマウィ氏の唱えごと続き)

Nyamawi(Ny): もう争いはありません。もう争いはありません。海、海に、海に、海に。彼女にしっかり力をお戻しください。この者が愚かな者となることは、もうなし。この者がやせ衰えた者となることも、もうなし。この者の分別を揺り動かすことも、なし。今はもうなし。おだやかに。 (唱えごと中断) Ny: あなた、汲みなさいよ。汲みなさい。震えないで。汲みなさい。 Man: 汲みなさい、葉っぱが入ってても汲みなさい。だって(この薬液は)この後は、使いません。 Ny: これ(この薬液)は、この後は、おしまいです。もう使いません。新たに別のが作られますから(字義通りには、揉み潰されますから)。 (唱えごと再開) Ny: おだやかに、おだやかに。彼女を離してください、睡蓮子神、彼女を離してください。池はこれです。人の心臓が破裂することは、なし。人がどうするのが、なしですか?人の身体が燃えることは、なし。もしかつて身体が燃えていたのは、あなたのせいでしたら、マレラ子神(mwana marera203)、ムユンボ子神(mwana muyumbo204)、あなた睡蓮子神、あなたカンエンガヤツリ子神(mwana mukangaga103)、あなたイキリク(ichiliku)、あなたディゴ人子神(mwana digo)。

1473 (ニャマウィ氏の唱えごとの続き)

Nyamawi(Ny): マンゲラの大きな池に、どうぞ降りていらしてください。いらっしゃい205、いらっしゃい、いらっしゃい。首尾よく、池にお降りください。争いはありません。おだやかに。 (唱えごと中断、チャリの挙動があやしい) Ny: どうして中に入れるんだ?自分に浴びせかける? (唱えごと再開) (チャリにキザの薬液を浴びせかけながら) Ny: おだやかに。彼女を離してください。彼女を離してください。彼女を離してください。彼女を離してください。おだやかに。彼女を離してください。 (チャリにキザの薬液を浴びせかけながら) Ny: おだやかに。あなたムクンバ子神。もう争いは、なし。彼女を離してください。 (ニャマウィ、瓢箪の口をチャリの耳に当て、強く息を吹きかける) Ny: ぷっ。 (チャリ、完全に憑依状態に) Ny: あばれないで、あばれないで、あばれないで、争いは、なしです。あばれないで。ぷっ。私は、あなたから逃げ出したりしませんよ。たとえ、あなたに人喰いの憑依霊が戻ってきたとしても。一緒に食べましょう。そして終わりにしましょう。大騒ぎをもたらす言い合いに過ぎません。 (チャリ、喋りだす)

1474

Chari(C): ホーフィ、ホーフィ...(繰り返し大きなため息)。水が欲しいよ。 Nyamawi(Ny): ああ、あなた、あなたは水が欲しいのですか。立ち去りなさい。私が呼んでいたのは、あなたじゃないのです。そもそも、あなたは何を求めてここに来られたのですか。みんなここで仕事があるのに。ねえ、今何を求めて来られたのですか? C: ホーフィ、ホーフィ、ホーフィ... Ny: あなたは水が欲しい。ここには何を求めて来られたのですか?ああ、呼ばれたのはあなたじゃないのに。呼ばれたのは別の方です。あなたは何を求めて来られたのですか?そもそも私はあなたを呼んでいないのに。私はあなたを呼びませんでした。私はあなたを呼びませんでした。 C: あああ、えええ、あああ、えええ。 Ny: あなたは呼んでいません。あなたは呼んでいません。さあ、何をしに来られたのですか?私はあなたを呼ばなかったのに。 C: (理解不能な言葉を喋っている) Ny: (スワヒリ語で)いいえ、いいえ。(ドゥルマ語で)私は全然、あなたを呼んだりしていません。そのような話を私にしないでください。私はあなたをまったく呼んでいませんから。さあ、もしいらっしゃったのなら、(薬液を)お浴びください。バチャバチャしてください。そして家にお帰りください。

1475

Nyamawi(Ny): バチャバチャして、家にお帰りください、あなた。 Chari(C): 私は水が欲しいぞ、おい。 Ny: あなたは水が欲しい。さてあなたは誰からもらうつもりですか。この水(薬液)はあなたのものじゃない。 C: 私は水が欲しいんだってば。身体が燃えるよ。 Ny: では、これ、これ、これ、これを浴びてください。全部無くなるまで浴びてください。そうすればあなたに...ちょっと、ちょっと聞いて下さいよ。あなたに「いらっしゃいませ」と言えるようになります。私たちはあなたをほっておきます。あなたに「いらっしゃいませ」が言えるようになるまで。私たちは「いらっしゃいませ」205と言いたいのです。人はいらっしゃいませを言われると、静かに静かにやって来るものです。なのにあなたは今、水を欲しがっている。そして私たちは水を差し出しました。どうしてあなたは争いを起こそうとなさるのですか。ええ? C: 喉が渇いたよ。 Ny: ああ、もし喉が渇いているのでしたら...(屠られた鶏を指して、弟子に向かって)ああ、お前そいつは放っておいた方がいい。自然に死んでしまったよ。放っておくがいい。 Man: でも、まだ生きてますよ。

1476

Nyamawi(Ny): 私たちはあなたに「いらっしゃいませ」をいたしました。あなたは、あなたは... Chari(C): ねえ、私、今やって来たんだけど。 Ny: 今、着いた?何をしに来たのですか?呼ばれたのはあなたじゃないんですが。私たちが呼んだのは、おわかりですか... C: ねえ、私もご一緒させてもらうよ206 Ny: あなた、ご一緒すると。ひどい仕方で、ご一緒するんですね。あなたは喧嘩しながらご一緒すると。さて、どうご一緒するっていうんだい、あなた。なんでご一緒しようなんて。 C: 身体が燃えるんだよ。 Ny: 私たちはあなたに差し上げますよ。っていうか、差し上げたでしょ?もう水は差し上げたでしょう?ええ?水を差し上げませんでしたか? C: もう飲み終えたよ。 Ny: さて、飲み終えたのなら、放っておいてください。別の水を注いであげましょう。 (女性たちに向かって) お前たち。どうした?水を持ってくるのが遅いぞ、お前たち。

1477

Nyamawi(Ny): さて、あなたはあちらのキリマンジャロから、何を求めてやって来られたのですか。さて、今、あなたは何を求めて、いらっしゃったのですか。呼ばれたのはあなたじゃないのに。さて、さて、さて。人々はイキリクと憑依霊ディゴ人とライカたちの問題に取り組んでいます。さて、あなたは何を求めて、おいでになったのですか。ここにあなたの仕事があるのですか。 Chari(C): 私もライカだよ。 Ny: あなた、あなたもライカだと。じゃあなぜあなたはそんなに怒っておられる?なにゆえに怒っておられる? C: 私は話すことができない。脇腹が締め付けられている。 Ny: ゆっくりお話しください。ねえ、あなたは怒っている。さて、怒っていて、どうやってお話できるというのでしょう。どうやってお話できるというのでしょう。あなたは怒っているのに。ゆっくりとおいでください。だって、私はご要望どおり水を差し上げたでしょう。水のご要望を拒みませんでした。今も、あなたはもう大量の水を手にお入れになる。あなたは手に入れるでしょう。あなたは水を与えられます。私共は、水にはケチケチいたしません。ここ私たちのところでは。水が流れているほどですから。私どもの土地では水は流れているのです。 (ムリナ氏、やってきてチャリの頭に水をぶっかけ、「アラビア語」で唱えごとを始める) Murina(Mu): ヤー、ズルー...(以下書き起こし不能な「アラビア語」の唱えごと) (女性たちに) もっと水をもってこい。

1478

Nyamawi(Ny): さあ、どんな気分ですか? Chari(C): おいしいよ。 Ny: おいしいと。ではどうしてご相伴にあずかるのに、怒りながらなんですか。私たちはふつうお相伴には機嫌よくあずかるものですよ。さて、あなたはご相伴にあずかるのに、怒りながら。いったいどうしてですか。私たちはあなたを池に入れて差し上げました。それを望まれていたのでしょう。あなたは長声(njerenjere207)をあげるためにいらっしゃったのではない。で、「けっこうだ」とおっしゃる。あなたは怒りながらお出でになる。身体が燃えると言って。身体が燃える。私はあなたにお浴びするようにと池を差し上げましたよね。 C: ねえ、あなた方は私を治療するんだね。 Ny: さて、さて今。 C: ねえ、今この病気は去っていくよ。 Ny: そう、その病気が去っていくと? C: はい。 Ny: ああ、それが立ち去りますように。それこそ私どもが望んでいることです。

1479

Nyamawi(Ny): そしてあなた、もしあなたに要求があるなら、今すぐあなたは踊ります。今すぐあなたは踊り、心ゆくまで(薬液を)浴びます。さあ、今や、ここには争いはありません。競い合いもありません。競い合いもありません。水を追加して!(チャリの)弟子さんたち(anamadzi2)、あんたたち、あんたらの病人と一緒にやって来て、なんで今そんな端っこの方でじっとしてるんだい。 Chari(C): (意味不明の言葉(例の「ガンダ語」)で喋り始める。) (追加の水、到着) Ny: あんた、そいつ(ジンジャ導師)は放っておけ。ときどき、私はそいつのことが嫌いになってしまう。そいつは、施術の邪魔をするんだ、そいつは。 Murina(Mu): ああ、あんた。きちんと対処しないと、そいつはあんたの邪魔になるよ。 Ny: ああ、そいつが邪魔をしませんように。私たちが喧嘩しませんように。 Mu: ちょっと待って。まずは、私がこいつにお願いしてみよう。 (ムリナ氏、「アラビア語」で唱えごと、「アラビア語」と「ガンダ語」の応酬(いずれも書き起こし不可能)。しばらくの後、チャリは静まる) Mu: こうしないと、あんた、大変な目にあうよ。

1480

Nyamawi(Ny): (Murinaに向かって)お前さん、この奥さんとどこで結婚したんだよ?別れればよかったのに。(チャリに)なあ、お前さん、なんとあんたの娘も、こんな感じかい。私はあんたの娘は好かんよ。なんとあんた、こんな感じ。私はあんたの娘は好きじゃない。 Woman: なんだい、彼女はその母親に似てくるんだよ。 (鶏を屠る。ついで占いのため鶏は放り投げられる) Ny: (弟子に)さあ、鶏を投げ捨てて。(ムリナに)あんたの奥さん、クツォザ(ku-tsodza83)して大丈夫、彼女?ああ、クツォザは止めとこう。(チャリに向かって)お母さん、ええ。大丈夫? Chari(C): 私は元気そのものよ。 Ny: あなた、元気そのものなんですね。あの人、ライカ(laika13)との争いを終わらせましょう。行って、あの人との争いを鎮め、仲直りしましょう。あなたがここ、私の家にいらっしゃれば、私たちの歓迎(karibu205)は、水による「いらっしゃい(karibu)」です。私たちの「いらっしゃい」は水の「いらっしゃい」です。

1481

Chari(C): 眠たいよ、なあ。 Nyamawi(Ny): うう。ここでは寝ないで。 C: お前は私を殺そうとしている。もう立ち去らせてくれ。 Ny: (ムリナに向かって)この丸太にすわってくれ。あなたに指示をあたえたいんです。彼女にクツォザ83をして欲しい。ここに12本のツォガ83、こちらにも12本のツォガ、そして背中の真ん中にも12本。もし人々をクツォガするなら、こんなふうにすればよい。彼女のクツォザは、私がしないほうがいい。今晩の私の(主宰の)歌(wira86)を台無しにするから。 Murina(Mu): いやいや。彼女のことはかまわないで。薬を彼女に自分ですり込んでもらいます。 Ny: OK。鶏はもう回収した?ああ、じゃあ、急いで急いで。私はピング(pingu37)作りがしたい。ピングは2個必要なんだ。それに瓢箪の中身も少し。さあ、急いで、急いで。というのも、私は寝て、明日になってまた前の日の作業に戻るのはいやなんだ。いやなんだ。ああ、あんた、わかるだろう、あんた... Mu: ああ。彼女なら問題ないよ。

1482

Nyamawi(Ny): 彼女は面倒だよ。もしお前が臆病者で、お前の頭の中に「おだやかに」を言わねばならない人(憑依霊のこと)がいる。お前はそいつ(憑依霊)を放置する。そしたらそいつは... Woman: もし施術師がダル(人名)だったら、彼ダルだったら、とっくにこの場から立ち去ってるね。 Ny: あなた、私の義理の母さん(mutsedza wangu208)、ダルは人のところに行ってこんな風に言ったそうだよ。「あなた方ニャマウィのところに行くのかい。あいつは役立たずだ。金も出さない」ってね。で大喧嘩だよ。彼らは私の所に治療を受けに来た。私は言ってやった。「あのダルって患者から逃げ出したんだよ。仲間に金も出し渋って。施術を投げ出して、逃げやがった。憑依霊から逃げたんだよ。」そちらで身を潜めてたってさ。あいつがそんなことを言うなんて。 Murina(Mu): ダルってどのダルさん? Ny: マカミーニのダルだよ。ああ、そもそもダルなら、この婦人(チャリのこと)には手も足もでないよ。薬を試しすらしないよ。

1483

Woman: ああ、あいつは逃げ出すね。一目散に立ち去るね。人にはまるでちょっと小便でもしに行くみたいに見せかけて、なんとそのままドロン。 Chari(C): だめだ!私にどうしろと言うのだ。 Nyamawi(Ny): あなた、あなたは今は家に帰ってじっとしていてください。歌をお待ち下さい。あなたの家、山々のなかに行って、あなたの家、山々のなかでお休みください。あなたの家にゆっくりゆっくりとお帰りください。あなたの家にゆっくりゆっくりとお行きください。私たちは、つつがなきことがこの先ずっと続くことを願っています。私たちは仕事を欲しています。癒やしの術がこの先ずっと続きますように。曲がっているところは、あなた、そこをまっすぐにしてください。曲がっているところは、あなた、まっすぐに伸ばしてください。ここでは先に続いていくばかりです。あなたには小皿を差し上げます。私はここには歓迎とともに参りました。たくさんの係争とともに参ったわけではありません。私はあなたにただ「いらっしゃい」を申しました。 C: なあ、私も争いはないよ。 Ny: あなたには争いはない。ねえ、ではどうしてあなたはこちらにいらっしゃっるのですか?何をしにいらっしゃるのですか。何をしたかったのですか?

1484

Chari(C): 少しばかり水が欲しかったのさ。 Nyamawi(Ny): 水が欲しかったと。差し上げましたよね。後でまた水は差し上げます。でも今は、ゆっくりゆっくりとお行きください。 Murina(Mu): 飲み水かい? C: なんだい、ほんの少しの水もないのかい。 Ny: ほんの少しの水209もありません。(水を求めに)人を遣らないと。すっかり忘れてました。あんた父の弟よ(baba mvaha210)、あんたすっかり忘れたね。 Mu: サトウキビ。 Ny: 違う。(チャリにむかって、唱えごと)私たちは、ローズウォーター(marashi211)でした。(ローズウォーターを買いに)人を遣りませんでした。ああ、ねえ、まったく遣りませんでした。ここにはありません。あなたのために買いにいってもらいます。明日、あなたに差し上げます。明日、差し上げます。ですから、喜びとともに、お行きください。この者(チャリ)を食べないでください。この者を食べないでください、この者を食べないでください、あなた、山々の人よ、あなた大きな岩の人よ。この者を食べないでください、あなたカンエンガヤツリ(mukangaga103)の人よ、あなた海の人よ、この者を食べないでください。

1485

Nyamawi(Ny): 私たちは歓迎(karibu205)のみ、ここには争いは、なし。この者がつつがなくあれ、つつがなくあれ。この者が憑依が解け、つつがなくあることを欲します。まずは、明日、私はこの者に仕事を与えます。私はこの者が、あちらプーマ(地名)に行き、人(ライカ13に奪われた病人のキブリ12)を求めに行くよう望みます。明日、そして旅をするのはあなたですよ。あなたこそ旅人です。歌もあなたに差し上げます、そして旅をするのはあなたです。瓢箪も明日、あなたに差し上げます。その後、プーマにお行きください。旅人はあなたです。ここには争いはございません。この者(チャリ)も旅人ではないでしょうか。とはいえ、あなたがその前を行きます。あなたが行ってこの者の脇を締め付ける、とんでもない、だめです。もしあなたがそんなふうになさるなら、私たちは仲違いすることになります。私はあなたに上機嫌で仕事を差し上げます。あなたが立ち上がるなら、上機嫌で立ち上がってください。さあ、ゆっくり、ゆっくりとお行きなさい。別の問題を引き起こさないでください。ゆっくりゆっくりお行きなさい。 (人々に向かって)さあ、解散しましょう。この場の争いは終了しました。あちらに行きましょう。 Mwaka(female muganga, Mw): (チャリに向かって)まずは、あなたにとても大きな歌を差し上げましょう。もうすぐ、あなたは心ゆくまでお踊りください。解きほどいてください。この者の背中を折り壊さないでください。

1486 (チャリ、人々と握手を交わし始める)

Mwaka(Mw): 歌でしたら特大の歌を差し上げますよ。ご自身で踊って、ご満足ください。 Murina(Mu): さて、さあ、解きほどいてください。私はここでの仕事にあなたをお呼びいたしました。あなたは仕事を与えられます。私たちの家に帰って仕事をなさってください。 Hamamoto(H): さて、解きほどいてください、お母さん、解きほどいてください。 Mu: 私はこうして今、あなたに仕事を差し上げましょう。 (霊、各人と挨拶し握手を交わしながら去る。「嗅ぎ出し」は終了し、人々は樹の下に集まって酒を飲み始める。)

夜を徹してのカヤンバ(kayamba ra kuchesa)

カヤンバ開始

1498 (ムルング子神の歌) ムルング子神の歌1 ムルング子神の歌2 ムルング子神の歌3ここまでリズムは ku-suka212 ムルング子神の歌4ここからリズムは ku-tsanganya213 (4の途中からチャリ立ち上がって踊り、歌に唱和する) ムルング子神の歌5 この途中からリズムは ku-bit'a214 ムルング子神の歌6 ムルング子神の歌7 (チャリ、自ら先導してムルング子神の歌8に切り替える) ムルング子神の歌8 ムルング子神の歌9

Nyamawi(Ny): アラブ人(の歌)を打ちなさい。なんで止まってるんだい。アラブ人を打ちなさい。休むんじゃないよ。 憑依霊アラブ人の歌1 憑依霊アラブ人の歌2 憑依霊アラブ人の歌3

(チャリ、歌をとめて、自分から別の歌を歌いだす。「ヤマアラシの歌」参照 DB6010

Chari(C): 泣いている ヤマアラシ(nungu[^nungu])、エエ うろついている ヤマアラシ 施術師は争いから逃げ出した うろついている ヤマアラシ 施術師の皆さん タイレ(taire215)

Woman: ねえ、あんたたち彼女に尋ねたらどう? あんたたち施術師さん Man: だって、この(憑依霊の)歌、歌わないはずだったもの。彼女(チャリ)なにかに到来されちゃったんだよ。

1502

Nyamawi(Ny): 自分で報告しなさいよ。 Chari(C): ただ来ただけさ。 Ny: やって来たって、なんでですか。あなた、もし到着したのなら、報告してくださいよ。私たち、もし来たなら約束したでしょう?報告してくださいよ。 C: ええ?今こんな時間に? Ny: そう、報告する時間は、まさに今ですよ。 C: 私は見物に来ただけなんだよ。

(カヤンバ奏者たち、手筈通りキツィンバカジの演奏に入る。全4曲。1,2のみ書き起こし) 憑依霊キツィンバカジの歌1 憑依霊キツィンバカジの歌2

(続いて憑依霊サンバラ人、全3曲、書き起こしは最初の2曲のみ) 憑依霊サンバラ人の歌1 憑依霊サンバラ人の歌2

ジンジャ導師出現

(チャリ、サンバラ人の3曲目で自分で手を上げて曲の演奏を止め、自分から別の歌を歌いだす。当地の奏者たちは曲を知らない。ここまで霞んでいたチャリの弟子たち、ここぞとばかりにフォローする) 憑依霊ジンジャ導師の歌1 (2曲目は、当地の奏者たちも加わり全員で合唱) 憑依霊ジンジャ導師の歌2

Ny: さあ、お前さん話し合いです、お前さん話し合いです、お前さん話し合いです。夜が開けてしまいます。夜が開けてしまいます。 C: 私は水が欲しいんだよ、あんた。喉が渇いたんだよ、あんた。 Ny: この人に水をあげて、この人に水をあげて、この人に水をあげて。

1503

Chari(C): やれやれ。水は飲んだよ、もう結構。 Nyamawi(Ny): じゃあ、あなた、話し合いです、お前さん。さっさと私にあなたの言いたいことを話してください、お前さん。さあ、皆さん、黙って、黙って。 Murina(Mu): 私たちは癒やしの場に参りました。私たちは祖霊に、癒やしの術を私たちが(外に)出せるよう祈りたいと願っています。さらにお互いに話し合うことは良いことです、私の友よ。 C: 私には言いたいことなんかないよ、私には。 Mu: 言いたいことがないですって? C: (聞き取れない) Ny: 体調が最悪(vorovoro216)ですって?さて、どんな風に最悪なんでしょうか、あなた? C: (チャリ、「ガンダ語」(と言われてはいたが、いずれにせよ、誰にも理解できない言葉)で少し喋る) Ny: なぜ気分が最悪なんでしょう。はー、これは歌(wira86)です。癒やしの術の歌の場なんですよ。 C: ヘエエエ、ウェー、ホーフィ(ため息)。私は挨拶しているんだよ。私が争いの種をもっているなんていわないでほしいよ、まったく。 Ny: はいはい、私もあなたが挨拶してくれるよう願います。だって争い事じゃなんですから、あなた。だって私はあなたを歌にお呼びしたんですよ、来て踊っていただこうと。何かここで気になることがあれば、おっしゃってください、お前さん。

