ニューニについて(Bembeyu Dani氏による)

目次

  1. はじめに

  2. インタビューの日本語訳

    1. 出産時に見られたニューニ症状への対処

    2. 2種類のニューニ: 海岸部のニューニと荒蕪地のニューニ

    3. ズニは妖術: 水増しされたニューニたち

    4. 護り手: 母乳を護る護符

    5. 薬液振り撒きが行われる場所

    6. 木の枝で組んだ施術台(uringo)について

    7. ピングの作成

    8. 護り手の作成

  3. 考察

  4. 注釈

はじめに

この資料は、1993~1994の調査で、ドゥルマ語書き起こしチームに加わったHamisi Ruwa君による前回のハマディ氏に対するインタビューに続く、ニューニに関する2回目の単独インタビューに基づいている。今回の相手は、同じくニューニの施術師であったベンベユ・ダニ氏である。インタビューは私が帰国のため調査地を出る2週間前で、すでに書き起こされたデータのチェックと整理にあけくれていたときに、自ら進んで行ってくれたもの。書き起こしは私の帰国後に郵送してもらった。その後Hamisi君はモイ大学に進学し、ドゥルマを離れたため、当インタビューに関するコンテクスト情報は欠落している。以下は、インタビューデータの日本語訳である。

インタビューの日本語訳

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出産時に見られたニューニ症状への対処

ドゥルマ語テキスト(DB 8301) 8301

Hamisi Ruwa(R): ニューニのキザ(chiza1)はありますか? Bembeyu Dani(Bd): ニューニのキザ。 R: そのように(ニューニの症状を呈して)産まれてきたときのための。 Bd: ないよ。 R: ない? Bd: ただ瓢箪そのものだけ、お前はそれで(その中の「薬」を用いて)患者(乳幼児)に薬液を(作って)振り撒き(kuvunga5)、ピング(pingu6)を作ってやる。お前はピングを作ってやる。患者に薬液を振り撒き、ピングを作ってやる。そのニューニが再び患者のところに戻らないよう患者を守るための(ピングを)な。 R: おお、ピングを作ってやるのはその子供のためなのですね。では子供の母親は? Bd: 子供の母親にはピングはないよ。 R: 彼女にはピングはない? Bd: 薬液の振り撒き(kuvunga5)は子供とその母親にだ。それから、その子供のためにピングを作ってやる。というのは子供の(その子を襲う)ニューニは、その子の母親からやってくる。で、そいつらが出てきて、(その子がしている)そのピングを見たら、やってこないからだ。

2種類のニューニ: 海岸部のニューニと内陸の荒蕪地のニューニ

ドゥルマ語テキスト(DB 8301-8032)

R: 別の長老によると、ニューニは海に棲む生き物(nyama a baharini)と上の生き物(a dzulu)だと、こんな感じの、ムァハ(mwaha)のやつらみたいな。 Bd: ニューニね。ニューニには二種類ある。こちら海岸部(pwani)には海岸部のニューニがいる。そしてこちら内陸の荒蕪地(nyika)にはそこのニューニがいる。 R: 荒蕪地。 Bd: 海岸部のニューニ。その一番のボスはクンググ(kungugu10)だ。

8302

Hamisi Ruwa(R): クングク。 Bembeyu Dani(Bd): 海岸部のニューニのボスだ。 R: そいつはどんな捕らえ方をしますか? Bd: そいつは子供に突然襲いかかるかもしれない。その子を見れば、目が曲がっている(matso gakopa: やぶにらみになる、左右の目が別々の方向に向く)。 R: なんと! Bd: そして(口の端から)涎を流す。 R: クンググが涎を出させてるのですね? Bd: そう、そいつが涎を出させているやつだ。 R: そして目が曲がる。 Bd: そして子供は腕と脚を地面にこするように曲げ伸ばしする。ビクンビクンgigiri gigiriと。そして口の端から涎を流す。その子は海岸部のニューニに捕らえられているんだと知りなさい。クンググだよ。 R: おお。 Bd: さて、もし内陸部の荒蕪地のニューニ(nyuni wa nyika)に捕まると、子供は爪をこんな風にするかもしれない。お前は子供が、白目を剥いて(matso galugalu[^galugalu])、爪をこんな風にたてるのを見る。ときには自分の母親をひどく引っ掻く。それはキルイ(chilui11)だよ。そいつが荒蕪地のニューニのボスだ。 R: おお、荒蕪地のニューニのボスはキルイ。 Bd: キルイ。ニューニはこいつら二人だけだよ。 R: ええ! Bd: ほかのやつら、あいつらは、後からくっついただけ。でもニューニといえばこれら二人だけだ。

