ニューニについて(Mematangaさん)

目次

  1. はじめに

  2. インタビューの日本語訳

    1. ニューニの施術は購入する

    2. ニューニの種類: いろいろ

    3. ニューニの種類: カキルワのニューニ

    4. ニューニの種類: ムヮルホツィのニューニ

    5. ニューニの薬(muhaso)

    6. 母乳をニューニから守る

    7. ニューニの施術を手に入れるまで

  3. 考察

  4. 注釈

はじめに

1993年度の調査は、これまでの調査とは大きく異なる点があった。録音テープの書き起こし要員に4人もの若者を迎えることになった点だ。私の調査の中で、最初にして最後の大チーム。最初の調査(1983年)以来のパートナーであるカタナ君に加えて、さまざまに事情のある(主として学費を工面する必要のある)若者たちが希望してきた。優秀な若者たちなのでできる限り応援したいと思ったのだが、私がでかけてインタビューしたり、治療や儀礼に参加したりして録音してくるテープの量からすると、これまで2人で充分だった。最初は私一人でがんばっていたのだが、そのうちにノルマを書き起こし終えて暇になった若者が私に同行するようになり(これも大助かり)、最後の方には、単独調査(もちろん各自好きなテーマで)を申し出てくる者も。

1994年1月21日(Fri)jumma、チームリーダーのカタナ君が国境近くの「皆さんどうやって守るつもりですか」村で暮らしている実母のところに4日間ほど行ってきたいので、ついでに調査してきます、ということになった。夕方6時に出発。持ち帰ってくれたテープの中にニューニに関するものがあった。ハミシ君といい、なぜか皆さん、ニューニについてよく聞いてくる。不思議だな。

メマタンガさんは、カタナ君の実母の父方の分類上の姉妹(chane)らしいので、カタナ君とは分類上の母・息子関係にある。

インタビューの日本語訳

ニューニの施術は購入する

ドゥルマ語テキスト(DB 7119-7120) 7119

Katana(K): 昨夜病気の子供を連れて来たあの人のことですが... Metanga(M): ああ、ツマさんの奥さんね。子供が(病気orニューニに)捕らえられたのよ。というわけで、私が薬液(mavuo1)(のための草木を)摘み摘み(kuvunzira2)してあげたのよ。 K: というのも、昨日の晩でしたが、ここで、私は女性がここに立っているのを見たんです。彼女は言います。「皆さん、打ち方を知っているのはどなたでしょう?」私はそう語る声を聞いたのです。「どなたでしょう。ここで、枝束(maphungo3)、枝束(の打ち方)を知っているのはどなたでしょう?」昨日のことです。 M: 私は枝束をその子のために折り取ってきて(薬液を振り撒いて)あげたわ。その子が(その後)どんな具合に眠れたかは知りません。だから、私がそこに行って見てこないとね。その子は、(ニューニに)捕らえられていたのよ。 K: ということは、あなたはニューニのことをよく知っておられるのですね? M: ニューニのことなら知ってますとも。だって子供を産んだ人間なら、そしてその子供を「飛び立たせて」5もらうなら、施術師が呼びにやられ、子供を「飛び立たせ」に来てもらいます。その施術師はお前に草木を示してくれるの。だって、子供が(ニューニに)捕らえられ、施術師が近くにいないとき、(自分で)そんな風にすることになるから。子供が(ニューニに)捕らえられたら、子供はまるで死んでしまったみたいに見えるから。さあ、お前自身が教えてもらったとおりに、子供のために枝束を摘んで、子供に薬液振り撒きをし、子供を洗ってあげる... K: ふうむ。 M: 子供仲間たちに(と遊んでいてニューニについての)禁止が破られ(akakochezwa40)(ニューニに捕らえられ)たら、お前はさっそく行って枝束を折り取って(子供に薬液を振り撒き)、(子供が身に着けている)ピングを外して、薬液の中に漬け、子供を(薬液で)洗ってあげて、ピングをその子に付け戻してあげるのよ。 K: おお。つまりそうしたニューニについてのあれこれは、普通購入されるものなのですか、それとも...

7120

Mematanga(M): それらは購入するものなのよ、息子よ。眠って、ニューニの草木を夢で見せられるなんてことはありません。憑依霊じゃないのよ。頭の中に到来するという憑依霊じゃ。 (笑い) M: それらの(ニューニの)草木は、(人から)示してもらうものよ。そしてあれらの唱えごと(marumi41)も。現に、私もちょうど今、あんたがたの兄弟に教えているところよ。最初は面倒くさかったんだけど。 Katana(K): マタンガ君に?そうなんですか。彼もニューニの草木について少しは知っているんですか。 M: それどころかすっかり全部知ってるよ。まだ瓢箪をもってないだけ。それに必要な物(viryangona43)がまだ手に入っていないから。でも私は作ってあげるだろうよ。だって私がそのようにしてあげておけば、もし彼が妻をもったときにね... K: 本当に、その通りですね。彼がもし問題に遭遇したとしても、自分で自分を救うことができますからね。 M: そうね。自分でも大助かりだからね。だって今日び、人(施術師)を頼むと、薬だけでも400シリングよ。 K: この頃はね。 M: そうそう。施術師のところに行くと、400シリングよ。でもあなた自身が知っていれば、自分のもとから去って施術師のところに行くお金があなたのものになる。 K: まさに仰るとおり。 M: さて、今頃、あの子は。昨日眠りに帰ったわ。あの子供。もう再発はないでしょうね。

ニューニの種類: いろいろ

ドゥルマ語テキスト(DB 7121) 7121

Katana: ところでニューニには何種類ありますか? Mematanga(M): ああ、ニューニはたくさんいるよ。だってどの民族にもそのニューニがあるからね。ラバイ(chiraphai44)のニューニがいるし、カウマ(chikauma45)のニューニがいるし、ドゥルマ(chiduruma)のニューニがいる。ほらね。 K: たしか、カフロ(kafulo46、「細かい泡」)のニューニ... M: カフロのニューニは、ドゥルマのニューニのことよ。カフロの(ニューニ)、脚と腕の(ニューニ)(wa chigulu na mukono)、それにカウシャの(ニューニ)(wa kausha48)。ムヮブイブイの(ニューニ)(mwabuibui49)もいる。 K: ええ?ブイブイを着た人? M: そうよ。産まれてきたすぐに、皮膚がすっかり真っ黒(piii pipipi50)に変わるという子供の(ニューニ)よ。その子をよく見ると、その口もまるで(黒い)インクを食べたか、塗ったみたいな。 K: うーむ。 M: そして、子供を産んで、その子を見ると真っ白(wee50)っていうの(ニューニ)も。そもそもその子が捕らえられたら、見ると真っ白(wee)。痩せこけて、真っ白。全く血がない。さあ、捕らえられたら、まずもって夜明けまでもたないわ。(あるいは)生まれるやいなや、もう泣き始めて、そして意識を失ってしまう。あなたにはわかるのよ、このわが子は意識がなくなった(uzimia, ku-zimiaはスワヒリ語)って。ニューニをもって産まれてきたんだわ。 K: うゎー!

ニューニの種類: カキルワのニューニ

ドゥルマ語テキスト(DB 7121-7123)

M: 子供が産まれたときから痩せこけているという(ニューニ)もあるわ。これはキルワ(chirwa51)だと言って、ご主人が奥さんを叩いてしまうほど。でも違うのよ。実はニューニだったの。 K: なんとニューニのせいなんだ。ところでその、子供を痩せこけさせるのはなんていうニューニですか? M: その子がすでに持っているニューニよ。カキルワ(kachirwa57)のニューニと言います。

