ムコバを上げる

目次

  1. 概要

    1. チャリ、姉の死の知らせを受けガンディーニへ向かう

    2. 帰宅後のチャリ、死を嫌う憑依霊カンバ人のせいで病気、その治療を求める

    3. 「ムコバを上げる」作業について

  2. ドゥルマ語テキストの日本語訳

    1. チャリに対する出発前の唱えごと

    2. 憑依霊カンバ人の治療を求める

    3. ムコバを「上げる」ことについて

    4. 施術師ムブィンディ:チャリの施術にかける心意気

    5. ムリナ、「ムコバ上げ」に向けてチャリを薬液で洗いながら唱えごと

  3. 考察・コメント

  4. 注釈

概要

1997年末からの今回の調査は、1997年8月にドゥルマの出稼ぎ者たちが多く居住するモンバサ・リコーニ地区で起きた動乱を人々がどのように語るか、に調査の焦点を向けた調査だった。が、大雨でキナンゴ地区に入るためのほぼすべての道が不通になっていた(主要な橋が流されてしまっていたため)。やっとの思いでたどり着くと、なんと私の友人の一人でもあったMw...さんが、妖術使いだとの告発を受け、パパイヤのキラボ(chirapho1)で有罪が確定し、「ジャコウネコの池」村は不穏な空気。ことの経緯を把握し、Mw...の処遇を巡る話し合いなどに参加するなど、調査はもっぱらこちらに向けられてしまう。しかもこの事件がきっかけで、人々がこれまでこっそり胸の奥に仕舞い込んでいた妖術疑惑が、一斉に噴き出していた。私の好奇心も全開してしまった。今回はこの2本だて。憑依霊関係はやや手薄になるしか。 交通の悪さと物資の不足で、調査地に落ち着くのにも時間がかかった。そのなかで、チャリの実の姉(ムパ(Mupa)、通称カベンデラ(Kabendera))の死の知らせを受ける。その後、憑依霊の施術師でもあった姉の施術用の編み袋ムコバ(mukoba2)を「上げる手続き」、それを通じて明らかになったチャリ一族の癒しの術の継承の系譜など、いままで得そこねていた情報が。

チャリ、姉の死の知らせを受け、ガンディーニへ向かう

(1998/01/05 Mon, kpwaluka3の日誌より)

...10時過ぎに砂糖500gをお土産にチャリの家へ。チャリたちは昨日チャリの実の姉ムパの死を知らされて、ガンディーニ4まで出かけるところ。で、今日のウガンガ5は中止となった。たまたま来ていた患者に対して、止むなくペーポーコマ6のピング18のみを処方。チャリの所にずっと滞在していたウ...にkukokotera111し、ムドゥルマ29のムハソ43を処方。チャリ自身がおなかの調子が悪く、ムリナがチャリに対してmakokoteri114。ガンディーニまでのバスは道路が悪く走らないというので、自転車をムリナたちに貸す。

ムリナによるチャリへの唱えごと

帰宅後のチャリ、死を嫌う憑依霊カンバ人のせいで病気、その治療を求める。

(1998/01/07 Wed, kpwisha115の日誌より)

チャリの所へ行くとちょうど出かけようとするところ。ムパの死に赴いたためにムカンバ116のせいで病気になったため。ムカンバは死者がきらい。カンバ族自身かつては死者を埋葬すらせず捨てていた。死者の小屋も死者の使っていたベッドもすべて燃やされていた。で、これはかつてドゥルマでマハナ118の死者を埋葬するときと同様だという話になる。つまり彼のすんでいた小屋と彼が使っていたミヨ119すべてが燃やされた。「すっぱい村」のペサはムカンバ(ンガイ117)の専門家。自身カンバの出身である。 チャリとムリナが徒歩なので、私もつきあわざるを得ず徒歩で「すっぱい村」まで。しかしペサは治療を拒絶した。彼女のヤギが死んだため。この山羊はムコバ2の山羊で死なれるとウガンガも kuyugika120 する。チャリによるとウガンガで稼いだお金はムコバに属している。お金がたまるとそれでヤギを買う。この山羊はムコバのヤギと呼ばれて、決してたたいたりしてはならない。叩くとこちらの心が ku-shononeka121 する。現にチャリの屋敷のヤギは、すべてムコバのヤギである。

憑依霊カンバ人に対する治療を求めて

「ムコバを上げる」作業

カベンデラ(ムパの通称)の死の後の厄介な作業があると知った。それは残されたカベンデラの施術のムコバ(編み袋2)に対する処置である。それの継承者が親族内に現れなかった場合、ムコバはいったん「上にあげ」なければならない。それには男女二人の施術師が必要。「ムコバを上げる」なんて初耳。何年調査していても、こうした漏れた知識が出てくるのはしかたないことなのだろうか(と思ったら、1989/9/6のフィールドノートに記載があった。忘れていた(2026/8/22追記))。

(1998/01/10 Sat, kurimaphiri122の日誌より)

午前中チャリを訪問。チャリの亡くなった姉の息子オマリが来る。姉ムパはムガンガであったが、そのムコバを引き継ぐものがいないのでそれを「上にあげる kp'eza 」必要があり、その相談。どうやらチャリが行ってその手続きを行う模様。その説明を聞くことが出来た。 ムコバを「上げる」ことについて

そしてその流れのなかで、チャリの祖父デレからの癒しの術の継承の全体像がわかってきたのだが、そちらについては別稿: 癒しの術の継承を見られたい。

ドゥルマ語テキストの日本語訳

パラグラフ冒頭の[英数字]をクリックすると対応するドゥルマ語テキストに飛びます。ブラウザの戻る機能でお戻り下さい。

ガンディーニ出発前のチャリに対する唱えごと(日本語訳)

makokoteri1

Murina(M): さて、私はこのような時間にお話することもなかったでしょうに。私がお話するとすれば、それはあなた全能のムルングに対してです。あなた全能のムルングこそ砦123の主です。 そう、私たちは病気に驚いています。病気そのもの。チャリは病人そのものなのです。もちろん私たちはできることはやっております。しかしながら、どれも全くうまくいかないのです。さて今、もし私が全能のムルングが軽視されている、なぜなら、ムルングを蔑ろにしてはいけないのに、憑依霊ドゥルマ人に(ものが)買い与えられたから、と言ったとすれば。昨日、私はあちらにもどり、再び買いました。なぜなら私はまるで債務者、そして約束をするとすれば、すでに約束はいたしました。 今は、どうかあなたの布(nguo124)をお受け取り下さい、あなた全能のムルングよ。これがゼンゲザ(zengeza129)です。まだ調えられてはおりません。これがやってきたばかりとしたら。あなたの布をお受け取りになり、お解きほどき下さい。お解きほどきくださった後、新たな問題があり、申し上げます。わたしども人間は死ぬ者です。産まれてきて、そして死にます。 Chari(C): このムコバ(mukoba2)は、彼女のところからでてきたものです。 M: さて、言わばムコバの主畑(dzumbe130)そのものである者が、この度ムルングに召された者なのです。あなた全能のムルングに申し上げます。今、この者(チャリ)はあなた方の施術上の祖母であるその死者に、会いに参ります。そちらに着いて、ますます驚くことになりませんように、私のキョウダイの皆様。この者に、この者に病気そのものを注ぎ込まれませんように。彼女だけなのです。前にも、後ろにも他の者はいません。あちらにいる者たち、残された子供たちは、彼女が来るのをじっと待っております。

makokoteri2

Murina(M): さて今、私は解きほどきを欲します。私も出発いたします。そう私も彼女とともに参ります。彼女こそ私の伴侶なのです。ムルングによってなされた仕打ちに、二人そろって驚きに参らせて下さい。あなた方のほうでも、どうかおとなしくしていてください。後に、そちらを発ったのちに、私に涙のンゴマ(ngoma ya matsozi131)を開催しに参らせて下さい。私たちは一層の感謝をいたします。あなた全能のムルング、ご一緒におられる、ペーポー子神(mwana p'ep'o132)、憑依霊バラワ人(mubarawa137)、憑依霊バルーチ人(bulushi138)、憑依霊クヮビ人(mukpwaphi139)、キツィンバカジ(chitsimbakazi45)。あなた方こそ砦の主、まさしく彼女が後に残した方々。 私は皆様方におだやかにと申します。シェラ(shera37)の皆様方もいらっしゃいます。憑依霊ディゴ人(mudigo97)の皆様方も、ルキ(luki140)の皆様方も、いらっしゃいます。私は皆様方におだやかにと申し、報告(ripoti)を差し上げます。私どもは埋葬に参加しに参ります。どうか、来て驚かれませんように、私のキョウダイの皆様。これは全能のムルングのご予定(ajenda= agenda)なのです。誰にも反対はできません。そして死んだ者は埋葬されます。残るのは生きている者たちです。さて、今、私は皆様方に対してお誓いいたします。あなた、ディゴ女(muchet'u wa chidigo106)よ、あなたシェラよ。あなたは驚くと後ろをご覧になる、あなたディゴ女は。さて今は、この問題は両の肩にあり、けっして下ろすことはできません。なぜならまさに私たちの問題だからです。(亡くなったのは)ねえ、彼女、ムコバの祖母なのですから。行き、埋葬しに行き、そして帰ってくる。それも良好に。私どもは、そして涙のンゴマを開催いたします。 私はお話いたします。あなた憑依霊ドゥルマ人(muduruma29)に、あなたカルメンガラ(kalumengala30)、外の問題もご存知、内の問題もご存知という、あなたに。あなたは、またの名をムルング・マランボ(mulungu marambo141)、子供は嫌い、着飾るのが好きというあなた、またの名をシャカ(shaka142=災難)、またの名をムガイ(mugayi143=貧乏人)。災難は家に到来しました。災難とはなんでしょうか。人が死んでしまったのです。しかもあなた方の癒しの術の大物癒し手、あなた方の祖母がです。さて、今は、どうか端っこの方に腰を下ろして、おとなしくしていて下さい。その災難を見舞いに行き、それが終われば、私たちは涙のンゴマをうちに参ります。なぜならその災難は他人のではなく、私たち自身の災難だからです。

