ニューニについて(Hamadi Mbega氏による)

目次

  1. はじめに

  2. ニューニの種類

  3. ニューニの治療

  4. ニューニの施術の取得

  5. ニューニと婚外性交渉

  6. 考察

  7. インタビューの日本語訳

  8. 注釈

はじめに

この資料は、1993~1994の調査で、ドゥルマ語書き起こしチームに加わったHamisi Ruwa君が行った単独インタビューに基づいている。相手のHamadi氏はHamisi君の祖父-孫関係。私がヴィザ延長他の手続きで1月7日から10日までナイロビに滞在予定だったことで、Hamisi君がインタビューしてみたいと申し出てくれた。インタビューは1994年1月7日に実施された。

話題は、ニューニのさまざまな種類について、治療法、および婚外性交渉とニューニの関係について。

ところでHamadi Mbega氏であるが、椰子酒が大好きで、インタビューのときには必携。面白い人だが、かなり話を盛る爺さんでもある。まだ少年だった植民地時代に自動車をひと目見ただけで、その仕組を理解し、木を切って木だけで自動車を作った。エンジンだけは作れなかったが、他の部分はすべて完璧。それを運転して(エンジンはどうしたと問いたい)遊んでいたところ、偶然白人の目に止まり、こいつは天才だということで一緒に来るよう言われたが、断ったとか。飛行機も作ることができたとか。

ニューニの種類

Hamisi君のインタビューテープを現地で書き起こした際に、フィールドノートに1月7日付けで整理したもの。Hamadi Mbega氏は子供に薬液を振り撒く治療(kuvunga1)の対象となるものと、除霊の対象となるものという独特の区別でニューニを分類している。さらに後者には通常はニューニとしては扱われない憑依霊ゴジャマ(gojama2)、憑依霊ドエ人(mudoe37)、通常は妖術によって引き起こされる妊婦の病気であるニョンゴーが入っているのが、ちょっと変。 (フィールドノートからの転記であるが、それについてのコメント(括弧内の記述)はウェブ化に際して付加したものである。)

  1. ku-vunga1 nyagu39 dzuni41 tsovya36 (これは通常はイスラム系の憑依霊とされている) chilui42 (通常はズニ(dzuni)の別名とされている) mwee40 madimba(不明。mudimba は首から背中にかけて装着するビーズ飾りを意味する) mwasaga asagaye chigulu na mukono (直訳すると「脚と腕で地面をこする(痙攣の発作で)ムァサガ」) nyaura(不明) zuka bomu ra nyika (直訳すると「内陸の荒蕪地の、大きいズカ43 bomu ra pwani (「海岸部の大きいズカ」) bomu ra muyuni (「バオバブの大きいズカ」) bomu ra pangani (「洞窟の大きいズカ」)

ニューニの種類1 ドゥルマ語テキスト(DB 6997)

  1. makayamba(not kuvunga) (カヤンバで治療する(「薬液振りまき」ではなく)) nyuni wa kolaga mwana (子供を殺すニューニ) gojama2 mudoe37 nyongoro45

ニューニの種類2 ドゥルマ語テキスト(DB 7000)

ニューニの治療

  1. (バオバブの木の下での大きいズカ(zuka bomu43)の治療) (mukone46の木で作られた木の台での治療、および除霊に用いられる泥人形の作成などについて)

バオバブでの治療: 薬液振り撒きと除霊 ドゥルマ語テキスト(DB 6998-6999)

  1. (ニューニの症状と治療) (ハマディ氏自身の経験が語られる)

ニューニの症状と治療 ドゥルマ語テキスト(DB 7001-7005)

(ハマディ氏、ゴジャマの施術で生まれたばかりの我が子を救う) (母親の母乳をだめにして子供を病気にするニューニ) ニューニの施術を購入 ドゥルマ語テキスト(DB 7006-7009)

ニューニの施術師になる

(ハマディ氏の経歴、ゴジャマ、ムドエ、ニョンゴロを手に入れるまで) ニューニの施術を購入 ドゥルマ語テキスト(DB 7005-7006)

ニューニと婚外性交渉

(子供や本人がニューニの護符(pingu18)を身に着けていて、婚外性交渉を行うと子供に危害が及ぶ)

ニューニと婚外性交渉 ドゥルマ語テキスト(DB 7010-7012)

考察

さすがコンテクストを共有する者どうしのインタビューはスムーズで、下手くそな私の質問よりも、臨場感あふれる応えが返ってきて面白い。話がすぐに予期せぬ方向に飛んでしまい、ちょっと待って、そこもう少し尋ねたいところだけど、みたいな展開もあるが。

ニューニのリストには、施術師ごとにかなりのばらつきがあることは、別項でも指摘したが、ここでもハマディ氏にしか見られない特異性がある。それはゴジャマ、ムドエ、ニョンゴー(ニョンゴロ)をニューニの一種としてカウントしている点である。ゴジャマとムドエは、一般には「身体の憑依霊(nyama wa mwirini)4」とされており、しかも近年登場したシェラなどの霊とは違って、古くからのドゥルマの憑依霊だとされている。ハマディ氏自身も、これらがニューニであることは、近所の施術師連中は知らない、彼だけの知識であることを述べている。しかし彼の証言にもあるように、その知識もまた、別のニューニの施術師から購入したものであった。

死に至るかもしれない乳幼児のひきつけや、その他の急激な症状は、当然、人々にとっては重大な関心事で、それらの大きな原因の一つと考えられているニューニ、あるいは上の憑依霊(あるいは動物)の施術を、自らの子供たちの死をきっかけに購入に至るというのも、うなずける話である。ハマディ氏のように近所で評判のニューニの施術師も、施術を手に入れるきっかけは自分の子供たちの死や病気だったのだということが、彼の語りからもよくわかる。 それにしても自信たっぷりだなぁ。

ニューニは私の調査ではあまり中心的な関心事ではなかったのだが、ハミシ君が独自インタビューでこれを選んだ(他にも私の当時の関心事の一つだった「死を投げ捨てる」とか「産む」とかの話も尋ねてきてくれたが)のも、ニューニが話のとっかかりとして格好の話題であったことを示唆している。

ニューニの治療を受けた者は、婚外性交渉を慎まねばならないという禁止を守らねばならないのだが、ちゃんとそれをすりぬける方法についても教えてくれているのが、なんだか笑える。