7122

Katana(K): おお、カキルワのニューニ。 Mematanga(M): そう。キザ(chiza25)を用意してもらい、ここ前庭で子供は(キザの薬液で)洗ってもらう。それ(キザ)はベッドの下の空間に置いておかれます。あなたが私に聞いたのよね?(だから母子関係では不適切な話題だけれども話します。)このニューニは夢の中で妻のところにやってくるの。彼女は眠っている。そして妊娠している。彼女は男性といっしょにいる夢を見る。夢の中で彼を見る。 K: 夢の中で彼を見る。 M: そう。子供が産まれてきたら、必ずやどう?キルワになっているのよ。 K: うーん。 M: その子のニューニなのよ、そいつが。 K: そいつをそんな風に夢に見るんだね。 M: そう。そんな風に、彼女は夢を見るの。今みたいな真っ昼間にね。ちょうどあなたが女性とことに及ぶ、そんな風にね。あるいは夫の方かもしれない。彼はその女性の夢を見て、彼女とことに及ぶ。さて、子供が産まれたら、その子はこのニューニに捕らえられている。だって、(そのニューニは)その子の父親と寝たんだから。 K: そのニューニはどう呼ばれているんだっけ? M: カキルワのニューニと呼ばれてるんですよ。そいつのためのキザはまだ未使用の新品の瓢箪でこしらえます。 K: ええ、まだまったく何の仕事にも使われたことのない? M: まだ何の仕事もさせられていない、穴を穿ったら即、その薬液のために作られる。 K: 丸く切り取って、中身の種を掻き出しただけ。でもその瓢箪、すでに乾燥してるんですよね。

7123

Mematanga(M): そうよ。そのキザ(chiza25)は、寝台の頭に置かれるのよ。つまり寝る場所の頭側にね。寝台の頭、その地面の上に。ここに置かれるの。(子供を薬液で洗う際には)小屋のその場所からもって出て、ここ(前庭)で子供を洗うのよ。それが済んだら寝台の下の空間に置きに行くのよ。 Katana(K): うーん。 M: そうなのよ。そして黒い雌のひよこ。 K: うーん。わー。そいつ(ニューニ)、なんて大変なやつだ! M: とっても大変なのよ。

ニューニの種類: キリロのニューニ

ドゥルマ語テキスト(DB 7124) 7124

Mematanga(M): それに、キリロ(chiriro58)のニューニ。 Katana(K): キリロのニューニ? M: 子供は夜通し泣く(ku-rira)。夜が明けるまで。そして日中も、日が沈むまで泣き続ける。これもニューニよ。「カミナリ(chikpwakpwara)のニューニ」とも言うわ。 K: ああ。先日、子供がそんな風に泣いているのを見ましたよ。私の住んでいる村でですが。母親が夜中に施術師のもとに行くほど。そう、ものすごく泣く。 M: カミナリの、って言われるわけよ。治療には、赤い鶏と白い鶏が必要。それがキリャンゴナ(viryangona43)ね。 K: ああ、そういうわけでね。子供はものすごく泣くもの。まさにカミナリそのもの。 M: カミナリそのものね。そしてその子が死んでしまう日にも、泣くのよ。大声を出すだけになって、やがて黙って、ほとんど一週間、静かにしている。あんたは、私の子供は治ったと思うほど。でも、そのうち何かにびっくりしたような所作をする。ちょっと良くなったか59と思ったら、そのまま死んでしまったりする。 K: ふーむ。 M: これがカミナリのニューニよ。

ニューニの種類: ムヮルホツィのニューニ

ドゥルマ語テキスト(DB 7125) 7125

Mematanga(M): そしてお腹が(異常に)膨れる(ndani tele60)ニューニがあるわ。 Katana(K): うん。 M: あなたが子供を見ると、まるで木から落ちでもしたかみたいに、その子の身体は膨れている。健康だ。その子をこんな風につかむと、あなたにはわかる。「この子、我が子は、ああ、健康だ」とね。だって良い身体をしてるんだもの(でも実際には病気)。 K: うん。 M: でもここ、ひよめき(luhotsi61)のところだけが割れ開いているの、この子は。その子を洗ってやると、水がそこに貯まるのを見るでしょう。 K: ひよめきがへこんでるんだね。 M: それはムヮルホツィ(mwaluhotsi)の(ニューニ)と言うのよ。それを治療するには、海の生物を手に入れないと。カニよ。 K: カニそのもの?

ニューニの「薬(muhaso)」

ドゥルマ語テキスト(DB 7125-7127)

M: 海のカニ(kala62)。その腕(mukono)、それと脚(gando63)を手に入れて。それとエビ(k'amba)の頭。それが(そのニューニの)キリャンゴナ(chiryangona43)です。 K: それと鶏?鶏はいらないの? M: 鶏はありません。そのニューニの鶏は飼っている鶏に加えるだけ。カタグロトビ色の鶏よ。でもそれは殺されません。子供のお母さんにそれで唱えごとをするだけよ。そのまま屋敷で飼われます。 K: おお。なるほど。ところで甲殻類の脚(mugando)とかは炒めるんですか?

7126

Mematanga(M): 甲殻類の脚は炒める。でももし瓢箪をもっていないなら、まだ炒めない。つまりニューニの(薬を入れておく)瓢箪には、カニの脚とエビの頭と、カタグロトビの脚とカタグロトビの頭をいれるのよ。 Katana(K): へー、ニューニの瓢箪ね。 M: ニューニの瓢箪にはナマコ(jongolo ra pwani)も入っている。 K: うん。 M: それで完璧よ。 K: おお、あなたは完成させて、ニューニの施術師になるわけですね。 M: それらをすべて炒めて、瓢箪の中にいれる。あなたは外の草木を探さねば。外の草木、カラガパラ・ウヴンバ(kalagapala-uvumba64)、キクウェ(chikuwe65)を炒めて、細かく搗き砕きます。 K: ううむ。キクウェも同じように草木なんですか? M: ええ、キクウェは草木よ。そしてムヤマ(muyama66)もね。これらの草木は燃やしちゃいけないのよ。それら草木(の根)を掻き削ったものを日光で乾燥させ、炒めて、瓢箪に入れる。子供が(ニューニに)捕らえられたら、あなたはその根を「発動させる」(68)のよ。

7127

Katana(K): おお、それらの根が瓢箪に入れられるものなんですね。 Mematanga(M): それを掻き削り落としたものを、瓶であれ、紙にであれ。 K: おお、入れておくんですね。 M: そうよ。でもそれも瓢箪って呼ぶのよ。搗き砕くのよ。というのも、子供が(ニューニに)捕らえられ、お前は(その搗き砕いたものを)一つまみ、その子に嗅がせるの。そしたら子供はくしゃみをする。あなたは象の糞、ロバの糞、ナマコ、アサフェティダ(mvuje69)を混ぜて、細かく砕いて、置いておく。カニも入れる。(布で患者を頭から)すっぽり覆って、(その中で)燻します(unafukiza71)。

母乳をニューニから守る

ドゥルマ語テキスト(DB 7128-7134)

7128

Katana(K): さて、ところで、昨日の女性、晩にこちらにやって来ましたが、何のニューニだったんですか? Mematanga(M): 脚と腕を(地面に)こするニューニ(wa kusaga chigulu na mukono72)でした。 K: うむ。さて昨日彼女がやってきたとき、まずはじめにあなたは何をしてあげましたか? M: 最初は何もしなかったわ。私たちはその子をおとなしくさせただけ。その子のために薬液(mavuo1)(のための草木)を折り取ってきて、その子をごみ捨て場に(dzalani73)置いて、(作った薬液で)その母親を洗ってやり、そして本人を、その子供を洗ってやり、帰って寝るように、今日来るようにって。 K: おお、帰って寝て、今日また来るようにと。 M: そう、そのときにわたしたちは仕事をいたしましょうと。というのも、今日の日(の仕事)には、白い鶏が必要だし、こちら側の(足の)爪を2片、もう一方の側の爪も2片ももってこないと。それとこのあたりの羽根2枚と、こちらの羽根2枚、(それらを入れた)ンガタ(ngata22)を巻いて、母親に結んでやり、子供にも結んでやらないと。 K: おお。 M: 鶏を調達してきてもらわないと。というのも昨日は、自分たちは鶏をもっていないって言ってたから。鶏を手に入れて、もし手に入ったらもってきてって(私は彼女に言った)。それとトウモロコシの粉を少々。というのも、そのニューニはムァハンガ(mwahanga74)のニューニという名前なの。 K: おお、ムァハンガのニューニなんですね、そいつは。 M: 来たら、その子のために、土が小さく盛り上がっている場所76に、小さな木の台(kauringo77)を作ってあげて、ピング(pingu23)を縫ってあげないとね。バオバブだけで作った香木のピングをね。

