チャリは憑依霊の施術師であるが、その子供が小さいときにニューニに襲われたことから、同じことがまた起きた場合自分で治療できるようにと、自分の子供を治療してくれた施術師からニューニの施術を購入したという。これはドゥルマの人々が、ニューニの施術を手に入れるごく普通のルートだ。この話は知り合った初期から聞いて知っていたのだが、チャリが実際にニューニを治療するところは、ほとんど見たことがなかった。
今回のドゥルマデータをウェブ化する私的プロジェクト(別名Who-caresプロジェクト)は、1983年から1994年2月までの期間の調査データに限定したものではあったが、その間に私がチャリのニューニ治療に立ち会うことはなかった。2012年に短期(1ヶ月)のフィールド調査を行った際に、偶然チャリのニューニ治療を見ることになった。
いや、面白い。チャリの施術は確かにニューニの草木を用いるものではあったが、それはほとんど憑依霊に対する施術と同じ仕方でおこなわれていた。
その際のチャリが行った唱えごとを紹介することにしたい。すでに紹介した、他のニューニの専門施術師たちの話と比較すると面白いだろう(私以外に誰が面白がるかという問題はあるが)。
2012年9月22日(土)の日誌より1 (ニューニ治療については偶然目撃しただけで、その施術そのものについては内容は多くないので、この日の日誌を全文公開して、フィールドでのスットコドッコイな一日がどんな感じかお伝えします。例によって内容に手は加えませんが、人名のみ限られた人以外仮名、イニシャルにします。この年の調査から録音はカセットではなく、ICレコーダにしたのですが、誤操作でせっかく録音したファイルが消えまくり、意気消沈。この日の録音もほぼ全部消えちゃった。それを9月26日に気づいた(書き起こし担当にカードを渡したら、何もはいってませんよ、と言われた!)のですが、帰国後なぜかチャリのニューニ治療だけが本体メモリに残っているのがわかり、自力で書き起こしたのが今回のデータです。)
昨夜は10時前に就寝して、朝5時過ぎまで一度も目が覚めることなく熟睡した。相変わらず意味不明な夢の連続だが、断片的にしか覚えていない。カタナ君は昨夜胸焼けで眠れなかったという。夜中にメカ....((注)カタナ君の奥さん)と二人でjiko2に行き、灰をなめた。胸焼けの対処法。今日薬を手に入れるという。胸焼け程度でなにを大騒ぎという気もするが、本人は結構深刻そうである。胃のあたりが熱くて、何かにこね回されているような気がするとか。 10時になってもfundi3が来ないので、私は一人でチャリの屋敷を訪問。しばらくするとハリ君5が現れる。chirapho6と妖術の違いについて、ムリナとハリの論争。どちらもutsai7だと言うが、妖術はターゲットの名前(それも彼がその名前で知られている通り名)を口に出してmakokoteri8するが、chiraphoは名前を特定しないという違いに落ち着く。 *録音が事故で消去されてしまったが、内容は以上につきる。2012/09/26記 一昨日の病人は、一昨日まではなにも食べず、夜も寝ずに騒いでいたのだが、昨日からようやく物も食べ、夜は寝るようになった。ひっきりなしに卑猥な言葉をしゃべり続けているのは相変わらず。チャリ、muduruma12のvuo22を作ってmakokoteri。病状にあまり変化なし。 チャリの兄弟について確認。 病気の幼児を連れた女性。チャリにnyuni45治療を依頼。チャリのnyuni治療の呪文を録音。 *録音内容は誤操作で消去。2012/09/26記 チャリの占い(実施されず)を求めにきた客から、今日がkpwisha98であることを知る。まだmajuma ga chidurumaを知っている人もいるということだ。というわけで明日から一応majuma ga chidurumaの曜日も記載することにする。 ハリによると「ジャコウネコの池」にファイア・ミニストリ99の教会ができるという。建物もすでに立っているというので案内してもらう。この教会は、Be...の妻Eli....が自力で建て始めた教会だったというので、本人に会っていきさつを聞く。大変面白い。教育はないが神と直接交信したり、天使を見たりする予言者のような女性で、ペンテコステ教会からは排除されたらしい。唇に腫瘍ができていた([nyama zinamera mulomoni](#tran1)のを、夢で3人の天使が降りてきてそれは神の仕業であり、あなたは神に選ばれたのだと告げた。神に祈り、その命に従うことで直り、教会をたてるよう導かれた。賛同する人もいたらしく、その協力で屋根を残してほぼできあがっている。そんなときManshuko99と出会い、この人だと思い、Manshukoを呼んでファイア・ミニストリの教会にしてもらうことにした。