タンザニアとの国境近く、ルンガルンガ方面への3泊4日の調査旅行を終えて、翌日レンタカーも返し一息ついたと思ったその翌々日に、チャリから1月23日に彼女の祖父デレ(Dele)の祖霊のためのサダカ(sadaka1)を開くことになったので、同行しないかとの誘いがあった。急遽、決まったサダカだった。
サダカ(sadaka, pl.sadaka)とは、スワヒリ語では「喜捨、施し、宗教的捧げ物、供犠」などを意味するが、ドゥルマでは、もっぱら墓場で徹夜の太鼓演奏などの後に、早朝に祖霊に対して行う、動物供犠を伴う饗宴を指す。これによって生者は死者に対して負っていた負債を返し、死者の怒りを鎮め、子孫たちの「つつがなきこと」を願う。この際に祖先に対して供される肉は塩を入れずに別鍋で調理され、子供たちによって墓場で食べ尽くされる。サダカは、すでに「熟した服喪(hanga ivu2)」を終えた祖霊に対してしか行うことはできない。サダカの様子については浜本, 1992,「ドゥルマにおけるコマの観念」『九州人類学会報』Vol.20:30-51も見られたい。
チャリから聞いたこのサダカの背景は以下の通り (1990/1/20 のフィールドノートより)7
チャリの MF9 Dele は呪医であった。彼はチャリが生まれたときにはすでに他界していたが、チャリの uganga10 はこの祖父の mukoba4を受継いだものであると考えられている。 チャリの病気、彼女に子供が生まれないこと、uganga の仕事がうまく行かないこと、これらの問題を mburuga11 に諮問した結果、彼女の祖父 Dele のせいであることがわかった。1988年のこと(当時、私は日本)。そのときチャリは Dele に雄山羊を一頭供犠することを約束する。チャリの家のDeleの chigongo cha k'oma12に対してkuhatsa14。 1989 年 mulamulo120 は再びさまざまなトラブルの原因に tsawe121 Dele を挙げた。 1990/1/20の朝、不吉な事件が起こった。mukoba4に白蟻(lutswa122)がたかったのである。白蟻は地下の生き物で死者と結びつきがある124。こうしてサダカを開いてかねてからの約束を果すことが緊急となった。chigongo cha k'oma12に、次のkurimaphiri127にsadaka1を開くと告げる。
(補注) このフィールドノートの記述には誤解が含まれている。ここでは、1988年にさまざまな不調の原因を占いに諮問した結果、祖父デレのせいだとわかった、と書いているが、サダカでの語りの書き起こしを見ると、祖父デレの怒りは、チャリがムリナと一緒になったことをデレに報告しなかったことをデレが(もちろんはるか昔に亡くなっているのだが)怒ったことに始まったらしい。それはチャリがムリナといっしょになった後、重病にかかったときの話で、その後、さらに癒しの術(uganga)の継承を要求するデレによってその病気が送られてきたのだとされた。そこでヤギの供犠を約束したということらしい。とするとそれは1980年代の初め頃ということになる。約束をほったらかし過ぎだろう、いくらなんでも。事がうまく行っているときは、祖霊との約束は忘れる(後回しにする)の法則。
(1990/1/20(Sat, kurimaphiri)の日誌より)128
...Murina&Chari、1月23日にSamburu129のチャリのMBの屋敷でチャリの祖父Dele(ChariのMF)131のsadaka1を開くことになったという。まだ車があると思った模様。またモンバサで借りてこないと。Nyamawi132によるmihi48の正式伝授はかなり先の話になりそう?...
(1990/1/23(Tue, kpwaluka)の日誌より)
9:00出発と聞いていたので、早めにMurina133のところへ行くが、Murinaはヤギを車で運ぶパーミットをサブチーフに取りに行っており、留守。結局出発は13:30になる。またドゥルマさんに騙されたね。まあ、この間、Murinaの兄(Mwachidudu, たまたまMurina宅に来ていた)にku-uruswa134について質問したりしていた。Samburuには15:30頃着。「ジャコウネコの池」からキナンゴ経由マリアカーニ136までの道は、雨でもうぐちゃぐちゃ。ジムニーでよかった。が、マリアカーニからは舗装されたモンバサ街道。サンブルから分かれて少し奥地に入るが、この辺りには雨は降らなかったのか、道はそんなに荒れていない。 Batiの屋敷に到着すると、Bati137はちょうど自分の娘のために瓢箪のmulamulo120をしているところだった。

短い木の棒を図のように瓢箪の穴に入れて、唱えごと。左手に瓢箪を持ち、右手でキティティ(chititi138)を振る。Yes/No で答えられる質問をする。Noの場合は棒は穴の中で振り子のように振動しているが、Yesであれば直立して静止する。施術師によって操作可能なように見える。相談しているのが実の娘なので、操作して恣意的に答えを導いても仕方がないような気もする。
(1990/1/24(Wed, kurimaphiri)の日誌より)
詳しくは、フィールドノート。sadaka1を終えて16:30帰宅。帰途マリアカーニで砂糖を手にいれる。夜3日ぶりに水浴び、洗濯して熟睡。
(1990/1/23~1990/1/24 のフィールドノートより)7
Jan.23 9:00 サダカに出発の予定で、ムリナの所へいくが、ムリナは山羊を車で運ぶパーミットを取得しにキナンゴいっており留守。出発は 13:00 になる。
Jan.23 17:00 サンブル、Batiの屋敷に到着後、チャリ、ムリナとともに ku-sema ngoma139回り
Jan.23 22:00 Batiの屋敷にて ngoma 開始、mulungu67 のみが演奏される。 私は途中で寝てしまったが、後で聞いた話によると、チャリ他数名が golomokpwa144したという。
Jan.24 8:00 全員で mbira146に行ってサダカ開始。 chikuta146 に入るとき、草履(靴も)を履いているものは、それを脱いで裸足になって入らねばならない。 5つの墓が同じ場所にほぼ一列に並んでいる。 左から Mwaka (チャリの母)、Dele(チャリの祖父(Mwakaの父))、Dele の妻たち(2名)、Dele の長男 これらの墓とは別の所に Dele の母
Jan.24 8:20 墓を耕しながら(雑草を取り除く) gomba147。チャリの母 Mwaka の弟 Bati が 最初に語り、次いでチャリ、Bati の息子、Mukalaの交差イトコと語っていき、最後がムリナ。
チャリ、ヤギをDeleの墓石の場所に連れてきて、首をつかみながら kugomba

祖父デレの墓石の前でヤギを示し、語りかけるチャリ
チャリ、chidemu148 を墓石に巻きながらときおり gomba。
mulungu の布を Dele の墓に広げ四隅を石で固定。
ムリナ、山羊の屠殺。
墓石に血を掛けながら gomba。
mafuha ga nyono71 を墓石に塗りながら再び gomba。
12:00
太鼓を墓の周りで演奏。[continue]

人々の後ろにあるのがデレの墓。上にムルングの布が広げて4隅が杭で止められている。これはデレが日照りで苦しまないように。手前はデレの息子の墓だが墓石に布片が巻かれているのがわかる
男の死者には donje151 5, nyama153 5、女の死者には donje 6, nyama 6 を供えながら gomba。最初の5つの墓だけでなく、少し離れた墓に対しても。 塩を入れずに調理された肉の残りは、年少の子供たちが食べ尽くさねばならない。子供たち、大喜びで食べている。他の参加者たちは、ちゃんと塩で味付けられたヤギ肉(内蔵が中心)のスープを食べる。
男女別々に墓の横で食事。 男たちは木陰で uchi を飲む。 最後に太鼓(mulungu)で締めくくる。 水を墓にぶちまけながら gomba。 生肉を各人に分配する。 [end 14:00]
サダカで供犠された山羊 mbuzi ya k'oma158 は完全に分配しきってしまわねばならない。p'afu159 ya murisa160 (肺は通常 murisa の特権)も無視される。
これに対し通常の肉の分配は以下の通り
p'afu ya murisa: その山羊を世話した(従って所有者)に権利がある。
nyama ya malaga166: 肋骨の部分は figo167, maini168 などと一緒に煮て、長老や客人のみが食べる。
ndei: 袋状の臓器に lwingu169 などを入れて縛り、ソーセージのようにして煮る。これも長老の特権である。
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1805 (Deleの息子Batiによる、祖霊Deleへの語りかけ)
Bati(故デレの息子 B): さて、あなたお父さん、あなたの母ともども、あなたはそちらにおられる。死んだ者は(後に子孫たちを)残す者です。この者はチャリです。チャリ、あなたが、絶え間なく苦しめている者、はその夫のもとに行きました。彼女もまた癒しの術はあなたが与えた癒しの術です。さて今、私は癒しの術が明るくなる(輝く)よう望みます。癒しの術がますます明るくなり(輝き)ますように。良き施術師とは、収入を得る施術師です。ですが、人は(家に)じっと腰をおろしていて、癒しの術をもっているなどと言えるでしょうか。誰も尋ねてくる者はいないとしたら。ただの人にすぎません。そこにいるだけの。自分の瓢箪といっしょに。 それと黄色アリ(ng'anda125)。それが家の中にいることは、同じように、あなたのせいだと言われています。さて、今は、あれら、あれらの黄色アリがいたのは、一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)。今はこうしてこちらに参りました、この者にどうかつつがなさ(uzima170)をお与えください。あなたの孫たち全員に。一人はここにはおりません。その者は、病気だそうです。さて、もしあなたの癒しの術なのでしたら、それが出てまいりますように。人がもし夢を見て、(その夢のなかで)薬(ここでは草木を指す)を求めに行ったとしたら、これはこの病気の(原因があなたの)癒しの術(を継承せよという要求)なのではないでしょうか。
Bati(B): さて、私は全員が涼しい風に打たれるよう願います、どうか彼らを放置して下さい、放置して下さい。彼らがそのように放置していただければ、そうです、彼らはここにやって来てあなたに布(nguo)を持ってきてくれるでしょう。もし彼らをあなたが殺してしまったら?人々がいなくなってしまいます。人々がどの木(墓に立てられている)の前に立つというのでしょうか。ムワカ(デレの娘=チャリの母)の息子ムズングは、もう負けかかっています。息子がいないからです。残っているのは、あちらで(店を)開こうとしている者一人だけ。商売をやろうとしている者、商売がうまくいきますように。彼らはあなた方の子孫たちなのです。あなたムワカの父ともども、皆さん方全員の。あなた方にヤギを持ってまいりました。あなたの子供たち、あなたの子供たちの妻たち、皆さん全員、あなた方は裁きの御前に(mbere za hachi171)、ムルングのもとに、行ってしまわれた方々です。 ああ、疲れた(唱えごとするのに)。 (Chariによる祖父Deleへの語りかけ) Chari(C): あなた、おじいさん、あなた、おじいさん。私はお話しいたします。このような時間にお話することもなかったでしょうに。あなたおじいさん御本人を私は知りません。でもあなたは私をご存知です。私という者は、ムワカ・ワ・デレ(デレの娘であるムワカ)から生まれました。そしてこのデレとは他のどなたでもありません。あなたです。私はあなたにヤギの借りがあります。でも私自身は病気だったのです。
Chari(C): 私が病気であった際に、実は、お前はお前の祖父からヤギを求められているのだと、すでに言われていました。その理由は、お前がいっしょにいるお前の夫のことを、お前の祖父がまったく知らないから、というのです。さて、私どもは病気を治療してもらいました。重ねて治療してもらいました。そしてその病気は、祖先のもっていた癒しの術(k'oma ya uganga172)によるものと判明したのです。その癒しの術は、他の誰のでもありません。あなた、あなたの一族の癒しの術です。私はヤギをたしかに取り置きしました174。ヤギはあなたの娘によってその耳をつかまれさえしました。ムワカ・ワ・デレです。私たちはいっしょにそのヤギを連れて参ろうと考えていたほどです。あなたの娘ムワカも、同じく、神の御前に(mbere za hachi171)行ってしまいました。ヤギは私がもっています。私はヤギとともに暮らしています。私は稼ぎました。ありがたいことに、なにも得られなかったとは申しません。でも、面倒事はたくさん。そして今はというと、先日のこと、私どもは本当に行き詰まってしまいました。家の中に、黄色アリ(ng'anda125)が入り込んだのです。それらがどこからやって来たのか、私にはわかりません。大きな鳥どもが、私のうえに舞い降りたこともありました。占いに行ったところ、私はお前の祖父がしたことだと言われました。こうして今、私はあなたにヤギを持ってまいりました、あなたお祖父様。ですから、私がここを去れば、私が解放され、健康になりますように。