makokoteri3

Murina(M): 私は中にいらっしゃるすべての皆様ひとりひとりにお話いたします。コーランのアラブ人(mwarabu kuruwani144)もいらっしゃいます。ロハニのアラブ人(mwarabu rohani145)も、ペンバのアラブ人(mwarabu mupemba146)も、スディアニのアラブ人(mwarabu sudiani61)も、メッカのアラブ人(mwarabu makka148)も、ジキリ・ナビ(dhikiri nabi150)、ジキリ・マウラーナ(dhikiri maulana151)、ジキリ・マイティ(dhikiri maiti152)、ペンバのジャバレ子神(mwana jabale wa chipemba153)、天空に御座しますジャバレ、世界導師(mwalimu dunia154)も。ムサガヤ(msagaya158)もいます。憑依霊ガンダ人(muganda160)もいます。ガンダ人、いっしょにいるのは憑依霊セゲジュ人(musegeju165)、果ては、憑依霊サガラ人(musagala159)、憑依霊コロメア人(mukoromea166)、憑依霊ナンディ人(munandi167)。憑依霊ナンディ人は、別名憑依霊カンバ人(mukamba116)。カンバ人は死体を見ることを嫌悪する。あなた方、上の方々(atu a dzulu169)もまさにそう。 今は、はい、私は皆様方におだやかにと申します。今日は、小屋の入り口にそれ(死=chifo)は倒れました。私たちになにができましょう。前もって平安を差し出すこと以外に。皆様方に私たちが行くということを、ただし良きことに向かって行くのではなく、悪しきことに向かって行くのだということを、知っていただくように。腰を下ろして、おとなしくなさって下さい、皆様、そうすることをしっかり、しっかりご存知のように。ああ、彼らは死の場所に行くのだと知り、たくさんのたくさんの問題をここに投げ出すこと、あなた憑依霊カンバ人よ。あなたはよくご存知です。何度も間を明けず下痢を起こすことも、あなたの仕業です。高い体温もあなたの仕業です。あなたお一人(の仕業です)。おだやかに、私は、あなたに、ごめんなさい、お静まり下さいと申します。 御覧なさい。今問題は、小屋の入り口にあります。私たちがそれをどうしようというのでしょう。それは私たちの問題です。おだやかに。だから、どうか身をお引きになって下さい。後ほど、あなたには浴びるための薬液を差し上げます。私は皆様におだやかに後申します。あなた天空に御座します者、世界導師、あなたヘビのなかのヘビ、おだやかに、私のキョウダイよ。そう、しっかりおだやかに。身をお引きになって、おとなしくなさってください。私どもに、その困難に取り組み、それを終え、ここに戻って来させてください。私は、その途上で、また問題が起こることは嫌です。旅を全うできるよう願います。下痢そのものであれば、それを封じて下さい。この苦難、ムルングによって落とされたこの苦難に、面と向かわせて下さい。 そう、おだやかに、私のキョウダイよ。ご主人様、私はこのことを証言いたします。そして声に出して、平安を乞い願います。全能のムルングへの平安です。ご傾聴下さい、私のキョウダイたちよ。ご主人様方、争いはございません。おだやかに。私の言うことは、これだけです。

カベンデラの「生の服喪」が非開催になった件: 施術師ペサに憑依霊カンバ人の治療を求める道すがらの会話(日本語訳)

hanga1

Chari(C): (同行している近所の女性に)ねえ、あなた、その人は私の同腹の(ndani mwenga)お姉さんなの。その人が死んだのよ。私は言ったの。「私ももしここにいたら、死んじゃうわ。家に帰りましょう」 Woman(W): 「自分の家で死なせて」ってね。 C: 私はあれら私の子供たち170をそこに残してきたの。年若い親族たちをね。生の服喪もやらないし。あの子たちは、日中、静かに暮らして、水は汲んできてもらって。... W: どうして生の服喪が開かれないの? C: 皆んなで服喪は開かないと決めたのよ。でも、それが妥当よね。 W: なるほど。コレラが流行っているからね。 C: そうじゃないのよ。ねえ、服喪には「持ち主」たちがいるものよ。服喪には「持ち主」がいる。人間はことをなすべき。でも「こと」は人ではありません。あの人たちは、「こと」を整えることはない。あの人たちは「彼が私のためにやってくれます」と言える人がいるから、そこにやってきます。 W: わかるわ、お母さん。私自身、見たから。マブウェーニ(地名)の彼らの屋敷、さて人が亡くなります。そこには私の父の弟が一人まだ住んでいて、今は死んでるけど、その屋敷に本当に長く滞在していたの。その人は言われます。「どうするね。そのお前の奥さんだけど、どこに埋葬されるんだろうか?」「マブィンブィリニ(地名)に行くよ。私の兄がいるので。」「彼女を家から、何といっしょに出すんだい?」「雌ヤギ1頭さ」「服喪はあるの?ないの?」「服喪はやります。」遺体を出すときには、その雌ヤギが屠られました。

hanga2

Chari(C): 私の姉さん、猫のように死んだわ171、彼女。 Woman(W): 男の子供はいないの、彼女? C: とっても小さい(若い)子なの。さっき来てた(チャリたちの屋敷に)あの子供のほうがまだ大きいくらい。 W: ああ、難儀だわねえ、あんた。 C: それに女の子が一人だけ。その女の子は嫁いで、その夫のところに行ったんだけど、夫のところで暮らした後、またそこ(母の屋敷)に戻って来たの。 W: 遺産はないのかい。 C: ああ、ディゴでは遺産はないのよ。お姉さんはまるで猫みたいだった。さて、ドゥルマがよく言うように「それが彼女の運命だったんだ(自分でそんな風に書き記していたんだ)」って。どんなもんだか。 W: ああ、自分でそう書き記していた。もしあなたが(誰かに)斬り殺されたとしても、キョウダイさん、それはあなた自身が書いたこと(運命)なのね。 C: さてさて、彼女はしっかり書いていたわけね。 W: ええ。私はこっちに行くわ。私のキョウダイさん。 C: ああ、私は、そう、ペサさんのところに行って、唱えごとしてもらうわ。

hanga3 (施術師ペサの家で)

Chari(C): ...私はパラ(人名)の廃屋跡に立ち、「さあさあ、皆さん、論争は終わらせましょう」と言いました。「私は一昨日さえ、家では寝ていません。確かに、同腹のあなたのキョウダイです。すでに到着しました。あなた、でも、今、私はもう無理なんです。昨日、あちらに来た方々に、私は言いました。「たくさん薪を集めてくださいな、夜が明けたら、屋敷の方においでなさい、あなた方」と。彼女自身はキョウダイなのに、子供たちをあちらに放置して、彼女はそこを発った、とはどうか言わないで下さい。こう言うわけなのです。私はすでに墓は見てまいりました。 Murina(M): ねえ、御婦人、私はこの人を連れてまいりました。薬液(のための草木)を集めてきて、彼女のために憑依霊ンガイ(ngai117)に唱えごとをしてくださいな。 (録音はここまで、この後、フィールドノートの記述にあるように、ペサは「ムコバのヤギ」が死んだので、この日は施術ができないと依頼を拒絶。我々はやむなく帰宅する。)

姉の「施術師の編み袋(ムコバ)」を上げることについて(日本語訳)

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Chari(C): お悔やみのカヤンバだわね。マブィンディさん(故カベンデラの施術上の父)はお元気?まだ彼は(ムコバ(mukoba2)を引き継ぐ候補の)子たちを見つけてないの? Omari(a son of Kabendera, O): マブィンディさん、昨日はあちらにいました。マブィンディさんが私に言うには、「君のお母さんは、キナンゴにいるんだね」私は彼に言いました。「はい。」彼は言います。「君の母さんに会って、草木を探し採って来るようにとだけ伝えてよ。草木を(チャリ自身の)ムコバに入れて、こっちに来て、あの(カベンデラさんの)ムコバ(mukoba)に唱えごとをしてもらい、こっちでムコバを洗って、その後で、麻袋でいいからその中に入れ、上に結びつけて(封印して)おいてって。それだけ。これで問題は終了。あとは、その癒しの術が、自分で(継承者を)探し求めなければね。人を手に入れるまで。」 C: 家の中の高いところに封印しておくの、それとも家の外? O: 家の中ですってば。つまり良好な場所に置いておいて。 Hamamoto(H): それって、いったい何の施術なんですか? C: さらにムコバに唱えごとするのに、ちょっとしたカヤンバ演奏はなし? O: いいえ。彼が言うには、カヤンバは、そこでカヤンバを開くのは、おそらく憑依霊を持っていて、その癒しの術を求めている子供がいる場合でないと。そのときにはンガッとなるまで(辺りが明るくなるまで)カヤンバで夜を徹して、その子にそのムコバが与えられるでしょう。というわけで、カヤンバはなし。 C: (Hamamotoに向かって)先日亡くなった女性の話よ。そう、私のお姉さんなのよ。そしてこの子が彼女の息子。そちらにいる小さい子が彼女の孫よ。さて、彼女は施術の編み袋ムコバを残したの。私のお姉さんは。さて私は先日それをきちんと置くことは、自分は無理って思ったの。どうしてかって?ねえ、彼女、彼女には施術上の父がいる。そこで私はあの子たちを遣ったの。彼(カベンデラの施術上の父)を探してきてって言って。というわけで昨日、彼がつかまったんだけど、彼は私に命じたわけ。私が行って、そのムコバに乳香を焚いて、それに縷々語りかけ、それが済んだら、そのムコバを封印しなさいって。私にそれを上の方に封印してって。だってその主がもういないんだから。

2

Hamamoto(H): そのムコバはもう二度と使えないんですか? Chari(C): ちがうわ。ムコバ自身が探すまでは使えないの。男の人を手に入れるかもしれないし、女の人を手に入れるかもしれない。でもそこでは誰一人見逃してもらえる者はいないでしょう。必ず一人が連れて行かれちゃう。 H: 見逃される者はいない。なんとあなたのキョウダイは強力な施術師だったんですね。 C: この私のムコバもね、あちら、彼女のところから出たのよ。 H: そうなんだ。 C: 私は彼に伝えたのよ。私のために薬液(のための草木)を探し採ってきてって。私が(薬液を)浴びられるように。そう、(病気を、あるいは憑依霊を)鎮めるためよ。もし(生(なま)の)服喪(hanga)だったら、人々は前の日に水浴びしていたことでしょうね。さて、私は、(姉の死の場所に)着いて以来、薬液(のための草木)を採ってません。つまり前々日来、私は薬(mihaso)(のための草木)を採りに行ってなかったの。で、彼に伝えたわけ。私が浴びられるように、私のために薬液(のための草木)を探し採って来てって。さらに彼ら瓢箪(子供)たちも泣いているのよ。私が(薬液)を浴びて、その子たちを(薬液で)洗ってあげないと。(カベンデラの)ムルングの瓢箪なんだけど、それは(カベンデラが)ムァバンズにあげたものなのよ。そして今度はムァバンズが私にくれたの。その瓢箪が泣いているのよ、私を驚き当惑させてるのよ。それはますます激しく泣いてるの173 H: ムァバンズさんはカベンデラさんとどんな関係ですか(なんと呼んでいるんですか)? C: 大きなお母さん(実の母親の姉)でしょ、もう。私にはカベンデラは施術上のお祖母さんよ。(チャリの瓢箪子供の)お祖父さんね、ムァバンズは174。それは、ムァバンズからいただいたものよ。先日来、泣いているのよ、その瓢箪。全然、休むことなくね。重みもないのよ。ただ、私に来て洗ってもらいたがっているのよ。そう、だからあの人(カベンデラの施術上の父)は、結局、間違えているのね。彼、間違いを犯したのよ。だって、それ(瓢箪)は何をして欲しがってたの?彼がやって来て、もし私もそこにいたのならね。だって(瓢箪子供は)女性と男性(二人の施術師)が与えるものよ。「外に出す」際にね。施術師を外に出すのは、男女二人じゃないの。そうよ、正しくは、彼と私がいるはずだったの。でもあの人は怠惰なのよ。あの人。

