外に出すンゴマ((ngoma ya kulavya nze/konze)| カヤンバ(kayamba ra kulavya nze/konze))

目次

  1. 「外に出す」とは何か

  2. ムウェレ muwele について

  3. 実際に「外に出す」ンゴマで行われること

    1. 瓢箪子供

    1. 瓢箪子供とは

    2. 瓢箪子供の作成

    3. 瓢箪子供を隠す

    4. 第二のテスト

    5. 第三のテスト

    6. ンゴマ終了後 6-1. 瓢箪子供を「産む」 6-2. 施術師の実地研修 6-3. 瓢箪子供と生きる

  4. 「外に出す」ンゴマの事例

  5. 注釈

「外に出す」とは何か

さまざまなンゴマ(カヤンバ)のうちでも、最も重要で大規模なものが「外に出す」ンゴマ(カヤンバ)であり、人はこのンゴマを打ってもらって、首尾よく終わることによって、施術師(癒やし手)になる。いわばその合否のかかった試験であり、就任儀礼でもある。

「外に出す(kulavya nze(konze))」という表現は、ドゥルマではやや両義的な比喩である。内と外という、観点に応じて相対的である二つの秩序の境界面における移動であり、例えば新生児とその母の、生後数日間、小屋の中での(寝台を使用しない地面の上での)隔離の後に、小屋の外に連れ出される手続きは「子供を外に出す」と呼ばれるし、同じように新婦が新郎の両親によって「産んでもらった」後に、新郎の小屋内部での隔離の後に、婚礼の日に屋敷や近隣の人々の前に連れ出される手続きも、「外に出す」手続きである。一方、購入した家畜などを屋敷の家畜の群れに加える前に、夫婦によってそれを「産み」、その後に夫婦のいずれかの浮気によって家畜の健康に被害が及ぶおそれを除去する目的で、「薬」によって家畜を守りつつ、それを「外に出す」手続きや、生まれた新生児が、夫婦のいずれかの婚外性交で危険にさらされた場合、今後そうしたことが起こらないよう新生児を(同様に「薬」の保護のもとで)「外に出し」てしまう手続きも、同じく「外に出す」という言葉で語られる[浜本 2001]。

ところでンゴマの「外に出す」だが、何をどこに出すというのだろう。何が「内」で何が「外」なんだろう。こんなところで、理屈っぽくなっても仕方ないのかもしれないが、気になる。「外に出す(ku-lavya nze)」の目的語には、人も憑依霊も来る。 「マリアカーニ(町の名前)(の施術師)。実際その人が私を外に出してくれた人なのよ。Mariakani. Hata ndiye yenilavya konze」(DB 963)、「私には医療上の私の子供がいるんだけど、彼女を外に出したんだよ。彼女に憑依霊ドゥルマ人とムルングを出したんだよ。Ta mimi nina mwanangu wa chiganga namlavya nze. Namulavya muduruma na mulungu.」(DB 5983)、「そこで私(患者の夫)は、彼女(患者)を外に出すンゴマを開いたのさ。(施術師は)ムルング一人だけを外に出した。Ndo nichipiga ngoma kumulavya nze. Achilavya mulungu hicheye.」、といった具合である。目的語は癒しの術かもしれない。「まずムルングを、その癒しの術を出すことから始めたわけさ。Nanza kulavya mulungu ugangawe.」(DB 3369)。憑依霊たちは主語になったりもする「どうして?皆さま方(憑依霊)は何を(間違ったことを)されたとおっしゃるのですか?皆さま方は今もって、この者を外にお出しになったわけではないのに。Kpwadze? Mwakoswani? Na yuno kamudzangbwe wakukala mwamulavya nze.」(DB 1004)もちろん、患者が主語の受動態でも。「私は生き続け、ついに憑依霊ドゥルマを出してもらいました。Nami nidzenderera hata nidzilaviwa nze muduruma. 」(DB 4460)あまりこだわるところではないのかもしれない。