ズニは妖術でつくられたもの

ドゥルマ語テキスト(DB 8303) 8303

Hamisi Ruwa(R): ズニ(dzuni39)たちは、だって大きいズニ(dzuni bomu)と聞きます。 Bembeyu Dani(Bd): いやいや、ズニは縛るもの、薬(muhaso40)だよ(妖術によって作り出されたものだよ)、そいつは。 R: ええ! Bd: ズニは薬(muhaso)だよ。 R: おお! Bd: だってそいつは扇がれなくてはならない(kupunga41)じゃないか。そして白い鶏で閉め出され(akasindikpwa53)なければならない。 R: ズニがですか? Bd: (ズニは)昔の「薬(muhaso)」(妖術)なんだよ。人々は罠にかけられる(kuhenda hegerwa54)んだよ。 R: そいつはバオバブの木のところで閉め出される。 Bd: バオバブの木のところで。そいつは「薬(muhaso)」(妖術)なんだよ。 R: おお。ズニとは、人を罠でとらえる「薬」なんですね?おお。 Bd: でも(身体の)中にいる本当のニューニ、真正なニューニはキルイとクンググだけ、それだけさ。 R: おお、わあ。だって他の施術師たちは膨大な数のニューニをもっていますからね。 Bd: いやいや。あいつら(それらのニューニ)は、ただの水増し、水増しさ。 R: なんと、ただの誇張にすぎない? Bd: ただの水増し、水増しさ。大きい(施術師が用いる)瓢箪と同じ。その傍らにある小さいやつら(瓢箪)は念入りに(飾りビーズなどを)巻き付けない。(その大きい瓢箪には)念入りに巻き付ける。なんならヤギの革が巻きつけられていたりする。ヤギの革そのものがね。でもこちらのは皆、小さく小さく作られている。それらが癒やしの術だなんて言っちゃいけないよ。それらは大げさな水増しさ。ニューニもね...でもあの大きい瓢箪こそが癒やしの術の主なんだよ。

母乳を護る護符

ドゥルマ語テキスト(DB 8304) 8304

Hamisi Ruwa(R): おお。女性の護り手(murinzi55)については? Bembeyu Dani(Bd): あの護り手ね、あの。その子供のなかにいるニューニのせいで(必要になる)。それ(その護り手)は(母親の)乳房のところに置かれる。そこに母親のために護り手を作ってやるのさ。彼女のためにピング(pingu6)を作ってやる。何のためにか、母乳が正常に戻るようにだ。なぜなら、それは子供がもっているニューニによって吸われているからだ。 R: ええ、おお。 Bd: そうなると母乳にゴミが混ざる。そこで護り手が置かれるんだ。母乳を護るようにと。 R: 母乳がその護り手によって護られるんですね。 Bd: さて母乳がその護り手によって護られる。子供が母乳を吸っても、それは良好だ。突然子供が何かに驚いたような様子を見せ、母乳を吸うと嘔吐する。母乳を吸うと嘔吐する。あの母乳のせいなのさ。

薬液振り撒き(ku-vunga)が行われる場所

ドゥルマ語テキスト(DB 8304-8306)

