ムチェクィシャのための「嗅ぎ出し」治療

目次

  1. 概要

    1. 日誌より

    2. ムチェクィシャのクズザについて

  2. フィールドノートの記述より

    1. 施術の背景

    2. 施術の流れ

  3. 考察・コメント

  4. 注釈

概要

日誌より

(1992/10/15 Thu. kpwaluka1の日誌より。日誌の事実上最後の記述である。この後は10月16日に、「モンバサ移動、夜の列車でナイロビへ」と記されているのみ。)2

今日がドゥルマ滞在最終日。 朝8時15分すぎ、「刮目せよ」村の若者(30位、独身)Ka....が一人でカヤンバを打ち鳴らしながらキラジニ川の方向へ歩いていくのが見える。彼は kpwayuka3すると、一人で mihi4 を探しに行くのだという。いかにも憑依されている行動なのだが、ただのvitswa17かもしれないという。 Sa....(Nz...の母)来る。その後のNz...だが、良くなったらしい。ku-zuza18はまだだった。200シリング援助。モンバサでmuganga82たちへのお土産用に買っていたushanga83、余っていたのをあげる。 メン...、立ち寄ってutsai84治療のために赤雄鶏必要と。100シリング援助。utsaiが終わっても、憑依霊の問題が残っている。なんでも占いでkulavya nze80される必要があると言われたんだとか。「でもありえない。自分はいわゆるchiganga85的に意味のある夢を見たことがないから。憑依霊は仕事を与えようとする人には、治療上必要なmuhi4とか、自分を襲おうとしている妖術使いとかを夢で教えてくれるというのだが、私はそんな夢を見ない。私はまだ発狂したことがない。」だって。 先日亡くなったMu....(女性)の畑がすでに耕され始めていることについて、Ge....は、これはよくないという。まだ kaola なのに。つまり死体が腐ってしまうまでは死者の畑を誰かが使用することはよくないという観念があるらしい。死体が腐ってchitswa kutokaには40日くらいかかるとか。カタナ君によると、死体が腐ってしまうまでにはけっこう時間がかかる。何日と決まっているわけではない。かなりの期間がたってから屋敷の人々が集まってkukata shauriし、畑を耕すことができるようになる。 さて、午後からはムチェクィシャのkuzuza18

[訳1]: 「腐らない」 [訳2]: 「頭部が分離する」 [訳3]: 「結論を出す」

ムチェクィシャのクズザについて

ライカに奪われたキブリ(chivuri19)を取り返したあとで、もう一度シェラに奪われたキブリを取り返しに行くという二本立てのクズザ(kuzuza18)であった。人はキブリを二つ以上もっているのかと、私は(キブリ=魂のようなものという暗黙の思い込みもあって)いつも心で突っ込んでいたのだが、誰もそれを疑問に思っていない。きっといくつあってもいいのかもしれない。

ライカのキブリ戻しの方は、ライカの棲み処までの往復に付き合ったが、シェラの方は付き合わなかったと見えて、私のフィールドノートは人々がシェラのキブリ戻しに出発したというところで、唐突に終わっている。

次の頁には、ナイロビの公文書館での資料調査のメモが始まっている。

施術中の人々のやり取りやらはしっかり録音したつもりだったので、フィールド・ノートの記述は簡単なメモ程度。しかし、油断大敵だ。 翌日フィールドを出てナイロビに向かうということで、この日の録音資料は書き起こし担当者に託し、翌年来たときにいただくことにしていた。が、よくわからないが、紛失してしまったという。

結果として、残った資料はフィールドメモだけということになった。

フィールドノートの記載より

施術の背景

(1992/10/08, Thu, kurimaphiri のフィールドノートより)86 【ムチェクイシャの異常】by Ge...Mwa... ブラーニに嫁いでいるGe....の娘Muchekpwishaが、kukpunga88してもらうため先週から来ている。しかし金がないのでモンバサで働いている娘の居所を突き止め、金をもらおうとしたが、100シルしか手に入らなかった。 (私が300シル援助することに決定) 月曜にkpwayuswa3。夜出ていきMulima wa Godoni99まで行ったという。子供たちが水浴びしているのを見かけ、mudzi101を問うと「上の方だ、いっしょに行こう」と言う。山を登りかけたところで正気に戻る。引き返し、途中で一泊。昨日の朝帰り着いた。夜も、眠らない日々が続いている。 占いの結果,kuzuza18が必要。占いでは施術師はChari。しかし男女二人の施術師が必要であるという。kayamba98明日開催。

