瓢箪子どもとは何か

(1989年11月17日の日記より)

カタナ君が、ちょうど小屋の前を通りがかったMurina氏に引き合わせてくれる。Murina氏は妖術の治療をする呪医。説明が上手で、礼儀正しいmutumia1だ。奥さんのChariは憑依霊の呪医だとのこと。ジャコウネコの池の坂を下ったmweha2のところを少し右に入ったところに小さな小屋をもっている。行ってみると、Chariは、なんと1987年にkalimboに連れられて占いmburuga3を打ちにいった際の女性呪医だった。私のことを覚えていた。ちょうどNgonzini4で治療をするからいっしょにくるかというので同行する。Ngonzini, Bekpwekpweの屋敷。帰宅は夜の8時になる。疲れたが、とても面白い経験。MurinaはJumma5の日はuganga6の仕事がないので話を聞くにはちょうどいいから、Jummaごとに来るといいと言ってくれる。ありがたい話だ。

これから長い付き合いになるMurinaとChariの施術師夫妻との最初の出会いである。そしてその日にいきなり同行することになったンゴンジーニでのカヤンバは、なんと、ムルング7に「鍋(nyungu12)」を差し出し、「手付の瓢箪子供」を示し、出産を祈願するためのカヤンバだった。ベクェクェの屋敷でのムルングの鍋と瓢箪子供のカヤンバ(ドゥルマ語テキストのみ)。

後日(11月24日)、ムリナ氏らからこの日のカヤンバについて、そして瓢箪子供について、いろいろ話をうかがった。以下はそのテキストの一部である。 ドゥルマ語テキスト(DB 1388-1411)

1388

Hamamoto: 先日のンゴンジーニでのカヤンバは、瓢箪子供(mwana wa ndonga24)を差し出すカヤンバだったんでしょうか? Bakari(B): そう、瓢箪子供を差し出すカヤンバだよ。 H: ところで、私は瓢箪子供がいったい何なのかまだ理解していないんです。 B: 瓢箪子供ってどういう意味か、かい? Murina(Mu): そこのところを探求しているのかい? B: そう、質問はあなたたちの場所ですよ、お母さん。あなた方は「瓢箪子供を差し出すとは、どういう意味ですか」と尋ねられています。うたた寝しておられるのですか? Mu: 瓢箪子供、その意味はまずはじめには、瓢箪(chirenje)25そのものだ。それは瓢箪と呼ばれます。しっかりと実になるとね。首をもった小さいやつ。さて、女性が憑依霊ムルングをもっているとします。ムルングこそ、その瓢箪(chirenje)でできた子供を欲しがっている者なのです。

1389

Hamamoto: ムルング自身が瓢箪を欲しがっていると。つまり彼女の子供を欲しがっている? Murina(Mu): つまり彼女の子供をね。さて、ムルングにこうやって(直接に手渡すように)渡すことはできない。まずお前はムルングにンゴマを打ってやらなければならない。ムルングのために鍋を設置して、歌とともに与えるのさ。あの人(ムルング)に対して私たちがやるあの仕方でね。彼女が到来するまで。私たちはあの子供(瓢箪子供になる瓢箪)を彼女に見せてやらねばならない。そもそもムルングが求めているのは、この子ですよとね。今日、あなたに差し上げます。ムルングにね。 Bakari: その子供は、ムルングの子供なんだよ。 H: その瓢箪がね。 Mu: そう。私たちはその子をあのムルングに、あの憑依霊に与えるのさ。さて、その後、ムルングがやって来ると、こちらでは彼女が(ムルングが)踊っている、太鼓が鳴っている、施術師が座っている、施術師はその子を差し出す。施術師は言う。さあ、これがお前の子供だよ。私があなたに調えて差し上げました、私の友よ。 H: でも、まだ何も入れられてないんですよね。

1390

Murina(Mu): まだ何も入れられていない。つまり、私たちは子供を祈願しているのだから。私たちは(ムルングに)その子を与える。そして、私たちの方では私たちの子供を祈願する。 Katana: まだ穴も開けられていない? Mu: まだ口も穿たれていない。 H: 口をもっていない? Mu: 口をもっていない。どうしてかって?まだ彼女のお腹のなかにいる、私たちが知らない人(生まれてくる赤ん坊のこと)を求めているんだよ。その子を祈願しているんだ。その瓢箪は、祈願の瓢箪(chivoyero, 動詞 ku-voyera「祈願する」より)と呼ばれる。私たちが今、私たちに与えられることを求めている、実際の人間の子供の祈願の瓢箪。その女性を塞いでしまっていたのは、ムルングなんだよ。さて、私たちは彼女(ムルング/ムウェレ)に対してンゴマを打つとき、それを終えると、私たちは唱えごとをするだろう。「子供はこの子です。私たちも子供がほしいのです」と。 H: あなたはムウェレに対して唱えごとをするのですね? M: そう、そのムウェレに対してだよ。