Manshukoは「ジャコウネコの池」に妖術使いがたくさんいることを指摘している。彼が来ると妖術使いは一掃されるだろうと。ほぼすべてを録音(23分)。 *残念なことにその後操作を誤って消去してしまった。カセットと違ってデジタルデータは一瞬でなくなるので怖い。思い出せる限りでここにその内容を書き留めておこう。2012/09/26記 何年か前に彼女の唇に腫瘍ができた(瘤ができた? yimera nyama)。当時彼女はグァドゥのペンテコステ教会に通っていたが、人々は彼女のふしだらさを神が罰したのだと言って、彼女を追い出した(メカ...によると彼女がリーダーになりたがったのを皆が拒んだということらしい)。そんなとき彼女の夢の中に3人の天使が現れて、彼女の唇のnyamaは神が引き起こしたもので、彼女は神に仕え、人々に説教するよう選ばれたのだと伝えた。彼女が必死に祈ると、なんとその後しばらくして彼女の唇のnyamaは自然にとれた。彼女は神に感謝したが、再び夢を見た。彼女は森に入って、森の木々を相手に説教を始めた。すると森の木々が人間に変わった。そこにはNza...もいたしハリもいた。彼女は人々に「救われる」(教会に加わる)ことを勧め、彼らは同意した。そこで彼女はこのことを「すっぱい」村の教会の人々に言ったが、相手にされなかった。彼女は教育がない。神の仲立ちをするのはパスターなのにそれを飛び越して教育もないただの信者がどうやって人々を導けるというのだろうと。しかし再び天使が現れて、彼女が神によって選ばれた者だと告げた。そこで彼女は自分自身の教会を建造することにした。彼女の意見に同意する人々の協力で、小さいながらも石造りの壁の教会ができ、後は屋根をつけるばかりになっている。水曜日と日曜日に集会を開いて、少ないながらもみんなで祈っている。「ジャコウネコの池」にもう一つMb...牧師が率いるペンテコステ教会ができ、彼女の教会のライバルになっている。そんなおりに彼女はManshukoと出会い、彼女の教会をManshukoの教会にすることにした。 ハリといっしょにムァニョータ一族(ライラ・オディンガがキナンゴに来るというので男たちはほぼ出払っていた)、ハリのムァカイ一族に挨拶。Kai.....たちは相変わらずヤシ酒を飲んでおり、勧められるが一杯だけで失礼する。ハリは教師のストライキ中はこちらにいるというので、助手を頼むことにする。 5時過ぎにメジ...の両親が客として突如訪問。その食事の用意のため急遽mutele100が料理され、おかげで夕食は10時前になる。夜インターネット接続を試みるが、まるで使い物にならない。ほんの数秒しか接続が維持できないありさま。
(2012年9月22日のフィールドメモより)101
患者: ムロンゴ(メジュマー)とその子供ムァナピリ
ムロンゴはチャリの分類上の姉妹の娘であり、チャリはムロンゴを「私の子供(mwanangu)」と呼び、ムロンゴはチャリを「お母さん(mayo)」あるいは「チャーネ(chane103)と呼びあう関係である。
ストックから、あと数種の植物については裏のブッシュから
ニューニの草木: キクヮタ104、キトゥンビトゥンビ105、ムドゥング106、ムクェンベ107、ムヴモ109
+ ムルングの草木: mulazak'oma111、muyama113など
薬液用の草木の葉、茎からしごきとってショッピングバッグに詰めて渡す (Web化に際して付ける注記: フィールドノートの記述からは欠落しているが、薬液用の草木とは別に、ニューニの瓢箪のなかの粉薬(mureya116)も、唱えごとされたうえで渡されているはずである。それを入れないと薬液は完成しないから。このことは訳出した唱えごとでも前提とされている) 木の枝を縦に割ったもの、根などをエダウチヤシの葉で束ねてくくる→煎じる薬
ムルングの布(紺色)の端布(長方形の長い短冊状)に瓢箪のなかの黒い粉、別の瓢箪のなかの黒い粉の混じったヒマの油を垂らす→ngata26
子供の潰瘍に塗るための薬(名称未確認。石の上で擦って粉にしそれを塗布するための根)
母親のための草木(煎じる薬)の束: muphingo117、mudzala118、muvumo109
後に憑依霊ドゥルマ人のためとわかる (Web化に際して付ける注記: 同じくフィールドノートの記述からは欠落しているが、煎じる際に加えるべき憑依霊ドゥルマの香料も、同時に手渡されている。これは書き起こしのなかには明記されている)
各パラグラフの冒頭のEX+英数字をクリックすると、該当するドゥルマ語原文に飛びます。 EX1 (チャリ、自分の憑依霊たちに対して施術の説明と許しを請う) (録音は唱えごとの途中から始まる)