Chari(C): 稼ぎ、収入を手に入れる。ヤギをあなたに持ってきた、このあなたのムラム(ここではムリナ氏のこと、mulamuo177)も、稼ぎ、収入を手に入れますように。だって彼が手に入れた暁には(macheroni)、彼はあなたにもたくさんお与えすることになるのですから。なのに、どうして私たちは驚き戸惑っているのでしょう。病気はまったく後戻りしません。この身体の持ち主である私自身には、妊娠し、腹に胎児がいればわかります。いまごろ、こうして私はやって来るとしたら、臨月間近であったことでしょう。そもそも胎児は腹の中でいなくなってしまったのです。この11月です。子供はすっかり消えてしまい、今や、私にはなんの望みもありません。妊娠は、すっかり影を潜めてしまいました。先日、私は占いに参りました。そして言われるのです。黄色アリ(ng'anda125)はまさにあなただと、妊娠が消えてしまうのも、あなたのせいなのだと。 ねえ、人というものは子供たちによって(がいることで)、置かれる(この世に確かな場所を得る)ものです。さて、あなた、私をこんな状態に置いて、誰が埋葬する者(muziki178)、私たちを埋葬してくれる者になるというのですか?どうでしょう。あなた(の墓)は、私たちがあなたのために耕しています。私たちだって、子供たちが欲しいのです。孫をもちたいのです。なのにどうして、私たちはこんな風に驚き戸惑っているのでしょう。
Chari(C): 私は、私の癒しの術を欲します。私は私の癒しの術を持っていくためにここに参りました。このムコバ(mukoba4)は、あなたの一族のそれにほかなりません。私は、あなたを軽んじてなどおりません。だって、あなたは私の母を産んでくださったのですから。そして死んだ者とは、後に(子孫を)残す者です。ところで、もし彼ら、あなたが残した者たちが死んでしまえば、このお墓を耕して(除草して)くれるのは誰になるでしょう? 今、私が欲しいのは、つつがなきことです。つつがなきこと、私が治りますように、そして稼ぎ、収入を手に入れますように。私が家に着いたら、そう、(癒しの術を求める人々で)賑わっていますように。先日、外に出してもらったシェラたちの癒しの術もあります。でもこの癒しの術(の成果を)未だ目にしておりません。私が見るのは、病気だけ、この先まで続いていく病気だけです。 もしかしたら、あなたはお怒りだったのかもしれません。もしかしたらあなたのヤギ、あなたは嘘を吐かれていて、あなたのこのヤギが持ってこられることなどないだろうと。私はヤギを持って参りました。あなたの妻、カゾ・ワ・マラウともご一緒に、皆さんで、私が健康であるようにと、私を鞭打って下さい。もし私自身が健康になれば、その暁には、あなた方が乞われるものを、あなた方はまたお受け取りになるでしょう。
Chari(C): さて、私が今日、ここ、この場所に参りましたからには、私を娶ったこの者も、私が娶ったのは病気ばかりしている奴(chikongbwe)だと言うこともないでしょう。はい、私は健康が欲しい。私は私の健康を願いに参りました。というのも、あなたはお話しになるときには、コマ・ヤ・キガンガ(k'oma ya chiganga172)を奉じて欲しいとおっしゃいます。私にはあなたに(それを)置いて差し上げる余裕がありませんでした。どうしてかって?まだあなたにあなたのヤギをお捧げしていなかったからです。でも今、これなるヤギを屠りますうえは、私は健康を欲します。私自身と私の夫の。そして私の子供たちが健康でありますように。どうしてか、私の子供たちはひたすら痩せていくように見えるのです。この子たちがいったい何に喰われているのか、私にはわかりません。さて、健康こそ私が欲しいものです。 次に(除草のために)耕すのは誰かしら? Murina(M): (手鍬は)そこに置いておいて。 (Batiの息子 Chuphiによる語りかけ) Chuphi(Batiの息子 Ch): うう、あなたおじいさん、あなた。わたしたちは、この早朝に、そうこのような時間にやって来ました。家を見舞った苦難のことで。そして占いに行くと、あなたのせいだと言われるのです。
Chuphi(Ch): そしてあなたは、まさに神の御前(mbere za hachi171)におられ、すべてのことをご覧になっている。ほら、(この苦難を)見て下さい。また、私は人々がつつがなくあることを望みます。なぜなら、人は死んで、後に(子孫を)残すといいます。ほら、あなたは神の御前に行って、あなたが後に残した他の者たちは、そう、子供を生む。彼らが産んだので、今や私たちも生まれたのです。 さて、果てはこうしてあなたのためにここで墓を耕しているこの者、はい、チュービです。あなたの孫です。あなたのことは少しも知りません。チュービ・ワ・バティです。そう、こうして、こうして、あなたの屋敷を耕して差し上げてます。私たちにも涼しい風が当たりますように。 誰かのために何かをした者は、明るくなり(輝き)ます。「ああ、私はこんなことをしました。そしてこんな風に収入を得ました」と知るのです。たぶん、明日何かを手に入れて、ああ、物事はうまく行っているな、とわかる。そんな風にして、あなたは、一層、子孫から思い出されることになるのではないでしょうか。 その人がしたその仕事がその人に価値あるものをもたらすと分かれば!あなた、そしてあなたの祖父たち、その人たちを見れば、そのとき人は考える。ああ!私も(そうしよう)。待ってろよと。
Chuphi(Ch): こんな風にヤギと布を差し出し、上々の歌で夜を徹したら、人の喜びです! Chari(C): そうよ。あなたを日照りに放置したいとは思わないでしょう。だってあなたは人々に、物事がうまくいくと示してくださるんですから。 Ch: さて、人はこうも言いいます。私はこんな風にします。なぜなら嬉しいからだと。でも人は、問題をかかえているから、こんな風にしに来ます。家から立ち去ってくれない病気。そう。苦しまない人はいません。そして苦しみからはやがては解放されます。そう、このチャリも家の中、でも今日は外に出ますように。明日には、また家から出ない。その身体のせいで。まるで血を吸われているみたいな。毎日、血を吸われてばかり。 人は食事をして、ああ食べたと知ります。おかずの野草を食べ、なにかにを食べ。やがて身体が良好になるのを見ます。さて、ムベユ180もそう。彼女も始終、病弱です。そちらへ行って騒ぎますと、彼女は言われるのです。あなた方のせいなのですねと。そう。そして彼らはと言ったら!
Chuphi(Ch): 今日び、お金が無ければ人は、この世で長生きはできません。さあ、人は耕しに行かねば。病身でありながら。厄介事は尽きることなし。私自身も、あちらでは賃仕事をしています。賃仕事もしばしば問題を次々にもたらします。私は言います。仕事先で出てくる厄介事を、すべて封じてほしい。私が心配なく仕事ができるように。さらに言います。あらゆる問題が、順調に進みますようにと。順調に進んで、私が仕事をしたら、20シリングもらえますようにと。これは大金です。そう。なぜなら今、私の子供たち、ムブイの子供たち。この子たち、食事をしても満腹になることがない。いろいろ病気だからです。思わず、いったいどうしたらいいんだと言うほど。だって一人はケヘ、ケヘ(空咳ばかり)。 さて、賃仕事をするにしても、家を出なければ。屋敷をほったらかして、子供たちは病気だというのに。無理です。どうやってお金を稼げるというのでしょう。でも、じゃあ、もしお前がお金を稼げなければ、子供たちはどうやって食べるというのか?子供たちは治らない。
Chuphi(Ch): 畑で得られたたいしたことのない収穫物であっても、少しは人々の救いにはなるでしょう。でも雨はこんな具合い。ちょっとワーッと降ったかと思うと、それっきり。今では、畑仕事する人々も、もうそれだけに頼ることはできない。ただ眺めて、ああ事態はこんな風に進むんだと思い知るばかり。私たちはいったい何をしたらいいんだろう。申し上げます。解きほどいて下さい。賃仕事をする者が、道を見いだせますように。畑に行く者も、畑からちゃんとした作物が取れるのが見られますように。 人々が、私が何もせずに、こうして暮らしているのをわかってくれますように(後に語られるように、チュービは職場でトラブルに巻き込まれ自宅待機中)。苦難、苦難を経験しない人はいません。でも苦難の中には度を越したものもあります。なぜなら、人が自分の家で過ごして、なんの困難もないなんて日などありません。とんでもない。それらの困難をとくと見ると、まずは病気が多い。病気は実に多い。毎日、お前は薬を試みる。果ては、病院さえも。あちら(マリアカーニの病院)にはあなたの子供の奥さんたちが、一人はモンバサの病院にいます。彼女は退院しました。でも彼女の子供がそこにいます。
Chuphi(Ch): ここにいるこの人も病人です。だから申し上げます。これらの病人たちが、解きほどかれますように、解きほどかれますように。こうしている今も、私たちは道を探っています。屋敷にいる自分たちを助けてくれるお金をなんとか手に入れようと。飢饉でもあるし。道が見えますように。なぜなら私ども、ここであなたのために仕事をし続けています。私たちが当地を去って、現金収入を得る場所に移り住み181、そこで畑を手にいれることがお望みでしょうか。(そうなったら)あなた(の墓)は、誰に耕してもらおうと言うのでしょう?ここには、あなたのために耕してくれる人はいなくなるでしょうよ。 (チュービ、留まるところを知らない) Bati(B): もういいよ、もういいよ、手鍬を置きなさい。あなたの仲間が待ってるよ。さて、あなた。御婦人、全部吐き出してください。あなたを憑依状態にする憑依霊がいるなら、そいつらにもすっかり喋らせましょう(冗談)。 Murina(M): さあ、急いで急いで、奥さん、日差しが強くなってきたよ。
(ムカラ氏の交差イトコ、褐色の肌の女性、耕しつつ語る)182
Mukoi of Mkala(Bw): うう。さて、あなた祖霊(k'oma)よ。 祖霊とは、あなたおじいさん。私は、苦難を経験しています。私を驚き戸惑わせる苦難です、みなさん。その苦難とは、単なる病気という苦難です。でもそれこそが私を驚き戸惑わせます。本当に病気なんです。それも永遠に続く。
Mukoi of Mkala(Bw): 私は身体中しっかり治療してもらったわ、でも挙句に、夫が人から「君は奥さんにいいようにされているよ。奥さんは全然病気なんかじゃないさ。ただの怠け者だよ」と言われる始末。彼も、それ(そのアドバイス)に従って、怠け者説を採用しちゃった。それで言うには、「御前は毎日畑にも行かない。お前は病気のことを言い続ける。」でも本当に病気なんだってば。彼はそれに(その友だちのアドバイス)従って、私のことを腐ってる(役立たずの碌でもない奴だ183)なんて。私は占いに行って、それはあなたのお祖父さんの癒しの術のせいだと言われました。夢で何も見せないで、ただ身体を苦しめる癒しの術って、いったい何なのそれ。昔はたしかに夢をみました、でも夢見はそのうちなくなって、後には病気が残っただけ。私自身と子供たちを苦しめる病気がね。 今は、ここで言ったように、あなたお祖父さん、私と私の子供たちのために健康を解きほどいてくださるよう願います。これからも私が今のような状態が続くのなら、ああ、どうか今、私を解きほどいてほしいです。現在、私はンゴマをうってもらう日時が決まっています。私を外に出すンゴマです。ねえ、もし癒しの術が問題なのだったら、あなたの癒しの術が順調に出てまいりますように。もし私が治ったら、私はあなたに感謝を捧げに参ります。
Mukoi of Mkala(Bw): でももし私が治らなかったら、そんなことは考えませんから。私は健康が欲しいわ、私の子供たちも、他の友人たちも治りますように。あなたお祖父さん、そしてあなたメデレ・ムワカお祖母184さんもご一緒に、どうか解きほどいてください。皆様、私を解きほどいてください、サラマ・サラミーニ185。あなたお祖母さん、メデレ・ムワカでしたっけ、私はあなたを知りません。でもあなたは私をご存知です。だから私を解きほどいて下さい。私はもう疲れてしまいました。だから言います。ご主人様、どうかお静まり下さい。充分な健康こそ、私が欲しいもの。私の子供たちも。どうして私の子供たちはいつも病弱なんですか。私自身も(病弱であることの)第一位です。私はぐったりしています。落ち着きなくあちこち虚しく(求め)歩くばかり。まるでドゥア186の妖術を打たれた人間みたいに。私は生きていく手立てを全然持ってないんですよ。 今は、そう、つつがなきことを欲します、あなたお祖父さん、もし本当にあなたの癒しの術のせいなんだったら、その癒しの術が首尾よく出てきますようにサラマ・サラミーニ。私は健康が欲しい、畑を耕すなら、私に耕させて。 (Bwの語り終了) (チャリ、再び手鍬をとって語る) Chari(C): 私はつつがなきことを欲します。私はつつがなきことを欲します。そしてたくさん収入を得ること。家についたら、病人たちが(治療を求めて)詰めかけて来ますように。
