ココトーニでのムリナの母(Membeyu(別名Kadzine))のサダカ

目次

  1. 概要

  2. サダカ当日の式次第(フィールドノートより)

  3. 祖霊への語り(ドゥルマ語書き起こしテキストの日本語訳)

    1. 墓を耕し(除草し)つつ語りかけ

    2. 祖霊にヤギを示して語りかける

    3. 祖霊にヤギの肉とワリを捧げ、墓石に端切れを巻き、地面にムルングの布を張る

    4. 締めくくりの語り

  4. 考察・コメント

    1. 子供名について

    2. サダカが必要とされた理由

    3. 明かされる事実

    4. チャリとムリナの苦境

  5. 注釈

概要

サダカ(sadaka, pl.sadaka)とは、スワヒリ語では「喜捨、施し、宗教的捧げ物、供犠」などを意味するが、ドゥルマでは、もっぱら墓場で徹夜の太鼓演奏などの後に、早朝に祖霊(k'oma1)に対して行う、動物供犠を伴う饗宴を指す。これによって生者は死者に対して負っていた負債を返し、死者の怒りを鎮め、子孫たちの「つつがなきこと」を願う。この際に祖先に対して供される肉は塩を入れずに別鍋で調理され、子供たちによって墓場で食べ尽くされる。サダカは、すでに「熟した服喪(hanga ivu10)」を終えた祖霊に対してしか行うことはできない。祖霊についての解説は浜本, 1992,「ドゥルマにおけるコマの観念」『九州人類学会報』Vol.20:30-51も見られたい。また1990年1月に行われたチャリの母方の祖父デレに対するサダカでもサダカについての基本的な説明がなされているので参照されたい。

今回のムリナの母に対するサダカについては、その開催理由など、ほとんど説明を受けていない。チャリの癒しの術を妨害しているものの一つが祖霊(k'oma)たちだった。1990年に祖父デレのサダカは終えたが、まだムリナの母親とチャリの祖母(祖父デレの妻)が残っている。ということで9月7日にムリナの母のサダカをするからおいで、ということだった。サダカ開催の詳しい理由は、当日墓場での語りのなかでわかるだろうとタカを括って、くわしく聞く努力を怠った。調査慣れは怖いね。

そして9月7日に予定されていたサダカは、その前日にキャンセルされた。予定変更は珍しいことではないので気にしなかったが、後で振り返ると、1991/09/06にチャリは自殺を企てていたのだった。そのことを1991/09/08、チャリが前夜に見た夢について打ちに行ったムラムロ占いで知って、びっくり。キャンセルはそのせいだったのだ。翌日さっそくチャリにかけられた妖術フュラモヨ(fyulamoyo14)に対する妖術返しの施術クブェンドゥラ(kuphendula15)が実施された。

その後、ムリナ夫妻は相変わらず施術に忙しい日々を送っていて、私はサダカの件は中止になったものと思っていた。がそうではなかった。1991/09/13、ムリナの屋敷に前日から滞在している女性患者のために憑依霊ムドエ(mudoe61)の治療をするというので、朝早く(8時前)にムリナ宅を訪れると、すでに施術は終わり、患者も帰宅した後。がっかりする私。だがそんな私にいきなり、明日サダカに出発するから、必要な品物をキナンゴの町で調達する手伝いをしてくれ、と。ちょっと急ですよ、急。そもそも先の突然のキャンセルは参加予定だったチャリのanamadzi117たちにも完全には伝えられていなかったようだ。1月7日の早朝、mwanamadziの一人が支度を整えて私の小屋にやってきて、一緒に行こうと誘ってきたほどだ。キャンセルを教えると、ちょっと不機嫌そうだった(そら、そうだろう)(1991/09/07の日誌より)。彼は、結局実施日には姿を見せなかった。

(from diary of Sept.13,1991, Fri, kpwisha132)133

Chariを自転車に乗せて3人でキナンゴへ。...Murinaとヤギを運ぶパーミットを取りに行く。係はラバイの男。キリフィの近くに住んでいるという。この間チャリはsadaka134に用いるunga135 wa matsere136の買い物。mufuko137は一つしか手に入らず、残りは unga wa kupima137を三袋分(ungaまで手に入りにくくなった。飢饉と物資不足)。mulunguの布138、nusu139 gora140 65シルとchidemu141も入手。.... ...Famauの店の前でキジヤモンゾのmuzee wa midzi142をしているNg...Mb....と Murinaが何か話し合っている。あとで何の話かと聞くとPonta(pseudonym)老人らを訴える件だという。とうとう決定的な一歩を踏み出してしまった。sadakaが済んだら、ということだが、どうなることやら。MurinaたちはPonta氏の土地にajeni144として住んでいるということだが、下手をするとこの土地にいられなくなる。

(from diary of Sept.14,1991, Sat, jumma145)

8:00 Murinaのところへ。10時過ぎキナンゴに向かうGari ya Gandini146が通るのを見て出発。Murinaはchibanda cha koma147 に出発を告げ、戸口に水を少しずつ撒く。MurinaとChariと私、Murinaの妹Mwana....(Dza...)とその夫Mw....、Mekp....(Chariのmwanamadzi117),大量の荷物とヤギ1匹。結局、歩いてキジヤモンゾの分岐点まで行き、バスを待つ。Mwache156で降りる。ここからは歩いて2時間くらいかかるという。....

こんな感じで出発したのだが、このあとちょっとしたハプニングが。バスを降りてまもなくチャリの体調が悪くなり、一歩も歩けなくなる。憑依霊の仕業(自分のヤギが供犠されることに怒った憑依霊ドゥルマ人(カシディ65)だろうということで、ムリナがヤギを指さしつつ唱えごとをするが一向に良くならない。結局、チャリを病気にしていたのは憑依霊「白人(muzungu wa keya)」だったとわかる。ムリナの発案でチャリに私の重いバックパックを背負わせてみたら、とたんに元気になったので! この顛末は別ファイル: 憑依霊としての「白人」で紹介している。

(1991/09/14の日記の続き)

....2時ごろ目的地のChi...(ムリナの兄)の屋敷に着く。Chi...の屋敷にはChi...の二人の妻とBeny.... とその妻がいる。....明日のsadakaに用いるkuni158をキバンダサラまで買いに行く。3束で15シル。高い。キバンダサラはモンバサ街道に面した町で、そこまでは歩いて30分ほど。... 夜、ワリを食べながらMurinaとMw...、Chi...ら、Murina に対する妖術に関して議論する。面白い!と思ったが、私の荷物は、ドゥルマの習慣に従って、どこかに隠されてしまっていたので、録音はできず。 Murinaは自分の屋敷の近くで葉の上にmuhaso26が乗っているのを見つけた。fyulamoyo14の証拠であるという。ムラムロで確認し,Chariのkuphendula15をしたことを語る。Chariは再び自分が見た夢の話をする。Chi...はMurinaがmutsaiを訴えると息巻くのを聞いて、むしろお前がその土地を去った方がよいと忠告。もっともである。がMurinaは聞かない。「もちろん私自身去る用意はできている。しかし私ははっきりさせたいだけだ。『お前たちはどんな風にして私の妻を殺すのか』と、『私の妻はどんな風に死ぬのか』と」 墓のところで夜明かしする予定であったが、草ぼうぼうで無理だとChi...が言うので、そのままChi...の屋敷の庭で寝る。外。寒い。

(from diary of Sept.15, 1991, Sun, kpwaluka159)

朝6時頃、ヤギ(Magendore160)を連れて出発。すぐに着くものと高をくくっていたら、やたら遠い。以前屋敷があった場所の近く、ということで、睡眠不足で頭痛がするなかを一時間も歩いて、ようやく到着。女たちもjembe161やtsoka162、kuni158、unga135などを頭にのっけて次々到着。墓はMurinaの母と、Murinaの父の兄の妻の墓の二つだけ。

サダカの式次第

(1991/09/14のフィールドノートより)163 11:00 Gari ya Gandini146で出発(「ジャコウネコの池」ジャンクション) 12:00 Mwache(Mavyonini)で下車 12:30 バスを降りて歩き始めてしばらくしてChariの調子が悪くなる (以下省略(ウェブ化に際しての省略): チャリの憑依霊「ケヤの白人」がバックパックを背負いたがっていたエピソード) 14:00 Murinaの兄Mwachi....の屋敷に到着 14:20 明朝のsadakaに必要なkuni158を買いに30分ほど離れたキバンダサラに行く 20:00 夕食(wari165とk'uk'u166) MurinaはMwachi....に、先日来の出来事を説明。告発の是非をはかる。Mwachi....移住をアドバイス。ムリナ聞かない。

本来は墓場で夜を明かすのが正しいが、まだ草刈りが済んでおらず寝る場所がない、とのことで、ムリナの兄Mwachi....の屋敷の前庭で寝る。墓での太鼓演奏は予定なし。

06:00 墓に向かって出発 07:45 到着 (その後のkugombaの書き起こしテクスト全文) (DB2935-2974) 各人、 墓を耕しながら kugomba167 07:50 Mwachi....、 ヤギを墓石に押し付けて kugomba 08:10 mbuzi168をkutsinza169し、墓にその血を注ぐ kuni158の準備完了 08:30 激しい雨で一時中断して木の下で雨宿り お茶の用意ができる 10:00 nyama170 za k'oma1 mukono175, chiga176 各6片ずつ(死者が女性であるため) (もし死者が男性なら各5片ずつ) wari165 za k'oma wari は chikaphu177で供えられる

布、墓の上に広げ、四隅を杭で地面に打ち付ける 布の真ん中あたりをナイフで少し切り裂く(盗まれないように) ワリとヤギ肉を供えながら kugomba 締めの語り 10:30 終了 若者3人が墓でwariを食べる 死者のための料理には塩が入っていない。死者に供えた残りの肉は若者によって その場で食べてしまわれる。 集まった長老たちはuchi178を飲む 12:30 別鍋で塩を入れて煮たスープ、ワリ完成 木の下で食べる。 13:30 屋敷に各人が持ち帰る肉(未調理)の分配 解散

サダカでの祖霊への語りかけ(書き起こしテキストの日本語訳)

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墓を耕し(除草し)つつ語りかけ

2935 (人々は交代で墓を手鍬で耕して除草しつつ、死者に語りかける。) (最年長であるムリナ氏の兄Mwachi....が、開始の語りかけをする)

Mwachi....(Mwa): さて、ところで、私が最初に語りかけを差し上げさせていただきます。でも、やって来たのは、あなたに約束した語りかけをしにやって来たのは、ムリナとチャリです。ムリナ・ベンジンゴ、そうムリナはあなたのお父様そのものに他なりません。そう、今日彼はやって参りました、この者、この者です。では、どうか彼があなたのお母様とご一緒にいたしますお話に、耳をお傾け下さい。なぜなら、彼は、あなたのお母様を手に入れ、あなたの同意を得ようと参ったのです。 さて、ところで、ベンジンゴはの妻は一人ではありませんでした。彼は多くの妻をもっておりました。さて、ベンジンゴが持って参りましたお話に、どうか耳をお傾け下さい。 私はと言いますと、あのあなたもご存知のベモセです。私も、あなたがご存知の問題のためにここにやって来ました。でも今日、今は、ムリナです。ベンジンゴ・ムリナ、かつてはベレファニとも呼ばれていました。そう、ベンジンゴという名前ですが、彼は未だにンジンゴを(息子として)手に入れておりません。どうか彼がンジンゴを手に入れるよう力をお貸し下さい。このようにしてここに来ております、メンジンゴにどうか子供が生まれますように。 2936 Cha..(ムリナの父キメラの兄の息子=Murina's FBS=B, =Benyamvula:Cha): そもそもンジンゴはほんの少し前に亡くなったばかり。まだ1年たってません。ンジンゴが最年長ですね。あのベキドショさんの一族の甥(姉妹の息子)にあたります。さて、ムリナ、この人が今、やって来たわけです。 Murina's Father's Sister(氏名不詳Tsa): ねえ、私たちは苦難のなかにいるのよ、キョウダイ、どうすればいいのかわからないわ。私たちは、まさに苦難の中にいます。私たちの中には、ここにまだ来れずにいる人たちもいるのよ、そもそも。だって、彼らはもしかして(重い病気にでもかかっていて)死にかかっているんじゃないかしら。やって来たのは、最年少のムリナなのよ。チャカ(上の話し手とは別、ムリナの実の兄)でもないし、ベローチャでもない。ベローチャときたら、どこにいるかも私は知りません。でも、この子(ムリナ)、この子は近くにおります。私は彼に会いました。つつがなきことを、ですよ。それこそ私たちが欲しいもの。私たちはつつがなさが欲しい。「彼らを捕まえてやる」などとおっしゃってはいけません。とんでもない。私どもは驚きのなかにおりました。「私が、まるで子供を産まなかったみたいじゃない?(誰も世話をしてくれる子孫がいない)」(などとおっしゃらないで)。いいえ、いいえ、私たちはつつがなさが欲しいのです。もうお一人は、あなた大きいお母様(ムリナの父の兄の妻)、メムユゴさん。そうよ。あなた方はかつて一緒にお暮らしになり、仲良くお過ごしでした。どうして、私たちが悲惨なのに、あなた方はそのことを話し合われないのですか?今は、そう、身体の健康を。孫たちのいる場所にいる人々の。

2937

Cha..(Murina's FBS=B, =Benyamvula:Cha): あ、そうこのような時間にお話するつもりはありませんでした、あなた、お母さん。ムリナなのです。ムリナがやって来たのは、彼をここに来させることになった問題を抱えているからです。彼があなたに話してくれることでしょう。でも、私たちも、彼をもたらした難儀のなかにいます。彼が話してくれるでしょう。あなた方は約束を交わしたんだから。すぐに、彼は私たちを解きほどいてくださいと、あなたに言うでしょう。 解きほどいてください、解きほどいてください、ムリナを解きほどいてください。ご主人様(mwinyi179)、ご主人様、おだやかに。ムリナが稼いで収入を得ますように。私も稼いで、収入を得ますように。別の人も稼いで、収入を得ますように。どうしてあらゆることが、外に(手の届かない所に)あるんでしょう。ああ、ご覧なさい。私は耕すのも左手です。そう私のこの腕は病気なんです。でも、こんな風に耕します。ご主人様、ご主人様、そうです。 Murina's FZ(Tsa): 彼をそっとしておいてやって下さい。道で打たれたのが(交通事故か、喧嘩か?)小康を得ますように。彼を放っておいてやって下さい。酒を飲みたくなる気持ちが高まったら、それを鎮めてやって下さい。病気はムルングの病気(不可抗力の病気)ではありません。彼の場合、酒を飲むことです。 Cha: ああ、その飲むことはですね、ご存知じゃないですか、お母さん(=FZ)、私が以前は飲んでましたが。

2938

Murina's FZ(Tsa): 飲むこと、飲むこと、飲むこと。私の息子はいったいいつから、酒飲みになったんだろう、なんておっしゃらないでね。 Cha..(Murina's FBS=B, =Benyamvula:Cha): 私は飲むと、必ず下痢になるんだ。いったい誰が私がそんな風になるようにと祈った(呪詛した)ってんだよ。 Tsa: 彼が酒を飲めば、彼が下痢につかまってしまいますようにってね。「私は二ヶ月ばかり酒を止めましょう」と彼が言いますように。袋の中には物(お金)がどっさり溜まりますように。 Cha: 嘘です、嘘です。私が稼いで、収入を手に入れますように。私が私のヤシを植えたら、それが育ちますように。 Tsa: さあ、ごらんなさいな。あなたのご主人が生まれても、酒のせいで、子供を背負う背負い布を買ってあげようとも考えないような人よ。もう酒は飲まないようにお言いなさいな。 Cha: お金が沢山やってきますように。(ムリナにむかって)さてさてキョウダイ。 Murina(Mu): うう、さて、私はこんな時間にお話するつもりはありませんでした。私はあなた、お母さん、あなたのためにお話しているのです。あなたお母さん。お母さんは死にました。そしてあなたが亡くなったとき、私はまだずっと後ろの方にいました。私はまだ大人になっていませんでした。

2939

Murina(Mu): (つづき)今では私も、自分の屋敷を作ることを学ぶようになりました。妻も手にいれました。さて、私にはかねてより財産もなく、お母さんに助けを乞いにも参りました。「お母さん、私を助けて下さい。私に妻を手に入れさせてください。私は悪い場所(悪い状態)にいます。」 私は(父に婚資を提供してもらって)ラバイの女性を娶らせてもらいました。その結婚は失敗に終わりました。私は別の女性を娶りました。ああ、もしかしたら、私には女性に人気(p'amvu180)があったのでしょうか。でもどうやって婚資を手に入れたらよいものか、私にはわかりません。 さて、そう「海で奮闘する人は、手ぶらでは帰らない」諺解題と申します。私は「採石場近く」村に住んでいました。そこにンデグヮ・ワ・ムラブとその妻がやって来たのです。私は言います。「ねえ、あなた。貧しい者と貧しい者でお互いを養い合えないものでしょうか?」彼女は言いました。「もちろん養い合えるわよ。」私は彼女に言います。「私の今の困難は、私には妻がいないことです。あなたにも、努力家の夫がいない。私は努力家です。でも妻がいない。あなた、このご主人で良いのですか?私たちどうしで結婚しませんか?二人で努力しあったら、一緒に暮らして、楽になるのでは?」

[諺解題]: 「海で漁をする人は、努力して魚をとって、必ずや収獲を得るだろう」つまり「努力は報われる」という意味の諺だという。もともとはスワヒリ語の諺で "mgaagaa na upwa hali wali mkavu"「浜辺をうろつく者は、おかず抜きのご飯を食べることはない」が、ドゥルマでやや変形されて流通しているもの。

2940

Murina(Mu): 彼女は言います。「ああ、全てはムルングがご存知のこと。ムルングに祈りましょう」と。ごらんください。そう彼女がチャリなのです。私にはチャリがいます。でも彼女はンデグヮ・ワ・ムラブの妻なのです。彼女を得、私どもは移転し、キナンゴにやって参りました。チャリは病気に苦しんでおりましたが、その病気がさらに重くなりました。おまけに人妻です。彼女は他人の婚資をもっています181。しかも病気なのです。というわけで私はやって参りました。友よ(死んだ母に対する呼びかけ)、あの私の(約束の)旅、あれです。私はあなたのために(墓の草を除草するために)耕しています。私は参りました。約束の日は今日です。 Woman(name unknown, maybe Memo..Mbeyu=mukaza MWachi....(W1): あなた方。あなたは私の友だちだったわよね、あなた。でも、どうして私の脚はひどく痛いの?私の腰もひどく痛い。首もひどく痛い。私をこんな目にあわせたものは、いったい何なの?誰のせいでもないですって?私自身のせいだと。どうか、私を放っておいてください。私を健康にしてください。さて、あなたがお亡くなりになったとき、私はまだ子供を産んでませんでした。今、私はあれらモセたちを産んでます。モセは家に置いてきました。でも一緒に来ればよかったわ。でもあなたは私をすっかりすっかり、(病気から)自由にしてくださるでしょう(字義通りには放っておいて下さるでしょう)。

2941

Woman(name unknown, maybe Memo..Mbeyu=mukaza Mwachi....(W1):(つづき)どうか私が治りますように、ねえ、友だちの皆様方。あの子たち、私の子供たちのために、どうやって畑仕事をしろというの?腰を屈めることもできないのに?穏やかに(haini182)。心臟も早打ちします。背中の真ん中の(に載っているように感じる重い)石は、いっこうに無くなってくれません。死ぬまで無くならないんじゃないかと言うほどよ。背中の真ん中の石です。ああ、今、友の皆さんが私を治るようにして下さいますように。お願い、治して!先日、私はここにいました。ここに来て墓を耕し(除草し)お話かけいたしました。でも無駄。あなたは私を治してはくださらない、お母さん。どんな風にこれをお始めになったの?私がお気にさわることを何かした?ねえ、私を治して下さいな、友よ。もう私は死にそう。心臟は早打ち。そして背中の真ん中。心臟は早打ち、背中にまで。(心臟は)突然破裂して、私にはどうすることもできないのよ。 Chari(C): さて、あなた、お母さん。私はあなたを知りません。なぜなら、あなたが亡くなったとき、私は(この世にまだ生まれて)おりません。でも、いませんでしたが、あなたの息子とは出あうことになりました。ああ、それ以来というもの、まるでキラボ(chirapho183)に捕えられたかのようです。