1504

Nyamawi(Ny): そして本人も(病気が)治りますように。そして明日、癒やしの術が順調でありますように。それ(その癒やしの術)を出し、仲間たちに道を譲ってください。彼らが自分たちの順番を手に入れ、満足できるようにさせてやってください。これこそ私があなたをお呼びした理由なのです、お前さん。 Chari(C): (「ガンダ語」でまくしたてる) (この間、カセットテープ交換) Murina(Mu): ンドゥレンゲは病気なんです、ご主人。(施術上の子供の一人に向かって)あなた、あなた、こちらにおいでなさい、あなた。 Ny: あああ、ねえ、あなた、私にお話しください。でも私には理解できない言葉もあります。さあ、ご覧なさい、あなたが私にお話になったことの、あるものは私には理解できません。 C: いいかい、へえ。 Ny: ええ。 C: 私は挨拶しにやって来たんだ、そしてお前に子供を連れてきてやったんだよ。あんたこいつのことを知らない。この子供はゼンゲだよ。あんたこの子を知ってるかい。

1505

Nyamawi(Ny): いいえ、知りません。 Chari(C): (再び「ガンダ語」を喋りだす) Ny: お前さん、(私が知っている人は)あなたが家においてきた人でしょう。あなた、彼女を家に残してきたんじゃないですか?そして私に見せるために(連れてきた)別の人が、この人じゃないんですか? (人々爆笑) Ny: 私に紹介してくれたこの人から治してください。で、家にいるあの人、ンドゥレンゲでしたっけ、も治りますように。私はもう少しで(彼女を)娶るところでしたのに、あなたは彼女を押しつぶしている。もしあなたが彼女を押しつぶすとしたら、私はどうすればいいんでしょう? C: (「ガンダ語」を喋り続けたのち、いつのまにか変なドゥルマ語に)マセラだっけ、だって私たちディゴ人、わたしたちのディゴの土地ではンゴマがあり、だってそれは知識だよ。だってディゴ人、だってセラ。お前、あいつセラのこと知ってるかい。 Ny: (笑いながら)セラ、それはシェラですよ、あなた。 C: お前、セラのこと知らないのかい、お前。セラは、来ること、そしてお前たちの仕事を与えられること。ディゴ人もね。 Ny: そう、ディゴ人にも仕事がね。 C: というわけで、私はここに来ること、挨拶すること、以上。 Ny: はい、それは結構なことです。 C: 私は、友だちが仕事を与えられるのを見ると、嬉しくなるんだよ。ねえ、あんた。 Ny: あなたは、仕事をしている仲間を見ると喜びを感じるのですか?それなら、彼らの邪魔をしないでくださいよ、彼らの邪魔をしないでくださいよ。 C: そもそも、もし私があいつらを邪魔するつもりだったら、あんた、あんたが人を見ることはないだろう(憑依霊は誰も来なくなるだろうよ)。(ムウェレ)は身体を固くしているだけさ。あんた仕事をもらうこともないし、受け取ることもないよ。でも私はここに笑い、泣くためにやって来たんだよ。 (チャリ再びガンダ語)

1506

Nyamawi(Ny): さて、さて、もしお前さんがそうだとすれば、それは結構なことです。もしお前さんがあれらあなたの仲間たちのために道を譲ってくださるのなら。あれらあなたの仲間たちに彼らの仕事をさせるためにね。なぜなら、あなたがおっしゃったとおり、もし私が仕事をし、私の後に友人がいてくれるなら、私は気分上々です。はい、私もとっても上々の気分です。 Chari(C): 私はとっくに満足してるよ、あんた。 Ny: あなた様はとっくに満足しておられる。じゃあ、このあとあなたの仲間たちを通してやって、あなたは彼らを見ててください。 C: 私は、あんた、大きな布(nguo217)も買ってもらった。キルー(chiluu218)も与えられたよ、あんた。マリンダ(marinda219)もいっぱいもらったよ。 Ny: ではでは、あなたの仲間たちに道を譲って、先に進ませてやってよ、お前さん。キトゥク(vituku220)を彼らにも着させてやってよ。 People around: (笑い) Murina(Mu): あなたも、そうしたマリンダを買ってもらえますよ。でも仕事は、ひとつひとつ辿っていくものです。この仕事を終えたら、そしたら私たちはマリンダを買うことになるでしょう、御主人様。


ジンジャ導師、上機嫌で周りの人も大笑い

1507

Nyamawi(Ny): もしかして、あなたは私に、嘘をついているとか。あなたは持っていないとか。 Chari(C): 私は喜びを感じてるよ。嬉しいんだよ、あんた。 Ny: 私はあなた様に大人しくしていてくださいと申します。もしそうなのでしたら、あなたは買ってもらえますよ。 C: (「ガンダ語」) Ny: さて、今あなたは私にこうおっしゃった。もし布を買うことでしたら、布を買ってくれるまでは、あなたは彼に子供を与えないと?そうだったら、あなた様。そうだったら、私もあなたに申し上げます。... C: 私じゃないよ。 Ny: あなたじゃない?じゃあ、なんでさっきあんた、私におっしゃったのですか。彼がたくさん布を買ったら、私も布がたくさんになる、なぜなら彼が買ってくれるだろうからと。あなた今は私に嘘をついている。 C: ちがうよ、私じゃないよ、もう。 Ny: さて、では誰なんですか。 C: 私は悲しいよ、私は。(再び「ガンダ語」に)

1508

Chari(C): 私はキルーは手に入れた、そしてたくさんの布もね、あんた。だから喜んでいるんだよ。(再び「ガンダ語」に)歩いていても、喜びを感じる。(肩をいからせ胸を張って歩き回る仕草。人々爆笑) Nyamawi(Ny): (笑いながら)なるほど、争いは携えていないとね、あなた様。あなた様、そういうわけで、あなたはキルーを手に入れたと。では、もし、あなたがその(キルー)を与えられたのだとしたら、私にほんの少し教えてくださいませんかね、私がちょっとばかり理解できるように。 C: あんたに場所はあげるよ。あんたに何を示したらいいんだい?あんたは何を求めてるんだい? Ny: 私は子供が欲しいんですよ。 C: 自分の脚をもって産まれてくる子供のことかい? Ny: 脚をもった子供ですよ、あなた。 C: そいつなら自分からやって来るよ、あんた。そのうち指も見えてくるよ。 (People around: laughter) Ny: そのキルー、誰に運ばれることになるんでしょうか、そのキルーは? C: ただこんな風にやって来るよ。今、今すぐにでも被っちゃうよ。 Ny: それを運んでくるのは誰ですか?そのキルーですよ。

1509

Chari(C): 子供はやってくるよ、あんた。 Nyamawi(Ny): いつですか? C: 今やってくるよ。あんたも、その子がよちよち歩きするのを見るだろうよ。その子はここに来るよ。 Ny: なるほど、でも私に嘘をついてないですか、あなた様。私が思うに、争いのもとは、それらのマリンダですよね、それが問題。私はあなたのために見つけてきますよ。今はまずは、合意し合いましょう。私は... C: 私はここにやって来て、私の仕事は喜ぶことだよ。そもそも、私はいつもやって来るたびに、最悪な体調でやって来てるんだよ。でも今日は喜びを感じてるのさ。だって嬉しいんだから。友人が仕事を与えられる。ディゴ人だったけ? Ny: シェラとディゴ人が仕事を与えられます。 C: 仕事が与えられるんだね。私も本当に本当に心地よく感じるよ。さて、私は立ち去るかね。 Ny: では、お立ち去りください。さあ、機嫌よくお行きなさい。

1510

Chari(C): (ジンジャ導師の歌を歌い始める) ジンジャ導師の歌2 Zenge(Ze): どうかお解きほどきください。だって私も今や長老(mutumia222)なんですから、私ゼンゲも。 Nyamawi(Ny): そしてこの者自身も、健康でありますように。あの子供、あの子供ともどもに健康でありますように。争いを持ったまま、行かないでください。どうして、この人(チャリのこと)、畑仕事それ自体、(畑を)耕しに行けば、たった一回だけ、夜が明けると、もう二度と畑仕事ができない。病人そのものなのです。あなた。 C: 畑仕事?あんたは畑仕事がしたいのかい、あんた。私なら、もう耕しに耕し続けるさ。私は畑仕事するよ。どんどん耕し続けるよ。 Ny: あんたが?ほんとですか? C: 私は畑仕事するよ。耕し続けるさ。

1511

Nyamawi(Ny): それに癒やしの術も。 Chari(C): (突然スワヒリ語で)だめだ。私は畑仕事とワリ(wari223)を食べたいだけ、以上。あ、それと睡眠な。 Ny: 畑仕事と癒やしの術ですよ。 C: なんてこと!私はワリは食べるまい。そもそも、今から、私はワリを食べないだろうよ。お前は私に畑仕事をしろと言った。私は今日から食べるのを辞めるよ。 Ny: ああ、ちがいますよ、あなた。では畑には行かないでください。行かないで。 Mwaka(Woman muganga, Mw): 子供たちには何を食べさせるつもりだい? C: (またスワヒリ語で)へー、私はバナナを食べるね。 Mw: ドゥルマの子供がバナナで養われるなんて? Man: ウガンダでは、ねえ、ガンダ人たちはバナナを食べるんですよ。 Murina(Mu): 家にはバナナの木は2本だけ。お前さん、何を食べようっていうのですか? C: (チャリ、「ガンダ語」を喋りだす。途中から即興の「ガンダ語」の歌に変わる。)


即興の「ガンダ語」ソング、ムリナ氏の発言がかぶる

1512 (歌の途中でムリナが語る)

Murina(Mu): あなたは分別がない、もうまるで、ヘー。歌って、ねえ、そして解きほどく。さらに仕事、これこそ私がとりわけ欲しているものです。農耕は、いっしょに耕しましょう、そしていっしょにバナナを食べましょう。 Chari(C): 私は立ち去るよ。 Nyamawi(Ny): それでは、上機嫌で立ち去ってください。上機嫌で去ってください。上機嫌で行ってください。癒やしの術、癒やしの術。お金が家に入ってこない。 Mwaka(Mw): それでは、上機嫌で、そして解きほどくこと、解きほどくこと。さて、あなたこそ、面倒を起こす人なのですね。 Ny: あんたこそ、面倒を引き起こす人です。お金が家にたっぷりありますように。 Mw: 仕事、仕事。私たちはお金を欲しているのです。 Mu: さて、さて解きほどいてください。 Zenge: 解きほどいてください、解きほどいてください、私は私の弟(妹)224が欲しい。私ゼンゲは。だって、私はもう長老(妻帯者)なんですから。解きほどいてください。お母さん、解きほどいてください。私は私の弟(妹)がほしいのです。 Mw: その子に、ムコバ(mukoba82)の手助けをさせてください。もう来ないでください。 Ny: 水が欲しいのですか?

1513

Chari(C): ああ。飲ませてくれ。私は立ち去るよ。 Nyamawi(Ny): はい、結構です。 C: 私はあなたを困らせたね。もうあなたは私を憎んでるね。 Ny: いいえ。あなたをまったく憎んでなどいませんよ、私の友よ。第一、あなたは私に良いお話をしてくださった。憎んでなどいませんよ。あなたは私に良いお話をしてくださった。憎んでなどいませんよ。(人々にむかって大声で)ンゴマを前に!

カヤンバ再開

(カヤンバ演奏再開) (サンズアの歌) 憑依霊サンズアの歌 (録音中断).... (録音再開、以下は書き起こし可能だった部分のみ) 憑依霊クァビ人の歌1 憑依霊クァビ人の歌2 憑依霊クァビ人の歌3 憑依霊ガラ人の歌 憑依霊ゴジャマの歌1 憑依霊ゴジャマの歌2 憑依霊ムヮクララの歌 憑依霊プンガヘワの歌1 憑依霊プンガヘワの歌2 憑依霊プンガヘワの歌3

1526 (カヤンバ演奏プンガヘワまたは憑依霊ディゴ人?)

肩を揺すって踊れ、お母さん、私の兄弟姉妹(mwenehu225) 肩を揺すって踊れ、お母さん、私の兄弟姉妹

Chari(C): 私はワリ(wari223)は食べないわ。 Men: 何を食べるんだい? C: キャッサバ(manga226)が欲しいの。お腹すいたわ、あんた。 Murina(Mu): 何を食べたいって?何が欲しいんだい? C: なに、あなた私が食べるものが何か知らないの、あんた? Mu: ああ、あなたときどき私を怒らせるね、あなた。 C: ちがう、私は欲しいの... Mu: よし、待ってな、あなたに持ってきてあげましょう。 C: 私はお腹が空いたのよ、あんた。

(キユガ・アガンガ(chiyuga aganga227の歌、書き起こされず) 参考(キユガ・アガンガの歌)

1527

Chari(C): ねえ、あの人(ムリナのこと)行っちゃったわ、食べ物持ってる人。 Zenge(Z): あなたのために手に入れに行ったんですよ。私は燃えてます(痛い目に会っている)よ。燃えてます、つまり火がついている。彼は本当に空腹(nzala)なんですよ。 (ムリナ、カップに土を入れて戻って来る) C: なに、少ないじゃない。 Z: ちょっとでも、あなたには十分ですよ。この空腹には。 C: なんでよ、おしっこ臭いじゃない。なに、おまけに石が。全然だめ! Murina(Mu): でも、あっちにはなかったん... C: あんた、行ってわざと石をとってきたんでしょう。私は、もういらないわ、もう。 Mu: それなら、私ももう、ここまでだよ。そもそも私は土を食べる人は嫌いなんだよ。 C: ああ、もう結構。 Mu: ほら、こんな風に、もう喧嘩になちゃったじゃないか。私はあんたに与えた。あんたが空腹で死なないようにとね。 C: だって石が、あんた。私は歯がないのに。歯が一本折れちゃったよ。

1528

Murina(Mu): じゃあ、もう一度探しに行くよ。でもあんたはまた石だらけって言うんだろうね。 Chari(C): (チャリ再び自ら歌い出す) (おそらくプンガヘワ(pungahewa131)の歌) スカート(karinda219)を揺すって踊れ、我が子よ スカートを揺すって踊れ、ヘー (歌しばらく続くが、書き起こされたのはこの2行のみ) 参考:プンガヘワの歌(DB 5241)

Nyamawi(Ny): あなた、もう立ち去りなさい。休みなさい。あなたの仲間たちに譲ってください。あなたには与えられますので、お食べください。そう、とっても良いお食事を食べますよ。だって、ここで揺すっておられると、お腹がパンパンになりますよ。 C: もう満腹だわ。もういらない。 Ny: さて、私だって満腹です。 C: お前、食べなかったじゃないか。 Ny: たくさん食べましたとも C: ホーフィ(大きなため息)。さて、もう行くよ。 Mu: はいはい、さらに、つつがなきことを。

1529

Chari(C): いいえ。あなたこそ、つつがなきことを。 Murina(Mu): 私は昔からずっと健康さ。

ジャバレ導師出現

(チャリ、白い長衣とターバン姿で現れ、ジャバレ導師(mwalimu jabale132)の歌を歌いだす。が、誰も歌を知らずついてこれないので、ムリナが教え始める)

Chari&Murina: 入っていいですか、ジャバレ導師、入っていいですか、エー 入っていいですか、ジャバレ導師、入っていいですか 私を呼ぶのは誰じゃ 扉を開けるのは、わしじゃ ジャバレ王、ジャバレの子供 今日は導師 おいでください、主よ、サルタンよ Mu: さあさあ、お歌いなさいな。私は本を見に行きます。なぜなら彼は本を探しに行ったからです。 KayambaPlayer1: あなた、長老、この歌が済んでから行ってください。歌がまだ私たちの耳に入りこんでいないのです。

1531

KayambaPlayer2: どうしてあなた方はこの歌を秘密みたいになさるんですか。(チャリの)弟子(anamadzi2)はあなた方なのに、歌を歌わない。 (あらためて歌い始める) ジャバレ導師の歌1 ジャバレ導師の歌2 ジャバレ導師の歌3

(ニャマウィ氏、ゴロモクヮ(golomokpwa[^goromokpwa])する。ウウ、ウウと唸り呻く。ムリナ、憑依霊を描いたスケッチブックを持ってきて彼が描いたジャバレ導師の絵などを見せながら、「アラブ語」で唱えごと(内容は誰にも理解不能、書き起こし不能))。

Murina(Mu): ...書き起こし不能...

(ジャバレの曲が演奏される中、続いてチャリもゴロモクヮ、自ら先導してジンジャ導師の歌、続いてカリマンジャロの歌を歌い始める。チャリの弟子たちそれに続く。) ジンジャ導師の歌2 カリマンジャロの歌

(一方、この間も、ムリナはニャマウィ氏に対する唱えごとを続けている)。

Mu: (一瞬スワヒリ語に戻る)完全なる平安を、また7と70(の扉)をお開きください。私、匠はお金を欲しております。私に仕事を出させて(nitoe kazi228)ください。私、匠は、お金がほしいのです。70と7つの扉を開けてください。さらに、全能の神のために平安の扉を開いてください。(再び理解不能な「アラブ語」に戻る)

(チャリ、特に誰かと問答を始めることもなく、ひとしきり踊って沈静化。ムリナの唱えごとが続く中、カヤンバ奏者たちはジャンバ導師(mwalimu jamba174)の演奏を始めるが、開始後ほどなく、停止)

Kayamba Players: (口々に)(ジャンバは彼女の中には)いないよ。

1536 (ムリナ、ニャマウィ=ジャバレ導師に対してドゥルマ語で締めくくりの唱えごとをする。)

Murina(Mu): さて、どうか完全に解きほどいてください。私はつつがなきことを欲します。つつがなきことと、蓄財こそ私の望むことです。さらにあらゆる方面を解きほどいてください。南を解きほどいてください。北を解きほどいてください。西を解きほどいてください。東を解きほどいてください。解きほどいて、良き風がやって来ますように。幸運の風です。熱い風は来ることなし。私の必要なものはお金です。2ヶ月でとてもたくさんのお金が手に入りますように。私はやって来て、あなたにあなたの子供(瓢箪子供)を差し上げましょう。私はやって来て、あなたにあなたの本(憑依霊の絵が描かれた)を差し上げましょう。すべての物事を私はお書きいたします。私はお金を待っております。なぜなら、なぜあなたはお金をお稼ぎにならないのでしょうか。あらゆることが準備出来ています。あらゆることを私は書きました。今は、本人の約束の日時を待っております。なぜなら、彼から約束の日時をいただけば、私はやってまいります。 (ここからほぼスワヒリ語のみの唱えごとに) Mu: なぜあなたは私、匠に光をくださらないのでしょうか。さて、全能の神のお機会をお差し出しください。そして全能の神の慈悲をお差し出しください。仕事なら、あなた方は問題なくお手に入れられます。あなたの隣人は私です。あなたの兄弟は私です。あなたの友人は、私です。

1537 (ムリナのスワヒリ語の唱えごと続く)

Murina(Mu): 私には兄弟はおりません。私の兄弟はあなたです。平安のうちに、全能の神において、それを知らしめたまえ。私の友よ、私はあなたに告げ、あなたに乞い願わねばなりません。シャイフ(族長)の皆さま、高貴なる皆さま、そしてモスクの導師の皆さま全て。私は皆さまに申し上げます、貴紳の皆さま、チャキチャキ184の皆さま、ヴンヴ189の、そして水の農園(konde la maji)の皆さま。血の池の方々。皆さますべて、私はご傾聴願います229。ご傾聴ください、そして重ねて、完全にご傾聴ください、貴紳の皆さま。どうかあなた方の仲間のこの立場を御覧ください。そして首尾上々にお通り過ぎください。そしてそのままでお進みください。とっても上々に。重ねて、上々に(今日の施術の進行を)お進めください。重ねて完全に上々にお進めください。7と70の扉に向かって。そして平安に、重ねて、おとなしくしていてください(ugurame230この動詞はドゥルマ語の動詞)。完全に、おとなしくしていてください。仕事を御覧ください。あなたの母に仕事をお与えになってください。彼らシェラども、田舎者ども(akina mushonga meno231)のための(仕事)です。でも、私に急ぎお金を手に入れさせてください。私はお金が必要です。メニコロショ、ミニコロショをいっぱいにしてください232。お金こそ、まさに仕事をもたらしてくれるものです、お父さん。血を眠らせないでください。

カヤンバ平常運転

1555 (murisa, masai, muduruma と演奏が続く。チャリはよく踊るが、言葉は述べない。) murisa(放牧者)の歌1 murisa(放牧者)の歌2 murisa(放牧者)の歌3 不明な霊の歌1 不明な霊の歌2 憑依霊マサイ人の歌 不明な霊の歌3 不明な霊の歌4 不明な霊の歌5 憑依霊ドゥルマ人の歌1 憑依霊ドゥルマ人の歌2 憑依霊ドゥルマ人の歌3 憑依霊ドゥルマ人の歌4

デナ出現

デナの歌1 デナの歌2 デナの歌3 デナの歌4 (dena 4曲目のあと、golomokpwaしたチャリとNyamawiらとのやりとり)

Nyamawi(Ny): 私たちはあなたをお呼びしました、お父さん。歌(wira86)ですよ、癒やしの術と。デナご自身は、そう私に子供(瓢箪子供)だけを彼女に与えさせてください。ライカたち(malaika13)とイキリク(ichiliku74)といっしょにです。私はあなたを同様にお呼びしたまでです。喧嘩ではけっしてありません。 Chari(C): それで同じくわしも呼ばれているというんじゃな。来て... Ny: あなたは長老と呼ばれています。(あれら主賓となる他の霊たちを)歓待してやってください。歓待してやってください、この場に、それだけです。そして癒やしの術の不思議を。 C: なあ、で踊っている奴、歓待を受ける奴は、食事にと歓待されるのかい、それともそいつを歓待するのは... Ny: いや、とんでもないお父さん。まずは、彼らは歌で歓待されるのですよ、お父さん。まずは歌です。(弟子に向かって)この方にキパーリャ(chiparya233)を差し上げて。 C: カボコ(kaboko234)を。

1556 (ムリナ氏、ギリアマ語でチャリに語りかける。チャリもギリアマ語で応じる。)

Murina(Mu): あれらの長老たちにも、あなたはお与えになった。...とても良いことをなさいました。あなたも今すぐに頂けますよ。 Chari(C): 今度は何を?さっきの(酒)、飲んだら、後ですごく死にそうな気がしたぞ。 Mu: かたまり(kagande235)があればいいだけじゃないんですか。違いますか?あなたにも差し上げましょうか。 C: わしゃ、知らんよ。 Mu: 大丈夫ですよ。 C: 何もかも、乞いもとめてばかりせにゃならんとは。 Mu: 私たちは知ってます。長老が来ると、彼はワリの一かたまり(kagande)と彼専用のムボコ(mboko234)を与えられるってことを。さあ、あなたはというと、心がすぐ先走ってしまう。私はあれやこれやが与えられていないなどとおっしゃる。あなたにも差し上げますよ。(女たちに向かって)ワリ(wari223)を持ってきて。一かたまり。 Nyamawi(Ny): ワリの一かたまり(donje236)。冷めたワリ(upholwe237)の一かたまり。 男(man): これ、冷たいね。おかず(mutsunga156)についてこの人は何か言ってる? Mu: このままじゃだめなのかい?