R: ところで、あれら、えーと...あちら荒蕪地のニューニですが、というのも子供がニューニに襲われたときに、例の薬液振り撒き(kuvungakpwe5)には特定の場所があると聞いたのですが。 Bd: そう。とりわけ荒蕪地の連中は、土盛り(tsuluni56)で振り撒かれるね。その後、バオバブの木のところで振り撒くね。荒蕪地の(ニューニ)は。海岸部の(ニューニ)は、小屋の前庭(muhalani57)で振り撒かれる。 R: 小屋の前庭でも。 Bd: それとごみ捨て場(dzalani58)で。 R: ごみ捨て場で。 Bd: そうしたところで振り撒かれる。

8305

Hamisi Ruwa(R): おお、小屋の前庭とごみ捨て場が、海岸部のニューニの。 Bembeyu Dani(Bd): 海岸部の、だね。 R: そして土盛りと、バオバブの木のところ... Bd: そう、土盛りは、キルイ(chilui11)、荒蕪地のやつ。 R: 荒蕪地のキルイ、ええ。したがってそれらがニューニの滞留地(vituo59)なんですね、それらが。 Bd: それらがニューニの滞留地だよ、それらが。 R: 子供がそこで薬液を振り撒かれたら、つまりニューニに対して薬液振り撒きをしたら、その子にその場所を二度と通らせないそうですね。 Bd: ああ、通させない。というのも、お前がそこで薬液振り撒きをしたら、お前はその場所にそのニューニを置き去りにしたことになる。だから(また捕らえられなおすのを恐れて)そこを通らない。というわけで女性たちは土盛りの場所は(畑として)耕さないと言われるんだよ。 R: ええ。 Bd: 土が盛り上がっているところは、耕さないんだよ。 R: もしかして自分の子供がそこで薬液振り撒きをされたかもしれない女性はですね。 Bd: 土盛りの場所で薬液振り撒きをされたら、土盛りの近くは通らない。もしバオバブの木のところで薬液振り撒きされたら、バオバブの近くは通らない。というのは、そんなふうに薬液振り撒きをしたら、ときに(その際に殺された)鶏の脚と腸、それとあれ、砂肝をもっていく。そして鶏の脚はそこに置き去りにする。それに(施術に用いられた)草木も。 R: おお、なるほど。 Bd: そこは、そいつ(ニューニ)を置き去りにした場所なんだよ。

8306

Hamisi Ruwa(R): つまりそのニューニをそこに閉め出してきた(udzikpwenda musindika53)ということですね? Bembeyu Dani(Bd): そのあとは、お前は二度とそこに行かない。

木の枝で組んだ施術台(uringo)について

ドゥルマ語テキスト(DB 8306-8307)

R: おお。ではあの木の枝で組んだ台(karingo60)ですが、その意味は何でしょう? Bd: あの台は(施術に用いる)品々を置く台だよ。そして女性がその台の中に寝る。 R: むむ?下にですか。いわば寝台の下(muvungurini74)に潜り込むみたいに? Bd: さて、女性はそこに腹ばいで寝る。その状態で彼女に薬液を振り撒く。 R: 彼女の子供は? Bd: 子供はまだ屋敷にいる。 R: 屋敷にいるの、子供は? Bd: 屋敷にいる。 R: で、あなた(施術師)はその女性と一緒に、たとえばバオバブの木のところに行く、あなたはその女性と行く。 Bd: そう。その後お前(施術師)は木の枝で組んだ台のところで彼女に薬液を振り撒く。彼女に薬液を振り撒く。さて、それが済む。さあ、彼女は自分の道を(屋敷に向かって)進む。今度は子供が自分の道を通ってやって来る。 R: ああ、女性は自分の道をたどって、二人が遭うことがないように? Bd: そう。彼女が自分の子供を見ないように。その子供も、別の自分の道を通ってやって来る。やって来て、その母親がいたところに来る。 R: なるほど。あなたはその子供を同じように腹ばいで寝かせるのですか? Bd: そう。お前はもう一度(今度はその子どもに対して)薬液の振り撒きをする。それが済むと、その木の台、その上にお前は鶏の腸と砂肝と脚を置くだろう。