2942

Chari(C): (つづき)病気に捕えられること。病気とともにたくさんの日々を過ごしてきました。土を食べたりまで。(当時)私自身で、ここを訪れました。お話しに来ました。「私は道をあちこちさまよい歩いてきました。病気のせいで、腰を落ち着ける場所がないのです。そして、今もって、病気のままです」と。思いますに、私は乞い祈るために参ったのでしょう。私の願いは、お母さんに申し上げました。「...(雑音で聞き取れない)..私は癒しの術(uganga31)が欲しいのです。癒しの術ということでは、そう、私に力を与えて下さい」と。あなたは私に力を与えてくださいました。あなたの息子は施術師(muganga185)ですし、私も(今や)施術師です。そう、私は、私のこの癒しの術が、本当に、本当に現れ出てくるのを目にしたのです。 私は移住し、キナンゴに参りました。キナンゴに行って、私はキナンゴで見事にムブルガ(mburuga)を打って来ました。お金も手に入れました、私。私は一頭の牝山羊を買いました。それが本当に初めてのヤギでした。私は言いました。もしヤギを買って、そのヤギが出産したら、私はンゴマを打ちに参りますと。そうヤギは確かに出産しました、ありがとうございます。その結果、今こうして私はあなたにあなたのヤギをもって参ったのです。あなたの布(nguo)ももって参りました。

2943

Chari(C):(つづき) 今、そう、私は癒しの術の繁盛がほしい。身体が解きほどかれますように。そう、私がいるところ(チャリの生家のある地域)でも、私の姉たちがまだ子供を産んでいるのに、なのに私の腹は子供を産まなくなってしまった。ただの腹の病気なのです。私は治療してきましたが、もう疲れてしまいました。今、そう、どうか私の癒しの術を私のために解きほどいてください。これこそ私が私自身の心で考えていることです。私は、昔のように、病人たちがどしどし詰めかけてきて欲しいのです。それでこの方のお母さんにもヤギを買ってあげられるように。 さて今、このヤギはあなたの息子の嫁のヤギです。私です。あのヤギは私が買ったものです。そして私は、そのヤギが子供を産んだら、その子供ヤギをもってやって来ますと申し上げました。それがこのヤギです。私のために癒しの術を解きほどいてください。そして私の姉たちにもつつがなきことを。 Mwachi....(Mwa): それで終わりですか、お祖母さん(wawe186)? 他の人は耕さないんですか? Mwanak....(Murina's sister(MK)): 私は(結婚するまで)ここにはずっと暮らしていたわ。そして今、またここに戻ってきました。先日、そう私は幸運でした。だって、友人たちによってすでに耕されているんだもの([2941]でMwachi....の奥さんが先日ここを耕して身体の不調を訴えたと話していたのを受けての発言)。

2944

Mwanak....(Murina's sister(MK)):(つづき)今日は、ねえ、私は尻尾(手鍬の柄のことをドゥルマ語では手鍬の尻尾(muchira wa jembe)という)を握ってます。ねえ、私はあなたの末っ子(最後の子供)よ。あなたはずっと産んできて、ついに飽きちゃって、後は私だけが残ったの。なのに今、どうして私にはもの(富)が手に入らないの?私はここに戻ってきました。私の子供たちは(病気が)良くならないし。私本人も健康じゃないし。収獲も、ないし。賃仕事(chipande187)も手に入らない。もうただの人よ。服(布)ももってません。 さあ、見てよ。どこかへお出かけしたいときには、(身体にまとう、ましな布を貸してくれるよう)他人に頼み込まなければならないんだから。こんな苦労は、どうかなしにしてください。道を歩いていて、カリンボのような人が財布を落とすのを見れますように。(それを拾って)布を買えますように。 あなたの孫たちはむこうにいます。あなたは彼らにもここに来て欲しいの?じゃあ、どうして彼らに目眩と頭痛を注ぎ込んで、彼らの顔がむくんでしまうように、彼らの頭を重たくしてしまわれるのですか?あなたの仕業ですよ。彼らも来てくれます。でもまずは彼らを解放してやってよ。ねえ、あなたは彼らにここに来て欲しい。でも彼らはここに来ても、あなたに何を差し上げることができるというの?あなたの義理の息子(mutsedza188、つまり話者の夫)は、人から相手にしてもらえないのよ。あなたにお願いします。彼に人に好かれる魅力(p'amvu180)を注ぎ込んでやってよ。

2945

Mwanak....(MK): (つづき、MKは自分のキョウダイたち(父キメラおよびその兄弟の子どもたち)について語り始める)とっても美人の女性たちなのに、娶られない。人は義理の息子たち(atsedza188娘の結婚相手)に救われると言うじゃないですか。どうしてあなたは嫌なんですか?あなたです。あなたです。 (次に兄弟について語り始める)さて、あなたがひどい目にあわせていた一人は、もう死にました。次はキティです。あなたは彼の目をふやけさせてしまいました。唯一健康な者はというと、彼には仕事がありません。あなたは彼をエダウチヤシ(mulala189)とともに放置なさった(エダウチヤシの葉でマットや籠を編むだけの仕事しかない)。エダウチヤシの製品は売れません。ねえ、彼を解きほどいてやって。彼にヤギを買わせてあげて。彼にそのヤギを連れてここに来させてやって。ヤギは小さいわ。それよりウシね。彼にウシをもって来させてやって。ミルク入りの紅茶用の濃いミルクを出す。あなたの布、誰が買うことになるんでしょう?彼本人が足の甲みたいに汚れているのに。上着も汚い。彼は石鹸ももっていない。ひどい仕打ちじゃない? ねえ、解きほどいて。死んだ者は後に子孫を残す者だと言うでしょ。なぜあなたは汚れにまみれた者を残すの?そう、あなたが解きほどいて、みんなが収入を得たら、あなたは家を建ててもらえるわ。手鍬で除草する仕事も、一休みよ。さあ、そう、私たちを解放して、私たちを解きほどいて、そう、つつがなきことを。

2946

Mwanak....(MK): (つづき)トウモロコシが(一株に)8房ずつ実らせますように。石臼で挽いた(トウモロコシ粉の)ワリ165を食べるのは、男たちだけ。ああ、御覧なさい。それが「日本のワリ」と呼ばれているのを。ご存知かしら?さて、それはカリンボ(浜本)の住む白人の国からやってきたムロジ(mulozi191)のワリよ(浜本注2026/10/14: 意味不明!)。脚の病気です。この人が、もし話していないとしても、彼の脚をそのままにしておかないで下さい。別の人たちは、コンベレザ(kombereza197)に罹っています。罹ると、治りません。当人は、(祖霊に)語りかけることを嫌っています。それなら、もっと彼を苦しめてやってください。だってあなたに不当な仕打ちをしているんだから。でも、仲直りしてくださいね。だって皆全員おなじグループに属しているんだから。彼らを鞭打って、あなた方の子供たちを一緒に混ぜ合わせてください。彼らは互いの差し出す食事を拒みあい、嫌い合っています。どうか仲裁してください。Mwanak...がチョガさんと出会うことがあったら。言って下さい。あちらには私の一族がいると。そこではヤギが求められているので、ヤギを年長の母(母親の年上の姉妹)のところへ連れて行けと。そしてチョガがそれを拒絶しませんように。 (ムリナ氏の妹Mwanak...の語りかけ、終了。最後は、色々事情がありそうな内輪の話しすぎて何言ってるのかよくわかりませんが...)

祖霊にヤギを示して語りかける

2947 (Mwachi....氏、ヤギを墓石に押し付けながら、語りかけ)

Mwachi....(Mwa): そう、「私は、はい、ヤギとともにやって参りましょう」(とムリナは言った)。そう、でももしかすると彼は忘れてしまったかも。なんとあなたは忘れはしなかった。あなたはしたたかに彼に思い出させてやった。そうですよね。今、このヤギがそれです。今、このヤギ、ムリナ本人とともに参りました。そしてチャリと。 チャリとムリナ、彼らがここに来た者で、あなたに言葉を述べるために参りました。私は、あなたの最初の子供ですので、あなたにお話しているような訳です。私はムベユにも語りかけをさせました。今、ムリナが申し上げましたすべての問題、すべてについて、ここにおります私ども全員に、お応えいただけますように。 稼ぎということでは、私たちが収入を得ますように。なぜなら、それあってこそ、物もたくさんやって来るだろうからです。 [カセットテープ交換] Mwa: ...さらにヤギをもってここに来たことがなかった者も、そう今日やって来ました。でも、私はヤギをもって来たことがあります。それどころか本物の服喪(熟した服喪(hanga ivu10))も私が主宰し、そこでウシまで屠りました。さて、今は乞い願うべき願い事を、是非叶えてもらいたいことを持って、ここにやってきた来た本人の言うことを、お聞き届け下さい。彼があなたにお話します、お母さん。ご主人様(mwinyi179)、ご主人様、ここにやって来たすべての者を、どうかお解きほどき下さい。

2948

Mwachi....(Mwa): (つづき) この者、難儀を経験してきた当人で、これからその問題を語ってくれるだろう本人ですが、その癒しの術を見るのが嫌いなゆえに、彼の癒しの術(uganga)を殺してやりたいという連中、そう、あなた、そいつらに怪異を見せてやってくださいよ、その者に。そしてその癒しの術を解きほどいてやってください。なぜなら(手に入る)物はたくさんだからです。さらに、どうか(妖術使いの)舌のあいだの軍隊アリとなって、ムリナの名前とともに(呪いの言葉の中で)口に出されるあらゆる言葉が、影を潜めてしまいますように。弱まりますように。そしてムリナが、その仕事を、喜びだけをもって、順調に続けていくように。つかもうとする物が、彼の手に入りますように。解きほどいてください。さあ、私のお話はここで終わります。本人が述べるだろうことを、ご傾聴ください。 Murina(Mu): さて、私はこのような時間にお話することもなかったでしょうに。私はあなたお母さんのために話しているのです。あなたお母さんのために話すとき、私という人間は、先ほど申し上げた通り、あなたは私が幼いときに、私を残していかれたのです。まだ妻を手に入れてはいませんでした。

2949

Murina(Mu):(つづき) しかし私は妻を手に入れ始めます。あの妻を手に入れ始めました。そう、私は強力な種子を手に入れました。ラバイ人199の種子です。あなたは疾っくに拒絶していたんですね。あなたはおっしゃる。「私の婚資ではラバイ人を娶らせません。」と。その妻とは何年ももたず、私たちは別れました。私たちは別れます。あなたの夫(ムリナの父キメラのこと)の狙いは、ラバイ人たちと結びつく狙いでした。そう、私たち(ムリナの死んだ母と、ムリナの父キメラ)は争い合いました。結果は、私が思いますに、(現在)私たちの屋敷には一人のラバイ人もおりません。ラバイ人たちは皆立ち去りました。父が望んだようにはならず。そしてあなたにとっては、あなたが望むとおりに。あなたの望みが勝利したわけですね。そこにはラバイ人はいません。さらにあなたの孫のなかにも、同じくラバイ人はいません。(父にとって)ラバイ人が産んだ子供は、私たちの眷属201です。私たち(ムリナの死んだ母たち)は、その子がラバイ人たちのもとに帰ることを望みます。彼(父)の方では、その子は彼(父)のところに行くことを願います。なぜなら、その子は私たちの眷属なのですから。でも、どうでしょう? 私は妻を手に入れ、それはチャリ・ワ・マラウです。ムァニョータ氏族そのもの。私たちは結婚しました。

2950

Murina(Mu):(つづき) 私たちには何もありません(非常に貧しかった)。この世界のなかにいるみたいで、そこにはいないみたいな(生きているようで、生きていないみたいな)。実に、実に困難な暮らしでした。私たちは、この世でお前は色々やったが、それらすべては失敗に終わるだろうとすら、言われました。さて、友よ、あなたはすでに死んでおられる。ああ、あなたが死んだのなら、私は今、どこから始めたらいいのでしょう、そしてどこに行けばよいのでしょう?私たちはここにやって参りました。乞い願いに参りました。お母さん、私たちを解きほどいてください。お母さん、私たちを援助して下さい。援助して下さい。この病気が身体より去っていきますように。癒しの術なら、出てまいりますように。ああ、さらにムブルガ占いにおいても。ムブルガに行って、私たちは(病気の原因が)癒しの術の祖霊のせいだとの結果を得ました。こうして私たちはここにやって来ました。 お母さん、私たちを解きほどいて、つつがなきことを今。そして私たちの(癒しの)仕事、それこそ私たちが欲しているものです。私たちの癒しの術が、解きほどかれますように。癒しの術が、順調に出てまいりますように。本当に癒しの術のせいであるなら、出てきますように。今、そう癒しの術が出てきますように。そして癒しの術が出てきたのを見れば、私たちは、真に仕事人となったことになるわけです。さらに私たちはヤギを飼い育てます。だって、あなたはヤギと布の(を要求する)方だから。

2951

Murina(Mu):(つづき) 私は感謝の思いです。アルハムドゥラーヒ、ラビナ、ラミーナ(Al-Hamdu Lillahi Rabbi Al-`Alamina「世界の主であるアッラーにこそ、すべての賛美が捧げられる。」)私たちはキナンゴに行き、まさしく仕事をいたしました。仕事をし、わたしたちは長老とすら呼ばれました。どうして今、長老という名前は去ってしまったのでしょうか。私は長老と呼ばれておりました。私は。長老であることは、髪の毛(白髪であること)が理由ではありません。長老であることは富によります。私はヤギをカリマティ(kalimati203)であるかのように買いました。私は、人とはこんな風に稼ぐものなのだと知りました。あのあなたのヤギそのものも、私が買って、あなたに約束したヤギです。あなたの息子の妻の(占いで振り鳴らす)キティティ(chititi204)がもたらしたヤギです。チャリがです。彼女が彼女のお金で買ったのです。そのヤギこそ、彼女があなたに約束したヤギなのです。そのヤギの子供がこいつ(ヤギ)です。 こうして日時を約束したのですが、私たちはそれをキャンセルしました。そう約束の日時は死に、そして起き直します。そしてついに今私たちはヤギとともにやって参りました。今、そう、ヤギとともに参りました。ヤギをあなたに差し上げます。私はこのヤギを差し上げ、つつがなきことを願います。

2952

Murina(Mu):(つづき) ああ、息子の妻を御覧なさい。身体が枯れ上がってます。もうまるで木の棒のよう。人間の身体がそんな風になることがありますか?もしあなたがそんな風に捕えなさった張本人なら。もしかしたら、私が治療するときに、薬(muhaso)を身体のなかに注入しましたが、それが病気とあわなかったのでしょうか。病気は、薬を忖度しませんから。今は、病気が薬を敬うようになりますように。彼女がたった一束(煎じて飲む草木の束)を(煎じて)飲むだけで、たとえそれがムスンドゥジ(musunduzi205)(の一束)であろうと、あのジョカ(joka208)の病気がすっかり去って、彼女が子供を産むようになりますように。彼女が治りますように。そう、たとえ彼女が子供を持つことがないにせよ。なぜなら、もとより私は人の身体のなかに入って、中を調べたりはできませんから。でも、健康(uzima209)そのものがないのです。私たちは健康を、そして仕事の前進を欲します。なぜなら仕事(癒しの)こそが、人を見る(娶る)ものだからです(kazi ndiyo yilolayo atu210)。 Woman(Murina's FZ(Tsa)): 人間は買われません。見られる(娶られる)ものです。 Mu: 私はもう一人の妻を必要としています。婚資を支払って娶れますように。

2953

Murina(Mu):(つづき) 人間は買われません。妻は買われるものだという連中は、まあ、間違っています。問題は相互理解であり、子供(pembe211)であり、互いに好きあっていることの証しです。でも、購入することじゃありません。でも、まず婚資(mali)を手に入れることは、規則です。私に、もう一人、妻を手に入れさせて。この人(チャリ)に相棒をもたせるんですよ。これが手鍬(妻)を増やすということです、お母さん。つきましては、婚資です。 さて今、私がこのヤギをここで屠り、さらにここで私たちがそれを食べ、さらに私が向こう(キナンゴ)に着けば、私の仕事が、まさにまさに解かれてありますように。最初の頃のように、仕事をして一日を過ごすことになりますように。昼間は、(ピング36や大皿43を)日が暮れるまで書き続け、日が暮れると600シリングを手にできますように。それを家に置いておき、やがて妻を娶って、屋敷に据え、私のものである子供たちを増やせますように。 そう、出産はムルングの領域です。私がいかに泣いて願おうと、ムルングがまずは私のことを考慮してくださらないと。ムルングだけがご存知のことです。

2954

Murina(Mu):(つづき) ムルングがご存知のことです。そしてあなたも、ご存知のことです。今、私は子供たちが欲しいのです。おまけに、あなたこのままではあなたの名前を誰がつけてもらうことになるのでしょう212。もしこの人がまだ子供をもてるのなら、課題は妊娠して子供を産むことだけです。これこそ私が望んでいることです。あなたのヤギはこれです。今日私があなたのために連れて来ました。ヤギを、このヤギをどうぞお取り下さい。 Chari(C): うう。さて私がお話いたします。このような時間にお話することもなかったでしょう。私は、お母さん、あなたのためにお話いたします。私はあなたを存じ上げていません。でもあなたは私を知っておられます213。あなたは前方の確実性(hachi)のなかに行かれた。私はといえば、まだ後方の空っぽ(ubatili)のなかにおります。私はここにやって参りました。なぜ乞い祈りにやって来たのか?私は病気に捕えられています。それも長い年月。病気を私たちは治療いたしました。その挙句、病気は、なんと癒しの術の祖霊に由来するものでした。私は、お前はお前の氏族に属する癒しの術を継承することが望まれているんだと言われたのです。

2955

Chari(C): 私はたしかに参りました。布(nguo214)を差し出しに参りました。というのは、(当時)ここへは布を持って来たのです。私は平安を祈ります。癒しの術(uganga)が外に出てきて、病気が小康を得るようにと。ああ、私は唱えます。さらに私はこう言いました。「私は欲します。もし本当に癒しの術が私に望まれているのであれば、癒やしの術が出てきますよう願います。そして癒しの術が出てまいりましたら、私は私自身(ムブルガ占いに用いる)キティティ(chititi204)を打ち鳴らします(ムブルガ占いをします)。そして私がヤギを買うまでになりますように。そしてそのヤギが雄の仔ヤギを産めば、私はその仔ヤギを連れてここに参ります。それこそが私の癒しの術がもたらしてくれる恵み(shukuru215)なのだと私に教えてください。」私の記憶では、(最初の)ヤギは確かにキナンゴに買いに行きました。私は引き続き(癒しの)仕事を行い、ついには私の住む辺りではまるで「チーフ」のようになりました。信じられないほどのお金を手にしました。このヤギの母ヤギも、そのようにして買ったのです。そのヤギは仔ヤギを産みました。記憶では、8回妊娠出産しました。 今日、今では、病気は立ち去ろうとしません。さて、私たちはもしかしたら、私が今ここに来てした話(次はヤギを持ってくると約束したこと)のせいじゃないかと話し合いました。私の見るところ、祖霊が、まるで自分たちは騙されたみたいだ(と思っている)せいだと。

2956

Chari(C):(つづき) そこにきて、今では私は妖術使いたちに集りまくられているのよ。さらに私の癒しの術はムズカ(muzuka23)に持っていかれて悪しき祈願をされ(salatwa216)、もはや私には癒しの術はこれっぽっちもない、などと言われている始末。私が経験するのは苦難と困難ばかり。腹はますますひどくなった。腹の中の(ゴロゴロいう病気)ジョカ(joka208)も、ますますひどい。もはや人間らしい健康(mamura)は私にはありません。 今、いますぐよ、私はあなたに仕事をあげます。私の仕事を解きほどいてください。私の仕事が気に食わないというあいつ(妖術使い)は、あなたが彼の面倒を見て。私の仕事が嫌いな奴ら。私の仕事で、私は何を望んでいるんでしょう? 私は癒しの術を手に入れて、稼いで収入を得ること。私はヤギがほしい、私はウシが欲しい、私は鶏が欲しい。私は、ヤギをもたらし、ウシさえももたらすそんな鶏が欲しい。そしてウシこそが、人間をもたらすもの。あなたの義理のお父さんたち(bevyalazo217)、あの長老たちは人間を買ってたって言うじゃない。奴隷を買っていたと。もし人々がちゃんと稼いでいたなら、買われていくなんてことがあったでしょうか?どうかあなた、仕事を解きほどいて、そしてこの身体を解きほどいて頂戴。