ニューニを憑依霊の一種と見るべきかどうかは微妙な問題だ。ドゥルマ的にはどちらもニャマ(nyama47)である。しかしニューニの施術師には購入によって誰でもなることが可能であるが、憑依霊の問題をあつかう憑依霊の施術師には、憑依霊による病気に自ら苦しめられ、それが憑依霊の側からの「仕事をしたい」という要求のせいだと判明した者だけがなる。ニューニの場合、その最終的な解決は、とり憑いているニューニ自身を除霊することであるが、憑依霊の場合は、憑依霊に対して生涯にわたる良好な関係を維持することが、最も望ましい解決になる。

憑依霊のなかには、女性にとり憑いて、その子供に危害を加える者がいる。イスラム系のすディアニ導師(mwalimu sudiani11)の別名とされるツォヴャ(tsovya36)やペポ・ムルメ(p'ep'o mulume, 直訳すると「男霊(霊男か?)」)、あるいは古くからいたとされる憑依霊の仲間のゴジャマ(gojama2)、スンドゥジ(sunduzi52)、ムドエ(mudoe「憑依霊ドエ人」37)など。これらは乳幼児を害しうる点で、その行動においてニューニと似てはいる。場合によっては除霊の対象にもなる。しかしこれら(ゴジャマとムドエ)をニューニに数える施術師は、私はハマディ氏以外に知らない。

護符と私が訳した一連の身に着けるもの、とりわけピング(pingu18)やマパンデ(mapande15)の意味合いも、憑依霊一般とニューニでは微妙に異なる。憑依霊の施術師たちはピングその他の護符を憑依霊に対して差し出された「椅子(chihi)」だとする。椅子が差し出されないと、やって来た憑依霊は患者の身体の上(各関節やさまざまな内臓)に腰掛けるしかなく、それが宿主にとっては病気として経験されることになる。一方、ニューニの施術師たちはピングを「保護する者、護り手(murinzi)」と呼ぶ。それはニューニが乳幼児にいきなり襲いかかったり、母親の母乳をだめにしてしまうことから乳幼児や乳房を守るために装着される。日本でいうところの「魔除け」に近いと言えるかもしれない。

多くの人が憑依霊(さらには実在する民族集団名をもつ憑依霊)と考え、ハマディ氏がニューニの一種だとするムドエ(mudoe「憑依霊ドエ人」37)のピングが、犬の歯を縫い込んだ全く同じものであることは、護符についての、憑依霊の施術師とニューニの施術師の見方の違いを際立たせる。なぜムドエのピングに犬の歯が用いられるのか。それはムドエの好物が犬(黒犬)だからだ。憑依霊ムドエをもっている人は、ムドエの犬と呼ばれる黒犬をつねに飼っていて、どこに行くにも連れて行く。ある種の憑依霊は、自分のためにある動物を取り置くように宿主に要求する。それはある色のヤギであったり、ヒツジであったりする。ムドエの場合、それが黒犬なのである。それを虐待したりすると本人が病気になる。ムドエをもっているムウェレ(muwele53)がカヤンバで憑依状態になると、この犬を連れてきて耳を切りその血を飲ませると憑依が解ける。母親がムドエをもっているとその子供を捕らえて病気にする。ムドエは母親の乳房に腰をおちつけ、母乳をだめにして水のように変えてしまう結果、母乳を吸った子供は嘔吐と下痢に苦しむ。ムドエのピングを胸に装着すると、ムドエはそれを椅子としてそこに落ち着き、母乳を劣化させることはなくなる。ムドエのピングが犬の歯を用いるのは、それがムドエにとって好ましいものだからである。ニューニの施術師が同じく犬の歯をもちいたピングを母親と子供に与えるのは、魔除け的な意味からすると理屈に合わないことになる。

しかし施術師にとっては、こんな理屈はどうでもよいこのなのかもしれない。ハマディ氏は自分の子供の発作に際して、自分の知るあらゆる主なニューニを試して、症状がおさまらなかったとき、占いでゴジャマとムドエについて治療すべしと判明し、その結果治療が功を奏した。その事実こそが、彼がその治療に絶大の自信をもたらしているのであって、ゴジャマもムドエも、きわめて手強いニューニの一種にほかならないのである。

ハマディ氏は最後に、ニューニの治療を受けた女性による婚外性交渉の危険について語っている。それはベニィロ老の説明とも異なるかもしれない彼独自のバージョンである。母親には護り手のピングが処方されておらず、子供だけがピングを装着している場合、それを外して薬液に浸しておけば、危険を回避することができる。しかし母親自身にも護り手のピングが処方されている場合は別問題で、回避は不可能。女性にとっては婚外性交渉は全く不可能である。ベニィロ老の説明では、ニューニをもった女性の夫の性行動についても言及があったが(そちらについては危険の回避方法はある)、ハマディ氏の説明には、女性の夫についての言及はない。

インタビューの日本語訳

6997

Hamisi Ruwa(R): ニューニには多くの種類がある? Hamadi Mbega(Hm): ニューニには多くの種類がある。正しく尋ねて、それらを知るようにならなければな。お前が尋ねても、ニャグ(nyagu39とツォヴャ36を売りつける施術師もいるよ。ニューニふたつだけ。それじゃあ、そいつはお前のためにニューニを尽くしたことにはならないよな。ニューニには多くの種類がある。ニャグ、ツォヴャ、ズニ41がいる。このズニがニューニたちのボスだ。そしてもう一つ別のリストがある。このあたりの施術師たちが知らないリストが。そのニューニについては彼らは知らない。 R: それってどのニューニのこと? Hm: 別のリスト、今教えてやるよ。ニャグ、ズニ、ツォヴャ、キルイ、ムウェー、マディンバ(madimba)、脚と腕で地面をこする(ku-saga)ムヮサガ(mwasaga)、ニャウラ(nyaura)、内陸の荒蕪地の大ズカ(zuka bomu ra nyika)、海岸部の大ズカ(zuka bomu ra pwani)、バオバブの木の大ズカ(zuka bomu ra muyuni)。ここまではついてきてるかね。 R: ついて行ってます。 Hm: 3種類だよ。この大ズカに3種類ある。 R: なにの大ズカだっけ。 Hm: 海岸部の大ズカ、内陸の荒蕪地の大ズカ、そしてバオバブの木の大ズカ、そして洞穴の大ズカ。4種類だ。わかったかい? R: はい。

