(from diary Nov.1,(Mon),1993, kpwisha)
そろそろ帰ろうとするところに、病気の赤ん坊を連れた夫婦がくる。ディゴ人。赤ん坊は呼吸困難で、切れ切れに泣き声を立てるだけである。腕には4種類ものpingu1を巻いている。Chariは直ちにMudoe8、P'ep'ok'oma16、tsovya31のpingu5を処方する。もちろん赤ん坊の症状は改善されない。Chariは、はっきりとした金額を要求しない。後で聞くと、Chariはその子供について悲観的で、そのため大きな額を要求しなかったようだ。
11月1日の夕方、ムリナとチャリ夫妻は病気の赤ん坊を連れた夫婦の訪問を受けた。赤ん坊の状態はかなり深刻で、すでに幾人もの施術師の治療を受けているが、効果がない。ムリナとチャリはただちに護符の準備を始めた。
(フィールドノートより。番号はウェブ化に際して付与) (浜本注: ピング(pingu)という言葉を用いているが、糸で縫い固めるのではなく、単に布に包んで腕に巻き付けるもので、正確にはンガタ(ngata2)である。)
pingu ya p'ep'ok'oma Murina59、川からミミズmunyolo60を採ってくる(ミミズ=握ると冷たいから) muhi: murindaziya(削る)61 mavumba25 ga mulungu17 muhaso wa mulungu(mulungu17の瓢箪23、滴らす) 以上を黒いchidemuに包む
tsovya31 はChariによるとmanyama ga mak'ombe62 pingu はMurinaが作る(イスラム系で内容物は不明) 白いchidemu
vuo21も処方する
子供の症状が変わらないので、いくらでもいいからmukobaに入れるよう伝える。 患者は10シルだすというが、Chariは8シルのみ受け取る。
(各段落のデータ番号をクリックすると、該当するドゥルマ語テキストに跳びます)
5653 (病気の赤ん坊の両親が問題について語る)
Man(病気の赤ん坊の父親(M)): 母乳が劣化したせいなんだろうか、本当のところわかりません。だって、誰かが調えてもうまくいかない、別の誰かが調えてもうまくいかない。でも、ああ、あんた! Murina(Mu): これはライカの布(ンガタ2)かい、この腕のところのこれ。 Woman(病気の赤ん坊の母親(W)): ここ? M: そう。 W: ああ、昨日のことよ。家に人々が夜の8時にやって来たの。ムブァナ(施術師の名前)さんのところからね。そこに行ってこのンガタを結んでもらったのよ、これ。さてさて。 Hamamoto: ライカのンガタですか? W: いえいえ、ライカのはこれ。こちらはニューニ(nyuni32)のンガタよ、これは。 H: おお、ニューニのですか。 W: こちらはムレジ(施術師の名前)さんのところの。これらはマフブ(施術師の名前)さんが用意してくれたマパンデ(mapande4)。なにかこれといった効き目があったのは何もない。 Chari(C): ムヮンゴ(施術師の名前)さんがいるんじゃない? M: 歌にあるよね。聞いたことない?「施術師たちは皆逃げ出すよ、ウェー」って(笑)。 H: いつくらいからこんな状態なんですか?いつ(病気は)始まったんですか? W: つい先日よ。 C: 病気だね。...ニューニだわね。 M: でもコンバ(k'omba[^komba])の(ニューニ)だよ。
Hamamoto(H): コンバの? Woman(W): ねえ、コンバの(ニューニ)というのは、ムレジさんにやってもらいに行ったやつよ。 Man(M): あそこでは2つ(浜本注: おそらくピングまたはンガタのことだと推定)あったよな。 (参考)コンバ(ブッシュベイビー)のニューニについて 後日、コンバのニューニについてチャリに聞いた
(会話途絶える。チャリ、娘にンガタ作成に必要な黒い布について尋ねる)
Chari(C): ええ。あの黒い端布、昨日あなた畑仕事のときにもっていったわよね。 Muchenzala(Chariの娘(G)): 知らないわ。お父さんがどこかに忘れたんじゃない? Murina(Mu): ....(聞き取れない)... G: ないわよ。ああ、ここにあった。この中に。 C: どこに? G: ここよ。杵を置いてあるところの中に。 W: キディブォ(と呼ばれる症状)のあるニューニって、そのコンバのニューニのこと? C: そいつのことよ。 W: なるほど。 Mu: その子は、そいつに座り込まれているだけさ。座り込まれているだけ。脇腹の症状がある。 M: そうとも。そいつが(子供を)捕らえると、子供はそんなふうになるって言われたよ。 W: ここ胸のところが(ニューニに押し付けられているせいで)全然(息を吸い込む)余地がないのよ。 (チャリ、歌をくちずさむ) 病人、がんばれ、施術師、がんばれ 病人、治れ、代金差し出せ、施術師、食べろ