ムウェレ muwele について

すでにンゴマの概要のなかで述べたように、占いではじめて憑依霊の病と診断される病は、通常は身体的な疾患で、それは憑依霊がなんらかの要求を患者に対してもっているために引き起こしたものだとされる。その要求に応えることが、その疾患への対処ということになる。きわめて乱暴に簡略化して言えば、それがいきなり「ンゴマを開け」という要求であることは、まったくないわけではないにせよ、まずない。普通は、煎じ薬1や護符5、鍋10や大皿(イスラム系の霊の場合14)くらいから始まる。憑依霊の数やその要求は、憑依霊の病につきあっているうちに次第にエスカレートしていくかもしれない。そしてついには徹夜のンゴマの要求に行き着くことになるかもしれない。そして、さらに稀なケースであるが、憑依霊の要求のエスカレートが、「仕事がほしい」という要求になることがある。憑依霊にとっての仕事とは「癒しの仕事 uganga」である。そしてそれは、その病人自身が「癒やし手(治療者、施術師)muganga」になることである。

憑依霊とはそもそも病気を引き起こす張本人である。その憑依霊が、その病気を治す仕事をしたいというのは、マッチポンブのようでなんだか理解に苦しむが、それが憑依霊たちの究極的な要求の形なのだ。「外に出す」ンゴマによって、病人は「外に出され」施術師になる。それは同時に、その病人にとり憑いていた憑依霊自身が「外に出される」ことでもある。実は憑依霊たちは、そうした形で自分たちが外に出ることを可能にする、そうした人間に「惚れ(kutsunuka)」とり憑いているのでは、という気すらする(最後は、私の個人的感想(解釈)です)。

どんな人が「外に出す」ンゴマを受けることになるのだろうか。実際には(私が聞き集めた範囲内では)、上で述べたような緩慢なエスカレートの結果「外に出す」ンゴマを受けることになったと語る施術師は少なかった。あるいはこうした面白みのない緩慢なプロセスについては忘れてしまっているのかもしれないが、重病だったというところから話が始まることが多い。重篤化が契機で「外に出す」ンゴマへと急加速するケースは、実際にはおそらくあるはずである。

身体的疾患からンゴマ開催へ、そこで初めて患者は解離を経験する。その解離の質・内容は人それぞれだ。ただ忘我状態で踊るだけや、失神・昏倒、さらに泣きじゃくったり、怒り狂ったりといった感情過多に始まり、何度もンゴマにおける解離(ムウェレ15としての、および他人のンゴマでの観客の一人としての)を経験した後の、あたかも別人格であるかのような憑依霊そのものの出現に至るまで。瓢箪から駒ではないが、単なる身体的症状から憑依霊の世界につながったとしても、この最後のケースのところまでエスカレートしたなら、出現してきた霊が執拗に「仕事」を要求するという形で「外に出す」ンゴマ開催へ至るという可能性もあるだろう。

私が話を聞いた施術師たちのすべてが、自分が「外に出す」ンゴマを受けるに至った経緯について、3つの理由(のどれか、あるいは二つ、あるいはすべて)を挙げている。第一は発狂(kpwayuka20、母に背負われていた赤ん坊の時にすでに発狂していた、みたいな)、第二は親族内の継承(死んだ祖先21が高名な施術師であった、みたいな)、第三はあらゆる治療を拒む病(誰もがこの人は死ぬだろうと思っていた、みたいな)である。実際には、これらの理由が後づけで、上記のようなエスカレートの結果であったという可能性もあるが、少なくとも、自分が施術師であることの必然、あるいは正当性が、この三つの理由に求められているとは言えるだろう。

多くの人が憑依霊による病気に苦しめられ、ンゴマまで受けることになるが、施術師になるのは限られた者だけで、有象無象は施術師にはなれないという点だけ、確認しておこう。 そんなわけで、占いで仮に「おまえは外に出されねばならない」と告げられたとしても、当人が「そんなばかな」とその占いを却下するようなことも起こるのだ。

