一連のニューニの施術師の語りにも見てとることができるように、ニューニとその施術に関する知識は、憑依霊の施術一般に比べると、さらに施術師ごとの相違が大きい。それぞれの施術師があげるニューニのリスト自体が、しばしば相互に大きなズレを見せている。
ニューニと夫婦の性を巡る禁止―婚外性行為の禁止―の問題も、こうした見解の相違の一つだ。
ベニィロ老人はニャグ(nyagu1)とキルイ(chilui40)、ズニ(dzuni41)の最もよく知られているニューニについて、それをもっている女性が婚外性交渉を行うと(少し後ろで、その女性の夫も同様な禁止があることに言及)、その子供がニューニ発作に見舞われると述べている。施術師が女性を問い詰めるところとか、果ては相手の男に対する賠償請求まで、生き生きと描写している。これらのニューニの治療後に女性がピング(pingu22)を授けられていることが、こうした婚外性交渉によるニューニ発作に関係していることがわかる。婚外性交渉によるニューに発作の治療治療も、女性がそのピングを外したうえで(薬液28に浸したのちに)行われる。ベニィロ氏によると、女性の夫の方には、安心して婚外性交渉できる手段があるようであるが、女性には一切なさそうである。不公平だ。
ハマディ氏は、「護り手」のピングを処方された女性が婚外性交渉をもった場合、たとえピングを外しておいたとしても、その子供がただちにニューニに襲われると指摘している。これには回避手段はない。しかしピングを処方されていない、単に治療されただけの女性の場合は、浮気相手が充分な知識を持ち、前もって薬液を用意して、子供が装着しているピングを外して薬液に浸しておけば、子供が婚外性交渉によってニューニに襲われずにすむと語っている。いずれの場合についても、その女性の夫の婚外性行為についての言及はない。
メマタンガさんは、母親の母乳がニューニによって汚染されることを防ぐ「護り手」のピングをしている女性は、婚外性交渉を禁じられること、それを犯すと子供がニューニに殺されることを認めている。しかし同時に、そのピングが嫉妬深い夫が妻の行動に制限をかけるために、あるいは施術師が女性の振る舞いをチェックするために罠に掛ける施術だと主張している。彼女によると、母乳の保護自体は、このピングなしにでも、施術後に女性に施されるクツォザ42によってできており、ピングは単なるオプションにすぎないのだ。彼女の施術を受けた患者は、母親も子供もピングを装着しないので、(ピングのような「呪物」を身に着けることを禁じる)キリスト教徒にすらニューニの施術を施すことができるのだと。
カリサ老人、ムァゾンボ老人、ベンベユ・ダニ氏の3人はニューニの施術に伴う婚外性交の禁止には一切言及していない。施術後の女性が、施術された場所に近づくことを禁止しているのみである。もっとも、これはこの3人の施術師にとって、自らのニューニについての知識を伝えるうえで、婚外性交の禁止の話は、特に強調すべきものではなかったというだけのことかもしれない。
この件に関する私の関心は、こうした施術師の間に見られるさまざまな知識や見解の相違そのものではない。これについてはニューニの種類や施術の方法その他についても、すでに充分指摘してきたことで、この婚外性交の禁止の見解について、同じ議論を繰り返す必要もないだろう。
私が問題にしたいのは、なぜ子供にひきつけのような発作を引き起こす「上の霊/動物」ニューニの治療において、治療を受ける子供の両親に婚外性交渉が治療の妨害となるとされているのかである。おそらく皆さんが疑問に思われるのも、この点ではないだろうか(まあ、日本に一人か二人くらいしかいないドゥルマ・ヲタク以外には、どうでも良いことかもしれないけど。)
子供を産み、無事に育て上げること、ドゥルマで何が最も大切なことかと言えば、これに尽きるといってもよいだろう。
一人ひとりのドゥルマ人をとれば、人生で何がいちばん大事と思っているかは違っているかもしれない。しかしつつがない生を可能にする秩序を維持する諸々の手続き―屋敷やそれを構成する小屋や作物、家畜、妻、現金収入などなどすべてを正しく「産む」手続き、事故や死、火事や不慮の災難を「外」に捨てる手続き―を見れば(浜本 2001)、それらが何を中心としているかは自明だ。子供こそまさに文字通り「産む」ものなのだから。
