憑依霊の施術師チャリ、ニューニを治療する

目次

  1. はじめに

    1. 日誌より

  2. チャリのニューニ治療

    1. 施術内容

    1. 患者

    2. 草木の用意と用途

    1. 施術と唱えごと(日本語訳)

    1. 憑依霊たちに対することわり

    2. ニューニの瓢箪での唱えごと

    3. ンガタを差し出す唱えごと

    4. 薬液用の草木に対する唱えごと

    5. 子供の母の病気に対する唱えごと

  3. 考察とコメント

  4. 注釈

はじめに

チャリは憑依霊の施術師であるが、その子供が小さいときにニューニに襲われたことから、同じことがまた起きた場合自分で治療できるようにと、自分の子供を治療してくれた施術師からニューニの施術を購入したという。これはドゥルマの人々が、ニューニの施術を手に入れるごく普通のルートだ。この話は知り合った初期から聞いて知っていたのだが、チャリが実際にニューニを治療するところは、ほとんど見たことがなかった。

今回のドゥルマデータをウェブ化する私的プロジェクト(別名Who-caresプロジェクト)は、1983年から1994年2月までの期間の調査データに限定したものではあったが、その間に私がチャリのニューニ治療に立ち会うことはなかった。2012年に短期(1ヶ月)のフィールド調査を行った際に、偶然チャリのニューニ治療を見ることになった。

いや、面白い。チャリの施術は確かにニューニの草木を用いるものではあったが、それはほとんど憑依霊に対する施術と同じ仕方でおこなわれていた。

その際のチャリが行った唱えごとを紹介することにしたい。すでに紹介した、他のニューニの専門施術師たちの話と比較すると面白いだろう(私以外に誰が面白がるかという問題はあるが)。

日誌より

2012年9月22日(土)の日誌より1 (ニューニ治療については偶然目撃しただけで、その施術そのものについては内容は多くないので、この日の日誌を全文公開して、フィールドでのスットコドッコイな一日がどんな感じかお伝えします。例によって内容に手は加えませんが、人名のみ限られた人以外仮名、イニシャルにします。この年の調査から録音はカセットではなく、ICレコーダにしたのですが、誤操作でせっかく録音したファイルが消えまくり、意気消沈。この日の録音もほぼ全部消えちゃった。それを9月26日に気づいた(書き起こし担当にカードを渡したら、何もはいってませんよ、と言われた!)のですが、帰国後なぜかチャリのニューニ治療だけが本体メモリに残っているのがわかり、自力で書き起こしたのが今回のデータです。)

昨夜は10時前に就寝して、朝5時過ぎまで一度も目が覚めることなく熟睡した。相変わらず意味不明な夢の連続だが、断片的にしか覚えていない。カタナ君は昨夜胸焼けで眠れなかったという。夜中にメカ....((注)カタナ君の奥さん)と二人でjiko2に行き、灰をなめた。胸焼けの対処法。今日薬を手に入れるという。胸焼け程度でなにを大騒ぎという気もするが、本人は結構深刻そうである。胃のあたりが熱くて、何かにこね回されているような気がするとか。 10時になってもfundi3が来ないので、私は一人でチャリの屋敷を訪問。しばらくするとハリ君5が現れる。chirapho6と妖術の違いについて、ムリナとハリの論争。どちらもutsai7だと言うが、妖術はターゲットの名前(それも彼がその名前で知られている通り名)を口に出してmakokoteri8するが、chiraphoは名前を特定しないという違いに落ち着く。 *録音が事故で消去されてしまったが、内容は以上につきる。2012/09/26記 一昨日の病人は、一昨日まではなにも食べず、夜も寝ずに騒いでいたのだが、昨日からようやく物も食べ、夜は寝るようになった。ひっきりなしに卑猥な言葉をしゃべり続けているのは相変わらず。チャリ、muduruma12のvuo22を作ってmakokoteri。病状にあまり変化なし。 チャリの兄弟について確認。 病気の幼児を連れた女性。チャリにnyuni45治療を依頼。チャリのnyuni治療の呪文を録音。 *録音内容は誤操作で消去。2012/09/26記 チャリの占い(実施されず)を求めにきた客から、今日がkpwisha98であることを知る。まだmajuma ga chidurumaを知っている人もいるということだ。というわけで明日から一応majuma ga chidurumaの曜日も記載することにする。 ハリによると「ジャコウネコの池」にファイア・ミニストリ99の教会ができるという。建物もすでに立っているというので案内してもらう。この教会は、Be...の妻Eli....が自力で建て始めた教会だったというので、本人に会っていきさつを聞く。大変面白い。教育はないが神と直接交信したり、天使を見たりする予言者のような女性で、ペンテコステ教会からは排除されたらしい。唇に腫瘍ができていた([nyama zinamera mulomoni](#tran1)のを、夢で3人の天使が降りてきてそれは神の仕業であり、あなたは神に選ばれたのだと告げた。神に祈り、その命に従うことで直り、教会をたてるよう導かれた。賛同する人もいたらしく、その協力で屋根を残してほぼできあがっている。そんなときManshuko99と出会い、この人だと思い、Manshukoを呼んでファイア・ミニストリの教会にしてもらうことにした。Manshukoは「ジャコウネコの池」に妖術使いがたくさんいることを指摘している。彼が来ると妖術使いは一掃されるだろうと。ほぼすべてを録音(23分)。 *残念なことにその後操作を誤って消去してしまった。カセットと違ってデジタルデータは一瞬でなくなるので怖い。思い出せる限りでここにその内容を書き留めておこう。2012/09/26記 何年か前に彼女の唇に腫瘍ができた(瘤ができた? yimera nyama)。当時彼女はグァドゥのペンテコステ教会に通っていたが、人々は彼女のふしだらさを神が罰したのだと言って、彼女を追い出した(メカ...によると彼女がリーダーになりたがったのを皆が拒んだということらしい)。そんなとき彼女の夢の中に3人の天使が現れて、彼女の唇のnyamaは神が引き起こしたもので、彼女は神に仕え、人々に説教するよう選ばれたのだと伝えた。彼女が必死に祈ると、なんとその後しばらくして彼女の唇のnyamaは自然にとれた。彼女は神に感謝したが、再び夢を見た。彼女は森に入って、森の木々を相手に説教を始めた。すると森の木々が人間に変わった。そこにはNza...もいたしハリもいた。彼女は人々に「救われる」(教会に加わる)ことを勧め、彼らは同意した。そこで彼女はこのことを「すっぱい」村の教会の人々に言ったが、相手にされなかった。彼女は教育がない。神の仲立ちをするのはパスターなのにそれを飛び越して教育もないただの信者がどうやって人々を導けるというのだろうと。しかし再び天使が現れて、彼女が神によって選ばれた者だと告げた。そこで彼女は自分自身の教会を建造することにした。彼女の意見に同意する人々の協力で、小さいながらも石造りの壁の教会ができ、後は屋根をつけるばかりになっている。水曜日と日曜日に集会を開いて、少ないながらもみんなで祈っている。「ジャコウネコの池」にもう一つMb...牧師が率いるペンテコステ教会ができ、彼女の教会のライバルになっている。そんなおりに彼女はManshukoと出会い、彼女の教会をManshukoの教会にすることにした。 ハリといっしょにムァニョータ一族(ライラ・オディンガがキナンゴに来るというので男たちはほぼ出払っていた)、ハリのムァカイ一族に挨拶。Kai.....たちは相変わらずヤシ酒を飲んでおり、勧められるが一杯だけで失礼する。ハリは教師のストライキ中はこちらにいるというので、助手を頼むことにする。 5時過ぎにメジ...の両親が客として突如訪問。その食事の用意のため急遽mutele100が料理され、おかげで夕食は10時前になる。夜インターネット接続を試みるが、まるで使い物にならない。ほんの数秒しか接続が維持できないありさま。

[訳1]: 唇に肉が生えてくる [訳2]: 肉が生えてきた

チャリのニューニ治療

施術内容

(2012年9月22日のフィールドメモより)101

患者: ムロンゴ(メジュマー)とその子供ムァナピリ
ムロンゴはチャリの分類上の姉妹の娘であり、チャリはムロンゴを「私の子供(mwanangu)」と呼び、ムロンゴはチャリを「お母さん(mayo)」あるいは「チャーネ(chane103)と呼びあう関係である。

草木の準備と用途

ストックから、あと数種の植物については裏のブッシュから
ニューニの草木: キクヮタ104、キトゥンビトゥンビ105、ムドゥング106、ムクェンベ107、ムヴモ109
+ ムルングの草木: mulazak'oma111、muyama113など