2957

Chari(C):(つづき)それに私のいるところよ、お腹の中にいるこのジョカなのよ、まるで胎児みたいなのよ。私はまだ子供を産んでもおかしくない、成人よ。もっと年取った年配者そのもので、まだ子供を産める人たちもいるのに、今は、この理由(ジョカのこと)が来たら、来て懐妊し早産。子供を懐妊する、そしてお腹のなかで消えてしまう。となると病人そのもの、今日に至るまで。子供は妊娠7ヶ月目まで進んで、(姿を消し)病気がビュッ(phyu: 入ってくる様を表す擬態語)って。 今日は、もしあの子供を消したのが、あなただったのなら、今はただお願いします。子供が腹の中で成長しますように。あのジョカがあなたが、ヤギが欲しくてやったことだったのなら、今は、私は健康が欲しい。私は健康と、私の仕事が解きほどけるよう願います。さらに私があちらの屋敷で考えておりますあれこれが、(思ったとおりに)上々に実現しますように。そして私の仕事が、一層解きほどけますように。健康こそ私が欲しいものです。チャリとムリナの癒しの術を嫌っている奴らですが、あなたが相手しに来てくださいね。

2958

Chari(C):(つづき) 私たちは人に対して罪は犯しておりません。また私たちはムズカ(muzuka23)に行って、誰に対しても、収入を得ることがないようにと悪しき祈願をしたこともありません。私たちは私たち自身が得た生活の糧を食べております。今日、今、私は確言します。私に、病気をこの場に捨て去らせて下さいと。 これがあなたのヤギです。このヤギは私自身があなたにお約束したヤギです。分別あっての約束です。今こうして、私自身がそれを持って参りました。あなたの布(nguoyo ムルングの布214)と、端切れ(videmu141)もいっしょに。あなたのヤギをお受け取りになり、お食べになりますように、お母さん。あなたは私に面識がありません。私もあなたには面識がありません。でもあなたは私のことをご存知です。なぜなら私があなたの息子を(夫として)持っていると言える人なら、私を知っていることになるからです。あなたの息子、ベヤワこそベヤワ・ベンジンゴ・ムリナに他なりません。なぜ、ンジンゴの姿が見えないのでしょう(「子供名」についてを参照のこと)。彼はベンジンゴと呼ばれているだけです。さあ、どうしてンジンゴは、お腹の中で腐ってしまうのでしょう?ああ、今は仕事を解きほどいて。仕事を解きほどいて。 Mwachi....(Mwa): そう、もしこの人が癒しの術を絶たれ、癒やしの術が前を通り過ぎてしまったとしたら!どうか彼女に稼がせてあげて、もう一人の妻がやって来れますように。来てンジンゴを産んでくれますように。来てンジンゴと、彼ヤワも産んでくれますように。 C: 私は癒しの術の利益が欲しい。私が「ほら、最高の方(zyele218)がいらっしゃった」と言われるようになるまで。それこそ癒しの術の利得よ。畑を耕しても、もはや何も手に入らない。カボチャはカチカチに干からびてる。実をつけない。ああ、私はワリ(wari165)が欲しいわ。あのワリが。トウモロコシこそ、お金をしっかり置いてくれるもの。そしてお金が子供たちをもたらします。

祖霊にヤギの肉とワリを捧げ、墓石に端切れを巻き、地面にムルングの布を張る

2959

Murina(Mu): さて、布はこれらです、お母さん。今日、今私はあなたに布を差し上げます、今日。布はこれらです、お母さん。どうか、私のためにお解きほどきください。さらにあいつら、大急ぎでことを続けている妖術使いども。やつらが負けを知っているのなら、負けてしまいますように。私が、涼しい風に打たれますように、そして私のもとにいる人が、涼しい風に打たれますように、そして私の眷属たち201が涼しい風に打たれますように。 そしてヤギたち、私のヤギたちが、その度に双子を出産しますように。これこそ私が欲すること。さらに稼いで収入をしっかり得ること。これこそ私が欲すること。私の鶏たちが、排卵したら、孵化しない卵が一つも残りませんように。これぞ、経済。これぞ、経済。

2960

Murina(Mu):(つづき) 今、私はあなたが私を解きほどいて下さることを願います。癒しの術をごらんください。今、私にはまったくありません。癒しの術をまったくもっていません。夢を見ること自体、ない。まったく全然夢を見ないのです。占い(mburuga)に行きますと、おまえの母親の祖霊(k'oma1)のせいだと言われました。 今は、ねえ、あなた、お母さん、私を解きほどいてくださいよ。私はあなたに今、布を着せてあげました。さらにあなたに涼しい日陰(墓地の上に広げて張った布)を差し上げました。あなたは私が仕事が解きほどけて欲しがっているのをご存知ないのですか?あなたは私が良く過ごし、良い場所にいたいというのをご存じないのですか?ねえ、人は自分の子供を名付けることで、あなたお母さんを手に入れることにもなるんですよ(「子供名」についてを参照のこと、女児が生まれた際に、父親はその子に自分の父母の世代に属する女性親族の名前をつける。当然母の名前も。娘が3人いれば、その一人は父の母親の名前を持っている、って感じだ)別の解釈。 現在私には婚約者(wende219)いますが、まだ子供そのもの。でも極め付きの婚約者です。でも婚資はどこに?婚資を貯めるのは他でもありません。私とチャリです。 だから、さあ、私たちに婚資をくださいよ。私たちに婚資を与えて。

[別訳]: "mutu uhatsa mukpwakpwe, akenda pata we mayo"の訳だが、別の解釈も可能。まず動詞"ku-hatsa"は「命名する」という以外に「祝福する」「心の中の凝り(mufundo)を口に出すことで解消する」「祖霊に対して語る」などの多様な意味を持っている2。これが第一点。"mukpwakpwe"は"mutu wa kpwakpwe"「彼の属する場所の人間」ということで狭くは「彼の屋敷の眷属」広くは「彼の氏族の成員」を意味する。さらに"akenda pata we mayo"の"we mayo"を目的語ととらず、呼びかけと捉えると、つまり"akenda pata, we mayo"とすると、この文章の訳は「人は、自分の(死んだ)親族に(墓で)、語りかけをすると、富を手に入れるものですよ、あなた、お母さん」となる。コンテクスト的には、この訳でも問題ない。このサダカでも、誰もが富を手に入れることを願っている。しかしムリナの場合、より切実な願いは自分の子供をもつことである。現在彼の屋敷にいる二人の娘は、チャリが前夫とのあいだにもうけた子供であり、ムリナはまだ自分の子供をもっていない。万一自分自身の子孫を持たずに死ぬと、祖霊にすらなれず、忘れ去られてしまう。これはドゥルマの人々にとっては最も恐ろしい運命である。癒しの仕事がうまく行き、富が得られることは、その富を婚資として新たな妻を娶り、子供を手に入れる可能性を増大させることである。この「子孫」をもつという究極の望みは、誰もが自分の名前が自分の孫の名前として複製されること願っていることともつながっている。息子との間に不和があり、そのせいで息子が自分の名前を孫につけてくれないようなことがあると、大きな不幸である。ムリナが子供をもつことは規則で定められている通り、第一子(男児だとして)にはンジンゴ、それ以降はンジンゴの年少の兄弟の名前を順次つけていく(ンジンゴの次に男児が産まれると、その子はヤワと名付けられるだろう)。女児を産めば、同様に規則にしたがって自分の父母の世代の女性の名前がつけられていくだろう。そして自分の母の名前で名付ける娘も生まれてくる。このコンテクストで考えると、ムリナが子供をたくさん持てるようにすれば、ムリナの母は自分の名前がその世代の子どもの中に再生するのを見ることになる。それは死者にとっても喜ばしいはず。という訳で、この2つの解釈はともに筋が通っているわけだが、このサダカでムリナ夫婦によって語られている最大かつ究極の問題が、二人の間に子供が生まれないという問題であることを考えると、本文で採用した翻訳の方がより適訳であると思われる。 2961

Murina(Mu):(つづき) さらに、その(新しい)妻に屋敷に来てもらいましょう、その子に。屋敷にやって来たら、私はあなたのところに連れてまいります。そして「さあ、この子があなたの眷属201ですよ、あなた」と言わせて下さい。御覧なさい!これぞ良きことじゃないですか。私は二人の妻(眷属)を持つことになります。 今日、私を彼女に会いに行かせてください。そう彼女に会わせて。彼女に会ったら、もうやって来ますよ。あなたに紹介しに来ます。婚資(となるヤギ)がやって来れば、あちらにそのヤギたちを残して、(ヤギたちは)メエ、メエ。あちらでは片や、別のヤギたちには陣痛が。だとすると事態はとっても順調そのもの。 しかしながら、現在、どうして私は貧しいのでしょう。ごらんなさい、別のやつら(妖術使いたち)は、ムァキジェンベ(Mwachijembe: Ndavaya locationにある場所の名)までも、私のために(私をやっつけるために)薬(muhaso)を探しに行ってるんです。「こいつはどうやって(財を)手に入れやがったんだ?」(と妖術使いは嫉妬する)。やつらをぶっ叩いて、目を潰してしまえ。目を潰すのは、あなたの得意とする仕事ですね。やつらをぶっ叩いて、したたかにやつらの目を潰して、やつらが思い知るように。ついには彼らが私から手を引き、私が徹底的に健康そのもののままでおれますように。

2962

Murina(Mu):(つづき) まずは私が家に着くと、あの連中が、嘘じゃなくって(私が願ったとおりに)、私が相変わらず順調なのを見ることになって、私の方は、奴らが全員コンベレザ(kombereza197)に罹っているのを見ることになりますように。さらに(彼らの所持する)薬(muhaso26)が効力を失って、奴らがそれを投げ捨てますように。その後は、彼らがその企てを完全に放置しますように。これこそ私が望んでいることです。 ヤギ(料理された)はこれです。さあ、私はあなたにワリ(wari165)を差し上げます。ワリを差し上げ、ヤギは私があなたのために連れてきたものです。どうかワリとあなたのヤギをお召し上がり下さい。そして私がここを去った後、そう私が涼しい風に打たれますように。私の稼ぎが上々にやって参りますように。私がつつがなさを手に入れますように。このあなたの息子の嫁が、健康を手に入れ、その腹が鎮まりますように。どうして腹が海の水のような音を立てるのでしょうか。その水がいったいどこからやって来たのかは、わかりません。もしあなた方が、自分のヤギが欲しいということから、それを助長し、さらには緊く締めあげていらっしゃるのなら、あなたお母さんのせいなのなら、まずは今日から解きほどいてください。私の癒しの術を解きほどいてください。

2963

Murina(Mu):(つづき) 私には他に稼ぎはありません。私の稼ぎは癒しの術だけです。私という人間には、他に仕事はございません。私の仕事と言えば、癒やしの術と手鍬(畑仕事)。今は、稼いで収入を得ること、これぞ私が欲することです。今日はワリをお召し上がり下さい。ヤギはこの者(チャリ)が連れてきた、このあなたのヤギです。どうか解きほどいてください。 Chari(C): さて、今から私がお話いたします。私がお話します。私はヤギを連れて参りました、私は。このヤギは私自身が、私の口で、お約束しました。病気のためです。病気は、ますますひどくなり、全然治りません。今もまだ治ったなんて言えないんだから。私は、あなたへの約束として、ヤギとあなたの布を約束しました。今日、今、私はヤギを差し出しました。このヤギは私が約束したヤギです。私はこう申しました。「もし私の癒しの術が、上々にでてきたなら、私は私のヤギを持って参ります。私はヤギを買って、仔ヤギを産ませます。」そしてその通りになりました。そのヤギは産みました。そのヤギは7頭もの仔ヤギを産んだのです。

2964

Chari(C):(つづき) 今日、私はあなたにあなたのヤギを差し上げに参りました。私があなたを騙していたなどとおっしゃらないで下さい。でも今や、あなたは私のことをお知りになり、私もあなたのことを知りました。なぜなら私はあなたの息子を(夫に)もっているのです。あなたの息子とは他でもありません。ベンジンゴです。現在、ベンジンゴなのに、ンジンゴはどこにいるのかわかりません。ねえ、今私たちはンジンゴが欲しい。さらに、腹のなかでうなり声をたてている者が、だまりますように。そしてその者がンジンゴをよこしてくれますように。さらにはヤワも連れてきてくれますように。ねえ、すでにこれは恥になろうとしています。さて今、あなたのヤギとワリ(wari)と布をお受け取りになり、仕事を解きほどいてください。 これから、まず家に着いたら、そこにムァングーダ(Mwanguda: KwaleカウンティのDzomboワード(かつてのLocation)にある村(Village, かつてのSub-location)の名前、とっても遠方)から施術師に会おうとやって来た人々を目にしますように。というのも、以前から私が治療してきた病人たちが、私を拒むようにすらなってしまったので。彼らは私が嫌い。私の名前を耳にしたら、彼らは「(チャリは)妖術使いだ」なんて言うんです。これも奴ら妖術使いたちの仕業です。

2965

Chari(C):(つづき) やつら(妖術使いたち)もまた、端の方に打たれますように。とっとと行ってしまいますように。私は癒しの術が欲しいだけ。ねえ、私が癒しの術を求めているのを知って下さい。ねえ、あなたにヤギをあげたでしょ。私はこの場で癒しの術が欲しい。もう、私は戻ってくるのはいや(再び、つつがなきことをお願いするために)。(ここに)また戻ってくるとしたら、あなたにあなたの息子のあの(二人目の)嫁を(紹介するために)連れてくるときです。癒しの術の稼ぎによる婚資で娶った嫁。あなたがたしかに眷属を欲しておられるんだと、私に示していただけますように。 M...za(Murina's sister Mwanak....の夫(Mza)): あなた、私の義理の母(mutsedza188)よ。私はやって参りました。私は、義理のキョウダイたち(alamu220)と連れ立って参りました。そうあなたの娘ザメ(Dzame: Mwanak....の本名(クラン名))を通しての義理のキョウダイたち(Mwachi....やMurinaたち)です。あなたのザメ本人です。私はあなたには面識がありません、そして今もあなたのことを知りません。でも今、私はあなたを知っています。誰に関してでしょうか。あなたの娘であるところの私の妻、ザメに関してです。ザメこそ私の妻なのです。そして私がここに参りましたのは、あなたのこの場所で、力(体力)を乞い祈りに参ったのです。先日も私はここにいて、語りかけに参っておりました。でもまだ状況は明るくしてもらえていません(好転していません)。でも私は明るくしていただけることを欲しています。

2966

M...za(Mza):(つづき) ムルングが私がどうなるか計画されているとおりに、私はさらに私のための計画を進めて、私にヤギを手に入れさせていただけるよう、そして私がここに(ヤギを連れて)やって来れますよう願います。私も友人たち(ムリナたち)のように出て参りたいのです。私は私を解きほどいてくれるつつがなきことを乞い願います。私の家に到来したあれらの諸問題を、どうか防いで、脇に追いやって下さい。そして私が計画しております、生活の糧を私にもたらして下さい。もっともっとやって来るように。そして来月が終わってしまうまでに、私にあなただけのためのヤギを買わせて下さい。そしてそのヤギといっしょにここに来させてください。 私はヤギそのものが買いたい。私は仔ヤギは買いたくありません。だって仔ヤギを買ったら、しばらく置いておかねばならないじゃないですか。私はたとえ300シリングでも、(成獣の)ヤギが買いたい。ただちに、ここにここにヤギをもってこれるのでなければ。やって来てあなたに差し上げ、私も私の義理のお母様ともども、喜びます。あなたのヤギを差し上げに来て、あなたに布とともに食べていただくように。

2967

M...za(Mza):(つづき) わが子たちを解きほどいて、彼らが涼しい風に打たれますように。私の妻が涼しい風に打たれますように。私自身にもたっぷり、そうして下さい。あちらの(M...za氏の)屋敷が、まるであなたご自身の屋敷であるかのようで、ありますように。人は子供を産んで混じり合うものだと、私は知っておりますから。今、私たちは子どもたちを混じり合わそうではありませんか。あなたは私を知りませんし、私はあなたを知りません。でも今は、一緒に混じり合います。あなたが私を見ると、ほら私の義理の息子(mutsedza)だわと言い、私も、ほらお母さんだと言います。どうか私を解きほどいてください。サラマ、サラミーニ。私はあなたと争いはありません。私が収入を手に入れるよう模索します。どうかさらに多くを手に入れさせて下さい。

最後にMwachi....氏が締めくくりの語り

2967

Mwachi....(Mwa): さて、あなたお母さん、私は多くは申しません。私はずっと以前からこの屋敷(の主)です。あなたが埋葬されて以来、私はずっと続けておりました。あなたの服喪(熟した服喪 hanga ivu10)も、私が中心となって力を注ぎ、私が主宰いたしました。あなたが服喪を乞いに来られたのは、私にですし、あなたは確かに私に力をお与えになりました。私はウシを買い、ウシを買い、さらにヤギも買いました。私が服喪を立ち上げ、無事に終えたのです。

2968

Mwachi....(Mwa):(つづき) そして今、これら若年者たちが、(ひっそり隠れていた場所から)突然狩り立てられ始めました。彼(ムリナ)は自分からやって来ました。でも他にもまだ草ぼうぼうのブッシュにいる(=どこで何をしているのか定かではない)者たちがいます。そして全員、私と同様に、あなたの子供たちです。私はあなたの最初の子供です。 ところで今、私たちはこうしてこのような場にやって参りました。私たちは同じ一つの言葉を話します。つつがなきことを哀願する、それだけです。それと富が手に入ること。なぜなら、稼ぎをがんばり、収入を得、食事をすれば、満腹するものです。そこにいらっしゃるあなただって、何かを乞いにいらっしゃると、それを与えられるじゃないですか。そこにある食事を。もし何もなければ、あなたに何が与えられるというのでしょう。 そう、私はあなたが、(あなたの死後に)生まれた者たちをも、解きほどいてくださるようお願いします。生まれた者たちも、またやがてあなたを養う者たれ。同様にしっかり目覚めた者たれ。私も、一人前の成人として始めました、ああ今や老境、今にも役立たずの老いぼれになりそうです。もはや私には何も物(富)はありません。自分の屋敷をもち、そこで子どもたちを産んだ者が、私はあなたに申し上げますが、彼の時代がやがてやって来ます。

2969

Mwachi....(Mwa):(つづき) 私どもは約束を交わしに来たことがあります。私たちは、私たちは(ヤギをもって)やって参りますと申しました。でもヤギがない!ああ、ヤギはたしかにあったのです。しかしお母さん、さまざまな病気が到来したのです。私の妻のところに。私が到着しますと、ヤギは眷属(mudamu201)を治療するのに使われてしまいました。問題ありますか?危ないところを救われた者は私の眷属。私がヤギを差し上げる(と約束した)あなたも、大切な私の眷属です。問題ありますか?また私がヤギを手に入れればいいだけです。あなたのためにここに連れてくるそのヤギは、まだ手に入れていません。 そして先日、私はあなたに言いに参りました。ねえ、あちらにいる彼(彼女)が治りますように。もし彼(彼女)が治ったら、私の方でも「集会(mitingi=meeting)」(サダカのことか?)を行います。私がヤギを手に入れたときに、私はあちらに彼(彼女)を迎えに行き、彼(彼女)といっしょに参ります。あなたに彼(彼女)のことを知っていただくために。そんな風に約束を交わしました。ヤギは未だ手に入れてません。それどころか彼(女)を迎えに行くためのバス代(tikiti=ticket)すらないのは、どうして?そして先方には、治療代の未払いがあります。

2970

Mwachi....(Mwa):(つづき) ところでですね。(私の子どもたちの内で)一番の年長者はというと、歩けないのです。ゲゲニェ、ゲゲニェ(脚を引きずりながら歩く様を表す擬態語)です。ここの屋敷で、あなたが最後に残して行かれたあなたの(眷属)そのものですよ。なぜこんなに(この屋敷の状態が)悪いのでしょう。ねえ、解きほどいてください。もしあなたの仕業なら。 ああ、今日やって来たのはベムパ・ムリナ221の人々です。ベンジンゴと呼んでいる者です。私ベモセ(Bemose)は、ずいぶん昔にここに参り始めました。今は、穏やかに、穏やかに、どうか私たちをお解きほどきください。私たちがここを去りますとき、健康に去れますように。私たちはこれから小雨季の耕作をいたします。自分の畑を開墾し耕す者に、収獲をもたらし給え。あなたの年長のキョウダイの子供も、年少の兄弟の子供も、私たち全員、平安のうちにここを立ち去りますように。この私たちの客人がここに来てくれたことも、良いことです。なぜなら客人が到来すれば、彼は私たちを満腹にさせるからです。そう、私たちはさらに多くを望みます。この者たちのような客人が3人もいれば、まさにその時こそ人は満腹します。屋敷の主は(痩せて)身体が軽い。やって来て人々を満たすのは、到来した客人たち。え、このことをご存じない?まだそんな話は聞いたことがないと?