6998

Hamisi Ruwa(R): ところで、別のときに、バオバブの木のところに木の棒がいくつか置かれていたのを見るんだけど、それって? Hamadi Mbega(Hm): ちょっと待て、ちょっと待て。ちゃんと話してあげるから、ちょっと待って。もし病人がいて、占い(mburuga)を打って、言われるんだよ。薬液を振りまいてくれることになる施術師(yendakuvunga1)には、バオバブの木のところで施術をさせなさい、彼にムコネの木(mukone46)の棒だけで作られた小さな木組み台(karingo58)を、行ってそこに設置させなさいって。その木組み台の上で薬液を振りまいてもらい、その後で、その木組み台の中で(護符を)結んでもらいなさいって。そして子供もそこに来させて同じように薬液を振りまいてもらいなさいって。私も同様にその場にいます。この薬液振りまきの施術の食事(とうもろこしの練り粥(wari72))、その練り粥は、閉経期を過ぎた屋敷の女性によって用意されなければならないんだよ。鶏もそこで殺されねばならない。子供がそこで薬液を振りまかれた。鶏も殺されている。 R: 鶏は鶏ならなんでもいいのですか? Hm: 赤い雄鶏、あるいは浜辺の砂色の鶏(wa mutsanga wa pwani)、混色の鶏(wa mirimiri)、占いが言うこと次第だね。私の言うこと、わかったかい? R: それはバオバブの木の大ズカ(zuka bomu ra muyuni)ですね? Hm: そう、そいつはバオバブの木の大ズカと呼ばれる。さて、大ズカは、そのときには、(つまり)あらゆる手を尽くして、もうそれを扇ぐ(kupunga73)という段になる(除霊することになる)と、そいつの泥人形をこね作ら(kuumba)ねばならない。(バオバブの木の根元は)薬液を振り撒く1施術の場所で、扇ぐ(除霊する73)場所じゃないからね。そこで人形をこね作ることはできない。でもそれを扇ぐときには、つまりそちらでズカを投げ捨てる(kutsupha80)、女性からそいつを出て行かせるためには、つまり、憑依霊(nyama)、あいつらニューニを閉め出す(kpwaasindika81)ためには、屋敷のハズレで、ちょうどあの辺りで、そいつ(ズカ)をこね作らねばならない。こちらでは手拍子を打っている。あちらではそれをこね作っている。こちらではカヤンバを、カヤンバであれ、太鼓であれ、打っている。

6999

Hamisi Ruwa(R): あちらのこねる場には、あなたは(病気の子供の母親の)女性をともなって行くのですか? Hamadi Mbega(Hm): こねる所には、施術師本人と弟子(anamadzi82)たちが行く。施術師は、こんな風にこね作るんだと示しに行くのさ。泥人形は、バナナの茎の切片を芯にして作られるからね。 R: バナナの茎の一部? Hm: そう、一部をこんな風に切り取って、盛り山(tsulu)の土を水でこねる。さて、こねられた土をこのバナナの茎にくっつける。それから、こちらを分けて、こんな風に脚と足にする。 R: バナナの茎ですね。 Hm: そう。泥土も二股にわけて二本脚に、そしてこのあたりに陰茎(ulume)と睾丸(chende)を造作する。もし雌なら...そもそも2体こね作るんだよ、雄と雌。雌のほうにはヴァギナ(uche)が、雄のほうには陰茎がある。さて、こちらの雄の一体には、白い鶏の羽根を(何本も)刺し、(全体に)灰が塗られる。そしてこのあたりにこんな具合に腕をつける。ここには卵を置く。雌のほうだが、雌の(ズカ)も同じように作られる。こちらには水の入った鍋(土器製の)が置かれる。ここまではわかったかい?お前があいつら憑依霊を閉め出す(kusindika81)ときの話だ。お前はしかじかのキリャンゴナ(chiryangona44)(を用意するよう、占いで)指示されている。(たとえば)このズニ(dzuni41)の鶏は、白い雄鶏。ニャグ(nyagu39)の鶏はカタグロトビ色の鶏(wa chiphangaphanga)、ツォヴャ(tsovya36)のは浜辺の砂色の(wa mutsanga wa pwani)、混色の鶏(wa mirimiri)はキルイ(chilui42)のだ。別のやつには黒い鶏。

7000

Hamadi Mbega(Hm): すでに言ったように、ニューニは種類が多い。ゴジャマ(gojama2)と呼ばれるニューニもいる。そしてムドエ(憑依霊ドエ人37)も。そしてニョンゴロ(nyongolo45)も。 Hamisi Ruwa(R): たしかにとっても多いですね。 Hm: ところで、この近所ではこれらの憑依霊たち(ゴジャマ、ムドエ、ニョンゴロを指している)、これらのニューニたちには、(施術師たち)は薬液振りまきの施術は行っていない。連中はそれら(のニューニ)に対して「お静まりください」を与えるカヤンバを用いている。でも、そいつは子供を殺すニューニなんだよ。ゴジャマ。ムドエ(mudoe37)はゴジャマの相棒さ。こいつゴジャマは捕らえ屋だ、こいつは。でもムドエのやつは、子供を食べるのが好きなんだ。というのもムドエは肉が好き。ムドエ、お前、ドエ人たちのこと聞いたことない? R: ありますとも。 Hm: そいつは肉が好きなやつだ。こいつゴジャマは捕まえるやつ、でも殺すのはムドエだ。 R: そのあと食べる者は? Hm: 食べる者は、このゴジャマとムドエだ。そしてあいつニョンゴロ。このニョンゴロはそれ自体グループだ。いくつかに別れて、分かれ道をなしている。さらに、女性、女性が(憑依霊)ドゥルマ人をもっている、彼女はドゥルマ人をもっていると言われたりする。お前、カヤンバの場で憑依霊ドゥルマ人の歌が語られてるのを聞いてるかい?さて、やつら、憑依霊ドゥルマ人の仲間がやつらだ。このあたりでは知られてないがな。生まれたばかりの赤ん坊が泡をふいているのを見て、こちらでは子供が生まれたばかりで、その子供はこんな具合になっている、そいつのせいであるのは確実だよ。でも知識のある施術師がその場にいなくてはな。その子供が突然捕らえられた(kugbwavukirwa84)日にも、その場に知識のある施術師がいなくてはな。