薬液用の草木の葉、茎からしごきとってショッピングバッグに詰めて渡す (Web化に際して付ける注記: フィールドノートの記述からは欠落しているが、薬液用の草木とは別に、ニューニの瓢箪のなかの粉薬(mureya116)も、唱えごとされたうえで渡されているはずである。それを入れないと薬液は完成しないから。このことは訳出した唱えごとでも前提とされている) 木の枝を縦に割ったもの、根などをエダウチヤシの葉で束ねてくくる→煎じる薬

ムルングの布(紺色)の端布(長方形の長い短冊状)に瓢箪のなかの黒い粉、別の瓢箪のなかの黒い粉の混じったヒマの油を垂らす→ngata26

子供の潰瘍に塗るための薬(名称未確認。石の上で擦って粉にしそれを塗布するための根)

母親のための草木(煎じる薬)の束: muphingo117、mudzala118、muvumo109
後に憑依霊ドゥルマ人のためとわかる (Web化に際して付ける注記: 同じくフィールドノートの記述からは欠落しているが、煎じる際に加えるべき憑依霊ドゥルマの香料も、同時に手渡されている。これは書き起こしのなかには明記されている)

日本語訳:ニューニ治療の際のチャリの唱えごと

各パラグラフの冒頭のEX+英数字をクリックすると、該当するドゥルマ語原文に飛びます。 EX1 (チャリ、自分の憑依霊たちに対して施術の説明と許しを請う) (録音は唱えごとの途中から始まる)

Chari(C):...私はニューニ45の問題をお話しました。でもさて、憑依霊(p'ep'o)をもっていない人はいないと言います。すべての人が生まれながら憑依霊をもっています(字義通りには憑依霊はすべての人といっしょに生まれてきます)。まず第一に、ムルング本人です。彼こそ最初の憑依霊です。あなた全能のムルング、憑依霊バラワ人120、サンズア121、憑依霊バルーチ人125、憑依霊クァビ人126とご一緒に。あなた天空のキツィンバカジ40と池のキツィンバカジ、地下世界のペーポーコマ127、池のペーポーコマ、ご一緒にいるのが、あなた憑依霊ガラ人129、あなた憑依霊ボニ人130、憑依霊ダハロ人131、憑依霊コロンゴ人132、憑依霊コロメア人134。でも、私はあなたドゥングマレ66、ジム137、キズカ138、スンドゥジ128、憑依霊ドエ人119とお話します。ペーポーコマ、あなたこそ子供のすべての関節をだらりとさせ、子供をぐったりした状態にし続ける張本人ですね。あなたはニューニだと言われます。 今、私は皆さま方におしずまりくださいと申します。この子供がこれより家に着き、その薬液を浴びれば、あなたペーポーコマ、そこにおわすあなたムルングともどもに、皆さんこの子供を解きほどいてください。あなたドゥングマレ、ジム、キズカ、スンドゥジ、憑依霊ドエ人、皆さまおしずまりください、子供の(を捕らえる)憑依霊は皆さまです。 私はシェラたち(mashera36)については語りません。シェラは子供をとらえて、関節を切りまくることはしません。私は、あなた方昔からの憑依霊の皆様にお話いたします。ドゥングマレ、ジム、キズカ、スンドゥジ、憑依霊ドエ人の皆さまです。地下世界のペーポーコマ、あなたカヤ139の偉大なるムルングよ、どうかおしずまりください。子供を解きほどいてください。 さて、私はお話いたします。私には罪はありません。この瓢箪は、人を救う瓢箪です。それはいつも人を救う瓢箪でした。この瓢箪を私はジロニ140さんから与えられました。ジロニとはムァゾンボさんです。ジロニは名前です。でも本名はムァゾンボです。

(ニューニの瓢箪を手に持ち、左手に打ち付けつつ唱えごと、ンガタ、その他の治療について説明する) EX2

Chari(C): さて今、私はこの薬(muhaso141)を注ぎます。唱えごとでしたら、すでに唱えました。でも瓢箪のなかの薬は注いでいなかったのです。今、私はあなたニューニにお話します。あなたパラクシ(parakusi142)、あなたニャグ(nyagu143)、あなたズニ・マバワ(dzuni mabawa145)、あなたキルイ(chilui147)、あなたツォヴィャ(tsovya70)、あなたフクロウ(chimburu148)、あなたブッシュベビー(k'omba149)。今、今日、私はこの子供に薬を与えると申しました。この子供が行ってこの薬を飲んだなら、この子が治って欲しいのです。プウッ。 子供はビクッと驚かない、子供は関節関節がこのようにぐらぐらしない、この子供に私はつつがなさをあたえたと私は申しました。子供は(関節が)ぐらぐらせず、子供はひたすら眠ることなく、子供はぐったりしてしまうこともない。 いまは、この子供をお解きほどきくださり、健康にしてください。あの腹部が膨れることについても、なくなりますように。もう争いはございません。争いは昨日、一昨日のこと(もう過ぎたこと)です。争い合う者は二人、三人目がやって来て、仲裁します。今日私が仲裁者、争いを収めます。 (唱えごと終了) C: (私に向かって)写真はもう撮ったの? Hamamoto(H): はい。

EX3 (ニューニに対し、完成したンガタ(ngata26)を差し出す唱えごと。その他の草木の処方についても説明する)

Chari(C): さて、私は話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。私は困窮のせいでお話ししているのです。私は話します。このメジュマーです。彼女は子供を産みました。子供はムァナピリです。そう、ドゥルマ人は言います。人が最後につつがなく過ごせたのは、母の胎内にいた時だったと。生まれ、外に出ると、多くの病いがあなたを見舞うものです。この子も病いに捕らえられました。私たちはそれがどんな病いであるのかわかりませんし、それが何なのかもわかりません。 でも、私たちはこうしたことを見ると、クハツァ(命名)いたします150。クハツァするとはどういうことでしょう。私たちはニューニがいるのだと言います。そうニューニはたくさんあります。ブッシュベビーのニューニもいます。フクロウのニューニもいます。ズニ・マバワのニューニもいます。キルイ、さらにはツォヴィャのニューニもいます。昼に夜に襲いかかってくるムァンガ(mwanga69)、ペーポームルメ(p'ep'o mulume57)、カドゥメ(kadume62)、皆さん全員、鋭い爪をもった憑依霊(nyama156)です。 私はこの子供にンガタを着け、薬液(mavuo22)を与えます。この子供がここを去り...私はこの子に「擦り薬(kuro161)」も与えています。(ここを去った後)、この薬を擦ってもらえば、この子が歩けますように。だって、今のところ、皆さまはこの子の足に穴を穿ってしまおう(膿んで穴が開き膿が出てくる)としておられる。ねえ、足を腫れ上がらせるニューニなんて、いったいぜんたいどんなニューニだというのでしょう。でも、ごめんなさい。だって病気とはどんな風にでも人を捕らえてしまうものなのですから。 今、そう、わたしは皆さま方に椅子を差し上げます。どうか椅子に腰をお下ろしになり、皆さま方の出身地である荒蕪地(nyika)にお行きになり、そこでエランドやシマウマをお食べください。そして海(pwani)にお戻りになり、そこでトカゲウオ(ngoromwe162)やテングハギモドキ(nzaga(Naso hexacanthus))をお食べください。この子には血がありません。あなた方に食べられてしまったのです。この子には肉がありません。あなた方に食べられたのです。今は、皆さま方の出身地にお帰りになり、そこでお静かにお過ごしください。どうかこの椅子におすわりください。この子供の上にお座りにならないでください。子供の身体は枕にはなりません。子供の身体はマットレスにはなりません。どうかおしずまりくださいと申します。 さて今、ニューニの皆さま全員、そこにはさらにあなたムヮハンガ(mwahanga164)も、あなたムヮヴィツワ(mwavitswa165)もいます。皆さま方全員。あなたムヮハンガ、あなたこそ、とってもとっても悪い人。寝ると悪い悪い夢を見ます。さて、今、二度とニューニはなし。子供をそれが悩ませることもなし。私は子供だけにンガタを結びます。 (母親のメジュマーに向かって) 見てちょうだい、あなたが望んだ場所を。ここでいい? Mejumaa(Mej): ええ。そのままでいいわ。あまり長くしないでね。 C: 長いのは嫌いなの? Mej: そうよ。 C: なかにはンガタを一番下(腕の付け根近く)に着けたい人もいるわね。見られたくないんだってさ。娘ごころかしら。 Mej: 「ねえ、あなたは病気を癒やすの、それとも、娘ごころを癒やすの?」(Mejはその手の患者に言うだろうことを真似て言って見せている) C: (彼女らには)女らしさが大事なのよ。(ンガタが)ドレスで隠されてしまうのが望み。でも病気を知らない人って誰?そんな風にしてる人を見たら、その人は子供を産まないとわかるわ。ここのね、私の義理の息子(mutsedza166)だけど、この子たちの母親の夫よ。彼の妻がンガタをしてたの。妻がンガタを着けていたのよ。そして夫と一緒にモンバサに行くということに。そしたらンガタを外して、切って、切れ切れにしちゃったのよ。