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Murina(Mu): 「私たちの方でも子供を欲しがっています。あなたの子供については、私たちは約束を果たしました。この子です。私たちも、私たちの子がほしいのです。ここで、云々の日に。」私たちは年(mwaka)を約束にします。あとは子供を見たら、です。 Hamamoto: つまりは、ムルングは自分の子供が欲しかったので、今その女性の子供を封じているのだと? Bakari: そう。腹を塞いだのさ。 Mu: そこで、私たちはそんなふうに祈願するというのさ。ムルングが彼女の腹を塞ぐのをやめてくれるようにとね。もしこちらで、その母親(患者)のもとで、子供が固まり、出産するときに、子供(瓢箪子供)が彼女(ムルング)の子供になりますようにと。さて、(人間の)子供が生まれたら、つまり、こうして子供になり、水を落とし(yudzegbwa madzi26)、つまり固くなり、ひよめきが閉じれば(字義通りには「鍋に蓋がされれば(kufinika dzungu)」、私たちは再度ンゴマを開催しに来るんです。この子供(瓢箪子供)を本当に差し出すためのね。ここで、私たちはその子の口を穿つんですよ。この子の口を開いて、薬を入れるんだよ。今や、布のなかに、生まれてきた子供を背負うための布に入るようにね。

1392

Hamamoto: 薬(mihaso27)を入れるんですか? Murina(Mu): そう。薬とヒマの油だよ。そして、私たちはンゴマを打つ、ムルングが到来するまで。そしてムルングにまずあちらの子供を見せる。あの歩く方の子供をね。 H: 生まれてきた赤ん坊を見せるんですね。 Mu: あの歩く子供を見せる。この子供(瓢箪子供)がこの相棒を養うように、とね。こちらの瓢箪(chirenje)の方の子供は、こちらの(生まれてきた)子供がこうしてこの子のように固くなるまでは、外に出ないんだ。さあ、今や、(子供を産んだ母親に)2人の子供(背中に背負った子供と瓢箪子供の)の世話をしてもらいましょう。子供を養い、子供に乳を飲ませ、上手に育てますように。あんたは、彼女(赤ん坊の母親/ムルング)にこんな風に唱えごとします。彼女(母親/ムルング)に彼女の瓢箪(chirenje)を与え、彼女はそれを(赤ん坊を背負う)布のなかにくくり付ける。おぶい布(mukamba28)の中にね。あの子供を背負うためのね。 H: あの赤ん坊を背負うためのやつですね。 Mu: そう。布の端のほぐれた部分をこんな風に折り返してね、そこに瓢箪を入れるのさ。瓢箪子供が、前に来るように。

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Hamamoto: ああ、背中に背負うんじゃなくて? Murina(Mu): そう。背中にいるのは、あの本物の子供の方。でもこの子(瓢箪子供)の方はこちら(胸のところに)だ。彼女(母親)がこの子(赤ん坊の方)を授乳するために布からほどくとき、瓢箪の方はこのあたりに垂れ下がる。さあ、こんな風に私たちはムルングに子供を与えるんだよ。子供は瓢箪の子供。畑にある瓢箪そのもの。それを私たちはムルングの子供に作るんですよ。 H: そんなわけで、ムルングはついに自分の子供を手に入れる。 Mu: 自分の子供を手に入れたというわけ。 Bakari: さて、あんたカリンボさん、もしもう少し長くここに滞在できたら、きっとあの女性が本当に妊娠するのを見ることになっただろうね。 H: ムルングが本当にあの女性をとき解くだろうというのですね。 Mu: とき解くとも。そして彼女は子供を産む。彼女が子供を産めば、私たちはもう一度ンゴマを打つ。あの子供の口を穿ち、薬を入れて、本物の子供にするんだよ。

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Katana: ところでその子(瓢箪子供)にはビーズ飾りはあるんですか? Murina: ビーズを紐にとおしたものだけ、それも一本だけね。白と黒(紺色)のビーズをその首のところにね。


(以下の私の質問は、うまく伝わっていないようで、答えも意味不明。) H: Chikala ye muchetu achivyala, phanjine yunahenza mwanawe kahiri, sambi undamupha chirenje kahiri? M: Ni chiratu, chiratu ndo chindakpwenda humbulwa tundu, chitiye ushanga sambi, chitiywe mafuha, ndo chitiywe mihaso, ndo ahewe kahiri sambi. Phamwenga na huya munjine yendakala yudzimuvyala. B: Muratu mulala mo yuyatu muchetu. (その後、読み直して理解が出来た。私は、その当時、「最初の子供が生まれるようにと瓢箪子供がムルングに差し出される、ではさらに2番目の子供を欲しくなったときには、もう一つ瓢箪子供を作る必要があるのか」という質問をしたつもりだった。私は当時、一つの瓢箪子供が、その女性に生まれるそれ以降のすべての子供を守る存在になるという点を理解していなかった。それに対してムリナ氏らは、「その母親が現有の瓢箪子供に加えて、もう一つの瓢箪子供を欲しくなった場合にはどうするのか」という意味で私の問を受け取った。そこで単に、もう一つの瓢箪子供を作る手順について説明してくれたのだ。実際には、まず起こらないことだが。Dec.2024)