7001

Hamadi Mbega(Hm): でもこのニューニを知っている施術師がいなければ、子供は死んでしまう、有無を言わさず。そう、健康そのもの。そのままにしておいて、しっかりした身体になるように。さて、(妖術使いが)憑依霊を連れてくる。朝に。そうとも。そして晩になる。もう午後7時だ。何時でもいい、計画通りの時間。子供は突然襲いかかられるばかり。知識のある施術師がそこにいなければな。もし知識ある施術師がそこにいなければ、子供は健康だったのに死んでしまう。 Hamisi Ruwa(R): そこで、ハマディさんのような人がそこにいて、その子に護符を結んでくれることが必要なんですね。 Hm: そこで、ハマディのような者がその場にいてくれることが望まれるわけさ。そいつ(そのニューニに対する施術)を購入しているハマディのような者がね。というのもそいつ(そのニューニ)で長年ひどい目に遭ったことがもとで、そいつ(それに対する施術)を購入し、今やその場で(ニューニに捕らえられている)子供に護符を結んでやるわけさ。女性が、この子は昨日泡をふいて生まれたのですと言ったとしたら、私はすでにわかっているのさ。まずもってこの薬(mihaso8)から始めるまでは、その子は母親の母乳を吸ってはならないとね。このニューニが、子供を捕らえる捕らえ方にはいろいろたくさんある。まず、子供の腹が膨れていて、腹がきゅるきゅる(chochoro chochoro)音を立てたりする。わかるかい?

7002

Hamisi Ruwa(R): そしてこの細かい泡(kafulo)。 Hamadi Mbega(Hm): その泡はね、お前に教えてくれてるだけ(単なる徴)さ、でも消えないよ、うん。お前がそれを知らなかろうと、泡は消えない。さて、お前はその子が発熱するのを見るだろうよ。そしてここ(腕)が固く折り曲がっているのも。こちらの脚の方も、同じようになる。こんな風にンギー86と固くね。そしてそんな状態のまま。そして手も固く握りしめて開かない。開いたと思っても、一瞬で、また元通りになる。ときには、腕がンゴー87と冷たくなる。そして脚も、お前が触れると、膝のあたりから先の方にかけて、もうンゴー、ンゴー、ンゴーそのもの、まるで水から出てきたばかりみたいに、その子供。そしてこの腕も。号泣が到来したときときたら、母親があやして疲れ果ててしまうまで、そして少しおさまったら、この頭が汗をかく、ギーと汗まみれ。汗が身体にも流れ落ちる。 R: そうすると、このグループのニューニは、とても激しいんですね。 Hm: その発汗が収まると、子供が少しおとなしくなる時間だ。でも、確実に号泣に3回は到来される。そして4回目、さらに例の脚とこの腕のやつに突然襲われると、子供は自分自身を痛めつけてしまう。最初の一回目、もしそのニューニに詳しい施術師がそこにいたら、子供はそこで解放してもらえる(発作の縛りを解除してもらえる88)。施術師は子供を最初の一回目で解除してやる。その施術師は、そのニューニを知っている者でなければならないが。もし知らなければ、子供は再び2回目の旅に連れ戻される。さて、そこでそのニューニを知っている施術師が手に入らないと。もし知っている者が手に入らないと、子供は3度目に見舞われる。さらには4度目に。子供にはもう体力が残っていない。そこで発作が戻ってくると、もうまっすぐにはならない。見るともう、ハァハァハァ、そしてぐったり89

7003

Hamadi Mbega(Hm): さて、お前が長時間いれば。...この場に長時間いることもありうるだろう?そうすればお前は、ああこの子はもう終わっていると知ることになる。その後、持ち直すかも。その子を見たら、少しンガー(明るいさまを表す擬態語)、そしてブー(覆われるさまを表す擬態語)レジェー(ぐったりするさまを表す擬態語)。そうなるとその子は息はしているが、普通の子供らしい呼吸じゃない。そいつ(ニューニ)は、もうその餌食を食べている。さあ(施術師よ)、頑張れ。そう頑張れ。でもお前がもしそのニューニのことを知らない者だったら、ああ、子供は死んでしまう。 そもそもこの段階にならば、お前もほぼ知っているが、(そのニューニは)脇腹(mbavu90)の段階に変じる。でも同じそいつだ。混乱させられるなよ。同じやつだ。脇腹の段階だ。お前が直面したこうした場面、その子供は脇腹(の問題)に到来されている。そして咳。この旅は休む暇もない。お前の目にはその子が静かになったと見えるが、その子はもう尽きる寸前なんだと知りなさい。 Hamisi Ruwa(R): でもムブジ(ハマディ氏のあだ名)が近くにいたら、別でしょう? Hm: でももしムブジがいなければ、子供はとっくの昔にぐったりなっている。グオ(Guo)の兄弟に私が言ってあげたことだよ。でも彼はそれを無視して、それを見る羽目になった。真っ昼間のことだ。私はあちらのヤシが生えているところにいた。ヤシの木の上にいたんだ。私は「ああ、我が子が、ええ、ああ、私の子供、いったい何でこんなことになったんだ!」 R: はい、彼の死んでしまった子供。 Hm: ああ、突然だった。子供がニューニに突然襲われたんだ。私はヤシ林から出た。「子供がどうしたんだ?」「子供がニューニに突然襲われました」「よし、待ってろ」私はすぐ(占い(mburuga)を)打った。で、子供は健康に戻った。

7004

Hamisi Ruwa(R): で、どのニューニだったんですか。 Hamadi Mbega(Hm): いろいろ混ざっていたんだよ。お前に話してやった連中や、あの大きい奴ら。大きい奴らというのは、あいつらお前に教えてあげた、ズニ、ニャグ、ツォヴャ、ムウェー、トゥヌシ(tunusi34)、マディンバ、ムァサガ、ニョンゴロ。ちがった、ニョンゴロは別だ。海岸部の大ズカ、内陸の荒蕪地の大ズカ、バオバブの大ズカ、それに洞穴の大ズカ。 R: それら全員が混じってたんですか? Hm: お前はそれらを知っていなくてはならない。他人に騙されるなよ。お前にニューニ(の施術)を売ってやるといって、お前にズニだけを売りつけようとする。だめだ、お前はまったく(治療)できない。子供が、(ニューニの)問題に襲来されたとき、お前はそれらについて知っているのでなければね。そうとも。さもないとお前はズニの草木で施術する。さて子供はニャグに襲われているのに、お前はズニの草木で施術する。子供がツォヴャに襲われた、子供はキルイに襲われた、でお前はキルイについて知らない。 R: でも、あなたのような人なら、子供がそんな風に突然襲われてそんな風になっていれば、来てその子を見ただけで、どのニューニなのかわかるのでは? Hm: もし争いが、(子供がひきつけを起こして)白目をむいている(garogaro91)段階に達していたら、私はさっきお前のために列挙したあいつら(ニューニ)の草木を持って行くね。わたしはゴジャマの草木をもっていく。そして尋ねるだろうね。「この子は、生まれたとき、どんな『挨拶(salamu92)』といっしょに生まれてきたのかい?」「いいえ、泡とともに生まれてきたりはしていません。この問題は、私たちにとっても初体験なんです。」それで私にはわかってしまう。この子には大物のやつらが憑いているってね、もう。もしさらにひどくなるようなら、私は言う。「じゃあ、白い雄鶏を大急ぎで用意して。そして赤い雄鶏と黒い雌鶏、混色のとカタグロトビ色のと浜辺の砂色の雌鶏を。」もし、仕事が今日には(その日のうちには)始まらないなら、あのゴジャマをこの前庭で始める。この前庭で薬液を振り撒いてしまう(uvungbwa1)。その後で子供をその母親から切り離す。