2971

Mwachi....(Mwa):(つづき) ンゴンベ・ワ・スンバさんだよ。ンゴンベ・ワ・スンバ。ある屋敷をこんなふうに訪問した際に、その屋敷の人びとが空腹のまま眠るつもりでいる。スンバさんは客人だったんだ。晩になり、人々がそろそろ寝ようかという頃、大量のワリが届いた。彼が、モンバサからトウモロコシ粉を持ってきてくれたんだ。こんなのって良くないか?これぞ経済。私たちだって、もしこんな客人を得たら、ありがたくないかい?(浜本注: ごめんなさい。なんにも持ってきませんでした。) お母さん、ご主人様、私たちを解きほどいてください。私たちがここを去れば、私たちに富を稼がせて。タバコの葉がある(栽培されている)場所では、それが上々に生まれますように。タバコの葉が、上々に生えますように。キャッサバを植える人は、キャッサバがしっかり根づきますように。そのキャッサバは誰のものと知られるでしょうか。誰の子どもたちのものでしょうか。ムリナの子供であるメムベユ・カジネ(ムリナの母の正式名=子供名+クラン名)の子どもたちのもの223。今日は、このあなたのお父さんの名前(をもつ者)本人があなたにヤギを差し上げに参りました。私自身は、あなたの年長の父ですが、ずっと昔に始めました。現在も、私は三度目のサダカにまさに参ろうとしています。ああ、ご主人様、私を解きほどいてください。

2972

Mwachi....(Mwa):(つづき) あれら眷属全員を、解きほどいてください。あちらの屋敷にいる者たちも、その各人を解きほどいてください。ベローチャさえも、解きほどいてやって下さい。先日、ミリティーニ(Miritini: モンバサ郊外の地名)で他人の娘を殴打したベンジラ・ンガシュという者もおります。その件で先日、私も来るように言われました。問題を見に参りました。私にはどうすればよいかわかりません。ただ今は、ムルングに祈ります。 さて例の女性に対する婚資交渉がどうなるのか(undalolwadze)、私にはわかりません。でも私は平和(な関係)は築いてきました。今は、私を解きほどいてください。私が彼女のための婚資を払って224、彼女が屋敷にやって来ますように。彼女も同じくあなたの息子の嫁です。 ラシ本人も、解きほどいて健康にしてやって下さい。そして彼らが行っている仕事も。彼も同様に健康にしてやって下さい。彼らも同じようにここにやって来ることになるでしょう。なぜなら彼らもあなたの眷属なのですから。さて、どのような幸運をでしょうか。先日私は三人の人を手に入れました。ムルングの力のおかげに感謝しております。私に力をお与えください。さらに彼らが私の腕の中に首尾よく入ってきますように。

2973

Mwachi....(Mwa):(つづき) 私に婚資が手に入りますように。すぐさまその婚資を先方に届けます。そして彼らが屋敷にやって来ますように。彼女こそが私の最後の者になると私は思います。ベローチャは婚資を受け取りました。あちらで催促したのです。でも(ベローチャ)本人は来るのを嫌がってます。彼を引き寄せ、来て、ミグンディーニ(地名)で催促したあなたの娘ザメの婚資の返却を求めたいのです。彼は来るのを嫌がってます。婚資はまだあちらにあります。皆に無駄遣いされてしまいます。今、彼を引き寄せ、こちらに来させ、あの婚資を取りに行ってもらいましょう。もし彼が料理してくれる人を手に入れるのだとしたら、その者も収入を手に入れますように。そんなわけで、私にはこれ以上言うことはございません。これだけです。 (続いて、ムリナの母Membeyuの墓に隣接する、ムリナの父キメラの兄の妻の墓に語りかける) Mwa: あなたお母さん(ムリナの母に隣接して埋葬されているムリナの父の兄の妻=大きい母)。解きほどいてください。あなたはワリを与えられました。ベンジンゴ・ムリナが今。彼はあなたに日除け(布)も差し上げます。ワリを召し上がれ。そして稼ぎを得るための道を解きほどいてください。さて、私はこのように欲します。ここに私たちが暮らすようになったら(死んで埋葬されれば)、私たちの子どもたちが私たちにさまざまな品物を持ってきてくれると、知っていたいのです。

2974

Mwachi....(Mwa):(つづき) あなた、あなたの僚妻(mukakazi225)と協力しあってくださいますよう。なぜなら、あなたの方が先輩。そちらにおられて、「どんな風に子どもたち(子孫たち)を育てていきましょうか」と長老の知識を教えあってください。「私たちはこんな風に彼らを育てましょう」と。それこそが良いこと。それでこそ、然るべきときに私たちもあなたを思い出し、鶏を差し上げに参ります、あなた大きいお母様、ご主人様。どうか私たち全員をお解きほどき下さい。お解きほどき下さい。カンガさんと彼女の孫たちもまた、解きほど帰ください。なぜならカンガさんには(他に)道(より良く生きていく術)がないからです。子供が一人しかいない。現在、カンガはあちらに暮らしています。彼女を解きほどいて、彼女が健康でありますように。彼女がヤシの葉の屋根材(kuti226)を編み、金銭を得て、あれらの孫たちを養えますように。彼女の子どもとは誰でしょう?キジさんです。ところで、なぜあなたは、カンガ一人残して終わりにしてしまったのですか。 さて、あなた、ご主人様、私はあなたにワリを差し上げます。あなたの僚妻とご一緒にお召し上がり下さい。さあ、あなた方はここに一緒にお暮らしなのですから、私たち子供を育てる長老の知識をお話し合い下さい。(私の言うことは)それだけです。

考察・コメント

「子供名(dzina ra mwana)」について

まず、このサダカの冒頭の語りでの人物の関係がわかりにくいと思うので、簡単に説明しておきたい。ドゥルマでは正式名称(クランでの名前)に加えて「子供名(dzina ra mwana)」があり、子供をもうけた男女は敬意を込めて後者で指示されることが普通である。第一子の名前に父親はbe(「~の父」を意味する)、母親はme(「~の母」を意味する)を付けてそれぞれ呼ばれるようになる。例えば、Kalimboという男の第一子がMweroという男児である場合、Kalimboは、BemweroあるいはBemwero Kalimboと呼ばれるようになる。厄介なのは、第一子を産む前から、第一子の名前がある意味決まっていることである。例えばKalimboは第一子が男児の場合はその子をMweroと名付け、第一子が女児の場合はNyamvulaと名付けることが期待されている。絶対ではないが、普通はそれに従う。なぜなら生まれてきた子供は、その父親のクランの上の世代(生まれてくる子供にとっては祖父の世代)の名前を付けられるべきで、その世代の複数ある名前(生まれてくる子どもの父親の父親やその兄弟(男児の場合)、姉妹(女児の場合)で名付けられるのが普通であり、その生まれ変わりといった明確な観念はないが、その名前の持ち主との一種の同一化を含んでいる。そして上の世代の名前をどういう順番でつけていくか、についてもクランごとに一定の規則がある。

もちろんこうした規則は絶対ではなく、名付ける男は特殊な事情があれば、ある程度自分の裁量で自分の子供の名前を決めることができる。女児の場合は、さらに名前の付け方の自由度は大きい。

結果として、あるクランのKalimboという男は、第一子に男児が産まれると、その子に自分の父親であるMweroの名前を与え、自分はBemweroとなる。これが通常ということになると、子供が生まれる前からその男の「子供名」はある程度決まっていることになる。

ムリナ氏のクランでは第一子に自分の父親ではなく、父親世代の最年長の兄弟の名前を付け、続いて産まれる男児に、順番に父の兄弟の長幼順に名前を与えていくという規則に従う。というわけでムリナ氏は、まだ自分自身の子供をもうけてはいないが、このサダカの語りの中では(男児が産まれるという前提で)ベンジンゴ(Benzingo)、ンジンゴの父という子供名で言及されている。ムリナ氏の父親の名前はキメラであるので、別のクランの規則でならその長男にはキメラの名を与え、自分自身はベキメラになるところである。

さらにややこしいことに、こうしたクラン名と子供名の他に、あだ名がある。あだ名は存命中のその人の振る舞いや特技などに基づいて付けられるものだが、生まれてくる子供は父親の上の世代の親族のクラン名を引き継ぐときに、同時にその名前の持ち主のあだ名も引き継ぐとされる。というわけでKalimboという男は、最初から子供名はBemweroかBenyamvulaであり、それに加えてンジレ(nzile)というあだ名まで持っているかも知れない。それは彼の属する小リニージの何代か前のKalimboが大きなウシの群れをもった「金持ち」で、ンジレ(ウシの尻尾の房)というあだ名をもっており、それを引き継いでいるからだ。彼自身は超貧乏だとしても。

このようにドゥルマの名前システムはちょっと複雑だ。クラン名だけで済めばよいのだが、クラン固有の男性名の数には限りがあるため(というか少ない)、一つの大きな屋敷だけでもKalimboさんだらけということになり、「どのKalimboだ?」ということになるわけだ。どの父親から生まれたKalimboかで、ある程度絞れる。Komboの息子のKalimboか、Mweroの息子のKalimboか、等々。それでも駄目ならあだ名(dzina ra kudzichirira(自称のあだ名), dzina ra kusirikpwa(他人につけられたあだ名))である。野心のある男なら、自分で編み出したあだ名で、自分が知られるようにと努力するかも知れない。恐ろしげな「薬」を制御できると称して、その薬の名前をあだ名として自称したり。

こうしたドゥルマの名前システムにおける同名の氾濫は、部外者である私などにとっては悩みの種になる。たとえばパラグラフ2936で「ンジンゴが亡くなって、まだ一年経っていない」という発言があるが、どのンジンゴか(つまりムリナの兄弟たちの息子のなかにいるかもしれないンジンゴか、ムリナの父の兄弟のンジンゴか)聞いただけではわからない。(世代的にムリナ氏の父の長兄であるンジンゴ氏の話だろうとは思うが。ムリナ氏の父キメラも、数年前に亡くなっていることを考えても。) ムリナ氏の叔母(ムリナの父の姉妹)の語り(掛け合い)のなかでも、彼女がサダカに来ていないと非難しているチャカは、まさか彼女が酒飲みだと非難した眼の前のチャカとは、当然別人のはず。じゃ、誰だということになる。彼女が挙げているチャカとベローチャはいずれもムリナ氏の実の兄たちで、二人ともモンバサに行ったきり、屋敷には寄り付かなくなってしまっている。ベローチャに至っては当時行方不明であった。ある程度詳しくこの屋敷の構成メンバーについてのこうした予備知識をもっていないと、すぐに部外者には簡単に入り込めない、ついていけない内輪の話になってしまう。なおこのベローチャは後日(同年12月初め)モンバサの病院に入院したとの連絡が届き、12月19日に亡くなった。

さてムリナ氏の兄Mwachi....さんが行っている最初の語りかけ2935のなかで、語りかける相手はムリナ氏の(そしてMwachi....氏の)母親Membeyu(別名Kadzine)さんだが、ムリナ氏はベンジンゴ・ムリナと、つまり「ンジンゴの父ムリナ」と言及されている。ンジンゴという名前はムリナの父の兄弟の一人(長兄)の名前なのでベンジンゴはその父親、つまりムリナの母にとってはムリナの父(彼女の夫)の父、つまり義理の父(Bevyala)で、「お父さん」と呼びかける存在。というわけでベンジンゴ・ムリナは彼女の子供なのだが、ここでは「あなたのお父様そのもの」という風に言及されている。ややこしいでしょ。ムリナの妻であるチャリはムリナの母にとって「お母様」ということになる。 逆に、ムリナにとってンジンゴは彼の息子であると同時に、彼の父の兄(つまりムリナにとっては「大きい父 baba muvyere」)であることにもなる。この名称システムは、このように実際の関係の逆転のような状態を出現させるのだが、人々はこのややこしさをむしろ楽しんでレトリックのように駆使しているみたいに見える。

この「子供名」に絡めてなされている語りかけの機微は2938にも見られる。ムリナたちの父の姉妹(tsangazimi)である女性が、ムリナの兄弟(Father's brother's son)と冗談っぽい掛け合いをしているくだりである。前者が後者の飲酒をからかっているのだが、そこでその男(Cha..)についてムリナの死んだ母に語りかけながら、「ごらんなさいな。あなたのご主人が生まれても、酒のせいで、子供を背負う背負い布を買ってあげようとも考えないような人よ」と冗談ぽくなじっている。彼Cha..に男児ができると、それは彼の父親の世代の親族、つまりムリナたちの父の世代の兄弟たちの名前をつけられることになる。というわけで生まれてきた男児は、ムリナの母の「夫」の名前をもつ可能性がある。そこで「あなたの夫が生まれても」といった言い回しになるのだ。 こうした言い回しは、例えば、ムリナにまだ一人の子供も生まれていないことを逆手に取って、異なる子供名で言及するなどの修辞の形で、2960や2970でも見られる。それぞれの箇所につけた注釈での説明を御覧いただきたい。ただしパラグラフ2960の語りは「子供名」の問題抜きに解釈することも可能(別の解釈)である。私は子供名絡みの訳の方が面白いのでそちらを採用した。

サダカが必要とされた理由

概要で述べたように、今回のサダカの開催理由などは出発前にはあまり詳しくは知らなかった。チャリの癒しの術を妨害しているものの一つが祖霊(k'oma)たちだった。1990年に祖父デレのサダカは終えたが、まだムリナの母親とチャリの祖母(祖父デレの妻)が残っている。今度ムリナの母のサダカをするからおいで、というだけの説明だった。

さてサダカの冒頭で、Mwachi....さんは、このサダカの目的を端的に次のように述べている。「彼(ムリナ)はあなたのお母様を手に入れ(チャリと結婚し)、あなたの同意を得ようと参ったのです」。つまりムリナの母はムリナが結婚したことを報告されていなかったことで、怒り、ムリナたちに災いをもたらしていたのだとの見解である。これはチャリの祖父デレが、最初に災いをもたらした際と同じ理由だ。子孫が勝手に結婚しそれを知らせないときに、怒るというのは、祖霊が起こるデフォルトの理由の一つみたいだ。

しかしこれはチャリが2955で述べている怒りの理由とは異なっている。やはり、私が期待していた通り、サダカの語りのなかでいろいろ明らかになる。 ムリナ氏の最初の語りかけでは、Mwachi....氏が言う通り、チャリとの結婚の経緯を語り、彼の母にチャリを紹介することが中心で、サダカについては約束だったから果たしに来たのだと述べるにとどまっている。

チャリはその最初の語りかけで、彼女がムリナと困難のなか闘病生活を送っていたときに、最初にムリナの母の墓を訪れたことを明かしている。チャリの病気は、彼女の親族のなかに祖父デレから継承されている「癒しの術(uganga)」の継承を彼女自身が求められているせいだとされていたのだが、その癒しの術が外に出てくるように「力を与えて欲しい」と祈るために来たのだった。そして、おかげで、その後チャリは実際に癒しの術を得て、施術師となったと語っている。 その後チャリはキナンゴに移住し、そこで施術師として大成功し、得た収入で初めてのヤギを購入する。そしてそのヤギが出産したら、ムリナの母のもとを再訪すると約束し、今回のサダカがそれであると語る。このヤギの約束をいつしたのかだが、ここではまるで施術師として成功し、ヤギを手に入れたときにしたかのように思ってしまうだろう。

ヤギをムリナの母の墓で提示する際のこの日の2度目に語りかけDB2955では、さらに詳細が語られていて、この思い込みは修正が必要になる。一回目の訪問の折には布だけを捧げに持ってきたこと、その際に、さらにキナンゴで施術師として成功し、ヤギを買い、そのヤギが子供を産んだら、その仔ヤギをもって再訪すると約束したというのだ。要するに、この最初の墓への訪問のときにヤギを約束し、それ以来、ムリナの母の墓へは一度も訪問していなかったわけだ。

なるほどこれなら母の祖霊が、約束が破られた、嘘をつかれたと怒ったとしても無理もない放置ぶりだ。現在、チャリを不妊と重い病気で苦しめているムリナの母の怒りの理由がこれだとムリナたちが思い至ったとしても自然であり、直ちにサダカを開かねばならないという緊急性も理解できる。 それにしてもデレの癒しの術の継承であるのに、なぜデレの墓ではなく、ムリナの母の墓で最初の祈願をしたのか、その理由が私には理解できないのだが。単に近かったから?

