ニューニあるいは「上の動物/憑依霊(nyama wa dzulu)」

目次

  1. ニューニとはなにか

  2. ニューニの攻撃モード

  3. ニューニに対する施術

    1. 「飛び立たせる」

    2. 除霊する

  4. ニューニの施術師

  5. ニューニの施術師たちとの対話

  6. 注釈

ニューニとはなにか

ドゥルマの憑依霊(p'ep'o, nyama, shetani)たちと、彼らと人間との関わり合いについて述べていくうえで、一応触れておいた方が良い、微妙な立ち位置の霊的な存在者について簡単に紹介しておきたい。それはニューニ(nyuni1)と総称されるやつらである。

彼らは極めて限定された攻撃対象と、攻撃された者が示す独特の症状によって特徴づけられる。ニューニの攻撃対象は、ほぼ乳幼児に限られる。そしてそれが引き起こす症状は、乳幼児に多いひきつけ痙攣を中心とする、乳幼児に死をもたらしうる特定の症状群である。手足を痙攣させて地面にこすりつける、口から泡をふく、ひよめきが膨れたりへこんだりする、頻呼吸になり脇がペコペコ動く、呼吸がぜろぜろする、白目をむく、高熱を出す(あるいは逆に身体が冷たくなる)、泣き止まなくなる、母乳を飲めない、嘔吐や下痢、身体がやせ衰える、皮膚の色が異常(生まれたときから黒ぐろしている、あるいは逆に血の気がなく「白い」)、意識を失ってぐったりするなどで、それぞれは違う原因によるものかもしれないが、こうした一連の多くは突発的な、あるいは異様な乳幼児の状態がニューニのせいだとされる。

当然、こうした乳幼児の異常は、緊急の対応を必要とする。屋敷(mudzi)じゅうが大騒ぎになる。

ニューニ(nyuni)という言葉自体は、ある種の鳥の名前である。つまりキツツキ。キツツキは、それが旅をしている人の進行方向で鳴くか、右手か、左手か、後方かで、その旅に何が起きるかを人に告げる予兆の鳥であるとされているが、キツツキ自体は乳幼児を攻撃するニューニとはみなされていない。じゃあ、そいつらをキツツキと総称するなよ、と言いたいところだが、言ってもしかたがない。

キツツキにとっては迷惑な話だが、キツツキつまりニューニという言葉を乳幼児がいる場面で口にすることは禁止されている。もし乳幼児がすでにニューニに攻撃された経験がある場合、その言葉を口にするだけで、再度発作が引き起こされるとされているからである。というわけでニューニという言葉は、こうした乳幼児がいる場面では使わずに婉曲表現「上の動物/霊(nyama wa dzulu)」という表現でそれらに言及しなければならない。じゃあ、最初からニューニなんて呼ぶなよ、と言いたいところだが(以下略)。

「上の霊」というだけのことはあって、ニューニの代表的なやつらは「鳥(nyama wa kuburuka36)」である。ムウェー(mwee37、鷹)、ニャー(nyaa39、ダチョウ)、キルイ(chilui40、想像上の怪鳥)、ズカ(zuka42、おそらく想像上の怪鳥)など。それぞれが別名をもっている。ニャグ(nyagu38)はムウェーの別名、キルイはズニ(dzuni41)、ズニ・ボム(dzuni bomu「大きいズニ」)という名でも知られているなど。これらは内陸部の荒蕪地(nyika44)を棲み処としていおり、荒蕪地のニューニ(nyuni wa nyika)と呼ばれることもある。 しかし鳥ばかりではない。海の生き物、カニ、エビなど各種甲殻類やある種の魚も「海(海岸部)のニューニ(nyuni wa pwani)」と呼ばれている。 さらに、カヤンバやンゴマ45で憑依霊として登場して踊る憑依霊たちのある者は、ニューニとして扱われることもある。ムァハンガ(mwahanga49、「葬式男」)、ゴジャマ(gojama30、人食い怪物)、ムドエ(mudoe50、ドエ人(mudoeは民族名である))なども。

実は、ニューニにどんなやつがいるかは、ニューニの施術師ごとにけっこうばらつきがある。最初に挙げた鳥たちはほぼ誰もが認めるニューニだが、下に行くほど施術師ごとの判断が分かれる。施術師たちは、しばしば他人は知らない自分だけが知っているニューニについて得意げに語る。何人かの施術師の説明を日本語訳して紹介しているので、読んでいただきたい。