EX4 (薬液に対する唱えごと)

Chari(C): さて、私はお話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。もしお話しするとすれば、メジュマーです。子供を産みました。彼女の子供はムァナピリです。子供は病気です。病気はまず初めに全身の発熱、すべての関節に力がはいらず、ぐったりと寝ること。 皆さま方に、おしずまりくださいと申します。私は皆さまのために薬液を求め採って参りました。誰のための薬液でしょうか?ニューニの薬液です。 あなたニューニご本人、そう私はあなたを盗んではいません。盗人ではありません。ニューニを私はムァゾンボ・ワ・コーニャ氏から与えられました。今、今日、私はこの子のために調えます。あなたパラクシ(parakusi142)、あなたキルイ(chilui147)、あなたニャグ(nyagu143)、あなたツォヴィャ(tsovya70)、あなたズニ・マバワ(dzuni mabawa145)。ブッシュベビー(k'omba149)のニューニなのか私たちは知りません、フクロウ(chimburu148)のニューニなのか、私たちは知りません、ムェー(mwee144)のニューニなのか、私たちは知りません。今、今日、この子供は、まず突然この足まで腫れだしました。さあ、あなた方はこの子に腫れ物を持ち込んだ。いったいいつ、ニューニが腫れ物をもたらすようになったのですか?私はこの子に、行って擦ってもらうようにと「擦り薬(kuro161)」も与えました。それらの擦り薬をすってもらえば、この子供が治りますように。あなたニャグ、私はあなたに薬液を与えます、ンガタも与えます、プッ!

EX5 (メジュマーに対する唱えごと)

Chari(C): ビスミラーヒ、ラフマーニ、ラヒーム、アウドゥビラーヒ、ミナシェトワーニ、ラジーム167。さて、私はお話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。私がお話するとすれば、このムロンゴ(メジュマーの本名)です。彼女はその父と母とによって生まれました。生まれた時には、ムルングの被造物、ムルングの人間です。しかしながら、病気で苦しんでいます。彼女の場合、病気とは腹の問題です。本人も言っていますが、病院に行くように言われたのです。彼女は「どうして、私はすぐにチャーネ(chane168)のところに行けないの?」と言います。「もし誰かにお金をだしてもらったのなら、そのお金で憑依霊の治療に行ったりしたら、ことはうまく運ばないぞ。」 彼女は病院で、この病気とともに放置されることになります。もしはじめに、こうしてほしいという他人の言葉に従うと、ことは失敗するものなのです。 今はというと、私はこの者のためにムルングにお祈りします。私は北の方々に、南の方々に、東の方々に西の方々に、ブグブグ169の方々に、ニェンゼの小池の方々に、子神ドゥガ170、子神トロ(mwana toro171)、子神マユンゲ172、子神ムカンガガ173、キンビカヤ174、池を蹂躙する皆さま方にお祈りいたします。そしてあなた子神ムルング・マレラ(marera175)、ムルング子神(mwanamulungu)、そして子神サンバラ人(mwana musambala176)とともにおられるムルングジ(mulunguji177)。 私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi178)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura179)、お母さんの場所ゾンボ180、サンブルのムガマーニ(Mugamani181)で争う皆さま、ンディマ(ndima182)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe183)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。 おだやかに、子神ニューニの皆さま、私は皆さまにおだやかにと申します。キグルフュラ(chigulufyula184)の方々、マンゲラ(mangera185)の池の方々、睡蓮の池の方々、キンガンギーニ(ching'ang'ini186)の、マカンガ187の、マレレ188の方々に、おだやかにと申します。キンベーブォ(Chimbepho189)の皆さま、さらにはムルング・ウヴョーニ(不明だがMwache川のマヴョーニと呼ばれる淵をさしているのかも190)の方々。私は皆さまにおしずまりくださいと申します。山々の皆さま、おだやかに。ゾンボの山192の皆さま、おしずまりください。大きな木々の皆さま、おだやかに。洞窟の皆さま、おしずまりください。 しかしながら私がお話するとすれば、私はあなたムルングご自身にお話いたします。あなたムルングこそ、子供祈願を受けられる方。胎内の子供であれ、外の子供であれ。あなたこそが育てる方。さて、今、この子供(Mejumaa本人を指している)はどうして病気なのでしょう?腹の病気なのです。腹は唸ります。腹は焼けます。腹はトゲに刺されます。腹からとてもとても汚ない物が出てきます。そして痒み。施術師は恥を知りません(人前で口にすべきでない言葉も平気で口にする)。

EX6

Mejumaa(Mej): ええ。 Chari(C): 自分を掻きむしる、ついにはただれてしまうほど。そして同様に正体不明の熱い水が溢れてくる。 Mej: 今じゃ、膿なのよ。 C: 今じゃ、膿になる。ついにはおりものそのもの。ああ、怒らないでくださいね(はしたない言葉を口にしたことを)。御主人様、もしあなた方のせいでしたら、どうかおだやかに。しかしながら、私はもう一人の方、手を(頭に)置かれること(頭に手を置いて唱えごとをされること)を許さない方にお話いたします。憑依霊ドゥルマ人です。ごめんなさい。 (唱えごと中断) C: 息が切れちゃったわ。今回手に入れたやつ(憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba30)を指して)は、しっかり挽かれてるわね。強い匂いがするわ、あなた。カリンボ(私に向かって)憑依霊ドゥルマ人の香料は久しぶりでしょ? Hamamoto(H): ええ。ムランゼ(murandze193)ですね? C: ムランゼとンダゴ(ndago194)よ。 (唱えごと再開) C: さて、私はお話します。あなた憑依霊ドゥルマ人にお話します。ドゥルマ人、あなたカシディ(kasidi14)、内の問題も外の問題もご存知だというあなたカルメンガラ。カシディと言えば、別名ムルング・マランボ(mulungu marambo195)。 私たちはムロンゴに驚き当惑しています。ムロンゴは、昔から病気知らずでしたのに、今この病気に見舞われたのです。 今、私はお話いたします。そしてこの私の言うことに、耳をお傾けください、あなたドゥルマ人、あなたシャカ(shaka196)、あなたキヤマ(chiyama197)、キヤマまたの名を、あなたムユゴ(muyugo198)、あなた荒蕪地の憑依霊。あなたはただ色々な名前をつけられただけ。チェンゴ(野営地)とかも、ほかにどんな名前がありましたっけ。でもドゥルマ人は、ドゥルマ人にすぎません。あなたカシディは、彼女にカシディ、カシディな物事14をしでかすこと。今、私は彼女に薬を与え、あなたとお話ししています。私は彼女に薬(mihaso55)を与え、薬を煎じるのに用いる香料(mavumba30)をあたえます。さあ、もしこれが正しく、間違いでないなら、彼女が行って、小康が得られますように。そうしたら、私は彼女に薬液(mavuo22)を調えてあげます。もちろん鍋(nyungu23)の湯気浴びだって、やらないとは申しません。しかしながら、私たちはまず本当にあなたのせいなのだという徴を見たいのです。おしずまりください。 (唱えごと終わり) C: 終わったわよ、私。唱えごとってたいへん!

EX7 (施術終了後の雑談。チャリ、昨夜のムリナの振る舞いを話し、また居合わせたチャリの弟子(mwanamadzi199)が夢の話しをする。どうでもいいけど、インターネットが比喩として登場。時代は変わったなあ。)

Chari(C): (途中から)...彼(ムリナ)ったら、(施術の装備を入れる編み袋ムコバ(mukoba96)から)瓢箪を取り出してるのよ。瓢箪を全部、ムコバからすっかり!なんと、お金を探していたのよ207 Hamamoto(H): (昨夜の)雨で(ムコバに)水が入っちゃったんですか? C: そう。 H: なるほど。 Z..(Z, チャリの弟子の一人): カリンボ、ほらお茶が入ったよ。 H: ありがとうございます。 Z: 明け方に、そいつがやって来たのさ。そいつは毎晩やってくる。そして俺に蝿追いハタキを渡すんだ。私は池にクズザに行くのさ。そいつはナイロビも見せてくれる。そいつはどこであれ、見せてくれるんだ。アメリカにだって私は行くんだ。寝ているときにね。私は眠っている。 C: ああ! Z: ちょうどインターネットみたいなものだね。 H: ええ? Z: だって、もしお前が身体の中にあいつら憑依霊たちをもっていたら、ちょうどインターネットみたいに、もし人が場所の名前をあげれば、ありありと見せてもらえる。 H: ああ! Z: そうとも。とっても遠いところでも見える。さあ、(手を洗うための)水を汲んできてあげようか?