明かされる事実

サダカの場では、語りかけをする各人は、それぞれ(およびその屋敷の人びと)の苦境についてあけすけに事細かに語っている。その語りには、自分を取り繕ったり、事実をごまかそうとするところは見られない。これは聞き手がほぼいない、墓場での個人的な語りにも見られる特徴で、例えば「カリサ、祖霊の父親に抗議する」のように、部外者の私にはコミカルにすら思えるほどである。

私的な会話においては(おそらく特に得体の知れない部外者相手の場合)、人はだれもそれほどあけっぴろげではない。日本でと同様、情報の出し惜しみや、隠蔽もあるし、嘘もときに混ざる。たとえば、ムリナ氏とチャリとの結婚の経緯などについては、たずねても曖昧にはぐらかされる感じで、あまり立ち入ったことは聞くべきではない感じで、ほぼ諦めていた。しかしこのサダカでは、ムリナは死んだ母に対して、事実関係を仔細に説明している。

2938~2940でムリナ氏は彼の結婚について語り始める。彼の兄Mwachi....がサダカ開催の理由に挙げた、ムリナが彼の妻チャリをまだ正式に母親に紹介していない件が関係しているのかも知れない。ムリナの母は彼がまだ未婚の少年の頃に亡くなった。やがて彼は結婚し自分の屋敷を持ちたいと思い、母に助力を願った。その結果、彼の父キメラが用意した婚資によってラバイ人199の女性を娶った(nidzilozwa224)。彼の生まれ育った「採石場のそば」村はラバイ人との混住地域にあった。しかしその結婚は長続きしなかった(この最初の結婚の顛末についてはこのサダカの後半、ヤギを提示する際の語りでより詳しく述べられている)。その後ムリナは別の女性を娶った(nidziwala224)。自分は女性に人気があったとムリナは冗談めかして言う。しかし婚資はなく、それは正式な結婚ではなかった。(述べられてはいないが長続きはしなかった(ずっと後に知った話))

そしてムリナはチャリと出会うことになる。これは初めて聞いた話で、私にとってはちょっと予想を上回る度肝を抜かれる話だった。ムリナさん、見かけによらず女たらし?人妻かどわかし事案じゃないですか。チャリの前夫の名前も初めて知ったし、ムリナとチャリの馴れ初めの会話も臨場感たっぷり。

後で知った詳しい話で補うと、チャリの最初の結婚相手ははるか年上の男性で、あまり働き者ではなく、結婚後もチャリが男顔負けの仕事(モンバサ郊外の町で建設業にすら従事していたとか、椰子酒の販売とか、動物の臓物のスープを売っていたとか...)で家計を支えていた。街道からかなり離れた奥地に住んでいたのだが、そこで妖術使いの攻撃を受け、病気になり夫婦で妖術使いから逃れるような形で、ムリナの住む「採石場そば」村にやって来たのである。チャリの夫の方は、妖術によるチャリの病気を、施術師を呼んで治療させる気はなかったらしい。で妖術の治療ができるムリナ氏が手を差し伸べた。

しかし二人の暮らしは、チャリの病気が重くなったこともあり、困窮のきわみだった。二人と知り合ってすぐに、チャリが癒しの術を最初に「外に出し(kulavya nze3)」てもらうきっかけとなった重病と戦いながらの当時の暮らしについての話を聞いたとき、二人がその頃、まるですべての親族から切り離されて孤立した状態で、貧困を生きていた(ドゥルマではまず起こり得ないと思われること)らしいことに違和感を覚えたのだが、その理由がわかったのは、このサダカでの語りによってだった。

このムリナ氏の語りに見られる、隠し事ぬきのすべて話ます的語りは、他の語り手にも共通する。それぞれの屋敷について私はまったく知識がないので、誰について話しているのかもわからないけれども、親族内部の内輪喧嘩みたいな、ちょっとスキャンダルめいた話までしれっと話してしまっている。この正直さはなんだろう。同じ小リニージのメンバーだから内輪の集まり、私みたいな部外者がいてもどうせドゥルマ語そんなにわかってないだろ、の気安さのせいかもしれない。

普段の会話の場での(とりわけ妖術告発絡みの話のときなどはピリピリするほどの)いろいろディーテイルを隠した慎重な語り口と、このあけっぴろげな語り口の違いはどこから来るのか。私もわからないけれど、今、一つの可能性がひらめいた。

これは祖霊に向かっての語りである。そして人々は祖霊について「あなたは前方の確実さ(真理)のなかにいらっしゃる227」と繰り返し語る。このことから思いついたのだ。この表現 mbere za hachi はもともとはスワヒリ語のイスラム教的言い回し mbele za haki で、単に「神の御前に」あるいは「神の裁きの前に」を意味しているのだが、ドゥルマではそれを上のように訳したくなる理由がある。というのはその後に、必ず、「私たちは後ろの、虚無のなかにいます」といったフレーズが続くのである。死者と生前面識がなかった人は、「私はあなたのことを知りません。しかしあなたは私のことをご存知だ」と繰り返す。つまり、ドゥルマ的には「祖霊」はなんでも知っているので、祖霊に対して隠し事をしたり、嘘をついたりしても意味がない、ということなのではないだろうか。その割には、祖霊は約束をすっぽかされると、怒って災いを送ってきたりするのだが(約束が叶えられるかどうかまではお見通しじゃない?)。

ともかく部外者の私にとってはサダカは、知らなかった真実がポロリと明かされることがある、とてもありがたい機会なのである。

チャリとムリナの苦境

1989年の段階でムリナとチャリの夫婦が直面していた大きな問題は、3つだった。(1)チャリの健康問題、(2)チャリとムリナの間に子供ができない問題、(3)施術の顧客の減少。

健康問題

「ジャコウネコの池」に転居してきた当時には小康状態にあったチャリの健康状態は、1988年になって再び悪化したという。心臟(心臟が「破裂する」つまり動悸のはげしさ)、腹部(水が溜まっているようなゴボゴボする音がして、さまざまな障害があり、食事も進まない)がその主な症状なのだが、1991年には、すっかりやせ細り、また頻繁に失神するようになっていた。

チャリとムリナとの間に子供ができない問題も、時が経つにつれて深刻さを増した。サダカの冒頭でムリナの兄Mwachi....氏は、ムリナが未だ自分自身の子供を手に入れられずにいることを最大の問題として提示している。チャリは、自分の年長の姉はいまだに出産しているのに、年下の自分はすっかり妊娠とは縁がなくなったと嘆いている。さらにチャリはこれを自分の腹の病気、お腹のなかで音を立てて動き回るジョカ(joka208)のせいにしている。それはまるで胎児のようであり、ジョカが来ると妊娠していたと思っていても腹の中の子供が急に消えてしまうのだと述べている。

不妊

この腹の病気と妊娠の失敗は、1989年にすでに月のカヤンバで触れられ、同年のシェラとライカを外に出すンゴマでも、腹のなかで子供が消えるのは憑依霊ゴジャマ(gojama47)とジネ・ツィンバ(jine tsimba228)に食べられてしまうのだと語られている。翌年初めのチャリの祖父デレに対するサダカにおいても、チャリは妊娠したと思うと、腹の中でいなくなってしまう子供について嘆き、ムリナも子供を腹の中で腐らしてしまう、あるいは隠してしまうのが何かと問うている。

この問題は、今回のムリナの母に対するサダカが行われた1991年には、チャリの健康の悪化もあってより深刻化し、新しい局面に差し掛かっていたように見える。チャリはこの問題を自分の病気と一体化してとらえ、腹の中にいる何か(ジョカ)の形姿のイメージに収斂しつつある。一方、ムリナはチャリのお腹の中を調べることはできないと若干突き放し、チャリ自身の妊娠を望むとは言いつつも、第二夫人を娶り若い妻に子供を産ませるという形で自分の子供を手に入れる方策に切り替えようとしている。しかしこれについてチャリはどう感じ、考えているのだろうか。

この問題にムリナがチャリ以上に必死であるのは、理解できる。この地方では子供をもうけずに死んだ男は祖霊になることができず、焼けぼっくいとともに埋葬され、人々からは忘れ去られてしまう運命にある。これは男が考えうる最悪の運命の一つなのだ。そしてムリナには当時、まだ自分自身の子供が一人もいなかったのである。

施術の仕事

3番目の問題は相対的である。チャリはモンバサ街道沿いの町マリアカーニの施術師のもとで2回目の「外に出る(kulavya nze3)」ンゴマを受け、新たに憑依霊ドゥルマ人(muduruma63)と憑依霊世界導師(mwalimu dunia229)を正式に外に出した233。病気も軽快しており、施術上の母との葛藤から、夫婦でキナンゴ・サブロケーションに移り住み、「ジャコウネコの池」のポンタ氏(仮名)の土地に「客人」として住むことを認められた。1986年のこと。それからは占い(mburuga240)がよく当たるという評判で、連日夕方まで行列ができるほど(と言われていた)の客で、施術の収入も多かった。このサダカでムリナ氏も述べているように、彼はその富から「長老」と尊敬され、まるで揚げ団子菓子(kalimati203)を買うようにヤギを買ったという。チャリも「ジャコウネコの池」に来た当初は「信じられないほどのお金を手にしました」と述べている。

「ジャコウネコの池」に来て以来、ニューフェイスの施術師がときに得る絶大な人気をチャリも味わっていた。そうした初期の人気にはすでに陰りが見えていたとは言え、1991年の時点でも、二人は忙しく施術の仕事をしていた。しかしチャリが病気でその治療にお金がかかるうえ、畑仕事ができず、食料はすべて買う他ないという状況では、彼らが、当初に比べてすっかり貧しくなったと思ったとしても無理はない。

問題の変質

すでに1990年1月の祖父デレの墓でのサダカの折にも、さらには1989年9月の月のカヤンバにおいても、この3つの問題はあった。

1991年9月にチャリたちと再会した私の目には、はっきりした悪化は、チャリ自身の健康問題だった。すっかりやせ細り、見る影もない。再会した日から数日間の日誌に記された、この間の闘病についてのチャリによる簡単な説明によると、1990年3月に行ったシェラ(shera71)・憑依霊ディゴ人(mudigo104)・ライカ(laika75)に対する「外に出すンゴマ」のやり直しと、その失敗の結果の病気の悪化、さらに5月に入って「キブリの妖術(utsai wa chivuri)」による攻撃で死の淵をさまよい、その治療後も健康は戻らず、占いの結果、さらに妖術使いによって彼女に魔物ジネ・ムァンガ(jine mwanga57)を打ち込まれていたことが判明、今もなお血を吸われ続けている、といったことがわかる。

チャリの病気の治療のためにお金を使い尽くし、ヤギも売り払い、屋敷にはもう何も残っていないとムリナは嘆いていた。

健康の悪化のもとでは、当然、妊娠の可能性が大きくなるわけがない。これは私の近隣の人々の噂にすぎないのだが、ムリナ自身に日本風の言い方をすれば「子種がない」のだとおっさんたちは陰で噂していた。彼には数度の結婚歴(正規、非正規を含め)があったが、一人の子供もできていないというのだ(どうやって確認したのかと問い詰めたいところだが)。

またチャリが病気がちでは、施術師の仕事も滞りがちになることがあるかも知れない。施術や占いを求めに来た人が、チャリが小屋の中で臥せっていることで諦めて帰っていくということも、しばしば目にした。

つまり悪化したチャリの病気が、残りの2つの問題も同時に悪化させていることがわかる。という訳で、私はとりあえずチャリにキナンゴの病院に行ってみるように勧めるが、それはできないという。病院で注射を打たれると、彼女のもっている憑依霊たちが怒って病気にするので行けないのだと。1991年の時点では、チャリの病気を治す近代医療的代替手段が(憑依霊のせいで)封じられて、チャリたちは従来のやり方で病気に立ち向かうしかなかった。ああ。

[【閑話】] そんなチャリが施術師になって初めて病院に行く気になったのは1994年3月のある日だった。 1993年頃からキナンゴに病院でクリニカル・オフィサーとして働いていた人々が退職し始め、そのなかには退職後自分で個人の診療所を開き始めた人もいた。そちらがキナンゴ病院よりも人気を博していた。1993年にタイタ人のジョージ氏がまず開院し、翌年ドゥルマ人のバンディカ氏が開院したが、後者はことに評判が良かった。最低でも診察料が200シリングもかかるのだが、病院が有料(まずは20シリング)になって以来、多くの人々はキナンゴ病院よりもこちらを好んでいる。 理由1:個人病院の方が薬が豊富。キナンゴ病院にはろくな薬がない。人々の噂では、どうも病院のスタッフが薬の横流しをしているんだとか、おいおい本当か? 理由2:バンディカは同情心があり、金のない患者の診療も受け付ける。ツケで。キナンゴ病院ではツケはきかない。金が払えなければ、薬ももらえない。 理由3:バンディカに対しては(ジョージも)ドゥルマ語で症状を訴えて理解してもらえる。 スワヒリ語では症状の微妙なニュアンスは伝えられない。

ところで、クリニカル・オフィサーであるが、実は正式な医師ではなく、2年の医療カレッジ教育のみでその職に就くことができる。キナンゴ病院には正式な医師はモンバサから週に何日か来る医師が一人いただけで、ほとんどの医療行為はこうしたクリニカル・オフィサーが行っていた。人々も彼らを普通に医者(daktari)と呼んでいた。うーん、大丈夫かなと思わないでもないが、経験豊富なので大概の病気には対処できるのかも知れない(私も何度かお世話になったが、無問題)。

(1994/03/07, Mon, kpwalukaの日誌より)

調査地滞在もあと一週間ほど。テープの書き起こしとそのチェックに今日も追われる。ノート2冊分入力(浜本注: 単1電池8本連結の電池ボックスを自作し、この年度の調査からノートパソコンを持ち込むことが可能になっていた)。もう飽きてきた。...ムリナとチャリがキナンゴに行く途中で立ち寄ってくれる。昨日の疑問点をさっそく聞くことができた。チャリはなんとキナンゴのプライベート病院(ジョージの)に行くという。病院に行くのは、muganga185になって以来初めてだという。どういう気持の変化なんだろう。ついて行きたかったが、ノートのレビューの最中なので断念。....4時ごろ、ちょうどカタナの書き起こしノートをチェックしているところに、チャリたちキナンゴから戻る。チャリは注射を打たれたと言って、やや興奮気味。前日、注射を打つむね、nyama170たちには了解をとっておいたとのこと。

霊たちが注射もいいよと言ったので、この日がチャリたちの「病院記念日」。それにしても憑依霊、了解をとっておいたというが、返事はちゃんとあったのだろうか。ともかく、それからはときおり利用するようになった。と言っても1回最低200シリング(その年1ケニア・シリングは約3円だったと思う。人々の主食となるとうもろこし粉2キロ袋が25シリングくらいだった。)は結構きつかろう。 [【閑話休題】]

というわけで、チャリたちが直面している問題状況の悪化はあきらかなのだが、内容そのものには大きな変化があったわけではなかった。大きな変化は、こうした問題を引き起こしている下手人についての想定である。問題は私がフィールドにいなかった1988年に始まっている。1990年1月23日~24日のサンブルでの祖父デレ(Dele241)のサダカに際して、チャリから聞いたその背景情報によると、上記の3問題について占いに諮問した結果、祖父デレの祖霊のせいであることがわかり、チャリは牡ヤギを供犠することを約束したとされている。占いは同様な結果を出し、屋敷に起きたさまざまな怪異もデレの仕業だとされた。こうした祖霊の督促は1990年にはいっても繰り返され、今回のサダカは、のびのびになっていたこの約束を果たすためのサダカだと説明されていた。実際には、チャリはムリナと一緒になり重病を経験するなかでデレの癒しの術を継承することになるが、その際にもヤギを約束しており、またその後もまだ存命中だったデレの娘で、チャリの母であるムワカとともにデレの墓場で、ヤギを約束したこともわかっている。ずいぶん以前からの返済がのびのびになっていた負債だったのである。

しかし1989年の「月のカヤンバ」では、施術の不調とチャリの不妊には近隣の嫉妬深い住民による妖術の疑いもほのめかされている。これに対してチャリ(=憑依霊ジンジャ導師)は答えることを拒んでいる。そもそもこの月のカヤンバは、これらの問題(とりわけ施術の不調)は、ムルングや憑依霊ドゥルマ人らだけが「外に出され」ていることに嫉妬し、自分たちに「仕事」が与えられていないことを恨んでいる他の憑依霊たちの仕業とも考えられており、それらの憑依霊、憑依霊ディゴ人やシェラやライカ(これらは1回のンゴマで同時に「外に出す(kulavya nze3)」ことができる)を「外に出す」ンゴマを12月に控えて、その実施をそれ以外の他の憑依霊たちに知らせる目的のカヤンバであった。そしてその「外に出す」ンゴマの当日には、再びチャリの不妊の件が持ち出されたが、それに対して出現していたジンジャ導師は、チャリの腹の中の子どもたちを「食べてしまっている」奴らは憑依霊ゴジャマとジネ・ツィンバであると明かしている。

この時点では祖父デレに対する負債もまだ返せておらず、チャリたちが直面している問題を引き起こしているエージェントの正体については複数の疑いがあり、いまだ確定していない。これが1989年9月~1990年1月における状況である。そして1990年1月24日のサダカで祖霊デレとの和解が成立し、問題のエージェントの候補からとりあえず外された。その後、チャリは失敗と判断された1989年12月の「外に出す」ンゴマを別の施術上の父と母のもとでやり直すも、それも失敗し、その後チャリは生死にかかわる大病を繰り返し患い、そのいずれもが妖術使いによる攻撃によるものだとされた。これまでも、その可能性が繰り返しほのめかされていた妖術が、にわかに大きな比重をしめるようになったのである。

しかし、この時点で負債を負ったままになっている祖霊がまだ二人いた。ムリナ氏の亡母、およびチャリの祖母である。決定的な一歩を踏み出す前に、少なくともムリナ氏の亡母に対する負債を返しておく必要があった。それが今回のサダカだったのである。

