私が「嗅ぎ出し」のカヤンバ(kayamba ra kuzuza15)なるものの存在を初めて耳にしたのは、1983年の最初の本格的な調査のときだった。ドゥルマ語の習得に全力をあげていたときで、単独ではほとんどまともな聞き取りなどできない状態。この年から私のサポートを始めてくれたカタナ氏とともにキナンゴの町から30キロほど内陸部にある「青い芯のトウモロコシ」村のペレの屋敷に住みついて午前中は農作業、昼食後にドゥルマ語のお勉強の日々。 日記にあるように7月19日に、カヤンバの噂を聞きつけて見に行く。後日、同じ屋敷をカタナ氏とともに訪問。説明を聞く。
1983年7月19日(火)上弦の月 近所でカヤンバが開かれるということで、出向く。キリスト教徒のカタナ君は同行しない(できない)ので、ムァエガ君とともに行く。クズザ(kuzuza)のカヤンバとのこと。17:00頃から始まる。ムァエガ君がドゥルマ語、ときどきたどたどしい英語で説明してくれるが、わかったようなわからないような。前回の一触即発のトラブルにこりて、写真はとらず。でもカセットも持ってくるのを忘れたのは大失敗。観察に終始。すぐに終わるということだったが、終わったのは21時。このあとに最後の治療(お守り(pingu)作りetc.)があるということだが、カヤンバ隊は解散し、人々も帰っていったので、私たちも帰る。夕食もまだで、お腹もすいていたし。月が明るいので、前回みたいにブッシュの中で迷子になることもなく、ムァエガ君の背中を見ながら無事帰宅。
【kayamba ra kuzuza】 p'ep'o78による病気の治療として行われるkayamba1
17:00
小屋の中で開始。kayambaの輪の中心にいるのは老女(muganga83)で、立ち上がって、小さな動作で踊る。ときおりndonga84を取り上げて中を覗いたり、匂いを嗅いだり、またvuo37に用いる草木、muvumbamanga85の匂いを嗅いだりしている。
17:20
庭に出る。庭には次のようなsetting
搗き臼の彩色は、白は灰で、赤はオーカーで、黒は炭でなされる。縦の線は白、赤、黒の順に、斑点模様は上から黒、赤、白と施される
椅子には赤ん坊を抱いた母親が座り、それを囲んでカヤンバが演奏される。 曲目は mugangaが指定し、彼女もkayambaの輪の中で踊る。 彼女は曲目に合わせて演技する。例えば p'ep'o mupemba86ではイスラム教徒のようにコーランの本を読んでいるふりをしたりする。 途中で乳香がたかれ、搗き臼の周り3箇所に置かれる。一つは煙が母親が被っている黒い布(紺色の布)の中に入るように、母親の足元に置かれる。
17:50
mugangaはndongaを mwanamadzi88と呼ばれる助手役に手渡し、彼を先に立たせて出発する。kayamba隊がそれに続く。ndongaを持つ男はけっして後ろを振り向いてはいけないという。女たちや他の人々もあとに続く。早足でしばらく進み、mutsara91に着く。そこで広いヒヨコと赤い(褐色の)ヒヨコが屠られる。黒いヒヨコは殺されない。羽をむしって撒かれる。 水辺の草の上に黒い(紺色の)布が広げられ、それにvuoの水が振りまかれる。mafufuto92として水辺の草その他が集められる。これらはヒヨコの血とともにvuoに混ぜられる。およびピング(pingu31)の材料になる。
18:30
先頭にndongaを背負ったmwanamadzi、次にスフリアに入ったvuoをもったmuganga, その後ろにヒヨコをもった男、さらに後ろにkayamba隊が続く。女性はnjerejere94と呼ばれる嬌声をときおりあげなければならない。先頭の人々は、後ろを振り向いてはならない。
18:50
屋敷に到着。小屋の中で治療が行われる。母親と赤ん坊は小屋の中の土の上に、横たわり黒い(紺色の)布に巻かれている。赤い腰布に、白い布を被ったmugangaがvuoを振りまく。黒い(紺色の)布を二人の上に広げて、そこに黒いヒヨコとvuoの内容物を載せ、もう一人の弟子の手を借りて、それを寝ている母子の上で振り動かす。布は絞られ、絞り汁が母子に掛けられる。mugangaはndongaを母親の左肩から始まって、足先へ、さらに右肩から始めて子供の口へと滑らしていく。ndongaの中のmuhaso21を塗っているようにも見える。
続いて子供の顔、耳、鼻などに口を近づけて、ndongaの口のあたりから息を吹いて子供に吹き込んでいるような仕草をする。ただ小屋の中が暗いため、何をしているのかははっきりとはわからない。この間中、母子はkayambaの騒音の渦に取り囲まれている。
19:30
再び庭に出てkayamba
21:00
kayamba終了。kayamba隊は解散し、人々も家路につく。私たちも帰宅。 その後に、最後の治療が行われるとのこと。
子供がlaika7, chitsimbakazi8に捕らえられ、そのchivuri6がどこかへ連れ去られてしまった。それを取り戻すのが目的。
laikaは水辺に住む一本足のp'ep'oで、その姿を見るのは極めて危険である。