私の近所にいるお婆さんで、近隣の噂話の宝庫であったムチェムンダさんは、憑依霊についても熱心(?)で、身体になにか不調があるとすぐに占いを打ちに行き、すすんで憑依霊の治療を受ける(妖術の治療の場合もあるが)、そんな人だった。あるとき私の小屋にたちよって妖術(ドゥアduaの妖術)の治療のために赤い雄鶏を用意しなくては、などとひとしきり話して帰った。なんでもこの妖術のせいで脚が痛いし、目もよく見えないんだとか。でもその妖術の治療が終わったら、再度、憑依霊の方に戻らなくっちゃと言う。もう一度よく見てもらわないとと。よく聞いてみると、なんでも占いで「外に出される」必要があると言われたというのだ。そんなのありえないと彼女は言う。だって「私は夢を見せられていないもの」。今まで一度も、施術的に意味のある情報を与える夢を見たことがないというのだ。「こんなふうに私は発狂したことがないのよ。」憑依霊によって「頭を揺すぶられ」、意味深い夢を見る、これは「発狂」の重要な一部である(Oct.14, 1992のフィールドノート、および日記より)。

この3つの理由について、詳しくは施術師の経歴について紹介する際に検討することにしたい。

実際に「外に出す」ンゴマで行われること

「外に出す」ンゴマを受けることによって、人は特定の憑依霊をもつ施術師となる。だが、たとえ自分にとり憑いて永い霊であっても、ただちにその憑依霊の施術師になれるわけではない。憑依霊の筆頭はムルング(ムルング子神 mwanamulungu)であるので、彼女(ムルングは女性である)が最初に出てこなければならない。施術師は、その最初の経歴を憑依霊ムルング子神の施術師となることから始める。ここではこの最初に「外に出す」ンゴマである、憑依霊ムルング子神の場合で、このンゴマの概要を説明したい。

ざっくり言うなら、「外に出す」ンゴマ(カヤンバ)も、徹夜でさまざまな憑依霊の歌を演奏し、ムウェレmuweleを踊らせる(憑依状態にする)という基本にはあまり違いはない。違いは、このンゴマには男と女の2名の施術師が必要であること(それぞれがムゥエレにとっての施術上の父と母ということになる)、このンゴマでムウェレに対してムルング子神の瓢箪子供(mwana wa ndonga)を授与すること、そしてムウェレに課せられる試練(試験 mutihaniという言葉もよく使われる)である。

瓢箪子供

  1. 瓢箪子供とは 瓢箪子供とは何か、については私が1992年に書いた論文『「子供」としての憑依霊 :ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼』に詳しい。ドゥルマ語に対する訳語にいくつか問題があるが(「呪医」は「施術師」に、「呪木(笑)」は「草木」に、「壺」は「鍋」に、など他にも読み替えるべきものがある)、分析そのものは現在でも妥当なものだと考えている。 簡単に言うと、それは瓢箪で作った子供である。乾燥した瓢箪の口を開き、中の種(「心、心臓 moyo pl. myoyo」)を取り出し、首(瓢箪のくびれたところ)にビーズ飾りを巻き、中に心臓(roho, moyo ムルングの場合、ムルングの草木の根で作った3種のパンデ4、施術師によっては鶏の心臓を入れる者もいる)、腸(uhumbo ムルングの草木を細かく砕いた香料3)、そして血(milatso ムルングの場合はヒマの油22)を入れる。 出来上がった瓢箪子供は、ムルングの子供であると同時に、ムウェレの子供として、「外に出す」ンゴマの終わり近くにムウェレに授けられる。ムルングに憑依されたムウェレ=ムルングであるので、ムルングの子供であり同時にムウェレの子供である事態がそこでは現実化している。

