挨拶回りで久しぶりに訪れた最初の調査地の村で、偶然ニューニの治療に遭遇した。録音機材もなにも携行せずに訪問していたため、データの質は低いが、ニューニ発作が極めて深刻な緊急事態だととらえられていることはわかると思う。3人しかいないキリスト教徒にまで一縷の望みを託すとか。
治療のやり方としては、他のニューニの施術師が説明しているような、ムコネ(mukone1)の木の枝のみを組んで作った木の台も登場せず、子供は、地面に敷いたヤシの葉で編んだマット(kuchi2)の上に寝かせられて治療されていた。ニューニの治療である「薬液振り撒き(kuvunga3)」を農作業で用いる箕(lungo4)を使ってやることは周知の事実だが、どんな風にやるのかを見たのはこのときが初めてだった。なるほど鳥の飛び立ちを模していたんだ。鶏の羽根を箕に差すとか芸が細かい。
(from diary of 1990/1/30(Tue), jumma) (注: 日記は編集せずそのまま転記する原則だが、ここでは地名、会社名を変更。同定をさけるため。ドゥルマ語は注で説明。)
午前中、トランスクリプションノートのレビューに専念。あと4日で調査地を出て夜行列車でナイロビに向かう。焦る。今日まで、「青い芯のトウモロコシの場所」村40にまだ挨拶にも行っていない。今回の調査はチャリ夫婦と知り合ったおかげで、とても実り多かったが、いそがしかった。というわけで今日は、「青い芯のトウモロコシの場所」に再会の挨拶とお別れを同時に済ませに行く予定にしていた。13:30カタナ君と「青い芯のトウモロコシの場所」へ出発。婦人たちにはleso412組、砂糖などをお土産にもっていく。おじさんたちにはカシオの時計とかラジオとか。幸いグロリア・レンタカーでレンタカーを借りているので、少々の荷物は苦にならない。車は「ミムソップスの木の場所」のムエロ42のドゥカ43の裏に置かせてもらい、そこからは徒歩でペレ44の屋敷に向かう。夕方、Bwana Muganga(Jawa Mwero)46の孫娘がnyuni5発作再発、その治療に施術師Dudu47のところへ同行。午前2時近くまでかかってしまう。まさかのテープレコーダー携行忘れ!頑張ってノートをとる。治療終了後、ペレの屋敷に戻ってテントを張って寝る。
(from diary of 1990/1/31(Wed), kpwaluka)
「青い芯のトウモロコシの場所」の人々とお別れのあいさつ回り。散在する屋敷を回って挨拶するのはたいへん。終了は午後3時。ペレの屋敷の人びとに、昨夜のニューニ治療について詳しく聞きたかったが、ひたすら私が日本のことを聞かれまくる+記念写真といういつもの展開で、調査にはならなかった。挨拶だけという油断がテープレコーダー忘れにつながっていたのだろう。カタナ君、「青い芯のトウモロコシの場所」で子犬を手に入れる。さっそくヌッツァ・プラ(nutsapula)と名付ける。ku-nutsaは「匂いを嗅ぐ」pulaは「鼻」。「クンクン鼻」か?...(中略)...帰宅して夕食を作り、水浴びして就寝。
ニューニの治療に立ち会える機会は意外に少ない。ニューニの症状は、乳幼児に多く見られる「ひきつけ」、大泣き、嘔吐、下痢、発熱、頻呼吸、ぐったりするなどのいろいろな組み合わせで、それ自体としては、けっして珍しい出来事ではない。しかし突然の症状であり、すぐに対応しないと死んでしまうと思われており、緊急事態にあたる。その治療を云々の日に行おうといった風に、予定して実施するものではない。というわけで、自分が現地のどこかの大家族の屋敷に住まわせてもらっているのなら別だが、私のように独立した小屋で暮らしていると、普通に生活しているだけではほぼその現場に出くわす機会はない。後で昨夜その治療があったと知らされるといったことになる。
私が近所でニューニの治療があると聞いて、かけつけたことはほんの数回、行ったらもう終わりかかっていた、終わっていたというのがほとんど。発作開始から最後まで立ち会えたのは、この一回のケースだけだった。