Chari(C):...私はニューニ45の問題をお話しました。でもさて、憑依霊(p'ep'o)をもっていない人はいないと言います。すべての人が生まれながら憑依霊をもっています(字義通りには憑依霊はすべての人といっしょに生まれてきます)。まず第一に、ムルング本人です。彼こそ最初の憑依霊です。あなた全能のムルング、憑依霊バラワ人120、サンズア121、憑依霊バルーチ人125、憑依霊クァビ人126とご一緒に。あなた天空のキツィンバカジ40と池のキツィンバカジ、地下世界のペーポーコマ127、池のペーポーコマ、ご一緒にいるのが、あなた憑依霊ガラ人129、あなた憑依霊ボニ人130、憑依霊ダハロ人131、憑依霊コロンゴ人132、憑依霊コロメア人134。でも、私はあなたドゥングマレ66、ジム137、キズカ138、スンドゥジ128、憑依霊ドエ人119とお話します。ペーポーコマ、あなたこそ子供のすべての関節をだらりとさせ、子供をぐったりした状態にし続ける張本人ですね。あなたはニューニだと言われます。 今、私は皆さま方におしずまりくださいと申します。この子供がこれより家に着き、その薬液を浴びれば、あなたペーポーコマ、そこにおわすあなたムルングともどもに、皆さんこの子供を解きほどいてください。あなたドゥングマレ、ジム、キズカ、スンドゥジ、憑依霊ドエ人、皆さまおしずまりください、子供の(を捕らえる)憑依霊は皆さまです。 私はシェラたち(mashera36)については語りません。シェラは子供をとらえて、関節を切りまくることはしません。私は、あなた方昔からの憑依霊の皆様にお話いたします。ドゥングマレ、ジム、キズカ、スンドゥジ、憑依霊ドエ人の皆さまです。地下世界のペーポーコマ、あなたカヤ139の偉大なるムルングよ、どうかおしずまりください。子供を解きほどいてください。 さて、私はお話いたします。私には罪はありません。この瓢箪は、人を救う瓢箪です。それはいつも人を救う瓢箪でした。この瓢箪を私はジロニ140さんから与えられました。ジロニとはムァゾンボさんです。ジロニは名前です。でも本名はムァゾンボです。
(ニューニの瓢箪を手に持ち、左手に打ち付けつつ唱えごと、ンガタ、その他の治療について説明する) EX2
Chari(C): さて今、私はこの薬(muhaso141)を注ぎます。唱えごとでしたら、すでに唱えました。でも瓢箪のなかの薬は注いでいなかったのです。今、私はあなたニューニにお話します。あなたパラクシ(parakusi142)、あなたニャグ(nyagu143)、あなたズニ・マバワ(dzuni mabawa145)、あなたキルイ(chilui147)、あなたツォヴィャ(tsovya70)、あなたフクロウ(chimburu148)、あなたブッシュベビー(k'omba149)。今、今日、私はこの子供に薬を与えると申しました。この子供が行ってこの薬を飲んだなら、この子が治って欲しいのです。プウッ。 子供はビクッと驚かない、子供は関節関節がこのようにぐらぐらしない、この子供に私はつつがなさをあたえたと私は申しました。子供は(関節が)ぐらぐらせず、子供はひたすら眠ることなく、子供はぐったりしてしまうこともない。 いまは、この子供をお解きほどきくださり、健康にしてください。あの腹部が膨れることについても、なくなりますように。もう争いはございません。争いは昨日、一昨日のこと(もう過ぎたこと)です。争い合う者は二人、三人目がやって来て、仲裁します。今日私が仲裁者、争いを収めます。 (唱えごと終了) C: (私に向かって)写真はもう撮ったの? Hamamoto(H): はい。
EX3 (ニューニに対し、完成したンガタ(ngata26)を差し出す唱えごと。その他の草木の処方についても説明する)
Chari(C): さて、私は話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。私は困窮のせいでお話ししているのです。私は話します。このメジュマーです。彼女は子供を産みました。子供はムァナピリです。そう、ドゥルマ人は言います。人が最後につつがなく過ごせたのは、母の胎内にいた時だったと。生まれ、外に出ると、多くの病いがあなたを見舞うものです。この子も病いに捕らえられました。私たちはそれがどんな病いであるのかわかりませんし、それが何なのかもわかりません。 でも、私たちはこうしたことを見ると、クハツァ(命名)いたします150。クハツァするとはどういうことでしょう。私たちはニューニがいるのだと言います。そうニューニはたくさんあります。ブッシュベビーのニューニもいます。フクロウのニューニもいます。ズニ・マバワのニューニもいます。キルイ、さらにはツォヴィャのニューニもいます。