7005

Hamadi Mbega(Hm): そう、その後でごみ捨て場(dzalani93)で、子供だけに薬液を振り撒き、土盛り(tsuluni94)に行って子供だけに薬液を振り撒くんだ。それまで。 Hamisi Ruwa(R): ごみ捨て場に行く目的は、ニューニを捨てることですか? Hm: (それらの場所は)ニューニたちのたまり場(vituo95)だよ。 R: 彼らがその中で過ごすところなんですか?ごみ捨て場もバオバブの木のところも、なんとまあ。 Hm: バオバブの木こそあいつらの大いなる木さ、バオバブ。そこが終着点。 R: だから、子供が突然ニューニに襲われたら、(治療を受けたのちは)その子といっしょに土盛りやごみ捨て場に行くことはできないんですね。(そこへ連れていけば)ニューニが一発でその子の生命を奪ってしまうかもしれないと。 Hm: そう。子供が土盛りで薬液を振り撒かれたなら、そこには母親は子供を連れてはそこに立ち入れない。その子が成長してしまうまではな。バオバブの木のところにも子どもと一緒には立ち入らない。歩いていてバオバブに出くわしても、道がそちらに向かっていても、その母はそこを通れない。離れたところを、避けて通っていかねば。私の言うこと、理解したかな? R: おお、よくわかりました。 Hm: 私は大変な思いをしてニューニたち(の治療術)を、購入したんだよ、あんた兄弟!私はそれらをマリンディ96出身のギリアマ人の長老から買った。その長老はな、あのムァゾンボが今住んでいる場所で、ああムァゾンボはまだその長老がいた場所には来てなかったんだがね、その長老、私が彼からあれらのニューニたちを買った長老のね。ギリアマ人の。 R: あなたは良い癒やしの術を手に入れましたね。

7006

Hamadi Mbega(Hm): さっきお前に列挙してやったあのニューニたち、あれらの3つのニューニ、ゴジャマとムドエとニョンゴロ。そいつら(の治療術)を私は妻の兄弟のヨンゴさんから購入した。というのも私はそのニューニによって子供たちをすべて失ってしまったんだ。そのニューニを私は、私の身内のジラ(Dzila、人名)にも売ってあげた。お前と同じように私の身内のね。そこ(ジラさんのところ)のグベは、私自身が治療した。というのもすでに私は瓢箪(に入れた薬の知識)をすでに購入していたので。そこにいるムベガ97も私自身が治療した。私の言ったこと、わかったかい? Hamisi Ruwa(R): ああ、よくわかりました。 Hm: というわけなんだよ、あんた。ここにいるあの私の第二夫人なんだけど、彼女はすでに子供たちを失っていた。その後私が彼女を娶ったわけだけど、その後産んだ子供が、先日間違いが起こったあの子だ。 このあいだ火傷を負ったあの子ですか? そう、厄介を起こしたあの子だよ、あんた兄弟!生まれたときには、おおごとだったよ。厳しい(男が試される)試練だったよ、ほんとうに。誰もが知っている。 R: ここでの話? Hm: ここで生まれたんだよ。 R: あなたがさっき言ってた徴をもっては生まれてこなかったんですか? Hm: その子の生まれてきた様子を見れば、私にはわかったよ。これは私が踊るべき歌そのものだと(私の得意とする問題だと)。その歌をしっかり握ったさ。さっそく治療してやろうと。その後になって、子供にはさまざまな問題が現れてきた。さて、そんなわけで私の登場舞台さ。父が私に任せてくれた。 R: おや、ムベガ老(ハマディ氏の父親)も強力な施術師(muganga)だったんですか? Hm: ムラムロ(mulamulo98)さ。ムブルガ(mburuga98)じゃない。でもまあムブルガだ。

7007

Hamisi Ruwa(R): お父さんがそこでムラムロを打ったのですか?99 Hamadi Mbega(Hm): 私が、このわが子がいったい何に食われているのか見るためにムラムロを打つんだ。昨日から今日までやったあれこれ、でもわが子はいまだにこんな具合だ。何に食われているんだろう。OK。私はさらに進んで彼ら大物ニューニたちを治療して、彼らを「送り出した(ku-asisa 除霊した)3」。やつら3人の下位のニューニたちも治療して、送り出した。こいつゴジャマ、ムドエ、ニョンゴロに触れるところまできて、自分のムラムロにも疲れてしまい、私は友人のところに、ムァンザのところにムラムロを打ってもらいに行った。私の兄、ムァンザ・ワ・グオのところにね。「兄弟よ、どうして私が治療しているのに、子供は治らない、どうしてだ。」 R: あいつら、大物も小物も全員あなたは治療したのに。うまくいかなかった。 Hm: そして「一昨日だ、お前は、お前の家で、子供のためにお前の草木を調えたってことだろう?でも子供はいまだにこんな具合だ。どうしてだろう。」(そう言って)ムァンザはムラムロに戻った。そして言った。「お前はまだ子供を食っている(やつらの)この局面をフォローしていない。そいつらを無視している。でも子供はゴジャマとムドエとニョンゴーに食われているんだよ。お前はそいつらのことを知っているのに、今どうしてそこを放置しているんだい?なぜ、それ以外の問題ばかり治療しているんだ?」私は言った。「OK。占いはそれまでだ。」私は麓の方に行って早速、薬の用意を始めた。で、家に着いたときにはもう準備万端。 R: 大急ぎだったんですね。 Hm: そうとも。私は力いっぱい打ったね、本当に。その子のためにムドエの護符(pingu18)を調えた。今日に至るまでも、あの子はそれ(その護符)といっしょに成長しているんだ、彼がいつも身につけている犬の歯の護符だよ。