  1. 瓢箪子供の作成 瓢箪子供はンゴマに先立って作っておくことはできない。ンゴマが開かれる日の午後、ムウェレ夫婦によって口を開かれた瓢箪は、女性施術師とアテジ(ateji23)たちによって、首にビーズが巻かれる。この作業は歌を歌いながら行う。あまり丁寧にのんびりやっておられるので、ンゴマの開始が遅れるのではないかとハラハラするが、実際ンゴマの開始は大幅に遅れる。(施術師によっては、ここまではンゴマに先立って自分でやってしまう人もいる。それじゃあ駄目、という施術師も多いのだが。) [ムルングの瓢箪子供。ムルングが「外に出される」際に、憑依霊サンバラ人(musambala25)も一緒に出されることになっている。ビーズ飾りの赤と白のラインが憑依霊サンバラ人を表している。憑依霊サンバラ人は占いを担当する霊でつねにムルングと瓢箪を共有する。] 瓢箪の中に入れる「心臓」と「腸」になる草木は、ムウェレの母系親族(通常ムウェレの母の兄弟)とムウェレの父(あるいはその他の父系親族)によって、前もってそれぞれ用意されている。前者は「母系クランの草木 mihi ya kuche」、後者は「父系クランの草木 mihi ya kulume」と呼ばれる。草木はムルングの草木で、ムヴモ(muvumo26)、ムヴンザコンド(muvunzakondo51)、ムジョンゴロ(mujongolo, 別名 mutserere52)などである。ムウェレの母の兄弟も、父も、それぞれ主宰する施術師から指示されたとおりに、クハツァ(kuhatsa53)の唱えごとの後、所定の草木を折り、根を掘り出すなどして、施術師に渡す。そして施術師から、4シリングを受け取る。草木はそれぞれ一種類ずつでよく、また、同じ日に一緒に採取する必要もない。父系クランの草木と母系クランの草木の一部は、ンゴマに先立つ4日間の「鍋 nyungu」にも加えられる56 父系クランの草木と母系クランの草木の根はそれぞれパンデ4に整形され、残りの部分は細く削り取られて粗い粉末にされている。 ンゴマが始まる前に、瓢箪子供の「心臓(母系クランの草木、父系クランの草木それぞれのパンデ)」は施術師の指示に従って、ムウェレ夫婦によって瓢箪のなかに入れられる。(これも施術師によっては、自分でやってしまう人もいる。それじゃあ駄目、という施術師も多いのだが) ンゴマが始まると、しばらくして主宰する男女2名の施術師はンゴマの管理を、アナマジ、アテジたちに任せ、小屋に引っ込む。瓢箪子供を完成させるためである。二人は、母系クランの草木と父系クランの草木の粉末に加え、自分たちがもってきたムルングの他の草木で作った香料(mavumba3)を瓢箪子供の「腸」として入れ、ヒマの油(ムルングの瓢箪子供の場合)を瓢箪子供の「血」として加え、完成した瓢箪子供を乳香で燻しつつ唱えごと、その後、瓢箪の口にムルングの「黒い(実際には紺色の)」布切れを栓がわりに詰める。

  1. 瓢箪子供を隠す 瓢箪子供が完成すると、二人の施術師はンゴマの場に戻って、ンゴマを主宰する。明け方近くになって、施術師の一人はこっそりンゴマを抜け出し、誰にも見られないように瓢箪をもって近くのブッシュに隠しに行く。隠し場所は彼(あるいは彼女)以外、誰も知らない。 こうしてムウェレに対する最初のテストの準備完了である。 夜が明けると、ムウェレを囲んで再びムルングの歌が演奏され、憑依霊に充たされたムウェレは瓢箪子供を探しに行くよう言われ、キザ(chiza)の薬液(vuo)を頭から浴びて踊りながら、カヤンバ演奏者を引き連れて出発する。瓢箪子供を隠した施術師は同行せず屋敷に残る。もう一人の施術師はムウェレの少し後ろを行きながら、早く見つけろと急き立てつつ、首尾を見届ける。 瓢箪子供の在処は、憑依霊ムルングがちゃんと教えてくれるはずだという。瓢箪子供のなかの香料の香りが鼻のあたりにたちこめてくるのでわかるそうだ。
    [隠された瓢箪子供を見つけ出し、嬉しそうに抱いて帰るムウェレ] みごとに見つけて出して帰ってくると、ムウェレは瓢箪子供をキザの薬液で洗ってやり、ムルングの黒い布(負ぶい布)に包んで抱いて踊る。最初のテストに合格したわけである。