Chari(C): 私はお金をかせぎ初めて以来、もうすっかりすっかり疲れてしまいました。お金は家に全然残らないのです。私一人がお金をつかみ、そしてお金がどこに行ってしまうのか私にはわからない。病気はまったく立ち去ろうとしない。私は「悪い母系クランの人間(muvuna190)」とさえ呼ばれ、驚き戸惑っています。夫のもとからいなくなってしまおうかと考えるほど。だって病気がまったく治らないからです。そう今は、健康が欲しい。 健康、そして稼いで、収入を手に入れる。そして私の子供たちの健康、私の夫の健康。皆が健康でありますように。私はあなたに贈り物を差し上げます。あなたのことを思い出した者は、あなたにヤギを差し上げます。そしてあなたもその者に感謝を与えます。今、私は健康が欲しいのです。癒しの術が欲しいのです。私の癒しの術が明るくなり(輝き)ますように。先日外に出してもらった、あのクズザ(kuzuza24)の癒しの術ですが、たしかに多くの患者を集めました。つつがなきこと。あちらの私たちの屋敷があるクワレに、病人がいます。どうしようもないほどの病人です。まさに病人です。そしてその病気は、癒しの術を(外に出すことが)求められているのだと言われています。癒しの術を求められているその者が、ねえ、あんな風に発狂するものでしょうか。どうか皆を解きほどいてください。
1819 (ムカラ氏の交差イトコの女性、再び手鍬をとって語る)
Mkala's mukoi(Bw): あなたお祖父さん、私は先日、異様な症状に驚いて占いに行きました。そして、私たちの一族の癒しの術を引き継ぐことを求められていると言われたのです。私は施術師に依頼しに行き、鍋(nyungu56)を据えに来てもらいました。お祖父さん、鍋はひとりでに火から落ちて、地面にうつ伏せにかぶさっているではないですか。いったい何がそんな風にしたのか、今も私にはわかりません。もしかして妖術使いのせいでしょうか。もし妖術使いじゃないなら、あなたお祖父さんですか。その鍋は、私はそもそも放置して、二度とその湯気を浴びることはしません。このことは私を驚き戸惑わせ、今だに身体が震えます。鍋がどうやってひとりでに火から落ちたりするというのでしょう!(浜本:ネズミかも) さて、もしあなたお祖父さんのせいなら、あなたはその鍋が気に食わなかったのでしょうか。あなたはあなたのムルングの鍋を欲していたのでしょうか。それともあなたのせいではないのか。私にはわかりません。でも私は健康を祈願いたします。私という者は、健康が欲しいのです。
(続いて別の男(名前はわからない)が語りを始める)
Man1(M1): さて、私どもはここに、この時間にやって参りました。私どもは、苦難のせいでやって来ました。なんの苦難でしょう。病人がおります。私が語っている者たちは、ともに施術師です。でも癒しの術は順調には出ていません。
Man1(M1): 彼(女?)にはもう一人のキョウダイがいて、クワレにいます。彼(女?)も同じく重い病気です。治療をされ、癒しの術を出すよう求められているのだと言われています。そうです。癒しの術は順調にやって来ています、でも癒しの術は、問題ばかりで、結局それは出てきていません。 Mkala's mukoi(Bw): 死んだ者は後に子孫を残す者ですよぅ。だから、あなたはこうして(墓を)せっせと耕してもらっているのです。もし人がいなかったら、ここはいったい誰に耕してもらえたでしょうね。今頃、手つかずの草むら(muhunduni191)になっていることでしょう。ねえ、私たちはたくさん健康が欲しいのよ。私たちの子供たちもね。健やかであれ。でももし私たちがずっと病気がち(swee swee192)続きだったら、私たちには(祖先の墓に来る)なんの意味もないことになるでしょう。ここにも誰も二度とやってこないことになるでしょう。
(続いてムリナ氏の語り。長いです。もう)
Murina(M): つつがなきこと、つつがなきこと。私たちはつつがなきことを追い求めます。私という者を、あなたはご存知ありません。私はムリナ・ワ・キメラと申します。ムリナ・ワ・キメラと申しますように、父系氏族はムワカイになります。あなたはムァワヤ氏族ですね。ウシの血ではキョウダイを買うことはできないと申します。でも今は、カニのような横歩きです。なぜなら、もし他人の一族の人を娶ったなら、妻がそこからやって来たところ(妻の親族)の状況(そこでのトラブルや問題、必要とされていること)を知らねばならないからです。
Murina(M): 屋敷には4つの隅があると言います。さて今、(理由なく)ここに来ることはなかったでしょう。私はデレの名前とともにここに参りました。そう、ナイフの鋭い刃物から多くのトウジンビエが生まれます193。そう、私という者は、デレの孫を娶りました。ムワカの娘195、チャリです。そう、彼女は、彼女を私が娶って以来、彼女は健康ではなく、対処の仕方もありません。でも占いを打ったところ、私は彼女の祖父の祖霊がそこにいると告げられたのです。そして彼女の祖父はかつてその道を極めた施術師でした。彼の癒しの術も、一族(fuko)のもつ癒しの術でした。一族とはほかでもありません。あなたの一族です。という訳で、今です。あの3つのカヤのドゥルマのやり方を、私は果たします。あなたという方はあなたの孫娘にヤギを所望されました。あなたの孫娘にヤギを所望することは、謂わば私にヤギを所望したということです。なぜなら私はあなたの孫ではないでしょうか。あなたの孫娘を娶ったのですから。 さて今、私は例のヤギをあなたのために連れてまいりました、お祖父さん。しっかりと。私は私の健康と、私の癒しの術を持って帰りに来ました。なぜなら、癒しの術がチャリとともにあるのであれば、それは私のものでもあります。
Murina(M): 私こそが金の稼ぎ手です。私が(私の金で)癒しの術をお出ししました。今、あなたは私に癒しの術を分かち与えてくださる。癒しの術が明るくなり(輝き)ますように。その癒しの術が、まさしく私どもを背負い、道を示してくれるもの(mwerekera196)でありますように。やって来る病人は、このチャリに薬を注いでもらえば、病気が治りますように。施術師は占いをたくさん打つ、施術師は眠らない、施術師は休むことなし。その癒しの術は、他でもございません。癒しの術はあなたがたの一族のものです。一族とはあなた自身です。なぜならあなたこそが長老ですから、あなた。今、このヤギを私はあなたに持ってまいりました。このヤギは癒しの術で得たお金で手に入れたヤギです。あなた自身のところから由来した癒しの術のお金です。最初のヤギ、始祖たるあなたのヤギが、この仔ヤギを産んだのです。かくして、今、私はあなたに、あなた、あなたの癒しの術による金に由来するこのヤギをお持ちいたしました。 今は、そう、私は解きほどかれることを願います。つつがなきことこそ私が望むものです。充分な健康と、充分な収入。それこそが、私にウシですらあなたに持ってこさせるでしょう。もしあなたがウシをお望みなら、もし私にウシがあれば、即お持ちしますよ。
Murina(M): じゃあ、もしその癒しの術も、ジガバチ197に刺されてしまうとしたら?いったい、私に何が得られるというのでしょう?何が得られると?何が得られると?このように、あなたが私にヤギを所望し、私があなたに差し上げたように、今、私はつつがなきことを所望いたします。健康と自分の子供たち。私が娶ったこの妻、子供(胎児)たちは腹の中で突然腐ってしまうのです。胎児たちを腐らせるものがいったい何なのか、私にはわかりません。そう、第一に、そもそも、もし子供が腹の中で隠されてしまうのだとすると、その子供を明るみに現れさせてほしい、誰にでもわかるように。さらに、その子供がこの場にやって来て(生まれてきて)、なるほどあなたには(腹の中の)子供を隠す力が確かにおありなんだと、そしてあなたには子供を出現させる力もお持ちなんだと、私にもわかるように。 今、私は健康と、たくさんの物がほしい。これこそ私が願うもの。今、そう、私が家に帰り、尻を家の中に落ち着かせるやいなや、私が、遠くはタンガ(Tanga198)からも仕事の依頼する人が訪ねてきますように。施術師なら誰でも、というのではなく、施術師といえば私たちを彼らが訪ねますように。お金が家にたくさん、これこそ私たちがほしいもの。たくさんのヤギと子供たち。ところで、あなたは私の現状が最悪だとご存じないのですか。
Murina(M): 彼女が妻です。妻は病気です。私があなたの孫娘を娶って以来、私は今に至るまで、穀物倉にトウモロコシを入れた覚えがありません。味わうためにほんの数本齧っただけです。病気のせいでどうしようもありません。彼女を責めたりしませんとも。なぜなら怠け者ではないからです。ただ健康じゃないのです。ですから今、私は健康が欲しいのです。私は例のヤギを連れてまいりました。そのヤギは、あなたデレ自身のヤギです。私はあなたと面識がありません。でもあなたは私をご存知です。私はあなたを見ることはありませんが、あなたは私をご覧になります。今私は健康が欲しい。健康、それに私の仕事、そして私の屋敷が良き涼しい風に打たれますように。人(妖術使い)がその妖術媒体(使い魔等 makafara199)を投げてよこしたとしても、そいつの妖術媒体が彼本人のところに返りいきますように。私と私の妻を憎む悪しき者の目を、あなたが前にいて突き破って下さいますように。 私は今、つつがなきことを欲します。その癒しの術のせいで(嫉妬で)、私を食い入るように見つめている者たちがいるのです。その癒しの術は、全能の神(mwenyezi mungu)の癒しの術です、あなただって、それを全能の神から与えられたのです。あなたは他人からその癒しの術を盗んだりなさいませんでした。
Murina(M): さて、やつらですが、今や彼女の(癒しの術による)収入と、彼女の氏族(mbari200)によって分かち与えられた能力に、嫉妬の目を凝らし始めました。その氏族とは他でもありません。あなたの氏族です。一族の祖霊によって与えられた生きる糧に、やつらは嫉妬しているのです。ムルング一人では仕事をすることはできません。ムルング一人では、人が(癒しの術を)祈願しても、それを与えることはできません。人間のもつ備えで増幅しないと。ムルングは能力を与えました。ムルングは目を、分別を、耳をあたえました。もしかしたら、あなたは自分にはヤギはもらえないだろうとお考えになったかもしれません。でも今、私がヤギをあなたに持ってきました。私はあなたに、このヤギが死ぬことがないようにと申しました。というのも(たぶん夢のなかで)、あなたはやって来てこのヤギをお握りになった。そして私は言いましたよね。もしそれ(このヤギ)が死んだらと。もしあなたが(このヤギを)殺したら、私は(あなたの墓には)参りませんよと。そして今、ほら、このヤギです。あなたのヤギです、これは。どうかヤギを美味しく召し上がって下さい。ヤギを美味しく召し上がって、彼女に道を解きほどいてやって下さい。とってもとっても良い道、とってもとっても良い風を。悪い風は、脇を吹き通りますように。
Murina(M): 悪しき者、悪しき者は脇を通り過ぎよ。良き客人とは、(食べ物の入った)編み袋(chikaphu201)を持ってくる人。良き客人とは、未払い分の婚資を持ってくる人。やって来て、議論を持ち込む者は、客人ではない。私たちは論争は嫌いです。なぜなら論争では屋敷は養えないから。論争そのものは稼ぎを生まず、人に(収穫物の詰った)麻袋を確保してくれないから。チャリとその夫が手にしている何かに嫉妬した者、ムルング本人とあなた方はともにそいつをご覧になるでしょう。 私たちは自分たちの健康と収入(pato)を祈願いたします。今は、私たちは収入と、彼ら子供たちが健康でいてくれることを祈りに参りました。ああ、今、私を頼ってくる彼ら子供たち202、あなた方は彼らを終わらせるのですか。目を駄目にしてしまうことで。祖霊(k'oma)のための正式な服喪(hanga203)などが問題なのでしょうか、癒しの術に関わる。あなたには、彼らがそれを実施しないと見えるから。平安なれ。たった一つのことで、人々全員が打ち負かされることはありません。私たちはそれに対して協力します。そして私たちは、あなた方が望むところの物を、お届けに参ります。たとえそれがウシであったとしても、私たちはそれを屠るでしょう。でも、どうでしょう?私たちが欲しいのは、健康です。私たちがさらに解きほどかれることです。あなたが癒しの術を解きほどいてくださるだけで、あなたは即、ウシを手に入れますよ。
Murina(M): なぜなら、あらゆることが、もしうまく行ってさえいたら、あなたにとっても、物事は順調で、結構なことです。だって、とってもとっても盛大な本格的なンゴマ(wira142)で徹夜することになるでしょうから。そしてこちらには(薬液を入れた)搗き臼、そしてふんだんなヒマ油も。 Chari(C): 今日、お金を手に入れたとしても、明日にはなくなってる。 M: そこで人々は楽しく夜を徹し、日中を過ごし、そしてコマ・ヤ・キガンガ(k'oma ya chiganga172です。夕刻に、人々はヒマの油を、そして薬液を撒きます。仮設のテント(weka204)の中で。小屋の中で。今は、解きほどいてください。また再び参ったときには、あなたの一族の人々が、そしてあなたの孫たちが健康であるのを見ることができますように。そしてあちらでも全員が良き風に打たれますように。彼らを解きほどいてください。私には争いはございません。 C: 私たちが欲しいのは健康です。 M: 私は御慈悲を祈願いたします。私はあなたの孫娘の夫です、私は。もし、あの友(妻のこと)が、あの女性たちの一族(mbari)が誰の一族なのかを思いださず、差し上げることに怠慢であったなら!