Mu: そんな風に、まだ口を穿ってないうちは、瓢箪を寝台に寝かしてはいけないんだよ。それは、ここ、寝台の脚の地面のところに置かれている。 H: 寝台の下の空間にですか? Mu: 寝台の下に、布といっしょにね(布を敷いて)。寝台の中には上げてはいけない。もしそれが(寝台に)上るとすれば、相棒の子供ができてからだ。

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Hamamoto: 布だけですか? Mu: そこに布だけでね。こんな風に(物を頭に乗せて運ぶ際に頭に置く、布をぐるぐる巻いて作った)カーハ(k'aha29)のように巻き付けて、その中に座らされる。 Chari: 黒い(実際には紺色)ムルングの布だよ。瓢箪はずっとそこにいる。その女性が妊娠し、子供が固まり、彼女が出産し、そして生まれた子供が寝台に入るようになるまで。そのとき、瓢箪も地面のその場所から離れて、その相棒の子供といっしょになる。ずっと(瓢箪は)そこ(地面の上)にいる。でもまだ子供にはなっていない。その相棒(生まれてきた子供)には口があるけれど、この子にはまだ口がない。さて施術師は待ち構えている。口を穿ちにやって来る約束の日を。こちらの子(赤ん坊)と同じように、この子もまた口をもつようにとね。だってもし口を穿たないでいると、こちらの子も言葉が喋れなくなるんだよ。さあ、やって来て口を穿ってもらう。この子にも言葉を与えるのさ。穴を開けて、心臓(mioyo=種)を取り出し、さあ、草木の心臓と油を入れてあげる。ンゴマを打って、さあ、ムルングに子供を与えてやる。理解できたの、でも? H: はい、よくわかりました。

1396 ドゥルマ語テキスト

Katana: さて、私も質問があります。瓢箪の中に入れる品物(viryangona pl.of chiryangona30)には何がありますか? Murina(Mu): 瓢箪の中に入れるのは、ムルングの草木とあのヒマの油だけだよ。それとムルングの香料と、ブバ(buba31)、ルワフつまりカキリ(kachiri32)、以上。 K: 鶏のものは含まれない。 Mu: ないよ。 Bakari(B): え、中に心臓はいれないの? Mu: 本当の規則はね、肉という名のものは入れないというもの。ムルングの規則さ。ムルングが言うには、瓢箪の中には肉と名のつくものは入れない。草木のマパンデ(mapande15)だけ。ムェレケラ(mwerekera33)、ムヴンザコンド(muvunzakondo34)、ムジョンゴロ(mujongolo114)。 B: ほかの施術師は、鶏の心臓を入れるよ。 M: ムルングの草木、ナンバーワンだけ。ムジョンゴロ、ムヴンザコンド、ムェレケラ。 Hamamoto(H): ってことは、鶏の心臓は入れないと?

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Murina(Mu): 草木こそが心臓だよ。お前は草木の小片(chipande)を切削して、それを心臓として入れるのさ。でも、このあたりでは(施術師たちが)鶏の心臓を入れているのを見たよ。 Chari(C): でもあんた、どう思う?施術師たちの多くがそんな風に心臓を調えて、人(ムウェレ)が外に出されて、翌日には占いが打てないというのを。もう普通の人にすぎないのを。癒やしの術はそこにはない。やったことと言えば。そもそもムコバ(mukoba105、施術師の袋)には生の肉を入れちゃいけないのは、なんのためだと?ムコバには生の肉を入れるものではありません。なのに、瓢箪子供には、あなたは生の肉を入れる。さあ、それでいったい何をしようというの?その瓢箪子供を与えられた女性は、ごらんなさい、子供を産めないから。 Mu: だって、その心臓は腐ってしまうからね。私はまさにそのことでムロンゴ(近所にいる施術師)を問い詰めたことがある。私は言ったね。もし瓢箪子供をそんなふうに差し出すとしたら、鶏を屠って、それを取り出す、つまりそいつ(鶏)を割いて、死んだ心臓を取り出すわけだ。そしてそれを息をしているもの(生きている)子供に入れると。それって死体だろ。死体が歩くのを見たことがありますか?死体が薄粥(muswa)を食べますか?

1398

Bakari: もう一人の方(生まれてきた子供)は薄粥を食べる。その子は。 Murina(Mu): 何をしたのか。(鶏の)心臓を取り出し、行ってあちらに入れる。こっちの鶏は死ぬ。必ず死ぬ。だってもう屠られているんだから。まだバタバタしているときに、心臓を取り出される。私はムロンゴに言ったね。あんたは先のないステップをとってしまっていると。私はあなたに言いたい。あの子供(瓢箪子供)、あんたはその心臓(瓢箪の種)を取り出した後、あの鶏の心臓を取り出し、それを瓢箪子供に入れた、こちらの瓢箪に。それを瓢箪の心臓にした。あちらの鶏はといえば、すぐに死ぬだろう。(瓢箪に入れた)あの心臓も、鶏同様に死んでしまうだろう。さて、このことでどんな健全さがあるというのか。その日は、大喧嘩さ。 Chari: あなたは死んだ心臓を入れる。あなたは腹の中の子供を求めている。問題がないと?