このテストは、ムルングを出す最初のンゴマでのみ行われる。それ以降の、他の憑依霊を出すンゴマでは行われない。

またこのテストに落ちても施術師にはなれるという施術師もいるが、異論もある。

第二のテスト

見つけ出した瓢箪子供を抱えてひとしきり踊った後に、ムウェレは今度はブッシュへ行って草木を採ってくるように言われる。ムウェレが出発すると、カヤンバ隊が続き、少し遅れて2人の施術師が、ヤシ酒とそれを注ぐ瓢箪を持ち、黒い鶏、白い鶏、黒いヤギ(ムルングの場合)を連れて続く。 ここでもムウェレは独力で草木を見つけ出さねばならない。ムウェレが重要な草木を見つけてそれを折り採ると、2人の施術師は地面にヤシ酒をたらし鶏の羽をむしりつつ、この草木をムウェレに与える旨唱えごとする。白い鶏は憑依霊サンバラ人の草木のための鶏で、黒い鶏は憑依霊ムルングの草木のための鶏である。黒いヤギは憑依霊ムルングの最も重要な草木に対するものである。鶏2羽は殺さずに持ち帰り、ムウェレの屋敷で飼い育てられる。憑依霊に捧げられた鶏なので、殺して食べたりはできない。ただ繁殖させる。 ムウェレが最も重要なムルングの草木(「最後の草木 muhi wa mwisho」と呼ばれる)をみごとに見つけると、2人の施術師は再び唱えごとをし、黒いヤギを供犠し、その血を瓢箪子供にかける。この黒ヤギは屋敷に戻るとすぐに、皮膚の痙攣している部分(choyo)を少し切り取って、瓢箪子供の中に入れる(それをしない施術師もいる)。

第三のテスト

首尾よく二つのテストに合格したムウェレは最後に占い(mburuga)の力を証明せねばならない。 ムウェレを再び座らせ、ムルングの歌を打つ。ムウェレの前に2人の人が進み出て、小銭をムウェレの前の編み袋(ムコバ mukoba17)の中に入れる。ムウェレは一切のヒントを与えられないまま、誰が病人で、どのような病気に苦しんでいるのかを言い当てねばならないとされている。

以上が、「外に出す」ンゴマにおいて何が行われるかについて、施術師たちが与えてくれる説明の概要である。 これだけ聞くと、施術師になるのはめちゃめちゃ大変そうである。

ンゴマ終了後

さて、ンゴマ本体はこれで終了となるのだが、その後でするべきことがいくつかある。

瓢箪子供を「産む」

まず第一に、授けられた瓢箪子供は、ムウェレの子供としてきちんと「産」んでやらねばならない。これは出産祈願の瓢箪子供についても同様である。

しかし「外に出す」ンゴマによって施術師になる者にとっては、この「産む」手続きにおいて間違いが起こると、それ以降の活動においても致命的になる。

「外に出す」ンゴマで瓢箪子供を与えられた者は、その日の宵に夫婦で(もし独身の場合は、ムニャジがそうしたように、金で雇った誰かを相手に)マトゥミア(matumia57)と呼ばれる無言の(厳密には寝台は使わず地面の上で、手も使わず、一回切り行う)性交を行なって、自分の瓢箪子供を「産」まなければならない。それが終わるまでは、ンゴマを主宰した施術者も、彼(または彼女)のアナマジ(anamadzi23)たちも性交渉を行なってはならない。瓢箪子供の持ち主のマトゥミアが済んだと告げられた後に、施術師が、そして次いでそのアナマジたちの性行為が解禁されていく。