5655 (ムリナ、川からミミズをつかまえて帰って来る)
Chari(C): これいったいどうなってるの?ねえ、あんた、これはいったい何なの?ねえ、とぐろ巻いてるよ。ああ、ここには、まともなものはどこにもないわね。 (ムリナ、私に向かって) Murina(Mu): カリンボ!ウヮー、ええ。すごく、たいへんだよ。 Hamamoto(H): これはムドエのための? C: なんでムドエが出てくるのよ。これらの(ミミズ)は、ムドエのじゃないわ。 Man(子供の父親(M)): でもムドエの名前も繰り返し出てきましたよ。 C: ムドエもね、これから問題になるでしょうよ。でもこの足のところが冷えている問題はね、地下世界のペーポーコマよ。...(聞き取れない)... M: ああ、ミミズ見つかったね。
Chari(C): さて、世界の住人63の皆さま、どうかおだやかに。私はお話いたします。このような時間にお話することもなかったでしょう。私がお話するとすれば、子供が病気であるからお話するのです。人間は、たしかに、苦痛を味わうものです。でもこの子供がこうして経験している苦しみは、私を打ちのめすのです。人を悲しませるのです。 今、私はお話いたします。あなた方世界の住人の皆さま全員にお話いたします。私はお祈りいたします。北の皆さまに、南の皆さまに。東の皆さまに、西の皆さまに。ブグブグ(bugubugu64)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)。子神ドゥガ(mwanaduga65)、子神トロ(mwanatoro66)、子神マユンガ(mwanamayunga67)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga68)、キンビカヤ(chimbikaya69)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。そしてあなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera70)、そして子神サンバラ人(mwana musambala85)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi86)。私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi87)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura88)、お母さんの場所におられる憑依霊(p'ep'o89)の方々、争いあう方々、ムガマーニ(Mugamani94)に身を潜めておられるあなた方、ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私はあなた、砦の主であるムルング子神にお話いたします。なぜ、この病気は人を悲しませるのでしょうか。私はあなた(憑依霊)アラブ人に、お静まりくださいと申します。私はあなた方におだやかにと申します。サンズア(sanzua97)、それにバルーチ人98、ムクヮビ人99、天空の、そして池のキツィンバカジ100、地下世界のペーポーコマ(p'ep'o k'oma16 wa kuzimu)。あなたガラ人(mugala101)、ボニ人(muboni102)、ダハロ人(mudahalo103)、コロンゴ人(mukorongo104)、コロメア人(mukoromea106)。あなたドゥングマレ(dungumale53)、ジム(zimu109)、キズカ(chizuka110)、スンドゥジ(sunduzi30)、ドエ人(ムドエ(mudoe8))。ドエ人とはあなたムリマンガオ(murimangao111)。奴隷(mutumwa112)とはあなたンギンドゥ人(mungindo105)。あなたドエ人が子供を捕らえると、子供はイヌのように吠える。でも、どうして一層ひどくなるのですか。
5657 (唱えごとは続く)