7008

Hamisi Ruwa(R): おお、それがそれらのニューニのキリャンゴナ(chiryangona44)なんですね。 Hamadi Mbega(Hm): 私のピング(pingu18)には犬の歯が付いてるんだ。私がゴジャマに対して薬液振り撒き(ku-vunga)するとしたら、ゴジャマとムドエに対してするとしたら。そのピング(pingu)と、ニョンゴロ。それには犬の歯が付いている。私の言うことがわかるかい?まず、お前はブッシュの生き物、カタグロトビの脚を(キリャンゴナとして)もつ。羽ばたいて鶏を捕まえるあのカタグロトビそのもの。お前はそいつの脚を手に入れないと。それこそが、子供の母親のためのピングになるものなんだ。授乳の際に子供を守るために母親が身に着けるな。そのピングには護り手がついている。長いパンデ(pande15)が二つ。ピングがその真中についてパンデはそれを挟んで。さらにその横にもパンデが付く。左側に3つのパンデ、そしてこちら側にも3つのパンデ、あわせて6つのパンデだ。もし子供が男の子だったらな。こちらに3つ、そしてこちらに3つ。もし子供が女の子だったら、こちらにはパンデが4つ、そしてこちらにも4つ。ピングはそれらのパンデの間に。それらがここに寝るためのものだ。私の言うことがわかったかい? R: わかりました。こちら(後で述べた二つのピング)は子供に結んだわけですね。 Hm: ここで薬液を振り撒き、それが終わって、治療が終わったら、わたしは子供を守る護り手を差し出すのさ。それは護り手なんだから。 R: そうすると、ここ(母親の)乳房のところには、母乳の護り手(のピング)ですね。 Hm: そう。それは母乳の護り手だよ。

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Hamisi Ruwa(R): なぜなら、そいつらニューニは母乳もだめにすることができるからですね。 Hamadi Mbega(Hm): そう。母乳をだめにして水のようにしてしまうのだ。そう、そして子供が乳を吸うと、下痢をする。あるいは嘔吐、あるいは咳き込ませる。さあ、この局面だよ、お前さん。 R: そうですね。女性たちのなかには母乳が水のように流れ出るのを見て、施術師のところに行って、母乳を縛ってもらおうと言う人もいます。 Hm: それは、そうした状態で生まれてきた場合だね。それとは別に、こんな場合もある。女性が妊娠していて、母乳が流れ出す。妊娠していてまだ出産していないのに、母乳がまさに流れ出すんだ。もうジュルジュルと。 R: それはいったい何なんですか。 Hm: 理由なく流れ出るわけじゃない。それはやつらニューニたちによって出されているのさ。こうした場合は、おまえ施術師がそうした場合を熟知していなければね。 R: そうなんだ!ということはその女性はすでにニューニをもっていると? Hm: そうとも。行って、そうした(妊娠した)女性を(施術の場(ndalani)に)座らせ、彼女をツォザ(ku-tsodza100)するための(薬(muhaso)の入った)瓢箪がある。彼女の乳房に(施されたツォガ100に)その瓢箪(の薬を)塗り込んでやるのさ。(問題の)母乳は完全に消えてしまう。出産後も母乳がでないので、その後で、母乳を返してあげなければならない。 R: ああ、たいへんありがとうございました。

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Hamadi Mbega(Hm): (途中から録音)...施術師はここ前庭から出て、ごみ捨て場に行く。そこから出ると、土盛りに行く。(憑依霊の)停泊場所はいくつかな?3つだ。4番目がバオバブの木のところだ。 Hamisi Ruwa(R): ごみ捨て場、土盛り、そしてあちらのバオバブの木のところ。 Hm: そう。そこが終点だ。さて、もし(必要とされたキリャンゴナ44が)鶏だったら、そこで殺される。なぜならそれらのキリャンゴナは、子供のためのピング(pingu18)とその母親のためのピングにするために、そこにもっていくからだ。すべてが済んだ。そしてそこで彼女にもピングを着けた。

(もし彼女の浮気相手が)彼女を欺いて言う。「ああ、ニューニならよく知ってるよ。それらのピングは私が隠しておこう。だから例のモノをおくれ(性交渉しよう)。」うわーっ! R: 子供は(ニューニに)襲われてしまう。 Hm: うわーっ!浮気のその場で(fukoni101)嘔吐に見舞われる。そこで嘔吐に、そして脚と腕(の痙攣)に見舞われる。(女は)言う「あなた、ニューニのことを知ってるって言ったでしょ。さあ、この場でニューニに襲われた。さあ、なんとかして」。女がお前に言ってるんだよ。「あなたそう言ってなかった?」お前は言われる。「(脚が)休まず動いている。私はここであなたを待っています。私の子供が死んでしまう。あなたが助けてくれる?それともすぐにあなたはここを去って、誰それさんを見つけて、ここに連れてきて。ムブジ(ハマディ氏のあだ名)に会って、ここに連れてきて。」もし彼が私の家に来たら、そいつに報酬をたっぷり払わせてやる。そうとも、お前は人の子供を殺そうとしている。私は、子供を治療する。でもお前ときたら、お前のモノ(chidude102)を勃起させて人の子供を殺そうとしている。その女性はお前の妻じゃない。私の専門はこれだ。お前のペニス(mulingotyo104はすごく勃起する。こうしてそれはお前に損害を与えるんだよ、お前のペニスは。お前は人の子供を殺そうとしながら、(それを癒やす)仕事を知らない。ってなもんだ。

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Hamisi Ruwa(R): ああ、なるほどね。もしあなたが、人妻を好きになったのですが、彼女がニューニの治療を受けた(薬液を振り撒かれた)人だったら、どうします? Hamadi Mbega(Hm): もしお前に好きな女がいて、その女がニューニの治療を受けたことがある?その女がお前のところにやって来る。彼女は、自分には人がおり、自分はその人と一緒にいることになるだろうと知っている。お前は彼女の許しを得て、彼女のためにちょっとした薬液(kavuo, kaは指小辞22)を作ってやる。 R: あなたおっしゃいましたよね。それに必要な草木すべてをお前は知ってなければならないと。 Hm: それらの草木すべてをお前は知っていなければな。お前はそれらすべてを探し求め、しっかり手にもっていなければならない。その女性がお前の逢引の場所に入ってきたら、そこに小さな御椀を用意していて、水でそれらの草木を揉みつぶす。 R: 他にキリャンゴナはありませんか? Hm: キリャンゴナはないよ。お前はそれらの草木を知っていなければならないだけ。さて、あの子供のためのピングだが、それを外して御椀の薬液に漬けておき、お前たちはお前たちのやることをすませなさいな。済んだら、それらのピングを薬液から出して、子供に身に着けさせる。しかしな、お前が一緒にすごすその女性も(ニューニの)ピングをもっているなら、その楽しみを最後まで楽しむことはない。 R: ムズカを怒らせた(癒やしの術で間違いを犯した)。その場で子供は(ニューニに)襲いかかられる。