7129

Katana(K): なるほど。ところで、そのピングは、ときに女性が、この乳房のところに身に着けているもののことでしょうか、それとも。 Mematanga(M): そのピングなら、要望があればよ。それは護り手(murinzi92)、それは。そしてその護り手を(妻に)着けさせるのは、嫉妬深い男なのよ。つまり妻が、他人に性関係を求められないようにと。 K: へー、なんと! M: その護り手だけど、もしお前がそれの禁止を破れば、たちどころに死ぬことになるのよ。 K: 子供がですか? M: その子供がだよ。 K: ところで、その護り手が与えられるのは、ふつう、夫によって... M: 嫉妬深い夫が、そうするのよ。でも護り手は子供の授乳を見張ってくれる(kpwima93)役にもたつのさ。つまりあの「動物/霊ども(madzinyama94)」が邪魔をしないようにね(gakale kagaima)。 K: おお、そいつらが母乳を捕らえないようにと? M: そうね、その子供がお乳を吸うときに、あいつら動物/霊どもにじっと見つめられ95ちゃう(嫉妬される)のよ。 K: ああ、そうすると護り手というのも、ニューニのためのものなんですね。 M: 護り手はニューニのためのものです、でも嫉妬深い男によって着けさせられるのよ。 K: へー、そう。自分の妻が人に言い寄られるのが嫌なんだね。だって、関係をもってしまうと、もうおしまい(子供が死ぬ)。 M: 施術師が、わざとあなたに罠を仕掛けるのかもね。あなたがどんな人間か見ようとして(性的にふしだらであるかどうか)。 K: ああ、(施術師なら)あなたに罠を仕掛けられるね。

7130

Mematanga(M): だわよね。あ、でもね、その護り手のことをよく知っているような人なら、護り手(のピング)はもたないわね。だって、それを入れられるとあなたは縛られるのよ。あなた、ねえ、子供を治療するの、それとも妻の治療をするの? Katana(K): 子供を治療します。 M: (要望抜きでやる治療では)妻の方は、彼女のここをツォザ(unamutsodza96)すればいいだけ。ツォガ(tsoga97)の線をここに。薬をつまんで、彼女(のツォガした場所)に塗る。これが護り手なのよ。 K: ええと、この乳房のところに? M: ええ、ここよ。 K: たしかに。私も、女性のなかに実際、ここにそんな風にツォザされている人を見て知ってます。線の数は2本ですね。 M: そう、それこそが護り手なのよ。子供を連れてきて、その子にヴィニュンド98を、足に二つ、手に二つ結んであげます。これも要望があればね。 K: 何のヴィニュンドなんですか。 M: 草木のよ。ムヴモ(muvumo99)とムリャクゥェンべ(muryakpwembe101)よ。それらは要望があればよ。でも(必ずやることとしては)、子供を連れてきて、その子にツォザするのよ。ここ(足首)に二箇所、薬を塗り込む。そしてここ(手首)、ここにも薬を塗り込む。あの脚の(脚を痙攣させる)ニューニはここから、立ち去るの。ここ(腕)からも立ち去るの。あの脚と腕を地面に擦(りながら痙攣させ)ることを止める。その子のここにツォガ二つ、そして薬液を作ってあげて、それを浴びさせ、薬をあげて、(家に)帰って煎じて飲む。以上よ。あなたはその子にしっかり鍵をかけた(完璧に防御した)ことになるわ。 K: うーむ。

7131

Mematanga(M): あなたは鶏を手にとって、殺し、その腸をもって、行って小さい木の台(kauringo77)の上に置く。鶏をつかんで、その子供(木の台の下に寝かせられている)の周りを周回して、(木の台の上に)鶏を落とす。その鶏こそ、カタグロトビがやって来て捕らえていくのよ。 Katana(K): うわー! M: 子供についてはこれで終了。その子を見たら、ピング一つ着けていないからね。 K: ああ、なるほど。なんと... M: うん。私はたとえキリスト教徒の子供だって「飛び立たせ(ninaurusa5)」てあげるわよ。 K: あなた、なんてことを! M: そうですよ。見れば子供よ、ただの子供よ。襲いかかられるのよ。その子がえーと、イエスの人だと知られていようとなかろうと。 K: ええ。 M: でもね、ああ。ときどきその母親も父親も(そのことを)忘れてしまう。当地でもね、二人の子供に死なれた女性がいるの。この私たちの屋敷でね。あいつニューニのせいでね。子供が捕らえられる、教会に行って、お祈りして、お祈りして、でも負けて、その子は死んで埋葬される、そしてまた産む。 K: うーむ。 M: 捕らえられて、祈り祈って、最後は負かされて、埋葬される。で悟るの。「私はイエスを愛していますが、今や、そのせいで私の子たちが死に絶えてしまいます」。その女性はまたほどなく妊娠しましたよ。私は行って、私の草木(ここでは黒い粉末の薬)を調え、言ったのよ。「あなたが寝るときに、この草木をもって、すくってあなたの小屋にこすりつけてね。布を(頭から)すっぽり被って、(その中で薬を燻して)煙を浴びて、その後で寝台に上ってお休みくださいね。これを7回やってね。」

7132

Mematanga(M): さて、彼女はそうしたの。(私は言った)「あなたが出産したときにね、赤ん坊があなたの母乳を求めるでしょ。でもまず私の草木から始めてね。」さて、彼女は出産した。私を呼びに来たわ。私は私の草木をもって駆けつけました。その場で私はその子のために調えました。小屋の中には赤ん坊。私はすぐにここをツォザし薬を塗り込み、次にここをツォザし、それからここをツォザしたわ。 Katana(K): ふむ。足の甲と、手の甲、そして舌にね。 M: そう、舌、それから目のここをね。 K: ふーむ。 M: 赤ん坊は手を突き出したわ。で母親が受け取って、赤ん坊は飲み始めたの。私は母親に薬を渡して(言いました)。「夜になって寝るときに、この薬をもって小屋の扉のところで調えて、それからおやすみなさいね。」 K: ふむ。 M: さて、そうこうして、やがて私は「ありがとう」の400シリングをいただきました。どうぞお取りくださいってね。 K: おお、すごい。でその人は以前、キリスト教徒だったのですか。 M: そう。今に至ってもキリスト教徒ですよ。 (tape paused)

7133 (注: 冒頭部は別トピックの途中からの録音であるため訳出せず)

Katana(K): ところで、昨日私が見たのですが、あの女性がやって来た際に、小屋の裏であなたがなにやら動きまわっているような物音をきいたのですが。 Mematanga(M): ここで振り撒いた薬液を、ここで振り撒いた後、それをごみ捨て場(dzala73)に置きに行った。彼女がごみ捨て場で浴びるようにね。 K: おお、(その薬液は)ここ前庭で振り撒かれる。その後あそこに置いてこられる。 M: ごみ捨て場にね。そして彼女が浴び終わったら、彼女は小屋の裏を通っていくのよ。そんな風に浴びた後に、彼女が自分の子供を見ることがないようにね。 K: おお、子供が... M: その子供の方も、(薬液で)洗ってもらう。そうしてその母親に手渡されるのよ。 K: おお、小屋の裏を通れ、子供を見ないように。そして薬液を浴びる。なるほど。 M: ちょうど子供のほうが「飛び立たされる」のと同じようによ。子供はあちら木の台のところで洗ってもらう。母親は隠しておかれる(子供と遭わないように)。

7134

Katana(K): ん? 母親は隠されている? Mematanga(M): まずね、母親から薬液浴びを始めるでしょ。その後、彼女は隠される。あるいは黒い布を巻いて(子供を見ないように)目を塞がれる。その後で、子供が連れてこられ、洗ってもらう。彼女が自分の子供に遭うときには(子供を受け取るときには)、子供はすでにピングを着けているし、彼女もピングを着けている。あるいは、ピングを着けないことにしているかもしれない。その場合、彼女をツォザするでしょ、そしてすでにツォザされた子供に会うことになる。彼女は、子供がツォザされる様子を見ちゃだめなのよ。 K: うーん。なんと。 M: 癒やしの術(uganga)ってのは大仕事なんだよ。

ニューニの施術を手に入れるまで

ドゥルマ語テキスト(DB 7135-7141)