Murina(M): 私は、そう、4つの角を知る者です。なぜなら私は屋敷そのものが4つの角からなることを知っているからです。2つの角は夫の、2つの角は妻のです。2つの角は妻の角だと言われています。そう、つまり彼女の実家の人々であるあなた方を知ることです。 私は、そう、こうしてやって参りました。誰の名前のためにでしょうか。あなたの名前のためにです。あなたこそ頭、あなたこそトウジンビエとともにいらっしゃる方(たくさんの子孫を残した方)194、あなた、デレ、あなたです。今は、そう、私たちを解きほどいてください。 Bati(B): これが、ムワカ・ムァレマ。この人が、この人(Dele)の母親ですよ。父はこの人に背負われ、この土地に屋敷を開きに来るんです。この人(Dele)は実に背負われて(赤ん坊のときに)きたんですよ。この人(ムワカ・ムァレマ)こそ、この場所、屋敷の場所に来た人です。彼女は来て、たくさんの子供を産みました(字義通りには中身をこの土地に空け移しました)。というわけで私たちは尊敬しているんです。でも、どうして私たちは衰えて(活気がない)いるんでしょうか?頭と足が冷たい。人が畑に行くと、頭痛が始まってしまう。頭痛で、手鍬をカランと地面に落とし、そこに頭を横たえる。これじゃあそこでどうして仕事ができるというのでしょうか。本当に、痛い痛いと苦痛の声をあげるんです。 手鍬でここを。この人ムルーチェで終わりにしましょう。彼は私の兄です。ベムベユ・ムルーチェ、この人もデレの息子です。
Murina(M): あなた、私のムツェザ(mutsedza205)ムルーチェよ。あなたは神の御前に行かれた。私はいまだに後ろの虚栄の世界におります。人は乞い願うと、それを手に入れます。私はあなた方にヤギを持って参りました。あなた方のお父さんといっしょにお食べ下さい。そう、私が欲しているのはつつがなきことです。つつがなさこそ私がほしいもの。今、この後は、私の妻が涼しい風に打たれますように。あなた方の娘であるこの者が、涼しい風に打たれますように、そしてさらに妊娠しますように、なぜなら私は仲間たち(自分の子供たち)が欲しいからです。私には子供がいない。現在、私は婚資206を稼いでいます。ヤギたち。いったい誰が放牧してくれるんでしょう。身内(である子供)によって放牧される必要のある婚資は、すでにあります。そして今や、それらがすでに私を困らせているのです。といってもほんの少数です。放牧してくれる人手がいないのです。今は、そう、私は身内(である子供)が欲しい。さらにもっと婚資(=家畜を)手に入れて、身内(である子供)も手に入りますように。なぜなら、人は、枝分かれによって屋根を葺かれます。枝分かれとは身内たる子供たちです。もし私たち二人が、まるでミドリマダラバト(map'uji208)のようだとしたら、どうでしょう。そんなことがあっていいでしょうか。ねえ、死んだ者は後に子孫を残すというじゃないですか、皆さん。私たちを解きほどいて下さい。ウブォルウェ(upholwe 前の晩の残り物のワリ(wari152))は子供たちが食べるもの、けっして一人前の男が肩をいからせて、前日の死んだワリに穴をうがっ(を食べ)たりするもんじゃありません。
Murina(M): ああ、ごらんなさい。親(大の大人)が恥じゃないですか。お前さん本人が食べるだけのワリ。それに向かってかがみ込むのも、お前さん。口の中を真っ赤にするのも、お前さん。そしてまた食べるのも、お前さん。 Bati(B): 食うものがあるんだから。 M: そんなんじゃ、この上、なんの意味がある?小鍋でつくられる少しばかりのワリ、粉はお椀一杯の量り売り、あるいは缶一杯半。だって家には人がいないんだから。ワリを食べるのはお前さんだけ、残ったところで、食べる人がいない。翌朝早起きして、(冷えたワリを)お前さんが食べる、残りはとっておく。畑を耕して、トウモロコシを手に入れる?雨が降るならな。雨が落ちると思えば、通り過ぎて隣人の畑を潤す。俺の畑にはやって来ようともしない。もしこんな風に雨を妨害しているのがあなた方の仕業なら、私を解きほどいてください。雨雲がこちらまできますように!私にちゃんとしたワリを下さいよ。なのに、今はごらんなさい。私を見舞っている苦境を。ワリは、他人に(トウモロコシの粉を)乞うてばかり。まるで、私がトウモロコシをどう耕作するか知らないみたいに。
Murina(M): ですから、どうか私を解きほどいて、私に(富を)得させて下さい。畑を耕し、収穫を得て、ヤギを買う。ヤギは繁栄し、仔ヤギを2匹ずつ産む。鶏を買って、鶏が産む。鶏の中には卵から逃げる(温めない)のがいて、卵は家のなかで大砲をぶっ放す(破裂する)。ああ、これってダメダメじゃないか、これ。ヒヨコを産む鶏こそ、(鶏を売ったお金で)ヤギを買う(ことに繋がる)、ヤギはやがてウシを買い、ウシはやがて人を買う(婚資となることで207)。さて、じゃあもし(鶏が)卵から逃げたら。その場で玉子に破裂されて、あわてて外にとび出す。こんな有様。これって驚き困ることですよね。それこそ貧乏ってものでしょう。 おだやかに、ですよ。解きほどいて、解きほどいてください。鶏が、卵一つごとにヒヨコ二羽ずつ生まれる、双子で産む。まさにそんな風に始まるのを、私は見たいものです。鶏で満ち満ちますように。だって、私は以前、一つの卵からヒヨコが二羽出てくるのを見たことがあるんですから、私は。まるでお話みたいですが、私はそういうこと(が起こるの)を知っています。でもああ、それは過ぎたこと、もとに戻ってしまいました。それもまた人の目(dzitso)(妖術使いの妬み)のせいだったなら、その妬みを打って、それがそれて戻っていくようにして下さい。
Murina(M): 私は、私に必要なことは、私に属する物々が涼しい風に打たれることです。私に属する者たちよ、私がすることが順調でありますように。道は一筋でありますように。私は、彼らのことを優先いたします、友よ。「ああ、私はこれこれの物が足りません」「あなた、大丈夫ですか。どうか、お困りにならないように。ほらどうぞ、これで問題を解決して下さい」これこそ人の道です。でも、ドゥルマ人は違う。お前が知り合いのドゥルマ人を訪ねていくと、(彼には)お前がまるで野牛の皮でも被っていて、見えないかのよう。「ああ、あいつが、もう(金を借りに)やって来る。」「あいつに何かされたのかい?」「あいつは人々の家々に行っては、助けてもらってるのさ。あいつはそんな具合いで、もしお前さんに借りたとしたら、行ったきり(返してくれない)と思いなさいな。お前さん自身、思い知ることになるよ。」本当のドゥルマ人ならそんな風に言われない(そんな風に言われるのは恥だ)。ドゥルマ人なら「あの人(は良い人だ)」と言われる(べきだ)。けっして「あのろくでなし209」なんて言われるべきじゃない。さて今、私はつつがなきことを求めてここに来ました。それと収入(pato)とを。私が私の手を入れたときには、何かを手に握れますように。私の目は、壁の割れ目のごとく、物事を見れますように。私の頭は木のお椀のように、しっかり立ちますように。手は握りますように。
(チャリ、ヤギをデレの墓石の前に連れてきて、語りかける)
Chari(C): さて、あなたお祖父さん、お祖父さん。私はあなたにヤギを持って参りました。このヤギはあなたのために取り置いていたヤギです。
Chari(C): このヤギは、私がずっと以前にあなたにとり置いていたものです。今日、今がまさに私がこのヤギをあなたに差し上げる日です。あなたのヤギを召し上がって、私に健康をお与え下さい。私に健康と収入(tsumo210)をお与え下さい。癒しの術はすっかり死んでしまいました。家の中に、生まれて以来見たこともなかったような動物が入ってきました。もし、あなたがこのあなたのヤギのことで怒っておられたのなら、今日、今ヤギを食べて、私に健康をお与え下さい。さらに健康と言っても、すべての人に対してです。これがあなたの布(nguo211)です。今日私たちはあなたに布を結んで差し上げます。あなたのヤギをお食べ下さい。あなたのお母さんといっしょに。あなたの妻といっしょに。あなたの妻たちとご一緒に。あなたデレお祖父さん、あなたの妻カゾ・ワ・マラウ、そしてあなたの母ムワカ・ワ・ムヮレマもご一緒に。私は皆様方を存じあげません。でも皆様方は私のことをご存知です。なぜなら、私はあなたに申し上げます。人は、その一族の子孫を見失うことはないと。というのも、あなた方は、多くの家々を通り過ぎて、果ては、私のお家まで私を追って来られたのですから。人はその子孫を放っておかないものです。私も、あなた方に対して不遜212ではありません。そう、私は健康が欲しいのです、あなたお祖母さん、あなたお曾祖母さん。病気が治らないのです。
Chari(C): 子供たちはというと、妊娠したと思うと、腹の中でいなくなってしまうのです。ゴキブリどもにでも食べられているのでしょうか213、私にはわかりません、やれやれ。そう私は健康が欲しい、そして子供を産みたいです。施術師は子供を生まないなんて、そんな話はありません。(ムブルガに用いる)キティティ(chititi138)が子供に壊された、とか、さてこの布が、とか。健康よ、健康。そして畑仕事をして収穫を得る。稼いで富を得る。お金は溜まり、穀物庫にはトウモロコシ。なのにどうして私はまるで畑仕事ができないみたいなんでしょう。
Bati(B): さあ、こっちに、あなたの曾祖母の墓に。 (チャリ、デレの母(チャリの曾祖母ムワカ)に対する語りかけ。彼女の墓は他の墓とは少し離れた場所にある) C: さて、あなたお母さん214、その名もムワカ本人。ワ・ムヮレマ(wa Mwarema ムヮレマの娘)ですね、あなた。あなたこそ、豊穣をもたらした者215。あなたこそデレを産んだ方です。デレもまたムワカ(デレの娘でチャリの母)を産みました。そのムワカも、そう私を産んだのです。今、そう、私は苦難を経験しています。占いに行くと、私はあなた方のせいだと言われるのです。今日、私は皆様方にヤギを連れてまいりました。皆さん、お食べ下さい。私に健康を下さり、稼ぎを与えて下さい。畑仕事をして、収穫を得ること。子供を産むこと、それこそが私が望むことです。ウブォルウェ(冷たくなった前夜の夕食のワリの残り物)のワリは、子供たちが食べるものです。長老たちが食べるものではありません。
Chari(C): 腹の中が水でいっぱいになるのは、なし。突っ張るのもなし。小屋の中に黄色アリ(ng'anda125)でしょうか、に入りこまれる。癒しの術の編み袋(ムコバ mikoba4)がシロアリにたかられる。太陽がこの辺りにあるときに(午前9時ごろ)、紙幣を落とすと12時(6時216)には見えなくなって、(シロアリに食べられて)ただの土になっている。私はあなた方のヤギを持って参りました。私にはそもそも不遜はありません。だって、私が欲しいのは健康(つつがないこと)だから。お金はたしかに家に入っては来ます。でも全く豊かになりません。私は食べ物を独り占め(kutona217)したくなるほど。私の子供たちも、身体は痩せて弱々しい。健康こそ、私が欲しいもの、私の子供たちもいっしょにね。健康こそ、私の欲しいもの。あなたお曾祖母さん、あなたムワカ・ワ・ムヮレマ御本人。あなたこそ、多くの子孫を残した、トウジンビエを生む一粒の種子218。あなたはたくさんの人々を産みました。私も、彼らが私を産んだので、こうして私がここにやって来たのです。さあ、今は、あなた方のヤギを召し上がって下さい。そして稼ぎを私に得させてください、子供たちも私は欲しています。