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Omari(O): でも、そもそもあの長老ご自身ではないんじゃないですか、それをする人は。 Chari(C): 彼があれこれと話して、話し終えて、その後で、私が話したのよ。さあ、その編み袋ムコバを私たち二人でもって来て、いっしょにそれを安置しましょう、ってね。 Hamamoto(H): つまり(ムコバは)男女二人の(施術師によって)上に置かれるのですね? C: そうよ。そんな風に男女二人で上に置かれるのよ。私は、それをするのを嫌がってました。どうしてかって?人とその瓢箪たちを軽視しちゃだめなのよ。「ねえ、あなた。(カベンデラ)はあなたの施術上の子供でしょ。あなたの子供の墓を見にいらっしゃったんでしょ。嘔吐にくるしんでいるあなたの奥さんが、いまどうなのかかは知らないけど。」 O: ああ、もう大丈夫なようですよ。 C: ああ、あんた、結局、私たちが行って終わらせることになるんでしょうね。

4 (ムリナ氏、会話に加わる)

Chari(C): 一昨晩、そして昨晩。 Murina(M): 君が彼にそう言ったら、彼は何て言った? Omari(O): 彼が言ったことには、ムコバについては心配ない、キナンゴのお前のお母さん、彼女が来て草木を探し採ってくれるよ。それから、彼女が(ムコバを薬液で)洗って、こちらで(乳香で)燻してやる。それだけ。それが済んだら、彼女が(ムコバのために)場所を見つけて、(ムコバを)上に置いてやる。それで全部終わり。あとは(ムコバが)自分で探して、人が手に入れば、さあ、ムコバのためにンゴマを打ってやって、徹夜する。 C: ねえ、それじゃ彼、私にいっしょにそこにいるように指示すればよかったのに。ムコバを洗うのも、男女二人なのよ。さらに(ムコバを)上にあげることについても、同じく男女二人(の施術師)であげることになってるんだから。「おだやかに。皆様方、自分たちは放置されたなどとおっしゃってはいけません。それはまさに、ムルングのお決めになったことです。あなた方のお母さん、彼女本人は、もう(この世に)おりません。」さあ、私は(ムコバを)燻します。彼も同じく燻します。さて、えーと誰だっけ、メジュムヮ。メジュムヮさんが呼ばれて来たんだけど、帰っちゃったと。だって、(ムコバは)一人の人間だけによって燻されちゃだめなんだもの。そして上にあげるのも、一人の人間だけによってじゃだめなの。さて、(ムコバが)「上にあげられ」ることになりました。キナロルワ(人名)のムコバだけど、あのジュムヮさん、ジュムヮ・ワ・カゾヨは言ってたわ。「私、ムコバを上げるには、どうやったらいいの?父方叔母さん(tsangazimi175)のムコバなんだけど。」「ああ、ムコバなら心配ないよ。その所有者(死んだ女性)自身が、私を(夢のなかで)訪ねてくるので、そうしたら私は行きますから。」 O: つまり、もう(夢であなたのところに)来てるんですか? C: ああ、休み無しよ。そう言ったでしょ。でも、この人は私を殺しはしないわ。

施術師ムブィンディ: チャリの施術にかける心意気

5

Chari(C): あれら、そう、あれら2名のことだけどね、ムコバは人なの。女と男(から産まれる)。あの人(ムブィンディさん)は罪(dambi)を犯したのよ。罪ってわけでもないわね。ムブィンディ本人は、昔から横着だわ。そんなわけで、あのムブィンディさんって、何ていったら良いかな、彼の分別はなんて言うんでしょう。 Omari(O): ムブィンディさんは、あなたが彼を好いていれば、ムブィンディさんのところに行って腰を落ち着けることができる。あなたが急いでいると見ると、彼はあなたに瓢箪を渡して言う。「先に帰ってなさい。私もすぐ行きます。」 C: はあ、あなたは瓢箪といっしょに座っている(待っている)わけね。 O: 瓢箪といっしょに座っている、疲れてしまうまで。彼はと言うと、あちら(彼自身の屋敷)で治療している。 C: なに?つまり彼はあなたにムコバを「ほら」(と言って渡して)、「それをもって先に行ってなさい」って言うの?「私は向こうで何をすればいいんだろう?」「私はすぐ行きますよ。」で、彼はやって来ない。 O: 彼は別のムコバをもっているんだよ(そのムコバでやって来た別の患者の治療をする)。 C: 彼は別のムコバをもっている。そしてやって来た人は、彼に自分のためにブッシュに生えている草木を探し採ってもらいたがっている。すでに待たせることになる。じゃあ、瓢箪たちをすでに渡してしまって、草木の茎は彼(施術師)本人がそちらに持っていく、というのでいいのでは? O: でも、それは施術のきまりには反しているということになるんじゃ? C: そんなことないわよ。でもそれも度を越さないようにしないとね。もしかしたら、度は越しているかも、でも実施においては度を越さないように。施術は、良心をもってやらなくちゃね。(実施が遅れた結果)「あああ、わが子は死んでしまった。」じゃあ、それまでだものね。 O: その人は悲しむよね。で、「施術師が私の屋敷に来て、そこで(施術したにも関わらず)死なれてしまった、というのならまだしも」って言う。 C: たとえ、結局は生き返らない(回復しない)としても、彼に子供に対して何かできるんじゃないか。 O: 彼(子供の親)は言うでしょう。施術師が私の屋敷で子供に死なれる方がまだましでしょう。もし憑依霊の問題だったら、死んだりしなかったでしょうし。 C: ああ、私ですら、そんなふうに言ったことがある。心からね。でもそれはムルングに指差されていること(ムルングによって定められた運命)なのよ。 Murina(M): 指差されちゃってることなんだよ。 C: 指差されちゃってる。以前から、人が病気になると、その人がここに連れてこられるか、または私が呼ばれて行くのよね。私がそこに着いてみると、私には、この人は治らないわとわかることがある。それでも治ることもあるのよ。何を使うにせよ、人々は分かれるのよ。こちらの、えーと、死の方へ行かないで済む人(と、そうでないのとに)。そして死は、抗議しても無駄。逆らえないの。私たちはたしかに悲しむわ。こんな風に歩いていても(生きていても)、この私の身体には何の力も残ってない。でも、(たとえ)ムコンガーニ(地名)(のような遠方)にだって、私は(呼ばれたら)行くでしょう。

ムリナ、「ムコバ上げ」に向けてチャリを薬液で洗いながら唱えごと

6

Murina(M): さて。私はこのような時間にお話することはなかったでしょう。私がお話するとすれば、そう、私はあなた全能のムルング(mulungu78)に、ペーポー子神(mwana p'ep'o132)、憑依霊バラワ人(mubarawa137)、キツィンバカジ(chitsimbakazi45)とごいっしょにお話しいたします。皆様こそ、砦の主たちです。これは薬液(vuo11)です。そう、光の薬液です。これは光の薬液です。涙の(薬液)でしたら(その草木は)すでに探し採っております。今、この薬液は、脚を解きほどく薬液、分別を解きほどく薬液です、これは。私たちもまた、他の施術師たちのところへは参りませんでした。この薬液は私たち自身の薬液です。だって、そう癒しの術は、同じ一つのものです。今、そうです、私はつつがなきことを願います。脚の不自由な者も一層努力して歩むもの。脚は解きほどかれよ。ここで、私ども施術師が、もし何も全くしなかったとしたら、飢えで死ぬことすら、私たちはただ死んでしまうのではないでしょうか。 さて今、この薬液、これは私自身が(そのための草木を)採ってきたものです。どうしてでしょうか?私たちの、すべての関節が解きほどかれますように。死(chifo)のことは、私たちは諦めました。なぜなら死んだ者は、戻ってこないからです。皆様方にはンゴマを差し上げます。この薬液は、すべての関節を解きほどき、分別を解きほどき、脚を解きほどくための薬液です。私たちがお金を貯め、ンゴマを開催できますように。 さて、おだやかに、おだやかに、おだやかに。今は、どうかおだやかに。分別(思考)が健全でありますように。悪い考えはもう、なくなりますように。この薬液は、仕事を解きほどく薬液、つつがなさを解きほどく薬液です。死んだ者は戻りません。どうか皆様、彼女(死んだカベンデラ)のことは考えないで下さい。あの者はメッカに行ってしまった者、もはや考えても仕方がない者です。今は、そう私は解きほどきを欲します。身体が冷めますように、身体が冷めますように。今はもはや争いはございません。身体が焼けることは、なし。人は食事をとり、心は食事と折り合い良し。 今は、おだやかに、おだやかに、おだやかに。池の皆様方、おだやかに。ムァチェ(Mwache176)の皆様方、おだやかに。キムヮンギリ(Chimwangiri おそらく池の名前)の皆様方、おだやかに。キグルフュラ(Chigulufyula178)の皆様方、おだやかに。ゾンボ(Dzombo179)の皆様方、おだやかに。おだやかに、マカンガ(makanga)の皆様、おだやかに。おだやかに、キツァンゼ(Chitsanze180)の皆様、おだやかに。おだやかに、私のキョウダイたちよ。ご主人様方、ご主人様方、ご主人様方、ご主人様がた。今、そう、この薬液は、薬液です。

7 (ウマジ、チャリに薬液を注ぎかけながら。なお以下の雑談部分は、記憶にないためよく意味がわからない箇所、多々。)