8307

Hamisi Ruwa(R): それと薬(mihaso)もですね。 Bembeyu Dani(Bd): それと薬も。振り撒くのに用いた薬液(vuo)で使った草木の束をもって行く。木の台のところだろ。そこに(鶏の)腸といっしょに置く。 R: あなたは(ニューニを)閉め出した。

ピングの作成

ドゥルマ語テキスト(DB 8307-8308)

Bd: お前は(ニューニを)閉め出した。さて、そちらに着くと、お前は子供の母の爪を切る。 R: どこでですか? Bd: 屋敷でだよ。 R: 屋敷で?なるほど。 Bd: お前は子供の母の爪をとり、子供の爪もとり、一緒にしてピングを作るんだ。 R: それと鶏の爪も? Bd: いやいや、鶏の(爪)は切らないよ。 R: 切らないの? Bd: そうとも。母親の爪と、子供の爪を一緒に混ぜねばならない。さあ。そもそも鶏の爪をなんで切るわけだい?鶏の爪ならあそこ(木の台)で草木とともに閉め出したじゃないか。 R: おお、なるほど。鶏の脚をあそこで閉め出しましたよね。そうすると、あの鶏は何についてのキリャンゴナ(chiryangona75)だったんですか? Bd: (鶏の)脚と腸(というキリャンゴナ)は、お前はあいつキルイにやるんだよ。それはやつのおかずなんだ。 R: なんと!

8308

Bembeyu Dani(Bd): そう。お前はやつにおかずを与えて食べさせるのさ。さて、お前は子供とその母親の爪をとり、それを混ぜ合わせる。お前はそれを薬(muhaso、おそらくここでは草木のこと)でぐるぐる巻きにする。そしてそれを子供に身に着けさせる。 Hamisi Ruwa(R): さて、子供に身に着けさせる。 Bd: 再びそいつに戻ってこられることはない。 R: おお。 Bd: ここまで理解したかな? R: はい。で、海岸部のニューニにはピング(pingu6)はないのですか? Bd: 海岸部のにも同様にピングはある。そいつも同じくピングがある。そいつは黒い鶏と白い鶏で薬液振り撒きされる。そいつにもピングはあるが、そいつのピングは護り手(murinzi55)にはならない。

護り手(murinzi)について

ドゥルマ語テキスト(DB 8308-8311)

R: ああ、海岸部の(ニューニ)は、護り手はない? Bd: 護り手はない。護り手(を必要とするニューニ)はあっちの(内陸部の荒蕪地の方の)ニューニだよ。海岸部のもピングはある。子供の(に身に着けさせる)ピングだけ。 R: あちらの(荒蕪地のニューニの)護り手のピングのキリャンゴナ(viryangona75)も、(子供が身に着ける)ピングと同じく爪なんですか。 Bd: ああ、護り手には護り手のキリャンゴナ(viryangona)がある。それにもキリャンゴナがある。カタグロトビの爪をもってこい。さらにダチョウ(nyaa)の羽根。お前、ダチョウ知ってる? R: うん。ニューニだとも言われているあの鳥でしょ? Bd: そう、よく捕らえるやつだ、そう。 R: おお、それではあなたはそれらのキリャンゴナを持って行き、それでピングを作るのですね。護り手(murinzi)そのものにはピング(pingu)とパンデ(mapande9)がついていますね。 Bd: ピングと2片の木片だね。2片の木片は、こんな風にくっつける。こんな風にくっつきあうんだよ。これが護り手(murinzi)と呼ばれるものだ。その上にピングがくる。