Mukoi of Mkala(Bw): (Batiに向かって)ねえ、大きいお父さん(baba muvyere219)、あなたのお母さんってカダマ・ワ・ジロでしたっけ? Bati(B): (それには答えず、チャリに向かって一つの墓を指して)ムルチェの母だよ。 Chari(C): さて、あなたお祖母さん。あなたお祖母さん、私は今日あなたに差し上げに参りました。私は、ムワカ・ワ・デレの子供です。私がここに参りましたのも、そう、あなた方が理由でやって参ったのです。あなた方こそまさに、ムワカをお生みになった方々。ムルンゴの人々もお生みになった。皆さん方全員、お母さんの皆様なのです。今、そう、私は布(nguo211)を届けに参りました。ヤギも届けに参りました。どうか皆様ヤギを召し上がって、私たちにつつがなさをお与え下さい。それも極め付きのつつがなさを。さらに、つつがなさを私たち全員に。私たちデレのファミリー(famili ya kpwa Dele)は、そう、私たちはつつがなきことを欲しているのです。私たちは今、哀悼いたしております。 ところで、ムルチェの人々を、ご覧ください。私たちをこの墓まで連れてきてくれた人々です。あなた方は彼らの目を殺そうとしておられる。今後、いったい私たちは誰に連れてきてもらうというのでしょう?そんな風にムルチェの目を見えなくしてしまうなら。ムランバさん、長老ムランバさんの目も死にそう。彼はもはや何も自分ではできることがない。そして彼らこそ、私が来たときには、私を墓まで連れてきてくれる、私の子供たちなんです。
Chari(C): 今日、今、私はあなた方に皆様のヤギを差し上げます。すべての者をお解きほどき下さい。人に稼ぎと、私の癒しの術をお与え下さい。どうか癒しの術を良好にお解きほどき下さい。手始めに、私が家に着くと病人たちが私を待っているのを見たいです。病人たちは昨日から来ていたと。私に、たしかにあなた方のせいだったのだとわからせて下さい。私は乞われるまでもなく、ここにヤギといっしょにやって来ます。でも、ヤギが充分な数に達したと見れば、です。私の一族の方々が私に豊穣性(rotuba)を与えてくださったとわかるからです。私は皆様方が、日照りのなかにおられるのが嫌なので、皆様方のために運んでまいります。健康が、そして子供たちが私は欲しい。私がしたいことは、子供を産むことです。 Bati(B): お前さんは、私たちがンゴマ(ngoma143)に飢えているのを放置した。そしてお前さんも、苦境にあって今日、唱えごとをしている。 C: 今、私はやって来ました。あなた伯父さん(aphu220)は神の御前171に行ってしまわれた。私はというと、いまだここ、後ろの方におります。死ぬ者はあとに(子孫を)残します。今、私はヤギを持って参りました。あなた方にあなた方のヤギを差し上げます、皆様でお召し上がり下さい。あなたとあなたのお父さん、そしてあなたの母と祖母。私はつつがなきことを欲します。私の癒しの術、この癒しの術は、そうデレの癒しの術なのです。
(ムルングの布をデレの墓に広げ、4隅を石で固定し、布の中心部をナイフで切る(これは後で聞くと、布が誰かに盗まれないようにわざと破損させるのだとのこと))
1838 (直前の語りから、録音ミスのためしばらく無音、書き起こしテキストなし)
Chari(C): ...妊娠して、子供は腹の中でいなくなる。妊娠して、流れる。後に占いに行くと、あなた方のせいだと言われます。今日、今、そう、私はヤギを差し出し、今日、この布(nguo211)をお着せいたします。私は、そう、チャリ・ワ・ムワカ・ワ・デレ(デレの娘ムワカの娘チャリ)です。私は健康を求めています。残された人々にはもはや健康がないからです。目が落ち込んでしまった者もいます。あのようにショックで動けない者もいます。どうか、彼ら残された者たちが涼しい風に打たれますように。あなた方にしても、(感謝で人々が頻繁に除草に訪れることで)あなた方の墓に草が蔓延ることはなくなるでしょう。 さて、健康こそ私がほしいものです。そして私は私の癒しの術も乞い祈ります。私が家に着くと、病人が来てくれますように。私は、けっして人々が病気にかかるようにと言っているわけではありません。癒し手とは病気を治す者です。でもどこにも行かずに家の中でじっとしている施術師の編み袋(mukoba4)などありません。ましてやシロアリにたかられたりするものではありません。あれらすべての動物どもを家の中で二度とけっして見ることがありませんように。私は昨日来て以来、心待ちにしていました。「さあ、いいとも。患者を治そう」と言えるのを。
Chari(C): ほんのちょっとした施術、20シリング請求しましょう。なんと患者は500シリングも払って、いなくなっちゃうの。私は盗みを働いたことにはならないわ。だって、勝手にいなくなっちゃったんだもの。あなた方なんですね、私をこんな風に助けて下さるのは。私は稼ぎ、そして子供を手に入れる。こんな風に、私に癒しの術のもたらす利益がどんなものなのかわからせて下さい。 どうして、私が稼いで、お金が家に入っても、全然残らないのでしょうか。たとえ今日お金が入っても、明日にはない。100シリング札をこの時間にくずしたら、夕方には無くなっている。どうか、私を解きほどいて下さい、皆様方。私の子供たち、私の夫とともども。 この夫が、自分の妻は実家にヤギの借りがある(祖霊からヤギを求められている)ということを思い出させてくれた人なんです。彼も、稼いで収入をたくさん手に入れられますように。歩いていて、人が財布を落とすのを見て、それを拾って咥えて(自分のものにして)、持って大急ぎで家に帰ってくる。 Murina(M): 盗んだと言われないだろうか? C: その人が自分で落としちゃった、ということになるでしょうよ。
Chari(C): つまり、彼(夫)は、運良くそれに噛みついたということ。さて、このように私は健康と私の稼ぎが欲しいのです。
Murina(M): あなたのヤギですが、私が行ってあなたに差し上げましょうと言ったヤギはこのヤギです。これこそ人の道にかなったやり方です。今、どうぞこのヤギをお受け取り下さい、友となって、南にも、北にも、私をお解きほどき下さい。西にも私をお解きほどきください。私をお解きほどきください、あなた。健康の良き風で私をお解きほどき下さい。私たちのヤギ、私があなたにお話していたヤギはこれです。 今こそ、そう私は癒しの術を望みます。癒しの術が明るくなる(輝く)ように、癒しの術が、降り来たる者のように降りてきますように。癒しの術が、子供を背負い運ぶ者のように、背負い運びますように。癒しの術は、月のごとく明るくあれ。そもそも、そう、今私は癒しの術が欲しいのです。そもそも、私はもはや頭の中に癒しの術がない感じがするのです。協力し合っているあれらの憑依霊たち、彼らの癒しの術は一体です。あなたが、あなたの憑依霊たちを縛ってしまうと、私の方でも私の憑依霊たちがブレーキ(bureki)をかけてしまうのです。今、私は肩を並べて行きたいのです。
Murina(M): 私は妻の頭が沸騰することを欲します。そして夫の頭も同様に沸騰しますように。私たちの仕事は、癒しの仕事です。私たちは癒しの術で食べております。妻は薬液(mavuo59)(つまり内陸系の憑依霊の治療)で、私は大皿(makombe60)(つまりイスラム系の憑依霊の治療)で。妻はドゥルマ人たち(ここでは内陸系の憑依霊たちの意)をもっており、私はイスラム教徒たち(海岸系のイスラムの憑依霊たちの意)をもっています。私たち二人でいっしょに家を富ませるために稼いでいます。そう、私たちは何百シリング、何百シリングと欲しい。それでウシを買うのです。 Chari(C): ナニで(占いで)(下手人として)見てとられた者、そのなしたことが本人に返りますように。 M: それ(その妖術(utsai))をそいつに戻し、さらにはそれがそいつの目を突き破りますように。 C: 癒しの術がまさしくほどけますように。だって今はもう癒しの術はすっかりすっかり死んでしまいました。もう癒しの術なんか何もありません。 M: さあ、あなたのヤギはこれです。癒しの術を解きほどいて、この後は私たちに病気を投げ捨てさせて下さい。 (ムリナ氏、ヤギを屠る)
C: あなた方はムランゼ(ムランゼの根の粉末の香料221)とヒマの油71の皆様です。今日は私はあなたにヒマの油を塗り、布をお着せしました。そしてこのヤギ、このヤギをあなたの子供といっしょにお召し上がり下さい。
Chari(C): ねえ、この人たちはこれまでマハンド(mahando223)を着てたのよね。今日が過ぎたら、明日になったら、今風の装いで知られることになるわね。さて、健康とたくさんの雨、雨をもたらしてくださいね。これらのあなたの子孫たちは、あなた方が雨を与えてくれたら、この場を去らないでしょう(頻繁に墓の世話をしてくれるでしょう)。でも、もしあなた方が(雨を)拒めば、あちらでも彼らは来ることを考え直すわよ。
(調理されたヤギの肉を墓に供える)
Bati(B): ここには5人います。男2人で女は3人。 Murina(M): 2人で肉が10片だね224。 B: あなたの孫娘のチャリは彼女の癒しの術を求めています。ちょうどあなたがかつて癒し手であったように。さて彼女は癒しの術が明るくなっ(輝い)て欲しい、そして家族の者が丈夫な身体になり、健康で風に打たれて欲しい。そのために彼女はやって来て、日除けと、ワリ(wari152)とこれらのヤギをあなたに持ってきたのです。 このヤギは、あなたの娘ムワカがその耳をつかんだヤギです。(ムワカの墓に)あなた自身も、その後神の御前に行ってしまわれた。さて今、この肉はあなたお母さんに持って来られたものです。
Bati(B): さて、そう彼女はその癒しの術だけを持ち帰りたいのです。そして、彼女自身が、お母さんと呼ばれるようにと。そして果てはお祖母さんと言われるようになるのです。あなた、父の兄(baba muvyere)よ、あなた。さあ、あなた、ワリはこれです、副菜はこれです。あなたは歯がないので、押し潰し、押し潰して食べてらっしゃいましたね。 さて、さて、このワリは、あなたの娘のワリですよ。ムワカの娘の。彼女に健康をお与え下さい。癒しの術が明るくなり(輝き)ますように。悪しき悪しき獣どもは、脇に逸れていきますように。彼女が耕せば、収穫を得、妊娠もしますように。私たちは木の杭を打ち込まれたいのです225。 Chari(C): さて、お祖父さん、私はあなたにあなたのこのヤギを差し上げました。このヤギはずいぶん以前にあなたのためにおとり置きしていたヤギです。今日、今、私はあなたのワリを差し上げました。私はあなたが装う布を差し上げました、私はあなたに日除けの布も差し上げました。今、私は健康が欲しいです。稼いで富を得たいです。私は、驚き途方に暮れています。妊娠したと思ったら、子供が腹の中でいなくなってしまうのです。人とは子供によって救われるものです。今日、私はヤギをもって来たじゃないですか。私は、縛られています。私が人間である以上、今私も、子供が欲しいのです、私も。