ニューニは内陸部の荒蕪地の鳥たちであれ、海岸部の魚や甲殻類たちであれ、いずれも荒蕪地から海岸部へ、海岸部から荒蕪地へ移動しているとも考えられている。これらのニューニがその途中で滞在するたまり場(chituo52)がある。屋敷のごみ捨て場(dzala53)、地面の盛り上がっている場所(tsulu54、ちょっとした丘からただの土盛りのような場所まで)、バオバブの大木(muyu55)などである。ニューニは、移動中にたまたま出会った乳幼児(母親に背負われたり、連れられたり、遊んでいたりしている)に襲いかかり(ku-gbwavukira79)、いきなり病気にする。こうした彼らのたまり場に近づくことは危険だ。とりわけ一度ニューニに捕まえられたことのある者は、その治療が行われたこうした場所に近づいてはならない。もちろん、危険な場所はあるが、安全な場所などないので、乳幼児はいついかなるときにもニューニに捕らえられる恐れがある。

ニューニの攻撃モード

ニューニによる攻撃には、二種類ある。 たまたま出会った乳幼児にいきなり襲いかかる(ku-gbwavukira79)、上で述べたような攻撃は、引きつけのような急性の発作が典型である。直ちに治療しないと子供はそのまま死んでしまうかもしれないとされ、夜中であれ、昼間であれ、近所の施術師が大急ぎで呼ばれることになる。ニューニが子供を単につかまえている(捕らえている、握っている(ku-gbwira81))状態が、憑依霊のように子供の中に入り込んでいる(憑依している、子供がニューニをもっている(ku-kala naye))のか、単にトビが鶏をつかまえて飛び去るように文字通りつかまえているだけなのかは、施術師によって解釈が分かれているようである。

こうした急性の発作以外にも、長期にわたる健康状態の悪化、母乳をすぐに吐いてしまう、ぐったりしているなどもニューニによる攻撃とされることがある。こうした子供の長期にわたる不調や病弱も、占いによってニューニのせいだとされる場合がある。その原因のひとつが、ニューニがその子供の母親に憑依している場合である。施術師によっては、ニューニは子どもの中にははいりこまず、母親のなかに入り込んで居座っているのだと述べる者もいる。その場合でも母親自身が危害を加えられることはない。ニューニの攻撃対象はひたすら乳幼児で(大人だってニューニに捕まることがあると主張する施術師もいるが)、母親のなかに居座っているニューニが彼女の子供に危害を加えるのである。そしてそれが急性の発作の場合もあれば、子供の長期にわたる衰弱のような場合もある、ということである。

こうした可能性があるために、子供のニューニの治療の際には、子供だけでなく、母親に対しても施術が行われる場合が稀ではない。

ニューニに対する施術

ニューニに対する施術は大きく分けて2種類である。

  1. 「飛び立たせる(ku-urusa82)」または「振り撒く(ku-vunga83)」

子供を捕らえている/つかんでいる(ku-gbwira)ニューニを、飛び去らせる施術である。ニューニの草木を水の中でもみ潰した薬液(vuo22)を子供に対して念入りに「振り撒く(ku-vunga83)」。その後子供を薬液で洗い(ku-ogesa)、子供が再度ニューニに襲われることを防ぐために子供の脚と手(やり方は施術師それぞれ)にカミソリで切り傷を作りそこに薬(muhaso8)を塗り込むクツォザ(kutsodza84)が施されるのが普通である。

施術はしばしば特定の場所、ニューニのたまり場とされるごみ捨て場、土盛り、バオバブの木の根元などで行われる。そのやり方は、施術師によりさまざまで、単に葉のついた枝を束ねたもの(phungo)を薬液に浸してそれで振り撒く場合もあれば、浅い編み籠(箕)を用いて振り撒く場合もある。またムコネの木の枝だけで組んだ木の台(uringo85)が用いられる場合もある。子供だけが施術の対象になる場合もあるし、母親に憑いているニューニが疑われる場合には、母親に対してもこの施術が行われることもある。

ニューニが母親のなかに居座っている場合、ニューニは母乳を通じて子供に危害を及ぼすとも考えられている。「飛び立たせ」の後に、母親の母乳を守るためのクツォザ、さらには「護り手(murinzi98)」と呼ばれるピング(pingu18)を母親に付けてやる。しかしこれを装着していると、夫婦のいずれかが婚外性交渉をもつと、子供は死ぬと言われてもいる。この点に関しても施術師ごとに微妙な見解の相違が見られる。