万一、持ち主より先に施術師やアナマジが性行為を行なってしまうと、瓢箪子供は「追い越され」てしまい、もはや持ち主の子供ではないと言われる。それは文字通り壊れてしまう(割れてしまう)かもしれないし、そうでなくとも、その持ち主が癒やしの術を行えなくしてしまう(癒やしの術が「封じられた(wafungbwa)」とか「殺された(waolagbwa)」といった言い方で語られる)。

瓢箪子供の作成が長引いてしまうと、その危険が増すというので、瓢箪子供の作成は(それを入れるムコバ袋17の作成なども含めて)ンゴマの当日から、翌朝の瓢箪子供を受け取る時間までに全てなされねばならないとされている。とりわけ瓢箪の口が穿たれたときから瓢箪子供が追い越される危険が始めるとされ、それ以降の作成すべてがその日のうちになされねばならない。「外に出す」ンゴマがたくさんの作業で慌ただしいのはそのため。この慌ただしさを軽減するためか、ンゴマの前に瓢箪子供を完成させておくとか、ンゴマが終わったあとで施術師が持ち帰って、ゆっくり完成させるとかの手段に訴える施術師もいるが、それを「追い越し」の危険が増すとの理由で、強く拒絶する意見もある。

施術師の実地研修

ンゴマ終了後、新たに施術師の道を歩み始めた者は、ンゴマを主宰した施術師による実地教育を受ける。といっても一日だけの研修。

ンゴマを主宰した施術師は、ンゴマを受けた弟子をともないブッシュに行き、そこで「外に出された」憑依霊の草木を、ひとつひとつ示し、その使用法、加工法などを教える。これは憑依状態でではなく、言わば素面の状態でなされる。

  1. トゥシェに草木を示す

また弟子は、施術上の父や母の施術を手伝い、ときにはンゴマの差配を任されたりして、実地に癒やしの術の訓練を受ける。施術上の父や母の治療を依頼されることもある。完全に独り立ちの施術師として活動する以前に、こうした見習いの期間が続く。

  1. トゥシェ、施術上の母のために世界導師の「鍋」を据える

瓢箪子供と生きる

施術師として生きることは、彼(または彼女)が所有する数々の瓢箪子供たちと生きていくということである。これらは単なる瓢箪ではない。今やその施術師の「子供」となった憑依霊たちでもある。

瓢箪子供のなかの薬と香料、ヒマの油は切れないように注意し、ときおり注ぎ足してやらねばならない。中身のどれかが切れると瓢箪子供は「死んで」しまうかもしれない。夫婦のいずれかが浮気(婚外の性交渉)をもつと、瓢箪子供は泣き(その口からその内容物が自然に溢れ出る!)、場合によっては割れ壊れてしまう。瓢箪子供も、通常の人の子供と同様、所有者の浮気でキルワ(chirwa58)にとらえられる。

というわけで、瓢箪子供を授けられた夫婦は、その後、一切の婚外性交を禁止されてしまうことになる。

これ以外の原因でも万一、瓢箪子供が壊れると、再び「外に出す」ンゴマを開いて、その憑依霊についてすべてをやり直さねばならない。さもないとその施術師の癒やしの術(uganga)がすべて封じられてしまい、彼(または彼女)はただの病人に逆戻りしてしまう。