昼に夜に襲いかかってくるムァンガ(mwanga69)、ペーポームルメ(p'ep'o mulume57)、カドゥメ(kadume62)、皆さん全員、鋭い爪をもった憑依霊(nyama156)です。 私はこの子供にンガタを着け、薬液(mavuo22)を与えます。この子供がここを去り...私はこの子に「擦り薬(kuro161)」も与えています。(ここを去った後)、この薬を擦ってもらえば、この子が歩けますように。だって、今のところ、皆さまはこの子の足に穴を穿ってしまおう(膿んで穴が開き膿が出てくる)としておられる。ねえ、足を腫れ上がらせるニューニなんて、いったいぜんたいどんなニューニだというのでしょう。でも、ごめんなさい。だって病気とはどんな風にでも人を捕らえてしまうものなのですから。 今、そう、わたしは皆さま方に椅子を差し上げます。どうか椅子に腰をお下ろしになり、皆さま方の出身地である荒蕪地(nyika)にお行きになり、そこでエランドやシマウマをお食べください。そして海(pwani)にお戻りになり、そこでトカゲウオ(ngoromwe162)やテングハギモドキ(nzaga(Naso hexacanthus))をお食べください。この子には血がありません。あなた方に食べられてしまったのです。この子には肉がありません。あなた方に食べられたのです。今は、皆さま方の出身地にお帰りになり、そこでお静かにお過ごしください。どうかこの椅子におすわりください。この子供の上にお座りにならないでください。子供の身体は枕にはなりません。子供の身体はマットレスにはなりません。どうかおしずまりくださいと申します。 さて今、ニューニの皆さま全員、そこにはさらにあなたムヮハンガ(mwahanga164)も、あなたムヮヴィツワ(mwavitswa165)もいます。皆さま方全員。あなたムヮハンガ、あなたこそ、とってもとっても悪い人。寝ると悪い悪い夢を見ます。さて、今、二度とニューニはなし。子供をそれが悩ませることもなし。私は子供だけにンガタを結びます。 (母親のメジュマーに向かって) 見てちょうだい、あなたが望んだ場所を。ここでいい? Mejumaa(Mej): ええ。そのままでいいわ。あまり長くしないでね。 C: 長いのは嫌いなの? Mej: そうよ。 C: なかにはンガタを一番下(腕の付け根近く)に着けたい人もいるわね。見られたくないんだってさ。娘ごころかしら。 Mej: 「ねえ、あなたは病気を癒やすの、それとも、娘ごころを癒やすの?」(Mejはその手の患者に言うだろうことを真似て言って見せている) C: (彼女らには)女らしさが大事なのよ。(ンガタが)ドレスで隠されてしまうのが望み。でも病気を知らない人って誰?そんな風にしてる人を見たら、その人は子供を産まないとわかるわ。ここのね、私の義理の息子(mutsedza166)だけど、この子たちの母親の夫よ。彼の妻がンガタをしてたの。妻がンガタを着けていたのよ。そして夫と一緒にモンバサに行くということに。そしたらンガタを外して、切って、切れ切れにしちゃったのよ。
EX4 (薬液に対する唱えごと)
Chari(C): さて、私はお話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。もしお話しするとすれば、メジュマーです。子供を産みました。彼女の子供はムァナピリです。子供は病気です。病気はまず初めに全身の発熱、すべての関節に力がはいらず、ぐったりと寝ること。 皆さま方に、おしずまりくださいと申します。私は皆さまのために薬液を求め採って参りました。誰のための薬液でしょうか?ニューニの薬液です。 あなたニューニご本人、そう私はあなたを盗んではいません。盗人ではありません。ニューニを私はムァゾンボ・ワ・コーニャ氏から与えられました。今、今日、私はこの子のために調えます。あなたパラクシ(parakusi142)、あなたキルイ(chilui147)、あなたニャグ(nyagu143)、あなたツォヴィャ(tsovya70)、あなたズニ・マバワ(dzuni mabawa145)。ブッシュベビー(k'omba149)のニューニなのか私たちは知りません、フクロウ(chimburu148)のニューニなのか、私たちは知りません、ムェー(mwee144)のニューニなのか、私たちは知りません。今、今日、この子供は、まず突然この足まで腫れだしました。さあ、あなた方はこの子に腫れ物を持ち込んだ。いったいいつ、ニューニが腫れ物をもたらすようになったのですか?私はこの子に、行って擦ってもらうようにと「擦り薬(kuro161)」も与えました。それらの擦り薬をすってもらえば、この子供が治りますように。あなたニャグ、私はあなたに薬液を与えます、ンガタも与えます、プッ!