1557

Nyamawi(Ny): おかずは何だい?とっても美味しいよ。 Chari(C): ところで、(キパーリャ233を)何に置けばいい? Murina(Mu): あなたは置く場所を求めている。置く場所。ねえ、手に持っているのじゃだめですか。手の中に握っていてください。まずは味わってください。 C: でもこれ、ただなのかい? Ny: それはとってもヤシ酒ですよ。(浜本注: ニャマウィ氏のギリアマ語、ちょっと変) C: たくさん飲むことになるかな? Ny: それはベシディ・ンダロさんのヤシ酒ですよ。ベシディ・ンダロさん自身が抽出しました。もう極上です。極上です。これは、あんたベカゾさんのお酒ですよ。あなたはベカゾさんからいただいたのですよ。 C: いやいや。彼は、なあ...ところで、なあ、あんたたち...したいのかい? Ny: なんですって? C: OK、OK。 Mu: あなた、腹が減っているのに、少しで満足する人なのですか、それとも?

1558

Chari(C): その手の悪口が、わしを殺すんじゃぞ。 Murina(Mu): もしもう満腹されたのでしたら、布を買って差し上げることも、お知りおきください。あなたがお望みなのは、ヤンバ(yamba238)でしょうか、それとも長老の腰に巻きつける布でしょうか。 Nyamawi(Ny): あなたは布も与えられますよ、お父さん。 C: ムコバ(mukoba82)がないんじゃが。 Ny: ムコバも手に入りますよ、あなた。 C: わしは服を着てないが。 Mu: あなたにはすべて与えられるでしょう、あなたが欲しいものは。 C: こいつベカダマ(Bekadama239)じゃが、カダマはまだ娶られとらんし、わしは子供を産んどらんぞ、なあ... Ny: 娶られますよ、娶られますよ、カダマはもちろん娶られますよ。娶られますよ。 C: わしは欲しいんじゃ...わしは欲しいんじゃ...

1559

Nyamawi(Ny): あなた何が欲しいのですか?友よ、あなた。牛乳を差し上げますよ、はい。(女性たちに向かって)牛乳はどんな感じ?ない? Chari(C): ほんのちょっとでいいぞ。もしないなら、それまでじゃ。私は帰るよ。 Ny: あなたには差し上げますよ、我が友よ。あなたはとっても信じがたい心(roho ya chino240)の持ち主ですね、あなた。

(カヤンバ演奏再開、デナの歌5、しかしすぐに中断) デナの歌5

C: わしは布も欲しいなあ。 Ny: あなたは布が欲しい? C: (カヤンバ奏者たちに向かって)なあなあ、しっかり(カヤンバを)打ちなさいな。あんたたち、わしに歌ってほしいと?ここにいる一人前の長老であるわしに、お前さんたちは...

(カヤンバ演奏再開、デナの歌6、ついでチャリの先導でヤマアラシ(nungu)の歌) デナの歌6 ヤマアラシの歌(Chari版) (チャリ演奏を制止)

Kayamba Player: (ギリアマ語で)終わったの? C: 終わったよ。 Ny: 落ち着いて、落ち着いて、つかんでください。つかんでください、お父さん。

1560

Chari(C): わしは最後にあのお父さん、ベカダマを見送ろうとしとったんじゃ。 Nyamawi(Ny): あなたは彼ベカダマを見送ろうとしていた? C: そうじゃ。わしは彼に尋ねる... Ny: あなたは彼ベカダマを見送ろうとしていた。

カヤンバ再開

(カヤンバ奏者たち、ディゴ人(mudigo79)の歌を演奏始めるが、すぐにニャマウィによって制止される) 憑依霊ディゴ人の歌1

Ny: 今、(ディゴ人のための)ビーズ飾りを制作中なんだ。今、引いているところで、その後ビーズ飾りを...それとあれらのピング(pingu37)も調えているところ、あちらで調えているところだ。別の霊の曲を打ってくれ。 Kayamba Player1(KP1): それらの課題(mambo)がまだだと? Ny: まったくまだだよ。 KP1: 急がせてくれよ。

(続いてニャリ(nyari67)の歌) ニャリの歌1 ニャリの歌2 (続いてムァヴィツヮ(mwavitswa143)の歌) ムァヴィツヮの歌1 ムァヴィツヮの歌2

1568 (ニャマウィ、イスラム系の憑依霊の曲を打つよう指示するが、チャリの弟子(mwanamadzi2)は拒む。議論になりかけるが、その途中から録音)

KayambaPlayer2(KP2): 彼は、そいつ(その霊)は除外しろと言われたんですよ。 Nyamawi(Ny): (なぜかスワヒリ語のみで語る。)私はその霊のために歌うつもりだよ、長老さん、私とあなたでその霊のために歌って、その霊が上機嫌であるようにしましょうよ。 KP2: イスラム教徒(の霊)たちすべてを、打つなと言われているんですよ。 Murina(Mu): わたしは、その霊の問題を熟知してます。人は一瞬で(そいつに)血を飲まれてしまうんですよ。見ていて、同情を覚えてしまうほどね、あなた。 Ny: 彼女(チャリ)が、それとも私が? Mu: 彼女ですよ、(血を)飲まれてしまいます。 (ムリナ、歌い出す) あれらのウシたち、お母さん あれらのウシたち 布をマエガ結び241に結びなさい Chari(C): (叫ぶ)ムルキ(Muruki)よ、ムルキよ、ムルキよ! KP2: ムルキ?

1569

Kayamba Player1(KP1): 誰だい? Kayamba Player2(KP2): もしかして、ルキ(Luki)だったり。 (憑依霊ルキ(luki144)の歌) ルキの歌1 ルキの歌2

Nyamawi(Ny): ムビリキモを急いで、ムビリキモを急いで KP1: ムビリキモを打ってくださいな。 (憑依霊ムビリキモ(mbilichimo69)の歌) ムビリキモの歌1 ムビリキモの歌2 ムビリキモの歌3

マコロウツィク休憩

(この後、makoloutsiku[^makoloutsiku]の休憩に入る) (ビーズ飾りの作業についてのちょっとした議論)

KP1: 仕事、もっと急いで頑張らせてくださいよ、お父さん。夜が明けちゃうよ。 Ny: そうなんだよ。昨日の作業、お前もわかるだろう。さて、あんた方は、その仕事を自分たちがやりましょうと言ったね、あんた方。あんた方は今尋ねている。「お父さん、ビーズ飾りはもう済んだのですか」と。じゃあ、あっち(ビーズ飾りの作業)へお行きなさい。 KP1: でも、ここでも仕事(酒を飲む)があるじゃないですか。 Ny: さて、よく聞きなさいよ。弟子たち、前へ。ビーズ飾りの作成者も前へ。 KP1: あなた、おっしゃったでしょ。これらのビーズはもうビーズ飾りには使いませんって。 Ny: そう。私はビーズ飾りが完成したって聞いたから。おまえ、行って確認したのかい? KP1: 行って、確認しましたよ。 Nyamawi(Ny): なんだ、じゃあ終わりだ。お前が行って見てきたのなら、済んだってことだ。 Kayamba Player2(KP2): 終わったって言ったのは誰? KP1: 私があちらに行ってきた。終わってたよ。

ジンジャ導師の再来

1570 (カヤンバ再開。仮眠中で気づかず、慌てて起き出すと憑依状態のチャリが人々とやりとりしていた) (この間に録音された歌の一部、何の歌なのかは確認できず) (chorus)

祖霊、ハッカ飴みたい 計画を待て Chari(C): 私はもう帰りますよ。 Nyamawi(Ny): さて、あなたはもう立ち去ってしまわれる。 C: なんだい、あんたたちのところじゃ、別れを告げ合わないのかい? Ny: いえいえ、別れを告げ合いますよ。 C: 今、あんたたち、私に立ち去ってしまえって行ったよね。ああ、私は立ち去るよ、私は。 Ny: 今、私は言葉を一つ手に入れておりますよ。 C: さて、いったいどんな言葉を手に入れると? Ny: はい、私が手に入れたのはこれです。 C: さあ、話してちょうだいな。 Ny: 以前、約束しましたよね。夜が明けたら、私の問題について話してやろうと。そうしないとでも。「私はお前の問題について話に来てやろう」そうおっしゃいませんでしたか、あなた。 C: ああ、もう話してあげたよ。 Ny: いやいや、あなたは何を話してくださったというのですか?

1571

Chari(C): もう話してあげたじゃないか、あんた。私に話し続けさせたいだけ。私にただ話し続けろと。 Nyamawi(Ny): ただ話してくださいよ。それも本当の言葉をね。 C: 私が話してあげたことはね。私は挨拶をしに来たんだってこと。でももう満足したってこと。そう言っただろう、私は。以上だよ。私には他には何の言いたいこともない。 Ny: ところで、あなたのお仲間たちにお話しする言葉も、みんなお元気でね、ですか? C: 私は、お前に別れを言いに来たんだよ。 Ny: じゃあ、私に別れを告げるって、何を話してくれるつもりだい。お元気で、かい? C: さて、いったい何をお前に話してあげればいいんだい?私は、友人たちが、癒やしの術を手に入れるのをどんな風に終わらせるか見に来たんだよ。私はとっくに与えられているからね。 Ny: あなたはずっと以前に癒やしの術を与えられた。今はあなたの仲間たちを見るためにこちらにいらしたと。

1572

Chari(C): 癒やしの術はとっくに与えられたよ。布(nguo217)もとっくにもらったよ。羽飾りの冠(chiluu)もとっくにもらったよ。私は、癒やしの術は昔にもらい済みなんだよ、あんた。 Nyamawi(Ny): おまえさん、そこがお前さんの争いの場所なんだ、そこが。布を与えられたってところ、だってお前さん布がないことがわかってるのに。今、そう言ったばかり。その布、あんたは与えられるだろうよ、その布は。 C: 私は、ちっとも困ってないよ、あんた。私は全然困ってない。(チャリ、「ガンダ語」を喋りだす) Ny: それがあんたの策略だ、それが。 C: でも今日は争いは... Ny: 争いはないと。でもそれがあんたの策略だよ、それが。はい、はい。あんた、あんたときたら、へー。あんたは、私を困らせるだろう、あんたは。だって、それらの言葉(問題について)私たちが約束しても、そして互いに握手しあっても、あんたは突然あんたの余計な問題を持ち出してくる。あんたが今喋った言葉も、ねえ、すでに私に嘘をついているんだ、それらは。 C: ちがう!(チャリ、「ガンダ語」を喋りだす)

1573

Nyamawi(Ny): それこそ争いそのもの。あんた、あんた、それこそ争いそのものだよ。聞きなさいよ、私、私に話させろよ。あんた、あんた、腹の中に子供がいる。これが争いの種だ。あんたは子供を背負うことができない。これこそ争いだ。さて今、子供が手に入ったら、私はあんたに布を買ってあげます。さらに、あんたのリンダ(rinda219)も差し上げます。履物も差し上げます。あなたは子供をくださればよい。その子は別の人に置いてもらいましょう。その子供をください。よく耳を傾けてください、でも仲直りいたしましょう。その子供をください。でもその子供は別の人に背負ってもらいましょう。あなたは今のままでいられます。 Chari(C): ところで私はもう子供をあげたじゃないか、あんた。 Ny: さて、その子供をください。その子供は別の人が背負います。あなたが背負うことはありません。 C: その背負うってことについても、私はべつに拒まないよ、なあ。 Ny: ではでは?

1574

Chari(C): 私じゃないんだが。 Nyamawi(Ny): 誰なんですか? C: それは...(「ガンダ語」を喋りだす。) Ny: キリマンジャロ(chirimanjaro244)かい。そいつが、何だって?そいつが争いの主なのかい。では、そいつはどんな問題をかかえているんだ?そいつキリマンジャロは。さて、そのキリマンジャロが何を欲しがっているんだい。本だったら、もうもっている。他の問題だとしても、調えてもらえるよ。さて、今そいつは何を争っているんだい、そいつキリマンジャロは。 C: 私は争いはないよ、ええ。私があんたにドゥルマ語で話したら、あんたも理解するだろう?さて、私には欲しいものはない。仕事はもう手に入れた。布も買ってもらった。さて、私にはなんの心配もない。

1575

Nyamawi(Ny): 争いはその布だよ、あんた。その布を買いに行ったら、問題は終わる。 Chari(C): 私には争いはないよ、あんた。ああ、私には争いはない。 Ny: じゃあ、どうしてあんたはしゃべると、ポイントを逸らそう逸らそうとするんだよ?問題の場所に降りておいでよ。 C: ええ?私がどうして何かを欲しがっていると?私は何もくれと言ってないよ。私が悪意をもってやって来たとでも?私がドゥルマ語で喋ったら、あんたたちは理解しないのかい? Ny: 理解しますよ。たとえあなたが別の言語で喋っても、私たちは理解しますよ。 C: でも私はずっと話し続けてるじゃないか。毎日話してばかり、毎日話してばかりだよ。もう二度と話しませんよ。 Murina(Mu): まずそいつに厄介を起こしているやつについて話してくれるよう、尋ねてみてください。だって話されることはすべて聞きますから。でも私の心中に、心地よいものはなにもない。

1576

Nyamawi(Ny): ほら、今話されたのがわかるかい?あんたが話すことはすべてきちんと理解されている。でも彼は快くはない。困らせている張本人は誰なんだ? Chari(C): 私があんたをどんな風に困らせているっていうんだい? Ny: ここに子供がやって来ないようにと困らせている奴は、どいつなんだ? C: 子供たちはいなくなってしまったんだよ、だろ? Ny: 何のせいでいなくなってしまったんだい? C: 食べられていなくなっちゃたんだよ。 Ny: 子供たちは食べ尽くされたのかい?で今私たちは、いまだに乞い願っているだが、それについては、あんたは何を言いますか? Murina(Mu): その食べている奴は誰だ?もしかして、ここでも見た野生の大猫(憑依霊のこと)だろうか、ここに来た。そいつか、どうだ?もしそいつだったら、朝になったら、そいつと対決してやる。

1577

Chari(C): そいつは遠くにいるよ。あんた。人を食らう張本人は。 Nyamawi(Ny): そいつはゴジャマ(gojama48)かい? C: もう私は言いましたよ。 Ny: もしそいつがゴジャマなんだったら、私にそう言ってくれ。朝になったらそいつと対決してやる。 C: 私はあんたらに言うよ。私はここの者ではない。私は私の家の者だ。そもそもまずもって私はワリ(wari223)は食べない。人々はワリを食べない者を見ると、こいつは病気にほとほと参っていると言う。あいつはワリを食べない、病気にうんざりしているんだ、と。私はね、バナナを食べる者なんだよ。 Ny: 私はね、そんなことを尋ねているんじゃないよ。私が尋ねているのは... C: 私じゃないって。 Ny: さあ、それなら、あの...を食べているやつは誰なのか、話してくださいよ。 C: 私はあんたらに言っているよ。あいつら、でかく鋭い爪(madzikombe)をもった奴らだよ。でかく鋭い爪をした奴らだよ。 Ny: とすると、あのゴジャマこそが、人を食らっている者、あるいは...

1578

Chari(C): なに?ゴジャマに仲間がいないとでも? Nyamawi(Ny): それともその仲間は誰だ?その仲間はマウィヤ(mawiya46)ですか? Murina(Mu): ジネ・ツィンバ(jine tsimba246)だ! Ny: それともジネ・ツィンバ? Mu: そうだよ、あいつだ、あいつこそ鋭い爪をもった奴だ。 C: そいつは最近やって来た。 Ny: ジネ・ツィンバが? C: そう。今年で300年目だ。 Ny: なあ、あんただって生まれてからまだ100年にはならない。70年にも達してない。そもそも、でもあんたはそいつは300歳だなんていう。ところで、そいつが面倒を引き起こしている張本人なのかい? C: そいつは食ったんだよ、あんた。そいつは食ったんだよ、あんた。そいつはたくさんの子供を食べた。

1579

Nyamawi(Ny): さてさて、じゃあ、わたしたちは論じましょう。問題を論じましょう。そのジネ・ツィンバ、あなたはそいつのピング(pingu37)は手に入れましたか? Chari(C): とんでもない。 Ny: 彼女がジネ・ツィンバのピングをもっているのを見たことがありません。私も。首の後ろ側に爪を身につけるんですが、あなたがそれを着けているのを見たことがありません。 C: 彼女は見せてもらったことがあるだけさ。 Ny: さて、では、普通、そいつはどんな争い(要求)を求めているのでしょう。そいつの争いはどんな物ですか。そいつはご馳走を欲していて、それを上々に得たいのでしょうか。 C: 昔の問題については、私は二度と話しませんよ。 Ny: 言ってくださいよ。だって私は当事者ではありませんでした。もしかしたら、あなたがそのことについて話されたのは、あなたの家でだったのでしょう。でも今や、私も、こうして当事者なんです。あなたがそれをお話しくだされば、私もしっかり理解いたします。私の心の中に上々に。そうすれば、私が調えて差し上げられるんじゃないですか。 C: なんだか寒気を感じるよ。私はもう立ち去りますよ、私は。

1585

Nyamawi(Ny): だめだめ!立ち去らないで、立ち去らないで。太陽はすぐそこです。ジネ・ツィンバと、ゴジャマ?困らせている他の連中についても話してくださいよ、そいつらのことを知りたいのです。 Chari(C): あんたに話せと?私が叩かれたりしないかい? Ny: あんたが誰に叩かれるっていうんです? C: ここでは私独りっきりなんだよ。 Ny: 私が仲裁してあげますよ、もしあなたが叩かれるなら、私があなたを守ってあげますよ。 C: じゃあ、ジネ・ツィンバ.. Ny: ジネ・ツィンバ、それと?スディアニ導師(mwalimu sudiani30)ですか? Mwaka(Mw): それと憑依霊ペンバ人(mupemba247)。 Ny: ジネ・ツィンバが子供を嫌う奴ですね?そしてペンバ人と導師も子供を嫌う奴らなんですか?ところでペンバ人ですが、何を要求しているのですか? C: あああ、私が知るもんですか。 Ny: ああ、言ってくださいよ、あんた。ゆっくり小出しに話してくれるだけだったじゃないですか。今それらを踊ってくださるのですか248、あなた。

1586

Chari(C): ああ、私は他人が何を好んで食べるかなんて、話せないよ。(ここからスワヒリ語)私に、そいつがやって来たらそいつにはそいつの食べ物を与えてやってくれと話せとでも、私は何を手に入れることになるのかね。 Nyamawi(Ny): (ドゥルマ語で返答)そいつが食べ物を手に入れたら、あんたにもあんたのを差し上げることになりますよ。 C: やだね。そいつらが自分で言うだろうよ。そいつら本人にそんな風に言いなさいな。 Ny: でも、ジネ・ツィンバとスディアニとペンバ人なんですね、欲しがっている奴らは。 C: (スワヒリ語で)獰猛な奴らだよ、あんた。私は鋭い爪でつかまれるのは御免だね、もう。 Ny: 彼らは爪でつかまれるのが嫌なのかい。 Murina(Mu): あいつらが本気で襲いかかるだろうって249言ってるんだよ。 C: で、あんたは彼らに何をしてやったんだい? Ny: (スワヒリ語で)ちょっと待て、私は私たちお互いで理解し合いたい。でも私はわたしたちお互いで理解し合いたい。そいつペンバ人は何を欲しがっているんだ?ペンバ人には何がいるんだ?ペンバ人は立ち去りたいのか、それとも仕事がほしいのか? C: (スワヒリ語で)ペンバ人は少し以前にやって来た。ペンバ人は少し以前にやって来た。そいつは仕事が欲しいと言った。ペンバ人は少し以前にやって来て、お盆(chano250)が欲しいと言った。そいつはご馳走(karamu251)を欲しがっている。

1587 (以下のやり取りはすべてスワヒリ語による)

Nyamawi(Ny): そいつには本(chuo252)を与えるんじゃないかい?お盆(chano)を与えるんじゃないかい?与えるんじゃないかい?ペンバ人を書いてやるんじゃないかい? Chari(C): それらは、私のじゃないよ。 Ny: あなたのじゃない。じゃ誰の? C: ペンバ人のものだよ。 Ny: 人は友だち関係253をもちあうものです。今、もしペンバ人その人なら、私たちは友だち関係をもち合いましょう。 C: (ドゥルマ語に戻す)たぶん彼は(共通の合意、共通の知識を)得たんじゃないか?私は知らんけど。得たんだと思うよ。 Ny:(スワヒリ語で)さて、私たちはその、とりわけ獰猛なペンバ人に尋ねたい。彼がなにを欲しがっているのか。彼は人を食べたいのですか? C: (ドゥルマ語で)彼は(共通の合意、知識を)得た。でも私は忘れちゃったよ。 Ny: (スワヒリ語で)私はあなたにお尋ねします。私はお互いに共通の知識をもちたいのです。ペンバ人は人を食べたいのでしょうか。彼は私のような人でも食べることができるのでしょうか。