Chari(C): 私はおだやかにと申します、私の兄弟たちよ。皆さま、全員におだやかにと申します。私はあなたムドエその人に、おだやかにと申します。あなたムリマ・ンガオ、奴隷とはあなたムンギンドゥ。皆さまは全員出身地を同じくしています。 私は、あなたデナ(dena138)とニャリ(nyari139)、キユガアガンガ(chiyugaaganga141)、ルキ(luki142)とムビリキモ(mbilichimo14)、カレ(kare143)とガーシャ(gasha144)、レロニレロ(rero ni rero145)。あなたマンダーノ(mandano15)、あなたプンガヘワ(pungahewa146)子神。あなたディゴ人(ムディゴ(mudigo71))も、ンキリク(nchiliku77)とご一緒におられる。あなた方にお静まりくださいと申します。皆さまにお静まりください(pore)と申します。そして「お静まりください」の言葉は、傾聴するものです。あなたジネ・バハリ(jine bahari147)、マサイ(masai148)、ゴロゴシ(gologoshi151)、ンガイ(ngai152)、カンバ人(ムカンバ(mukamba153)、カヴィロンド人(ムカヴィロンド(mukavirondo108))、マウィヤ人(mawiya50)、ナンディ人(ムナンディ(munandi107))、マニェマ人(ムマニェマ(mumanyema154))。あなた方にもおだやかにと申します。 でも、もしかしたら必要な物がおありなのかもしれません。それなら、人間とは話をされると傾聴するというではないですか。憑依霊は血だ(nyama ni mulatso)と言うではないですか。なぜ、あなた方は人を悲しませるのですか。 御主人様方、私たちは皆さまの脚元に身体を投げ出しています。脇腹をおつかみになったのは、随分以前のことです。この者がここに占いを打ちに参って以来です。なのに、子供の脇腹は相変わらずどうしようもありません。 さて、もしかして、あなた方はなにかお求めになっているものがおありなのでしょうか、そうなのですか?その子供は、祈願の子供だとおっしゃりたいのですか。そうなのですか?お静まりください、そこにいらっしゃるあなたペンバ人(ムペンバ(mupemba118))、ロハニ(rohani155)、アラブ人(ムァラブ(mwarabu156))、コーラン導師(mwalimu kuruwani157)。ジキリ(zikiri158)、ジキリ・マイティ(zikiri maiti159)、ジキリ・ナヴィ(zikiri navi160)、ジキリ・マウラーナ(zikiri maulana161)、ジネ・バハリ(jine bahari147)もいらっしゃる。あなた方に、おだやかにともうします。どうかおだやかに、私の兄弟の皆さま。 これなる者は、神の被造物の人間(chumbe binadamu)です。神(スmungu)の奴隷(muja(fr.スmja))です。どうしてこの者をお苦しめになるのですか。もしあなた方が、わかってくださるのなら、うっかり(病人をつかんでいる)手を離してしまったりすることもあるのではないでしょうか。そしてもしあなた方が手をうっかり離してしまわれたなら、そのときこそ私たちは力を注ぎましょう。
5658 (唱えごとは続く)
Chari(C): さて今、(要求されている)問題が、歌(ンゴマ)であれ、何であれ、その解決に責任がある当の稼ぎ手が、それらをどう解決できるというのでしょう。子供がこんな状態で、子供を治療するためのお金を、それが歌(ンゴマ)であれ、彼はどうやって稼げるというのでしょう。家を出て、どこに行けばよいというのでしょう。今日び、仕事自体手にいれるすべもありません。 お静まりください。もしあなたムドエのせいだというのなら、あなたはあなたのピングを手に入れることになるでしょう、御主人様。御主人様、私たちはあなた方の脚元に身体を投げ出しております。争いはございません、私の兄弟たちよ。争いは一昨日、昨日のことでした(もう過ぎたことです)。争いあう者は二人、三人目がやって来ると、仲裁します。今日、私は仲裁者、争いを鎮めます。私は癒し手ではありません。本物の癒し手はムルングです。私のすることと言えば、平安の手を置いて、小指の爪に退き、そこに腰を下ろしてじっとすることです。御主人様、私たちは御主人様と申しました。あなたムビリキモ(mubilichimo14)、一緒におられるディゴゼー(digozee13)にも、私はおだやかにと申します。 私はおだやかにと申します。あなたライカ(laika123)にも。