EX5 (メジュマーに対する唱えごと)
Chari(C): ビスミラーヒ、ラフマーニ、ラヒーム、アウドゥビラーヒ、ミナシェトワーニ、ラジーム167。さて、私はお話します。こんな時間にお話することもなかったでしょう。私がお話するとすれば、このムロンゴ(メジュマーの本名)です。彼女はその父と母とによって生まれました。生まれた時には、ムルングの被造物、ムルングの人間です。しかしながら、病気で苦しんでいます。彼女の場合、病気とは腹の問題です。本人も言っていますが、病院に行くように言われたのです。彼女は「どうして、私はすぐにチャーネ(chane168)のところに行けないの?」と言います。「もし誰かにお金をだしてもらったのなら、そのお金で憑依霊の治療に行ったりしたら、ことはうまく運ばないぞ。」 彼女は病院で、この病気とともに放置されることになります。もしはじめに、こうしてほしいという他人の言葉に従うと、ことは失敗するものなのです。 今はというと、私はこの者のためにムルングにお祈りします。私は北の方々に、南の方々に、東の方々に西の方々に、ブグブグ169の方々に、ニェンゼの小池の方々に、子神ドゥガ170、子神トロ(mwana toro171)、子神マユンゲ172、子神ムカンガガ173、キンビカヤ174、池を蹂躙する皆さま方にお祈りいたします。そしてあなた子神ムルング・マレラ(marera175)、ムルング子神(mwanamulungu)、そして子神サンバラ人(mwana musambala176)とともにおられるムルングジ(mulunguji177)。 私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi178)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura179)、お母さんの場所ゾンボ180、サンブルのムガマーニ(Mugamani181)で争う皆さま、ンディマ(ndima182)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe183)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。 おだやかに、子神ニューニの皆さま、私は皆さまにおだやかにと申します。キグルフュラ(chigulufyula184)の方々、マンゲラ(mangera185)の池の方々、睡蓮の池の方々、キンガンギーニ(ching'ang'ini186)の、マカンガ187の、マレレ188の方々に、おだやかにと申します。キンベーブォ(Chimbepho189)の皆さま、さらにはムルング・ウヴョーニ(不明だがMwache川のマヴョーニと呼ばれる淵をさしているのかも190)の方々。私は皆さまにおしずまりくださいと申します。山々の皆さま、おだやかに。ゾンボの山192の皆さま、おしずまりください。大きな木々の皆さま、おだやかに。洞窟の皆さま、おしずまりください。 しかしながら私がお話するとすれば、私はあなたムルングご自身にお話いたします。あなたムルングこそ、子供祈願を受けられる方。胎内の子供であれ、外の子供であれ。あなたこそが育てる方。さて、今、この子供(Mejumaa本人を指している)はどうして病気なのでしょう?腹の病気なのです。腹は唸ります。腹は焼けます。腹はトゲに刺されます。腹からとてもとても汚ない物が出てきます。そして痒み。施術師は恥を知りません(人前で口にすべきでない言葉も平気で口にする)。
Mejumaa(Mej): ええ。 Chari(C): 自分を掻きむしる、ついにはただれてしまうほど。そして同様に正体不明の熱い水が溢れてくる。 Mej: 今じゃ、膿なのよ。 C: 今じゃ、膿になる。ついにはおりものそのもの。ああ、怒らないでくださいね(はしたない言葉を口にしたことを)。御主人様、もしあなた方のせいでしたら、どうかおだやかに。しかしながら、私はもう一人の方、手を(頭に)置かれること(頭に手を置いて唱えごとをされること)を許さない方にお話いたします。憑依霊ドゥルマ人です。ごめんなさい。 (唱えごと中断) C: 息が切れちゃったわ。今回手に入れたやつ(憑依霊ドゥルマ人の香料(mavumba30)を指して)は、しっかり挽かれてるわね。強い匂いがするわ、あなた。カリンボ(私に向かって)憑依霊ドゥルマ人の香料は久しぶりでしょ? Hamamoto(H): ええ。ムランゼ(murandze193)ですね? C: ムランゼとンダゴ(ndago194)よ。 (唱えごと再開) C: さて、私はお話します。あなた憑依霊ドゥルマ人にお話します。ドゥルマ人、あなたカシディ(kasidi14)、内の問題も外の問題もご存知だというあなたカルメンガラ。カシディと言えば、別名ムルング・マランボ(mulungu marambo195)。 私たちはムロンゴに驚き当惑しています。ムロンゴは、昔から病気知らずでしたのに、今この病気に見舞われたのです。 今、私はお話いたします。そしてこの私の言うことに、耳をお傾けください、あなたドゥルマ人、あなたシャカ(shaka196)、あなたキヤマ(chiyama197)、キヤマまたの名を、あなたムユゴ(muyugo198)、あなた荒蕪地の憑依霊。あなたはただ色々な名前をつけられただけ。チェンゴ(野営地)とかも、ほかにどんな名前がありましたっけ。でもドゥルマ人は、ドゥルマ人にすぎません。あなたカシディは、彼女にカシディ、カシディな物事14をしでかすこと。今、私は彼女に薬を与え、あなたとお話ししています。私は彼女に薬(mihaso55)を与え、薬を煎じるのに用いる香料(mavumba30)をあたえます。さあ、もしこれが正しく、間違いでないなら、彼女が行って、小康が得られますように。そうしたら、私は彼女に薬液(mavuo22)を調えてあげます。もちろん鍋(nyungu23)の湯気浴びだって、やらないとは申しません。しかしながら、私たちはまず本当にあなたのせいなのだという徴を見たいのです。おしずまりください。 (唱えごと終わり) C: 終わったわよ、私。唱えごとってたいへん!