1588

Chari(C): (ドゥルマ語で)人を食べるってことでは、人に惚れ求めた初めからだよ。お前を求めたら、そいつはお前を手に入れるだろう。お前を求めたら、そいつはお前を手に入れるだろう。もう何年もだよ。 Nyamawi(Ny): (スワヒリ語で)でもそれは格闘(張り合い)ですよ。だって、あなた(憑依霊)は「あなたはしかじかの品を手に入れ続けますよ」と言われ、でも後で騙されたとわかる。そうじゃないですか。あなたは騙されたってことじゃ。 C: (ドゥルマ語で)さてね、だって私は他人のことは話すつもりはないよ。 Ny: (ドゥルマ語で)あなた、何を話しにいらっしゃったんですか、あなた。 C: (ドゥルマ語で)ああ、忘れちゃったよ。私はご馳走を食べるよ。 Ny: (スワヒリ語で)お聞きなさいよ。私はこれからペンバ人にこういたします。ペンバ人のために鍋(chungu40)を置いて差し上げます。そしてペンバ人をゆっくりゆっくりとお招きします。さて、ペンバ人にお会いしたら、お互いに耳を傾けあいます。ペンバ人にお盆(chano250)を食べていただきます。もしペンバ人がお盆を食べることが出来なければ、私は彼といっしょに海に参ります。あなたは私が彼と行くことに同意なさいますか? C: (ドゥルマ語で)私は、私じゃないってあんたに言ったでしょうが。あんた、もし惚れられるのがいやだったら、そこ(海)で閉め出して(ku-sindika255除霊して)しまいに行こうと?私だけが独りきりで残ることになるじゃないか。

1589

Nyamawi(Ny): (ドゥルマ語で)私はペンバ人を閉め出しはしないでしょう、でも、互いに合意したいのです。 Chari(C): (ドゥルマ語で)そもそも、結構なことだよ。他の連中を取り除くのは、結構なことだよ。 Ny: (スワヒリ語で)他の奴らをどんどん取り除いても、ないです.... C: (スワヒリ語で)そいつら取り除いちゃいな。あんたがそいつらを取り除いてくれたら、私はたくさん財が手に入るよ。 Ny: (スワヒリ語で)あんたは私を騙したいのかい、あんた。「落ち着きなさい」だけ手に入れなさい。 C: (ドゥルマ語で)ほんの少しの飲み水さえ、ないのかい。 Ny: (スワヒリ語)それはごめんなさい。(人々にドゥルマ語で)この人に水を差し上げて、この人に水を差し上げて。 Murina(Mu): (ギリアマ語で)ローズウォーター(marashi211)がないんですよ、ご主人。 Ny: (スワヒリ語で)ローズウォーターはありません。ローズウォーターは昨日...今日は手に入りませんでした。 C: その様子じゃ、この仕事は私の仕事じゃないんだな。 (カヤンバ再開、憑依霊ディゴ人の歌2) 憑依霊ディゴ人の歌2 C: 子供を食べる連中についてお前に話してあげるよ。 Ny: あんた、もうそいつは放っておきましょう。完全に放っておきましょう、そいつは。

1590

Murina(Mu): そうじゃなくて、まずは一休みを。 Nyamawi(Ny): そいつは放っておきましょう、(そいつが要求する品々を)手に入れて、それからそいつのために調えてやりましょう。というのもこの女性は難儀を抱えています。おまけに奴ら憑依霊、奴らは人間を食べる憑依霊たちです。この婦人を扇いでやり256ます。というのも、もしかしたら女の子を手に入れる(その結果として彼女が娘を産むかもしれない)ことになるかも、だから。そしたら、私がやって来て、色々そこで交渉(婚資の交渉)し、その女の子に私のサトウキビを耕してもらえるように。彼女は難儀を抱えています。だってあんた、農作業するのが嫌いなんだから。あんたの娘も、もし娶られたら、耕すのが嫌いでしょう。 Chari(C): 水を頂戴な。もう去ります。 Ny: この人に水をあげてください。 C: 私になにを耕せって? Ny: いえいえ。あなたのことじゃないです。あんたは耕しちゃだめ。 Zenge: 私たちは男児がほしい。男の子たちこそあなたが手に入れようとする者です。お母さん、男の子供を産んでください。ゼンゲの仲間たちは年老いました。 (04:00 頃、この弛緩した雰囲気に負けて(?)、私は再度シェルターで休憩に入り、そのまま眠ってしまう。次に目が覚めると、カヤンバはすでに終了し、人々は朝食を食べていた。) [END of tape 5]

重荷下ろし

屋敷にて

1598 (カヤンバ演奏開始。一連のmulungu(一つを除き書き起こし省略)、mudigo1,2、shera1-5) ムルング子神の歌 憑依霊ディゴ人の歌1 憑依霊ディゴ人の歌2 シェラの歌1 シェラの歌2 シェラの歌3 シェラの歌4 シェラの歌5

Mwaka(female muganga(Mw)): 急いで、急いで、あなた。急いで、あなた。さあ行きましょう、あなた。 Nyamawi(Ny): カヤンバ、カヤンバ! カヤンバを打ちなさい! Murina(Mu): おい、男衆、カヤンバを打ちなって! Kayamba Player(不特定): あなたたちが発酵を進ませすぎた酒258は、あなたたち自身が飲むことになるってね。演奏者たちは逃げちゃったよ、もう少数しか打ち手はいない。 (Nyamawi氏、Chariにキザの薬液を浴びて、出発するよう促す) Ny: 我が子よ、(薬液を)浴びなさい。行きましょう。浴びなさい。行きましょう。こんな風に上々の状態で。 (カヤンバの演奏が切れ目なく続く中荷物を背負わせて出発する)

シェラの歌6 シェラの歌3 シェラの歌3+ シェラの歌7 シェラの歌8

ウリンゴにて

Zenge(Z): ヤギだ、ヤギだ、ヤギだ。 Nyamawi(Ny): 私たちはここ池に、あなたを置きに参りました。あなたは、あなたの家にお行きください。この者を一緒に伴わないでください。この者はこの場にお置きください。あなたはあなたの家にお行きください。あなたの家にお行きください。...(以下聞き取れず) (シェラの歌8 chorus) もしも疲れたら言ってください 仲間たちを無駄に困らせないで

1603 シェラの歌9

重荷を下ろす

Nyamawi(Ny): ...行って耕しなさい...そうして杵で搗いて、臼で挽き、薪を採りに行き...二度と...はなし。...(以下、聞き取れない) Mwaka(female muganga(Mw)): よし、よし、よし、よし。解きほどいて、解きほどいて、解きほどいて。お静まりください、お静まりください、お静まりください。

(シェラの歌9 chorus) 施術師 ヘー 終わらせなさい おしゃべり(人の噂を触れ回ること)はなしにしましょう さあ、終わらせなさい おしゃべりはなしにしましょう [END of tape 6]

1605

Nyamawi(Ny): 癒やしの術なんですよ。もし癒やしの術じゃなかったら、..もし癒やしの術じゃなかったら、あんたはそれこそひどい目にあっているところだろうね。しっかり鞭をくらうことだろうね。(カヤンバ奏者たちに)あなた方、もし癒やしの術の仕事をするのなら、そう、そこから収入を得なくても良いみたいなやり方ではだめですよ。あちらに行くのは、まだ大仕事です。やるなら、しっかりおやりなさい。あなた方、ぐったりですか? Kayamba Player(不特定KP): 俺たち、もうぐったりだよ。

ヤギの供犠

(ヤギをチャリの身体にこすりつけながら、唱えごと)

Mwaka(Mw): 頭痛はなし、なし。めまいもなし。背中の痛みもなし。胸の苦痛もなし。腕の痛みもなし。脚の痛みもなし。解きほどけ、解きほどけ。 Ny: ここ背中の痛み、ここから去りますように。ここを去りますように、背中。女性は薪の束(を頭に載せて運ぶもの)。女性は水の入った容器(を運ぶもの)。女性は杵で搗き、臼で挽く。それでこそ女性。ここ背中の痛み、ここより去れ。怠惰な娘は、なし。なぜなら私は他人の婚資を食べてしまったからだ259。もしお前が怠惰なら、私の仕事は鞭だ。怠惰は、なし。さあ、行って耕せ。行って耕せ。

1607 憑依霊ディゴ人の歌3

ムリナとチャリ並んで座る

Nyamawi(Ny): でも、この人を傍らに...(荷物を)下ろしてあげて。このバケツの水は、彼が浴びるのかな。 Mwaka(Mw): そう、浴びます。 Ny: さあ、お母さん(Mwaka)、持って行って。下ろしておいて。 Murina(Mu): まだこの(バケツの水)使い切ってないですよ、ここの。 ..........interval.......... Ny: 水がこぼれるね。なあ、もしあんたが水をこぼしたら、あんたは「女じゃない」って言われること、心得ておきなさい。もし水をこぼしたらね。 Mw: あんたね、もしその水をこぼしたら、そう、「あんたは全く女じゃない、少しも」って言われちゃうよ。ここで。

憑依霊ディゴ人の歌4

Ny: この水の容器をもっていって、私の娘(チャリ)(の荷物を)下ろしてあげて。さあ、もっていって下ろしてあげて。あの水を下ろしてやるんだよ。持って行って、この容器を。来て、持って行って。

憑依霊ディゴ人の歌5

Mu: さあ、薪を集めに行こう。薪を集めに行こう。(屋敷に)戻ったら、粉も挽かないとね。

1609

薪集め

Nyamawi(Ny): どれでもいいから伐って。伐って、伐って。 Mwaka(Mw): 伐ってって言ってんだよ。伐っちゃえばいいだけ。 Kayamba Player(不特定KP): あんたらご婦人たち。唱和するのも嫌なのかい。ご婦人たち疲れ切ってるよ。じゃあ、もういいよ。 Ny: ここで伐って、ここで伐って。伐りなさいよ、もう。伐りなさい。 Mw: 伐ってしまって、家に行きましょう。 Ny: この山刀はだめだね。切れない。 Chari(C): (ディゴ語で)私は伐ってるってば。でも伐ることができないわ。

(憑依霊ディゴ人の歌?) (chorus)

あなた方の仲間、ウェー、苦しんでいます、施術師たちを困らせる ムルングはすべてご存知 ムルングには難儀がある ムルングはすべてご存知 (この曲が演奏される中、チャリは屋敷に向かってゆっくり歩き始める)

1610

Nyamawi(Ny): 皆さんもう進んでますよ。 Kayamba Player(不特定): 俺のカヤンバは? Ny: ほら、あんたのカヤンバ。 Mwaka(Mw): 一列にお進みくださいな。あの人、あの人が先頭で。演奏しながら進みなさいな。

屋敷に到着

Ny: カヤンバは小屋の中で。カヤンバは小屋の中で。震えてないで。さあ、大音量で。 Mw: 小屋の中で、小屋の中で。 Kayamba Player(不特定1): そして牛乳をおかずにワリ(wari223)! Kayamba Player(不特定2): でもシマ(=ワリ)は、ただのキリャンゴナ(chiryangona260)でしょ。 Murina(Mu): さっさとカヤンバ打ちなさいよ、ってば。 Kayamba Players: ♪カヤンバは痛めつける、何を痛めつけるの? 指を痛めつける♪(カヤンバの曲に合わせながら替え歌を歌っている) [End of the tape 7]

外に出す(kulavya nze)

1611 憑依霊の草木をつかむ試練(mutsanzoni261)

出発前のやりとり

Murina(Mu): ところで、病人(mukongo=muwele165)は、憑依霊によって(その草木を)教えてもらうんだよね。いつもはあなたが草木を教えていたの? Nyamawi(Ny): 普通は、教えたりしてないよ。 Mu: (病人は)(霊で)一杯に満たされている。酩酊している。あなたは教えたりしない。 Man(不特定1): ところで、あの一つ(の草木)(その霊にとっていちばん大切な草木[^muhi wa mwisho])は彼女が自分自身で行って見つけるのですか、それとも? Mu: 一番(の草木)のことだね。一番に、クハツァ164してあげるやつ。あなたが来て、彼女に草木を示してやらないとね。 Man(不特定2): ねえ、あの人にヤシ酒を瓶に注いでおくように、言っておいてください。それとも彼はヤシ酒で教えないのですか? Ny: 草木をかい? Man(不特定2): はい。 Ny: ヤシ酒で教えないなんてことが、どうして? Man(不特定2): じゃあ、ンデグヮにきちんとするように言っておいてください。 Ny: でも、彼はいつ踊ったというんだ?まずは先に進んでリードする者じゃないと。

1612

Man(不特定1): 彼は、自分でクハツァしたがっているんです、彼。 Man(不特定2): 遅れちゃうよ。ほら、ヤシ酒。ヤシ酒のための瓶ですよ、チョンジョロさん。ほぼヤシ酒1リットルです。いっぱいに入れてください。私たちはあちらムツァンゾーニ(mutsanzoni261)に向かいます。あなた方、文句がおありですが、まあひとまずそのままにしましょう。 Man(不特定3): それでいいですよ。まず彼女に揺れて(ゴロモクァして)もらいましょう。 Man(不特定1): 彼女、今すぐにでも揺れるよ。 Nyamawi(Ny): あいつ(ジンジャ導師)には立ち去るように言ってくれよ。私は言ったんだけど、そいつとは喧嘩になっちゃうんだよ。そいつには立ち去ってもらおう。そいつがいると、必ず私たちは喧嘩になる。 Man(不特定1): ところでこれ(ビーズ飾りのための、ビーズを通す紐)、きつく縛り過ぎないように。彼女が水を被ったら、それはもうめちゃくちゃきつくなる。 Ny: だめだめ。解けばいいよ。そもそも縛らないほうがいい。 Man(不特定1): だって、行った先で、水をかぶったら、その紐がアキレス腱のあたりを締め付けて、彼女はびっこをひくことになるよ。

1613

Man(不特定2): まだ終わっていないビーズ飾りがある。制作者の方々、どうしてビーズがまだ余ってるんですか。 Man(不特定3): どれの話ですか? Man(不特定1): あれです。どうしてまだたどり着いてないんですか? Nyamawi(Ny): そこのそいつなら、もう一度きちんと作り直しますよ。 Man(不特定3): ああ、さて、要するに(完成しているものは)身につける(結びつける)。身に付けなかったものは、つまり置いておくと。後日、結びつけに来ると。この結びつけるときに、増やす。今は置いておくと。 Man(不特定2): で、被り物キシング(chisingu263)は彼女はすでにもっている? Man(不特定1): 昔からもっている彼女自身のものだよ。キシングは制作しませんでした。イキリク(ichiliku74)のキシングは制作しませんでした。さてさて、皆さん、歌いましょうよ。どの憑依霊の歌ですか? Woman(不特定): 蜂蜜の奴だそうだよ264

1614

Murina(Mu): 私が歌に熟練していたら、休まずに歌うだろうね。 Man(不特定4): この人、嘘ばっかり。歌に熟練していたら、休まずに歌うだろうだってさ。歌のための口をもっている者には、歌ってもらえばいいだけのこと。でもあの連中は、(歌い)やめちゃったね。あんたたち、あっちでなにをしているのですか。 Man(不特定1): どいつらのこと?ムルングのせいだろ(たまたまだろ)。 Man(不特定3): ああ、あいつらヤギの皮を剥いでるガキどものことだろ。 Nyamawi(Ny): ガキどもは、腸を取り出してるだけ。それと肝臓ね。小鍋(chisufuria265)を渡して、彼らに炒めさせよう。(食事が用意されるまで)ここで彼らは待たせておこう。 Man(不特定2): 腸は女たちに渡すようおっしゃってなかったですか。あなたがた。私はもうグェグェ(カヤンバを演奏する様)しません。休みます。私はあちらでカヤンバを打ちましたから。 (カヤンバ演奏開始) ムルング子神の歌1 ziyani mwanamulungu wee, ziyani mayoo.... ムルング子神の歌8 Nende kpwa mayo, nikalole anangu asena....

1615

Nyamawi(Ny): さあ、あんた、日が暮れちゃうよ。急いで、あんた、急いで、あんた。 ムルング子神の歌5 kunalia ngoma ko ziyani, kuna mwana nyoka yunapiga hodi.... ムルング子神の歌11(参考) vunzarere, vunzarere, kuna nyoka mubomu... (チャリを先頭に出発。その後ろに二人の施術師が瓢箪を手にして続く)

カヤンバ歌

1489 (ムルング子神(mwanamulungu97)1 ku-suka) (solo)

ムルング子神、我が子、お母さん 池に雨がやって来た 私はあなたを畏れます、お母さん 池にビーズ飾り(marero101)があります (solo 以上を数回リピート) (chorus 以上を数回リピート) (solo) 池にムルング子神、ウェー、池にお母さん お母さんに「お静かに(pore266)」と言われました、ウェー 癒やしの術の池に踏み込んでおいでと 皆さまおだやかに、ヴリ(vuri267)の雨が落ちて 私の身体を痛めつけました、ウェー 池にムルング子神 カンエンガヤツリ(mukangaga103)が池に蔓延っています (solo この部分を数回リピート) (chorus) 池にムルング子神、ウェー、池にお母さん お母さんに「お静かに(pore266)」と言われました、ウェー 癒やしの術の池に踏み込んでおいでと (chorus 以上を数回リピート) (soloに戻る)

1490 (ムルング子神2)

さあ行きましょう、さあ行きましょう、ねえ ムルング子神、その人、エエエ

(ここまで複数回繰り返し。繰り返しには歌い手によるアドリブ的変化がつけられることもある。 例えば

急いで、急いで ムルング子神、さあ行きましょう、ウェー)

私は大きな森と呼ばれています そう、チェチェムの池(主がいる) 主のいる池は、足を踏み入れられません 足を踏み入れるのは施術師 さあ行きましょう、さあ行きましょう、ねえ ムルング子神、さあ行きましょう、ウェー 池に足を踏み入れに

1491 (ムルング子神3)

ホー、目覚めなさい、長い髪の皆さま 目覚めなさい、長い髪の皆さま 皆さま方、もし眠ったら、お目覚めなさい 眠りすぎてはだめです あなた方は癒やしの術に慣れている お母さん、お目覚めなさい、ムルング、おだやかに

1492 (ムルング子神4 ku-tsanganya) (solo)

ホワー、ムルング子神、お母さん ムルング子神 アー、ホヤ、お母さん、私の癒やし手 お母さん、ムルング子神、アー、ホヤ 私の癒やし手 (chorus) お母さん、ムルング子神、ホヤ 私の癒やし手

1493 (ムルング子神5) (solo)

池で太鼓が鳴っている 太鼓が鳴っている (以上2回繰り返し) 子供のヘビがいて、入って良いか求めている(ku-piga hodi269)270 池で太鼓が鳴っている (chorus) 子供のヘビがいて、入って良いか求めている 池で太鼓が鳴っている

1494 (ムルング子神6)

お母さん、ムルング子神 いじめられたわ、あなたお母さん いじめられたわ、あなたお母さん 私はムルングに祈ります いじめられたわ、お母さん、 私は子供を乞うています 私はムルングに祈ります

1495 (ムルング子神7)

今、蝿追いハタキ、お母さん 私の蝿追いハタキ、私はひどい仕打ちを受けました、ホワー 私の蝿追いハタキ 蝿追いハタキが欲しいわ、私の施術師の皆さん 施術師の蝿追いハタキが欲しいわ 大きな歌声

1496 (ムルング子神8)

ホー 私の子供たちに会いに行かせて、ムァチェ(Mwache272地名) 私はどうしたらいいの 子供たちに会いに行かせて 子供たちに会いに行かせて、ムァチェ 子供たちに会いに行かせて

1597ほぼ同じ (ムルング子神8)

ムァチェ、私の子供たちに会いに行かせて 皆さん、私はどうしたらいいの 子供たちに会いに行かせて 子供たちに会いに行かせて、ムァチェ 子供たちに会いに行かせて

1497 (ムルング子神9 ku-bit'a)

ムルング子神 私の子供たち、池を打ちなさい(274) 食べたら、思い出したら、思い出して 池を打ちなさい

1499 (憑依霊アラブ人の歌) (アラブ人1 kusuka)

ヨー、ヨー、ご傾聴ください エエ、匠の皆さん、ご傾聴ください 癒やし手の皆さん、ご傾聴ください 私は祈ります、祖霊に そして慈悲深いムルングに エエ、癒やし手の皆さん、ご傾聴ください

(アラブ人2 kutsanganya)

あなたは心を刺激した(怒らせた) あなたは私の心を刺激した(怒らせた) 私は困難に食べられています あなたは私の心を刺激した(怒らせた)

(アラブ人3)

エエエ、お母さん、私は池からやって来ました 施術では太鼓が、ウェー 私の行き先は、池です

1500 (キツィンバカジの歌)

(キツィンバカジ1) (独唱)

私はランギ(rangi275)についていくわ。私はお仕事がある。ウェー、ムイェムイェ276 私にはお仕事がいっぱい 行って大きな池に足を踏み入れなくちゃ、神さま!ウェー、ムイェムイェ 私にはお仕事がいっぱい (コーラス) 私はランギについていきます、さあランギよ、お母さん 私にはお仕事がいっぱい、ヘー、ムイェムイェ 行って大きな池に足を踏み入れなくちゃ、ヘー、ムイェムイェ 私にはお仕事がいっぱい

(キツィンバカジ2)

キツィンバカジ、ヘー、ホー お母さん、ヘー 私は慣れています 道をとき解いて、私を通して ムルング子神のキツィンバカジ 私は何に食べられているの、ヘー、ウェーお母さん、ウェー我が子よ 道をとき解いて、私を通して