7135

Katana(K): ええ、まったくその通りですね。ニューニの問題もあの人に教わったのですか?あの(私の)祖母にいろいろ示してもらったんですか? Mematanga(M): 私?私は何人もの施術師に示してもらったのよ。だって、私、苦しんだんだもの。私も子供を産んだわ。 K: うん。 M: 今頃はどこに住むことになっても、大勢の(子孫に)囲まれていたことでしょうにね。でも私の子供たちは死んでしまったわ。このニューニのせいで。 K: うーむ、ニューニのせいで。なんてことでしょう。 M: 私ね、4人の男の子と5人の女の子が、死者の世界にいるのよ。 K: うーむ、あなた、なんと大変な目にあわれたんですね、お母さん。 M: 今、残った子供はたった4人よ。ムァタンガ、それとキザオ、この娘ナズアとナタ。 K: なんとお気の毒に、お気の毒に。 M: 私は扇いでもらいに(pungbwa103除霊してもらいに)チョーニィ(Chonyi114)の地まで行ったわ。さらにカウマ(Kauma45)まで行って、扇いでもらったわ。私は飛び立たされ(nichuruswa5)もしたわ、子供が病気だからといって。それも木の上でね。おまけに薪を(頭に)負わされてね、私。薪の束と薬を頭に結びつけられて。さらにこちらの肩に薪一束、こちらの肩にも一束、首の後ろにも、背中にも。そしてバオバブの上に登らされたの。布切れで目隠しされてね。 K: ああ。目隠しまでされて.. M: そう。そして上。 K: バオバブの上。

7136

Mematanga(M): そう。で地上ではニューニのクブェンドゥラ(phanaphendulwa116)が、そして上では「飛び立たせ(unauruswa5」が行われる。 Katana(K): うむ。ニューニの問題。 M: ニューニの問題よ。そいつはね、子供をよく見れば、まるで目が「曲がって(gafyuka[^kufyuka])」しまったかのようなの。正常じゃない。あなたが見れば、「この子はやぶにらみだ、生まれつきだ」と言うかもしれない。でも生まれつき、やぶにらみだったわけじゃない。 K: うーむ。 M: その子はニューニに捕まったの。(生後)1ヶ月と15日よ。 K: ああ、なんてこと。その子はそいつニューニをもってるの? M: 呼吸だってゲレゲレ(gere gere117)よ。ここのところが「グロッ、グロッ、グロッ(gro gro gro118」って。死んじゃうのでもなし、戻ってもこない。 K: そして(人々はいぶかる)。いったい何が起こったんだ、いったいこの子はどうしたんだ... M: 私は旅に出ました。ここでもあれこれ奔走した(nichiduguza119)けど、だめだったの。ラバイ(Raphai44)にも行きましたが、うまくいきません。そしてカウマ(Kauma45)に行きました。そこでやっと子供を「下におろ(kuphula120)」したのです。 K: カウマの土地そのもの? M: カウマの土地そのものよ。 K: ということは、カウマの人々はやり方を熟知しているっていうことですね。 M: 彼らは知ってますよ。カウマの(ニューニ)がいるの。カウマのニューニにとらえられたら、ここ(ドゥルマ)では治らない。カウマまで行かなくちゃ。 K: うーむ。 M: カウマの(ニューニ)を治す者も、カウマまで行かなくちゃ(その施術を得られない)。

7137

Katana(K): でも、ここドゥルマでは治すことができない? Mematanga(M): 誰かが行って、それ(施術(uganga))をカウマから買って、もって帰らないとね。 K: ああ、なんてまあ、ニューニの問題は難しいですね。 M: ああ、あなた、私は扇がれたのよ(napungbwa103 ここでは「除霊された」の意味)。 K: もしラバイの(ニューニ)に捕らえられたら? M: ここ(ドゥルマ)では治らないわ。ラバイに行かないと。それか、ラバイに買いに行くか、行った人でないと。 K: なるほど、ラバイの(施術)について知っている人じゃないとね。なんとまあ、ニューニは本当に厄介ですね。 M: だって、ラバイのはね、あなたは(憑依霊の場合のようにカヤンバの輪の中に)座らされて、扇いでもらうのよ。ニューニ(の問題)なのに。 K: うーむ。 M: あなたは扇いでもらうの。そしてあなたは倒れて、(ニューニを)閉め出してもらうのよ。そう、私は(ニューニの問題で)、生まれて初めて扇いでもらったの。私はそれまでンゴマを打ってもらったことはなかったのよ、私。ラバイに行って、(初めて)扇いでもらったの。でもうまく行きませんでした。子供は死んじゃったの。女の子よ、ラバイで死んだの。 K: うーむ。 M: それで私は戻り、戻ってもう一人の子供が生まれました。女の子よ。今度もラバイに扇いでもらいに行ったんだけど、死んじゃった。私は戻って、そして生まれたのがこの子。(ニューニに)捕まった。(生後)1月と15日。この子を授かってからというもの、私は言ったものよ。「皆さん、あなた方は私に私の子供をくださらないの?もしこの子も死んじゃったら、私にもわかりますよ。私には与えられないんだって。」ああ、それまでは私は泣いたりしなかったんだけど、泣いたわよ。この子も目はだめになってしまったの。

7138

Katana(K): 目はだめになってしまった、でも治るということでは治った? Mematanga(M): 治ったのよ、そう。それどころか先日、(全国統一)試験も受けたくらいよ。 K: ああ、ほんとうに幸運ですね。 M: 母乳だって、こんな風にビューって、口のなかで。だってこの子、以前から口をぽかんと開けていたのよ。あんな風に呼吸がグロッグロッてなって以来。そして母乳がだらだら。私はその子を病院から盗み出しました。夜、連れて抜け出して、逃げたのよ。私の子供は治らないって言って。私には与えられないんだって。ああ、私はその子を盗んで逃げました。でも、ありがたいことです。この子。だって、カウマ(Kauma45)に行って扇いでもらったんだもの。「踊りなさい(vina121)!」って言われたの。でも私は言いました。「みなさん、私には憑依霊(p'ep'o)はいないんです」って。 K: 私にどう踊れっていうの! M: 言われたわ。「ああ、踊って、踊って、踊って。あんたの子供が治るように。」 K: (カヤンバの場の中心に座らされて演奏をされる際に)どんな布で覆われていたのですか。 M: 白い布よ。でここのところ(頭部)にピング(pingu23)を巻きつけられて。さて。 K: ビーズの頭飾り(chisingu122)みたいに? M: そうよ。布で頭からすっぽり覆われて、それからここ(頭部)にピングをつけてもらう。それらのピングはまだ家に持ってるわよ。 K: へえー。それらのピングを。 M: そのとき作ってもらって以来よ。妊娠したらそれを身に着ける。出産が済んだらまた身に着ける。離乳したら、それを身体からはずして、置いておくの。 K: でもまた妊娠したら。 M: それを身に着けます。

7139

Katana(K): 身に着ける。なるほど、そのときに作ってもらって以来、今に至るまで、あなたの役に立っているんですね。 Mematanga(M): これら(のピング)が、実際、このナズア(娘の名前)を育てさせてくれたのよ。 K: おお、なんと!はい。 M: (話はカウマでの治療に戻る)さて、そう私は踊ったのよ。ズカ(mazuka123)で持ち上げられました(立ち上がらされました)。(ズカの泥人形が)あちらでこね作られ、こちらで握らされました。私はずっと(憑依状態ではなく)素面だったのよ。私は洞窟までずっと進んでいって、そこで罠にかけられました。なんとそこには薬(muhaso13)で罠が設けられていたの。憑依霊がやって来たらそこで倒れるようにね。で、私がそこ洞窟につきました。ちょうどあそこのパパイヤの木がある辺りくらいの(距離の)ところ。そうその憑依霊はそこに到来したの、で私もそこに着いた。そして私は倒れたのよ。こうして私は除霊されました(nichikokomolwa8)。こうしてこの私の子供よ。この男の子よ。だって、私「ほらこの子が生まれたよ」と言われても、身体が拒んだのよ。私の身体はすっかり膨れたまま。 K: むう、産み終えていたのですか? M: そう。で私は食事もとらなかった。眠っては、(生まれた)その子を食べたのよ。ずっと眠っていて、自分に赤ん坊がいるとも気が付かない。そもそもその子供は病気なのよ。なのに、ああ! K: あなたの身体は、そう、つやつやして健康。なのに、子供の方は! M: 子供はと来たら!私の子供は変わらず病気。私は言ったの。「あの子が死んだって構わない。私、疲れちゃった。もうここからいなくなってしまいたい、私。」そうよ、悲しんでさえなかったのよ、どう? K: なんてこと! M: うう、私の子供はこんな風に病気。なのに悲しくない。そのニューニのせいなのよ。そのニューニの。こうして私は忘れられに行ったの(家を離れて旅に出た)、それもいやいやね(注:この文章は、はっきりと聞き取れない)