(1992/10/09 Fri, kpwisha のフィールドノートより) Muchekpwishaのクズザがあるというので朝から待機していたが、9時すぎになって延期の知らせ。 (1992/10/10 Sat, jumma のフィールドノートより) Muchekwpishaのkayamba。日曜の夜開始とのこと。翌朝kuzuza。彼女の母が伝えに来る。 (1992/10/11 Sun, kpwaluka のフィールドノートより) Muchekのクズザ結局中止。 (1992/10/13 Tue, kpwisha のフィールドノートより) Muchek kuzuza 15日午後、施術師Nyale、kuzuzaのみ、徹夜はなし。

施術の流れ

(1992/10/15 Thu, kpwaluka のフィールドノートより) 13:12 Chinu102の用意ができる    chiryangona103はChikaphu104の中に用意されている
小屋とchinuの配置    施術師、小屋の中に座って、コーランを開いて眺めている(読んでるふり) udi105に火をつけ、それを左手に持ち、ubani106を燻し、その煙でコーランを燻す 次いで、udiでコーランを燻す イスラム風クズザか!
屋内で椅子に腰掛け、コーランを黙読する施術師。暇だからって、下手なスケッチするな>ワタシ 13:25 muwele91 chinuの水で全身を洗う 13:29 muwele 戸口のところに敷かれたkuchi107に両脚を前に投げ出して座る
小屋の中の配置。入口を入って奥右手に穀物貯蔵庫。その下が炉。患者は入口右に敷かれたマットの上に脚を投げ出して座る。入口左に椅子に座った施術師。その周りを数人のカヤンバ奏者・歌い手が囲むように立って演奏 13:30 Mwarabuより演奏開始 13:50 施術師、vyoni108(?)の演奏を要求 人々、歌を知らないと言う。ともかく打ち始め、施術師が歌を先導する 14:08 施術師、歌を止めて、バカリと少し問答。mburuga109なのか?まったく聞き取れない しかしすぐに歌再開 歌の演奏中にもBakariとのやりとりは継続している。聞き取れない。 14:15 施術師、座っていた椅子をのけ、kuchiをそこに敷かせる    muweleをkuchiの上に座らせる vuri110の方角を向かせて ndonga112二つは小屋の外のchinuの下に置く 14:20 Laika muzuka22 演奏 14:30 出発 14:50 Mbandi113の muzuka33で白鶏のchala114を切る 15:10 回り道して帰宅 Laika mwendo50演奏 反時計回りに小屋を一周して、そのまま小屋の中に入っていく (チャリのように後ろ向きに入るのではなく) chinuの水をmulunguの布115に含ませて、それで数回、患者の全身を拭く 次で同じくchinuの水をshera68の赤布に含ませて、数回 muzukaから持ち帰ったmafufuto116を燻す 水を盛んにかける 15:30 Shera の演奏開始 Muchekpwisha 踊らない Muchekpwishaの母、首に巻いているpingu10をとるよう施術師に指示され、ナイフで切り取る 続いて muduruma118、mudigo76 と演奏 16:10 Muchekpwisha相変わらず踊らず 母親がkuhatsa121 Muchekpwisha はそれに応じて Mudigo でkugolomokpwa123 16:20 施術師も座り(施術師は椅子に、muweleは地面に)chiyugaaganga125等演奏 muweleを椅子に座らせ、施術師がsheraのushanga布[^shera_nguo]をmuweleの肩にショールのように巻いてやる muwele、shera でgolomokpwa 施術師は瓢箪の中を覗いたり,chinuの水を患者にかけたりする 16:57 再び chiyugaaganga 17:01 施術師とカヤンバ隊、外に出てchinuを取り巻いてカヤンバを打つ 17:04 再び出発

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考察・コメント

開始こそ、すわイスラム風クズザか、とばかり色めき立ったが、後は普通のクズザだった。二本立ての方も、二回クズザしました、というだけの話し。キブリを戻しに行った先も、患者宅から歩いて10分程度の近くのムズカで、なんということはなかった。 とは言うものの、同じクズザといっても施術師によって新たな趣向が試みられる例のひとつであることは確かである。一部のドゥルマの人々にはイスラム的な施術のほうが効き目がありそうに見えるということはおおいにある。そのうちにキリスト教的なクズザも現れるかもしれない。やっぱりないか。

注釈

 