Chari(C): 私は(ジャコウネコの池の家には)今、不在です。明日になったら(残してきた娘が)「私は曽祖父さんのところに行くの」と言うかもしれません。どうでしょう。私は子供のために何もできません。まったく。私一人だけなんだから。今、私は健康が欲しい。私の癒しの術が明るくなり(輝き)ますように。私の子供たちが、私の夫ともども、健康でありますように。二人そろって稼いで、富を得られますように。たとえ狭いとはいえ、土地を引っ掻いて(耕して)、得られたトウモロコシがありえないほど大量でありますように。だって、貯めおかれるお金は、家の中(に貯蔵された)のトウモロコシだと言うじゃないですか。 私は健康が欲しい。つつがなきことこそ私がここに祈願しに来たものです。あなたのヤギでしたら、お差し出しいたしました。あなたの布もお与えしました。あなたが身につける布もお与えしました。今は、そう、私は健康がほしいです。この病気はここに置き去りにできますように。 そう、腹が唸る事はなし、あるいは腹が水の声でしゃべることもなし、身体の節々が壊れ痛むこともなし。もしあれらのシロアリどもを連れ込んだのが、まさしくあなたなら、私がここを去れば、もう一匹たりとも家の中にシロアリを見ることがないよう望みます。そして稼げば、収入が得られますように。
Chari(C): あなた、曾祖母さん(mayo muvyere226)、あなたはムワカ母さんとも呼ばれています。私はここに来ました。ヤギを連れて来ました。誰のヤギを連れてきたのでしょう。あなたの息子デレのヤギです。デレとあなた自身ご一緒に。だって、人は、自分独りで食べるために物をもって来てもらったりしませんよね?あなたはデレをお生みになりました。あなたこそが豊穣をもたらし来た者(ndiwe mudza na luhango215)。私たちは、ここ世界の中に生きております。そしてあなたこそデレをお生みになった方です。ついでデレはムワカを産みました。そして彼女ムワカがチャリを産みました。チャリは私です。そうこのヤギは私が持って参りました。どうか皆様お召し上がり下さい。またこれらの布を皆様にお着せしました。そして美しい油を差し上げました。 私は健康が欲しい。私は稼いだ富が家にやって来て欲しい。そして私は、たとえほんの狭い土地でも耕して、さらにトウモロコシの収穫が得られることを願います。トウモロコシの穂こそ、お金を家に置いてくれるもの。その暁には私はあなたを再び思い出すことになるでしょう。私には、皆様方が私に富をくださったのだとわかるからです。癒しの術が明るくなり(輝き)ますように。先日外に出した癒しの術も、私はそれが本物の癒しの術であることを欲します。
Chari(C): 嗅ぎ出し(kuzuza24)、鍋(nyungu56)を置くこと、マパンデ(mapande50)の装着、薬液(mavuo59)、癒やし手は「そのとおり」と言われる者であれ。癒やし手は不平を言われる者であってはなりません。癒し手を試そうとする者、たとえ私がその者に土で試したとしても、その者が治りますように。あなた、曾祖母さんはあなたです。あなたこそが豊穣をもたらし来た者。そして私は私の健康を祈願いたしに参りました。 Murina(M): 今は、私には家畜を放牧してくれる者すらおりません。あの子供(胎児)が生き返り、その母の胎内に戻るのを私に見せて下さい。なぜなら、私はその子がどこに行ってしまったのかわからないからです。先日(占いで)、我が友よ、あなたのせいだとの結果を得ました。あなたこそがあの子供を隠した者であると。あなたはヤギの約束をうながしていただけだと。私は思いました。ヤギなら私はもっている。それを食べたりしなかった。さて、ご主人様。今日、私はあなたにワリを差し上げに参りました。どうかお解きほどき下さい。 私にはこれ以上言うことはありません。私の言葉は以上です。今は、そう、私はつつがなきことを欲します。良き良き風が私の屋敷の前庭を吹き通りますことを欲します。悪しき風は端を通り過ぎますように。今私は富を欲します。
Murina(M): このヤギをあなたの息子とご一緒に召し上がりください。今、私は収入が欲しいです。人とは歩いていて何かを手に入れるもの。仕事をして収入を手に入れます。人とは歩いていて何かを拾うもの。ヤギはブッシュへ行って、そこで仲間のヤギを手に入れてきます。 今、私は私の癒しの術が明るくなる(輝く)ことを願います。たとえ白人の土地であっても、友たちと仲良く意を通じ合うこと、それこそ私が欲すること、私は繁盛を欲します。一年が終わるときには、家がすっかり新品のヤギたちで溢れていますように。過去のヤギたちは脇に置いて。どうかワリをお食べ下さい。
Bati(B): お母さん、このワリを。そう、このワリはチャリとともに来ました。チャリはあなたの孫娘です。ムワカの娘です。さて、今、つつがなきことを。彼女自身、健康を求めて来ました。彼女が涼しい風に打たれますように。 このワリとともに、彼女は祖父のためにヤギを連れてきました。さあ、あなた方、ワリを食べ、彼女に健康をお与え下さい。
Bati(B): さて、当地ですが、私には仕事をしている子供がいます。さて、その仕事場で問題が起きて、お呼びがかかるまでここ(家)にいろとのこと。これがお前のお金だと言われたそうです。今、私がここで申しますように、息子を助けてほしいのです。申します。彼に手紙が届き、「あなたの所持品を取りに来て欲しい、そして、仕事に戻って欲しい。仕事先で暮らすように」と。これぞ本人も望んでいることです。彼を揉め事に巻き込んだ彼奴ら、私は申します、彼奴らを吹き飛ばして下さいと。さらには、息子があちらに着くと、彼自身がボスとなり、畏れ尊敬される者になりますように。なぜならあなた方は見ておられる。私たちには物事は見えません。でもあなた方は見ておられる。 さて、私がここで申し上げました問題が、一月も経つかどうかで、過ぎ去り終わっておりますように、私はお願いいたしました。「チュービが呼び戻されました、この手紙で」と私が耳にできますように。なるほどあなた方には解きほどく力があると、私に教えてください。さて、あなたはとくに神の御前に行かれ171、前に進まれて、小さい者どもを残していかれた。さて、あなたが残して行かれたこれらの小さい者ども、私に残していかれ、今や私が育てたこの者たちは、自分たちの祖父のいるところすら知りません。
Bati(B): さて今、このヤギはチャリのヤギです。彼女が持ってきて、彼女の祖父に捧げに来たのです。さて彼らを自由にして、解きほどき、彼らが涼しい風に打たれますように。彼らが畑を耕したら、収穫が得られますように。あのあなたの息子、あちらで仕事に就いている息子です。ところで彼が仕事をしていたとき、彼はあなたにヤギを与えました。そうして彼はあちら(仕事場)に参ったのです。さてその後、彼はそこから出ましたが、私はお願いしました。彼に手紙が届いて、ほらこの手紙が届いたよと言われますようにと。(その手紙には)「あなたは仕事場で必要とされています。ここにはあなたの身の回りの品々があります。こちらに仕事をしに来て下さい」。これこそ私たちが欲していることです。私たちは...(Chuphiに向かって)お前も話しなさい。 Chuphi(Ch): さて、あなたは、まだ私が小さい頃に、私を後に残されました。私はまだ大きくはなってませんでした。私は学校で学び、学び、ついに仕事を手に入れました。今、私が先ほどここでお話したように、ここを去ったら、すべての問題が一直線に(laini mwenga)になりますように。今は、私が希望していた例の施術を実施し、それが成功し、ことが上々に運ぶように調えます。あなた方も、どうかそちらでお解きほどきください。なぜなら今ここで、あなたこそがすべての問題をすっかり見ておられる方。そして私を捕らえていたあの病気が、すっかり立ち去ってくれますように。
Chuphi(Ch): それは薬(muhaso29)ではありません(妖術によるものではない)。その(職場での)問題は。そう、私はお願いします。皆様方、仕事が良好に進んでいきますよう、お解きほどきくださいと。私たちは子供(複数)をなしました(hudzima227)。でも、どの子も健康が思わしくありません。私はお願いします。彼らもお解きほどき下さい。あなたの息子たちの妻らも、健康が思わしくありません。このキジも病気がちです。彼女もその子供たちともどもお解きほどきください。 あなたの子供も、屋敷に帰って来ますように。どうしてカゾ母さんがここにいないのでしょう。あなたの子供が、屋敷に帰って来ますように。なぜなら今、私たちは(今までずっと)心配しているのです。だって、今や私たちがまるで彼女と仲違いしたかのように見えるんですから。私たちはけっして彼女と仲違いなどしていません。はい、彼女は誰にも分かれを告げずに、いなくなったんです。いったい彼女をどうやって探せばよいというのでしょう。私はお願いします。彼女が今いる場所から、彼女を引き寄せて、自分でやって来させて下さいと。私たちが彼女を追い出したわけではありません。とんでもない。彼女自身が自分で自分を追い出したのです、あの人は。そう、彼女の心を変えさせて、彼女がやって来るようにして下さい。(屋敷には)小さい子供たちもいます。私はお願いします。彼らに勉学心を与えて下さい。彼らが勉強するように。私は、彼らが勉強して、一人前になるようにと、お願いいたします。あらゆることが、明るくなりますように。
Chari(C): さて、あなた伯父の妻(mukaza228 aphu220)よ、私は今日この日お話しいたします。私はヤギをもって参りました。そのヤギはあなたの義理のお父さん(bevyalayo229)のヤギです。このヤギはあなたの義理の父のためにとり置いてあったヤギなのですよ。あなたは神の御前(mbere za hachi171)に行ってしまわれた。この世を充分に見て回ることも、まったくなく。あなたは子供たちを後に残されましたが、彼らはそのときまだ言葉もわかってはおらず、ものもわかってはいませんでした。屋敷に残された子供たちの一人だけが、臼でトウモロコシを搗くことができる年齢でした。 今日、私はあまりの異常にすっかり驚いてしまいました。この(後に残された)あなたの娘本人が、今はどの方面にいるのかわからないというのですから。私たちはいったい何の間違いが起こったのかわかりません。今日、今、私はあの子たち、(残された)男の子供たちのつつがなきことを欲します。仕事についている子は、彼が稼げば、収入を得ますように。悪しきこと、悪しきことは、脇を通り過ぎて行きますように。良きこと、良きことこそ、あれらの男の子供たちに私たちが欲することです。 女の子供たちも、一人はとても重い病気です。もし皆様方の援助が得られますなら、ねえ、その子が治ってくれますように。
Chari(C): そしてモンバサにいるという彼女、彼女も、どうか皆様方、引っ張り寄せて下さい。だって、娘は嫁いで婚資をもたらし、それで自分の兄弟たちに妻を娶らせる者。なのにいったいどうして彼女はブッシュを転々としているのでしょう(町であちこち居所が定まらない)。さらにこのあたりでは、仕事に行ってそのままそこで暮らそうという者はおりません。どうして皆様方は、この者を追い払ってしまわれたのですか。今も、彼女は町(madzombani230)にいます。いったいいつから、ここ出身の者が町に行って暮らすようになったというのでしょう。ですから、あの者を屋敷に来させて下さい。嫁いで婚資をもたらす子供は彼女なのです。彼女を引き寄せ、屋敷に来させて下さい。他の子供たちも彼らのキョウダイのために心配しています。子供たちは全部で4人、その4人ともさ迷っています。私は私の家のつつがなきことを欲します。でも私より年下の者たちのつつがなきことも欲します。