Umazi(U): 彼女は私と一緒じゃなければね。 Chari(C): 彼女、服をもってないんだって? U: 彼女痩せちゃったわ、お母さん、あなた。 C: 痩せたことはかまわない。そもそも、その方がきれいに撮れるわ。 Murina(M):(唱えごとを続けている) おだやかに。解きほどけ、解きほどけ。身体を解きほどき、健康になりますように、ご主人様。 ねえ、どうして皆さん方、唱えないんですか。唱えごとしてるのは私一人。 (再び唱えごと)ああ、お静まり下さい、私のキョウダイたちよ。 U: 彼女、私と一緒にいる必要があるわよ。彼女は、私といっしょにいる必要があるって知らないみたい、私。ねえ、私が彼女といっしょに出発したら、彼女は大事なこと忘れちゃうわ。 M: じゃあ、私はどうすりゃいいんだい。 C: もしあなた方が服喪で(地面で)過ごしていたとしても、服喪は終わってるわ。たとえ服喪が開かれなかったとしても、皆さん、身体が重くなっているはず。だって(地面で)過ごしていたんだから。昨日が、皆が水浴びする日。 U: 人々は昨日、水浴びした。(規則で、その日に)水浴びしないといけないんだから。 C: 彼らと一緒にはいられないわ。こんな風につかんだら、もう荷物そのもの。 M: (再び唱えごと) さて、そう、もう悲しみはありません。仕事をすること。あの人はすでに亡くなりました。死んだ者は戻りません。今は、そう、解きほどけますように。お金を稼ぐことができ、仕事を乞い、仕事を解きほどく、これこそ私が望むこと。しっかりとンゴマを打ってもらえること。 Bakhari(B): ドコドコ、ンガーッ(辺りが明るくなる)まで。 Omari(O): 私もそこにいたいな。カヤンバをもうバンバンたたいてやる。 U: 水を浴びさせられた人たちも、いることでしょうね。さぞかし、(カヤンバ演奏の回りを)何重にもとぐろを巻くんじゃない? M: あんたは、私といっしょにあちらに行こう。わかってると思うけど、もし賃仕事に戻るなら、お金が必要になるよ。早めにンゴマを開きましょう。涙のンゴマをね、しっかり皆さん全員で。私が言っていること、理解できてますか? B: しっかり受け止めてますよ。仲間たちといっしょに来た彼、彼は勘定に入れないよ。 O: でも彼、(死んだカベンデラの)キョウダイだよ。彼の家をでて、まさに彼の家をでて、水場にたどり着かなかったんだよ、そこで亡くなった。彼は私に告げに来た。「ああ、彼女、その病気でそこまでたどり着いた。屋敷まで運んで上げてよ、彼女を。」って。 M: (ムリナ氏、チャリの瓢箪子供たちを薬液で洗いながら、瓢箪に唱えごと)皆様方の油(mafuha)は、ご主人様方、蜂蜜が必要です。 Hamamoto(H): それが、今手に入らないんですよ。モンバサですら。 M: 手に入らない。見かけない。まだ手に入れられないでいます。 U: あの、あちらのムヮンゲマさんのところは? M: ムヮンゲマ、わからないな。蜂蜜をあつかっている時もあるけど、彼。この子、この子、この子、彼ら全員(瓢箪子供)、蜂蜜なんだよね。蜂蜜を必要としている者たちがあと5人いる。 H: カシディ、世界導師、それに憑依霊セゲジュ人、それにシェラとデナ、ですね181

考察・コメント

死と憑依霊

本当なら、チャリさん夫婦が直面するこうした問題にはきちんと同行するところなのだが、出発前から決めていたテーマと、フィールドでいきなり遭遇した私の近しい友人に対する妖術告発をめぐる近隣の人々の動向に照準を合わせ続ける必要から、「ジャコウネコの池」村をできるだけ離れないようにするしかなく、チャリさんの姉の死の場面(ガンディーニ、徒歩、自転車で行き来するには遠すぎ)にも行かず、その姉のムコバ(mukoba2)の処理も実際にみることもなく、お話だけで我慢するしかなかった。というわけで、やや限界のある資料しか提供できていない。しかし、憑依霊の施術師と死の関係について、理解するヒントぐらいにはなるだろう。

1月4日、チャリたちは姉カベンデラの死の知らせを聞く。これでチャリは同腹のキョウダイの最後の生き残りとなった。上の世代の唯一の人間として、指示が仰がれるところである。ドゥルマでは親族の死の知らせを受け取った者は、何を置いても駆けつけなければならない。特に責任ある立場であれば、なおさらである。しかしチャリの体調は悪かった。出発は翌日になった。激しい下痢と腹痛。知らせを受け取ったからか、その前からだったのかは聞きそこねた。そのタイミング次第で、この激しい下痢が、どの筋書きに、そしてどのような対応策に接続するかが微妙になる。

憑依霊たちは、一般的に「死」を、そして「死体」を嫌っているとされている。とりわけイスラム教徒系の霊たち(なかでもジキリ・マイティ(zikiri maiti152)は、死体の臭いを嫌い、埋葬や服喪から帰った後には、ローズウォーターなどで身体を清めねばならない。イスラム系の霊を持っている人は、そうした場に赴く場合、身につけているピング(pingu18)やヒリジ(hirizi19)を外して行く。

清浄さにこだわるイスラム系の憑依霊でなくても、死の場面は憑依霊によるトラブルを引き起こす。その場合、しばしば憑依霊が単に死を嫌っているからとは言えないような説明がなされる。憑依霊は、人間を超えた能力を持ち、人が知り得ない情報に通じている存在で、だからこそ、憑依霊の助けを借りたムブルガ(mburuga182)と呼ばれるタイプの占いが可能になる。しかしその反面、憑依霊は人間どうしの社会関係や感情の機微には通じていないとされる。近親者に死なれると、人は悲しむ。宿主が突然悲しんでいることに、憑依霊は怒る(ku-tsukirwa)。「なぜ私の母は泣いているのだろう。私のことが嫌いになったのだろうか」そう考えて怒り、悲しむのである。そうなると宿主は、いつまで経っても泣いてばかり、そして病気になる。占いの結果、憑依霊が怒っているのだとわかる。その場合に開かれるのが死を悼む(お悔やみの)カヤンバ(kayamba ra pore)である。そこで憑依霊(たち)に対して、宿主の近親者が死んだのだ、それで宿主は悲しんでいるんだと説明し、怒りを解いてもらうのである。

憑依霊は死の状況との接触、あるいは死の状況で宿主が動転していることに怒り、宿主を病気にする。これがカベンデラの死をきっかけにチャリが病気になることの説明その一である。しかしもしチャリの症状が、死の知らせの前に始まっていたとしたら、別のありふれた可能性が考えられる。チャリのように多くの憑依霊を抱えている人は、すべての憑依霊の要求を満たすことは到底無理なので、要求が叶えられず不満を持ったままの憑依霊たちがいる。それらの憑依霊は、同居している他の憑依霊の要求が叶えられるとそれに嫉妬し、宿主を病気にするかもしれない。

すべての病気を憑依霊との関係で考えなくてもよかろうにという感想はもっともである。しかし憑依霊との共生が長い人は、まずは憑依霊の問題を真っ先に考える。次が妖術使いの攻撃の可能性。そして今回のように大雨被害の影響でコレラが流行っていることなどは、ほぼ考慮の対象に挙がってこない(私は滞在中それが一番気になっていたのだが)。

冒頭、死の知らせを受けたチャリ夫婦がガンディーニへ向かう前に、ムリナ氏が憑依霊たちに対して語りかけている唱えごとには、上述の2つの筋書きに基づく対処がともに込められている。

どうやら死の知らせに先立って、チャリたちは彼女の持ち霊のなかでも重要な位置を占めている憑依霊ドゥルマ人に、ドゥルマ人の布を買い与えていたらしい。憑依霊の筆頭者ムルングを差し置いて、ドゥルマ人の要求を先に叶えたこと、これが問題かもしれない。唱えごとの中にあるように、ムリナはさっそく昨日(死の知らせを受け取った日)にキナンゴに走り、ムルングのための布を購入してきた。まだビーズ飾りを施していないが、もしムルングがこの問題で、彼女の症状を引き起こしているのであれば、この布を受け取ってどうか鎮まって欲しいというわけである。

しかしメインの対処すべき筋書きは、まさにこれから二人が死の状況に赴かねばならないという問題である。生き残っていた実のキョウダイの最後の一人である姉カベンデラの死にチャリは動転している。カベンデラはチャリのキョウダイたちやその子供たちの世代にチャリの祖父デレのムコバを広める端緒となった女性、チャリの施術上の祖母である。当然現地ではさらに動転するだろう。すると彼女の憑依霊たちも「おどろく」ことになる。それによって彼女の病気がさらにひどくならぬよう、まずはムルングにそして他の憑依霊たちに懇願している。そして帰宅した後に、盛大なカヤンバ、「お悔やみの(死を悼む)カヤンバ(kayamba ra pore)」を開くことを約束している。ムリナ氏が「涙のンゴマ(ngoma ya matsozi)」と呼んでいるのはこの「お悔やみのカヤンバ」のことである。

最後に死の状況を嫌悪するイスラム系の憑依霊たち、そしてとりわけ死体を嫌悪する憑依霊カンバ人(mukamba116)とヘビの中のヘビ世界導師(mwalimu dunia154)におとなしくしていてくれることを懇願し、唱えごとを終えている。

親族の死は人にとって大きな困難の場面であるが、憑依霊を抱え込んでいる人にとっては、さらなる困難が予想される場面なのである。

死の場所からの退却

チャリたちはガンディーニでは一夜を過ごしただけで、翌日の夕方6時すぎに帰ってきた。翌朝、施術を求めて「酸っぱい」村の施術師ペサを訪問。その道すがら、ガンディーニの様子を聞く。案の定、病気は悪化したが、それはチャリがもっている憑依霊カンバ人のせいだという。ペサはカンバ人の治療を得意とする。途中まで同行した女性とチャリとの会話から、チャリはカベンデラの屋敷にいると死んでしまうと感じたらしい。ペサへの説明で述べられているように、ちゃりは死者の屋敷にはまったく入らず、屋敷外の遺棄された廃屋で過ごしたようだ。親族会議もそこで開かれた。残された遺族(enye afererwa183)のなかに服喪を取り仕切ることができる年長男性がおらず、チャリが最も年長で遺族たちの「母、祖母」なので、皆がチャリの指示を仰いでいるのだが、チャリの健康状態が悪いため、結局「生の服喪」は開かれないことになり、チャリは年少の親族たち(といってもオマリとかは立派な青年なのだが)を残してこちらに戻ってきたということのようだ。。

同行の女性が、自分の経験から年長の親族のいる屋敷に遺体を移して埋葬するという案を示している(遺体を移動する際には、ヤギを屠る必要があるという豆知識ゲット)。1980年代初めまでは普通だった3~4世代の親族が一緒に暮らす大きな屋敷なら直面しなかっただろう問題に、分散した小さな屋敷で暮らすようになったドゥルマの人々は対処しなければならない。