1399

Murina(Mu): 最善は、癒やしの術の草木を探すことなのさ。 Chari: あなたが外に出された際の草木ね。 Mu: あなたが外に出された際のです。それを小片(pande15)に、中に入れることができるサイズに切り削りなさい。そしてそれらのパンデだけど、まずお前、夫から始めて、次いで奥さんに続いてもらう。あなたがた二人であなた方の子供(瓢箪子供)に心を入れるですよ。最後まで。終わりましたか?そこで今度は施術師が、香料を入れます。施術師のすることは、香料、それと薬(mihaso)だけです。

(瓢箪子供を産むこと) ドゥルマ語テキスト

C: このあたりでは、瓢箪子供の口を穿つのも施術師ですね。(ムリナとチャリによると、瓢箪子供の口を穿つのも瓢箪子供を与えられる夫婦の仕事) Mu: パンデは、お前と妻とで入れる。もしお前が瓢箪子供のもらい手ならね。あんた方はあんた方の子供を与えられるんだから。さらに、その瓢箪子供が今日、差し出されるのなら、それがすでに一昨日に口を穿たれていたなんて、とんでもない。それ(口を穿つのも)今日、その日じゃないといけない。今日、調えられて、今日完成し、今日差し出されなければならない。 というのも、私(施術師)のところに(与えられた瓢箪子供を)もってきてよ、私がゆっくり完成させますから、なんて規則破りは、なし。あんた(施術師)(性交を)しないでいられるかい?

1400

Murina(Mu): だって、私がおまえ(施術師)に渡しちゃったらね。私はお前を短く縛っておく(ヤギをつなぐロープを短くして、ヤギが草を食べられないようにするように、私はお前をお前の妻に近づけないようにする)ことになる。私の日時が来るまでのあいだ、お前がお前の妻に擦り寄らないようにな。万一、お前がお前の妻と一緒にいて、瓢箪子供を「産んで」しまったら、お前は瓢箪子供を「追い越してしまった」ことになる。 それはもう私のものではなく、お前のものになってしまう。瓢箪子供のきまりさ。なのにこの辺り(の間違ったやり方)では、(施術師の)施術上の子供たちは、先に行くように言われて、施術師のところに行ってしまう。結果、あとで私のところで厳しく問い詰められることになる。というのも、人は規則について彼に尋ね、(私のところに彼をひっぱてきて)そこで彼が(厳しく責められて)身動き出来なくなったりするんだよ。 Bakari: そいつ(その施術師)の癒やしの術が問題だらけだとわかるわけだ。 Mu: (施術師に向けての語り)さて、私はお前にこの瓢箪子供を求めた。そしてそれには名前がある。我が子という名前がね。私が、お前に私のためにこの瓢箪子供を産んでくれるよう望んでいると思うかい(ありえないだろう)?さて、私はお前に時間を与えてやろう。お前はそれと(その瓢箪子供と)一緒にいて良い。2週間(ドゥルマでは8日間)ちょうどだ。なぜなら、お前はゆっくりと仕上げると言うんだから。(ただし)お前は私を(私自身が私の妻とその瓢箪子供を産むのを)待たなければならない。お前我慢できるかい?

1401

Bakari: 我慢しないだろうか? Murina: そりゃお前は、お前の妻を触りまわるに決まっている。もしお前が妻を触り触りしたら、もうお前は間違いを犯してしまっている。お前は私に、私のものではない、お前の子供を渡しに来ることになる。私に対してこの我が子で間違いをしでかしたことになる。私は嫌だね。だから、この日の内にだ。もしお前が遅れたとしたら、それはお前の問題だ。私の知ったことではない。でも私は、明け方の冷たい空気の中で、私の子供が欲しいのだ。私に瓢箪子供を渡せ。夜が明けたときには、お前はすでに私に子供を渡し終えていてほしい。その後に黒いビーズを付けるとか、なんとか。しかし私は私のスケジュールどおりに事をはこんでほしい。でも、その挙げ句、私は面倒なやつとか言われるのさ。 Chari: その手の癒やしの術は自ずと失敗するのさ。 Mu: 癒やしの術とはこういうものだ、でも癒やしの術は重い(困難だ)。この頭の中に癒やしの術を運んでいくのは、重い。その道はとっても難しい。 C: あなたは、もう処置しましたという。さあ、お踊りなさいな。 B: そしてその「もう処置しました」の言葉が、だめになる。