どんなに経済的に成功しようとも、子供を産まずに死んだ者は、「これがお前の子供だ、我々の夢に出てくるな」と言われて、バナナの茎や焼けぼっくいといっしょに埋葬され、祖霊(k'oma)にはなれず、すべての人から忘れ去られ、夢にすら出てこれず、単に跡形もなく消えてしまう。これほど恐ろしい運命はない。
妖術使いは、ありとあらゆるものに嫉妬し、妖術で攻撃をかけてくるが、妖術使いがとりわけ嫉妬するのは多くの子供を産んだ者だ。弟の子供がひとり死んだ際に、これであいつも俺と同じ数の子供になったとふと漏らしただけで、後に別件で妖術告発を受けた際に、このことを持ち出されて有罪の心証を強めてしまった男を知っている。
憑依霊が自分の要求をかなえさせるために、人にもたらすさまざまな病気や災のなかでも「腹を縛られる(封じられる)」こと(不妊)は最もありふれた、しかし厄介な災だ。
多くの子孫をもつことに置かれた大きな文化的価値を前提とするとき、乳幼児の健康を害するさまざまなトラブルが人々にとっていかに憂慮すべきかがわかる。ニューニもそうした乳幼児の生育に害を及ぼすエージェントの一つなのである。しかし、他の多くのことが、乳幼児の生育をおびやかす。ニューニをめぐるさまざまな見解は、こうした他の阻害要因との関係で理解されねばならない。
妖術(utsai43)は、ほとんどあらゆる災や不幸において問題とされる可能性である。早産、流産、死産、乳幼児の死(妊婦の病気や死を含め)の背後に妖術の存在が想定できる。しかしそれは閉ざされた限られたコミュニケーション空間のなかではほのめかされたり、熱心に議論されたりはするが、それを超えた社会空間(複数の世帯を含む屋敷、比較的近い過去において単一の屋敷を形成していた諸屋敷の連合体、近隣)において大っぴらに議論されるにはめったにならない可能性である。
しかしニューニは、除霊が原理的には可能な「除去の霊(nyama wa kuusa)」でもあるため、ニューニのせいだとされる死の背後に妖術の可能性が想定されることは稀ではない。そもそも施術師のなかには、女性の妊婦の病気や死の場合と同様に、ニューニ自体がその犠牲者に対して妖術によって仕掛けられうることを公然と認めている者も多い。紹介した施術師のなかにもベンベユ・ダニ氏はある種のニューニは薬(muhaso12=妖術)によって作り出されたものだとまで語っている。メマタンガさんも、ニューニを妖術に対する治療と同様にクブェンドゥラ(kuphendula44)するやり方に触れている。
人に憑いて自らの欲求を満たそうとする憑依霊のなかにも、新生児や乳幼児に危害をもたらす者たちがいる。彼らは子供そのものをターゲットにしているのではなく、単に母親に憑いてその身体に居座っていることで子供に危害をおよぼしてしまう者たちである。
新生児や乳幼児に対する危害がともなうかどうかとは別に、女性の妊娠・出産に介入する憑依霊は多い。
別項で詳しく説明したように、ムルングは自分の子供(瓢箪子供)を欲して、出産能力の高い女性を不妊にしてしまう。瓢箪子供を約束すれば、その拘束を解いて出産させてくれるが、その後に授与される瓢箪子供は、今度は逆に産まれてきた子供を守ってくれ、さらなる妊娠出産を可能にしてくれる。ただし夫婦のいずれかが婚外性交を行ったりすると、瓢箪子供は壊れ、あらたに差し出し直さないと、再び妊娠が封じられるのみならず、すでにいる子供の健康も損なわれるかもしれない。
必ずしも広く共有された知識ではないが、他の憑依霊のなかにも、憑依霊ドゥルマ人(muduruma45)やディゴ人(mudigo51)など、出産祈願の瓢箪子供を欲する霊もいる。単に、それぞれの雑多な要求を聞き遂げさせるために、妊娠・出産を封じることは他の憑依霊にとっても常套手段の一つである。