8309

Hamisi Ruwa(R): ええ、つまり木片は... Bembeyu Dani(Bd): 木片には穴を開けるだろう。 R: なるほど。 Bd: お前は紐を手に入れねば。その紐はこの辺を通って、ピングのこの辺りをつらぬく。 R: (笑い)もっと良く見せてほしいな。 Bd: (笑い)ほら。 R: 木片の一つを下に、その後、もう一つをその上に? Bd: 上に。なぜなら2片削り作ってあるからね。 R: なるほど。それから下から上に穴を明ける? Bd: お前はまずこのピングを紐に通すのから始める。 R: あなたはまず、この上のピングに紐を通す。 Bd: そう。お前はこちらの上のピングに紐を通す。 R: なるほど。この上の木片のところにね。 Bd: そう。さてこっちの上のピングに紐が通った。 R: はい。 Bd: さて、紐はこちらから入れて、あちらから出る。

8310

Hamisi Ruwa(R): あなたはこのピングのところから紐を刺す? Bembeyu Dani(Bd): そう。ここ真ん中にピングがあるだろ。紐はこんな具合。(ピングの)このあたりから刺して、こちら側から出てくる。 R: おおお。紐はこんな風に出てくるんですね、さて? Bd: そう。そしてこちらもここから刺してそちらから出る。 R: つまり紐はピングを一廻りさせる。そちらの下からも入るんですね?むむ。 Bd: さてこちらから刺してそちらに出る。さあ、ピングは(動かないように)ブロックされたんじゃないかい? R: はい。ピングはそこに固定されました。 Bd: さてこんな風に、紐は女性の胸のところに来る。 R: おお、ピングはこんな風に出てくるんですね。 Bd: そう、ピングが上になる。そう。 R: そして木片はこんな風に? Bd: 2片の木片。どうだい、護り手の完成だ。
Hamisi Ruwa君の説明をもとにヘタクソ浜本が作画

R: おお、ところで何の草木の木片なんですか? Bd: それらの木片はムラガパラ(mulagapala)の木片を手に入れることができる。ムラガパラだ。ムングェナ(mungbwena76)と呼ばれている木だ。ムングェナ。

8311

Hamisi Ruwa(R): おお。 Bembeyu Dani(Bd): ほらそこ、そこに生えてるよ。そこに陰を作っているその木だよ。すでにそこにある。ムングェナ、それがえーと、その護り手を作るのに用いられる木だ。 R: おお。 Bd: ほらそこのムバンバコフィ(mubambakofi78)のあたりだよ。 R: むむ。

考察

ニューニの施術師たち(極めて限られた数の施術師のデータなのだが)の、ニューニに対する知識、施術のやり方には施術師ごとにかなりのばらつきがあることは、繰り返し指摘してきたが、このベンベユ・ダニ氏の場合は、真正のニューニは二つ(海岸部のホシダカラ(kunguku[^kunguku]と内陸部の怪鳥キルイ(chilui11)だけで、後のニューニは単に水増しされたものにすぎないというきわめて特異な考え方を特徴とする。

例えば、しばしばキルイの別名とされるズニは、彼によると昔、妖術使いが薬の罠を仕掛けて、犠牲者を捕らえさせたものだったという。その根拠は、ズニは除霊の対象になる、つまり「扇がれる(ku-pungbwa41)」からと。除霊の対象になる憑依霊は、しばしば「身体の憑依霊(nyama wa mwirini)」との対照で「除去の憑依霊(nyama wa kuusa)」と語られ、除去の霊はまたしばしば「妖術の憑依霊(nyama wa utsai)」とか「薬の憑依霊(nyama wa muhaso)」などとも呼ばれる。すでに述べたように、これらの区分は決して分析的な分類ではないのだが、ベンベユ・ダニ氏はこれを論理的に結びつけて考えている風である。

ベンベユ・ダニさん、大胆な理論家である。嫌いじゃない!