Chari(C): さて今、私はヤギを差し出しに参りました。私がここを去れば、雨が降りますように、人々がトウモロコシを収穫できますように。というのも、人々はムァングーダ(地名)のことを(そこに移転しようかと)考え始めています。ここではトウモロコシの収穫が望めない、(トウモロコシが)もうほとんど210 (熟しそう)とみると、雑草が茂って、トウモロコシは死んでしまう。 Chuphi(Ch): さて、私たちは、現金収入のために屋敷を離れています。ここにいる人々は、食べ物を手に入れられますように。 C: トウモロコシを熟させる雨が降りますように。(トウモロコシを水分過多で)萎えさせてしまう(kuhosa231)雨じゃなくて、トウモロコシを熟させる雨よ。
Murina(M): 病気、病気(manyonge232)は立ち去りますように。人々は健康だけが欲しいのです。良好に。 Chari(C): つつがなきことを。お祖父さん。私たちは健康が欲しい。私たちを涼しい風が打ちますように。ご覧ください、この土ぼこりを。あなた方が吹き寄こされた土ぼこりを。ええ、私たちはそれはムルングのせいだと言います。でもあなた方も、私たちが土ぼこりに苦しんでいるのを見たら、私たちに日陰を作ってくださり、私たちを涼しい日陰にいさせて下さい。一人の姉妹がおります。彼女の夫は今はキリスト教徒です。彼が屋敷に着けば、彼が気持ちを変えて、宗教を捨て、ドゥルマのやり方に戻って、私の姉妹に治療を受けさせてくれますように。彼女はまだ子供が産めるのです。
この辺りでは、人は子供を残して死ねば、死後祖霊(k'oma)になるとされる。祖霊は残された子孫の夢に現れ、さまざまな要求をする。これが「祖霊が~に夢を見させる(yunamulohesa ~)233」という出来事である。
ちなみに、子供を生むことなく死んだ男は、祖霊になることはできない。その遺体は「燃えさしの棒 chinga cha moho」を添えて埋葬される。背中にそれを添え、「お前、人に二度と夢を見させるな。お前はここに子孫を残さなかった。焼けぼっくい、これがお前の子供だ。(We utsilose kahiri, uwe kusiyire kuku. Mwanao ni chichi chinga cha moho.)」などと(人によってバリエーションあり)と語りかけながら234。
ともあれ、祖霊(k'oma)の仕事は夢を見させることであるようだ。実際ドゥルマ語のk'oma自体、「夢」と言う意味でも用いられる。つい、夢はお前が見てるんだろうと突っ込みたくなるかもしれないが、誰も見ようと思って見ているわけではないので、やはりなにかによって「見せられている」という見方は充分ありうる。
祖霊は生前の姿で夢にやって来て、さまざまな要求を子孫に伝える。それは間接的な形で伝えられる場合もある。例えば死後、日の浅い(数年以内の)死者が夢の中にやって来て、食事を所望したら、それは「熟した服喪(hanga ivu2)」を開催して欲しいという要求である、など。夢で伝えた要求が、あまり叶えられないようだと見ると、祖霊は他の徴を送りつけてくる。ツチブタが敷地内を掘り返すとか、陸ガメが敷地内に入り込んだとか、シロアリが施術の袋ムコバ(mukoba4)を食べたとか。これらは占いによって、祖霊の仕業だと確認されたりする。これらと並行して祖霊はさまざまな災いを子孫に送りつける。病気が代表例だ。それ以外にも仕事を解雇されるとか、家畜が死ぬとか、ありとあらゆる災いや困難が祖霊の仕業でありうる。
もちろん、誰もできれば、さっさと祖霊の要求を叶えてしまいたいのだが、日々の食事にも苦労しがちな貧しいドゥルマの人々にとっては、それは決して容易なことではない。死後日の浅い祖霊の要求である「熟した服喪」をいつ開催するかは、単独の屋敷を超えた大リニージの問題で、4~5世代前の創始者のすべての子孫である長老たちの集まりで議論される。当然のことだが、「熟した服喪」を開催したい屋敷あるいは小リニージは多く、順番待ちになっており、次はどの死者に対して開かれるべきかは、しばしば激論の末決定される。「熟した服喪」の莫大な出費は多くの人々の協力でまかなわれるので、大問題なのだ。かつては熟した服喪が済むまでは死者の財産(残された妻を含む)の相続ができなかったので、そのためにも熟した服喪の開催を急ぐ理由があった。ともかく「熟した服喪」を開けるまでは、祖霊は夢で催促し続けてくるだろうし、いろいろな問題を引き起こしてくる。しかしすぐに要求をかなえるのは無理なので、その都度、死者の墓に出かけて、もし墓が遠方の場合は、自宅の戸口で、あるいはそこに立てた「祖霊の棒(chigongo cha k'oma12)」の場所で、半分に切った瓢箪の容器に入れた少量のトウモロコシ粉水で溶いただけのもの(ムヴア(mvua235))を撒きながら、祖霊に自分たちの苦境を説明しつつ、もうしばらく待ってくれるよう説得するしかない。
サダカについても同様である。「熟した服喪」を終えた祖霊に対しては、サダカを開くことができる。というか、祖霊は夢でいろいろな要求ができるようになる。祖霊の要求は肉にせよ、布にせよ、日除けにせよ、多くの場合は、待ってもらうしかない。
最初の巨大なハードルである「熟した服喪」を開催してもらった祖霊は、それで満足して以後おとなしくなってくれるかもしれないが(またチャリのようにその傾向があると言い張る人もいるのだが)、強力な祖霊は、今やここぞとばかりに、さまざまな要求を繰り出してくるかもしれない。これもそれを叶える約束をしつつ(墓場、または「祖霊の棒」で)、待ってもらう。そして充分な余力ができたときに、サダカを開いてその饗宴で祖霊の要求をかなえるのである。
一族の誰かが、祖霊の誰かのためのサダカを開くことになると、それはその死者の子孫たち全体にとって、さまざまな祖霊たちとの間で抱えている係争に、小休止をもたらす格好の機会を提供する。一人の祖霊に対するサダカでは、同じ墓の敷地(chikuta)を共有する一族の主賓以外の祖霊たちも饗宴のご相伴にあずかれるので、みんなハッピーになってくれそうで、その機に乗じて彼らに借りのある生きた親族たちも、彼ら彼女らに対していろいろお願いをすることができる。この点は、ここで取り上げたデレに対するサダカで、参加者がそれぞれいろいろな死者に対してここぞとばかりに語っているあれこれのなかにも見て取れるだろう。
ここで取り上げる事例では、母方の祖父デレ(チャリの母の父親)に端を発する、一族に帰属する「癒しの術(uganga)」をチャリも引き継いだことによる、デレとチャリとの関係が焦点になっている。チャリはムリナと駆け落ち同然の形で結婚したが、その頃から病気で苦しんでいた。病状は深刻で、いっそキリスト教に改宗して病院で治療を受けようかと思うほどだったという(癒しの術を出すに至るチャリの病歴)。でも「一族のなかで継承される癒しの術は、とっても厄介」で、それを受け入れるまでは本人を病気で苦しめ続ける。極貧の中での二人での闘病生活は6年続き、7年目にチャリは癒しの術を外に出してもらった。たくさんの霊が出現したが、外に出してもらえた霊はムルング(ムルング子神6768)一人であった。最初に外に出さねばならないのは、憑依霊たちの筆頭であるムルングというのが決まりになっているからである。
チャリを外に出した施術上の父は、チャリの姉の息子(彼もデレの癒しの術を引き継いでいた)バンジュ(別名ムヮバンズ)・ワ・ムレマ(親族上はチャリの「息子」にあたる)、施術上の母はチャリとは直接親族関係にはないメズマという名の女性施術師であった。外に出す施術には必ず男女二人の施術師が、患者の施術上の父と母17として必要とされている。それは瓢箪子供69として、つまり患者の「子供」として「外に出される」憑依霊にとっての父と母でもある。その男女二人の施術師は自らも、出てくる憑依霊をもっている(瓢箪子供をもっている)施術師でなければならないからである。
こうしてチャリは施術師として活動を始めた。病気は治り(小康 kabaha236を得た)、チャリは占いをした。良く当たったという。しかしそれは半年しかもたなかった。半年たって、チャリは突然占いができなくなり(「閉じてしまった」と彼女は言う)、それとともに病気がぶり返した。チャリの癒しの術を封印してしまった(「結んだ、閉じた(kufunga)」)のは、ムルングが外に出されて仕事をもらったことを嫉妬する他の憑依霊たちの仕業だった。チャリは、下手人としてとりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人カシディ(kasidi163)を挙げている。チャリは再び5年間、重病に苦しむことになる。チャリは、彼女にとって二人目の施術上の母フピ・ワ・ンゴメに出会い、治療をうけた。その過程で、チャリの最も強力な持ち霊となる「世界導師(mwalimu dunia237)」が出現する。そのエピソードについては別のページで紹介したい。フピとは、後にチャリは喧嘩別れすることになるが、チャリは今なお彼女のことを地域で最も偉大な、道を極めた施術師だと評価している。彼女によってムルングを外に出し直し、さらに憑依霊ドゥルマ人(muduruma161)と「世界導師(mwalimu dunia237)」を外に出してもらう。この時の施術上の父はマシュディ・ワ・マンガーレであった。その後チャリたちは、そのままフピの屋敷に部屋を与えられ、新しい住まいが見つかるまではそこで暮らすことになる。
この「世界導師」や、同じくチャリの持ち霊で今ひとつ正体不明な「憑依霊ガンダ人(muganda241)」などについて、私は長い間、チャリ独自の霊(キナンゴ近辺では「世界導師」や憑依霊ガンダ人を持っている施術師は他に一人もいなかったので)だとずっと勘違いしていた。これらがチャリの祖父デレの持ち霊であったことがわかったのは、なんと1998年の調査でだ。すごくダメな調査をしているな>私。
というわけでチャリがデレの癒しの術を継承しているというのには、私が長い間考えていたよりも、実質的な内容がともなっていたのである。 詳しくは別稿: チャリの癒しの術の継承の経緯をご覧いただきたい。
そこからもわかるように、チャリの癒しの術がデレの癒しの術の継承であるというのは、単にデレが高名な施術師であったから、その流れを受け継ぐという以上のものである。デレの持ち霊までやってくるという意味で、有無を言わせない継承なのだ。なぜなら、憑依霊はこちらが来て欲しいと思ったからやってくるような奴らではなく、こちらの意思や願いとは無関係に自分たちの勝手でやって来て宿主に選んでとり憑く奴らだからだ。実際、憑依霊ガンダ人と世界導師は、ともに重病に苦しむチャリの夢の中に出現して自ら名乗ったとされている。拒んだら去ってくれるような連中ではない。まさに癒しの術の継承は「厄介なのよ」なのだ。
ほぼ同内容だが、デレの癒しの術の継承関係の説明他(2004年の調査)では、やや詳しく癒しの術の継承が母系をたどるという説明がなされている。