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Hamadi Mbega(Hm): その場で、(その子供は)襲われる。そもそもお前はその子が、テテテテ、脚も腕もンディと突っ張るのを見るだろうよ。そもそも彼女がお前に言うだろうよ。「抜きなさいな。それどころじゃなくなりました。抜きなさいな。それどころじゃありません。あなたは(ニューニのことは)知っていると言ったけど、あんた、じゃあどうしてこんなことになるの。知っていると言ったくせに。」 Hamisi Ruwa(R): なるほど、子供を簡単に殺してしまうことになるんですね。

注釈


1 クヴンガ(ku-vunga)。薬液を振りまく動作を指す動詞。鶏の脚をもって鶏を薬液(vuo)に浸け、それを患者に対して激しく振り、薬液を撒いたり、枝を束ねたもので振りまいたり、その手段はさまざまである。ニューニの治療においては薬液の振り撒きはク・ウルサ(ku-urusa「飛び立たせる」)とも語られる。農作業で用いる浅い箕のなかに薬液をいれて振り撒く。
2 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola3)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
3 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini4」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa526と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume10)、カドゥメ(kadume29)、マウィヤ人(Mwawiya30)、ドゥングマレ(dungumale32)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga33)、トゥヌシ(tunusi34)、ツォビャ(tsovya36)、ゴジャマ(gojama2)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu24」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」25)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
4 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola3)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
5 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola3)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち6)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba9)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu24)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni25)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini4)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
6 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo7)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
7 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso8)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine6)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
8 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
9 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume10)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani11)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
10 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola3)もありうる。
11 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」12による鍋(nyungu19)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe23)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu18)。
12 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術13においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba14)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande15)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu19)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
13 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
14 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
15 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符16。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
16 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata17)、パンデ(pande15)、ピング(pingu18)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
17 ンガタ(ngata)。護符16の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
18 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符16の一種。
19 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza20、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
20 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya21)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu19)とセットで設置される。
21 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo22)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza20)と呼ばれるが)。
22 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
23 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
24 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ25)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola3)の対象となる。
25 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu24」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
26 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」27など)を行うことなどを意味する。
27 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ28などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
28 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ27」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
29 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
30 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde31)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama2)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
31 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
32 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola3の対象になる)26。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
33 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
34 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine6)の一種という説と、ニューニ(nyuni25)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ35らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola3)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
35 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
36 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ25の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola3)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa26」。see p'ep'o mulume10, kadume29
37 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)とならんで、古くからいる霊。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。ムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。護符は、ムドエの草木(特にmudzala38)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
38 ムザラ(mudzala)。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386). ムルング、憑依霊ドゥルマ人、ドエ人の草木。
39 ニャグ(nyagu)。ニューニの一種。ムウェー(mwee40)の別名とも。女性にとり憑いて、その子供に危害を及ぼす。子供は、泣き止まない、やせ衰える、頻繁にビクッと驚く様子を示す、などの症状。ヒツジと泥人形(長い嘴をもつ)で除霊(kukokomola3)される。妻がニャグをもっているとき、夫か妻のいずれが婚外性関係をもつと、子供は病気になる(ただちに死んでしまうとも言われる)。
40 ムウェー(mwee)。ニューニ(nyuni25)の一種。ニャグ(nyagu39)、グァヴ・ムクンベ(gbwavu mukumbe)の別名とも。鷲、鷹に似た猛禽類。
41 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui42)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni25)」、「上の霊(nyama a dzulu24)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola3)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
42 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu24)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola3)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa5)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni41)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
43 ズカ(zuka)。ズカ・ラ・キペンバ(zuka ra chipemba)、ズカ・ラ・キカウマ(zuka ra chikauma)等の種類がある。母親にとり憑き、その子供を病気にするニューニ(nyuni25)あるいは「上の霊(nyama wa dzulu24)」などと呼ばれる、鳥の霊の一種。子供の病気の治療には、憑依霊の施術師ではなく、ニューニ専門の施術師が当たるが、ニューニの施術師になるためには憑依霊の施術師のように霊との特別な結びつきが必要なわけではなく、単に他のニューニの施術師から買うことでなれる。ズカが女性が生む子供を次々に殺してしまうといった場合には除霊(kukokomola3)が必要となる。除霊を専門とする施術師がいる。除霊にはズニ(dzuni41)等と同様に泥で作った鳥を形どった人形を用いるが、ズカの人形は嘴が短い。白い鶏、赤い鶏の2羽がキリャンゴナ(chiryangona44)として必要。
44 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
45 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
46 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:255-256)
47 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o48)、シェターニ(shetani49スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini4)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa5)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola3)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani50)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba9)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara51)」の2つに分ける区別もある。