子供のchivuriがどこに持ち去られたのかを知るためには、muganga自身がそのlaikaにとりつかれなければならない。最初のkayambaはそのためのもので、muganga自身がgolomokpwa95した。mugangaは人々を子供のchivuriがあるところ、laikaの棲み処へと導く。
子供のchivuriを手に入れて戻り、子供に戻してやると、子供の病気が治る。pinguを作り与えて、再度laikaに攻撃されない予防を講じる。
a person's chivuri is taken by p'ep'o or witchcraft
becomes very weak and thin cannot support yourself while walking
muganga wa chivuri (may be mutsai himself)
he has a ndonga which contains the chivuri of their mothers or sisters or chane99, or tsangazimi100. He killed one of above close kin by witchcraft, and put the victim's chivuri into his ndonga = ndonga ya chivuri
in treating patients of chivuri, muganga cries looking into his ndonga, because it contains for example his mother's chivuri he killed. ndonga with musongo(braided hair)
Aduruma believe that the greater a muganga becomes, and the more patients he treats, the poorer he becomes, because he accumulated his power by killing his relatives, starting with his mother. If you kill your relatives by magic, you will become poor yourself.
aganga a p'ep'o....not atsai98 themselves aganga a utsai....themselves atsai
better not possess the ndonga mentioned above(ndonga ya chivuri) better not possess many ndonga.
1983年7月21日(木)に、クズザが行われていた施術師の屋敷を訪問。施術師は不在だったがその弟子(mwanamadzi88)でもある施術師の息子から話を聞く。 質問はおもにカタナ氏。私もときおり質問を挟んでいるのだが、話されている内容が頭に入っているわけではなく、なんとなく知った言葉を手がかりに簡単な質問を試みただけ。それに対して、私がドゥルマ語を解すると誤解した相手が、滔々と説明してくれた内容は、私にはほぼちんぷんかんぷんであった。後日、カタナくんと二人で書き起こし作業をし、カタナくんに内容を詳しく解説してもらった。
この短いインタビューだけから、「嗅ぎ出し」の施術についてわかることは、それほど多くはない。母親がもっている憑依霊のせいで、子供が病気になることがある。母親が、ライカやキツィンバカジを持っている場合、母乳を介して、子供はこれらの憑依霊に遭遇し、そのキブリ(chivuri6)を奪われて病気になる。その治療が奪われたキブリの所在(ライカやキツィンバカジの棲み処)を突き止め、キブリを取り戻す「嗅ぎ出し」の施術である。
キブリを持ち帰って患者に戻す、屋敷内での手続きについても述べられているが、この描写のみからはよくわからないだろう。屠られた鶏の心臟で護符(ピング(pingu31))が作られることが、なぜか強調されている。
施術師は、棲み処にいるライカなどの憑依霊を見ることができるとされているが、一般人がライカなどを見てしまうことは、大変危険である。顔を見てしまうと、死んでしまう。後ろ姿なら良いが(私のズッコケ質問の引き出した成果!!)その場合も、人にそのことを告げてはならない。
ただ告げてしまった結果、意識を失った者に対する嗅ぎ出しの治療の話が、いつの間にかこの日の一昨日の嗅ぎ出しの話にシームレスに変化してしまって、私がちんぷんかんぷんになったのも、私のアホだけが原因ではないと理解していただけると幸いである。
このとき、私がとりわけ気になったのは(DB 8)の後半で語られた、憑依霊はそれらと「関わりあいになる者」にとり憑き、苦しめるというくだり。その少し前に、私が滞在していた屋敷の長老の一人(ジャワ氏101)から、憑依霊はそれを信じる者にとり憑くという話を聞いていたから、同じような説明を再び聞いたことの驚きである。