(1990年1月30日のフィールド・ノートより抜粋。機種依存文字を書き換え、ナンバリングもウェブ化にあわせて修正した。図はフィールドノートの落書きを帰宅後、それなりに清書したもの。ドゥルマ語等は注で説明。) (DB 2290-2292)
Bwana muganga46 の孫娘(3才)がひきつけの発作を起こしたという。 14:00 頃 Dudu47 のところで治療を受け、治ったということで 17:00 頃帰宅。
18:00 再発 屋敷でクリスチャン[^christian_pere]が祈祷するというので、カタナも助力を求められる。 Mwero48 の妻と Malau49 の未亡人がスワヒリ語で p'ep'o50にでていけと激しく語りかける。 ともにペンテコステ。ついでカタナの比較的おとなしい祈祷。 といっても子供の左肩をつかみ揺すぶりながらである。 子供は白目をむき、左側の手足を激しく痙攣させている。効果がない。
クリスチャンたちが、祈りを終えた後、もうするべきことはしたから、子供はほっておきなさい、といったので BM は大いに怒る。
BM は再び Dudu のところへ連れていくことを決める。
20:00 Dudu の屋敷につく。 Dudu 不在。帰りを待つ。 その間に Dudu の弟子の指揮で若者たちは mavuo26 の材料を集める。 またこの間に、BM は自分も nyuni の治療の心得が有るからと言って、自分の治療も試してみる。 効果なし。 22:00 頃 Dudu 帰宅。
[第一回目の治療]
子供は左を下にして横向けに寝かせられる。
lungo の内側に vuo26 をかけ、まず子供の頭の側から vuo を振り撒く。 nyuni のmakokoteri57をしながら。 ただしDuduは口の中でもぐもぐタイプなので、ちゃんと聞き取れない。
makokoteri が済むと lungo を子供の上を越して足元の方向に投げ捨てる。
次に子供の足元の側に回って、同様にmakokoteriとともにlungo で vuo をかける。
makokoteri の後でlungoを子供の頭の方に投げ捨てる。
3~6 を三回繰り返す。
搗いたとうもろこしとフスマを選別する箕を裏返し、4種の鶏の羽根を束ねて、箕の編み目4箇所に差す(ウェブ化に際しての追加記述)
[第2回目の治療]
一回目の治療の子供は少しうとうとする。しかし目を覚ますと再び発作。
そこで chinu による治療を行うことになる。
mihi16 が集められ、chinu が設置される。chinu の縁近くが一本のロープで縛られ、それに数本の木の枝が差される。chinuには水と先ほどとは別のmihi。
搗き臼の中に、先ほどとは別の草木の薬液を作る(ウェブ化に際しての追加記述)
子供を3人で支え、まず足を下にして vuo に浸ける。
ついで子供を逆さにして頭から vuo に浸ける。
再び足、頭、足と繰り返し、最後に全身を洗う。
少し子供を休ませた後、vuo を飲ませ、再びおなじこと(2~4(ウェブ化に際しての追記))を行う。 これを合計5回繰り返す。
その後、子供に makokoteri (録音していないので確認は難しいが、p'ep'o51 の名前を複数挙げるもので、あきらかに nyuni の makokoteri ではなく、憑依霊全般か、そのうちのいくつか(可能性としてはジム(zimu59)、スンドゥジ(sunduzi60)、ムドエ(mudoe61)あたりか(ウェブ化に際しての追記))に対するもの)。
子供が眠りにつく、しばらく様子を見る。 両親および何名かが朝までそのままそこに残るという。私は人々の勧めにしたがって他の人々とともに帰宅。
翌朝 9:40 頃、子供と残っていた人々も帰宅する。 朝まで子供はそのまま眠り、朝になるとすっかり治っていたという。