考察とコメント

憑依霊のための施術との混淆

ニューニの治療として見ると、実に型破りである。ニューニの治療として通常行われる「飛び立たせ(ku-urusa)」も、それに伴うクツォザ(kutsodza85)もなされていない。ましてや除霊などではない。行われたことは、家で飲ませるようにとの「煎じる草木」、家で薬液にして浴びさせるようにとの薬液の草木、石の上でこすって粉にし塗るようにとの擦り薬が出され、護符ンガタを子供の腕に巻く、これではごく普通の憑依霊による病気の応急治療(hamehame)となんら違いはない。

とは言え、チャリはニューニの施術師からその知識を購入したと思われるニューニの瓢箪をもっており、それを使って(今回の治療ではンガタの作成の際に用いただけのように見えるのだが)治療している。しかしその瓢箪の中身は、憑依霊の瓢箪子供のなかの「薬」とは性格の違う薬である。チャリは最初に、憑依霊たちに対してその瓢箪の使用について許可を求めねばならない。

彼女は言う。「私には罪はありません。この瓢箪は、人を救う瓢箪です。それはいつも人を救う瓢箪でした」と。「罪」がないと宣言することの意味は、人を害する目的でこの瓢箪を使わないという意味であり、自分が妖術使いではないことを主張しているのだが、そのことで逆にこの瓢箪の薬が、妖術系の治療(それゆえ妖術の行使)に用いられる薬(muhaso)と同系列の薬であり、憑依霊の瓢箪子供のなかの「薬(muhaso)」とは系統の異なるモノであることをほのめかしている。それらの妖術形の薬は、活性化させることで使用者の命令に従う。瓢箪を手のひらに打ち付けながら唱えごとをするというのがそれに当たる。憑依霊の瓢箪子供の場合、そのような使い方はされない(施術師ごとにさまざまな様式があるので断定はできないが)。

この薬がンガタに注がれたのは見ているが、煎じ薬にも添えられていたかどうかは、その場では確認していない。いずれにせよ、この瓢箪の薬が、チャリの施術を、ニューニの施術の一種と見ることを可能にする。

しかしそれ以外の点では、他の憑依霊一般の病気に対する施術とほとんど違いが見えない。それが最も明瞭になるのが、護符ンガタを子供に装着する場面である。他の憑依霊に対する護符と同様に、このンガタは憑依霊に差し出される「椅子」であると語られる。憑依霊の護符は魔除けの類ではなく、憑依霊に差し出される椅子である。やって来た憑依霊は、椅子を提供されなければ、そのまま患者の身体に腰を下ろしてしまう。それが患者に苦痛を与える。そこで客人に椅子を提供すれば、彼らは患者の身体に腰を下ろす代わりにその椅子に座って大人しく過ごすのである。「子供の上にお座りにならないでください。子供の身体は枕にはなりません。子供の身体はマットレスにはなりません。」椅子は客を歓待する最初の一歩なのである。

このくだりの、他の部分は、ニューニの施術師たちが行う定型の唱えごとになっている。「皆さま方の出身地である荒蕪地(nyika)にお行きになり、そこでエランドやシマウマをお食べください。そして海(pwani)にお戻りになり、そこでトカゲウオ(ngoromwe162)やテングハギモドキ(nzaga(Naso hexacanthus))をお食べください。」そこに通常の唱えごとでは、「この子供を食べてもあなたは満腹にはなりません」などという言葉が付け加えられたりする。ニューニは子供から立ち去って(あるいは子供には手を出さず)荒蕪地や海で大きな獲物を食べれば良いと諭されるのである。例えば施術師カリサ氏の唱えごとのように。

しかしチャリは、ニューニたちに椅子を差し出して、休憩するよう勧めている。

チャリが取得したニューニの施術が、オリジナルではどんな施術だったのかはわからない。しかしおそらく通常のニューニの施術の定型だっただろう。しかしそれはチャリの手にかかれば、憑依霊に対する治療の一種のようなものに作り変えられてしまっているのである。

名前をめぐる見解

ニューニには多くの種類があり、誰もがニューニであると認めるいくつかの共通の名前に加えて、施術師ごとに多様なニューニのリストがある。こうした名前の多様性について(そしてニューニばかりでなく、憑依霊一般が多くの変名をもっていることについて)チャリは、かなりブッ飛んだ、というかあけすけな見解を示している。

チャリは生まれてきた子供は、多くの病いにかかるものであり、その正体もよくわからないものが多いと唱え、「でも、私たちはこうしたことを見ると、クハツァ(命名)」するのだという。なんでもかんでもニューにだと言い、新しい名前を与える。こんなふうにして、さまざまなニューニが登場するというのである。

チャリのこうした見解は、憑依霊の名前についても当てはまる。子供の母親の病気についての唱えごとのなかでさまざまな憑依霊の名前を、憑依霊ドゥルマ人の別名であるとし、その別名をいくつか挙げた後に「ほかにどんな名前がありましたっけ。でもドゥルマ人は、ドゥルマ人にすぎません。」と言ってのける。

別稿で示したように、チャリ自身が、実は憑依霊を増殖させている。というか夢の中に新たな憑依霊がやって来て、名前を名乗ってくるのである。あるいは何年かの付き合いの後で憑依霊が、自分の正体を(夢のなかで)明かすことがある。そんな具合で、次々と新しい憑依霊とその持ち歌が増えていくのだが、一方で、チャリはこれらを、自分の既知の別の憑依霊の別名として捉えなおす。こうしたことを常日頃からやっているのである。ほっておいても増殖する、憑依霊を収斂させるという二つの方向性がつねに存在しているのだ。

おまけ

施術師チャリによるニューニ治療を見たのはこれが初めてだと思っていたのだが、今回、過去のいろいろなデータを漁っていて、2003年にもチャリが近所の男の子(彼女の分類上の孫に当たる)にニューニ治療している場面を、オモチャの動画カメラで撮影したものがあった。ニューニにはそれほど関心がなかったので、すっかり忘れていた。

映像の下に、そこでなされている唱えごとの日本語訳をつけた。例によってパラグラフ冒頭の英数字をクリックすると対応するドゥルマ語原文に飛びます。ただしこれらの映像の音声の書き起こしは浜本が行ったものであり、正確さには若干(すごく)不安がある。特に草木の名前とか、よく知らないし。耳の良い方は、チェックしておかしいところを指摘していただけるとうれしいです。

EX8 (ニューニの瓢箪のなかの薬に対する唱えごと)

Chari(C):(ニューニの瓢箪を手のひらに打ち付けながら)...ムボゼとマツェジ、草木は子供、言いつけられれば、お前は言いつけに従う。私はお話します。思いますに、私は人と争いはまったくまったくいたしません。さらに、人に悪をなしたこともありません。しかし、誰かが自分の状態について私に泣きついて来れば、その人のために私が調えてあげることは私の義務なのです。 さて、私はこの子供のために調えてあげます。この子供が言うには「まさに僕自身のこれらの目、あっちを見たら、こちらの目はちゃんとしているんだけど、もう一方の目はちゃんと見えないんです」と。というわけで、今私はこの子のために調えてあげます。(うまくいくかどうか)私にはわかりません。私は癒やし手ではありません。癒やし手はムルング114です。だって、この癒やしの術はたしかに私のものですが、私はまずはムルングに祈るのですから。私自身は癒やし手なんかじゃ全然ないんですよ。でももしムルングが私を守ってくださり、人間を治しておいでとおっしゃれば、その患者は本当に治るのです。ですから、このマンガーレのためにムルングに祈りましょう。 おまえ、ムフネ(mufune208)、アマリ(amari209)、ムボゼとマツェジ、草木は子供、言いつけられれば、お前は言いつけに従う。私は今お前をマンガーレの身体に遣わす。私はお前をマンガーレの目に遣わす。そのマンガーレこそ、ニューニをもっていると言われた者なのです。そのニューニは、そいつらだと言われています。荒蕪地のニューニと海のニューニだと言われています。今、私は申します。あなた方、どうかあなたの出身地である海にお帰りになり、そこでテングハギモドキ(nzaga(Naso hexacanthus)210)やトカゲウオ(ngoromwe162)を召し上がってください。どうかあなた方の出身地の荒蕪地にお帰りになり、行ってエランドやシマウマを召し上がってください。 そう、私には罪はありません。今日、今私はこの子供のために調えてあげます。この子がこの場を去れば、健康でありますように。そして彼が「僕は病気だったんだ。でも治してもらいました。誰にだと思いますか?おばあちゃんにです」と言いますように。私には罪はありません。また罪があると言われたくもありません。でも今、こうしてこの子供を私のやり方で調えております。そしてこの私のやり方で調えれば、それが首尾よく参りますように。プッ。

EX8 (薬液作成の唱えごと)