結局、チャリはペサによる治療は受けられなかった。あいにくペサのヤギが一頭死んでしまい、それがムコバのヤギだったため、その日は施術ができないのだという。憑依霊がこのことで怒り、悲しんでいるためである。施術で稼いだお金はムコバのもの(憑依霊がその真の所有者)なので、ムコバに入れておかねばならない。そのお金を使用する際には憑依霊にいちいち許しを請わねばならない。自分が稼いだお金や、それで購入した家畜についても、自分の自由にはできないのである。憑依霊とともに生きるということは、こんなところでもいろいろ制約の多い生き方なのだ。

姉のムコバを「上げる」件について

カベンデラは多くの憑依霊をもった施術師であったため、「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」の開催は不可欠である。単に残された遺族たちのため自分たちの母が突然いなくなってパニック状態の(悲しみ怒り狂った)憑依霊たちのために。しかし今回は、「生(なま)の服喪(hanga itsi184)」も省略され、「お悔やみのカヤンバ」はその資金を集め後日行われることになった。チャリたちは必要な指示を与えた後に、ムコバを「上にあげる」ために、カベンデラの施術上の父を探してくるようにと伝言して「ジャコウネコの池」にもどってきたらしい。しかし見つけ出したその施術師は、逆に、チャリが必要な草木を集めてきて、独りで唱えごとをし、瓢箪子供を薬液で洗い、乳香で燻せば、それで充分という指示を託してきた。チャリは結局自分とムリナが行ってやるしかないと諦め気味。その話のなかで、死んだカベンデラが「休み無しに」チャリを訪ねてきている(夢のなかでだが)ことがわかる。

チャリは体調が相変わらず悪いが、でも呼ばれたら遠くでも行くしかないと、施術師の心意気を示す。結局ムリナとチャリの夫婦はこの日、再びガンディーニに向かうこととなった。再び死の状況に赴くのを前に、ムリナはチャリの憑依霊たちに、ペサの治療が受けられなかったため、自分たちで草木を集めて、それで作った薬液でチャリを洗うという異例の施術(施術師は自分で自分を治療することはできないとされている)について、承諾を求めたうえで、後日(資金が集まれば)「お悔やみのカヤンバ」を盛大に開催することを約束し、この旅のあいだじゅう問題を起こさないように、おとなしくしていてくれるようにと懇願する。 興味深いのは、ムリナが語りかけているのはチャリに憑いている憑依霊たちであるはずなのに、カベンデラがもう死んでしまったこと、死んだ者はもう戻っては来ないのだということ を強調している点である。憑依霊たちが、カベンデラのことをもう考えたりしないように、考えても仕方ないのだと。まるでカベンデラが死んでパニックに陥っている、カベンデラを母とする彼女の持ち霊であるかのように。

これはカベンデラのムコバを(さらに遡ればデレのムコバを)継承したチャリの持ち霊たちが カベンデラの持ち霊とある意味「同一者たち」であるという暗黙の前提を示唆しているのかもしれない。憑依霊、なかなか捉えどころの難しいやつらだ。

またその後の雑談は、「生の服喪」が開催されないと決まった後も、屋敷の遺族たちは生の服喪の指定された期間中、地面で静かに座っていたことを教えてくれる。「生の服喪」が開催されたかどうかは、結局、ゲストがいるかどうかの違いの問題なのだろうか。

注釈


1 キラボ(chirapho)。薬(muhaso)を使役する者が、命令によって薬にターゲットを攻撃させるという点で、キラボ(chirapho)も妖術(utsai)と同じ理屈に従うが、妖術の場合とは異なり、chiraphoにおいてはその命令は条件節を伴う構文をとる。妖術が単純に薬に「誰それを云々の仕方で殺せ」といった命令を出すのに対し、キラボでは例えば、もし「私のウシが勝手にいなくなったのではなく、誰かがそれを盗んでいったのだとすれば、キラボよその者とその一族を捕らえよ」といった形で命令する。その主たる用法は、作物などの盗難除け、何者かによってなされた損害を当人とその一族に賠償させることを目的とした使用、そして妖術告発で訴える側と訴えられた側のどちらもが譲らなかった場合に、どちらが正しいかを決める「試罪法」での使用である。私の調査地の近所には最後のタイプのキラボで、単にドゥルマ地域を超えて広くミジケンダ地域全体によく知られた施術者がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.68-78、第6章〕を参照のこと。
2 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた手提げ、あるいは肩掛け編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。施術師のムコバ(mukoba)には、施術に用いる装備品が入れられているだけでなく、施術から得られた収入も、すべてムコバに入れなければならない。そのお金は必要なものを購入する際には使うことができるが、黙って使用してはならず、必ず憑依霊たちにしかじかの目的に使う旨、許しを求めたうえでしか使用することはできない。
3 クヮルカ(kpwaluka)。ドゥルマの4日で一周する週の第一日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは共同で、夫の所有するメインの畑(dzumbe)を耕作した。詳しくはドゥルマの月日の数え方
4 ガンディーニ(Gandini)。地名。キナンゴとモンバサ街道沿いの町マゼラスを結ぶ道から、分岐した先にある。かつてのドゥルマの3つの要塞村カヤ(kaya)のそば。
5 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
6 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu7)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界(=死者の土地)のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma24)、ムブァツァ(muphatsa25)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata17)やピング(pingu18)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi26)やムドエ(mudoe27)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。see
7 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)8との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
8 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza9)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる13。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている14。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
9 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya10)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu12)とセットで設置される。
10 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo11)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza9)と呼ばれるが)。
11 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。草木を水のなかで揉みしだく動作をク・ヴガ(ku-vuga)という。薬液は、すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
12 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza9、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
13 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供14がある。瓢箪子供の各部の名称については、図23を参照。
14 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供13。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神8がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande15)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料21)、血(ヒマ油22)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
15 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符16。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
16 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata17)、パンデ(pande15)、ピング(pingu18)、ヒリジ(hirizi19)、ヒンジマ(hinzima20)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
17 ンガタ(ngata)。護符16の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
18 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符16の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
19 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima20)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
20 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi19)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
21 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
22 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた、かつ夫と死別して夫がいない女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。雨乞いにかつて用いられていたヒマの油も閉経期を過ぎた助成によって抽出されたものが用いられていた。死別の条件はなし。
23 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
24 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指す(「夢」の意味でも用いられている)ので、ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」になる。祖先は大人しく眠ってくれている方が良い(祖霊は子孫にとってさまざまな要求を突きつけて、それが叶えられない場合は子孫を様々な災いで苦しめる存在なので)という観念があり、ヤシ酒などを飲み始める際には、最初に注がれた酒を少し地面にこぼし「祖霊が眠ってくれますように(k'oma nazilale)」と唱える習慣もある。Chariはこの草木の別名をムブァツァ(muphatsa25)としているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtii, Acalypha fruticosaとして記述している(ibid.)。
25 ムブァツァ(muphatsa)。ディゴではmuphatsaはAcalypha fruticosa(Pakia&Cooke2003b:389)、phatsaはVernonia hildebrandtii。チャリはmuphatsaの別名をmulazak'oma24としているが、phatsaをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。ムルングの草木のひとつである chiphatsa chibomu も、おそらくmuphatsaの類縁種。chiphatsa は muphatsa の指小形で、それに大きい -bomuという形容詞がついているのは不思議な感じもするが。
26 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
27 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu18)は、ムドエの草木(特にmudzala28)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
28 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003b:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003b:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma29)、憑依霊ドエ人(mudoe27)の草木。
29 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性30)、カシディ(kasidi 女性31)、ディゴゼー(digozee 男性老人33)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(njele110)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
30 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma29)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
31 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の自分本位の、場違いな行為、身勝手な行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。人として最悪なのだが、なぜか憑依霊ドゥルマ人の特徴とされ、とりわけ女性の憑依霊ドゥルマ人は、まさにカシディという名前で呼ばれる。なんという自画像。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma29)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供(mwana wa ndonga32)を要求する。施術師のなかには(Bang'aのMwainzi氏のようにカシディをムヮカシディ(mwakasidi)と呼ぶ者もいる。
32 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供14がある。
33 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo34)マンダーノ(mandano35)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
34 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
35 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ36とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ37の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
36 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera37)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。その場合は男性の霊とされる。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza38)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)90」、「外に出す(ku-lavya konze108)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki109
37 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)38、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす90)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku92)、おしゃべり女(chibarabando93)、重荷の女(muchet'u wa mizigo94)、気狂い女(muchet'u wa k'oma95)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma96)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo106、長い髪女(mwadiwa107)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba2)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
38 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri39)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika44)やシェラ(shera37)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri39)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza89)を施され、ンガタ17を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
39 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術40)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza38と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
40 キブリの妖術(utsai wa chivuri)。人のキブリ39は妖術使いによっても奪われうる。イスラム系の妖術では妖術使いの使い魔となっている魔物(majine41)その他の手段によって犠牲者のキブリを呼び込む。自分を呼ぶ声が聞こえて、それにうっかり返事すると、その瞬間に犠牲者のキブリは妖術使いに捕らえられてしまう。妖術使いによって捕らえられたキブリは水を張った容器の水面にその人の姿として映し出される。それを妖術使いが切ると、その瞬間に人は死ぬ。非イスラムのドゥルマ的妖術においては、妖術使いは自分の身近な親族(とりわけ母や姉妹などの女性親族)を(妖術によって)殺害し手に入れた親族のキブリを閉じ込めた瓢箪をもっている。これが「キブリの瓢箪(ndonga ya chivuri)」と呼ばれるものである。閉じ込められたキブリは妖術使いの命令に従って、別の犠牲者のキブリを呼び込む。ここでも犠牲者は自分の名前が呼ばれているのを聞き、思わず返事した瞬間に、そのキブリは妖術使いの瓢箪のなかに取り込まれる。西遊記で似たような話しを読んだような。妖術使いは取り込んだキブリをじっくり痛めつけるが、最後にはそれを「切る」ことで犠牲者に死をもたらす。これら妖術使いに対抗する妖術を治療する施術師がいるが、これらの施術師も「キブリの瓢箪」をもっている。自分のもっているキブリの瓢箪を使って、妖術使いに捕まえられているキブリを取り返すのである。キブリは施術師の瓢箪の中に取り込まれ、そこから犠牲者の体内に戻される。問題は、妖術使いに対抗するキブリの施術師がもっている瓢箪も、彼自身が自分の女性親族を殺して作ったものだとされている点である。というわけでキブリの妖術に対抗する施術師もある意味、妖術使いと同じ穴のムジナだという側面をもつ。というわけでいずれにしてもキブリの瓢箪は怖い瓢箪なのである。