ジャワ氏は、憑依霊(p'ep'o)は、彼らを信じる者にまとわりつくと語った(Uchiaamini andakuyuga「もしお前がそいつらを信じると、そいつらはお前を煩わせる」(DB 63))。kpwamini はアラビア語起源のスワヒリ語の動詞 ku-aminiと同じで、スワヒリ語での意味は「信じる(believe)、信頼する(trust)、任せる(entrust)」である。ku-yugaは「困らせる、悩ます、迷惑をかける」などを意味するドゥルマ語であるが、誰かにあなたに憑いている憑依霊はどの霊ですかと聞く普通の表現が、nyama wani akuyugaye? であるように、霊に憑依されている関係を指す表現にもなっている。信じた者にとり憑くのだとか、なんだかすごく心理学的な説明みたいじゃないか。実際、「私は憑依霊など『信じていない』ので、なんの心配もない」と語る男たちは多い。しかし彼らは、憑依霊がいること自体は当然のことだとしているので、私は困ってしまったのである。ジャワ氏はさらに、憑依霊はカヤンバの場で、自分はもしかすると霊に取り憑かれるかもしれないと思っている者にとり憑いてゴロモクヮ(golomokpwa)させるのだ、とも語った。一方彼の兄で施術師でもあるマラウ氏は、そんなことはない、お前が憑依霊を信じていようといまいと、憑依霊に「惚れられる(または気に入られる)(uchitsunukpwa ni p'ep'o)」と、どこにいようと結局捕らえられると語っていた(DB 66-67)
このインタビューでは施術師の息子は、同様なことを別の動詞 ku-shiriki を用いて述べている。この動詞はスワヒリ語の動詞で、商売などで「協力関係に立つ、仲間になる」などの意味の他に「献身する、専念する、(酒などの)虜になる」、さらに「信心する」などの意味ももつ言葉である。施術師の弟子でもあるので、当然憑依霊がいることを前提として話しているわけで、「信じる」と訳せる言葉を用いてはいても、その内容は我々が「信じる」と言う言葉にこめているような「存在を信じる」というニュアンスはもたず、存在していることを前提として、それらと関わり合いになる、付き合う、気に掛けるといった意味なのだとわかる。
1983年当時は、こんなことに、あれこれ頭を悩ませていたわけだ>ワタシ。「白人 muzungu」のくせに憑依霊に関心があるような質問をする私に、「憑依霊たちと、あんまり関わり合いにならないほうがいいよ。たいへんなことになるよ」と実に親切なアドヴァイスをしてくれていただけなのだ。
(段落冒頭の数字をクリックすると対応するドゥルマ語テクストに飛びます) 7
Katana(K): 一昨日カヤンバがあったのはここですか? Man: そう、ここだよ。 K: あなた方には、苦しんでいる子供がいらっしゃったのでしょうか。 Man: いや、遠くから来た病人ですよ。ここに扇いでもらいに(ku-phungbwa)来たんです。ここには施術師がいるから。そこでここに連れてこられたわけですよ。その病人が。 K: ところでその施術師とあなたとの関係は(字義通りには、「その施術師をあなたはどう呼んでいるのですか」)?あなた方のお母さんですか? Man: そうです。 Hamamoto(H): 病人は大人だったのですか、それとも子供? Man: 子供です。でもその母親に連れられてきたんです。 H: 主な症状(chamuno)は何だったんでしょう? Man: 主な症状は下痢だけだよ。 K: ところで、その子の下痢はかなり前に始まったのですか。 Man: ずいぶん前に始まった。病院も負かされた。そこで問題は、こちら側、後ろに戻る問題だと。そこで人々は、こちら側に戻った。わたしどものやり方に戻ったのさ。人は、後ろに戻りなさいと言われたら、他ならない、これらのやり方に戻るのさ。というわけで、一昨日、扇いでもらいにやって来た。そして今日、帰っていったよ、その子は。 K: 今日、帰ったのですか。その子の状態はどんな具合ですか?どんな具合だったですか。 Man: ああ、相変わらずさ。
Hamamoto(H): まだおさまっていない? Man: まだだね。今は、すでに治療を受けたので、あとは見守るだけ。だって、注射の連中だって、注射を打ったら、その後は見守るよな。今はすでに治療を受けた。治療はされた。それでもし状態がそのままなら、彼らは別の問題に切り替えなきゃね。 Katana(K): まず占い(mburuga)を打って、見てもらったのですか? Man: 人は、後ろに戻りなさいと言われたなら、まずは占いに行くことから始めるものさ。 K: ところで、その子はお母さんの(もつ)憑依霊(nyama)のせいだと言われたのですか? Man: そう。まず、その子の母親の憑依霊のせいだと。そこですぐに治療されたのさ、最後まで。それは、その子を「嗅ぎ出し」てもらいなさい(akazuzwe)ということで、それこそ私たちのやり方そのものさ。私たちがやっていることさ。 K: そのとおりですね。その子供を特に捕らえているのは、どの憑依霊だと言われたのですか? Man: 一人の憑依霊は知られていない、ただ憑依霊(nyama)と呼ぶだけ。言われたのはライカです。ライカとキツィンバカジだと聞けば、二人だとわかります。 H: そのライカとキツィンバカジは別々の憑依霊なんですか? Man: そうだよ。 