1402

Chari:(私に) でも、あんた癒やしの術の物語(stori)をたどるというのなら、ああ、癒やしの術はとっても難しい学問(chisomo chikali)だよ、あんた。 Hamamoto: はい。ところで... Murina: 施術師は言う。ムコバ(mukoba編袋105)も今日、瓢箪も今日、瓢箪を入れるためのムコバそのものも今日。そして瓢箪類もすべて今日。明日には、これは、午前5時には、すべてのものが、用意されてなければならない。 C: というのも、このムコバにしても、編み始めもその日になってから。そしてその日のうちに終わらせねば。 Mu: 編み手(縫い手)も、あんたたち二人、二人。あるいは三人、三人。でもそれを終わらせること。それに網籠も。 Katana: それに瓢箪を準備する人たちも。つまり瓢箪にビーズ飾りを巻く人たち。 Mu: 今日中にだ。一日のうちにだ。 Bakari: そもそも施術師が到着するときには、すでにアナマジ(anamadzi117)たちといっしょに来るからね。 C: 癒やしの術は大変なんだよ。

1403

Murina(Mu): さて、彼らの様子を見たら、彼らには出来ないことがわかる。その今日、この日のうちにの作業が。そして台無しに転落。それは困るんだよ。規則は、今日のうちに調えよ、なんだよ。 Katana: そいつらは近道をとろうとする。 Mu: その近道というのが、そもそも間違い。お前さんのアナマジたちは信用できない。今日は調える日。ンゴマは明日、明後日に。なんて私は信用できない。もしかしたら、お前さんも、もうごまかそうとしている。お前さん、施術師がね。だって、お前は癒やしの術のスタイル(sitaili)を知っているから。一人のムァナマジ117でも、ここで過ちを犯すに決まってるんだから。自分たちの家に行って、そこで誰かと過ごすかもしれない。あるいはこちらに(相手を)呼んで、示し合わせた場所で一緒に過ごすかもしれない。あんたが彼らに家に行ってくる許しを与えるかもしれない。そこで彼らは間違いを犯すだろう。そんな風に彼らが事を駄目にしてしまうのさ。何を欲すればいいんだろう?(ンゴマが)終わったら、自分たちの瓢箪子供を自分でもって帰るのさ。あんたはあんたの妻とともに帰る。もう癒やしの術は与えられている。するべきことも告げられている。大事なのは、そこにいた連中によってあんた方が「追い越されない」ようにすることさ。あんたたちの瓢箪子供がね。

1404

Katana: あなた方が最初の者になりなさいと? Murina: そう。あなた方が最初の者でなければ、あなた方が。たとえあの連中全員(ンゴマに従事した施術師やそのアナマジたち全員)が彼らのそれをしようともね。あなた方がすでに先行している。もし遅れたら、あなたは「追い越」される。 K: たしかに追い越されるね、そして駄目にされる。 Mu: 癒やしの術は重いんだよ、あんた。多くの人は、それにかなわない。 Bakari: あなた方は困難をかかえている。 Mu: なぜなら、癒やしの術には禁止があるからね。この癒やしの術には、あんた。ところで、カリンボ(私のこと)、お前の質問なんだっけ? Hamamoto: はい。もし、瓢箪子供を与えられた女性が、子供を順調に産んで、たくさんの子供をもったとします。そうしたら、その瓢箪子供の仕事は終わったのでしょうか。その女性は、それを捨ててしまってもいいのでしょうか。あるいは放置しても? Mu: 放置しちゃいけないよ。だってそいつ(瓢箪子供)は彼女の子供なんだから。誰それさんの子供だったんだから。さて、私たちはンゴマを打って、子供を祈願しました。そしてその瓢箪子供は、彼女が子供を産むように、彼女のために道を解き開くための子供だったのだから。

1405

Murina: 彼女が出産するように、そしてもし彼女がその子(瓢箪子供)を大切に扱えば、彼女が完全に子供を産み終わるまで、彼女の生涯を終えるまで。彼女が大切に扱えば、その一人の子供(瓢箪子供)がだよ。もし瓢箪子供を壊してしまったら、彼女は(施術師に)来てもらってもう一人、調えてもらわねばならない。もっともそう簡単には壊れないんだけどね。 Bakari: 施術師のところに行かなけりゃならない。 Mu: それも、簡単には壊れないんだよ。壊れるといえば、もしお前がその子が壊れているのを見たら、それは何か問題があるってこと。 B: 何か過ちがおきたってこと。 Mu: だって、お前がその子を落としても、その子は壊れないもの。でもその子の相棒(一緒に生まれた実際の子供)につかまれて、(地面に)ブウェ、ブウェ、ブウェって叩きつけられたら、壊れるかもしれないけど。でもお前(瓢箪子供を授けられた女性)自身、(それを結びつけている)布からはずれて、その子を落としちゃったとしても、その子を見てもまったく無事だろうよ。(中の)ヒマの油すら漏れない。たとえ、こんな風になっても、油はこぼれない。