彼女の亡夫は名高い妖術系の施術師であった。彼がもっていたキブリの瓢箪。彼の術は強力で危険であったため、子供たちはだれもそれを相続したがらなかった。
41 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo42)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
42 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso43)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine41)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
43 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa(or kujita) として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
44 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi45)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka46) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri39)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi50など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo75,laika mukusi76など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe77, laika ra nyoka77, laika chifofo80など。(4) その他 laika dondo81, laika chiwete82=laika gudu83), laika mbawa84, laika tsulu85, laika makumba86=dena87など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze9)で薬液を浴びる、護符(ngata17)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza38)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
45 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
46 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi47)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
47 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao48))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka46)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
48 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi47)の別名。ジネ・パガオ(jine pagao)という名前で、ジネ(jine49)に数えられることも。
49 ジネ(jine, pl. majine)。イスラムでいうところのジン(精霊)。スワヒリ語ではjini。ドゥルマの憑依霊の世界では、イスラム系の憑依霊の一グループで、犠牲者の血を奪うことを特徴とする。血を奪う手段によって、さまざまな種類があり、ジネ・パンガ(panga)は長刀(panga(ス))で、ジネ・マカタ(makata)はハサミ(makasi(ス))で、ジネ・キペンバ(chipemba)はカミソリの刃(wembe)で、ジネ・バラ・ワ・キマサイ(jine bara wa chimasai)は槍で、ジネ・シンバ(またはツィンバ)(jine simba/tsimba)はライオン(tsimba)の鋭い爪で、といった具合に。ジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)はウシ(ng'ombe)が屠殺されるときのように喉を切り裂かれて血が奪われる。ジネ・ムヮンガ(jine mwanga)は犠牲者を組み敷き首を絞めることによって。一方、こうした自らの意思で宿主にとり憑く憑依霊としてのジネとは別に、より邪悪なイスラムの妖術によって作り出されるジネ41もあるとされる。コーランの章句を書いた紙を空中に投げると、それが魔物に変わり、命令通りに犠牲者を殺す。
50 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni51)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
51 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu52」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
52 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ51)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola53)の対象となる。
53 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini54」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa5556と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume60)、カドゥメ(kadume64)、マウィヤ人(Mawiya65)、ドゥングマレ(dungumale68)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga71)、トゥヌシ(tunusi72)、ツォビャ(tsovya74)、ゴジャマ(gojama67)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu52」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」51)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
54 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola53)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
55 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa56)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola53)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち41)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba59)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu52)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni51)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini54)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
56 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」57など)を行うことなどを意味する。
57 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ58などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
58 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ57」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
59 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume60)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani61)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
60 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola53)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
61 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」62による鍋(nyungu12)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe63)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu18)。
62 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術5においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba21)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande15)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu12)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
63 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
64 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
65 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde66)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama67)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
66 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
67 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola53)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
68 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola53の対象になる)56。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama69
69 ムヤマ(muyama)。ムルング(mulungu7)の草木、ドゥングマレ(dungumale68)、ニューニ(nyuni51)の草木。Croton megalocarpus, in Giriama(Maundu&Tengnas2005:182)。'The Duruma use the roots and leaves as medicines for convulsions, gastric lesions and inflamation, while the Giriama use them to treat spiritual ailments.'(Pakia&Cooke2003b:389)ムラガパラ(mulagapala70)に同じとも。
70 ムラガパラ(mulagap'ala, pl.milagap'ala)。トウダイグサ科の草木、Croton pseudopulchellus(Pakia&Cooke2003b:389)、muyama69とも呼ばれる。ムルング78、ドゥングマレ(dungumale68)、ニューニ(nyuni51)の草木。
71 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
72 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine41)の一種という説と、ニューニ(nyuni51)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ73らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola53)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
73 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
74 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ51の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola53)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa56」。see p'ep'o mulume60, kadume64
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
75 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
76 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムクセ(laika mukuse)とも。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
77 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira78)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka79)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
78 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
79 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
80 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
81 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi45)の別名ともいう。
82 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
83 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
84 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
85 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
86 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena87)の別名。
87 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老であるとされるが、8つの頭をもった大蛇という姿もとる。ギリアマ老人としてはヤシ酒と牛乳を好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ(このあたりはライカ44と同じモード)、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari88)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande15)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。ニャリも人の姿と蛇の姿をもつが、施術師によっては、ニャリは蛇なので言葉を喋れない。そこでデナがニャリたちの代弁者となると説明する人もいる。でもデナも蛇なんですが。
88 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)38」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena87が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee33)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande15には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
89 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。ある種の憑依霊は、とりわけ憑依霊ドゥルマ人や多くのイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。そうせずにクツォザすることは患者を一層重篤にする。