48 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani49もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞47)という言葉が最も一般的に用いられる。
49 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
50 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba9)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
51 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
52 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
53 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)54であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
54 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba55)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)56や母(女性施術師の場合)57ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
55 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
56 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」54を参照されたい。
57 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」54を参照されたい。
58 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ59に対する「重荷下ろしkuphula mizigo62」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni25)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
59 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)60、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす62)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku64)、おしゃべり女(chibarabando65)、重荷の女(muchet'u wa mizigo66)、気狂い女(muchet'u wa k'oma67)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma68)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo69、長い髪女(mwadiwa71)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba55)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
60 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri61)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ17を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
61 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza60と呼ばれる手続きもある。
62 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo63)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
63 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
64 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera59)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
65 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera59の別名の一つ
66 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ59の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
67 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ59の別名ともいう。
68 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera59)の別名の一つ。
69 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ59の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo70)の女性であるともいう。
70 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
71 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
72 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。大きな更に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。
73 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga74)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele53)としてンゴマやカヤンバ76を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola3)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni25)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo22)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo75)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
74 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga73)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni25)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo22)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo75)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
75 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ25の治療においては、薬液(vuo22)を患者に振り撒くのにも用いられる。
76 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri77)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira78)」と呼ばれることもある。
77 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
78 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ79の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(76)、カヤンバ(79)と同じ意味で用いられる。
79 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti77)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira78)」と呼ばれることもある。
80 ク・ツブァ(ku-tsupha)。「投げる、投げ捨てる」を意味する動詞。
81 ク・シンディカ(ku-sindika)。「(扉などを)閉める」という意味の動詞だが、ときに憑依霊を「除霊する」という意味でも用いられる。ここでは「閉め出す」と訳すことにする。ku-kokomola3、ku-chomowa、ku-usa nyamaなどと同意味。これらの使い分けについてはku-kokomola3の項を参照のこと。
82 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ83)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
83 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
84 ク・グヮヴキラ(ku-gbwavukira)。「不意をつく、不意に襲う、驚かせる」を意味する動詞。憑依霊が突然、人にとり憑くさまを表すのにも用いられる(「突然捕まえる」=ku-gbwira gafulaに同じ)。憑依霊が「とり憑く」ことを指す動詞には、他にも、スワヒリ語のク・パガア(ku-pagaa)がある。とり憑くさまを表すドゥルマ語の最も一般的な表現としては「惚れる」を意味するク・ツヌカ(ku-tsunuka)85がある。
85 ク・ツヌカ(ku-tsunuka)。憑依霊が人にとり憑くのは、つねに憑依霊側に主導権がある。霊と偶然遭遇してしまう経験もまれにあるが、これも含め、霊が突然相手を気に入り、「惚れて」とり憑くのである。これを表現する動詞が ku-tsunuka で「惚れる、好意をもつ、目をつける」の意で、この意味で最も広く用いられる動詞。他に ku-gbwira「捕らえる」、ku-pagaa(スワヒリ語)「とり憑く」も用いられる。
86 ンギー(ngii)。固まっているさまを表す擬態語。
87 ンゴー(ngo, or ngoo)。冷たいさまを表す擬態語。ディゴ語の動詞 ku-ngota「冷たい、冷たくなる」より。
88 クタブラ(ku-taphula)。「初物を食べる」「課せられていた禁止を解く」「呪詛(キラボchirapho)を解除する」「憑依霊による発作などから正常にもどす」などの意味を持つ動詞。
89 レジェー(rejee)。力なく、ぐったりしているさまを表す擬態語。動詞ク・レジェラ(ku-rejera)「ほどける、ゆるむ、ぐったりする」より。
90 ムバヴ(mbavu sing. pl.)。ルバヴ(lubavu,pl.mbavu)とも。「脇腹」正確には肋骨の側面部。
91 ガルガル(galugalu, galu galu)。子供がひきつけて目が白目をむいている様を意味する擬態語。動詞ク・ガルカ(ku-galuka)「変わる、裏返る」から。ガロガロ(garogaro, garo garo)とも。
92 サラム(salamu)。スワヒリ語で「おじぎ、挨拶」。
93 ザラ(dzala pl.mazala)。「ごみ捨て場」。屋敷の外れに直径3~4mの浅い穴を掘り、そこに生ゴミなどを捨てる。ザラニ(zalani)はそのlocative。「ごみ捨て場で、ごみ捨て場に」。動物はただ捨てられるだけだが、猫は首に黒いムルングの布の端布を巻いてザラに埋葬される。出産後の胎盤もそこに埋められ上に石を置かれる。
94 ツル(tsulu pl.tsulu)。「小丘、地面の少し盛り上がった場所、土盛り」。屋敷を設置する際にはこうした地形を選ぶ。単なる小さな土の盛り上がりもtsuluと呼ばれる。ツルニ(tsuluni)はツルのlocative.「小丘で、小丘に」
95 キトゥオ(chituo, pl.vituo)「中継地、仮泊まり場、駅」。スワヒリ語のkituo(p. vituo)に同じ。憑依の文脈では、憑依霊たちが移動の過程で滞留する場所。人にとっては危険な場所でもある。
96 マリンディ(Malindi)。ケニア東海岸北部のスワヒリの交易都市、港。
97 ドゥルマの命名法では、男は子供をもつと自分の父の世代の男性の氏族名でその子を名付ける。Hamadi氏の父親はMbegaという名前であるが、Hamadi氏は自分の息子の一人にMbegaの名前を与えている。他の息子たちは彼の父の兄弟たちの名前をつけられることになる。ここでのムベガはハマディ氏自身の息子を指している。
98 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、自ら客の抱えている問題を頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
99 ハマディ氏とハミシ君とのあいだにちょっとした齟齬が生じている。ハミシ・ルワ君は、ハマディ氏の父親も施術師だったのかと尋ね、ムラムロだという答えをハマディ氏の父親の施術(占い)と理解しているが、おそらくハマディ氏は最初のハミシ君の問を聞き損なったのか(mugangaをmuburugaと聞き間違えたのか)、それをムラムロだと訂正し、ハミシ君はその答えをハマディ氏の父親の得意施術がムラムロであるという答えとして解釈した。
100 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
101 フコ(fuko pl.mafuko)は「母系氏族」を意味する言葉であるが、そのlocativeであるフコニ(fukoni)は、なぜか不倫相手との逢引の場所を意味する婉曲表現としても用いられる。ブッシュの中の獣の巣を意味するキカロ(chikalo pl.vikalo)も同様の婉曲表現として用いられている。
102 キドゥデ(chidude, pl.vidude)。ドゥデ(dude, pl.madude103)は、何かについてその正体を明示せずに単に「モノ」いう表現で表す言い方であるが、キドゥデはその指小形。代名詞ではない。"chidude chani chino?" 「そのモノいったい何?」
103 ドゥデ(dude, pl.madude)。「モノ」。ドゥデ(dude)は、一般に名前の不明な物、正体不明な物に言及する名詞。しばしば、くだらない物、役立たずな物という軽侮的ニュアンスを伴う。mududeは、このdudeに人や動物を表すクラスの接頭辞 mu-(pl.a-)を付けたもので「ろくでもない人間」「ろくでなし」「得体のしれないやつ」などの意味をもちうる。
104 ムリンゴティ(mulingoti, pl.milingoti)はスワヒリ語で「船のマスト」を意味する。ここでハマディ氏は、「お前のマストが突っ立っている」という表現をペニスが勃起しているという意味の婉曲表現として用いている。