Chari(C): 私はお話しいたします。私は人に悪をなしたことはありません、私は。ムボゼとマツェジ。私にはクランがあります。そして私は人に悪をなしていません。でも今、ただ今、この子供が私に苦しみごと(chiriro211)を見て欲しがっています。その苦しみごとが何なのか、私にも正直言ってわかりません。私はムルングに祈ります。そして、彼のこの苦しみごとですが、さて、この子がここを立ち去れば、苦しみごとも消えてしまうことを願います。おしずまりください、御主人様。これより、この子がここを出れば、彼の目がすっかり健全になりますように。彼の目は、壁の割れ目のごとく、よく見えますように。脚は、家の土台柱のごとく、しっかり立ちますように。腕は、拳のごとく私を握りますように。頭は家の土台のごとく、しっかり立ちますように。今日、今、私はこの子がつつがなくあらんことを願います。施術師はノーと言われてはなりません。施術師はそのとおりと言われるべきです。私は手に入れたのは罪の施術ではありません。私が欲しいのは人を癒やす施術です。人がここを去って、行って言いますように。「ああ、友よ、私はかつてはこんなぐあいでした。でも、誰それさんのところに行って治療してもらい、治りました」と。さて、今私はこの子が、私が治療したら、治ることを願います。私は人に悪をなしたことはありません。私に悪をなしたるものこそが罪人です。私には罪は全くありません。私はこの子供がここを去れば、つつがなく去りますようにと願います。プッ。 さあ、浴びておいで。終わったよ。

この患者の少年マンガーレ君は、チャリの夫であるムリナと同じムァカイ氏族であり、マンガーレという名前はムリナという名前と同一の世代名セットに属している。したがって、マンガーレはムリナの「分類上の孫」ということになる。チャリはマンガーレの分類上のおばあさん(wawe)で、この施術のやり取りのなかでチャリが彼をぞんざいに扱っているように見えるのは、二人が「冗談関係」にあるからである。

この唱えごとで注目すべき点は、これが憑依霊についての施術によりは、妖術系の施術の特徴をよりそなえていることである。チャリが薬液に加えようとしている瓢箪のなかの「薬」は、最初の動画に見るように、「瓢箪を打つ」ことによってまず活性化させる必要がある。それは妖術系の「薬」に固有の特徴である。そこでは「草木は子供、言いつけられれば、お前は言いつけに従う」という定型文が繰り返されるが、これは妖術系の薬を使用する際のフォーマット「草木よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は捕らえよと言われれば捕らえる。離せと言われれば離す。」と、基本において同じ構文である。これらの「薬」はそれを所有する者の命令で作動するのだ。

さらにここではくどいほどに「自分には罪がない tsina dambi(私は場合によってこれを「人に悪をなさない」と訳しているが)」と繰り返していることにも気づかれることだろう。「罪」、「人に悪をなす」ことが「妖術」を用いるという意味であることを指摘しておきたい。妖術系の(妖術を解除し患者を治療する)薬は、基本的には妖術を掛ける際に用いる薬でもある。そして憑依霊たちは、そうした薬を極度に嫌っているとされる。憑依霊の施術師であるチャリは、こうした「薬」を使用するときに、憑依霊の怒りを買わないように繰り返しその薬が「人を癒やすための」薬であることを表明しなければならない。2012年のチャリのニューニの施術では、施術はずっと憑依霊よりになっており、ここで述べた要素は希薄になっている。

最後に、このときの施術における最大の疑問。唱えごとの中に何度か繰り返される「ムボゼとマツェジ」という表現である。最初は聞き間違いかと思って、何度も聞き直したほどだ。実は、「ムボゼとマツェジ」はドゥルマの子どもたちなら誰もが知っている民話であり、なぜそれが言及されているのかわからない。草木にそういう名前のものがあるのかと、文脈から類推したのだが、かなり無理がある。ムボゼとその妹マツェジのお話は、女の子6人で壺作りのための土を掘りに行き、帰り道でいろいろあってムボゼが怪物(zimu)に捕まり、その妻となる。怪物に養われて十分太ったので、さて食べてしまおう、というところでうまく逃げ出し、いろいろあって怪物は死に、ムボゼは無事に母の待つ家に帰るといった物語(簡単に要約しすぎ)。ニューニとはまるで関係ありそうにない。で、思い出したのだが、この話のなかでムボゼが「私は人に悪いことをしたことがない mino tsina dambi na mutu」というくだりがあった。うむ、もしかするとチャリは呪文のなかで「私は人に悪事を働いたことはない」というのだが、その枕言葉として「ムボゼとマツェジ」と言ったのかも。「孫」相手の施術で、ちょっと茶目っ気を出したのかも知れない。しらんけど。