瓢箪子供との付き合いは、さまざまな制約の他に、物わかりの悪い、でもすごくパワフルで獰猛な子供たちと付き合うことでもある。チャリの説明にもあるように、ちょっと外出して帰りが遅くなるときなどは、いちいち瓢箪子供に告げて行かねばならない。さもないと瓢箪子供は、自分が嫌われ見捨てられたと思って「泣く」。最悪、壊れてしまうかもしれない。その他、夫が新しい妻を迎えるなどの際も、瓢箪子供に関係の変化を理解してもらうために、よく言い聞かせる必要がある。施術によって得た報酬はムコバ(mukoba17)のなかに収めて、みだりに使用してはならない。どうしても生計の足しになど、施術外の目的で使わねばならない際には、憑依霊にちゃんと説明し許しを乞うてから持ち出さねばならない。身内に死なれて悲しんでいるときにも、憑依霊にお前が嫌いになって悲しんでいるのではないとわからせるために、特別のンゴマを開いてやらねばならない。モンバサのような大都会に出るときには、憑依霊が自動車や町の光にびっくりして施術師を病気にしないように、よく言い聞かせねばならない。憑依霊との関係を続けることは、厄介で怒りっぽく、面倒な憑依霊との関係の中で、こうしたさまざまな制約を被りつつ、施術という仕事を続けていく生活を受け入れるということでもある。

「外に出す」ンゴマの事例

  1. ムニャジを「外に出す」ンゴマ

私が初めて見たムルングを外に出すンゴマ(太鼓中心+カヤンバ併用)

  1. メムァカを「外に出す」ンゴマ

私が二度目に見た、同じ施術師による、ムルングを外に出すンゴマ(カヤンバによる)

  1. トゥシェ(ウマジ)を「外に出す」ンゴマ

ンゴマに先立つ鍋治療から、ンゴマ開催後の「施術師教育」、施術師としての実践までカバーできた事例(太鼓中心、途中からカヤンバに移行) トゥシェを施術師にするまで」も参照のこと

  1. チャリの「重荷下ろし」とシェラ、ディゴ人、ライカを「外に出す」ンゴマ

私が初めてたちあった「外に出す」ンゴマは、すでに施術師を営んでいる人に、さらに追加の憑依霊(この場合は、シェラとディゴ人とライカ)を外に出すカヤンバであった。ライカ、シェラの「嗅ぎ出し」(kuzuza63)、徹夜のカヤンバ、シェラの「重荷下ろし」を含む、二日がかりの大きなンゴマ。ムルングで初めて施術師になる場合と異なり、隠された瓢箪子供を見つけるテスト、占いテストはなく、最後にそれぞれの憑依霊の草木を見つけ出すテストのみがなされた。