1501 (憑依霊サンバラ人(musambala113)の歌)

(憑依霊サンバラ人1)

サンバラ、エエ、行きましょう、ウェー、私はサンバラに呼ばれています、ウェー あなたは癒やしの術を馬鹿にした 私は、お母さん、サンバラに呼ばれています、ウェー 癒やしの術を私は手放します、エー もし重荷(muzigo)なら、ディゴ人たち(adigo)といっしょに、あなたは立ち去るでしょう でもドゥルマ人(muduruma)はドゥル人たち(aduru)と立ち去るでしょう サンバラ人、なんで泣いているの サンバラの施術師は、ウェー 癒やしの術をバカにしてはなりません

(憑依霊サンバラ人2)

施術師サンバラ、ヘー 私の蝿追いハタキは難儀です、ヘー ディゴ風の癒やしの術 癒やしの術を私は手放します お母さん、喧嘩 ハーハー、ホーウェー 私の蝿追いハタキは難儀です、ヘー ゴシップ好き(umbeya277)の癒やしの術 ディゴ風の癒やしの術は難儀です、ヘー 癒やしの術を私は手放します

1514 (サンズア(sanzua115)の歌) (solo, 繰り返す都度、微妙な変化を加える)

ハー ウェー 手立ては尽くした 我が子、男の子、ホーウェ ホーウェ、姉妹よ、手立てをどこに見出せばいいのだろうか 男の子、ホーワ (chorus) ハー ウェー 手立ては尽くした 我が子、男の子、ホーウェ ホーウェ、姉妹よ、手立てをどこに見出せばいいのだろうか 男の子、ホーワ

1515 (クヮビ人(mukpwaphi119)の歌1)

ションゴリオ、ションゴリオ ムクヮビ、エー、私は歌う 嗅ぎタバコでは、子供は養えない(3度繰り返し) 擦って粉にした嗅ぎタバコ 鼻で味わう嗅ぎタバコ 嗅ぎタバコ、ホー、ホー、ホワ 嗅ぎたばこでは、子供は養えない 縄を持っている ウシ、ウシ、眠る ハゲワシ、ウシのただ肉を食う、お母さん 私は驚いた 蝿追いハタキを握って、(嗅ぎタバコを)嗅いだ

1行目から7行目までソロと合唱で何度も繰り返し、その後8行目以下も同様に繰り返す。録音サンプルは1行目から7行目まで。

1516 (クヮビ人の歌2) (solo)

なんてこと、事件がある、ウェー さあ、争いは事件だよ、あなた さあ、ムァナジュマ(人名) カセジャ旦那、出来心(気の迷い)だよ、ウェー ホーワ、カセジャ旦那 本人は嫌い (chorus) 昨日、カセジャ旦那の評判を聞きました 出来心だよ、ウェー、ホーワ、カセジャ旦那 本人は嫌い

1517 (クヮビ人の歌3)

あなたお母さん ムルングには事件がある ハー 言われたの、行くようにって、ヘー 言われたの、行くように、あなたお祖母ちゃん、エー、カドゥンガタ(kadungata278) カドゥンガタ ベコザさんの屋敷にね カドゥンガタ

1518 (ガラ人(mugala120)の歌)

お母さん、私は尋ねます、あなたお母さん 私のガラ人の布

1519 (ゴジャマ(gojama48)の歌1)

ゴジャマ、あなたこそ砦の主 お母さん、ゴジャマは荒蕪地(nyika279)の憑依霊よ 私は殺された 何に食べられたの、お父さんは? ゴジャマは荒蕪地の憑依霊

1520 (ゴジャマ2)

ゴジャマ導師、あなた、どうしたの? おいで、荷物をもって 荒蕪地へお行きなさい

1521 (ジネ・ツィンバ(jine tsimba246)の歌)

あなたは肉を食べる、お母さん 翼をもったライオン そいつは肉を食べる 翼をもったライオン、ウェー そいつは肉を食べる

1522 (ムヮクララ(mwakulala121の歌)

私の池、私の池 私の池 私の名前はムヮクララ 私の池 惨めな人、お母さん

1523 (プンガヘワ(pungahewa131)の歌1)

プンガヘワの不平の声、婚資が尽きた いいわ、我が子よ、槍と盾をとりなさい 私は、嫁探し、髪ぼうぼうの子に会いに来た さあ、ホーワ、婚資が尽きた いまは肩を上下に揺すって踊りなさい コロブス猿の毛皮を激しく揺らして踊りなさい スカート(karinda)を揺らして踊りなさい 運の悪い子供 コロブス猿の毛皮(mbega280)を揺らして踊りなさい スカートを揺らして踊りなさい

参考: プンガヘワの歌(DB5241) (solo)

プンガヘワ、私は婚資が尽きました、きょうだいよ(mwenehu225)、あなた 何の不平、ウェー 私は嫁探し、髪ぼうぼうの子に会いに来た ハランベー(harambee281)、お母さん、バラワ人子神 槍と盾を握りなさい スカート(karinda219)ごとに、コロブス猿の毛皮を激しく揺らして踊れ (chorus) きょうだいよ、プンガヘワの不平 お母さんの子供 そんな状態よ ウェー いつも長旅 ウェー ハランベー、お母さん、バラワ人子神 槍と盾を握りなさい スカート(karinda)ごとに、コロブス猿の毛皮を激しく揺らして踊れ

1524 (プンガヘワの歌2)

子供はあなた 雨を逃げてきた ギリアマの土地は貧しいわ、お母さん 仲間の皆さん、ムルング あなたは罪深いわ ごらん、ギリアマの土地は罪深いわ

1525 (プンガヘワの歌3)

嫉妬と太鼓は同じもの 嫉妬と太鼓は同じもの 私の美人妻は釣られているよ、あんた 嫉妬と太鼓 コロブス猿の毛皮を揺すって踊れ コロブス猿の毛皮を揺すって踊れ 肩を揺すって踊れ、あんた 我が子が食べられている コロブス猿の毛皮を揺すって踊るだけ お父さん、ハッカ飴、お父さん、ハッカ飴(peremende282) お母さん、あんたの物言いは喧嘩だよ お父さん、ハッカ飴

1530 (ジャバレ導師(mwalimu jabale132)の歌1)

入っていいですか、ジャバレ導師、入っていいですか、エー 入っていいですか、ジャバレ導師、入っていいですか 私を呼ぶのは誰じゃ 扉を開けるのは、わしじゃ ジャバレ王、ジャバレの子供 今日は導師 おいでください、主よ、サルタンよ

1532 (ジャバレ導師の歌2(憑依霊バラワ人か?))

ホー、私は食べられている、ウェー スルタンがいる、エー ホーワ、スルタンがいる ムバラワ導師です(mubarawa283)

1533 (ジャバレ導師の歌3)

尖らせろ、尖らせろ、アラブ人 尖らせろ、匠、ジャバレ

1534 (ジンジャ導師114の歌) (ジンジャ導師の歌1)

私は憑依霊を扇ぎます、ジンジャ導師です 我が子ジンジャは癒やし手です 我が子ジンジャは癒やし手です 私は海岸部にもいる、そして内陸部にもいる だが、今はここにいる 私自身、仕事をする 我が子ジンジャは癒やし手 今日、私に蝿追いハタキをください 私が祈れるように(or 妖術使いを捕らえるように118)

(ジンジャ導師の歌2)

私はどうすればいいの? 未だに惨めで 難儀している、エエ 私は私の癒やしの術を乞い祈る、ウェー 私は惨め、お母さん、私は惨め、お母さん 眠っては、ムルングに祈ります 癒やしの術、私はどうすればいいの? 施術師は惨めで 私は難儀 私は私のムルングに祈ります、ウェー

1535 (カリマンジャロ284の歌)

喧嘩だよ、カリマンジャロ 喧嘩だよ、カリマンジャロ 私は母のもとに呼ばれた、私の棲み処は遠い 私は内陸部にもいる、海岸部にもいる、ウェー 喧嘩だよ、カリマンジャロ

1538 (ムリサ(放牧者)138の歌1)なぜかギリアマ語

やつらは放牧している、いったいどんな放牧をしてるんだ あのウシどもは なんと熟し始めたばかりのトウモロコシの実を食べやがった

1539 (ムリサ(放牧者)の歌2)

ムリサはお父さん ムリサ、ヤギとウシだよ ムヮムヴオ(mwamvuo285)だよ さあ、ムリサ ヤギとウシだよ、さあ

1540 (ムリサ(放牧者)の歌3)

あの子に野草のおかずをおあげなさい あの子に野草のおかずをおあげなさい 私のムリサは空腹でつらい あの子に野草のおかずをおあげなさい

1541 (同定できない憑依霊の歌1) (solo)

そして食べられる、私はひどい扱いを受けた おしゃべり噂話 ホー おしゃべり、ヘー おしゃべり お母さんは何をしないといけないの 噂話のおしゃべりを咀嚼するの、ホーワ (chorus) コロブス猿の毛皮を激しく揺すって踊れ あんたどうしたの、ムウェレ(muwele165)、さあ、何なの、兄弟 ホーワ、知らなかったわ、ホーワ

1542 (同定できない憑依霊の歌2) (solo)

私はいい女(chibamba286)マリアムを手に入れた 私の妻、いい女 (以下、聞き取れない) (chorus) なんてこと、(カヤンバか、鉄板を棒で擦る楽器 bambaが)寝ちゃった(音が出ない)、ウェー 打ってるのに、寝てる 子供のヘビがいる

1543 (マサイ人(masai139)の歌)287

お母さん、私たちは(コーランの)学校を守っています(警備している) バラワ人(mubarawa283)は帰ってゆく ムァンガ(mwanga52)の不平の声、私はやって来た 私は学校を守ります お父さんに言いつけられました。行ってウシの数を数えろと。 お母さんに言いつけられました。行って学校のために(木を)切れと そしてお父さんは切られませんでした、学校 お母さんに呼ばれました、ウェー 行って、アウトリガー付きの船にたまった水を飲んできなさいと

1544 (同定できない憑依霊の歌3)

...(聞き取れない)... 憑依霊は荒蕪地に戻る、変形された耳(maranza288)とともに ...(聞き取れない)... 歌を見にいらっしゃい その人に歌を差し上げて、ホー、本人に差し上げて 兄弟のいる方に、差し上げて お母さん、苦しいわ(痛いわ)、カヤンバを打っていただきたいわ

1545 (同定できない憑依霊の歌4)

難題を(議論を)ふっかけられました、ウェー 難題を(議論を)ふっかけられました、ウェー 難題を(議論を)ふっかけられました、私を見に来て 難題を(議論を)ふっかけられました、ウェー ...(以下、聞き取れない)

1546 (同定できない憑依霊の歌5) (solo)

見に行きます、見に行きます 皆さん癒やし手たちの業をごらんなさい お母さんはウシで娶られました 私は誰に娶られるでしょう? お母さん (chorus) お母さん、彼女は泣いている、なんと デデデ なんと デデデ 私は治療してもらえません

1547 (憑依霊ドゥルマ人の歌1:カルメンガラ(kalumeng'ala129)

お母さん、私はカルメンガラと呼ばれています 災難に巻き込まれてしまいました、私はカルメンガラと呼ばれています 外の問題も知っています 内の問題も知っています お母さん、私の名前はカルメンガラです もしお前が男なら、いらっしゃい289

1548 (憑依霊ドゥルマ人の歌2)

私の家は遠い、お母さん ムルングは私に慣れています ちょっと待って、お母さん、あなたに私のつつがなきことを報告します 私の家は遠い お母さん、私は家に行きます。私の家は遠い

1549 (憑依霊ドゥルマ人の歌3) (solo)

カヤンバを打って、私には聞こえます そう、ドゥルマ人は荒蕪地の住人 子供は何に泣いてるの 私の仲間よ、なんとまあ(嘆き悲しむさま、泣き声) 施術師よ、私にカヤンバを見に行かせて (chorus) 子供は何に泣いてるの 私の仲間よ、お祖母ちゃんに会いに行かせて 私の子供たちはどう娶られていくの お母さん、どうして悲しいの 子供は一人、あなたは私を当惑させた、エー 私は口をききません、お母さん

1550 (憑依霊ドゥルマ人の歌4)

私はお父さんとお母さんを捨てません 私はお父さんとお母さんを捨てません 嫁いでいく仕事はよくわかっています 私はお父さんとお母さんを捨てません

1551 (デナ(dena66の歌1)

デナ・ムカンベ(dena mukambe290)エー、目撃された... (以下、聞き取れない)

1552 (デナの歌2)

運べ、運べ(somba296)、すでに始まった お母さんはデナをもっていきます 私のはコロブス猿の毛皮 今は私は丸太をもっていきます

1553 (デナの歌3) (solo)

もしもウシをもっていたら ウシの脚を叩いて 乳を飲み損なうのに (以上、2回繰り返し) カンベ(kambe)とギリアマ(Jiryama)を私はあてもなくさまよった (chorus) 触れて、触れて、お父さん、私の心に、触れて、触れて 私には私の挨拶がある 私には私の挨拶がある 私は困難を食べています

1554 (デナの歌4)

(彼or彼女は)ウシを食べない なんてこと、私はウシを食べに行く デナ・ムカンベ(dena mukambe290) 私はデナの布が欲しい、ヘー お母さん、私はデナとムカンベに食べられる

1561 (デナの歌5)

さあ、行きましょう、エー、我が子よ 憂いは捨てて(bwaga moyo297)、デナ・ムカンベ ヘー、憂いは捨てて

1562 (デナの歌6)

お母さん、よく調べてね、ウェー、人間ってのは 良い人にだって欠点はかならずある 荒蕪地(nyika279)では人は何を食べてるのかしら ギリアマ人はトンボ(ngaga298)と睡蓮を食べる 惨めよ、お母さん、惨めよ、お母さん あなた方の心臓は紅茶で焼けた 荒蕪地では何が食べられているの トンボと睡蓮が食べられています

1563 (憑依霊ディゴ人の歌1)

私は襲われた(憑依霊に)299、私は襲われた、ひどい目にあった コロブス猿の子供、私はここにいた なんと病人は燃えたら治療される なんと病人は燃えたら治療される 私は癒やしの術の祖霊に祈る 私が癒やしの術の祖霊に祈ったら 私はなんと襲われたのよ、お母さん、なんと襲われたのよ 病人は帰って治療してもらう

1591 (憑依霊ディゴ人の歌2)

なんてこと、あなた、しまり屋ね、なんてこと 私は池には行きません、お母さん 私は不具(kadua(fr. dua300, ka+は指小辞)) 目覚めなさい まだ目が覚めません あちこち彷徨 私はあなたに先回りします 私は荒蕪地の道を彷徨します 目覚めなさい まだ目が覚めません

1606 (憑依霊ディゴ人の歌3)

ディゴ人は輝いています301、ウェー ディゴ人は輝いています、ウェー エー、髪長女 なんてこと、アヘー、我が子らよ 私はあなたたちに癒やしの術を見せにやって来ました

1608 (憑依霊ディゴ人の歌4)

挨拶します、どうかお元気で お母さんにも伝えてね、ムワカさん、ウェー もしあなたがお元気なら、どうしますか どうしますか、ムワカさん、ウェー もしあなたが貧乏だったら、どうしますか

(憑依霊ディゴ人の歌5)

ハヤー エー 瓢箪 ホーウェー お母さん ウェー 睡蓮を増やして お母さん 瓢箪 私に上々の癒やしの術を買わせて

1564 (ニャリ(nyari67)の歌1)

ニャリ、ハー、ホワー、ヘー、ニャリ ウシが鳴いている、ハー、ホワー ウシが鳴いている、ハー、ホワー 去勢牛が描かれた(ku-chorwa302) ニャリが描かれた ウシが鳴いている

1565 (ニャリの歌2)

ニャリは自分を捻じ曲げた 押さえつけろ、ニャリを ニャリを押さえつけろ ニャリは威張っている ニャリを押さえつけろ 押さえつけろ

1566 (ムヮヴィツワ(mwavitswa143)の歌1)

エー、お母さん、ムヮヴィツワ、エー 私が行くところは、当てもなくうろつきまわる場所 ...(以下、聞き取れない)

1567 (ムヮヴィツワの歌2) (solo)

あなたはやたらそわそわ、落ち着きがない 小さい子(年少者)よ、 私は騙されていました 私は癒やしの術のことは知りません 私は騙されました ムボゼ(女性の人名)は粉を挽く ムボゼよ、エー、ムラム(兄弟の配偶者の姉妹) ムボゼ (chorus) なんてこと、私はお母さんに尋ねます ムボゼよ、ムラム、ムボゼ

1580 (ルキ(luki144の歌1)

ネッタイハジロ、ネッタイハジロ303 ムカンガ(mukanga304)の池 今日、ルキが目撃されました ホーウェ、皆さん唸りましょう 癒やしの術の 仲間の皆さん、ムカンガ

1581 (ルキの歌2)

言い争い好き305 あなた方の仲間なら知ってるわ306 お母さんのムコバ(mukoba82)を着て(vala307) 私を背負って ...(以下、聞き取れない)

1582 (ムビリキモ(mbilichimo69の歌1)

落ち着いてよ、落ち着いてよ ねえ、あなた方は私を貶めている、ホーワ 落ち着いてよ、ねえ 何に食べられてるの ホー

1583 (ムビリキモの歌2)

このカヤンバ、グランゼ(地名)からの 妻は騙されたよ、お母さん このカヤンバ、このカヤンバ なんとムビリキモ(mbilichimo69)がいる 私を心配させる ちょっと待て、店に行ってアラブ人の香料を買ってこよう ムビリキモの香料 私に不安を注ぎ込む お母さんの所に行かせてちょうだい、友よ 美しい女は騙されたよ、デデ(dede308)、このカヤンバ (chorus) お母さん、私は尋ねます。カヤンバどうやったらいいの? あなた騙されたのね、婚資はウシ カヤンバを誰にやってもらうのかしら

1584 (ムビリキモの歌3)

遠いよ 私は呼ばれています 遠いよ ムァルブァンバ(地名)は遠いよ そう、太陽がでているときには、道のりは 遠く感じるよ

1592 (シェラ(shera71の歌1)

そしてシェラ、人々はそれに触った、池で、そうね 私は、お母さま、あなたマレラ(marera203)に呼ばれました 降りてきて、あなたお母さま、池のお母さま 薬液の(草木)を採取して、薬液(の草木)を採取して 私に探してきて、ムヴモ(muvumo309)とムンダチ(mundachi310)を 大きな池 ウェー、施術の そして池にはウシがいる 私は、シェラ・モヨ311に呼ばれました。降りてきてください、頭(chitswa)と心臓(moyo)をつかまないでください さて、お母さま方、あなた方がそこからおいでになった場所は遠いです、ウェー 遠いです、お母さま、そうね 私を池に踏み入れさせて 私の仲間たちはシェラをもっています 私の仲間たちはシェラをもっています あなたの香料の瓶は14本 他の瓶はフュラモヨ(fyulamoyo312)の瓶です 私はあなた方を仲直りさせます、皆さん、頭と背中の真ん中(moyo wa nyuma)をつかまないでください

1593 (シェラの歌2)

どうです お母さんマレラ、行きましょう 私は心臓をつかみます イキリク父さんを待ちましょう 私は車で参ります

1594 (シェラの歌3) (solo)

ちょっと待って、私はさまよい歩いてきます 寄る辺ない(weche313)、シェラはまだ人に知られていません 寄る辺ない、シェラはまだ人に知られていません シェラは私に、腹(の病気)と身体の震えをもたらしました シェラってなに? 私を石女にしました (chorus) ハアア、オオオ、オオオ、お母さん 私はまだここにいて、あなたのお父さんを待ってます 私を扇いでもらいたいの ホー お母さん 私はまだここにいます 私はお母さんを池で待ってます

1595 (シェラの歌4) (solo)

彼女の姿が見えない 見えない お母さんの姿が見えない、姿が見えないわ、お母さん そうなの 姿が見えない 池には気狂い女の姿はない (chorus) お母さんの姿が見えないの、そう 池には彼女の姿はない 頭をつかんだのはお前だね 鼻をつかんだのはお前だね 脚をつかんだのはお前だね 池には彼女の姿はない

1596 (シェラの歌5)

お母さん、あなたは誰に調えてもらえるのですか 調えてもらえます、惨めな人(貧しい人)に 調えてもらえます、惨めな人に 施術師よ、コロブス猿の毛皮をはずせ 編み袋(mukoba82)を運べ ンゴマを池でだ、そうだ ホーワ、あなたは惨めな人に調えてもらいます

1599 (シェラの歌6) (solo)

お気の毒に 兄弟よ エエ お気の毒に 兄弟よ ええ 死はお金で避けたりはできません お気の毒に あなた 施術師を困らせないでね

1600 (シェラの歌3+) (solo)

ちょっと待って、私はさまよい歩いてきます 息子の嫁は男の所に行くでしょう 見ていない者を見に (chorus) ホー ホーワ 我が子を知ろうとやって来ました ハー ホーワ

1601 (シェラの歌7)

シェラの姿は見えません シェラの姿は見えません タンガ(地名、タンザニア海岸部の町)への道 癒やしの術を尋ねます シェラは目撃されました

1602 (シェラの歌8)

お母さん、私はここにやって来ました 池にはビーズ飾りがあります 闘いです お父さん、私は去ります ここ池には病人がいます (chorus) もしも疲れたら言ってください 仲間たちを無駄に困らせないで

1604 (シェラの歌9) (solo)

その婦人はどうです 私に子供をください あなたは泣くのに慣れてしまった ヘー 子供を生みなさい 私に子供をください 仕事といえば、おしゃべりです (chorus) 施術師 ヘー 終わらせなさい おしゃべり(人の噂を触れ回ること)は、なしにしましょう さあ、終わらせなさい おしゃべりは、なしにしましょう

6010 (ヤマアラシの歌) (ku-tsanganya)