注釈


1 コマ(k'oma)。「祖霊」。祖霊は夢に現れてさまざまなメッセージを子孫に伝える。祖霊は子孫に対して様々な要求を課し、それを夢にあらわれて伝える。無視していると災いを送ってくる。憑依の文脈では、祖先に強力な施術師がいた場合、その持ち霊を子孫が継承し、施術師になる場合が多い。祖霊自身がそれを要求しているのだとされる場合もある。祖霊の要求をすぐに叶えることができない場合は、夢を見た者は、明け方、あるいは夕刻に小屋の戸口(あるいは死者の墓で)クハツァ(kuhatsa2)という行為をおこなう。水で溶いたトウモロコシ粉を巻きながら、今は余裕がないので待ってほしいと祖霊に許しを乞うのである。子供を残した者のみが死後、祖霊になる。子供を残さずに死んだものは、埋葬の際に火がついている木の枝(直前に水に入れて火を消される)を、その背中側に置かれ、「お前は子供を残さずに死んだ。これがお前の子供だ。やって来て人に夢を見せるな」と唱えられる。k'omaという言葉はドゥルマ語では「夢」ndoso の同義語でもある(ディゴ語では「夢」の意味では用いられないようだが、ドゥルマ語にはない「狂気」という意味もある)。コマの観念についての概略は浜本, 1992,「ドゥルマにおけるコマの観念」『九州人類学会報』Vol.20:30-51参照。ちょっと古いけど。 ↩ ↩ ↩
2 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊に語りかける」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze3)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele4)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo9))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。 ↩ ↩ ↩ ↩
3 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
4 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)5であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。 ↩ ↩
5 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba6)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)7や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)8ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。 ↩ ↩ ↩
6 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。 ↩ ↩ ↩ ↩
7 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」5を参照されたい。 ↩ ↩
8 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」5を参照されたい。 ↩ ↩
9 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをクハツァ(kuhatsa2)と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。 ↩
10 ハンガ・イヴ(hanga ivu)。直訳すると「熟した服喪」。死者のハンガ・イツィ「生(なま)の服喪」11の数年後に開催される。父系親族集団(ukulume12)はクラン(mbari)、ムランゴ(mulango, 「戸口」を意味する)、ニュンバ(nyumba, 「家、小屋」を意味する)、ムジ(mudzi13, 「屋敷」を意味する)に分節するが、ハンガ・イヴを開催するためにはニュンバレベルの話し合いで許しを得る必要がある。ハンガ・イブにはいくつものダンスや演奏集団が招待され(最近では車のバッテリで音響システムを駆動するディスコも人気だ)、主宰者の屋敷の周囲の広い敷地が会場になる。広い範囲から客が集まり、出店や簡易食堂なども出され、徹夜で賑わう。かつて(30年ほど以前)は、ハンガ・イヴを開催して初めて死者の財産や残された未亡人の相続が行われていた。死者の霊(祖霊 k'oma)に対する供犠は、ハンガ・イヴを開催したあとでしかできなかった(今日でも)。祖霊のもっとも執拗な要求は、早く自分のハンガ・イヴを開催せととの要求である。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
11 ハンガ・イツィ(hanga itsi)。死者の埋葬後、クランごとに日数は異なるが、死者の親族は数日にわたる喪にに服する。これがハンガ・イツィ(hanga itsi, 直訳すると「生(なま)の服喪」)である。死者の屋敷の人びとや近親者(enye afererwa)はこの間、椅子、寝台の使用が禁止され、地面の上で起居する。大きな動作や大声も禁止され、すでに身内を失った経験のある者によって別火で調理された食事を食す。この間、アトゥイ(atuwi, sing.mutuwi)と呼ばれる弔問客たちは、死者の屋敷で賑やかに飲み食いし、連日屋敷の前広場では近隣の男女によってキフドゥ(chifudu)と呼ばれる卑猥な内容の歌と踊りが催される。最終日の「水に寝る日」の夜明けに死者の遺族たち(enye afererwa)は男女別に水場まで行列し、そこで水で洗い清められ、死者の配偶者は屋敷で「巣立ちkuuruswa」と呼ばれるてつづきにより、寝台と椅子の使用が解禁される。なお死者が憑依霊を多く持つ施術師であった場合は、服喪の期間中毎晩、キフドゥなどとは別に死者のもっていたムコバ(mukoba6)あるいは瓢箪子供を囲んでカヤンバが演奏される。このカヤンバも「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」と呼ばれる。この「生の服喪」の数年後(残された集団の財力に依存する)、盛大な「熟した服喪 hanga ivu」が開かれる。かつては死者の財産や未亡人の相続は、熟した服喪の後に行われた。 ↩
12 ウクルメ(ukulume)。父系クラン。mbari ya kulume とも言う。母系クランは、ウクーチェ(ukuche)あるいはmbari ya kuche。ドゥルマはミジケンダの9グループのなかで、隣接するラバイと並んで二重単系出自のシステムをもつ。14ある父系クランはMwamweziおよびMurimaと呼ばれる二つのグループに分かれ、それぞれが7つのクランからなる。MurimaにはMwabeja, Mwanyota, Mwamukala, Mwalikuta, Mulaire, Mwachenda, Muchandaの7クラン、MwamweziにはMwadzine, Mwakai, Mwayawa, Muphande, Mwamundu, Mwatsangari, Mwachingodzaの7クランが属する。かつては父系的に継承されるのは土地とそこに生えている樹木、弓矢のみであった。家畜その他の動産はすべて母系相続されていた。 ↩
13 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。 ↩ ↩
14 フュラモヨ(fyulamoyo, pl.mafyulamoyo)。妖術の一種。ザイコ(zaiko)と呼ばれる薬によって掛けられる妖術。さまざまな症状を示す。特徴的な身体症状の一つが全身が痒くなって掻きむしること。しかし深刻なのはさまざまな「心理的」症状。動詞ク・フュラ(kufyula)は、「曲げる、(無理やり)向きを変えさせる」を意味し、モヨ(moyo)は「心、心臓」を意味する名詞。字義通り、人の心を変な方向に曲げてしまう妖術である。これにかかると、自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がする、自己嫌悪、他人と一緒にいられない、などの異常な心的状態を呈する。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo renye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye(mbayumbayu, mbonbgwe) etc.〔浜本, 2014:61-66を参照のこと〕 ↩ ↩
15 ク・ブェンドゥラ(ku-phendula)は「裏返す、ひっくり返す」の意味の動詞。「薬」muhasoによる妖術の治療法の最も一般的なやり方。基本的には、妖術の施術師(muganga wa utsai)は、妖術使いが用いたのと同じ「薬」をもちいて、その「薬」に対して自らの命令で妖術使いが与えた攻撃命令を上書きしてやる、というものである。具体的には、妖術使いが薬(muhaso)を用いて道などに罠を仕掛け、そこを通ったターゲットを罠でとらえ妖術をかけるように、施術師は同じ薬で地面の上に目に見えるように罠を描き、患者にそれをまたがせ(あるいは踏ませ)、その罠の上に座らせ、患者を再び薬の罠に捕らえさせたうえで、鶏の羽毛をむしりながらその患者を周回しつつ薬に患者を解き放つよう上書き命令を下すというやり方である。詳しくは〔浜本 2014, chap.4〕を参照のこと。他にも、さまざまなやり方が、妖術の異なる種類に応じて、存在する。ニューニ(nyuni16)の治療においてもこの言葉が用いられることがある。 ↩ ↩
16 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu17」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
17 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ16)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola18)の対象となる。 ↩ ↩ ↩
18 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini19」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa20」21と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume28)、カドゥメ(kadume44)、マウィヤ人(Mawiya45)、ドゥングマレ(dungumale48)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga57)、トゥヌシ(tunusi58)、ツォビャ(tsovya60)、ゴジャマ(gojama47)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu17」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」16)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
19 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola18)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。 ↩ ↩ ↩
20 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa21)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola18)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち24)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba27)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu17)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni16)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini19)「身体の憑依霊」と呼ばれている。 ↩ ↩
21 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」22など)を行うことなどを意味する。 ↩ ↩ ↩ ↩
22 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ23などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。 ↩ ↩
23 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ22」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。 ↩ ↩ ↩
24 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo25)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
25 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso26)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine24)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。 ↩
26 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。 ↩ ↩ ↩
27 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume28)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani29)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。 ↩ ↩ ↩ ↩
28 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola18)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。 ↩ ↩ ↩
29 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」30による鍋(nyungu39)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe43)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu36)。 ↩
30 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木(「そうもく」と呼ぶことにしている)を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術31においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba32)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande33)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu39)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。 ↩ ↩
31 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。 ↩ ↩ ↩
32 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。 ↩ ↩ ↩
33 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符34。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
34 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata35)、パンデ(pande33)、ピング(pingu36)、ヒリジ(hirizi37)、ヒンジマ(hinzima38)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。 ↩ ↩ ↩
35 ンガタ(ngata)。護符34の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。 ↩ ↩ ↩
36 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符34の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
↩ ↩ ↩ ↩
37 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima38)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
↩ ↩
38 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi37)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。 ↩ ↩
39 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza40、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
40 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya41)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu39)とセットで設置される。 ↩ ↩ ↩ ↩
41 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo42)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza40)と呼ばれるが)。 ↩
42 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。 ↩ ↩
43 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。 ↩ ↩ ↩
44 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。 ↩ ↩
45 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde46)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama47)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。 ↩
46 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。 ↩
47 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola18)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。 ↩ ↩ ↩
48 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola18の対象になる)21。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama49 ↩ ↩ ↩
49 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu50)の草木、ドゥングマレ(dungumale48)、ニューニ(nyuni16)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala56)に同じとも。 ↩ ↩
50 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)51との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。 ↩ ↩ ↩
51 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza40)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる52。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている53。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。 ↩ ↩ ↩ ↩
52 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供53がある。瓢箪子供の各部の名称については、図55を参照。 ↩ ↩
53 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供52。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神51がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande33)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料32)、血(ヒマ油54)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。 ↩ ↩ ↩
54 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。 ↩
55 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
↩
56 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama49とも呼ばれる。ムルング5051、ドゥングマレ(dungumale48)、ニューニ(nyuni16)の草木。 ↩
57 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。 ↩ ↩
58 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine24)の一種という説と、ニューニ(nyuni16)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ59らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola18)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。 ↩
59 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。 ↩
60 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ16の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola18)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa21」。see p'ep'o mulume28, kadume44
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
61 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu36)は、ムドエの草木(特にmudzala62)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
↩ ↩
62 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003b:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003b:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma63)、憑依霊ドエ人(mudoe61)の草木。 ↩
63 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性64)、カシディ(kasidi 女性65)、ディゴゼー(digozee 男性老人67)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele116)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。) ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
64 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma63)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。 ↩
65 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma63)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga66)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。 ↩ ↩
66 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供53がある。 ↩
67 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo68)マンダーノ(mandano69)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。 ↩ ↩
68 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。 ↩
69 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ70とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ71の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu ↩
70 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera71)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza72)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)97」、「外に出す(ku-lavya konze3)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki115 ↩ ↩
71 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)72、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす97)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku99)、おしゃべり女(chibarabando100)、重荷の女(muchet'u wa mizigo101)、気狂い女(muchet'u wa k'oma102)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma103)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo113、長い髪女(mwadiwa114)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba6)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
72 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri73)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika75)やシェラ(shera71)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri73)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza96)を施され、ンガタ35を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
73 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術74)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza72と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。 ↩ ↩ ↩ ↩
74 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ73は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine24)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。 ↩
75 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi76)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka77) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri73)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi81など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo82,laika mukusi83など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe84, laika ra nyoka84, laika chifofo87など。(4) その他 laika dondo88, laika chiwete89=laika gudu90), laika mbawa91, laika tsulu92, laika makumba93=dena94など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze40)で薬液を浴びる、護符(ngata35)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza72)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。 ↩ ↩ ↩
76 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。 ↩ ↩ ↩
77 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi78)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。 ↩ ↩
78 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao79))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka77)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。 ↩ ↩
79 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi78)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine80)に数えられることも。 ↩
80 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ24もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。 ↩
81 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni16)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。 ↩
82 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。 ↩
83 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。 ↩
84 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira85)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka86)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。 ↩ ↩
85 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。 ↩
86 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名 ↩
87 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。 ↩
88 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi76)の別名ともいう。 ↩
89 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu) ↩
90 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。 ↩
91 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso) ↩
92 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。 ↩
93 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena94)の別名。 ↩
94 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ75と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari95)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande33)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。 ↩ ↩ ↩
95 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)72」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena94が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee67)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande33には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。 ↩ ↩ ↩
96 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
↩
97 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo98)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。 ↩ ↩
98 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。 ↩
99 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera71)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。 ↩
100 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera71の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。 ↩
101 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ71の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ ↩
102 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ71の別名ともいう。 ↩
103 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera71)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo104))の別名ともされる。 ↩
104 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo105, mupweke106, mutundukula107, mupera(mpera108), manga109, mbibo(mubibo110), mukanju(mkanju111) ↩ ↩ ↩
105 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。 ↩
106 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。 ↩
107 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。 ↩
108 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。 ↩
109 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。 ↩
110 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)111、muk'orosho(mkorosho)112。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。 ↩ ↩ ↩
111 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo110を見よ。 ↩ ↩
112 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo110を見よ。 ↩
113 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ71の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo104)の女性であるともいう。 ↩
114 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。 ↩
115 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero70)の草木。 ↩
116 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
↩
117 ムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga118)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジは男性の助手、ムテジ(muteji131)は女性の助手という区別があるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。 ↩ ↩ ↩
118 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba6)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)7や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)8ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo42)や鍋(nyungu39)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)119129に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ130)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。 ↩ ↩
119 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ120)、大型のムキリマ(muchirima121)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu126,mbumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri127)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira128)」と呼ばれることもある。
↩ ↩
120 プオ(p'uo ,pl.p'uo)。膝の上に横向けに置いて両手で打つ太鼓。首からかけて同じく横向けに両手で打つ小型のものはチャプオ(chap'uo, pl.vyapuo)という。 ↩
121 ムキリマ(muchirima)。憑依霊の一種。昔からいる古くから知られている憑依霊。施術師によって意見は分かれるが、憑依霊ペンバ人(mupemba122)の別名とも、ムァムニィカ(mwamunyika124)=ムルングの別名とも言われる。しかし要求する布は「赤い布」でムルングの布とは異なる。また太鼓の一種に、両面に革が張られており、またがって打ち鳴らされるムキリマ(muchirima, pl.michirima)と呼ばれる大型の太鼓がある。 ↩
122 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba123)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」43、香料32と海岸部の草木30の鍋39。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。 ↩
123 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。 ↩
124 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ125。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。) ↩
125 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。 ↩
126 ブンブンブ(bumbumbu, pl.mabumbumbu, alt. mubumbumbu, pl.mbumbumbu)。太鼓の一種。片面のみに川を張り、地面に置いて用いるタイプの太鼓。キブンブンブ(chibumbumbu, pl.vibumbumbu)はその小型のもの。 ↩
127 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。別名 mutsongo。 ↩ ↩
128 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ129の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(119)、カヤンバ(129)と同じ意味で用いられる。 ↩ ↩
129 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti127)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira128)」と呼ばれることもある。
↩ ↩ ↩
130 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。 ↩
131 ムテジ(muteji, pl.ateji)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga118)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジ(mwanamadzi117)は男性の助手、ムテジ(muteji131)は女性の助手という区別もあるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。 ↩ ↩
132 クィシャ(kpwisha)。ドゥルマの4日で一周する週の第三日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは、各自、自分のもつ畑(koho)で耕すことができた。その産物は市の立つ日に売って、自分の自由になるお金となった。またかつてはこの日の夕方から地域の若者男女はダンス場(chiphalo)に集まって、踊りを楽しんだ。詳しくはドゥルマの月日の数え方 ↩
133 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。 ↩