ライカ・ムェンド(laika mwendo126)、風とともに進む者、キブェンゴ(laika chibwengo162)、ムカンガガ(laika mukangaga163)、ヌフシ(nuhusi164)、パガオ(laika pagao165)、ムズカ(laika muzuka124)。私はあなた方におだやかにと申します。ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka130)もおられます、ライカ・マフィラ(laika mwafira129)もいらっしゃいます、私はあなた方におだやかにと申します。ライカ・ズズ(laika zuzu166)、ライカ・ドンド(laika dondo132)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo131)もいらっしゃいます。ライカ・キフォフォとはあなた、ライカ・トブェ(laika tophe128)、御主人様!お静まりください、私の兄弟たちよ、御主人様、私たちはあなた方の脚元に身を投げ出しております。どうか子供にかまわないでください。この子が今日この日にも眠りを手に入れますように。扇ぐ(ンゴマを開催する)ことでしたら、拒んだりはいたしません。でもこの子をどのように扇ごうというのでしょうか、私の兄弟たちよ。ねえ、憑依霊 は人だ(nyama ni mudamu)と言うじゃないですか。語られると、それに耳を傾けると。憑依霊は血だ(nyama ni mulatso)と言うじゃないですか、御主人様。
Chari(C): おだやかに、おだやかに、あなたツォヴャ(tsovya31)、ペーポームルメ(p'ep'o mulume44)、カドゥメ(kadume49)、ムァンガ(mwanga56)昼に夜に襲い来る者(wangaye usiku na mutsana)、あなたジネ・バハリ(jine bahari147)。私はンガタ(ngata2)を結びます。あなたツォヴャ、キルイ(chilui167)、あなた方ご一緒に、あなた方のンガタを結びます。 また、さらにあなたムドエ(mudoe8)のンガタも調えさせてください。でも今は、このンガタです。いったいどなたのンガタでしょう。あなたズカ・ボム・ラ・キペンバ(zuka bomu ra chipemba169)、あなた脇腹をつかみ、子供のうえに腰を下ろし、その母の上にも腰を下ろし、彼女の胸の上に腰を下ろす者、あなたトゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga55)。私はあなたツォヴャにお静まりくださいと申します。あなたキルイにお静まりくださいと申します。
5660 (チャリ、子供の頭に左手を置いて、唱えごと)
Chari(C): この子供の名前は? Man(病気の子供の父親(M)): アリーです。 C: アリーというのね。 M: はい。 C: さて、私はお話いたします。こんな時間にお話することもなかったでしょう。私がお話するとしたら、それはアリーのためです。アリーはびょうきです。子供は病気です、それも人を驚かせる病気。でも、私たちが占いに行けば、私たちはいったい何が問題だと言われたでしょう。立ちはだかられていると。立ちはだかられているとは、他の誰によってでもありません。まずはじめは、あなたムルング子神、あなた砦の主であるムルング子神です。もしかしたら、客人がおられるのかもしれません。それらの客人は、あなたのお使いをするあなたの子供たちです。あなたムルング子神、それに続くはペーポー(p'ep'o89、ここでは憑依霊アラブ人を指す)。今、私はお祈りいたします。なぜなら人は問題を見ると、まずどこに向かうでしょうか?匠(mafundi171)たちのところです。匠たちのところに行って、調えてもらおうと。 今、私はあなた方とお話いたします。私はお祈りいたします。北の皆さまに、南の皆さまに、東の皆さまに、西の皆さまに。ブグブグ(bugubugu64)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)。さらに子神ドゥガ(mwanaduga65)、子神トロ(mwanatoro66)、子神マユンガ(mwanamayunga67)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga68)、キンビカヤ(chimbikaya69)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera70)、そして子神サンバラ人(mwana musambala85)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi86)に。