「飛び立たせ」の実例

  1. 「除霊する(ku-kokomola3)」あるいは「扇ぐ(ku-punga99)

母親の中にニューニが居座っているとすれば、危険は常にある。女性が産む子供が立て続けに死亡してしまうといった不幸が、占いの結果、ニューニのせいであるということになると、除霊が最後の手段ということになる。しかしこれは極めて危険な施術であるとも考えられている。失敗すると女性は永久に不妊になってしまったり、極端な場合、死んでしまうことすらある。

除霊には、除霊されるべき霊の種類に応じた様々なやり方があるが、通常の憑依霊に対するような、ンゴマ(ngoma45)あるいはマカヤンバ(makayamba48)と呼ばれる、カヤンバや太鼓の演奏をともなう歌の集会を通じて行われる。小屋の中あるいは前庭で患者の女性を囲んで楽器と歌の演奏が行われるが、この「扇ぐ(ku-phunga, or ku-punga)」という手続きによって除霊されるべき霊を呼び出し、その霊に「旅立ち(safari)」をうながす。霊は膝の上に置かれた、それぞれの霊に固有の「物(chiryangona43)」をつかむと走り出し、屋敷のごみ捨て場、近所の土盛り、あるいはバオバブの木の根元に走り着くとそこで倒れる。その場で犠牲の動物の血を飲まされ、患者に薬液を振り撒き、霊をそこに「閉め出(ku-sindika106)」してしまう。

その後は、女性に対してクツォザ(ku-tsodza84)、ピング(pingu)の装着などが行われる。これらの事後的な処置は、除霊したにも関わらず、これらの女性たちには、再びニューニに棲みつかれてしまう危険が残っているということなのかもしれない。これはすでに述べた「飛び立たせ」後の「護り手」ピングの処方とほとんど同じようなものとして語られている。

除霊の後も、「飛び立たせ」施術の後と同様に、女性はニューニを閉め出したこれらのニューニのたまり場には近寄ってはならない。癖になるわけでもあるまいが、一度ニューニに罹患することは、新たな別ニューニによる襲撃の潜在的な可能性をもってしまうことなのかもしれない。厄介な話だ。

除霊について

除霊の実例

ニューニの施術師

ニューニも一応は霊(nyama, p'ep'o, or shetani)の一種と言ってもさしつかえないかもしれない。実際憑依霊のためのンゴマ(ngoma45)で対処される憑依霊のいくつかもニューニの仲間とされている場合がある。しかし、さまざまな意味において、ニューニは憑依霊の世界では、どちらかというと周辺的な存在である。

そもそも、ニューニと憑依霊では、その対処を行う施術師が異なる。憑依霊の施術師は、その人に長年とり憑いている憑依霊たちが、その人に施術師になるように要求し、その人にその霊が必要としている草木や、その霊の歌や、施術の仕方を夢の中などで示すなどがあって、初めてなることができる。そしてその就任のンゴマにおいて、誰からも教えられることなく、ブッシュに隠された瓢箪子供を憑依状態で霊に導かれて見つけ出し、霊の草木を自らブッシュで見つけて折り取り、ンゴマの客の中から病人を見つけて正しく占って見せるといった能力の証明をせねばならない。誰でもがなれるというものではないし、なりたくなくても断れるものでもない。

それに対して、ニューニの施術はお金で他のニューニの施術師から購入できるので、誰でもニューニの施術師にはなれる。実際、万一子供がニューニに襲われた際に、近所にニューニの施術師がいないと困るので、それに備えて自ら施術を購入しておくという人も珍しくはない。同じ理由で、憑依霊の施術師のなかにも、ニューニの施術を購入し「飛び立たせ」をやってのけることができる人は普通にいる。

憑依霊の施術師の仕事は、それを活かしてさまざまな霊の要求を聞き、上手に交渉して霊との和解を取り付け、それによって利己的な要求をかなえるために患者を病気にしている霊を説得して、患者から手を引かせ、患者と霊との間のその後生涯にわたる友好的な関係をメンテすることである。これは簡単な仕事ではなく、他ならぬ施術師自身も、自分に憑いているさまざまな霊たちの相互に矛盾したり競合したりする要求に苦しみ、それをなんとか処理しつつ彼らとの友好的な関係を維持するのにすごく苦労している。もしそれがうまく行っていれば霊たちは、施術師が患者に憑いている他の霊たちともうまく交渉する助けになってくれるだろう。