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Katana(K): ところで、そのニューニはこちらでは知られていなかったんでしょうか。 Mematanga(M): このあたりじゃ、知られてなかったよ。だから(そのニューニは)お父さんによって購入されました。除霊(kukokomola)されて、そして購入されました。今は、お父さんは死んだので、そのうち私がカウマに戻って、そいつ(そのニューニ)を示してもらいに行かないとね。 K: そいつを示してもらいに? M: うん。だって、草木でニューニを緩和させる(kumdigirisa126)ことはできるんだけど、そのニューニをクブェンドゥラ(kumphendula116)するのは私できないもの。クブェンドゥラは教えてもらわなかったのよ。 K: おお。つまりニューニたち、治療されるとしたら、クブェンドゥラしてもらうということですか? M: うん、クブェンドゥラされるということよ。 K: おお。私はクブェンドゥラされるものは、おそらく妖術だけだと思ってました。 M: ニューニだって、憑依霊だって、...つまり、ここ(地面に描かれた)の薬(mihaso13)の罠(mihambo127)、さあそれを跨いで、あなたは罠にかけられるのよ。 K: へえー。ちょうど妖術をクブェンドゥラしてもらうのと同じようにね。 M: あなたはここで罠にかけられるの。ここにそのニューニの絵が描かれるでしょ。翼と脚のあるそのニューニの絵。そしてあなたはこいつ(描かれたニューニ)の上に腰を下ろす。 K: へえー。 M: (妖術のクブェンドゥラの際に)施術師が周回するまさにそのように。 K: (ニューニが)クブェンドゥラされるとしたら、あなた女性がですか? M: あるいは子供が(その罠の上に)寝かせられる。

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Katana(K): なるほど、ニューニそのものが描かれるのですか? Mematanga(M): そうよ。その翼もね。こちらにはズカ(zuka123)が描かれ、こちらにはツォヴャ(tsovya39)が描かれ、(子供は)ここに寝かされるの。さて施術師にクブェンドゥラしてもらい、あたり一面にくまなく(薬液を)振り撒いてもらいましょう!その後で、母親にこれらの罠を踏み跨がせます。さあ、その後で、あなたは薬液を振り撒かれ、薬液で身を洗い、ピングをつけてもらいます。これらのニューニたちがその子供を捕らえることができないように。だってこいつらニューニは子供のなかにはいないもの(字義通りにはニューニたちは子供をもっていないもの)。ニューニたちはこの女性(母親)のなかだけにいます(母親をもっています)。 K: うん。 M: (ニューニたちは)子どもの中にはいないのよ。 K: でもこの女性の中にいる? M: うん。 K: ああ。すると、(ニューニたちは)こちら、この女性のところから出て、子供をただちに捕らえるってことなんだ。 M: 子供を捕らえるのよ。子供を捕らえるけれど、この女性(母親)は捕らえない。ニューニが、子供の身体のなかにいるなんて間違いよ。とんでもない。 K: (ニューニは)子供の身体のなかには棲まわない。母親の身体のなかに棲まう。

考察

ハマディ氏同様、メマタンガさんも、自分の子供を繰り返し失う経験のなかでニューニの施術を購入している。子供を失う経験の重みの男女での違いも、この2人の語りから見て取ることができる。メマタンガさんはほとんど絶望に近い状態の中でカウマ地方まで旅し、そこでのニューニの治療が成功したことで、ドゥルマ地方ではまだほとんど知られていないカウマ地方でのニューニ治療の知識が、彼女のニューニについての知識の中核をなしているように見える。他のニューニの施術師の語りの紹介でも指摘したように、施術を獲得(購入)するルートの違いが、ニューニの施術師ごとの知識の大きな変異を説明してくれるように思われる。

「上の霊(nyama wa dzulu)」とも呼ばれるニューニと(これはおそらく単にニューニの多くが鳥であることに理由があるとは思うのだが)、他の憑依霊の施術師があつかう憑依霊との境界線は曖昧なところがあり、ニューニとされているもののいくつかが、憑依霊の仲間入りをしてカヤンバで踊ることがあれば、憑依霊とされているものが、ニューニとともに除霊の対象になったりもする。

しかしメマタンガさんは、そのあたりは実に単純でクリアカット。憑依霊の施術師になるためには、憑依霊が夢であれこれ示してくれたり、頭の中に到来した憑依霊の導きでさまざまな施術ができるようになることが必要だと(理論上は)されている。それに対し、ニューニの施術は単に購入される。 「それらは購入するものなのよ、息子よ。眠って、ニューニの草木を夢で見せられるなんてことはありません。憑依霊じゃないのよ。頭の中に到来するという憑依霊じゃ。(笑い) それらの(ニューニの)草木は、(人から)示してもらうものよ。そしてあれらの唱えごとも。現に、私もちょうど今、あんたがたの兄弟に教えているところよ。最初は面倒くさかったんだけど。」7120というわけである。ラバイ地方やカウマ地方に行って、カヤンバの対象になったことにとまどいつつ、「自分には憑依霊はいないのに、どうやって踊れというの」7138と言ってのける。結局彼女は「踊った」のだが、それも彼女にとってはニューニ治療の一環であって、憑依霊のためのンゴマとは捉えられていない。

しかしこうしたカウマ地方のニューニ施術の知識のゆえに、彼女のニューニについての理解は、他の施術師たちと大きな点で異なっている場合がある。

母親に憑いているニューニが母乳を介して乳幼児に危害を及ぼすとされる場合に、ニューニ治療(薬液の振り撒き)の終了後、今後母親に憑いているニューニが母乳を介して子供に危害を加えないようにその母乳を守るためのピングが処方され、母親の胸に装着される。これが護り手murinziであるが、このピングについて、メマタンガさんは、要望があれば処方するだけのオプションにすぎず、嫉妬深い夫が妻の性行動に制約を加えるために依頼するものだという不思議な説を展開している。

このピングには禁止が伴うことは他の施術師も指摘している。女性がこのピングを装着している場合に、夫であれ、妻であれいずれも婚外性交渉をもってはならないという禁止である。それを犯すと、子供がニューニに殺されてしまう。それは夫婦の双方に性的活動に対する制約として働く。メマタンガさんによると、母親の母乳の保護は、薬液振り撒きのあとに母子ともに施される薬(muhaso)の塗り込みの施術、薬によるクツォザ・ツォガ96によってすでになされており、ピングは余計な処方だということになる。

他の施術師たちが言及しない、メマタンガさんから初めて聞くことになったニューニに対するクブェンドゥラ(kuphendula116)という考え方は、おそらくはカウマ地方のニューニ治療に由来するものと思われるが、これはカタナ君も、妖術以外のものがクブェンドゥラされるとは知らなかったと述べているように、かなり特異な発想である。この施術は、ニューニが妖術と同じ仕方で罠を通して、犠牲者を捕らえるという観念を含んでおり、こちらはニューニと憑依霊の境界というよりは、ニューニと妖術の境界の曖昧さを強調するものであるように思われる。

このようにメマタンガさんのニューニ観も、施術方法もかなり異例な要素を含んで入るが、ニューニという現象そのもののドゥルマの人々にとっての緊急性、切迫性、深刻性が伝わってくる彼女の語りは、施術師としての経験のみならず、患者としての長い遍歴の重みによって、他の施術師の語りにはない迫真性をもっている。