彼がさまざまな点で他の施術師とは異なる観点を提示していることに注意しよう。単に真正な二つのニューニしかいないという説だけではない。

ニューニは子供を捕らえ病気にする存在であるが、母親がもっているニューニが母乳経由で子供を病気にする場合もある。その場合は子供だけでなく、母親にも護符を与える必要がある。母親に与えられるものは「護り手」と呼ばれ、その役割はニューニによって母乳がだめにされないようにするというものである。ダニ氏は、それを子供に憑いているニューニが子供が乳を吸う際に、先に飲んで母乳にゴミを入れてしまうことによって、という奇抜な理論で説明する。

ニューニの作動モードは、外部からいきなり襲ってくるというのと、母親の身体に憑いて居座っているニューニが母乳などを介して子供に危害を加えるという二つが、施術師に広く共有されている見方である。彼自身も冒頭で述べているように、「子供の(その子を襲う)ニューニは、その子の母親からやってくる。」だから子供にピングを装着させるのであって、原則母親の方にはいらない。母親から出てきて子供を襲おうとするニューニがそのピングを見ると襲うのを止めるというのである。理論的一貫性!

しかしこのニューニ母原説と同時に、彼は他の施術師にはまったく見られないニューニ子原説も提唱する。なぜ母親の方にもピングが必要な場合があるのかについて、通常の説明ではこうだ。母親の中に居座っているニューニが母親の母乳をだめにするので、その結果それを吸った子供に健康被害が生じる。そこで母親のなかのニューニが母乳を変質させないために、母親の母乳を守るピングを母に装着してやる必要があるのだと。 これに対して、ダニ氏は、子どもの中に居着いているニューニが子供が母乳を吸おうとするときに先に母乳を吸って、母乳を汚染するので、汚染した母乳を飲む子供に健康被害が生じる。だから子供のなかにいるニューニが母乳を吸わないように母乳を護るためのピングが必要だ。

彼の場合に顕著に目につくとはいえ、施術師ごとの観点の相違は、他のニューニの施術師にも多かれ少なかれ当てはまる。

ニューニの施術は、他の施術師からの購入によって手に入れることができる施術である。購入で教えられるのは、使用する草木とその処理法、施術のやり方、型にはまった唱えごとであって、それだけで施術の実践は可能になる。教え手のその施術についての理論的な理解がそこで伝承される内容に含まれていることはあまりない。もちろん教えたがりの教え手が、自分の理解を得意になって語ることがないわけではなかろう。一連のインタビューが示しているように。しかし、理論的な理解は施術にはそもそも必要ではない。それを発展させるかどうかは、各施術師の裁量にまかされているのだといえる。

さらに購入によって入手可能な施術の場合、憑依霊の施術師の場合に施術師になるよう導いた施術師と弟子の関係が、施術上の親子関係としてその後も多かれ少なかれ恒常的に維持されていくのとは異なり、施術師同士の関係が、その後も継続的に維持されたりはしない。施術師どうしのネットワークは形成されない。憑依霊の施術師たちは、施術上の親子や兄弟姉妹(同じ施術上の親をもつ施術師同士の関係)は、互いの施術にも参加し合うし、その場で自分たちの見た夢を語り合ったり、施術のやり方や理論について頻繁に議論を交わしている。ニューニの施術師たちの間に、こうした関係があるのを見たことがない。むしろ互いにライバルとしてけなしあうくらいのものである。自然、施術についての各自の理論的理解の変異は大きくならざるを得ない。

しかしダニさん、施術師の施術の具体を詳細に説明してくれるなど、細部についてのこだわりも半端じゃない。バオバブの木の下に木の枝で台(uringo)を組み、そこで薬液を振り撒く手続きの詳細、そこで母子が出会うことがないようにする手筈、台の上に置かれる品々の意味、そして極め付きはピング作成の細かい手順。こうした細部へのこだわり、私にはこちらのほうが魅力!

ところで、「護り手」のピングの作り方についての事細かな語りにもかかわらず、このピングを身に着ける女性に対する婚外性行為の禁止の話が、まったく出てきていないのは、ちょっとびっくりである。どうでもいいことなのか?