除霊は、この仕事のアンチテーゼみたいなものなので、憑依霊の施術師は、除霊の施術は行わない。それらはニューニの施術師や、妖術系の施術師の仕事になる。

ニューニの施術師たちとの対話

ベニィロ老人:妖術系の治療が得意な施術師

カリサ老人:ニューニの施術師

ムァゾンボ老人:冷やしの施術が専門の施術師

ハマディ氏:妖術系の治療が得意な施術師 interviewed by Hamisi Ruwa

ダニ氏:ニューニの施術師 interviewed by Hamisi Ruwa

メマタンガさん:ニューニの施術師 interviewed by Stephen Katana Japhet

注釈


1 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu2」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
2 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ1)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola3)の対象となる。
3 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini4」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa524と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume10)、カドゥメ(kadume27)、マウィヤ人(Mwawiya28)、ドゥングマレ(dungumale31)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga32)、トゥヌシ(tunusi33)、ツォビャ(tsovya35)、ゴジャマ(gojama30)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu2」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」1)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
4 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola3)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
5 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola3)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち6)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba9)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu2)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni1)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini4)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
6 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo7)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
7 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso8)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine6)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
8 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
9 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume10)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani11)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
10 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola3)もありうる。
11 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」12による鍋(nyungu19)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe23)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu18)。
12 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術13においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba14)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande15)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu19)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
13 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
14 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
15 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符16。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
16 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata17)、パンデ(pande15)、ピング(pingu18)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
17 ンガタ(ngata)。護符16の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
18 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符16の一種。
19 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza20、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
20 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya21)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu19)とセットで設置される。
21 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo22)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza20)と呼ばれるが)。
22 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
23 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
24 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」25など)を行うことなどを意味する。
25 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ26などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
26 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ25」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
27 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
28 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde29)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama30)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
29 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
30 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola3)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
31 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola3の対象になる)24。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
32 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
33 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine6)の一種という説と、ニューニ(nyuni1)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ34らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola3)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
34 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
35 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ1の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola3)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa24」。see p'ep'o mulume10, kadume27
36 ニャマ・ワ・クブルカ(nyama wa kuburuka)。「鳥」。ニャマ(nyama)は「動物、肉、憑依霊」を意味する名詞。ク・ブルカ(ku-buruka)は「飛ぶ、羽ばたく」を意味する動詞。したがって字義通りに「飛ぶ動物」という意味だが、鳥を指示する普通の言い方としてこれを用いる。スワヒリ語のンデゲ(ndege)も「鳥」の意味で用いられる。