注釈


1 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
2 クヴンザ(ku-vunza)は「割る、破壊する、折る」などを意味する動詞。施術の文脈では、施術に必要な草木を採集する行為を指す。「折り採る」
3 ブンゴ(phungo/luphungo, pl.maphungo)。葉を付けたまま切り落とされた小枝。それを束ねたもの(maphungo)は、治療の際にそれを薬液(vuo1)に浸し、患者に薬液を振り撒く(ku-vunga4)のに用いられる。薬液振り撒き(kuvunga)を、「マブンゴを打つ(kupiga maphungo)」という表現で表すこともある。
4 クヴンガ(ku-vunga)。薬液を振りまく動作を指す動詞。鶏の脚をもって鶏を薬液(vuo)に浸け、それを患者に対して激しく振り、薬液を撒いたり、枝を束ねたもので振りまいたり、その手段はさまざまである。ニューニの治療においては薬液の振り撒きはク・ウルサ(ku-urusa「飛び立たせる」)とも語られる。農作業で用いる浅い箕のなかに薬液をいれて振り撒く。
5 ク・ウルサ(ku-urusa)。ディゴ語。ドゥルマ語ではク・ブルサ(ku-burusa)「飛び立たせる、巣立ちさせる」。ドゥルマでディゴ語のク・ウルサが用いられるのは、(1)「生の服喪(hanga itsi)の最終日、服喪期間中禁じられていた水浴びを済ませた死者の長男、夫、未亡人に対して、薬液を振り撒き(ku-vunga4)し、服喪期間中課せられていた地面の上での起居から解放し、椅子や寝台の使用を可能にする儀礼的手続、(2)ニューニ(nyuni6)の治療で病気の乳幼児に対して薬液を振り撒く行為(その動作)、の二つの場合である。
6 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu7」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
7 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ6)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola8)の対象となる。
8 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini9」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa1028と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume15)、カドゥメ(kadume31)、マウィヤ人(Mwawiya32)、ドゥングマレ(dungumale35)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga36)、トゥヌシ(tunusi37)、ツォビャ(tsovya39)、ゴジャマ(gojama34)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu7」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」6)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
9 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola8)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
10 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola8)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち11)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba14)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu7)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni6)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini9)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
11 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo12)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
12 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso13)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine11)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
13 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
14 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume15)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani16)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
15 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola8)もありうる。
16 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」17による鍋(nyungu24)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe27)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu23)。
17 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術18においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba19)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande20)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu24)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
18 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
19 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
20 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符21。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
21 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata22)、パンデ(pande20)、ピング(pingu23)など、さまざまな種類がある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
22 ンガタ(ngata)。護符21の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
23 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符21の一種。
24 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza25、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。概略はhttps://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
25 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya26)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu24)とセットで設置される。
26 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo1)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza25)と呼ばれるが)。
27 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
28 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」29など)を行うことなどを意味する。
29 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ30などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
30 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ29」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
31 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
32 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde33)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama34)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
33 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
34 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola8)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
35 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola8の対象になる)28。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
36 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
37 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine11)の一種という説と、ニューニ(nyuni6)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ38らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola8)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
38 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
39 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ6の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola8)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa28」。see p'ep'o mulume15, kadume31
40 ク・コチェザ(ku-kocheza)。「禁止を破る」。ku-kocheza mwana: たとえば子供がニューニに捕らえられ、治療されて回復した後は、治療が行われた土盛りやごみ捨て場やバオバブの木には近づいてはいけないとされるが、それを破ると、再びニューニに捕らえられる。これをク・コチェザ・ムヮナ(ku-kocheza mwana)という。他にも屋敷を守るための埋設薬フィンゴ(fingo12)を設置した後にも、さまざまな禁止事項が課せられるが、それを破ることはク・コチェザ・フィンゴ(ku-kocheza fingo)と呼ばれ、屋敷に死をもたらすなど。
41 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri42)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
42 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma)から派生したマルミ(marumi41)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
43 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。
44 ラバイ(raphai)。ミジケンダ[^mijichenda]を構成する9ある下位集団の一つ。ドゥルマに隣接する。ドゥルマと同様に父系・母系両方の出自集団をもつ。ムラバイ(muraphai, pl.araphai)は「ラバイ人」、キラバイ(chiraphai)は「ラバイ語」あるいは「ラバイ風、ラバイ流」を意味する。
45 カウマ(kauma)。ミジケンダ[^mijichenda]を構成する9ある下位集団の一つ。ギリアマと同様に北部ミジケンダ・グループに属する。父系。ムカウマ(mukauma, pl.akauma)は「カウマ人」、キカウマ(chikauma)は「カウマ語」あるいは「カウマ風、カウマ流」を意味する。
46 カフロ(kafulo)。「細かい泡」また「口から細かい泡をふく症状を引き起こすニューニ6の名前」。フロ(fulo, pl.mafulo)は「泡」を意味する名詞。ka-は指小辞。同じニューニは別名として同じく「細かい泡」を意味するキフロ(chifulo)をもつ。さらに別名はムリラ(murira47)。やせ細った乳幼児の病気の名前から。murira(pl.mirira)は皮膚を透けて見える静脈や筋。小動物が作る獣道。
47 ムリラ(murira, pl.mirira)。皮膚を透けて見える細い静脈、筋。やせ細った乳幼児に見られる病気の名前。乳幼児を捕らえてさまざまな痙攣発作を引き起こす憑依霊ニューニ6の名前でもある。別名キフロ(chifulo)カフロ(kafulo)。乳幼児が口から細かい泡をふく症状から。フロ(fulo, pl.mafulo)は「泡」。