134 サダカ(sadaka, pl.sadaka)。スワヒリ語では sadaka は「喜捨、施し、宗教的捧げ物、供犠」などを意味するが、ドゥルマでは、墓場で徹夜の太鼓演奏などの後に、早朝に祖霊に対して行う、動物供犠を伴う饗宴を指す。これによって生者は死者に対して負っていた負債を返し、死者の怒りを鎮め、子孫たちの「つつがなきこと」を願う。この際に祖先に対して供される肉は塩を入れずに別鍋で調理され、子供たちによって墓場で食べ尽くされる。サダカは、すでに「熟した服喪(hanga ivu10)」を終えた祖霊に対してしか行うことはできない。サダカの様子については浜本, 1992,「ドゥルマにおけるコマの観念」『九州人類学会報』Vol.20:30-51。 ↩ ↩ ↩
135 ウンガ(unga, uu-)。「粉」。普通にウンガと言った場合はトウモロコシ粉(unga wa matsere)を意味する。小麦粉 unga wa ngano。 ↩ ↩
136 ツェレ(tsere, pl.matsere)。「とうもろこし」「トウモロコシの粒」 ↩
137 ドゥルマの商店で売られている主食のトウモロコシ粉は、2kg袋で売られていた。当時は約9~10シリングだった(当時1ケニアシリング=9円弱)。今は150シリング前後(1シリング=1.5円)らしい。1991年は飢饉の年で、また物資不足もあって、トウモロコシ粉や砂糖を手に入れるのは結構大変だった。unga wa kupima は量り売り。 ↩ ↩
138 ングオ・ニィル(nguo nyiru)。文字通りには「黒い布」であるが、単にングオ・ニィルと言うとムルング50の布で、実際の色は紺色である。 ↩
139 ヌス(nusu, pl.nusu)「半分」。 ↩
140 ゴラ(gora, pl.gora)。ケニアでカンガ(kanga)、レソ(leso)などと呼ばれるプリントされた布が売られる単位。同じデザインの物が2枚つながりで、1枚の布(gora mwenga)として売られる。大体320cm✕110cm。使用の際には2分割して、一つは腰の周りに、もう一枚は上半身をカバーするように用いる。半分のサイズ(nusu gora)は160cm✕110cm ↩
141 キデム(chidemu)は布の端布一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、施術の過程で必要となる3種の短冊状の布を指す。それぞれの憑依霊に応じて、白cheruphe 赤cha kundu 黒(実際には紺色)cha mulunguが用いられる。この場合、白はlaika及びイスラム系、赤はshera、黒はmulunguとarumwengu(他の内陸系憑依霊全般)を表す。 ↩ ↩
142 チェアマニ(cheamani, pl.cheamani)。「チェアマン(chairman)」だが、通常は village chairman の意味で用いられる。ケニアの行政単位としての village=sublocation ではなく、そのさらに下位のドゥルマ語でラロ(lalo)と呼ばれる近隣集団のドゥルマ語でmusewamidzi(aka muzee wa midzi「諸屋敷の長老」スワヒリ語で muzee wa miji)と呼ばれる世話役に当たる。近隣で起きたトラブルや紛争は、彼が招集する地区の長老たちの集会で議論され、裁定される。この裁定に不満がある場合には、サブ・ロケーションの長サブ・チーフの法廷で、さらにそこでも決着がつかない場合は、ロケーションの長チーフの法廷で審議されることになる。ケニアの地域行政143は2010年の憲法改正により大きな変更があったが、その新旧対照については以下の図を御覧いただきたい。
↩ ↩
143 ケニアの地方行政区画は2010年に大きく改定されたが、私の調査期間の多くは旧制度のもとで実施されたため、ここでの地名などは旧制度とりわけ1995年(この年にキナンゴ・ディヴィジョンがサンブル・ディヴィジョンとキナンゴ・ディヴィジョンの二つに分割された)以前の区分に基づいている。8つあったプロヴィンスの一つ Coast Provinceに属する6つのディストリクト(Kilifi, Kwale, Lamu, Mombasa, Taita Taveta, Tana River)の一つ Kwale District、その4つのDivisions(Kinango, Matuga, Kubo, Msambweni)の一つ Kinango Division、それを構成する9つのロケーションのうち、Kinango Location, Ndavaya Location, Puma Locaitonの3つが私の主な行動範囲であり、それ以外の地域には2~3日の短期間の訪問のみ。各ロケーションはさらに複数のサブ・ロケーションに分かれていた。クワレ・ディストリクトの首府クワレには中央から任命されたディストリクト・コミッショナーのオフィス、キナンゴ・ディヴィジョンの中心地キナンゴの町には同じくディストリクト・オフィサーのオフィスがあった。各ロケーションは政府に任命されたチーフがおり、サブロケーションにはサブ・チーフが行政官として任命されていた。サブロケーションの下にはドゥルマ語でラロ(lalo, pl.malalo)と呼ばれる地域区分があった。私が「村」と呼んでいるのがこれで、実際には行政機構はそなわっておらず、単に独立した「屋敷mudzi13」の集まりにすぎず、各ラロにひとりの近隣で選ばれた「諸屋敷の長老 muzee wa midzi」がいたが、大きな権限は無く世話人的な存在であった。人々はこの長老をしばしばチェアマニ(cheamani142)と呼んでいた。Village Chairmanの意味だという。
1983年の調査は、Puma locationの「青い芯のトウモロコシ」と呼ばれるラロのペレの屋敷と呼ばれる屋敷が、1986~1987年の家族連れでの調査はキナンゴの町なかに借りた一軒家(後にキナンゴの町の郵便局となった)が、1989年以降は同じくキナンゴ・サブ・ロケーションの「ジャコウネコの池」と呼ばれるラロの調査小屋が、後にカタナ氏が結婚した後は彼の開いた新しい屋敷が、私の調査の拠点となった。
2010年の憲法改正により地域行政のシステムも変化したが、次の表に新旧の対応関係を示す。
。ただしドゥルマではサブロケーションより下位の単位であるラロが日々の生活では重要で、地域の長老たちによりさまざまな紛争が話し合われる最小の単位となっているので私はこのラロを引き続き「村」と呼ぶことにしている。新行政システムではかつてのサブロケーションがvillageに対応するとされているが、それとはズレた用法になる。例えば「青い芯のトウモロコシ」や「ジャコウネコの池」を私は村と呼んでいるが、それはラロであり、サブロケーションよりも下の単位(公式には存在しない単位)になる。実はその下にさらに名前のある単位があるが、それは地図にも表れない単位なので私は「地区」ととりあえず呼んでいる。 ↩
144 ムジェニ(mujeni, pl.ajeni)。「客、客人、移民、よそ者」 ↩
145 ジュマ(jumaまたはjumma, pl.majuma)。「週」「4日間からなる週の最終日」。この日は一切の農作業をしてはならないとされてきた。また施術師もこの日は施術は行わない。詳しくはドゥルマの月日の数え方 ↩
146 キナンゴ・モンバサ間を早朝2往復、夕刻1往復する(はずだった)バス。超ぼろい。しかも曲がりくねったダートロードを走るので時間もかかり、埃もかかる。ただモンバサ島にフェリーなしで直接着き、ドゥルマの人々にとっての目的地であるムェンベ・タヤリの市場まで連れて行ってくれるので、多くの人が利用していた。が、欠航が日常茶飯事で、私はモンバサで仕事を終えて夕方のバスで帰宅しようとして、何度もそのままモンバサで泊まる羽目になった。何時間も待って来なければ、バス停で待っていた人々はいつの間にかいなくなっている。やれやれ。2000年代の始めに大事故を起こし死傷者を出したが、その後また復活し、2017年にはカタナ君の説得に負けて朝5時発のバスでモンバサに向かった。乗りたくないよ~。 ↩ ↩
147 キバンダ・チャ・コマ(chibanda cha k'oma, pl.vibanda vya...)。ニュンバ・ヤ・コマ(nyumba ya k'oma, pl.nyumba..)とも言う。「祖霊の小屋、祖霊の社」。すでに熟した服喪(hanga ivu10)を開いてもらった祖霊は、さまざまな要求を夢のなかで子孫に伝えに来る。それらの要求は死者の墓(mbira)で開催されるサダカ(sadaka134)と呼ばれる饗宴と太鼓演奏(省略可)によって応えることができる。また、こうした要求について、その履行を待ってもらいたいなどのときには、同じく墓場に行って祖霊に語りかけることができる。しかし、墓場が遠方で簡単には訪問できない場合には、自分が住んでいる屋敷の小屋の入口の脇にその祖霊を表す木の棒(chigongo cha k'oma148)を立てて、それに対して水で溶いたとうもろこし粉(mvua)を振りまきながら語りかける(kuhatsa149)ことができる。そうした祖霊の数が多い場合は、小さい小屋(高さ1mちょっと)を立てて、その中に木の棒を並べて立てる。これがキバンダ・チャ・コマである。右手に父方の祖霊、左手に母方の祖霊を並べるのが普通であるが、かなり自由。
「青い芯のトウモロコシ」故マラウ氏のnyumba ya k'oma. 右から 1. Kutsonga(Nyawa Malauの曽祖父) 2. Chikoza(brother of Kutsonga)3. Mekuminga(a wife of Kutsonga)4. Jawa (tsaweye Malau マラウの祖父) 5. Menyawa (Wife of Jawa, wavyala Mwero Pereマラウの祖母の一人で父ムェロの母) 6. Bumbu (Father of Malau's mother)7. Wemulongo (a wife of Bumbu, wavyala ameye Malauマラウの母の母) ↩
148 キゴンゴ・チャ・コマ(chigongo cha k'oma, pl.vigongo vya...)。「祖霊の棒」。すでに「熟した服喪(hanga ivu10)」を開いてもらった祖霊は、さまざまな要求を夢のなかで子孫に伝えに来る。それらの要求は死者の墓(mbira)で開催されるサダカ(sadaka134)と呼ばれる饗宴と太鼓演奏(省略可)によって応えることができる。また、こうした要求について、その履行を待ってもらいたいなどのときには、同じく墓場に行って祖霊に語りかけることができる。しかし、墓場が遠方で簡単には訪問できない場合には、自分が住んでいる屋敷の小屋の入口の脇にその祖霊を表す木の棒(chigongo cha k'oma148)を立てて、それに対して水で溶いたとうもろこし粉(mvua)を振りまきながら語りかけること(kuhatsa149)ができる。すでに熟した服喪を開かれた祖霊しかキゴンゴは立ててもらえない。それに用いられるのはchitwadzi150、muhumba151、mukone153、muvumo154の生木に限る。晩(dziloni)に伐り出しに出かけ、そこに一晩寝かせた後、明け方長いまま棒の前後を二人で死体を運ぶようにもって、持ち帰る。独りで運んだり、地面を引きずったりしてはならない。屋敷に着いた後に必要な本数に切り分ける。ヤギを供犠し、戸口の脇に(本数が多い場合には小さい小屋(chibanda cha k'oma)を立ててその中に)並べて立てる。死者すべてを立てるわけではなく。いろいろ厄介事を持ち込む祖霊たちのみを立てる。「熟した服喪」が未開催の死者の棒は立てることができない。祖霊の棒でできるのは、水溶きとうもろこし粉を撒き、死者に語りかけることだけで、祖霊が要求するものを捧げたり、饗宴を開いたりはできない。鶏程度の供犠なら可能とする人もいる。本格的な饗宴は死者の墓場でのみ可能。ただし、分墓の手続きが取られた場合、そこではサダカを開催することも可能になる。二人一組で墓にでかけ、そこでコマに語りかけた後、墓から3ヵ所(頭部、胸部、足元)の土を取り死体を包む白い布に包んで持ち帰る。一行が屋敷に近付くと屋敷の女たちが号泣して迎えることになっている。30センチ程の深さの穴が掘られ、そこに白い布に包んだ土が「埋葬」される。その場で山羊が屠殺されその血が地面に突き刺された棒に注がれ、女たちは埋葬歌を歌い踊る。祖霊の棒や祖霊の社は、完全には墓の代用をつとめることは出来ないが、分墓が行なわれていれば、そこは儀礼的に完全に墓と同じ役目を果す。 ↩ ↩
149 ク・ハツァ・コマ(ku-hatsa k'oma)。「祖霊(k'oma)に対して語りかける行為」。夢でコマの訪問を受けたり、特定の災厄がコマの干渉であることが明らかになると、小屋の戸口で、あるいはコマの社で、あるいは墓場でコマに対してクハツァ kuhatsa2 を行なう。コマの御飯、つまり一穂のトウモロコシを粉にし半分にわった瓢箪の容器(bebe)に入れて水で溶いたもの(ムヴア mvua と呼ばれる)を用意し、夕方小屋の戸口で、ムヴアを左手でつまんではコマに語りかけながらあたりに振りまく。あるいは墓場にでかけて、そこを整地し、ムヴアを撒きながら語りかけ、干渉をやめてくれるよう祈願するのである。コマの要求に応じて酒が用意されていることもある。空腹や渇きの場合ならこれで済むこともある。それ以上のことに関してはコマに対してその要求をかなえる旨約束し、とりあえず自分たちをほっておいてくれるよう頼む。コマの要求が家畜の供犠であるような場合、幼獣を墓につれていき、その耳を切って(父系のコマなら右耳、母系のコマなら左耳)この幼獣が成獣となった時に墓で供犠することを約束する。 ↩ ↩
150 キトゥワジ(chitwadzi, pl.vitwadzi)。Ormocarpum kirkii(Pakia&Cooke2003b:391)。冷やしの草木(muhi wa peho)の一つ。 ↩
151 ムフンバ(muhumba)。Cassua subgyeaba (Pakia&Cooke2003b:390)。ニャリ95の草木。またビルハルツ住血吸虫症やテゴ(t'ego152)の薬としても用いられている。 ↩
152 テゴ(t'ego)。男性性器からの膿と痛みを伴う症状。妖術 utsai あるいは呪詛 chirapho によって引き起こされる。ku-hega t'ego 姦通の防止に夫が妻の性器に仕掛けた呪詛 chirapho、もし他人がこの女性と寝ると t'ego になる。t'ego にはさまざまな種類がある。例えば t'ego ya diya 「犬のテゴ」妻の不義を防ぐため部屋の入口にしかけ、もし誰かが妻と性交すると、彼の性器はワギナに挟まれて抜けなくなる、など。 ↩
153 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003b:394,Maundu&Tengnas2005:255-256) ↩
154 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003b:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ16と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo155の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。 ↩
155 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。 ↩
156 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni157と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。 ↩
157 ヴョーニ(vyoni, pl.mavyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。dzi-maクラスの名詞だが、mu-aクラスの名詞、muvyoni(pl.avyoni)は、上記の意味でも用いられるが、より軽い意味で、「ちょっと変な子」といったニュアンスでも普通に用いられる。 ↩
158 クニ(kuni)。「薪」 ↩ ↩ ↩ ↩
159 クヮルカ(kpwaluka)。ドゥルマの4日で一周する週の第一日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは共同で、夫の所有するメインの畑(dzumbe)を耕作した。詳しくはドゥルマの月日の数え方 ↩
160 ムリナとチャリの夫婦は飼っている家畜に名前をつけている変わり者だった。飼っている犬に名前をつける人はけっこういる。猫にもいないではない。でもヤギとか鶏にまで名前をつけている人にはまず出会わない。このサダカで屠られるヤギにはマゲンドレ(magendore)という名前がついていた。gendo(alt. dzigendo, pl.magendo)とは婚外性関係の相手を意味する名詞。magendoreは文法的にはちょっと変だが(所有格との正しい組み合わせは gendore, dzigendore, magendoge)で「奴の性関係の相手」的な意味になる。変な名前だ。
ちなみに犬につけられる名前は変わっているものが多い。たとえばガジニシンダ gadzinishinda。これは「もうお手上げですわ」という意味の文である。あるいはトゥワラーコ tuwa rako「私にかまうな」という意味の命令文。前者は自分がひどい病気になったときに、子犬をそう名づけた。後者は、自分がいろんな人からねたまれて、おかげでひどい目にあった(つまり、妖術の攻撃にさらされた)、そんな折に名づけた。別の男は、牛を盗まれてがっくりきたときに生まれた子犬にンガザマッツオ ngaza matsoという名前をつけた。「目を見開け(ちゃんと見張れ)」という意味。別の男は、自分が近隣の妖術使いによって攻撃されていると占いでわかったとき(彼の妻の病気などはそのせいだった)、生まれた二匹の子犬にガマーニュワ gamanywa とガヘンデーニ gahendeni という名前を与えた。それぞれ「もうわかっているぞ」「どうぞおやんなさい(こっちにも備えはできてるぞ)」という意味である。 ↩
161 ジェンベ(jembe, pl.majembe)。「手鍬」。柄は短く、腰を折り曲げて耕す。jembe mundani 字義通りには「畑の手鍬」であるが埋葬時に女性たちが儀礼的に示す、身体に土を擦り付けての卑猥な内容の歌と踊り、男性たちに対する略奪的振る舞いなどを指している。
子供用というわけではありません ↩
162 ツォカ(tsoka, pl.matsoka)。「斧」主として女性が薪とりに用いる。小型のものはキツォカ(chitsoka, pl.vitsoka)。 ↩
163 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である164。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。 ↩
164 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には下記の文献を参照した。1990年代以降のこれら一連の民族植物学研究には感謝しかない。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能だった訳ではないが。
Johnson, F., ed. 1971(originally 1939), Standard Swahili English Dictionary, London: Oxford University Press. (参照時にはSSEと略する)
Karisa, J.F., et.al. 2011, Mboga za Watu wa Pwani, Kilifi Utamaduni Conservation Group, Bioversity International
Kokwaro,J.O.,1993,Medicinal Plants of East Africa(Second ed.),Nairobi:Kenya Literature Bureau;
Maundu,P.,& B.Tengnasu eds.,2005,Useful trees and shrubs for Kenya,World Agroforestry Center;
Pakia,M. & J.A.Cooke,2003a, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 1. General perspective and non-medicinal plant uses" South African Journal of Botany 69(3):370-381;
Pakia, M. & JA Cooke, 2003b, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses", South African Journal of Botany 69(3): 382–395;
Pakia, M., 2005, African Traditional Plant Knowledge Today: An ethnobotanical study of the Digo at the Kenya Coast, A dissertation submitted in fulfillment of the Requirements for the degree of a Doctor of Natural Science, at The Faculty of Biology, Chemistry and Geoscience, The University of Bayreuth, Germany; 2. Medicinal plant uses",South African Journal of Botany 2003, 69(3): 382–395; ↩
165 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。水を沸騰させ、そこに少量の粉を入れて撹拌し、やや粘りが出た所に、どっさり粉を入れて力いっぱい練る。大きな皿に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。スワヒリ語ではワリ(wali)は米飯を指す。ドゥルマ語では米飯はムテレ(mutele)あるいはムブンガ(muphunga)と呼ぶ。 ↩ ↩ ↩ ↩ ↩
166 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' カタグロトビのような模様の毛色(白、黒、灰色)の鶏など。 ↩
167 ク・ゴンバ(ku-gomba)。ドゥルマ語では「話す、発話する、発言する」など発話行為全般を意味する動詞。スワヒリ語では同じ言葉が、議論する、談判する、叱るなどの強い意味をもつが、ドゥルマでもそうした用法もある。とりわけprepositional formのku-gombera などの場合。 ↩
168 ムブジ(mbuzi)。「ヤギ」。 ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊 ↩
169 ク・ツィンザ(ku-tsinza)。「(ナイフで)切る」「喉を切って殺す」「屠殺する」 ↩
170 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o171)、シェターニ(shetani172スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini19)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa20)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola18)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani173)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba27)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara174)」の2つに分ける区別もある。 ↩ ↩ ↩
171 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani172もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞170)という言葉が最も一般的に用いられる。 ↩
172 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。同じくスワヒリ語には憑依霊を指す言葉としてシャイタニ(shaitani, pl.mashaitani)もあるが、こちらはドゥルマでは用いられていない。他にペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)もスワヒリ語起源で、ドゥルマで憑依霊の意味で用いられているが、スワヒリ語では「精霊」の意味以外に「他界」「死後の世界」「精霊の棲み処」など場所や空間の意味でも用いられる。ドゥルマ語固有の憑依霊を指す言葉としては、ニャマ(nyama, pl.nyama)があり、憑依霊の話しをする際に最もよく耳にするのがこれである。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞でもある。 ↩ ↩
173 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba27)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。 ↩
174 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。 ↩
175 ムコノ(mukono, pl.mikono)。「腕」、動物の「前脚」。 ↩
176 キガ(chiga, pl.viga)。「(動物の)腿、鶏の脚」 ↩
177 キカブ(chikaphu)。エダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋。編み籠。一本~二本の持ち手(sikiro)がある。大きいものはカブ(kaphu, pl.makaphu)。キカブより小さく、持ち手のないものはキロボ(chirobo)と呼ばれる。pictures from Moukimou ↩
178 ウキ(uchi)。酒。'uchi wa munazi' ヤシ酒、'uchi wa mukawa' mwadine(Kigelia africana)の樹の実で作る酒、'uchi wa nyuchi' 蜂蜜酒、'uchi wa matingasi' トウモロコシの粒の薄皮(wiswa)で作る酒、など。 ↩
179 ムウィニィ(mwinyi, pl.mwinyini)。スワヒリ語のムウィニィ(mwinyi, pl.mainyi)は「封建領主、地主、家の所有者」を意味する。ドゥルマ語では名詞というよりは、自分より地位の上の存在に対する呼びかけの言葉(相手が一人の場合は mwinyi, 二人以上の場合は mwinyini)として用いられる。「主よ、ご主人様」などと訳しているが、いまひとつだ。へりくだっていることを伝える言葉。 ↩ ↩
180 パンヴ(p'amvu, pl.p'amvu)。「人気、もてること」。muhaso wa p'amvu 「媚薬」p'amvu ya muche 「女にもてること」、p'amvu ya kugomba 「その人の話しに人々が耳を傾けてくれること」 ↩ ↩
181 ある女性について「彼女が誰それの婚資をもっている」という言い方は、彼女に対して「誰それが婚資を支払った者だ」という意味。彼女と彼女が産む子供に対して法的権利をもつ人物を示す。 ↩
182 ハイ(hai)。相手が目上、あるいは複数の場合はハイニ(haini)となる。誰か、あるいは事態を沈静化したい思いを伝える間投詞。OK、とか Be coolといった感じ。憑依霊への語りかけのなかで頻繁に発せられる。私は「穏やかに」と訳することが多いが、ちょっと工夫が足りない気もする。「ヨシ」、「よしよし」が良いかも。 ↩
183 キラボ(chirapho184)とは、薬(muhaso)に「もし~であったら、キラボよその者を捕らえよ」といった条件節付きの命令をくだしたもので、その条件にあった者(例えば云々の品を盗んだ者、云々の禁止を犯した者)を捕らえる。毒の試罪法としてのキラボは、二人の争いあう者の双方が「もし私の言っていることが間違い(あるいは嘘)であるなら、キラボよ、私を捕らえよ。そうでなければキラボよ、畑に行け(あるいは荒蕪地に行ってシマウマを喰らえetc.)」と唱えて、いずれが正しいかの判定を求める。チャリがここで、自分はキラボに捕えられたみたいになった、と言った真意は不明だが、おそらくムリナとの関係がなんらかの規範からの逸脱の側面をもっていたという自覚(不倫)によるものではないかと思う。盗みを働いた者がキラボに捕えられるように、自分も病気になった、ということなのではないか。 ↩
184 キラボ(chirapho)。薬(muhaso)を使役する者が、命令によって薬にターゲットを攻撃させるという点で、キラボ(chirapho)も妖術(utsai)と同じ理屈に従うが、妖術の場合とは異なり、chiraphoにおいてはその命令は条件節を伴う構文をとる。妖術が単純に薬に「誰それを云々の仕方で殺せ」といった命令を出すのに対し、キラボでは例えば、もし「私のウシが勝手にいなくなったのではなく、誰かがそれを盗んでいったのだとすれば、キラボよその者とその一族を捕らえよ」といった形で命令する。その主たる用法は、作物などの盗難除け、何者かによってなされた損害を当人とその一族に賠償させることを目的とした使用、そして妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める「試罪法」での使用である。私の調査地の近所には最後のタイプのキラボで、単にドゥルマ地域を超えて広くミジケンダ地域全体によく知られた施術者がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。 ↩
185 ムガンガ(muganga pl. aganga)。癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga31であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。 ↩ ↩
186 ここでムリナの兄Mwachi...氏は、チャリに「お祖母さん」と呼びかけている。それは考察・コメントで説明したように、子供名(dzina ra mwana)を介してムリナ=ベンジンゴがムリナの母の夫の「父」の位置にスライドするので、Mwachi...氏の実の兄弟ではあるのだが、このスライドによって「祖父(tsawe)」になり、その妻であるチャリは「祖母(wawe)」になるという理屈からである。親しみを込めた軽口と言ってもよいかもしれない。兄弟の妻に対して、「私の妻よ」という意味にもなる「お祖母さん」と語りかけるのは普通のこと。子供名を介しての軽口である。 ↩
187 キパンデ(chipande, pl.vipande)はスワヒリ語で賃労働一般を指すkipandeに由来する言葉だが、ドゥルマでは賃労働一般ではなく、他人の畑の特定の区画を割り当てられて耕し、現金で報酬を得るという1980年代以降の慣行を指すことが多く、農村部の女性のわずかな現金収入を補う手段だった。近年はスワヒリ語での用法と一致する用い方になっている。ただここでのこの女性は、当時の昔ながらのキパンデの意味で用いている。 ↩
188 ムツェザ(mutsedza, pl.atsedza)。「妻の父、妻の母」(分類上の父母にも拡張)と、「娘の夫」は互いをmutsedzaと呼びあう関係にたつ。後者から前者にはきわめて大きな尊敬が払われねばならず、後者は前者に対する奉仕の義務を負う。結婚後も婚資を支払い終わるまでは娘の夫は妻の両親の屋敷では食事ができない。この禁止は、娘の夫が娘の両親にヤギと大瓢箪に入れた酒(kadzama)を差し出すことで解除される。この日は「屋敷に入る日(tsiku ya kuphenya mudzi)とも呼ばれる。また妻の両親が排便している姿を不幸にして目撃すると、娘の夫には罰金が課せられる。逆に自分が排便しているところを不幸にして娘の両親に見られても、娘の夫には罰金が課せられる。 ↩ ↩ ↩
189 ムララ(mulala, pl.milala)。「エダウチヤシ」(doum palm)。Hyphaene compressa(Maundu&Tengnas2005:265,Pakia&Cooke2003:376)。実は可食。その葉の繊維はマットや籠などを編むのに用いられる。別名ムコマ(mukoma190)。 ↩ ↩
190 ムコマ(mukoma, pl.mikoma)。「エダウチヤシ」(doum palm)。Hyphaene compressa(Maundu&Tengnas2005:265,Pakia&Cooke2003a:376)。実は可食。その葉の繊維はマットや籠などを編むのに用いられる。別名ムララ(mulala189)。 ↩
191 ムロジ(mulozi, pl.milozi)。Acacia zanzibarica(Pakia&Cooke2003b:390)。近年(2008年)学名はVachellia zanzibaricaと改められている。トゲの根本が虫瘤のように膨れ上がるが、この虫瘤様の部分は可食。現地の別名として muhegak'ululu, mwongololi。空洞化した虫瘤様の部分に風が当たると口笛をふいているような音を立てることから。nyari95の草木、masai192の草木。 ↩
192 マサイ(masai)。民族名の憑依霊。ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai193 マサイ風の内陸部のジネ)と同一の霊だとされる場合もある。区別はあいまい。ウガリ(wari)を嫌い、牛乳のみを欲しがる。主症状は咳、咳とともに血を吐く。目に何かが入っているかのように痛み、またかすんでよく見えなくなる。脇腹(胸郭 mbavu)をマサイの槍で突かれているような痛み。治療には赤い鶏や赤いヤギ。鍋(nyungu)治療。最重要の草木はkakpwaju194。その葉は鍋の成分に、根は護符(pande33)にも用いる。槍(mukuki)と瘤のある棍棒(rungu)、赤い布を要求。その癒しの術(uganga)が要求されている場合は、さらに小さい牛乳を入れて揺する瓢箪(ごく小さいもので占いのマラカスとして用いる)。赤いウシを飼い、このウシは決して屠殺されない。ミルクのみを飲む。発狂(kpwayuka196)すると、ウシの放牧ばかりし、口笛を吹き続ける。ウシがない場合は赤いヤギで代用。 ↩
193 ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine)の一種。直訳すると「内陸部のマサイ風のジン」ということになる。民族名の憑依霊マサイ(masai)と同じとされることも、それとは別とされることもある。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴で、その手段によって、さまざまな種類がある。ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、といった具合に。ジネ・バラ・ワ・キマサイは、もちろん槍(fumo)で突いて血を奪う。症状: 喀血(咳に血がまじる)、胸の上に腰を下ろされる(胸部圧迫感)、脇腹(胸郭)を槍で突き刺される(ような痛み)。槍と盾を要求。 ↩
194 カクァジュ(kakpwaju)。Ormocarpum sennoides(Pakia&Cooke2003b:391) ムルング(mulungu)の草木。冷しの草木(muhi wa peho)でもある(kakpwaju kabomuという名前で呼ばれるが)。憑依霊マサイ人の草木。ムクァジュ(mukpwaju, pl.mikpwaju195)とは別物。 ↩
195 ムクヮジュ(mukpwaju, pl.mikpwaju)。持ち手が曲がっている杖。植物名では「タマリンド」Tamarindus indica(Maundu&Tengnas 2005:407) ↩
196 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」。ク・アユサ(kpwayusa, ku-ayusa)はそのcausative formだが、憑依霊のせいで振る舞いが異常になる場合には、その受動形をもちいて、wayuswa ni nyama(憑依霊によって狂わされた)などといった言い方が用いられる。憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは呼ばない。しかし施術師は自分のkpwayuka経験について語るときに、「もうvitswaそのものだったよ」などと言ったりする。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。 ↩
197 コンベレザ(kombereza, pl.makombereza)。病名。単なる風邪(mafuwa,bunda)ではなく、高熱、咳、頭痛など激しい症状を伴う。正式な病名は不明だが、それを肺炎 pneumonia と説明する人もいる。聖書翻訳協会(BTL: Bible translation and Literacy)が作ったディゴ語辞書198にもそう書かれている。比較的短期間で治るようなので、肺炎までには至っていないインフルエンザの可能性もあると思う。 ↩ ↩
198 Joseph MWalonya, Alison Nicolle,Steve Nicolle and Juma Zimbu,2004,Mgombato: Digo-English-Swahili Dictionary.Digo Language and Literacy Project ↩
199 ラバイ(raphai)。ミジケンダ200を構成する9ある下位集団の一つ。ドゥルマに隣接する。ドゥルマと同様に父系・母系両方の出自集団をもつ。ムラバイ(muraphai, pl.araphai)は「ラバイ人」、キラバイ(chiraphai)は「ラバイ語」あるいは「ラバイ風、ラバイ流」を意味する。 ↩ ↩
200 ミジケンダ(midzichenda)は直訳すると「9つの屋敷(村)」を意味し、過去においてミジケンダを構成する9集団のそれぞれがカヤ(Kaya=ディゴ語で屋敷(村)を意味する)と呼ばれる要塞村に暮らしていたことに由来する。9つの民族集団は、シュングワヤ(Shungwaya)伝承と呼ばれる共通の起源伝承をもっている。言語的にも近く、それぞれの集団の言語どうしでもかなりな程度の相互理解が可能である。ミジケンダには、ディゴ(Digo)、ドゥルマ(Duruma)、ギリアマ(Giriama, Giryama)、ラバイ(Rabai, Raphai)、カウマ(Kauma)、リベ(Ribe)、カンベ(Kambe)、ジハナ(Jibana, Dzihana)、チョーニィ(Chonyi)が属している。 ↩
201 ムダム(mudamu, pl. adamu)。「人間」。さらに、屋敷の長(既婚男性)が自分のコントロール下にもつ従属成員。妻、子、同居している弟、妹など。コンテクストによって男の持つ「妻たち」の意味で使われたり、「子どもたち」の意味で使われたりする。「係累、眷属」などの訳でもよいかも。1877年のCrapf&Rebmannらが集めた語彙に基づくニィカ・英辞典202ではmudamu は muana damuの変形で、さらに後者は muana wa Adamu、つまり a child of Adam の変形だ、などというさすが宣教師みたいな説明がなされている。単にスワヒリ語のmwanadamu「人間」が約まった形と見ればよいのでは? ↩ ↩ ↩ ↩
202 Nika-English Dictionary compiled by L.J. Crapf, and Rebmann, J., edited by Sparshott, T.H., 1887, London: Society for Promoting Christian Knowlede.現在のミジケンダは、当時ワニィカ(Wanika)と呼ばれており、この辞書の序文によると12の集団からなり、同じ言語を話すとされている。ディゴ語、ギリアマ語とラバイ語は独自の方言として言及されているが、ドゥルマ語は言及されていない。ミジケンダの9の集団のうちどの集団の言語が蒐集されたのかは不明だが、クラプフらが開いたミッションの所在地はリベ(Ribe)であったので、事実上はリベ語辞典とみなすべきだろう。 ↩
203 カリマティ(kalimati, pl.kalimati)。別名カイマティ(kaimati, pl.kaimati)。小麦粉、砂糖、ドライイーストを成分とする直径3cmほどの団子状の揚げ菓子。スワヒリのおやつとして有名。Kaimati Recipe ↩ ↩
204 キティティ(chititi)。占い(mburuga)に用いる、中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れた小型瓢箪のマラカス。 ↩ ↩
205 ムスンドゥジ(musunduzi)。憑依霊スンドゥジ(sunduzi206)の草木。Croton sylvaticus(Kokwaro 1993:101)207。スワヒリには msinduzi(Croton jatrophoides)があり、風邪や腹痛に用いられているとされるが。類縁関係があるのか。 ↩
206 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi ↩
207 Kokwaro, J.O.,1993, Medicinal Plants of East Africa: second edition, Nairobi: Kenya Literature Bureau. ↩
208 ジョカ(joka, pl.majoka)。(1)ジョカ・ラ・ンダニ(joka ra ndani) 腹がゴロゴロ鳴り、痛む病気; (2)スワヒリ語では「大蛇」の意味。joka は蛇を意味する名詞ニョカ(nyoka)のaugmentativeで、ドゥルマ語の蛇(nyoka, pl.nyoka)についても成り立つ。占いでは女性の腹部の異常について「腹がごろごろ唸る、蛇のようなものが動き回る」といった言い回しが用いられることが多いので、この2つの用法のあいだにはつながりがあると思われる。 ↩ ↩ ↩
209 ウジマ(uzima)。スワヒリ語と同じ。「健康であること、完全であること、欠けがないこと」形容詞は-zima。mwiri uzima「全身」、mut'u muzima「成人、大人」など。身体に関する場合「健康」と訳することが多いが、もっと広く欠損のない状態を示す言葉として用いられていると判断した場合、「つつがなきこと」と訳している。 ↩
210 ク・ロラ(ku-lola)は「見る(look at)」を基本の意味とする動詞。「向かう、面する」「(病人などを)見舞う」などの意味で使われる。さらに「(婚資を支払って)正式な妻とする、娶る」という意味もあり、この場合ku-lolaの主語は婚資を支払う人(花婿本人の場合もあるが、多くは花婿の父親など)になる。ku-lolaのcausative formには ku-lolesa 「(物などをある方向に)向ける」と ku-loza 婚資の提供者を主語として「(ある者(息子など))を結婚させる」の2つがある。「見る」を意味する動詞には「見る、見える(see)、わかる」の意味のku-ona、「凝視する」のku-kot'ola, ku-kot'orera、「じっと見る、目を凝らして見る」のku-tong'olaなどもある。「娶る」意味ではku-wala も用いるが、婚資の移動を伴わない結婚にもこの動詞は用いられる。
ここではku-lola がその意味の二重性で用いられているようにも見える。施術の仕事がうまくいくと、多くの患者を「見る」ことになる、つまり繁盛するという意味と、その儲けによってそれを婚資として妻を「娶る」という意味との。Murinaの父の姉妹の一言は後者の意味を強調しており、それを受けてムリナは妻がもう一人欲しいと付け加えている。 ↩
211 ペンベ(pembe, pl.pembe)。第一義的には「角(つの、かど)」を意味する名詞であるが、「子孫、子供」という意味でも慣用的に用いられる。諺"Kulungu moga uchimbiza pembeze."「臆病なハーテビースト(鹿の一種)はその子供たちを逃がす」(危険を察知したときにはまず非保護者たちを逃がせ(早めに対処したほうがよい)) ↩
212 ク・ハツァ(ku-hatsa)。ここではku-hatsa dzina「名付ける」の意味で用いられている。男は自分の子供に、男児であれば、自分の父親の世代のクランの男(父、父の兄弟、その他)の名前を付ける。女児であれば、自分の父の姉妹など、父親の世代のクランの女性の名前をつけるが、母親、母親の姉妹など母方の女性の名前をつけても良い。女児の場合は、難産の末に生まれた子供にTabu(「難儀、困難」の意味)という名前を付けるなど、さらに自由度は大きい。 ↩
213 念のために。ムリナの母は、チャリがムリナと一緒になる以前に亡くなっているので、チャリは彼女に面識がない。それに対して祖霊であるムリナの母は、自分の死後に起こったできごともその関係者のこともすべてを知っている存在である。 ↩
214 ングオ(nguo)。「布」「衣服」を意味する名詞。スワヒリ語も同様。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。ムルングは「黒」(実際には紺色)の一枚布、憑依霊ドゥルマ人も同じ色だが、ビーズ飾りが違っている。シェラは赤い布など。多くはカヤンバなどにおいてmuwele4として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。 ↩ ↩
215 チャリはここで shukuruという言葉を名詞として用いている。shukuruはスワヒリ語の動詞で「感謝する、自らを慰める、満足する」などを意味し、目的語はとらない。名詞として使われる用法はないが、単に「感謝」とすると意味をなさない。文脈からはチャリの癒しの術がもたらしてくれたご褒美、成果、恵み、みたいな感じか。 ↩
216 ク・サラタ(ku-salata)。「呪詛する、悪しき祈願を行う、呪う」。一見スワヒリ語のように見えるが、スワヒリ語にはこの動詞はない。「祈願する、イスラムの決められた形式で祈る」を意味するスワヒリ語ク・サリ(ku-sali)、あるいはその名詞形salaと関係があるのかもしれない。ドゥルマ語のク・サラタには ↩
217 ベヴャラ(bevyala)。「夫の父」。夫の母はメヴャラ(mevyala)。彼らにとって息子の妻はムカザ・ムヮナ(mukaza mwana, pl. akaza mwana)となる。 ↩ ↩
218 ジェーレ(zyele)。ムヴィエレ(muvyere)「(男女を問わず)年長の、年上の、上位の(キョウダイ、妻etc.)」を舌足らずの幼児語でジェーレという。なぜここで幼児語を使っているのかの理由は、単に推察できるだけだが、おそらく癒しの術を極めて、皆から第一人者と見られ、その治療による救いを誰もが求めており、実際に彼女がやって来ると、母親が背負っている幼児に幼児語で「ほら、『一番の癒ししゃま』がいらっしゃったわよ」と告げている、といった感じのシチュエーションか。 ↩
219 ウェンデ(wende, pl.mawende)。「婚約者、恋人」。ドゥルマには婚約という制度そのものはなく、結婚を念頭に置いて付き合っている女性、恋人をウェンデと呼ぶ。第一夫人が、家事負担を軽くするために夫の第二夫人にするべく、年少の少女を家事手伝いのような形で連れて来るような形で、夫婦が同意して夫の第二夫人候補を受け入れる場合もときに見られる。その方が一夫多妻がうまくいくのだとか。 ↩
220 ムラム(mulamu)。妻の兄弟姉妹、(男性から見て)兄弟の妻の兄弟姉妹、(男性から見て)姉妹の夫、兄弟姉妹。(女性から見て)姉妹の夫の兄弟、(女性から見て)兄弟の妻の兄弟。すべて分類上の関係も含む。ややこしいですか?