施術師は逃げ出した 子供は今日、さまよい歩いている ウェー 施術師、そのとおり ヤマアラシ ウェー ヘー ヤマアラシ ウェー お母さん 施術師は逃げ出した 子供はさまよい歩いている ヤマアラシ うぇー 施術師 そのとおり

考察

彼女の「月のカヤンバ」に続いて、チャリ自身が主人公(muwele)となる2度目のカヤンバの経験だったが、どちらにおいてもチャリがもっているジンジャ導師(mwalimu jinja114)が、カヤンバの流れもなにも無視して躍り出て、場をかき乱して大騒ぎになる。カヤンバを主宰するニャマウィ氏が最後(シェラの草木を折り取るテスト)には、もしジンジャが出てきたら、立ち去らせて欲しい、あいつが出てくると喧嘩になってしまうから、とまで言ったほどである。困ったやつだ。面白いけど。

チャリとムリナの夫妻とはまだ知り合って1ヶ月足らずなのだが、この2回のカヤンバのおかげで、二人の家庭が抱えている問題までいきなり共有する(憑依霊と人々とのやり取りを通じてだが)ことになった。徹夜のカヤンバの和訳に付した、説明でも述べたとおり。

しかし、ここでは今回のカヤンバでの、施術師ニャマウィ氏(およびムワカ氏?)の、いささか型破りな施術方法について考えてみたい。

反省会(その1)

徹夜のカヤンバを含む丸2日がかりの施術が終わった2日後、チャリとムリナの訪問を受けた。私たちの会話は、一昨日のムァモコでの施術についての反省会となった。録音の用意が出来ていなかったので以下はフィールドノートのメモ。

  1. ndonga には本来、ムリナとチャリが自ら muhi を入れねばならない(夫婦二人で)。しかし当日は Nyamawi たち自身が入れてしまった。ムリナたちは帰宅してから ndonga の中身を捨てて、自分たちで入れなおした。その後 matumia314 を取り除いた。

瓢箪の中に最初に入れるべき最も大切なものは、瓢箪子供の「心臟」である。これは憑依霊の草木(今回の場合は、ライカ、シェラ、ディゴ人)のうち最も主要な草木2種類の根を削って作った木片(pande34)を指している。ここで muhi として言及されているのはこれ。

  1. 現地の muganga は ndonga に shera の赤い鶏の心臓を入れねばならないのにそれを怠った

これは「重荷下ろし」の際に、ウリンゴで屠られた赤い鶏(実際の色は茶色)の心臟である。これを糸でぐるぐるに縛って、瓢箪の中に入れねばならない。

  1. ndonga にはもっと多くの muhaso を入れねばならないのに少ししか入れなかった。

ここでmuhaso「薬」として言及されているのは、憑依霊の草木を乾燥させて砕いたもの(これは「香料(mavumba)」と呼ばれる)および、同じく草木を土器片、鉄板などの上で炭になるまで炒め、黒い粉末にしたもの(これはムレヤ(mureya193)と呼ばれる)の2種である。これらは瓢箪子供の「腸、内蔵(uhumbo)」とされる。瓢箪子供にはさらに「血」が加えられる。ムルング子神や憑依霊ドゥルマ人の瓢箪子供の場合は「血」はヒマの油であるが、ライカ、シェラ、ディゴ人の瓢箪子供に「血」として入れられるのは蜂蜜である。ここでムリナとチャリが少ないと言っているのは、量の話と言うよりは草木の数のことである。

  1. ku-phula mizigo の uringo110 は水の場所に置かれねばならない。また黒い山羊は水中で屠殺されねばならない。しかし当日はそうされなかった。

「重荷下ろし」のウリンゴ(uringo)は本来は池の中、川の中など水場に設置される。しかしムァモコではニャマウィ氏の屋敷をちょっと出たすぐの草原に設置されていた。

  1. mihi を示す場面でも ndonga が不完全では、自分で見つけろと言われてもできない。にもかかわらずチャリが大切な木を自分で握ったので、人々は大いに驚いていた。

最後のライカ、シェラ、ディゴ人の草木の重要なものを自分で見つけ出すテスト(ニャマウィ氏が職業上の秘密をバラした際にも、これだけはチートなしとしたテスト)であるが、フィールドのメモにもあるように、チャリはなかなか自力で見つけられず、教えられているかのように見えることがしばしばだった。きちんと作られていない瓢箪しか渡されていなかったため、見つけられなくて当たり前というのがチャリの主張。普通は瓢箪から立ち上る匂いによってこれがその草木だとわかるはずだという。瓢箪子供が不完全なのに、いくつかの草木については憑依霊が頭の中で教えてくれたのでわかったという。

当時、ドゥルマにおける儀礼的性交マトゥミアの問題にこだわっていた私は、1の点をもう少し突っ込んで聞いてみることにした。テープレコーダーも用意して。するとチャリは、そもそも「心臟」を入れる前に、瓢箪の口を開くのも夫婦の作業であり、さもないとその瓢箪子供は自分のものではなくなってしまう危険があると言い出した。そこでその詳しい説明を聞くことにした。

  1. 授与される瓢箪子供の口は、チャリとムリナの夫婦によって穿たれねばならないのに、ニャマウィ氏は自分で瓢箪の口を穿ってしまっていた。 瓢箪子供の口を開く作業

それによって、瓢箪子供を「産む」手続きが失敗する可能性があった。私は瓢箪子供を産む手続きについてまだきちんと理解していなかったため、この日の会話はもっぱら、それに終止することになった。

反省会(その2)

この日は結局、「嗅ぎ出し」を屋敷内でやってしまったことについては、何の言及もなかったので、さらに後日(3日後)それも含めて確認のインタビューを行った(反省会第二弾)。 反省会(その2)

勢い込んで、さっそく「嗅ぎ出し」について、なぜ屋敷内で出来てしまったのか聞いたのだが、その答えは、私にはほとんどわけがわからないものだった。なんとか整理して、さらなる質問をしようとしていたのだが、ムリナ氏のムァモコでの施術批判は、すでに他の手続き面での不備(多くは一回目の反省会で言及済み)のもので、ついに「嗅ぎ出し」の謎は(当時の私にとっては)謎のまま残った。これについては「嗅ぎ出しのカヤンバ」を紹介するなかで、再検討したい。

この二回の反省会からわかることは、憑依霊に関する施術についての、ニャマウィ氏と(とりわけ)ムリナ氏の二人の間に見られるスタンスの相違である。ムリナ氏は施術の正しい段取りというものがあり、それは絶対に守られねばならない。ムリナ氏の目には、ニャマウィ氏とその相方、弟子たちの施術の方法は、あまりにもいいかげんで、正しい手続きを守っておらず、許しがたいものにすら映っている。

それに対してニャマウィ氏の場合「職業上の秘密の暴露」の語りにも見られるように、大事なのは病人が治ることで、細かい手順や手続きは、どうでもよいという感じなのだ。それらを「単に施術上のしきたりだ」と言い放ちすらする。彼が「息子」にこそっと教えたやりたいのは、「その後で、こんなふうにしなさい。さあ、そうすれば、病人は治るよ」 といった知識なのだ。憑依霊の瓢箪にしても、徹夜のカヤンバで大掛かりに出すのが通常のやり方だが、彼によると瓢箪なんて「すべてのことは、すぐさまできることなんだから。私は、すべてのことを今すぐにできる。瓢箪を今すぐに調える。薬も即座に炒める。できるんだよ。」と述べてはばからない。

ここまで極端ではないが、自らの生業としておこなう「癒やしの術(uganga32)」に対する施術師ごとの、さまざまなスタンスや「理論的解釈」の違いの存在は、その後の調査でもしばしば目にすることになった。

ニャマウィ氏による「外に出す」ンゴマには、多くの不満があったものの、ムリナたちはその欠陥は自分たちで修正可能だと考えていたようである。ただこれらの憑依霊に対する草木が正しく伝授されていないという点は、自分たちでは解決できない問題である。二回目の反省会の約10日後の12月29日に、二人は徒歩でムァモコに出発した。それは、ニャマウィ氏から「素面の状態で(matso mafu315)」で、きちんと草木についての知識を伝授される日だった。

この「外に出す(kulavya nze)」カヤンバによって、チャリは新たに、ライカ、シェラ、憑依霊ディゴ人に関する治療ができる施術師として、一歩そのキャリアを前に進めた。しかしこのことはチャリとムリナが直面しているさまざまな問題の解決にはならなかった。後に、二人はこのムァモコでの「外に出す」ンゴマは失敗だったと結論づける。そして1993年までに2度に渡ってライカ、シェラ、憑依霊ディゴ人に対する「外に出す」ンゴマを繰り返すことになる。