48 カウシャ(kausha)。ドゥルマでは1988年あたりから大流行(?)した謎の毒。握手をしただけで、その相手に死をもたらすとか、ほとんど妖術(utsai)と変わらない危害手段なのだが、「毒(chengiye, chingiya, sumu(ス))」であって妖術とは別だと人々は強調していた。ちょうどドゥルマ地域では1984年に地域を席巻した抗妖術運動により、地域全体で妖術が封印されており(7年間有効)、妖術にかわって人を殺める謎の毒として登場してきた。〔浜本 1991「マジュトの噂:ドゥルマにおける反妖術運動」『九州人類学会報』 Vol.19 47-72、および浜本 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、p.40, 12章〕。ku-kausha はスワヒリ語では「乾燥させる」を意味する動詞、kausha(pl. wakausha)は「不運をもたらす人、不吉な人」を意味する名詞である。
49 ブイブイ(buibui, pl.mabuibui)。スワヒリ語。東アフリカでイスラム教徒の女性がよく着る、頭から脚までを覆う、長くドレープのかかった黒い衣服。
50 ドゥルマ語における色についての擬態語。ウェー、またはウェウェウェ、またはウェーウェウェウェ(wee、wewewe, wee wewewe)「白々」。ピー、またはピピピ、またはピーピピピ(pii, pipipi, pii pipipi)「黒々」。ドー、またはドドド、またはドードドド(doo, dododo, doo dododo)「赤々」。
51 キルワ(chirwa)。動詞ク・キラ(ku-chira)「追い越す、凌駕する」より。典型的には、妻が妊娠中あるいは出産後に、夫あるいは妻が、妻や夫以外の相手と性関係をもつ(これは「外で寝る(ku-lala konze)」と表現される)ことによって、生まれてきた子供が陥る状態のこと。痩せこけて血管が皮膚から透けて見えるほど。元気もなく、弱々しく泣くばかり。右脚と左足が奇妙な形で交差しているのもキルワのしるし。夫あるいは妻は厳しく問いただされることになる。購入した家畜についても、夫や妻の浮気によってキルワになるとされている。詳しくは〔浜本満,2001,『秩序の方法: ケニア海岸地方の日常生活における儀礼的実践と語り』弘文堂、第9章,第10章〕参照のこと。憑依の文脈では、施術師のもつ瓢箪子供(mwana wa ndonga52)が、施術師本人やその配偶者の浮気によって陥る状態が、とりわけ問題になる。
52 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供53がある。瓢箪子供の各部の名称については、図56を参照。
53 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供52。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神54がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande20)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料19)、血(ヒマ油55)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
54 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza25)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる52。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている53。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
55 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
56 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
57 カキルワ(kachirwa)。ka-は指小辞。「小さいキルワ(chirwa51)」。またキルワの治療に用いられる草木にもカキルワ("kachirwa")という名前をもつ草木がある。乳幼児を襲い、キルワに似た症状を引き起こすニューニ[^cnyuni]にも「カキルワのニューニ(nyuni wa kachirwa)」と呼ばれるニューニがいる。
58 キリロ(chiriro, pl.viriro)。「泣く」を意味する動詞ク・リラ(ku-rira)より、「泣くこと、(困難の)訴え、泣き声」を意味する名詞。
59 ブゥエー(phee yiyi-)。「小康、回復」。同じ意味にバハ(baha, yiyi-)。"homa rangu rihenda phee. 私のマラリアは少し収まった= homa rangu rihenda baha"。
60 ンダニ・テレ(ndani tele)。字義通りには「お腹が満ちている」だが、腹部の膨満、便秘、食欲不振、嘔吐、下痢などを伴う場合も含む。腹水が溜まっている状態も、含まれる。ドゥルマでは「悪い病気 ukongo uii」に分類され、これで死んだ死者には正規の埋葬がなされず、服喪ももたれないこともある。
61 ルホツィ(luhotsi, pl mahotsi)。(赤ん坊の)泉門、ひよめき、頭頂部
62 カラ(kala, pl.kala)。カニ(crab)またはヤドカリ(hermit crab)。"nyama wa baharini ambaye una magulu sita na yuna shell mongoni dza kobe.6本の脚をもち、背中に殻を亀のように背負っている海の生き物"(S.Katana)。この単語は結構厄介だった。気息音を伴うカラ(k'ala)だとウミガメ、カラ(kala, pl.makala)はマングース、カタナ君の解説(上)からはヤドカリみたいだが、ここでのshellが甲羅の意味だと、ただのカニということになる。スワヒリ語の関連する単語カー(kaa)は辞書ではカニ。ただドゥルマ語ではカニという意味をもつ別の単語ゴンダ(gonda, pl.magonda)があって、こちらの方が普通。うーむ。他にも甲殻類らしいが、よくわからないコエ(koe)、ゾベ(zobe)などもあり、未同定。ドゥルマの人はあまり海の生き物についてはくわしくない。ディゴの人に聞けばわかるのか。
63 ムガンド(mugando, pl.migando)。エビ、カニなど甲殻類、および昆虫などの脚。大きい場合はaugmentative formのガンド(gando, pl.magando)も用いられる。
64 カラガパラ(kalagapala)、カラガパラ・ウヴンバ(kalagapala uvumba)。ニューニの草木。Clausena anisata、"The Duruma and Digo use the roots and leaves as medicines for convulsions and the Digo chew the root for coughs and colds."(Pakia&Cooke2003:393)
65 キクウェ(chikuwe)。ニューニの草木。未同定。
66 ムヤマ(muyama66)。ムルング(mulungu)の草木、ニューニの草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003:389)ムラガパラ(mulagapala67)に同じとも。
67 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003:389)、muyamaとも呼ばれる。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation(Pakia&Cooke2003:389)'
68 ク・クタ(ku-kut'a)。何かを(水や埃、その他)払い落とす動作を意味する動詞。燃えている棒(chinga cha moho)を使って何かに「火をつける」こと(ku-kut'a moho)、瓢箪を振ったり、その「舌(lulimi)」を上下させて瓢箪の中の薬を活性化する(ku-kut'a muhaso)、などの用法もある。
69 ムヴジェ(mvuje, pl.mivuje)はスワヒリ語の名称。muvuje(pl.mivuje)と発音されることもある。オオウイキョウ属の多年草。葉は乾燥させて「カレーの葉 curry leaves」として市販されている。広くスパイスとして料理にも用いられている。アサフェティダ(Asafoetida)はその根茎や主根から分泌される樹脂の乾燥物。刺激的な匂いがある。それを布切れに包んで赤ん坊の左手首に巻いておくと、赤ん坊をマジネ(majine70)などから守るとされる。また臍の緒に塗ると早く落ちるとされている。ニューニの薬(muhaso13)の成分としても用いられる。
70 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ[^maine]もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
71 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
72 ク・サガ(ku-saga)。「(石臼で)挽く」の意。「遠路を徒歩で歩く」という意味でも用いられる。また引きつけをおこした乳幼児や死に瀕した人が、脚や腕を地面に擦り付けるように痙攣する動作もこの言葉で表される。
73 ザラ(dzala pl.mazala)。「ごみ捨て場」。屋敷の外れに直径3~4mの浅い穴を掘り、そこに生ゴミなどを捨てる。ザラニ(zalani)はそのlocative。「ごみ捨て場で、ごみ捨て場に」。動物はただ捨てられるだけだが、猫は首に黒いムルングの布の端布を巻いてザラに埋葬される。出産後の胎盤もそこに埋められ上に石を置かれる。
74 ムァハンガ(mwahanga75)。通常はニューニではなく、憑依霊として扱われるが、女性にとり憑いて彼女が産む子供を次々と殺してしまう場合があり、除霊の対象となることがある。このためニューニの施術師のなかには、ムァハンガをニューニの一種として扱う者もいる。
75 ムァハンガ(mwahanga)。憑依霊「ハンガの人」。ハンガ(hanga)とは死者の埋葬の後に行われる服喪のこと。ムァハンガはムセゴ(musego)という別名ももつが、ムセゴ(musego)とは埋葬時、およびその直後の「生のハンガhanga itsi」で歌い踊られる卑猥な歌詞の歌。ムァハンガに取り憑かれた者は、平時においてもムセゴを歌ったり、義理の両親(mutsedza)や長老の前でも猥褻な言葉を口走ったりする。女性の産む子供を殺すので、しばしば除霊(kukokomola8)の対象にもなる。バナナの茎(mugomba)を芯にして泥で人形を作り、それを用いて除霊する。また白い雄鶏を屠殺し、その血を患者に飲ませる。泥を掘り出した盛り土にはこの人形に合う墓を作っておく。人形は死体のように白い布に包まれて患者の脚の上に置かれ、カヤンバが打たれる。除霊の後、泥人形はその墓に埋葬される。
76 ツル(tsulu pl.tsulu)。「小丘、地面の少し盛り上がった場所、土盛り」。屋敷を設置する際にはこうした地形を選ぶ。単なる小さな土の盛り上がりもtsuluと呼ばれる。ツルニ(tsuluni)はツルのlocative.「小丘で、小丘に」
77 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ78に対する「重荷下ろしkuphula mizigo81」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni6)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
78 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)79、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす81)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku83)、おしゃべり女(chibarabando84)、重荷の女(muchet'u wa mizigo85)、気狂い女(muchet'u wa k'oma86)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma87)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo88、長い髪女(mwadiwa90)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba91)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
79 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri80)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ22を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
80 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza79と呼ばれる手続きもある。
81 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo82)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
82 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
83 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera78)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
84 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera78の別名の一つ
85 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ78の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
86 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ78の別名ともいう。
87 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera78)の別名の一つ。
88 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ78の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo89)の女性であるともいう。
89 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
90 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。マディワは単にディワの複数形でもある。
91 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
92 ムリンジ(murinzi, pl.arinzi)。「保護者、守護者、警備」。動詞ク・リンダ(ku-rinda)「守る、保護する、警護する」より。憑依の文脈では、母親の母乳を介してニューニが子供を捕らえないように、母親が胸に身に着ける、その母乳を守る一種の護符を「護り手(murinzi)」と呼ぶ。ピング(pingu23)と複数のパンデ(mapande20)を紐で繋いだ形をとる。