37 ムウェー(mwee)。ニューニ(nyuni1)の一種。ニャグ(nyagu38)、グァヴ・ムクンベ(gbwavu mukumbe)の別名とも。鷲、鷹に似た猛禽類。
38 ニャグ(nyagu)。ニューニ1の一種。ムウェー(mwee37)の別名とも。女性にとり憑いて、その子供に危害を及ぼす。子供は、泣き止まない、やせ衰える、頻繁にビクッと驚く様子を示す、などの症状。ヒツジと泥人形(長い嘴をもつ)で除霊(kukokomola3)される。妻がニャグをもっているとき、夫か妻のいずれが婚外性関係をもつと、子供は病気になる(ただちに死んでしまうとも言われる)。
39 ニャー(nyaa, pl.nyaa)。ダチョウ。なぜかニューニ1の一種だともされる。
40 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu2)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola3)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa5)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni41)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
41 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui40)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni1)」、「上の霊(nyama a dzulu2)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola3)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
42 ズカ(zuka)。ズカ・ラ・キペンバ(zuka ra chipemba)、ズカ・ラ・キカウマ(zuka ra chikauma)等の種類がある。母親にとり憑き、その子供を病気にするニューニ(nyuni1)あるいは「上の霊(nyama wa dzulu2)」などと呼ばれる、鳥の霊の一種。子供の病気の治療には、憑依霊の施術師ではなく、ニューニ専門の施術師が当たるが、ニューニの施術師になるためには憑依霊の施術師のように霊との特別な結びつきが必要なわけではなく、単に他のニューニの施術師から買うことでなれる。ズカが女性が生む子供を次々に殺してしまうといった場合には除霊(kukokomola3)が必要となる。除霊を専門とする施術師がいる。除霊にはズニ(dzuni41)等と同様に泥で作った鳥を形どった人形を用いるが、ズカの人形は嘴が短い。白い鶏、赤い鶏の2羽がキリャンゴナ(chiryangona43)として必要。
43 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
44 ニィカ(nyika)。「荒地、不毛の地、未開地、人跡未踏の地、木々のない草原」。ドゥルマを含むミジケンダは、かつてはワニィカ(wanyika)という蔑称で呼ばれていた。今でもイスラム化したディゴの人々は、ドゥルマ人を田舎者、ニィカの人間だと軽蔑して語ることがある。私が調査した地域のドゥルマの人々は、自分たちの土地がニィカだとは考えていない。しかし同じドゥルマでもさらに奥地はニィカで、そこのドゥルマ人は自動車も見たことがなく、自動車が通ると皆が動物だと思って弓で射ってくる、などと冗談とも真面目ともつかずに話す。憑依霊ドゥルマ人はニィカからサボテンやミドリサンゴの木を打倒しながらやって来て人々に取り付く田舎者の霊として語られる。
45 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri46)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira47)」と呼ばれることもある。
46 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
47 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ48の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(45)、カヤンバ(48)と同じ意味で用いられる。
48 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti46)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira47)」と呼ばれることもある。
49 ムァハンガ(mwahanga)。憑依霊「ハンガの人」。ハンガ(hanga)とは死者の埋葬の後に行われる服喪のこと。ムァハンガはムセゴ(musego)という別名ももつが、ムセゴ(musego)とは埋葬時、およびその直後の「生のハンガhanga itsi」で歌い踊られる卑猥な歌詞の歌。ムァハンガに取り憑かれた者は、平時においてもムセゴを歌ったり、義理の両親(mutsedza)や長老の前でも猥褻な言葉を口走ったりする。女性の産む子供を殺すので、しばしば除霊(kukokomola3)の対象にもなる。バナナの茎(mugomba)を芯にして泥で人形を作り、それを用いて除霊する。また白い雄鶏を屠殺し、その血を患者に飲ませる。泥を掘り出した盛り土にはこの人形に合う墓を作っておく。人形は死体のように白い布に包まれて患者の脚の上に置かれ、カヤンバが打たれる。除霊の後、泥人形はその墓に埋葬される。
50 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala51)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
51 ムザラ(mudzala)。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386). ムルング、憑依霊ドゥルマ人、ドエ人の草木。
52 キトゥオ(chituo, pl.vituo)「中継地、仮泊まり場、駅」。スワヒリ語のkituo(p. vituo)に同じ。憑依の文脈では、憑依霊たちが移動の過程で滞留する場所。人にとっては危険な場所でもある。
53 ザラ(dzala pl.mazala)。「ごみ捨て場」。屋敷の外れに直径3~4mの浅い穴を掘り、そこに生ゴミなどを捨てる。ザラニ(zalani)はそのlocative。「ごみ捨て場で、ごみ捨て場に」。動物はただ捨てられるだけだが、猫は首に黒いムルングの布の端布を巻いてザラに埋葬される。出産後の胎盤もそこに埋められ上に石を置かれる。
54 ツル(tsulu pl.tsulu)。「小丘、地面の少し盛り上がった場所、土盛り」。屋敷を設置する際にはこうした地形を選ぶ。単なる小さな土の盛り上がりもtsuluと呼ばれる。ツルニ(tsuluni)はツルのlocative.「小丘で、小丘に」
55 ムユ(muyu, pl.myuyu)。「バオバブの木」。バオバブの木の根元、洞は憑依霊(特にライカ56などの棲み処、ニューニ1の滞留場所(chituo)であるとされている。
56 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi57)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka58) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri59)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi61など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo62,laika mukusi63など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe64, laika ra nyoka64, laika chifofo67など。(4) その他 laika dondo68, laika chiwete69=laika gudu70), laika mbawa71, laika tsulu72, laika makumba73=dena74など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze20)で薬液を浴びる、護符(ngata17)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza60)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
57 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
58 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
59 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza60と呼ばれる手続きもある。
60 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri59)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ17を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
61 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni1)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
62 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
63 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
64 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira65)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka66)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
65 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
66 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
67 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
68 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi57)の別名ともいう。
69 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
70 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
71 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