notes: This figure is based on research I conducted in the neighbourhood(lalo) of Shambini, Puma location, Kinango Division, Kwale District, in 1983. In recent years—particularly in Kinango and its surrounding areas—there has been a notable trend of assimilating the term mulamu into shemegi, a word derived from the Swahili term shemeji(brothers-in-law, sisters-in-law). In this usage, a man does not refer to his brother's wife as mutsedza any more; instead, he simply calls her shemegi. Conversely, a brother's wife may also refer to her husband's brother as shemegi, though the traditional term—mulume wangu muvyere(my elder husband) (or mulume wangu muvaha(my younger husband))—still remains in use. ↩
221 ムリナはまだ自分自身の子供をもうけていない。しかし実は「子供名」222は子供が産まれる前から、ある意味決まっている。例えば私がKalimboという名を持っている男だとすると、私に第一子が生まれ、それが男の児であれば、Mweroと名付け、女の子であればNyambulaと名付けることになっているので、実際に子供をもうける前に、私の子供名はBemweroかBenyamvulaのいずれかになることはわかっているのである。父親が別の名前を選択する特殊事情があれば別だが。こうした既定のムリナの子供名は、Benzingo(第一子が男児の場合)あるいはBemupa(第一子が女児の場合)である。このサダカではムリナがベヤワ(Beyawa)と呼ばれている箇所もあるが、ムリナの男児の第二子につけられる可能性が高い名前がニャワ(Yawa)であることから、今後ムリナが多くの子供をもつという期待の表明であるとも言える。 ↩
222 ジナ・ラ・ムヮナ(dzina ra mwana)。「子供名」夫婦は第一子をもうけると、敬意をこめてその子供の名前にちなんだ「子供名」で呼ばれるようになる。第一子の名前は、それぞれのクラン(ukulume)ごとに、子供の祖父の世代の人名から一定の規則に従って選ばれた名前がつけられるが(たとえばムァニョータ・クランの場合は、長子には男児であれば、その子の父親の父の名前が、女児であればその子の父親の父の姉妹の名前がつけられる、といった具合に)、以後、夫はその子供の名前(例えばムエロ(Mwero))にちなんでその名前の前にベ(Be)をつけて(たとえばBemweroというふうに)、妻は子供の名前の前にメ(Me)をつけて(たとえばMemweroというふうに)呼ばれることになる。これが「子供名」である。 ↩
223 ここでMwachi....は、自分たちの母であるメムベユ(Membeyu)を、「ムリナの子供」と呼んでいるが、少しわかりにくい。ムリナはメムベユの夫であるキメラ(Chimera)の父である。メムベユにとっては義理の父ベビャーラ(bevyala217)であり、メムベユはムリナにとって息子の嫁(mukaza mwana)である。ここでは義理の父子関係を、単に父子関係として語っている。なおムリナの母は子供名メムベユ(Membeyu)とクランから与えられた名前カジネ(Kadzine)とは別に、通称(あだ名)カビョネラ(Kavyonera)がある。 ↩
224 ク・ロラ(ku-lola)。「見る(look at)」を基本の意味とする動詞。「向かう、面する」「(病人などを)見舞う」などの意味でも使われる。さらに「(婚資を支払って)正式な妻とする、娶る」という意味もあり、この場合ku-lolaの主語は婚資を支払う人(花婿本人の場合もあるが、多くは花婿の父親など)になる。ku-lolaのcausative formの一つク・ロザ(ku-loza)は、 婚資の提供者を主語として「(ある者(息子など))を結婚させる」という意味。 ↩ ↩ ↩
225 ムカカジ(mukakazi, pl.akakazi)「僚妻」。一夫多妻婚において、自分の夫の他の妻をムカカジと呼ぶ。僚妻どうしは互いを親しさを込めて(実際に親しいかどうかは別として)「お祖母ちゃん(wawe)」と呼びあう。 ↩
226 クティ(kuti, pl.makuti)。ココヤシの葉を天日乾燥させ、手作業で編み上げた伝統的な屋根葺き材。数年おきに葺き替えねばならない不便さはあるが、トタン屋根に比べて涼しく室内は快適。1980年代初めには、キナンゴ周辺の地域では、ドゥルマの伝統的な草葺きの家屋はスワヒリ・スタイルのマクティ葺きの家に置き換わりつつあった。 ↩
227 ムベレ・ヤ(or ザ)・ハキ(mbere ya hachi, mbere za hachi)。スワヒリ語では"kwenda mbele ya haki"は「死去した、逝去した」の婉曲表現として用いられる。死んで神の裁きの前に行った、神の御前に行った、という意味である。しかしドゥルマ語での使い方には、hachiの別の意味である「確実さ、真理」の意味が強く、また祖先は「前」で残された我々は「後」だという関係も見て取れる。死者に対する語りかけのなかで「あなたはmbere za hachiに行かれた。私はというと、まだ後ろの空虚(虚栄)のなかにいます。wakpwenda mbere za hachi, mino nichere nyuma za ubatili」とか「あなたこそmbere za hachiにおられ、すべてをご覧になる。uwe ndiwe mbere za hachi unaona chila chitu。」「あなたはmbere za hachiに行き、未だに何をすべきかわからない私どもを後方に残されました。wakpwenda mbere za hachi, uchisiya sino kahudzanbwe kpwamba hundahendadze.」という訳で、私は mbere za hachi を、「前方の真理の(確実性の)世界に」と訳したいような気がするのだが... ↩
228 ジネ・ツィンバ(jine tsimba)。ジネ・シンバ(jine simba)とも。イスラム系憑依霊jine(fr.(ス)jini,(英)genie,(ア)jinn)の一種。ジネは犠牲者の血を飲むという共通の攻撃が特徴だが、ジネ・ツィンバはもちろんそのライオンtsimbaのように鋭い爪で犠牲者の血をとる。症状:首を圧えられる、血の咳、腎臓(噛み潰されるkpwafunwa)、カヤンバで憑依されると地面を4足歩行し、ライオンのように吠える。 ↩
229 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師230。内陸bara系231であると同時に海岸pwani系27であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」232)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。 ↩ ↩ ↩ ↩
230 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia229)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。 ↩
231 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。 ↩
232 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia229)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。 ↩
233 正式に「外に出された」霊のみが、一人の施術師がもっている憑依霊のすべてではない点を指摘しておきたい。1989年の時点で、チャリのもつ憑依霊で正式に「外に出て(kulaa234)」きたのは、1回目に外に出されたムルング(ムルング子神 mulungu, mwanamulungu51)と憑依霊ドゥルマ人(muduruma63)と世界導師(mwalimu dunia229)の二人だけだが、同時に多くの憑依霊が「出現し(ku-lairira)」ていた。キツィンバカジ(chitsimbakazi76)、祖父デレの持ち霊でもあった憑依霊ガンダ人(muganda235)、占いを司るピーニ(pini236)その他、自ら正体を明かす者、明かさない者大勢である。霊たちのある者は、正式に外に出た憑依霊と瓢箪子供を共有できるので、改めて正式に外に出す必要はない。他の者は、他の霊の瓢箪に同居できないので、正式にそれらの霊を外に出す必要がある。正式に外に出されなくても、満足して施術に力を貸してくれる霊もいれば、邪魔をしてくる者もいる。こうした霊たちとの生活のややこしさは、また別項でゆっくり紹介したい。 ↩
234 ク・ラー(ku-laa)。「(外に)出る、~から出る、~出身である」などを意味する動詞。ku-lavya は「出す、差し出す」、ku-lairaはku-laaのprepositional form。ku-lairira, ku-laira ともに「出現する、現れ出る」などの意味も有する。 ↩
235 ムガンダ(muganda)。憑依霊ガンダ人。民族名の憑依霊。バナナを主食にするなど。1991年の時点でChariの占いを担う霊とされていた。ジンジャ導師(mwalimu jinja)の別名ともされていた。(後には占いを担っている霊はギリアマ系の霊ピニ(pini236)であるとされた)。調査地周辺では、チャリ以外の誰もこの霊を持っていなかったが(あまり知られてもいなかったが)、チャリがその癒やしの術を継承したとするチャリの祖父デレの持ち霊であったといい、デレの子孫で施術師になった者は、全員がこの霊をもっていたという。 ↩
236 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua237の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera239)」の技も与えてくれる。 ↩ ↩ ↩
237 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga238) ↩ ↩
238 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua237)、別名(?)ピーニ(pini236)が必要とする道具の一つ。
↩
239 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。 ↩
240 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガをすることをドゥルマ語ではムブルガを「打つ(kupiga mburuga)」と表現する。相談者が占いに相談に行くことを婉曲的に「山に行く(kpwenda vilimani)」と言う言い方もある。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。占いに行く者は、必ずしも病人、あるいはトラブルの当事者本人であるとは限らない。むしろ事情に詳しい代理人が行くのが普通である。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、まず問題を抱えているのが男性であるか女性であるか、大人であるか、子供であるかを当てねばならない。次に自ら患者(あるいは問題の当事者)の抱えている問題を、それが病気であれば、頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、生木の小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、どのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。 ↩
241 デレ(Dele)。チャリの母方の祖父。チャリが生まれた時にはすでに死亡。高名な施術師で、デレの子孫の多くがデレの癒しの術を受け継がざるを得なくなったという。チャリもその一人。 ↩