1406

Bakari: こんな風に逆さになっても、地面の方に向いてもね。 Murina(Mu): その子の首が折れているのを見たら、お前、その子の父親がその子を追い越した、あるいはその子の母親がその子を追い越したってことだよ。お前がブッシュで(妻以外の)別の女性といっしょにいる(性関係をもつ)。そして家に着くと、その子(瓢箪子供)の首は本当に折れている。 B: 家の中にいたその子の首が折れている。 Katana: つまり、その瓢箪子供って、もしあなたの妻が瓢箪子供を作ってもらったら、あなたは「外の妻(muche wa konze[^muche_wa_konze])」と性関係をもちにいくことは出来ないというんですか? Mu: 絶対に外に行かない(妻以外の女性との関係を持たない)。 K: 絶対に?そして妻の方も同様に? Mu: 妻の方でも同様さ。 B: だから施術師も(瓢箪子供を「外に出す」ンゴマで与えられている以上)、外には行かないのさ。彼自身の妻とするしかない。彼の妻も外には行かない。

1407

Murina: 私は外には行かない。私が施術師に課す禁止事項は、彼が私に瓢箪子供を与えたら、その後、彼は私よりも先にやってはならない、です。 Bakari: なぜなら規則は、最初にお前が「産むこと」を始める、だ。その施術師がじゃない。 Mu: (施術師が授けられた者の夫に言う)まずお前が行け。そして事を終わらせなさい。そして私に(私自身がする)機会をください。(施術師は)じっとしている(妻との性関係をひかえている)。ずっとじっとしている。その施術師は。さて、お前はやるべきことをやって、すでに終わっている。さて、お前の施術師に譲りに行け。施術師が今度は(その妻と)ことを行う。それが済めばおしまい。お前の方では、彼を咎める理由はなくなる。今や、間違いが起こるとすれば、それはお前自身の問題だ。 Katana: でもその施術師は? Mu: 彼にはもう何の問題もない。自分の屋敷にいて、お前にすでにちゃんと(瓢箪子供を)授与済みだ。今後、彼がどこへ行くかだって?彼の勝手さ。でもお前、この瓢箪を与えられたお前。そしてお前の妻。そう、あんた方二人は、その瓢箪を与えられた。もしあんた方が瓢箪子供に間違いを犯せば、それまで。あんた方はまたあちら(施術師のところ)に戻らねばならないだろう。だって、瓢箪子供は壊れちゃったんだから。

1408

Hamamoto: 瓢箪子供は、どんな風に壊れるんでしょうか? Bakari: 首が折れるのさ。 Murina(Mu): すっかり割れてしまう。 B: 真ん中で割れるのさ。 K: つまり、もし... Chari: 壊れないとしても、必ず油が溢れてくる。 Mu: 幸いに壊れないとしても、油が全部流れ出てしまう。その子は吐き続けるばかり。ずっとぶくぶく。すっかり無くなってしまうまで。 B: 油が上ってくる。 Mu: 後にはただの瓢箪(chirenje)だけが残るのさ。 K: そんな風に教えるのさ。 C: その子は泣いているんだよ。 H: 油がこぼれることが、泣いているということ。なるほど。

1409

Katana: で、もしその女性が閉経すれば、子供を産むのを止めれば、その子供(瓢箪子供)は、相変わらず彼女といっしょにいるのですか? Murina(Mu): ああ、それまでだよ。もし彼女が閉経すれば、そう、その子(瓢箪子供)もいなくなる。 Bakari: つまりもう子供を産まなくても良くなれば。 Hamamoto: そのまま寝台の上にいるってことは、その子は? Chari: そう、寝台の上にいる。 Mu: その子はそこ、寝台にいる。その子は、今や、(彼女が産んだ)歩く子供たちを育てている。すでに彼女が産んだ子たちをね。今や、この子(瓢箪子供)は彼らの守護者なんだよ。 C: (瓢箪子供は)彼女自身も護るんだよ。 H: じゃあ、その女性が死んだら、その瓢箪子供はどうされるんですか? M: 彼女が無くなったら、その子供は、その心を取り出されます。施術師自身によってね。(巻いてある)ビーズ飾りも全てほどかれます。中身をすっかり全て吐き出させられます。だって、もう所有者はいないんですから。

1410

Hamamoto: 「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」を打つ必要はないのでしょうか? Murina(Mu): その当日には大いに打たれますよ。カヤンバは打たれます。それは「悔み(pore)」のカヤンバですよ、それは。彼女(死んだ女性)のために服喪(hanga)が開かれるじゃないですか。さあそこで、その子はビーズの紐を切られるんですよ。 Katana: でも、(死んだ女性が)施術師じゃなかった場合でもでしょうか? Mu: ビーズの紐は切られるし、心は取り出されます、すべて。施術師じゃなければ、カヤンバは打たれません。 K: でもその瓢箪子供の持ち主の女性に対しては、カヤンバは打たれないと? Mu: (ビーズ紐は)切らねばなりません。施術師たちがビーズ飾りを切って、(瓢箪のなかの)薬を全て取り出さねばなりません。 K: でも、(カヤンバを)打たないといけないのは、施術師ですね。 Mu: 施術師にはカヤンバが打たれねばなりません。というわけですよ、カリンボ。説明は以上です。