注釈


1 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
2 ジコ(jiko, pl.meko)。台所、というか3つの石からなる炉(figa)がある煮炊きの空間。女性の占有空間で、男性は炉石に勝手に触れることが許されない。
3 フンディ(fundi4)は特定の技を専門とするいわゆる職人。この年、カタナ君は建設中の自宅の屋根をトタン屋根にする作業の最中で、連日フンディたちが作業に従事していた。
4 フンディ(fundi, pl. mafundi)。「職人、匠」。一般に特定の技術にたけた専門家を指す。憑依霊の治療の際に、フンディと呼ばれるのは太鼓やカヤンバの奏者や歌い手、施術師の助手たちだが、癒しの術の施術師自身もフンディという言葉で指されることがある。「匠(たくみ)」という訳語に統一しようかと思う。
5 ハリ(Hali)。1992年から加わった書き起こし担当および調査助手。本名はNgoloko(洗礼名を加えて、Gabriel Ngoloko wa Mwabaya)だが、本名とともに祖父から引き継いだ祖父のあだ名ハリを好んで使っていた。ヨーロッパ人みたいで格好良いと言って。Haliはドゥルマ語では「状態」を意味する言葉で、彼の祖父ンゴロコは、常々、「これが俺のいつもの状態さ」が口癖だったせいで、周りからハリと呼ばれていた。(私といるときはハリヒトと呼んでくれと言っていた。日本人は尊い人には名前に「ヒト」を付けるんだろう?と言って。ヒロヒト、アキヒトみたいに。彼は本を通して、日本の歴史についてよく知っていた)
6 キラボ(chirapho)。薬(muhaso)を使役する者が、命令によって薬にターゲットを攻撃させるという点で、キラボ(chirapho)も妖術(utsai)と同じ理屈に従うが、妖術の場合とは異なり、chiraphoにおいてはその命令は条件節を伴う構文をとる。妖術が単純に薬に「誰それを云々の仕方で殺せ」といった命令を出すのに対し、キラボでは例えば、もし「私のウシが勝手にいなくなったのではなく、誰かがそれを盗んでいったのだとすれば、キラボよその者とその一族を捕らえよ」といった形で命令する。その主たる用法は、作物などの盗難除け、何者かによってなされた損害を当人とその一族に賠償させることを目的とした使用、そして妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める「試罪法」での使用である。私の調査地の近所には最後のタイプのキラボで、単にドゥルマ地域を超えて広くミジケンダ地域全体によく知られた施術者がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。
7 ウツァイ(utsai)。「妖術」。基本的に「薬muhaso」を用いて(それに命令を出すことによって)他者に危害を加える行為。単なる毒殺とは異なる。「妖術をかける」を意味する動詞ク・ロガ(ku-loga)から、妖術をウロギ(ulogi)と呼ぶ言い方もある。それを行う妖術使いはムツァイ(mutsai, pl.atsai)、あるいはムロギ(mulogi, pl.alogi)。
8 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 9」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma10)から派生したマルミ(marumi11)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
9 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma10)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
10 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi11)で「唱えごと」の意。
11 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri8)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
12 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性13)、カシディ(kasidi 女性14)、ディゴゼー(digozee 男性老人32)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
13 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma12)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
14 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma12)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga15)を要求する。
15 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供16がある。
16 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供17。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神19がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande24)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料30)、血(ヒマ油31)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
17 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供16がある。瓢箪子供の各部の名称については、図18を参照。
18 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
19 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza20)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる17。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている16。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
20 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya21)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu23)とセットで設置される。
21 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo22)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza20)と呼ばれるが)。
22 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
23 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza20、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
24 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符25。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
25 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata26)、パンデ(pande24)、ピング(pingu27)、ヒリジ(hirizi28)、ヒンジマ(hinzima29)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
26 ンガタ(ngata)。護符25の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
27 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符25の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
28 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima29)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
29 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi28)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
30 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
31 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
32 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo33)マンダーノ(mandano34)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
33 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
34 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ35とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ36の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
35 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera36)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza37)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)86」、「外に出す(ku-lavya konze97)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
36 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)37、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす86)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku88)、おしゃべり女(chibarabando89)、重荷の女(muchet'u wa mizigo90)、気狂い女(muchet'u wa k'oma91)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma92)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo94、長い髪女(mwadiwa95)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba96)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
37 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri38)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika39)やシェラ(shera36)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri38)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza85)を施され、ンガタ26を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
38 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza37と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
39 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi40)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka41) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri38)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi44など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo71,laika mukusi72など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe73, laika ra nyoka73, laika chifofo76など。(4) その他 laika dondo77, laika chiwete78=laika gudu79), laika mbawa80, laika tsulu81, laika makumba82=dena83など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze20)で薬液を浴びる、護符(ngata26)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza37)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
40 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
41 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi42)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
42 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao43))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka41)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
43 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
44 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni45)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
45 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu46」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
46 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ45)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola47)の対象となる。
47 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini48」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa4950と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume57)、カドゥメ(kadume62)、マウィヤ人(Mawiya63)、ドゥングマレ(dungumale66)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga67)、トゥヌシ(tunusi68)、ツォビャ(tsovya70)、ゴジャマ(gojama65)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu46」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」45)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
48 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola47)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
49 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa50)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola47)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち53)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba56)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu46)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni45)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini48)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
50 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」51など)を行うことなどを意味する。
51 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ52などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
52 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うnoムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ51」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
53 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo54)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
54 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso55)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine53)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
55 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
56 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume57)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani58)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
57 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola47)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
58 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」59による鍋(nyungu23)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe61)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu27)。
59 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術60においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba30)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande24)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu23)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
60 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
61 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
62 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
63 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde64)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama65)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
64 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
65 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola47)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
66 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola47の対象になる)50。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