1 クヮルカ(kpwaluka)。ドゥルマの4日で一周する週の第一日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは共同で、夫の所有するメインの畑(dzumbe)を耕作した。詳しくはドゥルマの月日の数え方
2 調査日誌。プライベートな行動記録だが、フィールドノートから漏れている情報が混じっているので、後で記憶をたどり直すのに便利。調査に関わる部分の抜粋をウェブ上に上げることにした。記載内容に手を加えない方針なので、当時使用していた不適切な訳語などもそのまま用いている。例えば「呪医(muganga)」、「呪薬(muhaso)」。「呪」はないだろう。現在は「施術師、癒やし手、治療師」などを用いている。記述内容に著しい間違いがある場合には、注で訂正する。日記中のドゥルマ語の単語は、訳さずドゥルマ語のままとし、注をつけることにする。またいくつかの地名については、特定を避ける必要からその地名を字義通りの日本語に訳したものに置き換える。例えば Moyeniは「皆さん休憩してください」村といった具合に。人名は身近な人々についてはそのまま、他の人々については問題ありそうな場合は省略形(イニシャルのみとか)に変更。
3 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」。ク・アユサ(kpwayusa, ku-ayusa)はそのcausative formだが、憑依霊のせいで振る舞いが異常になる場合には、その受動形をもちいて、wayuswa ni nyama(憑依霊によって狂わされた)などといった言い方が用いられる。憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは呼ばない。しかし施術師は自分のkpwayuka経験について語るときに、「もうvitswaそのものだったよ」などと言ったりする。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
4 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術5においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba6)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande7)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu13)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
5 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
6 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
7 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符8。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
8 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata9)、パンデ(pande7)、ピング(pingu10)、ヒリジ(hirizi11)、ヒンジマ(hinzima12)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
9 ンガタ(ngata)。護符8の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいはライカのンガタが代表的であるが、帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
10 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符8の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
11 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima12)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
12 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi11)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
13 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza14、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
14 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya15)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu13)とセットで設置される。
15 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo16)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza14)と呼ばれるが)。
16 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
17 ヴィツワ(vitswa)。「狂気」。しかしこの言葉自体は、「頭」を意味する普通名詞 chitswa の複数形にすぎない。人が狂気に陥っていることをドゥルマ語では ku-kala na vitswa字義通りには「復数の頭をもっている」という表現で述べる。「気が触れた人、気が狂った人」は、mutu wa vitswa 字義通りには「複数の頭をもつ人」である。「気が違う、狂う」にあたる動詞にはク・アユカ(kpwayuka3)がある。
18 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri19)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。ライカ(laika20)やシェラ(shera68)などいくつかの憑依霊は、人のキブリ(chivuri19)つまり「影」あるいは「魂」を奪って、自分の棲み処に隠してしまうとされている。キブリを奪われた人は体調不良に苦しみ、占いでそれがこうした憑依霊のせいだと判明すると、キブリを奪った霊の棲み処を探り当て、そこに行って奪われたキブリを取り戻し、身体に戻すことが必要になる。その手続が「嗅ぎ出し」である。それはキツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者は、再びキブリをうばわれることのないようにクツォザ(kutsodza81)を施され、ンガタ9を与えられる。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
19 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza18と呼ばれる手続きもある。詳しくは別項を参照されたい。
20 ライカ(laika, pl. malaika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)で、スワヒリ語では「天使」(単複ともにmalaika)の意味になるのだが、関係ないかも。ライカにはきわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi21)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka22) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri19)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi25など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo50,laika mukusi51など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe52, laika ra nyoka52, laika chifofo55など。(4) その他 laika dondo56, laika chiwete57=laika gudu58), laika mbawa59, laika tsulu60, laika makumba61=dena62など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze14)で薬液を浴びる、護符(ngata9)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza18)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