注釈


1 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術2においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba3)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande4)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu10)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
2 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
3 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
4 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符5。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
5 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata6)、パンデ(pande4)、ピング(pingu7)、ヒリジ(hirizi8)、ヒンジマ(hinzima9)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
6 ンガタ(ngata)。護符5の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
7 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符5の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
8 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima9)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
9 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi8)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
10 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza11、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
11 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya12)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu10)とセットで設置される。
12 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo13)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza11)と呼ばれるが)。
13 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
14 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
15 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)16であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
16 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba17)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)18や母(女性施術師の場合)19ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
17 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
18 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」16を参照されたい。
19 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」16を参照されたい。
20 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
21 コマ(k'oma)。「祖霊」。祖霊は夢に現れてさまざまなメッセージを子孫に伝える。子供を残した者のみが死後、祖霊になる。k'omaという言葉は「夢」ndoso の同義語でもある。コマの観念についての概略は浜本, 1992,「ドゥルマにおけるコマの観念」『九州人類学会報』Vol.20:30-51参照。ちょっと古いけど。
22 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
23 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ24)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
24 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
25 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
26 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ27と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo50の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
27 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu28」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
28 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ27)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola29)の対象となる。
29 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini30」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa3132と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume39)、カドゥメ(kadume41)、マウィヤ人(Mawiya42)、ドゥングマレ(dungumale45)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga46)、トゥヌシ(tunusi47)、ツォビャ(tsovya49)、ゴジャマ(gojama44)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu28」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」27)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
30 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola29)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
31 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa32)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola29)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち35)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba38)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu28)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni27)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini30)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
32 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」33など)を行うことなどを意味する。
33 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ34などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
34 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ33」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
35 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo36)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
36 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso37)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine35)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
37 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
38 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume39)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani40)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
39 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola29)もありうる。
40 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」1による鍋(nyungu10)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe14)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu7)。
41 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
42 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde43)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama44)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
43 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
44 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola29)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
45 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola29の対象になる)32。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
46 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
47 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine35)の一種という説と、ニューニ(nyuni27)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ48らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola29)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
48 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
49 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ27の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola29)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa32」。see p'ep'o mulume39, kadume41
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
50 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
51 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
52 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo50)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni27と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
53 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze54)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele15)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo55))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
54 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
55 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをkuhatsa53と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
56 瓢箪子供の心臓その他についての手続きの詳細は、施術師ごとにさまざまである。大きく鶏の心臓を用いる派と、草木を用いる派に分かれているようだ。草木を用いる派でも手続きの詳細はけっこう異なる。ここではChari wa Malauのやり方を示している。草木派のチャリとムリナは、鶏の心臓を用いることに独特の理由から猛反対している。
57 マトゥミア(matumia)。地面の上での手を使わない一回きりの無言の性行為。ドゥルマにおいてはマトゥミアはさまざまな機会に執り行われねばならない。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第8章〕
58 キルワ(chirwa)。動詞ク・キラ(ku-chira)「追い越す、凌駕する」より。典型的には、妻が妊娠中あるいは出産後に、夫あるいは妻が、妻や夫以外の相手と性関係をもつ(これは「外で寝る(ku-lala konze)」と表現される)ことによって、生まれてきた子供が陥る状態のこと。痩せこけて血管が皮膚から透けて見えるほど。元気もなく、弱々しく泣くばかり。右脚と左足が奇妙な形で交差しているのもキルワのしるし。夫あるいは妻は厳しく問いただされることになる。購入した家畜についても、夫や妻の浮気によってキルワになるとされている。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第9章,第10章〕参照のこと。憑依の文脈では、施術師のもつ瓢箪子供(mwana wa ndonga59)が、施術師本人やその配偶者の浮気によって陥る状態が、とりわけ問題になる。
59 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供60がある。瓢箪子供の各部の名称については、図62を参照。
60 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供59。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神61がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande4)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料3)、血(ヒマ油22)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
61 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza11)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる59。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている60。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
62 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
63 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri64)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika65)やシェラ(shera86)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri64)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza97)を施され、ンガタ6を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
64 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza63と呼ばれる手続きもある。
65 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi66)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka67) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri64)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi68など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo69,laika mukusi70など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe71, laika ra nyoka71, laika chifofo74など。(4) その他 laika dondo75, laika chiwete76=laika gudu77), laika mbawa78, laika tsulu79, laika makumba80=dena81など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze11)で薬液を浴びる、護符(ngata6)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza63)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
66 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
67 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
68 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni27)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
69 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
70 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
71 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira72)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka73)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
72 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
73 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
74 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
75 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi66)の別名ともいう。
76 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
77 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
78 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
79 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
80 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena81)の別名。
81 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari82)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande4)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
82 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)63」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena81が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee83)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande4には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
83 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo84)マンダーノ(mandano85)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
84 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
85 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
86 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)63、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす87)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku89)、おしゃべり女(chibarabando90)、重荷の女(muchet'u wa mizigo91)、気狂い女(muchet'u wa k'oma92)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma93)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo95、長い髪女(mwadiwa96)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba17)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
87 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo88)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
88 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
89 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera86)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
90 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera86の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
91 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ86の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
92 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ86の別名ともいう。
93 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera86)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo94))の別名ともされる。
94 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
95 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ86の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo94)の女性であるともいう。
96 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
97 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。