67 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
68 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine53)の一種という説と、ニューニ(nyuni45)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ69らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola47)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
69 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
70 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ45の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola47)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa50」。see p'ep'o mulume57, kadume62
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
71 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
72 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
73 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira74)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka75)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
74 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
75 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
76 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
77 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi40)の別名ともいう。
78 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
79 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
80 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
81 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
82 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena83)の別名。
83 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari84)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande24)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
84 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)37」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena83が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee32)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande24には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
85 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
86 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo87)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
87 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
88 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera36)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
89 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera36の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
90 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ36の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
91 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ36の別名ともいう。
92 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera36)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo93))の別名ともされる。
93 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
94 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ36の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo93)の女性であるともいう。
95 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
96 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
97 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
98 クィシャ(kpwisha)。ドゥルマの4日で一周する週の第三日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは、各自、自分のもつ畑(koho)で耕すことができた。その産物は市の立つ日に売って、自分の自由になるお金となった。またかつてはこの日の夕方から地域の若者男女はダンス場(chiphalo)に集まって、踊りを楽しんだ。詳しくはドゥルマの月日の数え方
99 ファイア・ミニストリ(fire ministry)。類似した名称のペンテコステ派教会は複数あり、それらとの関係などは不明。キナンゴの町から15キロばかり離れたンダヴァヤ地区の小学校の教師でもあるカンバ人のマンシューコなる人物が牧師を務めていた。彼の名前が知られ始めた頃は、小学校の子供たちが「牧師さんは妖術使い」みたいな歌詞の歌を作って歌っていたりした。そのうちに調査地域でも一定の人気を博するようになった。彼の教えの内容は不明だが、ドゥルマの人々にとって注目に値したのは、彼が妖術使いを見つけ出し駆逐する能力があるという噂であった。この日記にあるエリ...さんの作った教会は2012年にマンシューコ氏に献じられた。ある日曜に私はマンシューコ氏に会えるかもと集会に参加したが、その日は代理に使徒ラファエルさんがやってきてサービスを行った。ラファエルさん自身もトランス状態に入ってぶっ倒れ、後頭部に傷を負った。
100 ムテレ(mutele, pl. mitele)。調理された米。ココナツミルクで炊いたもの。なお植物としての米(稲)はムブンガ(muphunga, pl. miphunga)。
101 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である102。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。
102 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には〔Kokwaro 1976; Pakia&Cooke 2003,2003a; Maundu&Tegnas eds. 2005〕を参照した。これらはそれぞれの植物の現地名と学名の照合を可能にしてくれる。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能な訳ではないが。Kokwaro,J.O.,1976,Medicinal Plants of East Africa(Second ed.),Nairobi:Kenya Literature Bureau; Pakia,M. & J.A.Cooke,2003, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses",South African Journal of Botany 2003, 69(3): 382–395; Maundu,P.,& B.Tengnasu eds.,2005,Useful trees and shrubs for Kenya,World Agroforestry Center
103 チャーネ(chane, pl.chane or ano chane)。「母の姉妹」。「父の姉妹」はツァンガジーミ(tsangazimi)。
104 キクヮタ(chikpwata, pl vikpwata)。アラビアゴムノキ、acaxia senagal(
105 キトゥンビトゥンビ(chitumbitumbi, pl.vitumbitumbi)。ニューニの草木、キルワの治療にも用いる。未同定。肉厚の小さな(5mm程度の)葉を付けた、地面をはうように葉を広げた草。薄い緑色の葉をつけた茎と、赤茶っぽい葉を付けた茎があり、前者はキルワの治療において子供が父親によって追い越された場合、後者は母親によって追い越された場合に用いる。
106 ムドゥング(mudungu, pl. midungu)。lemon scented knobwood,Zanthoxylum chalybeum(Pakia&Cooke2003:393)
107 ムクェンベ(mukpwembe, pl.mikpwembe)。Commiphora edulis(Pakia&Cooke2003:388),別名 muryakpwembe108。'The Digo use the leaves and roots as medicines for convulsions and the Giriama use the roots to treat diarrhoea.'(Pakia&Cooke ibid.)。ニューニの治療に用いられる。
108 ムリャクゥエンベ(muryakpwembe, pl.miryakpwembe)。Commiphora edulis(Pakia&Cooke2003:388),別名 mukpwembe107。'The Digo use the leaves and roots as medicines for convulsions and the Giriama use the roots to treat diarrhoea.'(Pakia&Cooke ibid.)。ニューニの治療に用いられる。
109 ムヴモ(muvumo)。ハマクサギ属の木。Premna chrysoclada(Pakia&Cooke2003:394)。その名称は動詞 ku-vuma 「(吹きすさぶ風の音、ハチの羽音や動物の唸り声、機械の連続音のように継続的に)唸り轟く」より。ムルングの鍋にもちいる草木。ムルングの草木。ニューニ45と呼ばれる霊(上の霊)のグループの霊が引き起こす、子どもの引きつけや病気の治療、妖術によって引き起こされる妊娠中の女性の病気ニョンゴー(nyongoo110の治療にも用いられる。地域によってはムヴマ(muvuma)の名前も用いられる。
110 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
111 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa112)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
112 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma111としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
113 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu114)の草木、ドゥングマレ(dungumale66)、ニューニ(nyuni45)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003:389)ムラガパラ(mulagapala115)に同じとも。
114 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)19との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
115 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003:389)、muyamaとも呼ばれる。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation(Pakia&Cooke2003:389)'
116 ムレヤ(mureya)。黒い粉末の薬。草木や、さまざまなものを煎って炭にして粉状にしたもの。黒い薬(muhaso wiru)、煎った薬(muhaso wa kukalanga)、ムグラレ(mugurare)などとも呼ばれる。
117 ムブィンゴ(muphingo)。アフリカ・ブラックウッド。幹の外側は通常の木質だが、芯は黒檀のように黒く重く固い。Dalbergia melanoxylon(Pakia&Cooke2003:391)。憑依霊ドゥルマ人の草木。
118 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma12)、憑依霊ドエ人(mudoe119)の草木。
119 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu27)は、ムドエの草木(特にmudzala118)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
120 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
121 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga122)
122 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua121)、別名(?)ピーニ(pini123)が必要とする道具の一つ。
123 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua121の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera124)」の技も与えてくれる。
124 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
125 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
126 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
127 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu114)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma111)、ムブァツァ(muphatsa112)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata26)やピング(pingu27)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi128)やムドエ(mudoe119)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
128 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
129 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
130 ムボニ(muboni)。民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
131 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
132 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人133の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
133 ムンギンドゥ(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、タンザニア南東部に住むバントゥ系の農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。チャリによるとコロンゴ人(mukorongo)はその別名。
134 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、コロメア人。ナンディ人135の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。まさかカリモジョン(Karimojong)が訛ったとか?それならナンディと同じくナイロート系牧畜民で、住んでいる地域も近いんだけど。
135 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea134、mukavirondo136はいずれもナンディ人の別名であるという。
136 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
137 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
138 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola47)の対象となることもある。
139 カヤ(kaya)。カヤとはミジケンダの諸集団がガラ人やムクァヴィ人、マサイなどの牧畜民の襲撃に備えて、海岸にそった山脈に19世紀まで形成して暮らしていた要塞村のことである。今日ではいずれも深い森林になっている。ドゥルマでは、今日カヤは機能していないが、カヤの森の木は伐採してはならないという禁止がある。いくつかの父系氏族は1950年代くらいまでは、かつて死者はカヤに埋葬していたと主張する。またカヤの中では長老の集会がそこで行われ、人肉を食べていたと語るものもいるが、かつての最上位年齢組の長老たち(ngambi)の集会について、こうした誤解をしているだけだろう。隣接するギリアマではカヤは儀礼場として機能しているとも言われる。ディゴ語ではカヤ(kaya)という言葉は、こうした意味での他に、単に「家、屋敷」(ドゥルマ語ではムジ(mudzi, pl.midzi)に当たる)の意味でも用いられている。
140 ジロニ(dziloni)はドゥルマ語では「晩、夕暮れ時」を意味する名詞なので、ここでは人名なのだと断りを入れている。
141 ムハソ(muhaso55)とは「薬」を意味するが、ここでは瓢箪の中の黒い粉のことを指している。
142 パラクシ(parakusi)。ニューニ(nyuni45)の一種であるが、具体的な属性などは不明。チャリの唱えごとのなかでのみでてくる。
143 ニャグ(nyagu)。ニューニ45の一種。ムウェー(mwee144)の別名とも。女性にとり憑いて、その子供に危害を及ぼす。子供は、泣き止まない、やせ衰える、頻繁にビクッと驚く様子を示す、などの症状。ヒツジと泥人形(長い嘴をもつ)で除霊(kukokomola47)される。妻がニャグをもっているとき、夫か妻のいずれが婚外性関係をもつと、子供は病気になる(ただちに死んでしまうとも言われる)。
144 ムウェー(mwee)。ニューニ(nyuni45)の一種。ニャグ(nyagu143)、グァヴ・ムクンベ(gbwavu mukumbe)の別名とも。鷲、鷹に似た猛禽類。
145 ズニ・マバワ(dzuni mabawa)。ニューニ45のひとつズニ(dzuni146)の別名の一つ、あるいはズニの一種とも。マバワ(mabawa)はbawaの複数形だが、bawaはドゥルマ語ではリカオン(African Wild Dog, Lycaon pictus)を意味するが、スワヒリ語では「翼」の意味になる。ズニは巨鳥とされており、マバワは「翼」ととるのが妥当だと思われる(ちなみにドゥルマ語で「翼」はクァブァ(kpwapha, pl. makpwapha)である)が、確証はない。
146 ズニ(dzuni, pl.madzuni)。dzuni bomu(「大きなズニ」)、キルイ(chilui147)は別名。ズニとキルイは別だと言う人もいる。子供の痙攣などを引き起こす「ニューニ(nyuni45)」、「上の霊(nyama a dzulu46)」と呼ばれる鳥の霊の一つ。ニャグ(nyagu)、ツォヴャ(tsovya)などと同様に、母親に憑いてその子供を殺してしまうこともあり、除霊(kukokomola47)の対象にもなる。通常のカヤンバで、これらの霊の歌が演奏される場合、患者は、死産、流産、不妊などを経験していたことが類推できる。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ鳥。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。除霊の際に幼い子供は近くにいてはならない、また幼い子供を持つ若い母はその歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga, black-winged kite)に似た白と灰色の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。この人形は一体のなかに雄と雌を合体させている。この人形の代わりに、雄のズニと雌のズニの二体の人形が作られることもある。