ある種のイスラム系の憑依霊、ペーポームルメ(p'ep'o mulume14)、カドゥメ(kadume30、ツォビャ(tsovya38)――これらはイスラム系の霊スディアニ(sudiani15)の男性の別名だと、したがって一人の霊だとも考えられている――も女性の妊娠を妨げる。彼らは女性の夢の中に出現し、その女性と性交する。それによって彼女の夫の精液は受け入れられなくなり、女性は妊娠しない。女性のスディアニもおり、こちらは男性の夢の中に現れて性関係をもち、その男性を不能にする。いずれにしても不妊に責任がある憑依霊なのだが、イスラム教徒であるため不潔を嫌い、女性の赤ん坊が女性の衣服に排尿してしまうことを嫌って乳幼児を殺してしまったりするともされており、そうなると乳幼児に対する危害をもたらす憑依霊でもあることになる。スディアニ、ツォビャ、カドゥメをニューニの一種だとするニューニの施術師も多い。憑依霊であれ、ニューニであれ、いずれにしてもこうした深刻な被害の回避が憑依霊に対する説得では功を奏さないとなると、除霊が考えなければならない選択肢となる。
同じくイスラム系のジキリマイティ(zikiri maiti52)、ときにイスラム系に分類されることもあるムァハンガ(mwahanga53)は、いずれも死に執着し、同時に死体を嫌悪するとされるのだが、なぜか自分たちが憑依している女性の子供に危害をおよぼすので、場合によっては除霊の対象になる。ムァハンガをニューニの一種にいれる、ニューニの施術師もいる。この二つの憑依霊、カヤンバやンゴマではよくお目にかかるのだが(泣いたり、機嫌よく踊ったりするだけみたいな)、インタビューではあまり盛り上がらないので、調査ではちょっと手薄な部分。
またゴジャマ(gojama33)やジム(zimu, pl.mazimu54)など、人の血や肉を欲しがる系の憑依霊は、通常はンゴマやカヤンバで代わりの動物を差し出し(あるいは約束し)、人や子供の血を吸わないように説得できるのだが、そうした説得にもかかわらず、胎児を片っ端から流産させたり、子供を殺したりすると、除霊の対象になる。特定の民族集団に由来する憑依霊たちマウィヤ人(mwaiya31)やマコンデ人(makonde32)らも、等の民族集団が人食い人種だと思われているので、ゴジャマやジムと同じような扱いを受ける。 ゴジャマをニューニの一種に入れているニューニの施術師もいる。
そして、最後に多くの人々が、はるか以前からいた憑依霊だとする、6人組、スンドゥジ(sunduzi55)、ジム(zimu54)、キズカ(chizuka56)、ドゥングマレ(dungumale34)、ムドエ(mudoe57)、ペーポーコマ(p'ep'o k'oma59)がいる。憑依霊系の治療では、乳幼児の病気では最も多く出会うことになる憑依霊たちである。いずれもそれぞれ特有の症状と結びついており、それぞれ固有のピング(pingu22)を処方されるのだが、最後のペーポーコマ以外は、ざっくりひとまとめで同時に治療される。かれらは憑いている女性の乳房の辺りに腰を下ろしてしまっており、母乳を変質させてしまって、それを飲んだ乳幼児を病気にし、下手をすると殺してしまう。ムドエについては私の知る限り一人だけだが、ニューニに入れているニューニの施術師がいる。ドゥングマレは除霊の対象とされる場合がある。
さて、その振る舞いが、ちょっとニューニが及ぼす危害とかぶる憑依霊たちについて、ごちゃごちゃ紹介してきた。これらが憑依霊系の施術師によって治療されている場合、とりわけ最後のスンドゥジとその仲間たちの場合、母親が胸の乳房のあたりに着けるピングの処方がその治療の中心になり、これはもうほとんどニューニの施術師たちのやることと同じみたいなものなのだ。しかし、ここで強調したいのは、憑依霊系のこれらの施術において、夫婦の婚外性交渉が禁止されるといった話は、いっさいないという事実である。唯一、夫婦の婚外性関係の禁止について語られるのは、瓢箪子供が授けられた場合だけであり、それが禁止されるのはそうした性関係が、授けられた瓢箪子供を「追い越し(ku-chira[^kuchira])」てしまう結果のキルワ(chirwa68)に当たるからなのであった。