注釈


1 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya2)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu4)とセットで設置される。
2 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo3)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza1)と呼ばれるが)。
3 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
4 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza1、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
5 クヴンガ(ku-vunga)。薬液を振りまく動作を指す動詞。鶏の脚をもって鶏を薬液(vuo)に浸け、それを患者に対して激しく振り、薬液を撒いたり、枝を束ねたもので振りまいたり、その手段はさまざまである。ニューニの治療においては薬液の振り撒きはク・ウルサ(ku-urusa「飛び立たせる」)とも語られる。農作業で用いる浅い箕のなかに薬液をいれて振り撒く。
6 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符7の一種。
7 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata8)、パンデ(pande9)、ピング(pingu6)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
8 ンガタ(ngata)。護符7の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
9 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符7。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
10 クンググ(kungugu, pl.kungugu)。スワヒリ語でホシダカラ(Cypraea tigris)。大型のタカラガイ。
11 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu12)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola14)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa16)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni39)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
12 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ13)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola14)の対象となる。
13 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu12」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
14 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini15」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa1627と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume21)、カドゥメ(kadume30)、マウィヤ人(Mwawiya31)、ドゥングマレ(dungumale34)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga35)、トゥヌシ(tunusi36)、ツォビャ(tsovya38)、ゴジャマ(gojama33)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu12」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」13)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
15 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola14)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
16 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola14)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち17)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba20)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu12)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni13)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini15)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
17 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo18)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
18 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso19)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine17)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
19 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
20 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume21)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani22)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
21 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola14)もありうる。
22 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」23による鍋(nyungu4)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe26)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu6)。
23 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術24においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba25)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande9)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu4)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
24 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
25 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
26 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
27 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」28など)を行うことなどを意味する。
28 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ29などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
29 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ28」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
30 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
31 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde32)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama33)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
32 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
33 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola14)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
34 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola14の対象になる)27。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
35 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
36 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine17)の一種という説と、ニューニ(nyuni13)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ37らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola14)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
37 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
38 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ13の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola14)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa27」。see p'ep'o mulume21, kadume30
39 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui11)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni13)」、「上の霊(nyama a dzulu12)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola14)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
40 ムハソ(muhaso, pl. mihaso)。「薬」。ムハソ(muhaso)という言葉は、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)や憑依霊の治療(uganga wa nyama)において用いられる生の草木(muhi, pl.mihi)、あるいは煎じて飲まれる草木なども含む広い概念であるが、単にムハソというと、ムレヤ(mureya, pl. mireya)あるいはムグラレ(mugurare, pl.migurare)と呼ばれる、さまざまな材料を黒い炭になるまで炒めて粉にした形態のものが、含意されている。こちらには妖術で邪悪な意図で用いられるものが多数あり、そのため、単になんらかの不幸や病気がムハソによるものだと言うことで、それが妖術によるものだと言うのと同義に解釈される。