147 キルイ(chilui)。空想上の怪鳥。水辺にいて、長い嘴と鋭い爪のある足をもつ。ツルかサギを思わせるが、巨大な鳥で象ですら空へ持ち上げてしまう、脚だけでもバオバブの木くらいの太さがあるという。ということは空想上の鳥。「上の霊(nyama wa dzulu46)」の一種。女性にとり憑き、彼女が生む子供を殺してしまう。除霊(kukokomola47)の対象である「除去の霊(nyama wa kuusa49)」である。ニャグ(nyagu)同様、夫婦のいずれかが婚外性交すると、子供を病気にする。除霊の際に子供は近くにいてはならない、また子供を持つ若い母はchilui の歌を歌ってはならない。除霊の際には、泥で二本の長い嘴をもつ鳥を形どった人形を作り、カタグロトビ(chiphanga、black-winged kite)のような白と灰色(黒)の模様の鶏(kuku wa chiphangaphanga)の羽根で飾る。除霊の後この人形は分かれ道(matanyikoni)やバオバブの木の根本(muyuni)に捨てられる。鶏は屠殺されその血を患者に飲ませる。ズニ(dzuni146)、ズニ・ボム(dzuni bomu)の別名(それらとは別の霊だと言う人もいる)。
148 キンブル(chimburu, pl.vimburu)。「フクロウ」
149 コンバ(k'omba)。ブッシュベビーの名でも知られているガラゴ科の霊長類。ニューニ45の一種。aspirationのないkombaは野草の名前で別物。
150 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze97)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele151)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo155))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
151 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)152であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
152 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba96)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)153や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)154ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
153 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」152を参照されたい。
154 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」152を参照されたい。
155 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをクハツァ(kuhatsa150)と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
156 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o157)、シェターニ(shetani158スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini48)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa49)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola47)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani159)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba56)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara160)」の2つに分ける区別もある。
157 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani158もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞156)という言葉が最も一般的に用いられる。
158 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
159 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba56)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
160 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
161 平らな石(ドゥルマ地域で普通に見られる粘板岩など)の上で磨って、その粉を薬として用いる。このやり方で薬が作られる物をクロ(kuro)と総称する。さまざまな草木の根が用いられる。
162 ンゴロムェ(ngoromwe)。「トカゲウオ synodontidaea」。海の魚、エソの仲間らしい。一方、洞穴に住むトカゲでゴロムェ(goromwe163)と呼ばれるのもいて、ややこしい。
163 ゴロムウェ(goromwe)。トカゲの一種。スワヒリ語のgoromweはスワヒリ語Wikipediaではトカゲウオ(synodontidaea)という海の魚(ヒメ目エソ科)。ドゥルマはゴロムウェは洞窟に棲んでいるトカゲで、乳幼児にとり憑いてひきつけなどを起こすニューニの一種だとする。海にいるトカゲウオについてはンゴロムウェ(ngoromwe162)と呼んでいる。スワヒリ語ではgoromoeをトカゲだとする辞書(Kamusi Project)あり。
164 ムァハンガ(mwahanga)。憑依霊「ハンガの人」。ハンガ(hanga)とは死者の埋葬の後に行われる服喪のこと。ムァハンガはムセゴ(musego)という別名ももつが、ムセゴ(musego)とは埋葬時、およびその直後の「生のハンガhanga itsi」で歌い踊られる卑猥な歌詞の歌。ムァハンガに取り憑かれた者は、平時においてもムセゴを歌ったり、義理の両親(mutsedza)や長老の前でも猥褻な言葉を口走ったりする。女性の産む子供を殺すので、しばしば除霊(kukokomola47)の対象にもなる。バナナの茎(mugomba)を芯にして泥で人形を作り、それを用いて除霊する。また白い雄鶏を屠殺し、その血を患者に飲ませる。泥を掘り出した盛り土にはこの人形に合う墓を作っておく。人形は死体のように白い布に包まれて患者の脚の上に置かれ、カヤンバが打たれる。除霊の後、泥人形はその墓に埋葬される。
165 ムヮヴィツワ(mwavitswa)。憑依霊の一種。ヴィツワ(vitswa)は名詞キツワ(chitswa,「頭」を意味する)の複数形であるが、「気狂い」の意味になる。「気狂いである」は字義通りには「ヴィツワをもっている」という意味の句 kukala na vitswa で表現する。ムァヴィツワに憑依されると、人は友人たちと意見を同じにすることができなくなったり、友人の丁寧な物言いに対して、悪罵で答えたり、卑猥な表現を叫んだりする(ku-hakana)。要求は、白い布(赤い線が刺繍されているもの)。
166 ムツェザ(mutsedza, pl.atsedza)。「妻の父、妻の母」と、「娘の夫」は互いをmutsedzaと呼びあう関係にたつ。後者から前者にはきわめて大きな尊敬が払われねばならず、後者は前者に対する奉仕の義務を負う。
167 ビスミラーイ(bismilahi)。コーランの最初の章 Surah Al-Fatihahの冒頭。ドゥルマの自称イスラム教徒の多くは、この言葉を「始まり」(ドゥルマ語では maunuki)という意味で理解している。食事の際に、最初にトウモロコシの練り粥に手を伸ばすときに、ビスミラーイと一言唱える人も多い。イスラム系の憑依霊ももっているチャリたちも、唱えごとの最初に Surah Al-Fatihahの冒頭と思われる部分を唱えることがある。その部分の書き起こしとAl-Fatihahの冒頭を対照してみる。例えばムリナの唱えごとの始めの部分。そこそこ正確と言っていいのだろうか。
Bismilahi rahmani rahim(Arabic:Bismillah al-Rahman al-Rahim =In the name of God, the Most Gracious, the Most Merciful). Audhubilahi mina shetwani rajim(Arabic:Auzubillah Minashaitan Nirajeem=I seek refuge in Allah from the outcast Shaitan). Swala(スsala,swala=mavoyo kpwa mulungu) Iyaka na budu wa yaka na mustahim.(Arabic:Iyyaaka Na'budu wa Iyyaaka Nasta'een=It is you alone we worship and You alone we ask for help). Mali ya umidini(Arabic: Maaliki Yawmid-Deen= Sovereign of the Day of Recompense). Mswaidi na mswirata musitakim(Arabic: Ihdinas-Siraatal-Mustaqeem= Guide us to the straight road).
168 チャーネ(chane, pl.chane, ano chane)。親族を指すタームで、「母の姉妹」を意味する。母の姉妹は、チャーネ、または「お母さん」を意味するマヨ(mayo)と呼びかけられる。逆に、姉妹の子供は「私の子供(manangu)」と呼びかけられる。この日の患者ムロンゴはチャリの姉の子供。彼女の母(チャリと同じく施術師だった)は90年代の終わりに亡くなっており、その後病気の治療ではしばしばチャリを頼っていた。この病気でもチャリの治療を求めようとしたのだが、治療費を出す夫の言葉に従って病院での医療をうけた。それがうまく行かなかったため、あらためてチャリの元を訪れたのである。
169 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
170 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
171 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。「睡蓮子神(mwana matoro)」はムルング(mulungu, mwanamulungu19)の別名。
172 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。チャリによると、viyunge「浮き草」、あるいはキンビカヤ(chimbikaya)のことだとも。ムユンゴ(muyungo)も同じか。「マユンゲ(マユンギ、ムユンゴ)子神」はムルング子神(mwanamulungu19)の別名。
173 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)水辺に生える葦のような草木, 正確にはカンエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)。ムルングやライカなど水辺系(池系)の憑依霊(achina maziyani)の薬液をキザ(chiza20)、池(ziya21)として据える際に、その周りに植える(地面に差し込む)など頻繁に用いられる。またムカンガガ子神(mwana mukangaga)は、憑依霊ムルング(mwanamulungu19)の別名の一つである。
174 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
175 マレラ(marera)。憑依霊の名前。マレラ子神(mwana marera)はムルング子神(mwanamulungu19)の別名。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より、子供を養育するものとしてのムルングの特性を表す。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo93)やシェラ(shera36)のグループに入れる者もいる。
176 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
177 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
178 ジャビジャビ(jabijabi)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとに出てくる言葉。コンテクストからは高い山、池などの地名と思われるが該当箇所は不明。なお憑依霊ジャビジャビ導師(mwalimu jabijabi)は憑依霊ペーポームルメ(p'ep'o mulume)つまりスディアニ導師(mwalimu sudiani58)の別名とされている。しかし唱えごとのコンテクストからはこの意味ではないと思われる。
179 ングラ(ngura)。意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
180 ゾンボ(Dzombo)。地名。この名で呼ばれる場所は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
181 ムガマーニ(Mugamani)。地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cooke2003:393)
182 ンディマ(ndima, ndimwa)。チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
183 ポングェ(Pongbwe)。チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
184 キグルフュラ(chigulufyula)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとの中に出てくる言葉。チャリによると池の名前である。地図上では同定不可。キグル(chigulu, pl.vigulu)は「脚(gulu, pl.magulu)」の指小形。クフュラ(ku-fyula)は「曲げる、向きを変えさせる、逸らす」などを意味する動詞。
185 マンゲラ(Mangera)。唱えごとの中で「マンゲラの池」という形で言及される。Mangera という言葉はドゥルマ語では、水辺に棲む白い鳥。図鑑でカタナ君はこの鳥をサギ(シラサギ)に同定した。一方、ドゥルマのはずれにはMangeriと呼ばれる湿地帯がある。Mangeri Swampは、キリバシ山の北西、ヴォイの南方に位置する大きな湿地帯。「マンゲラの池」がこのいずれであるかは不明。
186 キンガンギーニ(ching'ang'ini)。施術師チャリ(Chari)の占い歌(自作)や唱えごとの中に出てくる言葉。チャリによると池の名前である。地図上では同定不可。King'ang'iはキクユ語では「ワニ」のことらしいが、関係はあるのか。
187 マカンガ(makanga)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとの中に出てくる言葉。チャリの説明によると、ヴィグルンガーニからサンブルに向かう途中にある大きな窪地(湿地帯)で、そこを越える際にさまざまな不思議を経験する。憑依霊たちの停留地の一つだという。
188 マレレ(Marere)。シンバヒル(Shimba Hill)のなかの森。マレレの森。その近くのペンバ川とクワレ・キナンゴを結ぶ街道が交差するあたりの淵もマレレと呼ばれる。モンバサ、およびキナンゴへの水道の水源になっている。
189 キンベーブォ(Chimbepho)。池だと説明される。キンベポ(kimbepo, kimbevo)はキトゥイ・カウンティにある大きな浅い池だが、これを指しているのかどうかは確かではない。
190 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni191と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
191 ヴョーニ(vyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。
192 ゾンボ(Dzombo)。地名。モンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。
193 ムランゼ(murandze, pl.mirandze, alt.muranze)の木。Dalbergia boehmii(Pakia&Cooke2003:391)。ンダゴ(ndago194)とともに、憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba)の重要成分。昔はドゥルマの女性が香料として用いており、出産後の女性や赤ん坊に塗ったり、週ごとの踊り(wirani)に行く際に少女が塗った。今や老人である当時の若者が言うことには、遠くからでも香りでわかったという。
194 ンダゴ(ndago)。シュロガヤツリ。水辺に生えるスゲの一種。パピルス。Cyperus alternifolius,or Cyperus kaessneri(Pakia&Cooke2003:389)。ムランゼ(murandze193)とともに、憑依霊ドゥルマ人(muduruma)の香料(mavumba)の主成分の一つ。
195 ムルング・マランボ(mulungu marambo)。憑依霊 mudurumaドゥルマ人の別名。maramboは(ス urembo(sing.)marembo(pl.)より)「装飾」「華美な出で立ち」
196 シャカ(shaka, pl. mashaka)。憑依霊の一種。シャカ(shaka)はドゥルマ語で(スワヒリ語でも)「不安、心配事、疑い、困難、難儀、災難」などを意味する。憑依霊ドゥルマ人の別名の一つとされている。
197 キヤマ(chiyama)。憑依霊ドゥルマ人の別名らしい。90年代のチャリの唱えごとのなかにはなかった言葉。つい聞き過ごして、それが何であるのか説明してもらわず仕舞いに終わった。
198 ムユゴ(muyugo)。憑依霊ドゥルマ人の別名らしい。おそらくは「煩わせる、悩ませる、困らせる」などを意味する動詞ク・ユガ(ku-yuga)に由来している。「面倒をかける者」、たしかにドゥルマ人らしい。
199 ムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga200)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジは男性の助手、ムテジ(muteji206)は女性の助手という区別があるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
200 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba96)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)153や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)154ということになる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo22)や鍋(nyungu23)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)201204に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ205)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
201 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri202)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira203)」と呼ばれることもある。
202 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
203 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ204の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(201)、カヤンバ(204)と同じ意味で用いられる。
204 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti202)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira203)」と呼ばれることもある。
205 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
206 ムテジ(muteji, pl.ateji)。施術師の施術上の子供(mwana wa chiganga200)のなかでも、施術の際に助手を務める者。ムァナマジ(mwanamadzi199)は男性の助手、ムテジ(muteji206)は女性の助手という区別もあるが、ムァナマジは男女の区別無く使用される傾向にある。
207 施術師のムコバ(mukoba96)には、施術に用いる装備品やひょうたん子供が入れられている。施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
208 ムフネ(mufune)。Sterculia appendiculata(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:397)。世界導師の草木。海岸部の草木(muhi wa pwani)。キナンゴ周辺では入手不可能。
209 意味不明。草木の名前か?
210 ンザガ(nzaga)。ニューニに対するチャリの唱えごとのなかで言及される。ニューニが餌とする海の生き物。同定は困難だが、テングハギモドキ(Naso hexacanthus)という大型の魚が、ケニア海岸部で karanzagaと呼ばれているという(Anam, R. & E.Mostrarda, 2012,Field Identification Guide to The Living Marine Resources of Kenya, FAO(UN), p.286)
211 キリロ(chiriro, pl.viriro)。「泣く」を意味する動詞ク・リラ(ku-rira)より、「泣くこと、(困難の)訴え、泣き声」を意味する名詞。