21 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
22 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。トゥヌシは洞窟などのムズカの主。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi23)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
23 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao24))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka22)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
24 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
25 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni26)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
26 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu27」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
27 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ26)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola28)の対象となる。
28 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini29」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa3031と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume38)、カドゥメ(kadume41)、マウィヤ人(Mawiya42)、ドゥングマレ(dungumale45)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga46)、トゥヌシ(tunusi47)、ツォビャ(tsovya49)、ゴジャマ(gojama44)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu27」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」26)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
29 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola28)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
30 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa31)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola28)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち34)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba37)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu27)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni26)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini29)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
31 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」32など)を行うことなどを意味する。
32 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ33などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
33 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うnoムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ32」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
34 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo35)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
35 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso36)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine34)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
36 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
37 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume38)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani39)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
38 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola28)もありうる。逆に女性のスディアニもいて、こちらは夢の中で男性を誘惑し、不能にする。
39 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」4による鍋(nyungu13)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe40)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu10)。
40 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
41 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
42 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde43)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama44)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
43 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
44 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola28)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
45 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola28の対象になる)31。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
46 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
47 トゥヌシ(tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)とも。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine34)の一種という説と、ニューニ(nyuni26)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ48らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola28)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
48 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。「スルタン(sorotani)」、「スルタン・ムァンガ」も同じ憑依霊か。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
49 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ26の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola28)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa31」。see p'ep'o mulume38, kadume41
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵
50 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
51 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
52 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira53)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka54)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
53 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
54 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
55 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
56 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi21)の別名ともいう。
57 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
58 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
59 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
60 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
61 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena62)の別名。
62 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari63)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande7)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
63 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)18」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena62が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee64)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande7には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
64 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo65)マンダーノ(mandano66)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
65 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
66 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。施術師によっては、マンダーノをレロニレロ67とともにディゴ系の霊とする、あるいはシェラ68の別名だとするなど、見解の違いもある。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
67 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera68)の別名ともいう。施術師によっては、憑依霊ドゥルマ人のグループに入れる者もいる。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza18)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)69」、「外に出す(ku-lavya konze80)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
68 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)18、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす69)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku71)、おしゃべり女(chibarabando72)、重荷の女(muchet'u wa mizigo73)、気狂い女(muchet'u wa k'oma74)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma75)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo77、長い髪女(mwadiwa78)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba79)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
69 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo70)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。またシェラの癒やしの術を外に出すンゴマにおいても、「重荷下ろし」はその重要な一部として組み込まれている。