EX7 (施術終了後の雑談。チャリ、昨夜のムリナの振る舞いを話し、また居合わせたチャリの弟子(mwanamadzi199)が夢の話しをする。どうでもいいけど、インターネットが比喩として登場。時代は変わったなあ。)
Chari(C): (途中から)...彼(ムリナ)ったら、(施術の装備を入れる編み袋ムコバ(mukoba96)から)瓢箪を取り出してるのよ。瓢箪を全部、ムコバからすっかり!なんと、お金を探していたのよ207。 Hamamoto(H): (昨夜の)雨で(ムコバに)水が入っちゃったんですか? C: そう。 H: なるほど。 Z..(Z, チャリの弟子の一人): カリンボ、ほらお茶が入ったよ。 H: ありがとうございます。 Z: 明け方に、そいつがやって来たのさ。そいつは毎晩やってくる。そして俺に蝿追いハタキを渡すんだ。私は池にクズザに行くのさ。そいつはナイロビも見せてくれる。そいつはどこであれ、見せてくれるんだ。アメリカにだって私は行くんだ。寝ているときにね。私は眠っている。 C: ああ! Z: ちょうどインターネットみたいなものだね。 H: ええ? Z: だって、もしお前が身体の中にあいつら憑依霊たちをもっていたら、ちょうどインターネットみたいに、もし人が場所の名前をあげれば、ありありと見せてもらえる。 H: ああ! Z: そうとも。とっても遠いところでも見える。さあ、(手を洗うための)水を汲んできてあげようか?
ニューニの治療として見ると、実に型破りである。ニューニの治療として通常行われる「飛び立たせ(ku-urusa)」も、それに伴うクツォザ(kutsodza85)もなされていない。ましてや除霊などではない。行われたことは、家で飲ませるようにとの「煎じる草木」、家で薬液にして浴びさせるようにとの薬液の草木、石の上でこすって粉にし塗るようにとの擦り薬が出され、護符ンガタを子供の腕に巻く、これではごく普通の憑依霊による病気の応急治療(hamehame)となんら違いはない。
とは言え、チャリはニューニの施術師からその知識を購入したと思われるニューニの瓢箪をもっており、それを使って(今回の治療ではンガタの作成の際に用いただけのように見えるのだが)治療している。しかしその瓢箪の中身は、憑依霊の瓢箪子供のなかの「薬」とは性格の違う薬である。チャリは最初に、憑依霊たちに対してその瓢箪の使用について許可を求めねばならない。
彼女は言う。「私には罪はありません。この瓢箪は、人を救う瓢箪です。それはいつも人を救う瓢箪でした」と。「罪」がないと宣言することの意味は、人を害する目的でこの瓢箪を使わないという意味であり、自分が妖術使いではないことを主張しているのだが、そのことで逆にこの瓢箪の薬が、妖術系の治療(それゆえ妖術の行使)に用いられる薬(muhaso)と同系列の薬であり、憑依霊の瓢箪子供のなかの「薬(muhaso)」とは系統の異なるモノであることをほのめかしている。それらの妖術形の薬は、活性化させることで使用者の命令に従う。瓢箪を手のひらに打ち付けながら唱えごとをするというのがそれに当たる。憑依霊の瓢箪子供の場合、そのような使い方はされない(施術師ごとにさまざまな様式があるので断定はできないが)。
この薬がンガタに注がれたのは見ているが、煎じ薬にも添えられていたかどうかは、その場では確認していない。いずれにせよ、この瓢箪の薬が、チャリの施術を、ニューニの施術の一種と見ることを可能にする。
しかしそれ以外の点では、他の憑依霊一般の病気に対する施術とほとんど違いが見えない。それが最も明瞭になるのが、護符ンガタを子供に装着する場面である。他の憑依霊に対する護符と同様に、このンガタは憑依霊に差し出される「椅子」であると語られる。憑依霊の護符は魔除けの類ではなく、憑依霊に差し出される椅子である。やって来た憑依霊は、椅子を提供されなければ、そのまま患者の身体に腰を下ろしてしまう。それが患者に苦痛を与える。そこで客人に椅子を提供すれば、彼らは患者の身体に腰を下ろす代わりにその椅子に座って大人しく過ごすのである。「子供の上にお座りにならないでください。子供の身体は枕にはなりません。子供の身体はマットレスにはなりません。」椅子は客を歓待する最初の一歩なのである。
このくだりの、他の部分は、ニューニの施術師たちが行う定型の唱えごとになっている。「皆さま方の出身地である荒蕪地(nyika)にお行きになり、そこでエランドやシマウマをお食べください。そして海(pwani)にお戻りになり、そこでトカゲウオ(ngoromwe162)やテングハギモドキ(nzaga(Naso hexacanthus))をお食べください。」そこに通常の唱えごとでは、「この子供を食べてもあなたは満腹にはなりません」などという言葉が付け加えられたりする。ニューニは子供から立ち去って(あるいは子供には手を出さず)荒蕪地や海で大きな獲物を食べれば良いと諭されるのである。例えば施術師カリサ氏の唱えごとのように。
しかしチャリは、ニューニたちに椅子を差し出して、休憩するよう勧めている。