90 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo91)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
91 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
92 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera37)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
93 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera37の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
94 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ37の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
95 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ37の別名ともいう。
96 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera37)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo97))の別名ともされる。
97 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: muphorong'ondo98, mupweke99, mutundukula100, mupera(mpera101), manga102, mbibo(mubibo103), mukanju(mkanju104)
98 ムゴロゴンド(mung'orong'ondo)、ムルングおよび憑依霊ディゴ人、シェラ、ライカの草木。同じ(だと思うのだが)植物は、施術師によってはムロゴンド(murong'ondo)、ムブォロゴンド(muphorong'ondo)などとも呼ばれている。特徴的な照りのある大きな葉があり、ゴバンノアシの仲間、おそらくBarringtonia racemosa。樹皮を剥いで潰したものが魚をとる毒として用いられるということからも、これに違いない。
99 ムプェケ(mupweke)。憑依霊ディゴ人、シェラの草木。英名Rigid star-berry。Diospyros squarrosa、ドゥルマでの別名はムズング・ムホ(mudzungu muho)(Pakia&Cooke2003:389)。これに対し、Maundu&TengnasはムプェケをDiospyros mespiliformis、英名African Ebonyとしている(Maundu&Tengnas2005:199)。
100 ムトゥンドゥクラ(mut'undukula, pl.mit'undukula)。タロウ・ウッド、イエロー・プラム。Ximenia americana(Pakia&Cooke2003:380)。憑依霊ディゴ人、マンダーノの草木。葉を煮たものは目の薬になる; 実 t'undukula は食用になる。一方別の箇所では、Dichapetalum zenkeri(Pakia&Cooke2003b:389)とされている。別の植物が同じ名前で呼ばれているということか。
101 ムペラ(mpera, pl.mipera)。muperaと発音する人も。グァヴァの木。Psidium guajava(Maundu&Tengnas2005:362)。内陸部の草木(muhi wa bara)の一つ。
102 マンガ(manga)。キャッサバ(Manihot esculenta)。ドゥルマでは手のかからない救荒食物として栽培されている。ディゴで好まれている食物の一つ。憑依霊ディゴ人、その他シェラなどディゴ系の憑依霊に憑依されたドゥルマ女性もキャッサバを好むようになる。憑依霊ディゴ人の草木。
103 ムビボ(mbibo, pl.mibibo(mubibo, pl. mibibo))。カシューナッツの木。別名 mukanju(mkanju)104、muk'orosho(mkorosho)105。Anacardium occidentals(Maundu&Tengnas2005:98)。カシューナッツの実自体はk'oroshoと呼ばれる。内陸部の草木(muhi wa bara)として「鍋」の成分の一つに。
104 ムカンジュ(mukanju, pl.mikanju(mkanju, pl.mikanju))。カシューナッツの木。mbibo103を見よ。
105 ムコロショ(mukorosho, pl.mikorosho)。カシューナッツの木。mbibo103を見よ。
106 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ37の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo97)の女性であるともいう。
107 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
108 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
109 ムブンドゥキ(mubunduki)。Bourreria nemoralis(Pakia&Cooke2003b:388)。憑依霊レロ・ニ・レロ(rero ni rero36)の草木。
110 ンジェレ(njele, pl.njele)。くびれのない瓢箪を半分に割って作った容器。スープや牛乳を飲んだり、薬液の容器としても用いられる。
111 ク・ココテラ(ku-kokot'era)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokot'eri)。ク・ルマ(ku-ruma112)も同じく「唱えごとをする」の意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハッソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。
112 ク・ルマ(ku-ruma)。「唱える、唱えごとをする」。ク・ココテラ(ku-kokot'era)も同じ意味だが、ク・ルマは黒い粉状の薬(ムハソ(muhaso)やムレヤ(mureya))に対する唱えごとだと、区別する人もいる。名詞はマルミ(marumi113)で「唱えごと」の意。
113 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri114)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
114 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える 111」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma112)から派生したマルミ(marumi113)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
115 クィシャ(kpwisha)。ドゥルマの4日で一周する週の第三日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは、各自、自分のもつ畑(koho)で耕すことができた。その産物は市の立つ日に売って、自分の自由になるお金となった。またかつてはこの日の夕方から地域の若者男女はダンス場(chiphalo)に集まって、踊りを楽しんだ。詳しくはドゥルマの月日の数え方
116 ムカンバ(mukamba)。民族名の憑依霊カンバ人(mukamba)。別名ンガイ(ngai117)。カンバ人に憑依されると、カンバ語をしゃべり、瓢箪を半分に割った容器(njele)で牛乳を飲む。ドコ(カンバ語 doko)、ドゥルマ語でいうとムションボ(mushombo=トウモロコシの粒とささげ豆を一緒に茹でた料理)を好む。症状: 咳、喀血、腹部膨満。カンバ人が要求する事物についてはンガイ117を参照のこと。
117 ンガイ(ngai)。憑依霊カンバ人の別名。「稲妻のンガイ(ngai chikpwakpwala)」は男性で、白い長腰巻き(キコイ)を必要とする。「コロコツィのンガイ(ngai kolokotsi)」または「ゴロゴシ(gologoshi)」は女性のカンバ人で、呼子(filimbi)とハーモニカ(chinanda)を要求し、黒い薄手の布(グーシェ(gushe))を纏う。「閃光のンガイ(ngai chimete)」は白地に赤い線が入った布(カンバ語でngangaと呼ばれる布)を要求する。ngangaはドゥルマ語では「稲妻(chikpwakpwala)」の意。
118 マハナ(mahana, -gaga)。「ハンセン病、レプラ」。妖術によって罹る病気で不治と考えられている。患者は、食器などを他人と共有せず、独りで食事をとる。かつては埋葬の際に、患者が住んでいた小屋や所持品はすべて燃やされた。
119 ムウィヨ(mwiyo, pl. miiyo, miyo)。「品物」全般を指す言葉で、具体的にはそれぞれの文脈で「容器、所持品、道具、入れ物」など。
120 ク・ユガ(ku-yuga)。「困らせる、邪魔をする、困難を感じさせる」などを意味する動詞。ク・ユギカ(ku-yugika)はそのstativeで、「困る、混乱している、支障が出る」。
121 ク・ショノネカ(ku-shononeka)。「悲しむ、心が沈む」。典型的には親族に死なれた際に感じる感情。shenene は名詞でそうした感情を指す。
122 クリマビリ(kurimaphiri)。ドゥルマの4日で一周する週の第二日目。かつてはこの日も一夫多妻婚の妻たちは共同で夫の所有するメインの畑(dzumbe)で耕作せねばならなかった。詳しくはドゥルマの月日の数え方
123 ンゴメ(ngome)。憑依の文脈では、憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
124 ングオ(nguo)。「布」「衣服」を意味する名詞。スワヒリ語も同様。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。ムルングは「黒」(実際には紺色)の一枚布、憑依霊ドゥルマ人も同じ色だが、ビーズ飾りが違っている、シェラは赤い布など。多くはカヤンバなどにおいてmuwele125として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
125 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)126であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
126 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba2)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)127や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)128ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
127 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」126を参照されたい。
128 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」126を参照されたい。
129 ゼンゲザ(zengeza riri-)。ムルングの布(紺色の)を意味する、施術師用語。
130 ヅンベ(dzumbe)。本来の意味では、屋敷に属する農地のうち、屋敷の長のものとされる大きな畑のこと。長の妻たちが4日の週(majuma)のうち最初の2日間共同で耕作する畑。これに対して長の妻たちが個々人に割り当てられ、週の3日目に各妻が一人で耕作する畑をコホ(koho)と呼ぶ。ここから転じてヅンベ(dzumbe)は「夫」あるいは女性にとっての「配偶者」を意味する言葉としても用いられる。
131 ンゴマ・ヤ・マツォジ(ngoma ya matsozi)。マツォジ(matsozi)は「涙」。「涙のンゴマ」は「死を悼むカヤンバ(kayamba ra pore)」の別名である。憑依霊を多くもっている患者、憑依霊の施術師が近親者に死なれると、極度の悲しみに捕らえられてそこから抜けられなくなり、長期にわたって泣いてばかりになる。それは患者が悲しんでいるのをなぜ悲しんでいるのか理解できない憑依霊たちが、怒り当惑下結果生じる状態である。ンゴマを開いて、憑依霊たちに患者が悲しんでいる理由を説明してやる必要がある。
132 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani133もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞134)という言葉が最も一般的に用いられる。
133 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。同じくスワヒリ語には憑依霊を指す言葉としてシャイタニ(shaitani, pl.mashaitani)もあるが、こちらはドゥルマでは用いられていない。他にペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)もスワヒリ語起源で、ドゥルマで憑依霊の意味で用いられているが、スワヒリ語では「精霊」の意味以外に「他界」「死後の世界」「精霊の棲み処」など場所や空間の意味でも用いられる。ドゥルマ語固有の憑依霊を指す言葉としては、ニャマ(nyama, pl.nyama)があり、憑依霊の話しをする際に最もよく耳にするのがこれである。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞でもある。
134 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o132)、シェターニ(shetani133スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini54)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa55)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola53)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani135)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba59)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara136)」の2つに分ける区別もある。
135 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba59)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
136 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
137 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
138 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
139 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
140 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ87、ニャリ88、ムビリキモ34などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika44)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
141 ムルング・マランボ(mulungu marambo)。憑依霊 mudurumaドゥルマ人の別名。maramboは(ス urembo(sing.)marembo(pl.)より)「装飾」「華美な出で立ち」
142 シャカ(shaka, pl. mashaka)。憑依霊の一種。シャカ(shaka)はドゥルマ語で(スワヒリ語でも)「不安、心配事、疑い、困難、難儀、災難」などを意味する。憑依霊ドゥルマ人の別名の一つとされている。
143 ムガイ(mugayi, pl.agayi)。憑依霊ドゥルマ人の別名、mugayiは動詞ク・ガヤ(ku-gaya)に由来する。ク・ガヤは「困っている、難儀している」を意味する動詞だが、主として物が不足して困っている状態を指す。mugayi は名詞で人を指す。「困窮者」「貧乏人」
144 クルアーニ(kuruani,kuruwani)はイスラムの経典「コーラン」。 コーラン導師(mwalimu kuruani)はイスラム系の憑依霊。憑依霊アラブ人(Mwarabu)の別名とも。
145 ロハニ(rohani)。憑依霊アラブ人の女性(両性があると主張する施術師もいる)。ロハニはそれが憑いている人に富をもたらしてくれるとも考えられている。また祭宴を好むともされる。症状: 排尿時の痛み、腰(chunu)が折れる。治療: 護符((pingu)ロハニと太陽の絵を紙に描き、イスラム系の霊の香料とともに白い布片(chidemu)で包み糸で念入りに縫い閉じる)。飲む大皿(kombe ra kunwa)と浴びる大皿(kombe ra koga)。要求: 白い布、白いヤギとその血。ところでザンジバルの憑依について研究したLarsenは、ruhaniと呼ばれるアラブ系の憑依霊のグループについて詳しく報告している。彼によると ruhaniはイスラム教徒のアラブ人で、海のルハニ、港のルハニ、海辺の洞窟のルハニ、海岸部のルハニ、乾燥地のルハニなどが含まれているという。ドゥルマのロハニにはこうした詳細な区分は存在しない(Larsen 2008:78)。Larsen, K., 2008, Where Humans and Spirits Meet: The Politics of Rituals and Identified Spirits in Zanzibar.Berghan Books.