5661 (唱えごとは続く)
Chari(C): 私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi87)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura88)、お母さんの場所にゾンボ(dzombo172)、サンブル(Samburu173)のムガマーニ(Mugamani94)で、争っておられる皆さま、ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私はマンゲラ(mangera174)の池の皆さまに、おだやかにと申します。キツァンゼ(chitsanze175)の池の皆さまに、おだやかにと申します。皆さま、どうか降りてこられて、2つの眼でこの子供を御覧ください。キンベーブォ(Chimbepho176)(の池)の皆さま、キンガンギーニ(Ching'ang'ini、おそらく池の名前)の皆さま、ゾンボ172山の方々、はては大きな木々の方々、洞窟の方々、皆さん全員、この子供を御覧ください。 そして、もしゾンボの皆さまにお目にかかれるなら、お目にかかれたら、憑依霊(nyama91)は血(mulatso)、話してもらえば理解なさるといいます。なぜなら皆さまは人間なのですから。 私はあなたにお静まりくださいと申します、あなたムルング子神、あなたムァムニィカ(mwamunyika177)、あなたヴンザレレ(vunzarere178)、あなたこそ偉大なるヘビ、あなたバラ・ナ・プワニ(bara na pwani122)。あなたは脇腹をつかむとなると、徹底的におつかみになる。でも話してきかされると、あなたの仕事は解きほどくこと。今日、私はムルングにお祈りいたします。私は癒し手ではありません。癒し手はムルングです。私のすることはと言えば、平安の手を置いて、小指の爪に退き、腰を下ろしてじっとしていること。争いあう二人、三人目が来ると仲裁します。今日、私は仲裁者。私はこの争いを鎮めたい。そして鎮まりますように。 あなたムルング子神、あなたに続かれるのが、ペーポー(p'ep'o89、ここでは憑依霊アラブ人156のこと)、ご一緒にいるのが、憑依霊バラワ人(mubarawa179)、サンズア(sanzua97)、バルーチ人98、ムクヮビ人99、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi100 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma16 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。ご一緒にいるあなたガラ人(mugala101)、ボニ人(muboni102)、ダハロ人(mudahalo103)、コロンゴ人(mukorongo104)、あなたコロメア人(mukoromea106)、ドゥングマレ(dungumale53)、ご一緒にいるキズカ(chizuka110)。あなたスンドゥジ(sunduzi30)、ドエ人(ムドエ(mudoe8))。ムドエはあなた、ムリマンガオ(murimangao111)。奴隷(mutumwa112)と言われているのは、あなたンギンドゥ人(mungindo105)。
5662 (唱えごとは続く)
Chari(C): あなたムドエ御本人、あなたこそ子供を捕らえている者。子供は口をむしゃむしゃする。あなたムドエこそ子供を捕らえている者、子供の脇腹を押さえつけ、子供を爪でひねりあげ、子供はイヌのように吠える。今日、もしあなたムドエの仕業なら、あなたムドエ、話して聞かせられると、理解なさるはず。理解されるなら、さあ。私がこの子供にこのピングを結んであげ、ここを去って家についたなら、子供が睡眠をとれますように。(そんなふうにして)私たちに、たしかにあなたの仕業だったのだとわからせてください。その他多くのことも調えて差し上げましょう。でも今は、誰もが耳が詰まって塞がっているのです(なにもできない状態です)。余力のある者は一人もいません、まったく、誰もが途方に暮れているのです。 