70 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
71 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera68)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
72 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera68の別名の一つ。「雷鳴」とも結びついている。唱えごとにおいて、Huya chibarabando, musindo wa vuri, musindo wa mwaka.「あのキバラバンド、小雨季の雷鳴、大雨季の雷鳴」と唱えられている。おしゃべりもけたたましいのだろう。
73 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ68の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
74 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ68の別名ともいう。
75 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera68)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo76))の別名ともされる。
76 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
77 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ68の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo76)の女性であるともいう。
78 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
79 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
80 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
81 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
82 ムガンガ(muganga pl. aganga)。癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga5であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
83 ウシャンガ(ushanga)。ガラスのビーズ。施術師の装身具、瓢箪子供の首に巻くバンドなどに用いられるのは直径1mm程度の最も小さい粒。20cmほどの紐にとおしてそれを1単位として販売される。キナンゴの商店でも売られているが、モンバサにはインド人が経営する専門店が有り、1キロ単位でも買える。
84 ウツァイ(utsai)。「妖術」。基本的に「薬muhaso」を用いて(それに命令を出すことによって)他者に危害を加える行為。単なる毒殺とは異なる。「妖術をかける」を意味する動詞ク・ロガ(ku-loga)から、妖術をウロギ(ulogi)と呼ぶ言い方もある。それを行う妖術使いはムツァイ(mutsai, pl.atsai)、あるいはムロギ(mulogi, pl.alogi)。
85 キガンガ(chiganga)。
86 フィールドノートは帰国後テキストファイル化を進めているが、まだ完了していない。「フィールドノートより」の記述は、フィールドノートの記述をそのまま転記したものであるため、現地語や今日の観点では不適切と思われる訳語もそのままにしている。例えばnyunguを「壺」としたり、makokoteriを「呪文」としたり、muhasoを「呪薬」としたり、mugangaを「呪医」としたり、といったもの。「呪」はないだろう、「呪」は。現地語についてもあえて日本語に直さず注を付ける形で説明をつけることにする。なお記述における各セクションのタイトルや、項目のナンバリングはウェブ化に際してのものも含まれる。書き起こしテキストへの紐づけ、およびリンクも当然ウェブ化に際してのものである。画像やスケッチのキャプションもウェブ化の際のもの。植物名の同定はフィールドではできず、文献に基づく事後的な補筆である87。なお地名、人名についてはウェブ化に際して一定の配慮を施した。地名は、ドゥルマ語を字義通りの日本語に直して、例えばMwoyeni(Moyeni)村は「皆さん、お休みください」村といった具合に。人名は私とごく親しい関係になった数名の施術師とその弟子たち、近隣の友人たちを除いて、仮名またはイニシャルのみのような省略形を用いて書き直している。
87 カッコ内の学名は帰国後、同定可能だった分。フィールドワークの時点では、ただひたすら見分け能力の不足と、植物学の素養のなさを痛感するのみだった。帰国後の同定には〔Kokwaro 1976; Pakia&Cooke 2003,2003a; Maundu&Tegnas eds. 2005〕を参照した。これらはそれぞれの植物の現地名と学名の照合を可能にしてくれる。すべてのドゥルマの(ましてや施術師たちの)草木の呼び名が同定可能な訳ではないが。Kokwaro,J.O.,1976,Medicinal Plants of East Africa(Second ed.),Nairobi:Kenya Literature Bureau; Pakia,M. & J.A.Cooke,2003, "The ethnobotany of the Midzichenda tribes of the coastal forest areas in Kenya: 2. Medicinal plant uses",South African Journal of Botany 2003, 69(3): 382–395; Maundu,P.,& B.Tengnasu eds.,2005,Useful trees and shrubs for Kenya,World Agroforestry Center
88 ク・プンガ(ku-punga)。スワヒリ語で「扇ぐ、振る、除霊する」を意味する動詞。ドゥルマ語のク・ブンガ(ku-phunga89)と同じく、病人を「扇ぐ」と言うと病人をムウェレ(muwele91)としてンゴマやカヤンバ95を開くという意味になる。除霊する(ku-usa nyama, kukokomola28)という目的で開く場合以外は、除霊(exorcism)の意味はない。しかしニューニ(nyuni26)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo16)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo90)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
89 ク・ブンガ(ku-phunga)。字義通りには「扇ぐ」という意味の動詞だが、病人を「扇ぐ」と言うと、それは病人をmuweleとしてカヤンバを開くという意味になる。スワヒリ語のク・プンガ(ku-punga88)も、ほぼ同じ意味で用いられる。1939年初版のF.ジョンソン監修の『標準スワヒリ・英語辞典』では、「扇ぐ」を意味する ku-pungaの同音異義語として"exorcise spirits, use of the whole ceremonial of native exorcism--dancing, drumming,incantations"という説明をこの語に与えている。ザンジバルのスワヒリ人のあいだに見られる憑依儀礼に言及しているのだが、それをエクソシズムと捉えている点で大きな誤解がある。少なくとも、ドゥルマの憑依霊のために開催するンゴマやカヤンバには除霊という観念は当てはまらない。しかしニューニ(nyuni26)の治療を専門とするニューニの施術師(muganga wa nyuni)たちは、ニューニに対する施術をク・ヴンガ(ku-vunga)とク・ブンガ(ku-phunga、あるいはスワヒリ語を用いてク・プンガ(ku-punga))の二つに区別している。前者は、引きつけのようなニューニ特有の症状を示す乳幼児に対し薬液(vuo16)を、鶏の羽根をいっぱい刺した浅い籠状の「箕(lungo90)を用いて患者の子供に振り撒くことを中心に据えた治療を指し、後者は母親に憑いたニューニを女性から除霊する施術を指すのに用いている。ここではexorcismという説明が文字通り当てはまる。