注釈


1 ムトゥミア(mutumia, pl.atumia)。「長老」と訳すが、結婚した者はmutumiaであるので、必ずしも高齢者を意味する言葉ではない。
2 ムウェハ(mweha)。雨季にのみ水が流れる程度の小さな川。mwehaniはそうした場所を示す副詞。
3 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガをすることをドゥルマ語ではムブルガを「打つ(kupiga mburuga)」と表現する。相談者が占いに相談に行くことを婉曲的に「山に行く(kpwenda vilimani)」と言う言い方もある。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。占いに行く者は、必ずしも病人、あるいはトラブルの当事者本人であるとは限らない。むしろ事情に詳しい代理人が行くのが普通である。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、まず問題を抱えているのが男性であるか女性であるか、大人であるか、子供であるかを当てねばならない。次に自ら患者(あるいは問題の当事者)の抱えている問題を、それが病気であれば、頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、生木の小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、どのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
4 ンゴンジーニ(Ngonzini)。地名。私の小屋の近所の「ジャコウネコの池」の街道分岐点から3キロほどの村域。
5 ジュマ(jumaまたはjumma, pl.majuma)。「週」「4日間からなる週の最終日」。この日は一切の農作業をしてはならないとされてきた。また施術師もこの日は施術は行わない。詳しくはドゥルマの月日の数え方
6 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
7 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)8との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
8 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza9)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる13。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている14。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
9 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya10)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu12)とセットで設置される。
10 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo11)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza9)と呼ばれるが)。
11 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
12 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza9、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
13 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供14がある。瓢箪子供の各部の名称については、図23を参照。
14 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供13。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神8がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande15)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料21)、血(ヒマ油22)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
15 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符16。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
16 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata17)、パンデ(pande15)、ピング(pingu18)、ヒリジ(hirizi19)、ヒンジマ(hinzima20)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
17 ンガタ(ngata)。護符16の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
18 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符16の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
19 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima20)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
20 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi19)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
21 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
22 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
23 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
24 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供14がある。
25 キレンジェ(chirenje)。瓢箪の実、瓢箪で作られた容器。瓢箪を含むウリ科の植物はムレンジェ(murenje)と総称されるが、その実についてはそれぞれ別の言葉がある。瓢箪はキレンジェ。なお施術師が用いる治療のための瓢箪にはンドンガ(ndonga)という特別な名前が与えられている。
26 ク・グヮ・マジ(ku-gbwa madzi)。字義通りには「水を落とす」だが、赤ん坊の成長段階で、生まれて数日後に身体の皮膚の色が濃くなる段階を指す。
27 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
28 ムカンバ(mukamba pl.mikamba)とは、片方の肩に掛けて赤ん坊を背負い、胸の前でくくる「おぶい布」のこと。 任意の長方形の布(レソlesoとして2枚一組で売られているものが多い)が用いられるが、瓢箪子供(chereko)による赤ん坊の場合はムルングの布(nguo ya mulungu)あるいは黒い布(nguo nyiru)とよばれる紺色の布が用いられる。瓢箪子供はこの布の一方の端、胸の前で結ぶ部分に結び付けられている。
29 カーハ(k'aha, pl.k'aha)。物を頭にのせて運ぶ際に頭にのせる、縄や布を環状に巻いて作った当て物、パッド。スワヒリ語でいうカタ(kata)。
アフリカフェ@バラカ(https://africafe.jp/news/12182) より引用
30 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。憑依霊が宿主に要求する品々も、患者の病気の治療に必要な品物ということで(それらの品々を憑依霊に与えることが治療になる)キリャンゴナと呼ばれることがある。いずれも治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。
31 ブバ(buba)。カキリ(kachiri32)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。物質名、原料名は不明。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。
32 カキリ(kachiri)。ルワフ(lwahu)ともいう。ブバ(buba31)とともに、憑依霊ドゥルマなどの香料の成分のひとつ。インド料理に用いられる香辛料のkachri powderと思われる。キナンゴの店で普通に売られている。ほんの少量で5シリングする(1991)。kachiriとlwafu(luafu)は別の香料だと言う人もいる。
33 ムェレケラ(mwerekera)。ムルングの草木。未同定。おそらく動詞ク・エレカ(kpwereka)「背負う、おぶう」のprepositional fromに由来。kpwereka は子供を背中などに背負って運ぶ動作を示す動詞であるが、そのcausative であるkpwerekeza には「狙いを定める、道を示す」の意味がある。
34 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius(Pakia&Cooke2003b:393)、ムルングの草木。ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。別名ムスカウォンゴ(musuka wongo35)。テゴ(t'ego113)のような妖術の治療での煎じ薬の成分にもなる。
35 ムスカ・ウォンゴ(musuka wongo)。ニャリ(nyari36)、デナ(dena85)の草木。ku-suka「揺らす」wongo「脳」。Allophylus rubifolius, Allophylus pervillei(Pakia&Cooke2003:393)。ムヴンザ・コンド(muvunzakondo[^mvunzakondo])の別名。
36 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)37」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena85が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee107)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande15には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
37 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri38)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika42)やシェラ(shera86)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri38)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza106)を施され、ンガタ17を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
38 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術39)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza37と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
39 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ38は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine40)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
40 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo41)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
41 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso27)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine40)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
42 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi43)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka44) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri38)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi48など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo73,laika mukusi74など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe75, laika ra nyoka75, laika chifofo78など。(4) その他 laika dondo79, laika chiwete80=laika gudu81), laika mbawa82, laika tsulu83, laika makumba84=dena85など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze9)で薬液を浴びる、護符(ngata17)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza37)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
43 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
44 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi45)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
45 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao46))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka44)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
46 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi45)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine47)に数えられることも。
47 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ40もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
48 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni49)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
49 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu50」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
50 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ49)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola51)の対象となる。
51 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini52」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa5354と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume58)、カドゥメ(kadume62)、マウィヤ人(Mawiya63)、ドゥングマレ(dungumale66)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga69)、トゥヌシ(tunusi70)、ツォビャ(tsovya72)、ゴジャマ(gojama65)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu50」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」49)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
52 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola51)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
53 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa54)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola51)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち40)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba57)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu50)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni49)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini52)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