御主人様、私たちはあなた方の脚元に身を投げ出しております。争いはございません。もしあなた方がなさったことなのでしたら、どうか子供から手を引いてください。 今、私はこの子供に望みます。もし本当に皆さま方のせいだったのなら、この子供がここを去れば、脇腹(の問題)は、なし、脇腹にはもうかまわないでください。胸にもかまわないでください、そして子供に良好な息を戻してやってください。そう、そうなって初めてその長老(子供の父)も(あなた方の要求に対して)何ができるかを考えることになるでしょう。でも今は、彼はもはや、できることも全くなく、立ちすくんでいるのです。今や、ただただ途方に暮れているだけなのです。あちこちたずね歩くことも、彼は施術師たちを求めて歩き回っていると言ってますが、もうその体力すらすでにありません。今、そんなわけで私はつつがなきことをただ望みます。もし本当にあなたがたのせいであるのなら。
5663 (唱えごとは続く)
Chari(C): この子供が解きほどかれますように。人間とは普通、たとえ御椀で重湯(muswa)を飲ませてもらうようだったとしても、また自分でもはや出歩けないようだったとしても、でも薬が手に入れば、治るものなのです。いつまでも、この子のように相変わらず、声は出るだけだったりするのでしょうか。 ああ、御主人様、私の兄弟たちよ。(諺に言うように)「子供が(衣服に)排便してしまったからといって、その脚を切り落としたりはしない」ものではないでしょうか。もしかしたら、あなたは嘘をつかれた(要求をかなえるという約束が果たされていない)のかもしれません。でもあなたが嘘をつかれたのは、一昨日、昨日のこと(過ぎたこと)です。おまけに、今、この子の父自身を見舞っている窮状(を御覧ください)。もし彼が、彼の子供がこの治療で小康を得たなら、彼は知ることになるでしょう。「ああ、本当だ。憑依霊というものは、捕らえるときには本当に捕らえるものなのだ」と(そして果たされていない約束を頑張って果たそうという気になるでしょう)。ですから、皆さま方、今は子供から手を引いてください、おだやかに!
Woman2(近所の女性、たまたま通りかかって施術を見ていた(W2)): もし、唱えごとをしたら、すぐに治るとかだったらねえ。 Chari(C): 験(しるし)を祈りましょう。だって私たちは皆、何も知らないんだもの。すべての事柄は、全能のムルングの思し召し。この子供もムルングのもの。私たちだってムルングのもの。そして私が折り取ってきたこれらの草木だって、ムルングのものよ。ムルングの子供たち、お互いを治しあうべしよ。 W2: (草木の一つを指して)ムララ・ピリ。 C: なんて? W2: ムララ・ピリ。 C: あらー!(それぞれの土地の)人々は、自分たちの名前で知っているからね。私ね、あちらラバイの土地で、子供が(浜本注: おそらく病気に)捕らえられたことがあるの。私はそこに滞在して、他人の畑を耕して日銭を稼いでたの。あるとき、(ラバイ語で)ムヮグザ(mwagudza)を採りに行ってきて、ムヮグザをって言われたのよ。「ところであなたムヮグザって知ってる?」私は知らないって答えたわ。「OK。でも、ムァグザは、バカバカしい(とるに足らない、ありふれた)草木よ。」私は言ったわ「行ってそのムァグザを示してよ」って。なんとそれはムツァラフ(mutsalafu180)だった!ムンゾブェ(munzophe)はムジョンゴロ(mujongolo181)だし。ああ、そうよ、私は随分そこに滞在したわ。全部知ることになりました。 W2: ムンゾブェ!ああ、私もびっくりよ。 C: ああ、私はもう驚かないわ、あの人たちの言葉には。あの人たちのあいだで長い間暮らしたから。
Chari(C): さて、この薬液(vuo21)(のための草木)は、袋に入れて持って行って... Murina(Mu): 彼女(病気の子供の母親)にはもう唱えごとしたかい? C: うう、はい。一回だけ唱えごとしたかって?しましたよ。さらに2回しましたよ。でも最後にもう一度唱えごとしなさいってことでしょうか。別にいいですよ。 Man(子供の父(M)): もし気分がすぐれないなら結構ですよ。おお仕事だから。 C: この薬液は、あなた方、もう撒き捨てた方がいいのかな、だって別の(薬液の材料の草木)が今届いたから。なんてまあ、唱えごとで喉がガラガラよ。まず、この子供のための問題を調えるのから始めて、唱えごと。母親のための作業で唱えごと。そして今、また唱えごと。でも億劫ではありません。あなたがこんな風にごらんになって、申し訳なく思って遠慮されるとすれば、私はいったいどうしたらいいの?ああ、とんでもないわ。私たちはみんなムルングのものよ。(W2に向かって)ああ、あなたのことじゃないのよ、御婦人。あちらの方のこと。 W2: ええ、その子供の母親に唱えごとしてあげてよ。 C: (病気の子供の母親に)あなた、お座りなさいな、御婦人。子供の母親も熱でもあるみたいね。唇に潰瘍がいっぱい。 M: ああ、心労のせいですよ。