注釈


1 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。
2 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ3)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
3 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
4 キラボ(chirapho)の一種として「試罪法」として用いられるものがある。妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める。チーフの法廷で告発し、決着がつかなかった場合に用いられる。未熟なパパイヤを4等分し、それに「薬」が塗られる。告発側と非告発側、及び無実であることが明らかである5歳前後の子供がそれぞれ一片ずつ与えられる。告発、非告発側のいずれか一方の口が腫れ上がり、その主張が偽であることが判明する。真実を告白し、解除の薬をもらわないと死に至ると考えられている。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。
5 ムラム(mulamu)。妻の兄弟姉妹、(男性から見て)兄弟の妻の兄弟姉妹、(男性から見て)姉妹の夫の兄弟姉妹。(女性から見て)姉妹の夫の兄弟、(女性から見て)兄弟の妻の兄弟。すべて分類上の関係も含む。ややこしいですか?
6 ムター(Mtaa)。キナンゴとマリアカーニを結ぶ街道沿い、マリアカーニ寄りに存在する地域の名前、および街道の交易拠点。
7 バラバラ(barabara, pl.barabara)。「道路、街道、比較的広い車が通行できるような道」を指す名詞。スワヒリ語。形容詞の barabara は「正しい、完璧な」といった意味。1990年代のはじめに活躍した抗妖術の施術師にバラバラという名で知られている者がいる。その名前の由来としては、彼が妖術使いを捕まえる活動を行う際に、多くの人々がついて行くので、彼らが通った後が草が踏みしだかれて道路のようになるから、という説と、「正しい、完璧な」施術だという説があった。
8 ウェル(weru)ブッシュ一般を指すが、同じくブッシュの一種である tsaka(人が入り込めないほど低い木が生い茂った場所、「森」)、mukalakala(まばらに木の生えたブッシュ)、musuhu(大木が生い茂った場所、「森林」)、vuwe(草が密生している場所、状態、「草むら」)などとの対比では、木がほとんど生えていない草原、ブッシュのなかの空き地などになる。
9 ムァモコ(Mwamoko)。地名。キナンゴ(Kinango)とモンバサ街道沿いの町マリアカーニ(Mariakani)を結ぶ道のほぼ中間地点から左に入った奥にある地区。ムリナ氏の父系クランの一族が住んでいるが、ムリナ氏はムァモコは「イボイノシシの都会(tauni ya gbwashe)」みたいなもの、田舎すぎて住む気がしないと語っていた。そのとおりだった(1989年時点)。
10 ババ(baba)「父」。実父の兄弟、父方平行イトコもババである。父の兄は baba mvyere、父の弟は baba muvaha。
11 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri12)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika13)やシェラ(shera71)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri12)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza83)を施され、ンガタ36を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
12 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza11と呼ばれる手続きもある。
13 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi14)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka15) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri12)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi16など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo54,laika mukusi55など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe56, laika ra nyoka56, laika chifofo59など。(4) その他 laika dondo60, laika chiwete61=laika gudu62), laika mbawa63, laika tsulu64, laika makumba65=dena66など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze41)で薬液を浴びる、護符(ngata36)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza11)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
14 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
15 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
16 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni17)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
17 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu18」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
18 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ17)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola19)の対象となる。
19 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini20」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa2122と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume29)、カドゥメ(kadume45)、マウィヤ人(Mawiya46)、ドゥングマレ(dungumale49)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga50)、トゥヌシ(tunusi51)、ツォビャ(tsovya53)、ゴジャマ(gojama48)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu18」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」17)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
20 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola19)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
21 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa22)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola19)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち25)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba28)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu18)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni17)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini20)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
22 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」23など)を行うことなどを意味する。
23 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ24などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
24 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ23」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
25 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo26)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
26 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso27)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine25)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
27 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
28 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume29)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani30)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
29 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola19)もありうる。
30 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」31による鍋(nyungu40)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe44)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu37)。
31 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術32においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba33)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande34)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu40)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
32 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
33 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
34 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符35。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
35 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata36)、パンデ(pande34)、ピング(pingu37)、ヒリジ(hirizi38)、ヒンジマ(hinzima39)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
36 ンガタ(ngata)。護符35の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
37 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符35の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
38 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima39)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
39 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi38)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
40 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza41、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
41 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya42)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu40)とセットで設置される。
42 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo43)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza41)と呼ばれるが)。
43 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
44 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
45 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
46 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde47)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama48)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
47 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
48 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola19)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
49 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola19の対象になる)22。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
50 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
51 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine25)の一種という説と、ニューニ(nyuni17)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ52らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola19)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
52 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
53 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ17の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola19)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa22」。see p'ep'o mulume29, kadume45
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
54 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
55 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
56 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira57)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka58)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
57 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
58 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
59 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
60 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi14)の別名ともいう。
61 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
62 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
63 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
64 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
65 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena66)の別名。
66 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari67)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande34)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
67 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)11」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena66が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee68)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande34には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
68 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo69)マンダーノ(mandano70)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
69 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
70 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
71 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)11、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす72)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku74)、おしゃべり女(chibarabando75)、重荷の女(muchet'u wa mizigo76)、気狂い女(muchet'u wa k'oma77)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma78)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo80、長い髪女(mwadiwa81)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba82)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
72 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo73)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
73 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
74 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera71)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
75 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera71の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
76 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ71の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
77 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ71の別名ともいう。
78 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera71)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo79))の別名ともされる。
79 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
80 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ71の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo79)の女性であるともいう。
81 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
82 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
83 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
84 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti85)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira86)」と呼ばれることもある。
85 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
86 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ84の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(87)、カヤンバ(84)と同じ意味で用いられる。
87 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri85)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira86)」と呼ばれることもある。
88 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
89 ムガンガ(muganga pl. aganga)。癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga32であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
90 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばmakokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたりといったもの。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへのリンクも当然ウェブ化に際してのものである。
91 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
92 瓢箪やカボチャの種を指すのにモヨ(moyo, pl. mioyo「心、心臓」)という言葉が用いられる。瓢箪子供を作る際には瓢箪の種を取り出して捨て、代わりに草木の根を削って作るパンデ(pande, pl. mapande)を「心」として入れる。こちらの「心」にはroho, moyoともに用いられる。
93 ク・フィニャ(ku-finya)。「覆う、閉ざす」を意味する動詞。eg. ku-finya matso「目を閉じる」。「予防的対処をする」意味でも用いられる。患者を主語にする場合には受動形 ku-finywa。eg. yunenda akafinywe nyongoo「彼女はニョンゴー94の予防施術をしてもらいに行く」, kufinya chilume 妖術使いの攻撃に対して全身を防御するための施術 etc.。ライカやシェラによって影あるいはキヴリ(chivuri12を奪われないようにする施術もク・フィニャと呼ばれ、ライカやシェラ、デナ、ニャリなどの施術師は通常の瓢箪子供の他にク・フィニャの瓢箪を所持している。この瓢箪の中身の薬(muhaso)を用いてクズザ(kuzuza11)を終えた患者をクツォザ(kutsodza83)する。
94 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
95 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供96がある。瓢箪子供の各部の名称については、図91を参照。
96 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供95。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神97がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande34)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料33)、血(ヒマ油98)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
97 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza41)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる95。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている96。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
98 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
99 「女性施術師」「もう一人」などという書き方をしているが、フィールドノートをつけている時点では名前を聞いていなかったため。
100 トゥンゴ(tungo, pl.matungo)。ビーズを紐に通して作った飾り物で、関節部に身につける。施術師の装束の一部。「制作する、ビーズ飾りを身につける」を意味する動詞ク・トゥンガ(ku-tunga)より。集合的にマレロ(marero101)ともいう。
101 マレロ(marero pl.のみ)。ビーズ(ushanga)で作った装身具、特に施術師らが身につける装身具の総称。chisingu 頭部につけるもの、tungo(pl. matungo) 関節部につけるもの、mudimba 首から背中にかけてつけるもの、mudzele たすき掛けにつけるもの、など。
102 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
103 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza41)、池(ziya42)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu97)の別名の一つである。
104 男性施術師 Nyamawi wa Magongo、ムリナ氏の分類上の兄(正確には父方平行イトコ)である。
105 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)97との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
106 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' カタグロトビのような模様の毛色(白、黒、灰色)の鶏など。
107 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka108)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
108 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
109 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。
110 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。治療で用いられるものは、概ねムコネ(mukone111)の木で作られる。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)、キリンゴ(chiringo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ71に対する「重荷下ろしkuphula mizigo72」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni17)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
111 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:255-256)
112 フンドゥ(hundu, pl.mahundu)。まだ緑色の(乾燥していない)ヤシの葉で編んだ籠。スワヒリ語由来のパカツァ(pakatsa)(スワヒリ語では pakacha)という言葉も用いられる。
113 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
114 ジンジャ(jinja)。憑依霊ジンジャ(jinja)。ジンジャ導師(mwalimu jinja)。イスラム系か内陸系かあいまい。かつてChariのもつ主要な憑依霊の一つだった。瓢箪子供を世界導師(mwalimu dunia)と共有。使用草木は、ジャバレ導師(mwalimu jabale)、世界導師(mwalimu dunia)、ジンジャ、カリマンジャロ(karimanjaro/kalimanjaro)で同一。他方で、ガンダ人(muganda)の別名ともガンダ人の王だとも言う。上着、横縞の布、羽毛の帽子(chiluu)、右手に毛はたき(mwingo)、左手に瓢箪子供をもった姿で現れる。Chariの占いの担い手。症状: いたるところにヘビが見える、道を歩いていてヘビに出会う、身体じゅうをヘビが這い回る(のを感じる)、意識が変調する(kubadilisha akili)、血を吸われる、死んだり(意識をなくしたり)生き返ったり。治療: 12日間の「鍋」(mudurumaと同じ)。mudurumaと同時に「外に出された」。ただし瓢箪子供はドゥルマ人は自分の瓢箪子供をもち、ジンジャは世界導師の瓢箪子供を共有。歌の中では「私は海岸部(pwani)にもいるし、内陸部(bara)にもいる」とされ、世界導師の属性そのものを示す。
115 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga116)
116 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua115)、別名(?)ピーニ(pini117)が必要とする道具の一つ。
117 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua115の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera118)」の技も与えてくれる。
118 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
119 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
120 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
121 ムヮクララ(mwakulala)。mutu wa kulala「寝てばかりいる人」の意味。ペーポーコマ(p'ep'o k'oma122)の別名とされる。昼夜を問わず寝てばかりいる。カヤンバでも寝てしまう。ムルングの黒い布(紺色の布)を要求する。
122 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu105)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma123)、ムブァツァ(muphatsa124)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata36)やピング(pingu37)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi125)やムドエ(mudoe126)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
123 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa124)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
124 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma123としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
125 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
126 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu37)は、ムドエの草木(特にmudzala127)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
127 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma128)、憑依霊ドエ人(mudoe126)の草木。
128 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性129)、カシディ(kasidi 女性130)、ディゴゼー(digozee 男性老人68)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
129 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma128)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
130 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma128)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
131 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
132 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia133)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
133 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師134。内陸bara系135であると同時に海岸pwani系28であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」136)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
134 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia133)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
135 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
136 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia133)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
137 ク・ココテラ(ku-kokotera)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokoteri)。
138 ムリサ(murisa)「牛追い」動詞 ku-risa「放牧する」より。憑依霊ドゥルマ人(muduruma128)の別名とする人もいる。ムリサに憑依されると、飼っている山羊が多くの子供を産むが、それを使用することは出来ない。それを個人的な目的で使用すると病気になる。ムリサに憑依された人はカヤンバの席で子供たちに牛追いの真似をさせ、中ごしに座ってウガリと酸乳を食べる。立ち上がって自分でも牛追いの真似をし、また座ってウガリを食べるといった動作を繰返す。持ち手の曲がった杖mukpwajuと木の御椀muvureを要求。
139 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai140 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande34)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka141)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。
140 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰をおらされる(胸部圧迫感)、脇腹を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。
141 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
142 ネノ(neno, pl.maneno)。「言葉、語」。おそらくギリアマ語由来である「話す」を意味する動詞ク・ネナ(ku-nena)の名詞形。根本は「言葉、語」であるが、「取るべき手段、思案」(e.g. Sina neno ra kuhenda.「何をしたら良いかもわからない。何もできることがない」)といった意味ももつ。その複数形マネノ(maneno)は、単に語、言葉の複数形であるだけでなく、「議論」「言い争い」「論争」「口論」「仲違い」「事柄、事物、言動」(e.g. maneno ga chirero「今風の事柄」maneno ga gatende「重要な事柄」maneno maitsi「人を不快にする言動」)、「出来事、事件」(maneno makali「凶事、難事」)など広汎な広がりを持つ。
143 ムヮヴィツワ(mwavitswa)。憑依霊の一種。ヴィツワ(vitswa)は名詞キツワ(chitswa,「頭」を意味する)の複数形であるが、「気狂い」の意味になる。「気狂いである」は字義通りには「ヴィツワをもっている」という意味の句 kukala na vitswa で表現する。ムァヴィツワに憑依されると、人は友人たちと意見を同じにすることができなくなったり、友人の丁寧な物言いに対して、悪罵で答えたり、卑猥な表現を叫んだりする(ku-hakana)。要求は、白い布(赤い線が刺繍されているもの)。
144 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ66、ニャリ67、ムビリキモ69などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika13)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
145 マコロツィク(makolotsiku)。マコロウツィク(makoloutsiku)、マコロウシク(makolousiku)とも。カヤンバ(ンゴマ)の中間に挟まれる休憩時間で、参加者に軽い料理(揚げパンと紅茶が多い)あるいはヤシ酒が振る舞われる。この経費も主催者もちであるが、料理や準備には施術師の弟子(anamadziやateji)たちもカヤンバ開始前から協力する。
146 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。
147 モンベル製のMoonlightOneという一人用の重量1.5キロの超小型シェルターを、屋外で夜を明かさねばならない可能性があるときには、常に携行していた。快適すぎて、ちょっと休むつもりが、ぐっすり寝てしまい、大切な施術の見どころを見逃すことも多々。
148 チャイ(chai)。「お茶、紅茶」ミルクティは chai cha maziya149。ミルク抜きは chai cha rangi150「色のついた茶」
149 マジヤ(maziya)。「ミルク」。
150 ランギ(rangi)。「色」。rangi ya kundu「赤の色」etc.ミルクの入っていない紅茶もランギと呼ばれる。
151 キカブ(chikaphu)。麻あるいはエダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋。編み籠。一本の持ち手(sikiro)がある。大きいものはカブ(kaphu, pl.makaphu)。
152 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
153 キバクリ(chibakuli, pl. vibakuli)。椀、大きめの椀。ボウル。
154 ムンドゥ(mundu, pl.myundu)。「マチェーテ、山刀、大なた」
155 クニ(kuni)。「薪」
156 ムツンガ(mutsunga, pl.mitsunga)。字義通りには食用の野草を指すが、肉類も含め、トウモロコシの練粥とともに食べる副菜類全般がムツンガとして語られる。畑で栽培されるササゲやキャサバ、カボチャ類の葉も好まれるムツンガであるが、多くは文字通り畑の周囲に自生した野草である。
157 ツェレ(tsere, pl.matsere)。「とうもろこし」「トウモロコシの粒」
158 クブォンダ(ku-phonda)。「(搗き臼に入れて)搗く」を意味する動詞。
159 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ17の治療においては、薬液(vuo43)を患者に振り撒くのにも用いられる。
160 ラルワ(lalwa, pl.malalwa or nyala)。石の挽き臼。
161 ムハラ(muhala, pl.mihala)。小屋の前庭、ドゥルマの伝統的な小屋には戸口が一つあり、その前の広いスペースが前庭である。とりわけ屋敷の長の小屋の前の庭は、公共的空間であり、客人の応接や、屋敷の人びとの共食はここで行われる。小屋の中はそれに対してより私秘的空間とされる。
162 ニュキ(nyuchi)。「ミツバチ」「ハチミツ」。高い木の枝にムヮト(mwat'o, pl. miat'o)と呼ばれる両端を塞いで一箇所穴をあけた木製の筒状容器を仕掛けて、巣箱とし蜂蜜を採集する。シェラやライカ、デナ、世界導師、憑依霊ディゴ人や女性の憑依霊ドゥルマ人(カシディ)などの瓢箪子供には「血」として蜂蜜を入れる。
163 キデム(chidemu)は布の端布一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、施術の過程で必要となる3種の短冊状の布を指す。それぞれの憑依霊に応じて、白cheruphe 赤cha kundu 黒(実際には紺色)cha mulunguが用いられる。この場合、白はlaika及びイスラム系、赤はshera、黒はmulunguとarumwengu(他の内陸系憑依霊全般)を表す。
164 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze88)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele165)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo169))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
165 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)166であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
166 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba82)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)167や母(女性施術師の場合)168ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
167 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」166を参照されたい。
168 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」166を参照されたい。
169 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをkuhatsa164と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
170 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。
171 プワニ(pwani)はスワヒリ語で「海岸地方、浜辺、海岸」を意味する。ドゥルマ語でも同じ。反対語はバラ(bara135)で、「大陸、内陸部、後背地」を意味する。イスラム系の霊nyama a chidzombaは「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。
172 不明
173 不明
174 ジャンバ(jamba)。ジャンバ導師(mwalimu jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿44、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
175 マスカティ(maskati, masikatiとも)。オマーンの首都マスカットに由来。憑依霊アラブ人(mwarabu176)の一種。マスカティ導師(mwalimu maskati, mwalimu masikati)、マスカットのアラブ人(mwarabu maskati, mwarabu masikati)などの形で呼ばれる。
176 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
177 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
178 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
179 ムサジ(musaji) ドゥルマの施術師によるスワヒリ語での唱えごとの中に出てくるこの言葉事態は、意味不明だが、綴りを変えるとスワヒリ語でムサジ(msaji, pl.misaji)はチークノキ(Tectona grandis)を意味する。
180 クルアーニ(kuruani,kuruwani)はイスラムの経典「コーラン」。 コーラン導師(mwalimu kuruani)はイスラム系の憑依霊。憑依霊アラブ人(Mwarabu)の別名とも。
181 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
182 ンガラワ(ngarawa)。ケニア、タンザニア海岸部で見られるアウトリガー(舷外浮材)付きの小舟。スワヒリ語では ngalawa。
183 シャイルーラ(shailula)。スワヒリ語にはないが、ザンジバルにおける憑依霊について書いたLarsenは、憑依霊ruhani(ドゥルマのrohaniに相当するか?)に対する特別の挨拶として、現地の施術師がShaulilaと唱えることを報告している(Larsen 2008:65)。Murina氏は、しばしば唱えごとをShaulilani tena taireniで締めており、Shailulaもこのザンジバルにおけるアラブ系憑依霊に対する挨拶の言葉に類似した(に由来する)と考えてよいかもしれない。伝わった経路は不明だが。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
184 チャキチャキ(またはチャケチャケ Chakichaki, Chakechake)。ザンジバルのペンバ島の中心の町。
185 ヴンバ(Vumba)。タンザニア、ペンバ島中部の地名
186 不明
187 ムリナはその唱えごとの途中に「アラビア語」的な言葉を挟むことがある。ときには、「アラビア語」的な語りが延々と続くこともある(とりわけ彼が憑依状態と思われるときには)。こうした場合、書き起こし担当者は、書き起こしを放棄する。それがアラビア語であるのかどうかは、私には判断できないが、私は海岸部に住むアラビア語を解する(と自称する)スワヒリの兄弟が妖術治療を受けにムリナを訪問している場に居合わせたことがある。ムリナがアラビア語的語りに入ってしまった時、兄弟たちに彼のアラビア語がわかったかと尋ねると、彼らはあのアラビア語は霊のアラビア語なので自分たちにはわからないと答えた。彼らは実はアラビア語を知らなかったとも、ムリナのアラビア語がなんちゃってだったとも、いずれともとれるが。
188 ムチョンガ・メノ(muchonga meno, pl. wachonga meno)。イスラム系の霊に対する唱えごとの中にしばしば登場する。ク・チョンガ(ku-choga)は「彫る、削る、尖らせる」などを意味するスワヒリ語の動詞。メノ(meno, sing.jino)は「歯」を意味するスワヒリ語の名詞。ク・チョンガ・メノはしたがって「歯を尖らせる、削る」。ムチョンガ・メノは「歯を尖らせる、削っている者」。憑依霊の一種だと説明する者もいるが、おそらくは洗練された文化的なイスラム系の霊に対して、「歯を打ち欠いて尖らせたりしている田舎者たち」として内陸部の憑依霊たちを軽蔑的に総称する言い方だと思う。1980年代にはドゥルマの30代以上の男(老人たちはほぼ全員)、前歯を打ち欠いて、門歯の間に三角の隙間を作っている者がまだ多くいた。上の門歯2本を部分的に打ち欠いて(これをku-tsonga mwanya, または ku-tsonga menoと呼ぶ)隙間を作る。これを施さないと、夜中に前歯がひとりでに抜け出してブッシュへ飛んでいって糞便を食べるから、と言われていた。作られた隙間はdzaumeと呼ばれる。その隙間から唾液や、噛みタバコを水鉄砲のように一直線に吐き出す(こうした唾液はminyeriと呼ばれる)。
189 ウヴンヴニ(uvumvuni)。不明。文脈からは地名である可能性。ただしドゥルマ語でuvumvuは「孤独」「寂しさ」の意味。
190 シャケ(Shake)。不明だが、おそらく地名。
191 ミドドーニ(Midodoni)。ザンジバル島(ウングジャ島)北部の地名
192 ムカリア・ムヮンガ(mukalia mwanga)。イスラム系の霊への唱えごとの際に目にする表現であるが、ムヮンガ(mwanga)の解釈に曖昧さがある。「ムヮンガに御座します」であるから、mwanga に複数ある意味のうち「妖術使い」という意味は排除されるが、スワヒリ語としてもmwangaには「光」という意味と、植物名Terminalia spinosaがある。仮に「光に御座します」と訳しておきたい。
193 ムレヤ(mureya)。黒い粉末の薬。草木や、さまざまなものを煎って炭にして粉状にしたもの。黒い薬(muhaso wiru)、煎った薬(muhaso wa kukalanga)、ムグラレ(mugurare)などとも呼ばれる。
194 ツォガ(tsoga, pl.tsoga| sing.lutsoga, pl.tsoga)。皮膚にカミソリなどで切り傷を入れ、そこに薬(muhaso)を塗りつける施術(kutsodza83)において、薬を塗り込まれた傷をツォガと呼ぶ。
195 ムァナ(mwana, pl. ana)。「子供」。憑依の文脈では、憑依霊の名前に冠する称号のような用い方もされる。憑依霊ムルング(mulungu)をmwanamulunguと呼ぶなど。こうした用法については、私はmwanaを「子神」と訳して、mwanamulungu 「ムルング子神」、mwana pungahewa「プンガヘワ子神」などとしている。憑依霊の施術師が施術師に就任する際に与えられる子供は、瓢箪で作られ、瓢箪子供(mwana wa ndonga)と呼ばれる。これについては以下で詳しく論じた。浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22
196 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu97)の別名。
197 ンギヤ(ngiya, pl.ngiya)。アフリカシラコバト、ナゲキバト、Streptopelia decipiens、妖術使いの使い魔、あるいはジネを犠牲者のもとに運ぶ鳥だと考えられている。ンギヤが小屋の屋根に止まったり、何かを落として飛び去ったりすることは、妖術の攻撃を強く疑わせる。ある憑依霊の施術師は「ンギヤ子神(mwana ngiya)」をムルングの別名として用いている(一般的ではない)。
198 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。スワヒリ語ではmayungiyungiは睡蓮(ドゥルマ語ではtoro(pl.matoro))なのだが。ムユンゴ(muyungo)も同じか。「マユンゲ(マユンギ、ムユンゴ)子神」はムルング子神(mwanamulungu97)の別名。
199 ククソ(kukuso)。施術師Nyamawi氏の唱えごとの中に出てくる憑依霊の名前。「(強い風が)運び去る、飛ばし去る」を意味する動詞ク・ククサ(ku-kukusa)に由来すると思われ、「あなたククソ(kukuso)よ、ゴミを飛ばし去り(ukukusaye vidudu)、石場に送りつけ、海岸部に運び去る者よ。」と語られる。
200 メリガナ(merigana)。憑依霊の名前。イスラム系の霊。字義通りには「100の船」。カヤンバの席で眼の前に金を出して一枚一枚数えてやると喜ぶ。アラブ人の金持ち。憑依霊マガナ(magana201)の別名であるともいう。施術師によって、その正体に付いての説明は異なり、多くは憑依霊アラブ人(mwarabu176)の別名としているが、ムリナ氏はメリガナ、マガナとも世界導師の別名であるという。施術師ムロンゴ(Mulongo wa Mwadzombo)はメリガナはムミアニの白人の仲間だと説明する。
201 マガナ(magana)。憑依霊の名前。イスラム系。ドゥルマ語でガナ(gana)は100を意味し、maganaはその複数形。憑依霊アラブ人(mwarabu176)の別名とも言う。アラブの金持ちで、カヤンバの席で目の前に多くの金を並べてやると喜ぶ。マガナに憑依された人は金持ちであらねばならない。もし金がなくなると彼は病気になってしまう。全身が痛くなり歩くことさえ出来なくなる。施術師の持霊であれば、マガナはその人が金を稼ぐのを手助けしてくれる。金の一部を別のところに取って置いてやると「俺の金だ」と言って喜ぶが、もしその金を使うと人を病気にする。憑依霊メリガナ(merigana200)はマガナの別名だともいう。ムリナ氏によるとマガナの正体は世界導師(mwalimu dunia133)、メリガナも世界導師である。
202 muchocho, umeme, upanga はすべてスワヒリ語でそれぞれ「扇動、刺激」「稲光」「剣、刃」を意味する。
203 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu97)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo79)やシェラ(shera71)のグループに入れる者もいる。
204 ムユンボ。憑依霊の名前。「揺れる(容器の中で水がタプタプ揺れるさま、など)」を意味する動詞ク・ユンバ(ku-yumba)より。ムユンボ子神(mwana muyumbo)は憑依霊ムルング(mwanamulungu)の別名。憑依することで、患者の分別を揺れ動かすことから。
205 カリブ(karibu)。スワヒリ語と同じ使い方をされる。副詞として「近く」「およそ」を意味するが、歓迎や迎え入れる意図を表す挨拶として「おはいりください、いらっしゃい、どうぞ」など。来客はまず入室などの許しを乞い"hodi"と唱え(ku-piga hodi)、ホスト側は"karibu"と応えて歓迎、受け入れの意を表す(ku-piga karibu)。
206 ク・レンガ(ku-renga)。人々が共食している、あるいは集まって酒を飲んでいる場にやってきて、「ご相伴にあずかる」「おこぼれにあずかる」行為を指す動詞。必ずしも人々から勧められなくても、自分から'hebu, nirenge chidide'(「私にも少しおこぼれに与らせてください」と言って加わることができる。それを拒絶することは、たいへん失礼な行為になる。
207 ンジェレジェレ(njerenjere)。「長声」、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声のこと。励まし、促し、喜びなどの表現。
208 ムツェザ(mutsedza, pl.atsedza)。「妻の父、妻の母」と、「娘の夫」は互いをmutsedzaと呼びあう関係にたつ。後者から前者にはきわめて大きな尊敬が払われねばならず、後者は前者に対する奉仕の義務を負う。
209 すぐ後の語りからもわかるように、ここで突然「水」がライカ用のキザの薬液や、ふつうの飲み水ではなく、ローズウォーターの意味に変化している。嗅ぎ出しの途中で、突然やって来たチャリの霊に手こずっているのだが、どうやらイスラム系の霊らしいとの判断。彼らが好む「水」は飲み水であれ、浴びる水であれ、ローズウォーターである。ジンジャと名乗って頻繁に現れるようになった霊は、当初はガンダ人(このカヤンバの時点でも多くの人はガンダ人であるという認識だった)だったこの霊が、このカヤンバの頃には、どうやらイスラム系の世界導師の別名体、さらにはペンバ人のジャバレ導師だという認識に(とりわけムリナの見解では)変わりつつあった。
210 Nyamawi氏とMurina氏はともにムァカイ父系クランに属している。Murina氏の亡父ChimeraはNyamawi氏の弟。したがってMurinaはNyamawiの弟の息子でありNyamawi氏にとって「息子mwana」であり、MurinaにとってNyamawiは父の兄、つまり「大きい父baba muvyere」に当たる。クランの男子名のセットは隔世代ごとに同じなので、Murinaと言う名前は、Nyamawi氏の父の兄弟の(弟の)名前でもある。したがって、Nyamawi氏はMurina氏を「小さい父(父の弟)baba muvaha」と呼ぶことも可能である。
211 マラシ(marashi)。スワヒリ語で「香水」、ドゥルマではもっぱらローズウォーターのこと。ローズウォーターは化粧水などの目的で使用されるもので、市販されている。このあたりではもっぱらkombe44治療などの目的で使われている。ンゴマの席などで、イスラム系の憑依霊は、これをガブ飲みしてはゲップする。彼らの好物である。
212 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
213 ク・ツァンガーニャ(ku-tsanganya)。カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
214 クビタ(ku-bit'a)。「投げ倒す、叩きつける」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、カヤンバ演奏のリズムで最も速いリズム。憑依の兆候を見せた患者を、本格的な憑依状態に導く。同じ歌詞の繰り返しになるが、演奏者たちは躍起になって患者を憑依状態にしようとする。
215 タイレ(taire)。2つの意味で用いられる間投詞。(1)施術の場で、その場にいる人々の注意を喚起する言葉として。複数形taireniで複数の人々に対して用いるのが普通。「ご傾聴ください」「ごらんください」これに対して人々は za mulungu「ムルングの」と応える。(2)占いmburugaにおいて施術師の指摘が当たっているときに諮問者が発する言葉として。「その通り」。
216 ヴォロ(voro)。「乱雑で」「散らかって」「ひどい有様で」などの意味をもつ形容詞・副詞。ヴォロヴォロ(vorovoro)で程度の高いさまを示す。ク・シキラ・ヴォロ(ku-sikira voro(vorovoro))は、疲労や病気で「気分が悪い」ことを伝える表現。動詞ヴォロモサ(ku-voromosa)は「崩す、落とす」などを意味する。
217 ングオ(nguo)。「布」「衣服」を意味する名詞。スワヒリ語も同様。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。多くはカヤンバなどにおいてmuwele165として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
218 キルー(chiluu)。ダチョウの羽を縦にずらりと植えたヘッドバンド。憑依霊ガンダ人、ジンジャ導師などChariの占いをになう憑依霊の頭飾り。
(キルーを被って占いを打つチャリ)
219 リンダ(rinda, pl.marinda)。ワンピース。首からヒザ下までくらいの長さの、いわゆるワンピース的な衣装。憑依霊のなかには(例えば憑依霊白人(muzungu mumiani)やセゲジュ人のように)特別なデザインのリンダを要求する霊もいる。今日のミジケンダの女性に一般に見られる服装としては、通常のワンピースの上から腰にレソ(leso, pl,maleso)と呼ばれるプリントされた一枚布を腰巻きとして巻き、上半身に同じガラのレソ(通常2枚で一組で販売されている)をまとう。
220 キトゥク(chituku, pl.vituku)。女性が着用する腰巻の一種。ハンド(hando, pl.hando/mahando221)とも言う。ギャザーをつけたもの、あるいは細い布を紐で腰蓑のように繋いだもの。
221 ハンド(hando, pl. hand or mahando)。ギャザーのある腰巻。ドゥルマの女性の伝統的な衣装,今日では高齢者を除いて着用されてはいない。
222 ムトゥミア(mutumia, pl.atumia)。「長老」と訳すが、結婚した者はmutumiaであるので、必ずしも高齢者を意味する言葉ではない。
223 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wari)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。
224 ムヴァハ(muvaha)。「年少の、下位の、小さい」。e.g. baba muvaha「父の弟=下位の父、年少の父、小さい父」など。ただし muvaha自体は性別に関係なく用いられるので muvaha wanguというだけでは「私の弟」なのか「私の妹」なのかわからない。
225 ムェネーフン(mwenehu, pl.enehu)。男女を問わず自分の兄弟姉妹に対する呼びかけ、および言及。
226 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。
227 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki144)、キツィンバカジ(chitsimbakazi14)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか、カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
228 ニトエ・カジ(nitoe kazi)。ドゥルマ語に直訳すると nilavye kaziであり、「私に仕事を出してください」つまり私を「外に出す」施術を通じて、正式に施術師にしてくださいという意味になる。
229 ク・タイザ(ku-taiza) という言葉はスワヒリ語の辞書にはない。taire(taireni pl.)=施術の場で、その場にいる人(人々)の注意を喚起する言葉を動詞化したものと思われる。ムリナMurina氏独特の言葉遣いに思える。
230 ク・グラマ(ku-gurama)。「じっとしている、大人しくしている」ク・フリラ(ku-hurira)に同じ。
231 ムリナのスワヒリ語誤用、あるいは書き起こしの誤りの可能性がある。イスラム系の霊に対する唱えごとのなかで、内陸系の霊は非・文明的な田舎者、野蛮人として眺められ、「歯を打ち欠いている(あるいは削っている)奴(muchonga meno)188」として言及されることがある。
232 メインコロショ(mainkorosho)。ムリナ氏はよくこの言葉を用いるが(ミニコロショ(minikorosho)だったり、メニコロショ(menikorosho)だったりする)、他の人が使っているのを聞いたことがない。コロショ(korosho)はカシューナッツのこと。ケニア海岸部の後背地では、カシューナッツが換金作物として注目され、クワレ・カウンティの首府クワレ近くには、その工場も建設されていた(これは残念ながら完成していないが)。ドゥルマの屋敷でも、カシューナッツの木が植えられていることも珍しくない。ムリナ氏が現金収入の意味でこうした言葉を用いているらしいことは文脈からも類推できる。カタナ氏によるとこの言葉はスワヒリ語にも、ドゥルマ語にもない、ムリナ氏独特の言葉。
233 キパーリャ(chiparya, pl. viparya)。小型の細長い瓢箪。酒を飲むコップとして用いられる。最も小型のものがキパーリャ、少し大きいものがムボコ(mboko, pl.mboko234)と呼ばれる。