チャリが取得したニューニの施術が、オリジナルではどんな施術だったのかはわからない。しかしおそらく通常のニューニの施術の定型だっただろう。しかしそれはチャリの手にかかれば、憑依霊に対する治療の一種のようなものに作り変えられてしまっているのである。
ニューニには多くの種類があり、誰もがニューニであると認めるいくつかの共通の名前に加えて、施術師ごとに多様なニューニのリストがある。こうした名前の多様性について(そしてニューニばかりでなく、憑依霊一般が多くの変名をもっていることについて)チャリは、かなりブッ飛んだ、というかあけすけな見解を示している。
チャリは生まれてきた子供は、多くの病いにかかるものであり、その正体もよくわからないものが多いと唱え、「でも、私たちはこうしたことを見ると、クハツァ(命名)」するのだという。なんでもかんでもニューにだと言い、新しい名前を与える。こんなふうにして、さまざまなニューニが登場するというのである。
チャリのこうした見解は、憑依霊の名前についても当てはまる。子供の母親の病気についての唱えごとのなかでさまざまな憑依霊の名前を、憑依霊ドゥルマ人の別名であるとし、その別名をいくつか挙げた後に「ほかにどんな名前がありましたっけ。でもドゥルマ人は、ドゥルマ人にすぎません。」と言ってのける。
別稿で示したように、チャリ自身が、実は憑依霊を増殖させている。というか夢の中に新たな憑依霊がやって来て、名前を名乗ってくるのである。あるいは何年かの付き合いの後で憑依霊が、自分の正体を(夢のなかで)明かすことがある。そんな具合で、次々と新しい憑依霊とその持ち歌が増えていくのだが、一方で、チャリはこれらを、自分の既知の別の憑依霊の別名として捉えなおす。こうしたことを常日頃からやっているのである。ほっておいても増殖する、憑依霊を収斂させるという二つの方向性がつねに存在しているのだ。
施術師チャリによるニューニ治療を見たのはこれが初めてだと思っていたのだが、今回、過去のいろいろなデータを漁っていて、2003年にもチャリが近所の男の子(彼女の分類上の孫に当たる)にニューニ治療している場面を、オモチャの動画カメラで撮影したものがあった。ニューニにはそれほど関心がなかったので、すっかり忘れていた。
映像の下に、そこでなされている唱えごとの日本語訳をつけた。例によってパラグラフ冒頭の英数字をクリックすると対応するドゥルマ語原文に飛びます。ただしこれらの映像の音声の書き起こしは浜本が行ったものであり、正確さには若干(すごく)不安がある。特に草木の名前とか、よく知らないし。耳の良い方は、チェックしておかしいところを指摘していただけるとうれしいです。
EX8 (ニューニの瓢箪のなかの薬に対する唱えごと)
Chari(C):(ニューニの瓢箪を手のひらに打ち付けながら)...ムボゼとマツェジ、草木は子供、言いつけられれば、お前は言いつけに従う。私はお話します。思いますに、私は人と争いはまったくまったくいたしません。さらに、人に悪をなしたこともありません。しかし、誰かが自分の状態について私に泣きついて来れば、その人のために私が調えてあげることは私の義務なのです。 さて、私はこの子供のために調えてあげます。この子供が言うには「まさに僕自身のこれらの目、あっちを見たら、こちらの目はちゃんとしているんだけど、もう一方の目はちゃんと見えないんです」と。というわけで、今私はこの子のために調えてあげます。(うまくいくかどうか)私にはわかりません。私は癒やし手ではありません。癒やし手はムルング114です。だって、この癒やしの術はたしかに私のものですが、私はまずはムルングに祈るのですから。私自身は癒やし手なんかじゃ全然ないんですよ。でももしムルングが私を守ってくださり、人間を治しておいでとおっしゃれば、その患者は本当に治るのです。ですから、このマンガーレのためにムルングに祈りましょう。 おまえ、ムフネ(mufune208)、アマリ(amari209)、ムボゼとマツェジ、草木は子供、言いつけられれば、お前は言いつけに従う。私は今お前をマンガーレの身体に遣わす。私はお前をマンガーレの目に遣わす。そのマンガーレこそ、ニューニをもっていると言われた者なのです。そのニューニは、そいつらだと言われています。荒蕪地のニューニと海のニューニだと言われています。今、私は申します。あなた方、どうかあなたの出身地である海にお帰りになり、そこでテングハギモドキ(nzaga(Naso hexacanthus)210)やトカゲウオ(ngoromwe162)を召し上がってください。どうかあなた方の出身地の荒蕪地にお帰りになり、行ってエランドやシマウマを召し上がってください。 そう、私には罪はありません。今日、今私はこの子供のために調えてあげます。この子がこの場を去れば、健康でありますように。そして彼が「僕は病気だったんだ。でも治してもらいました。誰にだと思いますか?おばあちゃんにです」と言いますように。私には罪はありません。また罪があると言われたくもありません。でも今、こうしてこの子供を私のやり方で調えております。そしてこの私のやり方で調えれば、それが首尾よく参りますように。プッ。
EX8 (薬液作成の唱えごと)