5666 (子供の母親に対する唱えごと)
Chari(C): さて、おだやかに、私の兄弟たちよ、おだやかに、おだやかに。ですが、私はあなたムァムニィカ(mwamunyika177)に、あなたヴンザレレ(vunzarere178)におだやかにと申します。ヴンザレレはあなたムァムニィカ、あなた偉大なるヘビです。あなたは、地下世界のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu16)だと言われています、あなたは池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)だと言われています。 今、私は薬液(のための草木)を差し出しました。私はこの薬液が子供を治すようにと願います。人は施術師のもとを訪れて、その後再び訪れることがないこともあるでしょう。蝿がとまったとしても、人々によって追い払われるのです。でも、やはり人々は言います。「ああ、本当に、もし誰それさんがいなかったら、ねえ、この子はすでに亡くなっていたでしょうに」と。御主人様、私の兄弟の皆さま。もしまさしく、あなた方の仕業だったのだとしたら、もしかして本当にずっと以前に始まったことで、もしかしてあなた方は嘘をつかれていたのなら、もしあなた方がずっと以前から嘘をつかれており、もう自分たちはうんざりしたので、こんな風に見せしめてやろうとおっしゃっているのなら。どうかおだやかに、おだやかに、私の兄弟の皆さま、どうかおだやかに。私たちは、御主人様どうか、と申します。私は今、この子供がここを健康で立ち去ってくれることを願います。どうか御主人様、あなた地下世界のペーポーコマ、あなた偉大なるムルングよ。私はあなたにお静まりくださいと申します。私はあなたにあなたのピング(pingu5)を差し上げました。わたしたちに子供が小康を得るのを見せてくださり、私たちが改めて参って、頭に装着する本物のピングを縫って差し上げられますようにと願います。でも、さしあたって今は、おだやかに、私たちはこれらの急ぎ急ぎのものをお調えいたしました。どうか。
(from diary Nov.11(), 1993, kpwaluka)
....(Chari,Murinaの夫妻と)一緒にKinangoに行く。木曜日は、Chariがwari184を食べることを(Musegeju185から)禁じられている日なので、Kinangoでchapati186で昼食をとる。先日の呼吸困難な赤ん坊は、やはり亡くなったとのこと。chariは最初からわかってはいたが、両親の気持ちを考えて施術はほどこした。でも料金は受け取るつもりはなかったのだという。
この日の会話が示しているように、チャリ自身、治療の効果にはあまり期待していなかったのかもしれないが、熱のはいった唱えごとを読み直すと、やはり全力で取り組もうとしていた事が伝わってくる。唱えごとはその大部分を、彼女の定型の憑依霊の列挙が占めているものの、普段の唱えごとにはあまり見られない、ドゥルマの諺や、たとえ話を多用して、憑依霊たちを治療に協力してくれるよう説得しようという懸命さは、今回の応急治療における唱えごとの大きな特徴になっていると言える。
興味深いのは、この病気の赤ん坊を捕らえていると(占いによって)想定されている、ニューニに対する唱えごとである。これらの想定されているニューニたちに対しても、通常のニューニ治療である、薬液振り撒きからなる「飛び立たせ」によってではなく、他の憑依霊に対してと同様の「説得」によって対応している点である。そこで名前を列挙されているニューニの多くは、イスラム系の「身体の憑依霊」ともみなされうるものであるが(ツォヴャ(tsovya31、ペーポームルメ(p'ep'o mulume44、カドゥメ(kadume49など)、キルイ(chilui167)やズカ(zuka169)のようにニューニ以外の何ものでもないものに対しても「お静まりください」の説得が試みられているのが、面白い。憑依霊世界の流動性を物語っているともいえる。