54 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」55など)を行うことなどを意味する。
55 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ56などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
56 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ55」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
57 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume58)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani59)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
58 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola51)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
59 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」60による鍋(nyungu12)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe61)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu18)。
60 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術6においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba21)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande15)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu12)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
61 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
62 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
63 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde64)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama65)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
64 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
65 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola51)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
66 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola51の対象になる)54。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama67
67 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu7)の草木、ドゥングマレ(dungumale66)、ニューニ(nyuni49)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala68)に同じとも。
68 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama67とも呼ばれる。ムルング78、ドゥングマレ(dungumale66)、ニューニ(nyuni49)の草木。
69 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
70 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine40)の一種という説と、ニューニ(nyuni49)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ71らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola51)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
71 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
72 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ49の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola51)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa54」。see p'ep'o mulume58, kadume62
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
73 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
74 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
75 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira76)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka77)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
76 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
77 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
78 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
79 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi43)の別名ともいう。
80 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
81 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
82 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
83 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
84 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena85)の別名。
85 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ42と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari36)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande15)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
86 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)37、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす87)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku89)、おしゃべり女(chibarabando90)、重荷の女(muchet'u wa mizigo91)、気狂い女(muchet'u wa k'oma92)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma93)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo103、長い髪女(mwadiwa104)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba105)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
87 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo88)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
88 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
89 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera86)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
90 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera86の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
91 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ86の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
92 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ86の別名ともいう。
93 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera86)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo94))の別名ともされる。
94 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo95, mupweke96, mutundukula97, mupera(mpera98), manga99, mbibo(mubibo100), mukanju(mkanju101)
95 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
96 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
97 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
98 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
99 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
100 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)101、muk'orosho(mkorosho)102。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
101 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo100を見よ。
102 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo100を見よ。
103 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ86の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo94)の女性であるともいう。
104 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
105 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
106 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
107 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo108)マンダーノ(mandano109)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
108 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
109 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ110とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ86の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
110 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera86)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza37)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)87」、「外に出す(ku-lavya konze111)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki112
111 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
112 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero110)の草木。
113 テゴ(t'ego)。男性性器からの膿と痛みを伴う症状。妖術 utsai あるいは呪詛 chirapho によって引き起こされる。ku-hega t'ego 姦通の防止に夫が妻の性器に仕掛けた呪詛 chirapho、もし他人がこの女性と寝ると t'ego になる。t'ego にはさまざまな種類がある。例えば t'ego ya diya 「犬のテゴ」妻の不義を防ぐため部屋の入口にしかけ、もし誰かが妻と性交すると、彼の性器はワギナに挟まれて抜けなくなる、など。
114 ムジョンゴロ(mujongolo)。ジョンゴロ(jongolo)はアフリカオオヤスデ。ムルングの草木。別名はムツェレレ(mutserere115)。動詞ク・ツェレラ(ku-tserera)「降りる、下がる」より。学名Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003b:391)。
115 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo114)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo116)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni49と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
116 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
117 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba105)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)118や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)120ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo11)や鍋(nyungu12)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)121124に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ125)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
118 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」119を参照されたい。
119 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba105)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)118や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)120ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
120 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」119を参照されたい。
121 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu,mbumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri122)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira123)」と呼ばれることもある。
122 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。別名 mutsongo。
123 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ124の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(121)、カヤンバ(124)と同じ意味で用いられる。
124 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti122)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira123)」と呼ばれることもある。
125 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。