72 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
73 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena74)の別名。
74 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari75)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande15)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
75 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)60」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena74が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee76)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande15には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
76 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo77)マンダーノ(mandano78)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
77 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
78 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
79 ク・グヮヴキラ(ku-gbwavukira)。「不意をつく、不意に襲う、驚かせる」を意味する動詞。憑依霊が突然、人にとり憑くさまを表すのにも用いられる(「突然捕まえる」=ku-gbwira gafulaに同じ)。憑依霊が「とり憑く」ことを指す動詞には、他にも、スワヒリ語のク・パガア(ku-pagaa)がある。とり憑くさまを表すドゥルマ語の最も一般的な表現としては「惚れる」を意味するク・ツヌカ(ku-tsunuka)80がある。
80 ク・ツヌカ(ku-tsunuka)。憑依霊が人にとり憑くのは、つねに憑依霊側に主導権がある。霊と偶然遭遇してしまう経験もまれにあるが、これも含め、霊が突然相手を気に入り、「惚れて」とり憑くのである。これを表現する動詞が ku-tsunuka で「惚れる、好意をもつ、目をつける」の意で、この意味で最も広く用いられる動詞。他に ku-gbwira「捕らえる」、ku-pagaa(スワヒリ語)「とり憑く」も用いられる。
81 ク・グゥイラ(ku-gbwira)。「捕まえる、つかむ、捕らえる」。憑依霊や薬(妖術の場合)が宿主やターゲットになんらかの危害をもたらすこと。捕らえられた者が呈する症状は、マグウィリ(magbwiri)という語で言及される。
82 ク・ウルサ(ku-urusa)。ディゴ語。ドゥルマ語ではク・ブルサ(ku-burusa)「飛び立たせる、巣立ちさせる」。ドゥルマでディゴ語のク・ウルサが用いられるのは、(1)「生の服喪(hanga itsi)の最終日、服喪期間中禁じられていた水浴びを済ませた死者の長男、夫、未亡人に対して、薬液を振り撒き(ku-vunga83)し、服喪期間中課せられていた地面の上での起居から解放し、椅子や寝台の使用を可能にする儀礼的手続、(2)ニューニ(nyuni1)の治療で病気の乳幼児に対して薬液を振り撒く行為(その動作)、の二つの場合である。
83 クヴンガ(ku-vunga)。薬液を振りまく動作を指す動詞。鶏の脚をもって鶏を薬液(vuo)に浸け、それを患者に対して激しく振り、薬液を撒いたり、枝を束ねたもので振りまいたり、その手段はさまざまである。ニューニの治療においては薬液の振り撒きはク・ウルサ(ku-urusa「飛び立たせる」)とも語られる。農作業で用いる浅い箕のなかに薬液をいれて振り撒く。
84 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
85 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ86に対する「重荷下ろしkuphula mizigo87」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni1)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
86 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)60、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす87)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku89)、おしゃべり女(chibarabando90)、重荷の女(muchet'u wa mizigo91)、気狂い女(muchet'u wa k'oma92)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma93)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo94、長い髪女(mwadiwa96)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba97)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
87 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo88)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
88 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
89 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera86)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
90 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera86の別名の一つ
91 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ86の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
92 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ86の別名ともいう。
93 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera86)の別名の一つ。
94 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ86の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo95)の女性であるともいう。
95 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
96 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
97 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
98 ムリンジ(murinzi, pl.arinzi)。「保護者、守護者、警備」。動詞ク・リンダ(ku-rinda)「守る、保護する、警護する」より。憑依の文脈では、母親の母乳を介してニューニが子供を捕らえないように、母親が胸に身に着ける、その母乳を守る一種の護符を「護り手(murinzi)」と呼ぶ。ピング(pingu18)と複数のパンデ(mapande15)を紐で繋いだ形をとる。
99 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga100)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele102)としてンゴマやカヤンバ45を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola3)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni1)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo22)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo101)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
100 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga99)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni1)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo22)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo101)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
101 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ1の治療においては、薬液(vuo22)を患者に振り撒くのにも用いられる。
102 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)103であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
103 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba97)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)104や母(女性施術師の場合)105ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
104 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」103を参照されたい。
105 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」103を参照されたい。
106 ク・シンディカ(ku-sindika)。「(扉などを)閉める」という意味の動詞だが、ときに憑依霊を「除霊する」という意味でも用いられる。ここでは「閉め出す」と訳すことにする。ku-kokomola3、ku-chomowa、ku-usa nyamaなどと同意味。これらの使い分けについてはku-kokomola3の項を参照のこと。