90 ルンゴ(lungo, pl.malungo or nyungo)。「箕(み)」浅い籠で、杵で搗いて脱穀したトウモロコシの粒を入れて、薄皮と種を選別するのに用いる農具。それにガラス片などを入れた楽器(ツォンゴ(tsongo)あるいはルンゴ(lungo))は死者の埋葬(kuzika)や服喪(hanga)の際の卑猥な内容を含んだ歌(ムセゴ(musego)、キフドゥ(chifudu))の際に用いられる。また箕を地面に伏せて、灰をその上に撒いたものは占い(mburuga)の道具である。ニューニ26の治療においては、薬液(vuo16)を患者に振り撒くのにも用いられる。
91 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)92であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
92 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba79)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合 baba wa chiganga)93や母(女性施術師の場合 mayo wa chiganga)94ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
93 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」92を参照されたい。
94 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」92を参照されたい。
95 ンゴマ(ngoma)。「太鼓」あるいは太鼓演奏を伴う儀礼。木の筒にウシの革を張って作られた太鼓。または太鼓を用いた演奏の催し。憑依霊を招待し、徹夜で踊らせる催しもンゴマngomaと総称される。太鼓には、首からかけて両手で打つ小型のチャプオ(chap'uo, やや大きいものをp'uoと呼ぶ)、大型のムキリマ(muchirima)、片面のみに革を張り地面に置いて用いるブンブンブ(bumbumbu)などがある。ンゴマでは異なる音程で鳴る大小のムキリマやブンブンブを寝台の上などに並べて打ち分け、旋律を出す。熟練の技が必要とされる。チャプオは単純なリズムを刻む。憑依霊の踊りの催しには太鼓よりもカヤンバkayambaと呼ばれる、エレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'uri96)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器の方が広く用いられ、そうした催しはカヤンバあるいはマカヤンバと呼ばれる。もっとも、使用楽器によらず、いずれもンゴマngomaと呼ばれることも多い。特に太鼓だということを強調する場合には、そうした催しは ngoma zenye 「本当のngoma」と呼ばれることもある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira97)」と呼ばれることもある。
96 ムトゥリトゥリ(mut'urit'uri)。和名トウアズキ。憑依霊ムルング他の草木。Abrus precatorius(Pakia&Cooke2003:390)。その実はトゥリトゥリと呼ばれ、カヤンバ楽器(kayamba)や、占いに用いる瓢箪(chititi)の中に入れられる。
97 ウィラ(wira, pl.miira, mawira)。「歌」。しばしば憑依霊を招待する、太鼓やカヤンバ98の伴奏をともなう踊りの催しである(それは憑依霊たちと人間が直接コミュニケーションをとる場でもある)ンゴマ(95)、カヤンバ(98)と同じ意味で用いられる。
98 カヤンバ(kayamba)。憑依霊に対する「治療」のもっとも中心で盛大な機会がンゴマ(ngoma)あるはカヤンバ(makayamba)と呼ばれる歌と踊りからなるイベントである。どちらの名称もそこで用いられる楽器にちなんでいる。ンゴマ(ngoma)は太鼓であり、カヤンバ(kayamba, pl. makayamba)とはエレファントグラスの茎で作った2枚の板の間にトゥリトゥリの実(t'urit'ti96)を入れてジャラジャラ音を立てるようにした打楽器で10人前後の奏者によって演奏される。実際に用いられる楽器がカヤンバであっても、そのイベントをンゴマと呼ぶことも普通である。カヤンバ治療にはさまざまな種類がある。また、そこでは各憑依霊の持ち歌が歌われることから、この催しは単に「歌(wira97)」と呼ばれることもある。
99 ムリマ・ワ・ゴドーニ(Murima wa Godoni)。キナンゴからクワレに向かうときに通過するマレレ(Marere100)の川の対岸に急傾斜でそそりたつ山稜はゴドーニの山と呼ばれ、その辺りの森林はゴドーニの森と呼ばれている。道はそれを迂回するように斜面を回り込みクワレの町にいたる。それがイギリス人の名前にちなんでいる(Gordonか?)と説明する人もいるが、本当だろうか。
100 マレレ(Marere)。シンバヒル(Shimba Hill)のなかの森。マレレの森。その近くのペンバ川とクワレ・キナンゴを結ぶ街道が交差するあたりの淵もマレレと呼ばれる。モンバサ、およびキナンゴへの水道の水源になっている。
101 ムジ(mudzi)はドゥルマ社会における自律的な最も基礎的社会単位である。「屋敷」という日本語は裕福な家族が暮らす広い敷地をもつ大きな家屋のイメージであるが、mudzi(複数形 midzi)には家屋の大きさの含意はない。mudziの最小単位は一人の男性とその妻、子供からなり、居住のための小屋一つとその前庭、おそらくは家畜囲いがあるだけのものである。一夫多妻であれば、それぞれの妻が自分の小屋をもち、それらが前庭を取り巻く形で配置されている。さらにそれぞれの妻の息子たちが結婚し、自分の妻の小屋を父の小屋群の前庭の周辺にもつようになると、mudziの規模は大きくなる。兄弟たちは、父の死後も同じ場所に留まり、そこは父親の名前で「~のmudzi」と呼ばれ続ける。さらに孫の世代もということになると、mudziはほとんど集落、村と呼んでもおかしくないほどの規模になる。今日ではmudziの規模は小さくなる傾向にあるが、私が調査を始めた1980年代前半には、キナンゴの町とその近傍以外の地域では、こうした大きな規模のmudziが普通に見られた。そんな訳で「屋敷」という訳語は必ずしも違和感なく用いることができた。現在でもmudziが、その内部の問題を自分たちで解決する独立した自律的単位であることには変わりはなく、そうした自律した社会集団、周囲の世界(ブッシュ)とはっきり区別された小宇宙という意味で、「屋敷」という訳語を使い続けたいと思う。
102 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
103 キリャンゴナ(chiryangona, pl. viryangona)。施術師(muganga)が施術(憑依霊の施術、妖術の施術を問わず)において用いる、草木(muhi)や薬(muhaso, mureya など)以外に必要とする品物。妖術使いが妖術をかける際に、用いる同様な品々。施術の媒体、あるいは補助物。治療に際しては、施術師を呼ぶ際にキリャンゴナを確認し、依頼者側で用意しておかねばならない。施術に必要なものは少量なので、なにかを少しだけ用いる際にも、これは単なるキリャンゴナだよ、などと言ったりもする。
104 キカブ(chikaphu)。麻あるいはエダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋。編み籠。一本の持ち手(sikiro)がある。大きいものはカブ(kaphu, pl.makaphu)。
105 ウディ(udi)。線香
106 ウバニ(ubani)。乳香
107 クチ(kuchi, pl. makuchi)。エダウチヤシ(mulala、Hyphaene compressa)の葉で編んだマット。ディゴ地域ではエダウチヤシではなく、野生ナツメヤシ(mukindu, Phoenix reclinata)が用いられている。