Chari(C): 私はお話しいたします。私は人に悪をなしたことはありません、私は。ムボゼとマツェジ。私にはクランがあります。そして私は人に悪をなしていません。でも今、ただ今、この子供が私に苦しみごと(chiriro211)を見て欲しがっています。その苦しみごとが何なのか、私にも正直言ってわかりません。私はムルングに祈ります。そして、彼のこの苦しみごとですが、さて、この子がここを立ち去れば、苦しみごとも消えてしまうことを願います。おしずまりください、御主人様。これより、この子がここを出れば、彼の目がすっかり健全になりますように。彼の目は、壁の割れ目のごとく、よく見えますように。脚は、家の土台柱のごとく、しっかり立ちますように。腕は、拳のごとく私を握りますように。頭は家の土台のごとく、しっかり立ちますように。今日、今、私はこの子がつつがなくあらんことを願います。施術師はノーと言われてはなりません。施術師はそのとおりと言われるべきです。私は手に入れたのは罪の施術ではありません。私が欲しいのは人を癒やす施術です。人がここを去って、行って言いますように。「ああ、友よ、私はかつてはこんなぐあいでした。でも、誰それさんのところに行って治療してもらい、治りました」と。さて、今私はこの子が、私が治療したら、治ることを願います。私は人に悪をなしたことはありません。私に悪をなしたるものこそが罪人です。私には罪は全くありません。私はこの子供がここを去れば、つつがなく去りますようにと願います。プッ。 さあ、浴びておいで。終わったよ。
この患者の少年マンガーレ君は、チャリの夫であるムリナと同じムァカイ氏族であり、マンガーレという名前はムリナという名前と同一の世代名セットに属している。したがって、マンガーレはムリナの「分類上の孫」ということになる。チャリはマンガーレの分類上のおばあさん(wawe)で、この施術のやり取りのなかでチャリが彼をぞんざいに扱っているように見えるのは、二人が「冗談関係」にあるからである。
この唱えごとで注目すべき点は、これが憑依霊についての施術によりは、妖術系の施術の特徴をよりそなえていることである。チャリが薬液に加えようとしている瓢箪のなかの「薬」は、最初の動画に見るように、「瓢箪を打つ」ことによってまず活性化させる必要がある。それは妖術系の「薬」に固有の特徴である。そこでは「草木は子供、言いつけられれば、お前は言いつけに従う」という定型文が繰り返されるが、これは妖術系の薬を使用する際のフォーマット「草木よ、奴隷よ、使役される者よ。お前は捕らえよと言われれば捕らえる。離せと言われれば離す。」と、基本において同じ構文である。これらの「薬」はそれを所有する者の命令で作動するのだ。
さらにここではくどいほどに「自分には罪がない tsina dambi(私は場合によってこれを「人に悪をなさない」と訳しているが)」と繰り返していることにも気づかれることだろう。「罪」、「人に悪をなす」ことが「妖術」を用いるという意味であることを指摘しておきたい。妖術系の(妖術を解除し患者を治療する)薬は、基本的には妖術を掛ける際に用いる薬でもある。そして憑依霊たちは、そうした薬を極度に嫌っているとされる。憑依霊の施術師であるチャリは、こうした「薬」を使用するときに、憑依霊の怒りを買わないように繰り返しその薬が「人を癒やすための」薬であることを表明しなければならない。2012年のチャリのニューニの施術では、施術はずっと憑依霊よりになっており、ここで述べた要素は希薄になっている。
最後に、このときの施術における最大の疑問。唱えごとの中に何度か繰り返される「ムボゼとマツェジ」という表現である。最初は聞き間違いかと思って、何度も聞き直したほどだ。実は、「ムボゼとマツェジ」はドゥルマの子どもたちなら誰もが知っている民話であり、なぜそれが言及されているのかわからない。草木にそういう名前のものがあるのかと、文脈から類推したのだが、かなり無理がある。ムボゼとその妹マツェジのお話は、女の子6人で壺作りのための土を掘りに行き、帰り道でいろいろあってムボゼが怪物(zimu)に捕まり、その妻となる。怪物に養われて十分太ったので、さて食べてしまおう、というところでうまく逃げ出し、いろいろあって怪物は死に、ムボゼは無事に母の待つ家に帰るといった物語(簡単に要約しすぎ)。ニューニとはまるで関係ありそうにない。で、思い出したのだが、この話のなかでムボゼが「私は人に悪いことをしたことがない mino tsina dambi na mutu」というくだりがあった。うむ、もしかするとチャリは呪文のなかで「私は人に悪事を働いたことはない」というのだが、その枕言葉として「ムボゼとマツェジ」と言ったのかも。「孫」相手の施術で、ちょっと茶目っ気を出したのかも知れない。しらんけど。
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tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩ ↩ ↩
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