さて、この2度目の外に出すンゴマによって、チャリは再び健康を取り戻し、施術師としての活躍が始まった。しかしこの活躍のせいで、チャリによると、施術上の母フピとの関係が悪くなる。「私を外に出した後で、彼女は私に不正を働いたのよ(私を嫉妬したのよ)。私の憑依霊たちがそれはそれは本当に仕事をするもんだから。なぜなら彼女は私を覆ってしま(kunifinikira246)おうとして、失敗したのよ。」とチャリは言う。さまざまな経緯の後、チャリ夫婦はフピと袂を分かって、最終的に「ジャコウネコの池」に移り住むことになる。それが1986年の終わりであった。
「ジャコウネコの池」で、チャリはよく当たる占いで評判となり、施術も繁盛する。私が「すっぱい」村のカリンボさんに誘われて、パートナーの不調を占いに行って初めてチャリに出遭ったのが、その翌年1987年であった。チャリの占いには連日行列ができているほどで、私たちが午後4時近くに行ったときには、朝からずっと占いをしていてもう疲れたから止めたいみたいなことを言うのを、あえてお願いしたことを覚えている。まさに絶好調のときに出遭っていたことになる。この年の8月に私は帰国し、1989年8月に再び戻るまで2年間の空白がある。この間に、チャリの夫婦に何があったのだろうか。
私がカタナ君によって正式にチャリ夫婦に紹介されたのは1989年11月17日であった。この時点では、私は彼らについてほとんど何も知識をもっていなかった。私の目には活発に施術活動をし、熱心に癒しの術について語る精力的な二人に見えていた。翌日招待された「月のカヤンバ」でも、飢饉の年であったため施術上の子供たちからの金銭的貢献がほとんどなかったにも関わらず、自腹で彼らに報酬を払い、食事を振る舞うなど、多くのこの地方の人々同様に貧しくはあるが、それなりに余裕のある暮らしぶりに私には見えた。
しかし、この「月のカヤンバ」での憑依霊と人々のやり取りのなかで、すでにチャリ夫婦が直面しているいくつかの問題が語られていた。当時の私はほぼ何のことか理解していなかったが。
整理すると3つの問題になる。
一緒になって以来、ムリナとチャリの間に子供が生まれていない。「月のカヤンバ」が開催されたとき、この年に、腹のなかにいた子供が「消えてしまった」「死んでしまった」とチャリが語る出来事が起きている。このカヤンバではムリナはおそらく妖術を疑っており、下手人を教えてほしいと食い下がっているが、憑依霊は答えることを拒み、別の夫人の子供の問題に話題を変えて、占いモードに入っている。この問題は、このサダカにおいても取り上げられ、妊娠の失敗が占いでデレのせいだとわかったと語られている。
チャリの「病気」。単にチャリは妊娠できないだけではなく、1988年以降、再び体調をくずし、ドゥルマでは女性に最も期待されている労働である畑仕事が一切できなくなってしまった。この問題は、「月のカヤンバ」では妊娠の問題といっしょに問題にされているが、自分の畑に食料の調達が期待できず、食料の多くを購入にたよることになれば、次に述べる施術が以前のように繁盛しなくなった点とあわせて、事態の深刻さはいや増すことになる。1990年以降次第に肥大化していく、近隣からの妖術攻撃の疑いはこの状況と切り離して考えることはできない。
かつてほどチャリの施術が繁盛していない。1986年にムリナとチャリが「ジャコウネコの池」に移り住んだ当初から1~2年は、チャリの占いはよく当たるという評判を呼び、連日相談者が詰めかけていた。同時に施術も繁盛した。チャリに問題点を言い当てられた相談者は、その問題を解決してくれる施術師候補にチャリ自身を含めることが多いので、自然と施術の客も多くなる。その幾人かはチャリの施術上の子供となる。しかしこうしたことは、施術師になりたての人にはよく起こることだ。人々はニューフェイスに期待するものであるが、こうしたブームはたいてい数年で終息し、地域の他の施術師たちと同じような仕事のペースに戻るのだろうと、私は見ている。しかしチャリたちにとっては、こうした後退には、なんらかの原因があるはずだということになる。
一つは、他の憑依霊たちの嫉妬である。すでに認知され、外に出されて仕事の要求を叶えてもらった憑依霊たちに、自分たちの同様な要求がまだ叶えられていない他の憑依霊が嫉妬して、施術師の仕事を封じてしまおうとする。チャリが最初にムルングを外に出した際にも同じことが起こったとされている。チャリは占いをし、それは成功だった。しかしわずか6ヶ月でチャリは占いができなくなってしまった。それはムルングだけが外に出してもらったことを妬んだ、憑依霊ドゥルマ人たちの仕業だった。「月のカヤンバ」でも、チャリの施術の退潮を引き起こしているかもしれない、他の強力な憑依霊の要求を次に叶えることが話題になっている。元々「月のカヤンバ」の次の週に予定されていたライカとシェラを「外に出す(kulavya nze15)」ンゴマに関するムリナと憑依霊との打ち合わせ(?)がこの日の、憑依霊とのやり取りのかなりの部分を占めていた。このンゴマは結局12月に実施され、チャリはライカ、シェラ、憑依霊ディゴ人(これらの憑依霊は同じ一つの瓢箪子供に同居)を正式に外に出された。これで問題が解決すれば、問題はこれらの霊によってもたらされていたことが確定する。
自分たちの成功を妬んだ妖術使いやライバルの施術師による攻撃も、もう一つの可能性である。11月の「月のカヤンバ」では妊娠が阻害されている問題にも、この可能性が持ち出されていたが、チャリたちの施術の退潮についても、その可能性は示唆されている。これは少し後の話になるが、この可能性が1991年以降は手のつけようがないほど肥大し、ムリナ夫婦は近隣の長老を妖術使いとして告発しようとするところまで行ってしまうのである。
1990年の1月に開催された祖先デレに対するサダカでは、これら3つの問題がすべて祖霊デレの仕業である可能性に重きが置かれている。人々にとって、このサダカはこの疑念に対する答えを提供するはずだ。何年にもわたってペンディングになっていた祖霊の要求についに正式に応答し、負債をなくしたことで、もしデレの怒りが原因であったとしたら、すべての状況は改善されるはずである。もし改善されなかったなら、出発点に戻って別の犯人の可能性を追及することになるだろう。
私はフィールドにいなかったが、これらの問題は1988年にはすでに顕在化していたようだ。
冒頭近くのチャリのデレへの語りかけのなかに述べられているように、デレの関与は、チャリが施術師になるきっかけとなる、ムリナとの結婚のすぐあとに始まる最初の病気の時に遡る。そもそもヤギはそのときに要求されたものだった。チャリがいっしょに暮らしている夫のことを知らされていないことに、デレは怒っていたらしい。しかしその後の治療の過程で、デレが彼の癒しの術の継承をチャリに求めていることが明らかになった。ムコバの継承の要求は、すでにデレの子孫たちのあいだで繰り返されていたもので、いくら治療してもしつこく繰り返す病気は、自然とこの要求の観点からながめられることになる。
ただこの時期、ムリナ夫婦は極貧状態だったため、ヤギを約束するゆとりなどなかった(そもそもヤギを所有していなかった)はずで、ヤギを取り置き、サダカを約束したのはチャリの施術が順調でヤギを何頭か所有できていた1986年以降だと思われる。
それが正確にはいつだったにせよ、チャリと当時まだ存命だった母ムワカは1頭のヤギを、デレのために取り置き、それを遠くない将来デレに対して差し出す約束を行ったという。 その後も、チャリは施術師として順調な稼ぎがあり、取り置いたヤギは仔ヤギを産んだ。そんななかで、デレとの約束の履行は再び後回しになってしまったようだ。あらゆることがうまく運んでいるときに、真っ先に忘れられるのも、祖霊に対する約束であるみたいだ。
その後、1988年に入り、初期の施術の成功にも陰りが見え始め、繰り返す妊娠問題、病気のぶり返しのなか、再び祖霊に対する負債が想起される。デレに対するヤギの約束を思い出させたのは、チャリの語りかけにあるようにムリナだった。ムリナが言っているように、デレはムリナを訪問し、ヤギを殺そうとした。デレはヤギが約束通り届けられることはない、自分は騙されたのだと思ったのだろうとムリナは語り、ヤギを殺さないようにとデレを説得した。
夢はつねに占いによって確認されねばならない。占いは、チャリの妊娠のトラブルも、病気もデレの仕業であると示した。デレの祖霊の棒に対してしばしの猶予が乞われる。そして約束は再び日々の忙しさのなかに紛れてしまう。やがて、さまざまな凶兆が送られてきた。なかでも黄色アリ(ng'anda)の小屋への侵入は、あまりにもあからさまな徴しであり、占いは再びそれがデレの送った催促であることを確認した。サダカをもうあまり遅らせるわけにはいかない。そして施術の編み袋ムコバがシロアリ(lutswa)に喰われるに及んで、もう待ったなしで、このサダカになったわけである。このように祖霊の要求はけっして永遠に拒み続ける訳にはいかず、その督促は容赦ない。
とは言うものの、祖霊に対する負債は、サダカという定まった「身を切る」饗応によって返し切ることができる、確実に解消できるトラブルでもある。
祖霊の要求が正面にある原因であるとしても、もちろん、それは他のより深刻な物語を排除するものではない。ムリナの語りの中では、チャリの施術の成功を妬んでいる隣人たち、そのなかにいるはずの妖術使いの攻撃の疑いが繰り返し語られている。憑依霊や妖術使いの方が、しばしば緊急に対処すべき当面の課題として立ちはだかる。だが祖霊が執拗に送りつけ続けるサインによって、かなりショッキングなサインによって、ときに祖霊が最優先で取り組むべき課題として浮上することもある。サダカが行われるのは、そんな場合だ。
祖霊デレはサダカの饗応を受けることによって今や、より深刻な攻撃に対する迎撃を祈願してよい存在となる。つまり祖霊に対する負債は、最初に確実に取り除くことができる、できれば最初に取り除いておくべき、でも緊急性は普通少なめな障害なのである。
長い期間の後、ようやく祖霊に対する負債を払い終え、人々の気分は(しこたま飲んだヤシ酒の影響もあるが)軽くなっている。参加者全員が、事態の好転を期待している。もちろん現実は往々にしてそんな甘いものではないのだが。
より過酷な戦いが待っている。私の目には、もうキリがないようにしか見えない。ある憑依霊の要望を満たしても、要望が放置されている他の憑依霊がいる。そして妖術使いたちは、どんなに対抗してその攻撃を跳ね返しても、執拗に新たな攻撃を仕掛けてくる。いい加減にして欲しい。そして、もっともげんなりすることに、祖霊だって実は一人ではないとわかるのだ。え、あの人も!?もう!!

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tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
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。ここではデレにとってチャリは娘の娘つまり孫娘であるが、孫娘=姉妹として、チャリの夫がムラムと呼ばれている。 ↩
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