41 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga42)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele44)としてンゴマやカヤンバ49を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola14)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni13)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo3)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo43)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
42 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga41)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni13)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo3)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo43)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
43 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ13の治療においては、薬液(vuo3)を患者に振り撒くのにも用いられる。
44 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)45であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
45 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba46)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)47や母(女性施術師の場合)48ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
46 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
47 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」45を参照されたい。
48 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」45を参照されたい。
49 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri50)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira51)」と呼ばれることもある。
50 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
51 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ52の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(49)、カヤンバ(52)と同じ意味で用いられる。
52 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti50)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira51)」と呼ばれることもある。
53 ク・シンディカ(ku-sindika)。「(扉などを)閉める」という意味の動詞だが、ときに憑依霊を「除霊する」という意味でも用いられる。ここでは「閉め出す」と訳すことにする。ku-kokomola14、ku-chomowa、ku-usa nyamaなどと同意味。これらの使い分けについてはku-kokomola14の項を参照のこと。
54 ク・ヘガ(ku-hega)。「罠にかける、罠でとらえる、罠を仕掛ける」。妖術の最も一般的な方法は薬(muhaso40)を用いて、犠牲者を罠にかけるというやり方である。ちなみにテープレコーダで(今日ならvoice recorderだろうか)録音することはドゥルマ語ではク・ヘガ・サウティ(ku-hega sauti)「声を罠でとらえる」である。
55 ムリンジ(murinzi, pl.arinzi)。「保護者、守護者、警備」。動詞ク・リンダ(ku-rinda)「守る、保護する、警護する」より。憑依の文脈では、母親の母乳を介してニューニが子供を捕らえないように、母親が胸に身に着ける、その母乳を守る一種の護符を「護り手(murinzi)」と呼ぶ。ピング(pingu6)と複数のパンデ(mapande9)を紐で繋いだ形をとる。
56 ツル(tsulu pl.tsulu)。「小丘、地面の少し盛り上がった場所、土盛り」。屋敷を設置する際にはこうした地形を選ぶ。単なる小さな土の盛り上がりもtsuluと呼ばれる。ツルニ(tsuluni)はツルのlocative.「小丘で、小丘に」
57 ムハラ(muhala, pl.mihala)。小屋の前庭、ドゥルマの伝統的な小屋には戸口が一つあり、その前の広いスペースが前庭である。とりわけ屋敷の長の小屋の前の庭は、公共的空間であり、客人の応接や、屋敷の人びとの共食はここで行われる。小屋の中はそれに対してより私秘的空間とされる。
58 ザラ(dzala pl.mazala)。「ごみ捨て場」。屋敷の外れに直径3~4mの浅い穴を掘り、そこに生ゴミなどを捨てる。ザラニ(zalani)はそのlocative。「ごみ捨て場で、ごみ捨て場に」。動物はただ捨てられるだけだが、猫は首に黒いムルングの布の端布を巻いてザラに埋葬される。出産後の胎盤もそこに埋められ上に石を置かれる。
59 キトゥオ(chituo, pl.vituo)「中継地、仮泊まり場、駅」。スワヒリ語のkituo(p. vituo)に同じ。憑依の文脈では、憑依霊たちが移動の過程で滞留する場所。人にとっては危険な場所でもある。
60 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ61に対する「重荷下ろしkuphula mizigo64」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni13)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
61 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)62、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす64)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku66)、おしゃべり女(chibarabando67)、重荷の女(muchet'u wa mizigo68)、気狂い女(muchet'u wa k'oma69)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma70)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo71、長い髪女(mwadiwa73)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba46)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
62 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri63)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ8を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
63 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza62と呼ばれる手続きもある。
64 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo65)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
65 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
66 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera61)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
67 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera61の別名の一つ
68 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ61の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
69 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ61の別名ともいう。
70 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera61)の別名の一つ。
71 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ61の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo72)の女性であるともいう。
72 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
73 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
74 ムヴングリリ(muvunguriri)。寝台の下の空間。muvungu, muvunguriともいう。muvungurini(or muvunguni,muvunguririni)はそのlocativeで「寝台の下の空間に」
75 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
76 ムングェナ(mungbwena, pl.mingbwena)。書き起こしからはムラガパラ(mulagap'ala77)の別名のようでもある。ディゴ語でムングェニ(mungbweni)と呼ばれる植物が知られているが(Uvaria lucida(Maundu&Tengnas2005:429))、もしこれだとするとムラガパラとは別物。
77 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003:389)、muyamaとも呼ばれる。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation(Pakia&Cooke2003:389)'
78 ムバンバコフィ(mubambakofi)、世界導師(mwalimu dunia79)の草木。Afzelia quanzensis(Pakia&Cooke2003:390)マメ科の木。
79 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師80。内陸bara系81であると同時に海岸pwani系20であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」82)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
80 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia79)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
81 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
82 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia79)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。