234 ムボコ(mboko, pl.mboko)。酒を飲むための瓢箪製の細長いコップ。キパーリャ(chiparya233)よりも一回り大きい。カボコ(kaboko)はそのやや小さいもの。ka-は指小辞である。
235 ガンデ(gande, pl.magande)「塊」、転じて何かが大量にあるさまにも(e.g. gande ra atu「大勢の人が集まっている様」、rero mikahi yi gande.「今日はパンはたくさんある」)。kagande は小さい一かたまり(ka-は指小辞)。
236 ドンジェ(donje, pl.madonje)。トウモロコシの練粥であるワリ(wari223)は供された練粥の山から、右手で軽くつかめるサイズを掴み取り、それを手の中で丸めて団子状にしたもの(これがドンジェと呼ばれるものである)を、同時に供されたスープなどの副食に浸したりまぶしたりして食する。
237 ウブォールェ(upholwe)。夕食で食べたワリ(wari223トウモロコシの練粥)の残り物は翌朝になるとウブォールェと呼ばれる。動詞ク・ブォザ(ku-phoza)「冷ます、冷やす」より。
238 ヤンバ(yamba, pl. yamba)。就寝の際に全身を覆うための布。nguo ya kudzifinikiraとも言う。
239 憑依のコンテクストで、ムリナ氏はベカダマというギリアマ名をもっている。Bekadamaは第一子が娘で、その娘にカダマ(Kadama)という名前を与えた者が、その後尊敬の念を込めて呼ばれる「子供名(dzina ra mwana[^dzina ra mwana])」で「カダマの父」という意味をもつ。というわけで、ムリナをベカダマと呼んだ憑依霊デナは、続けて、その娘カダマはまだ未婚だと続けているのである。
240 カタナ氏によると、roho ya chinoはroho ambayo kayaamini, ama roho ya kutsoamini。
241 マエガ(mwaega)。女児のカンガ(kanga242)あるいはレソ(leso243)の装着方の一つ。婦人はカンガを2枚一組で用い、ワンピースなどの上から一枚を腰に巻き、同じデザインのもう一枚を上半身に纏う。これに対し女児は1枚のカンガのみを用いる。同じくワンピースなどの上から、脇の下の高さで背中にあてがい、布の両端を身体の前に回して交差させ、首の後ろで結ぶ。これをマエガと呼ぶ。
242 カンガ(kanga, pl.kanga)。レソ(leso243, pl.maleso)。cotton cloth wrapperとも。今日の海岸部の女性たちに愛用されている布で、110cmX160cmの長方形のデザインで下部にスワヒリ語の諺や格言が書かれている。同じデザインのものが2つつながった一枚布として売られており、ゴラ(gora)一つ、ゴラ二つと数える。購入した人はミシン職人にそれを2枚に裁断し、かがり縫いをしてもらう。ワンピースのような薄手のドレスの上に、カンガを巻くが、一枚は腰に巻き、もう一枚は上半身に纏う。ドゥルマの女性たちは茶色と黄色が中心のデザインを好むが、若い女性たちは緑や青その他の色彩のものも喜ぶ。女性たちのお土産に最適。
243 レソ(leso pl.maleso)。女性が腰巻きにしたり羽織ったりするプリント柄の一枚布。ポルトガル語に由来するスワヒリ語。スワヒリ語のカンガ(kanga, pl.kanga)に同じ。詳しくはカンガ242を参照のこと。
244 キリマンジャロ(chirimanjaro)。山の名前としては普通に使われているが、憑依霊にその名の霊がいる。世界導師の別名としてのカリマンジャロ(kalimanjaro245)に同じか。
245 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。ムリナとチャリの夫婦は、かつて憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語っていた。ジンジャ導師は世界導師の別名とされる。しかし後には憑依霊ドゥルマ人(女性)だとしていた。使用する草木は、世界導師の草木と同じ。歌の中でも「自分は内陸部(bara)にもいる。海岸部(pwani)にもいる」と歌われる。
246 ジネ・ツィンバ(jine tsimba)。ジネ・シンバ(jine simba)とも。イスラム系憑依霊jine(fr.(ス)jini,(英)genie,(ア)jinn)の一種。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴だが、ジネ・ツィンバはもちろんそのライオンtsimbaのように鋭い爪で犠牲者の血をとる。症状:首を圧えられる、血の咳、腎臓(噛み潰されるkpwafunwa)、カヤンバで憑依されると地面を4足歩行し、ライオンのように吠える。
247 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba181)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」44、香料33と海岸部の草木31の鍋40。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
248 ニャマウィ氏は"vino unagavinira"と述べている(そう書き起こされているし、そう聞こえる)のだが、ku-viniraは「踊る」を意味する動詞ku-vinaのprepositional formなので、誰かのために踊るとか何かを目的に踊るとか訳するしかなく、意味が通じない。ga は目的辞で manenoを指していると思われる。もし unagavyaniraであれば、「分ける」を意味するku-gavyaの相互形ku-gavyanaのpreposisional formで、誰かのために「分け合う」という意味にとれるのだが。
249 ク・セガ(ku-sega)は川を渡るなど、困難な作業にかかるさいに、ズボンの裾を捲ったり、腰布を手繰り上げたりする動作を意味する動詞。ku-sega chidemuは字義通りには「ボロ布をまくる」だが、「本気を出す、努力する」を意味する慣用表現。「貧乏する」という意味でも使われるが。
250 チャノ(chano, pl.vyano)。「広い皿」「盆」。イスラム系の霊にさまざまな食物、菓子類をそれに並べてふるまう。またこの言葉で、ふるまわれる食物を指す用法もある。チャノについての解説ある種のイスラム系の憑依霊を除霊する際にはチャノに乗せたさまざまな食物のいずれかを、憑依された患者がつかんで食べることによって除霊が行われる。
251 スワヒリ語で、「お供え」「ご馳走」の意味。憑依霊などに与える動物の血などの供物を指す。
252 チュオ(chuo, pl.vyuo)。スワヒリ語で、「学校」、「本」(祈祷書 chuo cha sala, 予言者の書=コーラン kuruani, chuo cha mutume など宗教関係についてのみ用いられているみたいだ)。イスラム系の憑依霊の中には、自分の絵が描かれたチュオを要求する霊がいる。施術師が描いて作る。カヤンバで憑依したムウェレにそれを見せると、大げさに喜んでいる。
253 ウラフィキ(urafiki)。スワヒリ語で「友人関係」。「友だち」を名詞rafikiより。ドゥルマ語でいう'usena'254。憑依霊のコンテクストで用いられるときには、憑依霊との間に「共通の合意事項 mapatano」があること、「真実(事実についての知識)の共有」があることを明示的に意味していることがわかる。情緒的なものよりも。
254 ウセナ(usena)。「友人関係」。「友人」を意味する名詞musena(pl.asena)より。あえて説明されるまでもない言葉だと、ずっと思っていたが、どうも憑依霊のコンテクストに限っては、けっして情緒的なものではなく、憑依霊との間に「共通の合意事項 mapatano」があること、「真実(事実についての知識)の共有」があることを明示的に意味していることがわかってきた。
255 ク・シンディカ(ku-sindika)。「(扉などを)閉める」という意味の動詞だが、ときに憑依霊を「除霊する」という意味でも用いられる。ここでは「閉め出す」と訳すことにする。ku-kokomola19、ku-chomowa、ku-usa nyamaなどと同意味。これらの使い分けについてはku-kokomola19の項を参照のこと。
256 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga257)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele165)としてンゴマやカヤンバ87を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola19)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni17)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo43)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo159)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
257 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga256)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni17)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo43)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo159)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
258 ウキ・ウフ(uchi ufu)。'-fu'は「固い」を意味する形容詞。固いヤシ酒とは発酵が進みすぎたヤシ酒で、飲むには不適切。ドゥルマの諺に'niukomaze, niunwe vivyo'があり、「私が椰子酒を発酵させすぎたとすれば、私が結局それを飲まねばならない」つまり、もし仕事などを遅らせると、その結果は自分に返ってくるのだ、という意味。ここではこの諺を話し手が自分の表現で言い直している。「あなた方がそれを固い酒にしたのなら、あなた方がそれを飲むことになる」
259 この唱えごとのなかでニャマウィ氏は自分をチャリ=シェラの父親として語っている。娘(チャリ)が嫁いで婚資をすでに受取り、使ってしまったので、お前は怠惰さを捨ててちゃんと婚家で妻としての役目を果たせと、諭しているのである。「重荷下ろし」においては患者の施術上の父である施術師は、同時にシェラの父でもある。
260 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。
261 ムツァンゾーニ(mutsanzoni)。施術に用いる草木を採集する場所。単にミヒーニ(mihini262)と言っても良い。動詞クツァンザ(ku-tsanza)「探し求める、草木を探し求める、癒しの術に従う」より。施術師就任のための「外に出す(kulavya nze88)」にともなう最終試練においては、誰からも教えられないまま憑依霊に導かれて、その憑依霊のための草木をブッシュで探し出し折り取る。この試練をムツァンゾーニあるいはミヒニ(mihini)と呼ぶ。
262 ミヒーニ(mihini)。字義通りには「草木の場所に」だが、「草木を採集する行為・作業」の意味で使われることもある。「外に出す」ンゴマの文脈ではムツァンゾーニ mutsanzoniという言葉が用いられることもある。
263 キシング(chisingu, pl.visingu)。憑依霊の施術師が被るビーズを紐に通して作った輪状の被り物。
264 ニュキ(nyuchi)は「蜂蜜」。ここでは瓢箪のなかに、通常のヒマ油ではなく蜂蜜を「血」として入れることを要求する憑依霊たちのことを指している。憑依霊ディゴ人、ライカ、シェラはすべて蜂蜜系の憑依霊で、同じ瓢箪を共有できる。
265 スフリア(sufuria)。ケニアで一般家庭で用いられているアルミ製の、取っ手のない鍋。
266 ポーレ(pore)。名詞・副詞として、ゆっくりしたさま、穏やかなさま、礼儀正しいさまなどを指す。間投詞としては、穏やかに、もの静かに、ゆっくりと、などに加えて、ひどい目に遭った人や、感情を高ぶらせている人に対して、相手がクールダウンするように、宥めたり、同情の意を示したり、謝ったりする言葉として用いられる。憑依の文脈では私はこれを「お静まりください」と訳している場合が多いが、コンテクストによっては異なる訳語を当てている。
267 ヴリ(vuri)。小雨季、10月から1月にかけての雨。短時間に激しく降るのが特徴。またそれがやって来る方角(北西)ヴリーニ(vurini)。反対に大雨季(mwaka268)の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう。
268 ムワカ(mwaka, pl.miaka)。「年、年齢、大雨季」。これに対して小雨季はヴリ(vuri)と呼ばれる。
269 ホディ(hodi)。スワヒリ語で、家や部屋など様々な場所について、「入る許しを乞う」際の呼びかけの言葉。ドゥルマでも使われているが、エーニェ(enye)「(字義通りには)所有者の皆さま」という呼びかけのほうが普通。
270 他のバージョンとして「小蛇が足鈴(nzuga271)を鳴らしている」というのもある。参考
271 ンズガ(nzuga)。三日月型の中空の鉄のペレット(2cm X 5cm)の中にトウモロコシの粒を入れた体鳴楽器(idiophone)。足首などにつけて踊ることでリズミカルな音を出す。
272 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni273と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
273 ヴョーニ(vyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。
274 ku-bwagaはディゴ語の動詞で、ドゥルマ語の「倒す、投げ倒す、叩きつける」を意味するク・ビタ(ku-bit'a)と同じ。他の地域ではこの部分の歌詞は "vyoga ziya" 「池を踏みつける、踏む」となっている。参考
275 ランギ(rangi)はドゥルマ語では(スワヒリ語でも)「色」を意味する名詞。あるいはミルクを入れない紅茶(chai cha rangi)のこと。しかし "namutuwa(I follow him/her) rangi" であるので、人名と考えるしかない。
276 ムイェムイェ(muyemuye)。意味のない言葉。人名として用いられているとも見えるが、似た内容の歌では、ムイェムイェの代わりにヤンガヤンガ(yangayanga)、ムンゲムンゲ(mungemunge)などになっていることもあるので、単なる意味のない言葉だろう。
277 ウムベヤ(umbeya)。「口が軽いこと」「他人の秘密をしゃべってしまうこと」「ゴシップ好き」。liphayo に同じ。
278 意味不明
279 ニィカ(nyika)。「荒地、不毛の地、未開地、荒蕪地、人跡未踏の地、木々のない草原」。ドゥルマを含むミジケンダは、かつてはワニィカ(wanyika)という蔑称で呼ばれていた。今でもイスラム化したディゴの人々は、ドゥルマ人を田舎者、ニィカの人間だと軽蔑して語ることがある。私が調査した地域のドゥルマの人々は、自分たちの土地がニィカだとは考えていない。しかし同じドゥルマでもさらに奥地はニィカで、そこのドゥルマ人は自動車も見たことがなく、自動車が通ると皆が動物だと思って弓で射ってくる、などと冗談とも真面目ともつかずに話す。憑依霊ドゥルマ人はニィカからサボテンやミドリサンゴの木を打倒しながらやって来て人々に取り付く田舎者の霊として語られる。
280 ムベガ(mbega, pl.mbega)。オナガザル科のアビシニアコロブス(Colobus guereza)。そのマント状の長い毛が特徴の毛皮を、背中に付けて激しく揺り動かす伝統的な踊りもムベガと呼ばれる。写真はwikipediaより。
281 ハランベー(harambee)は、ケニア初代大統領ジョモ・ケニャタが国民統合をもとめてかかげたスローガン。重いものを持ち上げたり押したり、問題に取り組むときに人々の協力的行動と精神を高めるためにかけられる掛け声。「力をあわせて!」「全員で!」
282 ペレメンデ(peremende, pl.maperemende)。スワヒリ語で(ドゥルマ語でも)「飴、キャンディ」、とくに「ハッカ飴。ペパーミント。」英語の peppermint より。いくつかの憑依霊の治療でも用いられる。
283 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
284 憑依霊カリマンジャロ(kalimanjaro/karimanjaro)。女性。正体は曖昧。かつては憑依霊ジンジャ(ジンジャ導師 jinja/ mwalimu jinja)の別名だと語られていたがのちには憑依霊ドゥルマ人(女性)だとされた。一方使用する草木は、世界導師の草木と同じ。
285 意味不明。mutu wa mvuo つまり「mvuoの人」と解釈可能だが、ドゥルマ語にはmvuoという言葉はない。スワヒリ語で「服を脱ぐ」を意味する動詞 ku-vuaの名詞 mvuo「服を脱ぐこと」、あるいは同じくスワヒリ語で「魚を釣る」を意味する ku-vuaの名詞 mvuo「魚を獲ること」があるが、この文脈ではどちらも当てはまりそうな気がしない。
286 キバンバ(chibamba)。「鉄板、トタン板」を意味する名詞 bamba(pl. mabamba)の指小形で「小さい鉄板、トタン板の小片」を意味するが、比喩的に「いい女」の意味でも用いられる。
287 憑依霊マサイの歌(ku-suka)としては、かなり変ったもの。ほとんど意味不明な内容になっている。別バージョンは、これよりは長いがずっとわかりやすい。でもちょっと単調。比較してみるとわかるように、いくつか共通の歌詞があれば、後はかなり自由に変形して歌って良いみたいである。
288 マランザ(maranza)。かつてドゥルマの人々は耳たぶに穴を開けて薄く切った切り株を入れていたりした。この身体装飾の一種としての耳の変形をマランザと呼んでいる。1990年代には年配の老人のなかに時折見ることもできたが、今ではまず見られない。
289 「もしお前が男なら、来るがよい」は妖術使い、あるいは強力な「薬」を所持している者が、相手を煽って発する脅し文句とされている。ここでは「男」は強力な薬によって自らを防御しているという自信がある者のこと。「もし自信があるならやって来て私に挑戦してみればよい。そうでないなら、目にものを見せてやるぞ。」という脅し文句。
290 デナ・ムカンベ(dena mukambe)。バンガ(Bang'a)のムァインジとアンザジ291の施術師夫妻、ムァモコ(Mwamoko)の施術師ニャマウィらの唱えごとに出てくる。ムカンベ(Mukambe)は、民族集団で、ミジケンダの9グループの一つ。他の施術師はデナはギリアマ(Giriama ミジケンダの9グループの一つ)の長老の霊であるとしている。デナには、マクンバ(makumba)あるいはムァクンバ(mwakumba)という別名があり、可能性としてはこれが伝承の過程で変化したのかもしれない。逆かもしれないが。あるいはデナの異なる独立した下位区分。こうした変異形は、他の憑依霊についてもときおり見られる。
291 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi292)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari295)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)72」とライカ(laika13)およびシェラ(Shera71)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師133を「外に出し」てもらうことになる。
292 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(291)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana293, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
293 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)294」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
294 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。
295 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師132などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze88を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba247)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)133」とドゥルマ人(muduruma128)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri12)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza11)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
296 スワヒリ語でク・ソンバ(ku-somba)は「運ぶ、輸送する」を意味する動詞である。ドゥルマ語ではク・ソンバは「性交する」という意味なのだが(より広くこの意味で使われている動詞はク・ホンバ(ku-homba)だが)、コンテクストから判断して、スワヒリ語の意味で用いられていると判断した。
297 ブヮガ・モヨ。スワヒリ語の慣用句で ku-bwaga 「(荷物などを)投げ捨てる、処分する」moyo 「心」より。「心配を捨てる」「心を休める」「うさを晴らす」など。
298 ンガガ(ngaga)はドゥルマ語では「トンボ」のことだが、この曲を書き起こしてくれたカタナ氏は、ここでは草の一種ではないかとコメントしている。
299 クヮンガ(kpwanga, ku-anga)。「妖術をかける、襲いかかる」を意味する動詞。スワヒリ語のku-angaはより多義的。ドゥルマでは、典型的には夜中に裸で犠牲者の屋敷に入り込み、屋敷の中庭で裸踊りをして犠牲者に術をかける振る舞い、あるいはイスラム系の憑依霊が犠牲者を襲うさま。犠牲者を夢の中で組み敷いて、病気にするなど。
300 ドゥア(dua, pl.madua)。(1)妖術の一種、「祈り、呪い、呪詛」などを意味するスワヒリ語の名詞 dua(pl.dua)より。(2)不具=chiwete。duwa と発音されることも。
301 ク・ンガラ(ku-ng'ara)はディゴ語で、ドゥルマ語の ku-ng'ala に同じ。
302 ここではそれぞれの憑依霊のピング(pingu37)の中に縫い込められる憑依霊を描いた紙のことを指していると思われる
303 リヨ(riyo, pl.mariyo)。「ネッタイハジロ(Netta erythrophthalma、英名 southern pochard)」南アからエチオピア高地まで広く分布するカモの仲間。羽色は黒。群れをなして飛ぶのが見られると、雨の前兆だとされている。
304 ムカンガ(mukanga)。憑依霊ライカ(laika13)の一つにライカ・ムカンガと呼ばれるものがあり、唱えごと、歌のなかで言及される。またムカンガは憑依霊ルキ(luki144の歌の中でも登場する。ムカンガガ(mukangaga103)の間違いかとも思ったが、何度も出てくるので別物だろう。植物としてはドゥルマにはこの名前の植物はない。ただ隣接するカンバ人のあいだではムカンガは果樹の一種(Garcinia livingstonei)として知られている(Maundu&Tengnas2005:248)。ドゥルマ地域にも分布しているらしいが、ドゥルマ名は mfungatanzu(ibid.)。しかし別の論文ではmufungatsandzuはHaplocoelum inoploeum(Pakia&Cooke2003:381)とされており、こうなると私にはお手上げ。
305 ゴンベ・ゴンベ(gombe gombe)。動詞 ku-gomba「話す」より「言い争い」「論争」。mutu wa gomba gomba は言い争い好き、論争好きな人。Kalimbo na Jefa ana gombe gombe.「カリンボとジェファは言い争いしている」
306 yamanywa「ya(そのこと)は知られている」。つまりその人が論争好きな厄介な人物であることは有名だ、という意味。
307 ここでは"vala mukoba wa mayo"と書き起こされており、ku-valaは「着る」を意味する動詞だが、ムコバ(編み袋)を着るというのは意味不明。ku-wala の間違いではないか。ku-wala であれば、「お母さんのムコバを持ってきて」で意味が通る
308 デデ(dede)。「姉妹」に対する呼称。姉妹は互いを、男の兄弟は姉妹をデデと呼ぶ。年下や親しい女性に対して親しみを込めて呼ぶときにも用いられる。
309 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ17と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo94の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
310 ムンダチ(mundachi)。おそらく植物名だが、この歌以外では聞いたことがない。書き起こし担当たちも同定できない。
311 シェラ・モヨと呼ばれる憑依霊は少なくとも人々の共通の知識の中にはない。シェラという名前は、「掃く」を意味するディゴ語の動詞ク・シェラ(ku-shera)から来ており、シェラに憑依された際の症状に、患者の身体の各部(心臓や腹など)が「箒で掃かれたように」感じるというのがある。だからシェラ・モヨは「心臓を掃く」というシェラのモードに対応しているので、容易に理解できるとも言える。
312 フュラモヨ(fyulamoyo)。妖術の一種。ザイコ(zaiko)と呼ばれる薬によって掛けられる妖術。さまざまな症状を示す。特徴的な身体症状の一つが全身が痒くなって掻きむしること。しかし深刻なのはさまざまな「心理的」症状。動詞ク・フュラ(kufyula)は、「曲げる、(無理やり)向きを変えさせる」を意味し、モヨ(moyo)は「心、心臓」を意味する名詞。字義通り、人の心を変な方向に曲げてしまう妖術である。これにかかると、自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がする、自己嫌悪、他人と一緒にいられない、など=。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo mwenye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye( mbayumbayu, mbonbg'e) etc.〔浜本, 2014:61-66を参照のこと〕
313 ウェチェ(weche)。「寄る辺なさ」孤独で、助けてくれる人も頼れる人も誰もいない様。muweche (pl. aweche)は「孤独で誰も頼れる人がいないような人、寄る辺ない人」
314 マトゥミア(matumia)。地面の上での手を使わない一回きりの無言の性行為。ドゥルマにおいてはマトゥミアはさまざまな機会に執り行われねばならない。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第8章〕
315 マツォ マフ(matso mafu)。「素面(しらふ)」(字義通りにはmatso=目 -fu=固い、固い目=素面)。憑依霊の文脈では、憑依状態にない、素面であるの意味。「憑依状態にある」ことは、kugolomokpwa 以外に kukala t'ele(字義通りには「満たされている」、なおこれは、酒に酔っているという意味でも用いられる)