93 クウィマ(kpwima=ku-ima)。「立つ」という意味の動詞だが、同時に(とりわけprepositionalの kpwimira という形で)「支援する、協力する」「立ちはだかる、(攻撃しようと)狙う」といった意味にもなる。
94 ジニャマ(dzinyama, pl.madzinyama)。ニャマ(nyama, pl.nyama)のaugmentative形。「ろくでもない」というニュアンスが入る。さらにニャマ(nyama)という言葉には単に「動物、肉」を意味する以外に、「憑依霊」を指す用法もあり、ニューニの話をしているときには容易に混乱する。実際、ニューニの多くは鳥だったり、カニやエビといった動物でもある。
95 ク・コトレラ(ku-kot'orera)は、「見つめる、凝視する」を意味する動詞ク・コトラ(ku-kot'ola)のprepositional形だが、ku-kot'orera matso は相手を嫉妬するという意味でも用いられる。
96 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
97 ツォガ(tsoga, pl.tsoga| sing.lutsoga, pl.tsoga)。皮膚にカミソリなどで切り傷を入れ、そこに薬(muhaso)を塗りつける施術(kutsodza96)において、薬を塗り込まれた傷をツォガと呼ぶ。
98 キニュンド(chinyundo, pl.vinyundo)。ニュンド(nyundo, pl.nyundo)は「槌、ハンマー」chi-は指小辞。施術のコンテクストでは、キニュンドは「薬(muhaso)の束、包」(家屋の火事を防ぐため小屋の隅々に埋めておく保護施術などに用いる)や、パンデ(pande20)などと同義で用いる。
99 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ6と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo100の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
100 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
101 ムリャクゥエンベ(muryakpwembe, pl.miryakpwembe)。Commiphora edulis(Pakia&Cooke2003:388),別名 mukpwembe102。'The Digo use the leaves and roots as medicines for convulsions and the Giriama use the roots to treat diarrhoea.'(Pakia&Cooke ibid.)。ニューニの治療に用いられる。
102 ムクェンベ(mukpwembe, pl.mikpwembe)。Commiphora edulis(Pakia&Cooke2003:388),別名 muryakpwembe101。'The Digo use the leaves and roots as medicines for convulsions and the Giriama use the roots to treat diarrhoea.'(Pakia&Cooke ibid.)。ニューニの治療に用いられる。
103 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga104)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele106)としてンゴマやカヤンバ110を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola8)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni6)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo1)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo105)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
104 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga103)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni6)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo1)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo105)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
105 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ6の治療においては、薬液(vuo1)を患者に振り撒くのにも用いられる。
106 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)107であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
107 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba91)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)108や母(女性施術師の場合)109ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
108 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」107を参照されたい。
109 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」107を参照されたい。
110 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri111)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira112)」と呼ばれることもある。
111 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
112 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ113の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(110)、カヤンバ(113)と同じ意味で用いられる。
113 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti111)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。カヤンバの種類
また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira112)」と呼ばれることもある。
114 チョーニィ(Chonyi)。ミジケンダ[^mijichenda]を構成する9ある下位集団の一つ。ドゥルマもかつて(19世紀以前)他のミジケンダに属する集団と同様に、カヤ(kaya, pl.makaya115)と呼ばれる要塞村をつくって暮らしており、それぞれカヤ・ドゥルマ(kaya duruma)、カヤ・ムツァカラ(kaya mutswakara)、カヤ・チョーニィ(kaya chonyi)と呼ばれる3つのカヤをもっていたとされる。カヤ・チョーニィについては次のような由来譚が語られている。マサイ(実際にはムクァヴィ)との闘いで、一つのカヤが壊れた際に、カヤを修復する儀礼的知識を失っていたドゥルマの人々はチョーニィから施術師を呼んでカヤを修復した。そして今後の同様な事態に備えて、その施術師の一族にそのまま残ってくれるよう依頼したのだと。これがそのカヤが今日カヤ・チョーニィと呼ばれている由来である。現に、ドゥルマの土地にはチョーニィ由来の一族が多数暮らしており、それらの人々はかつてはドゥルマの14の父系クランの一つムァニョータ・クランに所属する下位集団として「チョーニィのムァニョータMwanyota a Chonyi」と呼ばれていたが、今日では15番目の父系クランに近い独立した集団となっている。
115 カヤ(kaya)。カヤとはミジケンダの諸集団がガラ人やムクァヴィ人、マサイなどの牧畜民の襲撃に備えて、海岸にそった山脈に19世紀まで形成して暮らしていた要塞村のことである。今日ではいずれも深い森林になっている。ドゥルマでは、今日カヤは機能していないが、カヤの森の木は伐採してはならないという禁止がある。いくつかの父系氏族は1950年代くらいまでは、かつて死者はカヤに埋葬していたと主張する。またカヤの中では長老の集会がそこで行われ、人肉を食べていたと語るものもいるが、かつての最上位年齢組の長老たち(ngambi)の集会について、こうした誤解をしているだけだろう。隣接するギリアマではカヤは儀礼場として機能しているとも言われる。ディゴ語ではカヤ(kaya)という言葉は、こうした意味での他に、単に「家、屋敷」(ドゥルマ語ではムジ(mudzi, pl.midzi)に当たる)の意味でも用いられている。
116 クブェンドゥラ(kuphendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で施術師(治療師)が与えた攻撃命令を上書きしてする、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、その患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。ニューニ(nyuni6)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。
117 ゲレ ゲレ(gere gere)。呼吸が苦しげなさまの擬態語(擬音語)「ぜえぜえ、ぜろぜろ、げろげろ」
118 グロッ、グロッ、グロッ。直前のgere gere gereが擬態語(擬音語)であるのに対し、こちらは実際の音を真似ている。
119 ク・ドゥグザ(ku-duguza)。「奔走する、(ある目的のため)奮闘・努力する」を意味する動詞。「忙しく走り回るさま(音)」を表す擬態語(擬音語)ドゥグ(dugu)、ドゥグドゥグ(dugudugu)に由来。
120 クブラ(ku-phula)。「(荷物などを)下ろす」を意味する動詞。文字通り、頭や背中に背負って運んでいるものを下ろすという動作であるが、比喩的に、抱えているさまざまな重荷や負担から解放されるという意味でも用いられる。
121 ク・ヴィナ(ku-vina)。「踊る」を意味する動詞。憑依の文脈では、ンゴマなどでmuweleが憑依された状態で踊ることを意味する。
122 キシング(chisingu, pl.visingu)。憑依霊の施術師が被るビーズを紐に通して作った輪状の被り物。
123 ズカ(zuka)。ズカ・ラ・キペンバ(zuka ra chipemba)、ズカ・ラ・キカウマ(zuka ra chikauma)等の種類がある。母親にとり憑き、その子供を病気にするニューニ(nyuni6)あるいは「上の霊(nyama wa dzulu7)」などと呼ばれる、鳥の霊の一種。子供の病気の治療には、憑依霊の施術師ではなく、ニューニ専門の施術師が当たるが、ニューニの施術師になるためには憑依霊の施術師のように霊との特別な結びつきが必要なわけではなく、単に他のニューニの施術師から買うことでなれる。ズカが女性が生む子供を次々に殺してしまうといった場合には除霊(kukokomola8)が必要となる。除霊を専門とする施術師がいる。除霊にはズニ(dzuni124)等と同様に泥で作った鳥を形どった人形を用いるが、ズカの人形は嘴が短い。白い鶏、赤い鶏の2羽がキリャンゴナ(chiryangona43)として必要。
124 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui125)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni6)」、「上の霊(nyama a dzulu7)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola8)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
125 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu7)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola8)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa10)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni124)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
126 ク・ディギリカ(ku-digirika)。「(痛みが)引く、(痛みが)おさまる」など病気の症状がやわらぐことを指す動詞。そのcausativeク・ディギリサ(ku-digirisa)は、「(症状などを)おさめる、緩和する」を意味する。
127 ムハンボ(muhambo, pl.mihambo)。「罠」。狩猟や漁でもちいる罠を広く指す言葉。施術の文脈では、妖術治療のクブェンドゥラ(ku-phendula116)の際の重要な要素の一つ。地面に薬(muhaso13)でさまざまな図形を描く。これがムハンボである。患者にその上を歩かせたり、その上に座らせたりして、患者を薬の「罠にかける(ku-hega128)」。妖術使いも薬を地中などに仕掛けてターゲットが気付かずにその上を歩いたりすることによって、薬がターゲットを捕らえ、妖術使いの命令通りの危害を加える。施術師の罠は、妖術使いが用いたものと同じとされる薬を使い、改めて患者をその薬の罠にかけ直し、施術師自身の命令によって、妖術使いの命令を上書きしてしまう。これがクブェンドゥラの施術の基本である。
128 ク・ヘガ(ku-hega)。「罠にかける、罠でとらえる、罠を仕掛ける」。妖術の最も一般的な方法は薬(muhaso129)を用いて、犠牲者を罠にかけるというやり方である。ちなみにテープレコーダで(今日ならvoice recorderだろうか)録音することはドゥルマ語ではク・ヘガ・サウティ(ku-hega sauti)「声を罠でとらえる」である。
129 ムハソ(muhaso, pl. mihaso)。「薬」。ムハソ(muhaso)という言葉は、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)や憑依霊の治療(uganga wa nyama)において用いられる生の草木(muhi, pl.mihi)、あるいは煎じて飲まれる草木なども含む広い概念であるが、単にムハソというと、ムレヤ(mureya, pl. mireya)あるいはムグラレ(mugurare, pl.migurare)と呼ばれる、さまざまな材料を黒い炭になるまで炒めて粉にした形態のものが、含意されている。こちらには妖術で邪悪な意図で用いられるものが多数あり、そのため、単になんらかの不幸や病気がムハソによるものだと言うことで、それが妖術によるものだと言うのと同義に解釈される。