146 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島(Pemba147)の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」63、香料21と海岸部の草木62の鍋12。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
147 ペンバ(Pemba)。タンザニア海岸部インド洋上の島。ザンジバル島(現地名ウングジャ島)の北部に位置し、ザンジバル島とともにザンジバル革命政府の統治下にある。大陸部のタンガニーカとあわせてタンザニア連合共和国を構成している。ペンバ島はオマーンアラブの支配下に開かれたクローブのプランテーションで知られており、ドゥルマの年配者のなかにはそこでの労働の経験者も多い。憑依霊ペンバ人はイスラム系の憑依霊の中でもとりわけ獰猛で強力な霊として知られている。
148 マッカ(makka)。「メッカ」のこと。イスラム系の憑依霊の名前にしばしば付加される。スディアニ・マッカ(sudiani makka)「メッカのスディアニ」のように。またスワヒリ語で「彷徨する」を意味する動詞ク・ズルラ(ku-zurura149)を伴って、スディアニ・ズルラ・マッカ(sudiani zurura makka)「メッカを彷徨するスディアニ」のようにも用いられる。
149 ズルラ(zurura)。スワヒリ語で「彷徨する、歩き回る」を意味する動詞ク・ズルラ(ku-zurura)より。しばしばマッカ(makka148)「メッカ」とともに、イスラム系の憑依霊の名前に付加されてもっともらしく用いられる。スディアニ・マッカ・ズルラ・マッカ(sudiani makka zurura makka)「メッカのスディアニ、メッカを彷徨するスディアニ」といった具合に。
150 ジキリ・ナビー(zikiri nabii)。nabiiはスワヒリ語で「預言者」。zikiri nabisi, zikiri navi, zikiri labi も同じ憑依霊か。
151 ジキリ・マウラーナ(zikiri maulana)。イスラム系憑依霊zikiriの一種。maulanaはスワヒリ語で「主、神、主人」
152 ジキリ・マイティ(zikiri maiti)。マイティ(maiti)はスワヒリ語で「死体、遺体」。イスラム系憑依霊zikiriの一種。憑依霊「死体」lufuと同じとも。白い布(死者の埋葬に用いるsandaのような),白い雄鶏あるいは山羊。この霊に憑かれると患者は意識を失ったままである。一般に憑依霊は死体を嫌うが、とりわけzikiri maitiはそう。埋葬、服喪などから戻ると水とローズウォーターを浴びなければならない。kukokomolaの対象だという人もいる。
153 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。世界導師(mwalimu dunia154)の別名だと言う人もいるが。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
154 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師155。内陸bara系156であると同時に海岸pwani系59であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」157)。チャリのもつ最も強力な憑依霊の一人。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
155 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia154)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
156 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
157 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia154)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
158 ムサガヤ(msagaya)。不明。間違いなく憑依霊の名前だが、この唱えごと以外で聞いたことがない。民族集団名の憑依霊のようだが、そのような名前の民族集団は東アフリカでは知られていない。すぐ後ででてくるムサガラ(musagala159)の書き起こしの際のミスの可能性も。
159 ムサガラ(musagala, msagala, msagara)。「サガラ人」。タンザニア・モロゴロ地区に居住する母系出自をもつ民族集団。憑依霊としての属性などは不明。
160 ムガンダ(muganda)。憑依霊ガンダ人。民族名の憑依霊。バナナを主食にするなど。1991年の時点でChariの占いを担う霊とされていた。ジンジャ導師(mwalimu jinja)の別名ともされていた。(後には占いを担っている霊はギリアマ系の霊ピニ(pini161)であるとされた)。調査地周辺では、チャリ以外の誰もこの霊を持っていなかったが(あまり知られてもいなかったが)、チャリがその癒やしの術を継承したとするチャリの祖父デレの持ち霊であったといい、デレの子孫で施術師になった者は、全員がこの霊をもっていたという。
161 ピーニ(pini)。ギリアマ系の霊で、同じくギリアマ系のSanzua162の別名ともいう。占いに従事する。また「祈願の施術(uganga wa kuvoyera164)」の技も与えてくれる。
162 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、ヤマアラシの針を植え付けた3本脚の御椀(chivuga163)
163 キヴガ(chivuga, pl.vivuga)。木をくり抜いて作った3本脚の小さいお椀。ヤマアラシの針が植え付けてある。憑依霊サンズア(sanzua162)、別名(?)ピーニ(pini161)が必要とする道具の一つ。
164 ク・ヴォイェラ(ku-voyera)。 ku-voya 「祈る、祈願する」のprep.formなので、「~のために祈る」という意味になるが、uganga wa kuvoyera というと、通常の人にはわからない妖術使いを探索して探し出す施術という特殊な意味をもつ。
165 ムセゲジュ(Musegeju)。憑依霊セゲジュ人。民族名をもつ憑依霊。セゲジュはタンザニアの北海岸部に住む、ミジケンダと隣接する民族集団。イスラム教徒。1992年にチャリにその正体を明かした。ンゴマなどで、人々には理解不可能な言語で、怒りまくっていた霊の正体だった。それ以前には、この獰猛な霊はガンダ人(muganda160)だと考えられていた。チャリはこの霊をムゼゲジュ(muzegeju)という発音で呼んでいる。後からやって来た客人で、長い間正体不明の霊だったとも言われる。
166 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、コロメア人。ナンディ人167の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。まさかカリモジョン(Karimojong)が訛ったとか?それならナンディと同じくナイロート系牧畜民で、住んでいる地域も近いんだけど。
167 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea166、mukavirondo168はいずれもナンディ人の別名であるという。
168 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
169 上の霊(nyama a dzulu)というと子供に急性の症状を引き起こすニューニ(nyuni)を指す言い方だが、ここでは憑依霊全般をそう呼んでいるものと思われる。一般に憑依霊は死の状況を忌み嫌うとされている。
170 ここでチャリが私の子供たちと呼んでいるのは、故カベンデラの子供たちのことである。
171 パカ(p'aka, pl.p'aka)。「猫」。猫はドゥルマの屋敷で普通に見られる動物であるが、猫のために食事を与えるといった飼い方はされていない。ただ自由に出入りして棲みついている。穀物を荒らすネズミを取るということで重宝されている。稀に名前をつけている人もいる。猫は、他の動物とは異なり、ヒトと同様にムルングの生き物(chumbe cha mulungu)であり、人間と同様に埋葬されねばならない。猫が死ぬと、赤と白の布切れ(chidemu172)、あるいはムルングの布の端切れを結んで埋葬する。もし埋葬されずに地表に放置されていると雨が降らなくなると言われる。ドゥルマで、ときにある人の死に様を指して「猫のように死んだ」と言われることがある。猫は容易には死に屈しない。死に瀕しても我慢強くなかなか死なない。死ぬときにも、こちらを見ながら死ぬ。しかし、どう解釈しても、そういう意味にはとりにくい使い方も見られる。よくわからない。
172 キデム(chidemu)は布の端布一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、施術の過程で必要となる3種の短冊状の布を指す。それぞれの憑依霊に応じて、白cheruphe 赤cha kundu 黒(実際には紺色)cha mulunguが用いられる。この場合、白はlaika及びイスラム系、赤はshera、黒はmulunguとarumwengu(他の内陸系憑依霊全般)を表す。
173 同じ一つの瓢箪について語っているように聞こえるかもしれない。一つの瓢箪が次々と人手に渡っていく、みたいなイメージで。実際には、カベンデラは自分のムルングの瓢箪を、ムァバンズも自分のムルングの瓢箪を、チャリも自分のムルングの瓢箪を持っている。それぞれ「外に出る」ンゴマの際に手渡されたもの。異なる瓢箪ではあるが、同一でもあるという関係である。同じ憑依霊ムルングの子供であるという意味で、同一なのである。
174 最初に私はムァバンズとカベンデラの実の親族関係を尋ねている。チャリはとうに知っているだろうと、呆れて応えている。ムァバンズはカベンデラによって「外に出され」たのでカベンデラは彼の施術上の母である。実の親族関係では、ムァバンズの母ムワカはカベンデラの実の妹。続いてチャリはカベンデラがチャリの施術上の祖母だという。チャリはムァバンズによって「外に出され」たので、ムァバンズが彼女の施術上の父、従ってその施術上の母カベンデラはチャリにとっては施術上のお祖母さんということになる。実の親族関係ではムァバンズはチャリの姉妹の息子なので、わが息子ということになる。さて話は断りもなく瓢箪子供に移り、チャリの泣いている瓢箪子供は、チャリの子供、従ってチャリの施術上の父であるムァバンズは瓢箪子供にとってはお祖父さんということになる。日常の語りでも、施術上の関係と実際の親族関係がシームレスに混在して語られるので、聞く方としては、しばしば大混乱してしまう。
175 ツァンガジミ(tsangazimi)。父の姉妹。
176 ムァチェ(Mwache)。クワレ・カウンティを流れる川の名前。キナンゴ-マゼラス間を結ぶダートロードがこの川と交差するあたりは、川は大きく湾曲し深い淵となっている。ドゥルマの人々はその淵をマヴョーニ(Mavyoni)と呼んでいる。かつてはヴョーニvyoni177と呼ばれる異形の赤ん坊(逆子や上の歯が先に生えてきた乳児、その他)が、それらが本来属する世界(霊たちの世界)に戻すために置き去りにされる場所であった。
177 ヴョーニ(vyoni, pl.mavyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。dzi-maクラスの名詞だが、mu-aクラスの名詞、muvyoni(pl.avyoni)は、上記の意味でも用いられるが、より軽い意味で、「ちょっと変な子」といったニュアンスでも普通に用いられる。
178 キグルフュラ(chigulufyula)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとの中に出てくる言葉。チャリによると池の名前である。地図上では同定不可。キグル(chigulu, pl.vigulu)は「脚(gulu, pl.magulu)」の指小形。クフュラ(ku-fyula)は「曲げる、向きを変えさせる、逸らす」などを意味する動詞。
179 ゾンボ(Dzombo)。地名。この名で呼ばれる場所は2箇所ある。一箇所はChariが生まれ、最初の結婚をしたマリアカーニ(モンバサ街道沿いの町)の後背地にある場所で、もう一箇所はモンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。後者は至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。ここで言及されるゾンボはおそらくこの二重の意味を持っていると思われる。それに続く言及は、サンブル(Samburu)など、チャリが若い頃過ごした地名を含んでいる。憑依霊を持ち、その要求に屈する(従う)人々を mudzombo 「ゾンボ山の者(一族の者)」という言い方もある。
180 キツァンゼ(Chitsanze)。クワレ・カウンティ、マトゥガ・ディヴィジョンの一地区。聖なる森カヤ・キツァンゼおよびその近くの滝で知られている。
181 偉そうに5人の憑依霊の名前を挙げているが、ムリナは「まだあと5人、蜂蜜の瓢箪(瓢箪子どもの「血」として蜂蜜を入れる)を要求している憑依霊がいる」と言っているのだが、私はただ乏しい知識から、瓢箪に入れる「血」として蜂蜜を要求する憑依霊の名前を挙げただけにすぎない。シェラ、デナ、世界導師についてはチャリはすでに蜂蜜の瓢箪をもっているので、私の答えは明らかに間違い。正しい答えはわからないが、おそらくは、まだ外に出されていなかった女性の憑依霊ドゥルマ人カシディ(男性の憑依霊ドゥルマ人はヒマの油を「血」として瓢箪に入れている)、まだ正式に外に出されていないセゲジュ人はおそらく正しく、後はおそらく憑依霊マサイ人、ゴジャマ、マンダノあたりだろうか?
182 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガをすることをドゥルマ語ではムブルガを「打つ(kupiga mburuga)」と表現する。相談者が占いに相談に行くことを婉曲的に「山に行く(kpwenda vilimani)」と言う言い方もある。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。占いに行く者は、必ずしも病人、あるいはトラブルの当事者本人であるとは限らない。むしろ事情に詳しい代理人が行くのが普通である。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、まず問題を抱えているのが男性であるか女性であるか、大人であるか、子供であるかを当てねばならない。次に自ら患者(あるいは問題の当事者)の抱えている問題を、それが病気であれば、頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、生木の小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、どのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
183 エニェ・アフェレルワ(enye afererwa)。「遺族」。enye は「所有者、本人」を意味するmwenyeの複数形。ku-fererwa は「死ぬ」を意味する動詞ク・ファ(ku-fa)のprepositional formの受動形。「(死者に)死なれた当の人々、死者の所有者」といった意味になる。埋葬の直後に始まる(死者がどの父系クランであるかによってその長さは異なる)数日に渡る「生の服喪」の期間中、enye afererwaは地面の上で寝起きし(寝台や椅子の使用は禁止されている)、大きな声や動作も控えて、じっとしている。服喪の期間中は彼らは水浴びも禁止されている。食事もすでに身内に死者の出た者によって別火で調理されたものが供される。他方、アトゥイ(atuwi, sing.mutuwi)と呼ばれる弔問客は、死者の屋敷で賑やかに飲み食いし、近隣の若者男女はムセゴ(musego)あるいはキフドゥ(chifudu)と呼ばれる卑猥な内容の歌詞をもつ歌を歌いながら賑やかに歌い踊る。最終日の「水に寝る日」の夜明けにエニェ・アフェレルワたちは水場まで行列し、そこで水で洗い清められ、死者の配偶者は屋敷で「巣立ちkuuruswa」と呼ばれるてつづきにより、寝台と椅子の使用が解禁される。なお死者が憑依霊を多く持つ施術師であった場合は、服喪の期間中毎晩、キフドゥなどとは別に死者のもっていたムコバ(mukoba2)あるいは瓢箪子供を囲んでカヤンバが演奏される。このカヤンバも「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」と呼ばれる。
184 ハンガ・イツィ(hanga itsi)。死者の埋葬後、クランごとに日数は異なるが、死者の親族は数日にわたる喪にに服する。これがハンガ・イツィ(hanga itsi, 直訳すると「生(なま)の服喪」)である。死者の屋敷の人びとや近親者(enye afererwa)はこの間、椅子、寝台の使用が禁止され、地面の上で起居する。大きな動作や大声も禁止され、すでに身内を失った経験のある者によって別火で調理された食事を食す。この間、アトゥイ(atuwi, sing.mutuwi)と呼ばれる弔問客たちは、死者の屋敷で賑やかに飲み食いし、連日屋敷の前広場では近隣の男女によってキフドゥ(chifudu)と呼ばれる卑猥な内容の歌と踊りが催される。最終日の「水に寝る日」の夜明けに死者の遺族たち(enye afererwa)は男女別に水場まで行列し、そこで水で洗い清められ、死者の配偶者は屋敷で「巣立ちkuuruswa」と呼ばれるてつづきにより、寝台と椅子の使用が解禁される。なお死者が憑依霊を多く持つ施術師であった場合は、服喪の期間中毎晩、キフドゥなどとは別に死者のもっていたムコバ(mukoba2)あるいは瓢箪子供を囲んでカヤンバが演奏される。このカヤンバも「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」と呼ばれる。この「生の服喪」の数年後(残された集団の財力に依存する)、盛大な「熟した服喪 hanga ivu」が開かれる。かつては死者の財産や未亡人の相続は、熟した服喪の後に行われた。