H: 私はライカとキツィンバカジは同じ人だと思ってました。 Man: こいつらはね、仲間になる(kushiriki102)ものじゃないんだよ。だって、それにハマると(kushiriki)、お前は分別を乱されるかもしれない。もし、無関係でいれば(itsiphoshiriki)、どこに行こうと、出遭うであうもの、万事OKさ。でももしお前がそれに関わると、いない者すらそこにいるようになる。さて、(施術師は)カヤンバを打たれると、ムズカ(muzuka18)にとっとと(キブリを)採りに行く。私たちは溜池にすら、採りに行くよ。ムズカにも施術師は採りに行く。というのも彼(彼女)自身がその人(ライカなどの憑依霊)をそこに見るんだものね、私たちは。施術師は行って、言いさえする。ほら(憑依霊が)そこに一目瞭然、いるよ。そして施術師は(キブリを)手に入れている。
Katana(K): そいつ(憑依霊)は施術師にはすでに顔なじみなんですね、でも弟子(mwanamadzi88)には見えない? Man(A): そいつは秘密だね。私だって知らないよ。というのも、もし(そいつと)遭遇したら...私はこの歳になってるけれど、まだ(憑依霊を)見たことはないんだ。ライカ自身は、こいつだよ、という風に教えてもらえる。でもどの霊であるにせよ、それを目撃した者は、必ず(意識を失って)倒れることになる。そいつを目撃してもいいけれど、その顔を見てはならない。つまり、その顔を見ると、お前は死ぬのさ。 Hamamoto(H): 後ろ姿を見たら? A: ああ、心配ない。お前は倒れることになるだろうさ。でももしそいつを見ても、人に告げてはならない。それが薬(dawa)なんだってさ! K: 一切告げてはならない。それが薬(muhaso)。 A: でもお前みたいに... もしそいつを目撃しても、帰ってきて報告したりしてはだめ。お前が、「あっちでそいつを見ました」。この私は見ましたという言葉、お前はどこかに座っているかもしれない、あるいは立っているかもしれない、けれど言い終えることはできない。お前は話を最後まで言えない(言い終わる前に意識を失って倒れる)。お前は覆われることになる(kufinikirika103)。さあ、「嗅ぎ出し」の緊急のカヤンバ(kayamba ra ghafula105)だ。 H: ちょっとわかりません。 A: つまりね、もし彼が喋ったのなら、その人(施術師)は彼を布で覆ってしまう。それだけ。カヤンバ演奏が終わる。(施術師が嗅ぎ出しから戻って)ここに着いたら、彼(女)もまた小屋の中に入る。私たちの方では、病人を小屋のなかに寝かせている。私たちはすぐさま、患者に薬液(mavuo37)を持ってきてやり、それを念入りに患者に振り撒いてやる。そして患者に念入りに注ぎ込んでやる。そして例の(ムズカなどへの嗅ぎ出しに持っていった)瓢箪をもってきて、患者の耳に、鼻に吹き込む。そして病気の子供にも打ってやる。以上さ。これで施術は終わりとなる。ヒヨコが屠られて、それらの心臟が取り出され、ピング(pingu31)が(子供に)着けられる。それらの心臟は、薬と混ぜられて、ピングに縫い込まれるのさ。そして子供に着けられる。
Man(A): もし子供が病気で、妖術をかけられた問題ではなく、あのライカによって持っていかれたということなら、私たちはその人を勘定にいれる。そんな風にライカに持っていかれたのなら、私たちはしかじかのことをなして、彼は治る。あれらの憑依霊ども(mashetani79)はその子の母親から来て、その子供を捕らえたんだ。そしてその子供はそいつライカに持っていかれたんだ。さて、もしその子供がまだ母乳を吸っているなら、その子を治療するとしたら、まずその母親といっしょに治療されねばならない。その子供に対してだけ行なって、その子の母親は放置したら、その後で、子供は、その母親のものである血に触れることになる。そうすると子供はまた病気になるかもしれない。というわけで、正しいルールは、その子供を治療し、それが終わったら、その子供をとらえていた憑依霊ども(nyama80)、ついにはその子の母親も、治療されねばならないということさ。 もし病気がとらえるなら、病気ごとに違った仕方で捕らえるものだ。というわけで、子供を捕らえているこの病気には、しかじかの特徴を持った鶏が必要だ、ということになる。その鶏を間違いなく提供せねばならない。用いられる草木に応じて、これこれの草木は、しかじかの鶏を用いる、という具合に、病気を見てそれぞれの病気には、鶏もそれぞれ違ってくることになる。
の布と憑依霊ドゥルマ人の布のビーズ飾り。布本体はどちらも同じ紺色(ドゥルマ語では「黒」という)の布だが、ムルングの布は布の縁にビーズの飾り物が付けられるのに対し、ドゥルマの布の場合は、布の中心にビーズが十字に縫い付けられている。
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tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
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