108 ヴョーニ(vyoni)。異常出産児。生まれつき奇形の出産児以外に、逆子、生れつき多くの毛髪を持った子供、上の歯から先に生え始める子供(meno ga dzulu)なども vyoni である。vyoni は、かつては産婦の母親により殺されねばならなかった。Mwache その他の水辺で置き去りにされたり、水を満たした壷に沈められたり、バオバブの木の根元でmukamba(負ぶい布) によって鞭うたれたりして殺害された。「ヴョーニよ、ヴョーニ。もしお前がヴョーニなら、お前がもといたところに帰れ。」と唱えられながら。それでも死ななかった場合は、その後は通常の子どもとして育てられた。
109 ムブルガ(mburuga)。「占いの一種」。ムブルガをすることをドゥルマ語ではムブルガを「打つ(kupiga mburuga)」と表現する。相談者が占いに相談に行くことを婉曲的に「山に行く(kpwenda vilimani)」と言う言い方もある。ムブルガ(mburuga)は憑依霊の力を借りて行う占い。占いに行く者は、必ずしも病人、あるいはトラブルの当事者本人であるとは限らない。むしろ事情に詳しい代理人が行くのが普通である。客は占いをする施術師の前に黙って座り、何も言わない。占いの施術師は、まず問題を抱えているのが男性であるか女性であるか、大人であるか、子供であるかを当てねばならない。次に自ら患者(あるいは問題の当事者)の抱えている問題を、それが病気であれば、頭から始まって身体を巡るように逐一挙げていかねばならない。中にトウアズキ(t'urit'uri)の実を入れたキティティ(chititi)と呼ばれる小型瓢箪を振って憑依霊を呼び、それが教えてくれることを客に伝える。施術師の言うことが当たっていれば、客は「そのとおり taire」と応える。あたっていなければ、その都度、「まだそれは見ていない」などと言って否定する。施術師が首尾よく問題をすべてあげることができると、続いて治療法が指示される。最後に治療に当たる施術師が指定される。客は自分が念頭に置いている複数の施術師の数だけ、小枝を折ってもってくる。施術師は一本ずつその匂いを嗅ぎ、そのなかの一本を選び出して差し出す。それが治療にあたる施術師である。それが誰なのかは施術師も知らない。その後、客の口から治療に当たる施術師の名前が明かされることもある。このムブルガに対して、ドゥルマではムラムロ(mulamulo)というタイプの占いもある。こちらは客のほうが自分から問題を語り、イエス/ノーで答えられる問いを発する。それに対し占い師は、何らかの道具を操作して、客の問いにイエス/ノーのいずれかを応える。この2つの占いのタイプが、そのような問題に対応しているのかについて、詳しくは浜本満1993「ドゥルマの占いにおける説明のモード」『民族学研究』Vol.58(1) 1-28 を参照されたい。
110 ヴリ(vuri)。小雨季、10月から1月にかけての雨。短時間に激しく降るのが特徴。またそれがやって来る方角(北西)ヴリーニ(vurini)。反対に大雨季(mwaka111)の雨は mwakani(南東)からvurini(北西)に向かう。
111 ムワカ(mwaka, pl.miaka)。「年、年齢、大雨季」。これに対して小雨季はヴリ(vuri)と呼ばれる。
112 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
113 ムバンディ(Mbandi)。「ジャコウネコの池」村の丘の上からキナンゴ方面へ坂道を一気に下った辺りの地区名。キラジニ川の支流(雨季以外はほぼ水が流れていない)があり、その川岸近くの洞窟がムズカ(muzuka)として有名。
114 チャラ(chala, pl.vyala)。「指」
115 ングオ(nguo)。「布」「衣服」を意味する名詞。スワヒリ語も同様。さまざまな憑依霊は特有の自分の「布」を要求する。ムルングは「黒」(実際には紺色)の一枚布、憑依霊ドゥルマ人も同じ色だが、ビーズ飾りが違っている、シェラは赤い布など。多くはカヤンバなどにおいてmuwele91として頭からかぶる一枚布であるが、憑依霊によっては特有の腰巻きや、イスラムの長衣(kanzu)のように固有の装束であったりする。
116 フフト(fufuto, pl. mafufuto)。ムズカ33に溜まった枯れ葉やゴミ。これらを持ち帰って燻し(kufukiza117)に用いる。妖術使いが奪ったとされる犠牲者の汚れを取り戻す際に必要な手続き。
117 ク・フキザ(ku-fukiza)。「煙を当てる、燻す」。kudzifukizaは自分に煙を当てる、燻す、鍋の湯気を浴びる。ku-fukiza, kudzifukiza するものは「鍋nyungu」以外に、乳香ubaniや香料(さまざまな治療において)、洞窟のなかの枯葉やゴミ(mafufuto)(力や汚れをとり戻す妖術系施術 kuudzira nvubu/nongo)、池などから掴み取ってきた水草など(単に乾燥させたり、さらに砕いて粉にしたり)(laikaやsheraの施術)、ぼろ布(videmu)(憑依霊ドゥルマ人などの施術)などがある。
118 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性119)、カシディ(kasidi 女性120)、ディゴゼー(digozee 男性老人64)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
119 カルメンガラ(kalumeng'ala)。直訳すれば「光る小さな男」。憑依霊ドゥルマ人(muduruma118)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
120 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。あるいは重病で意識を失ったかと思うと、また「生き返り」を繰り返す病気も、この名で呼ばれる。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma118)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
121 クハツァ(ku-hatsa)。文脈に応じて「命名する kuhatsa dzina」、娘を未来の花婿に「与える kuhatsa mwana」、「祖霊の祝福を祈願する kuhatsa k'oma」、自分が無意識にかけたかもしれない「呪詛を解除する」、「カヤンバなどの開始を宣言する kuhatsa ngoma」などさまざまな意味をもつ。なんらかのより良い変化を作り出す言語行為を指す言葉と考えられる。憑依の文脈では、特定の霊の施術師になるための「外に出す(kulavya nze80)」ンゴマにおいて、その霊に固有の草木を折り取らせる最終テストの際に、見事に折り取った草木を主宰する施術師はクハツァして、テストに合格した者に正式に与える必要がある(これは後日、その他の草木を教える際にも繰り返される)。また、憑依霊を呼び出すンゴマ(カヤンバ)の場で、患者(ムウェレ(muwele91)がなかなか憑依状態に入らない(踊らない場合)があり、それが患者に対して心の中になにか怒り(ムフンド(mufundo122))をもっている親族(父母、夫など)がいるせいだとされることがある。その場合は、そうした怒りを感じている人に、その怒りの内容をすべて話し、唾液(あるいは口に含んだ水)を患者に対して吹きかけるという、呪詛の解除と同じ手続きがとられることがある。この行為もクハツァと呼ばれる。ンゴマやカヤンバにおいてムウェレが踊らない問題についてはリンク先を参照のこと。
122 ムフンド(mufundo)。フンド(fundo)は縄などの「結び目」であるが、心の「しこり」の意味でも用いられる。特に mufundo は人が自分の子供などの振る舞いに怒りを感じたときに心のなかに形成され、持ち主の意図とは無関係に、怒りの原因となった子供に災いをもたらす。唾液(あるいは口に含んだ水)を相手の胸(あるいは口中に)吹きかけることによって解消できる。この手続きをクハツァ(kuhatsa121)と呼ぶ。知らず知らずのうちに形成されているmufundoを解消するためには、抱いたかもしれない怒りについて口に出し、水(唾液)を自分の胸に吹きかけて解消することもできる。本人も忘れている取るに足らないしこりが、例えばンゴマやカヤンバで患者が踊ることを妨げることがある。muweleがいつまでたっても憑依されないときには、夫によるkuhatsaの手続きがしばしば挿入される。ムフンドは典型的には親から子へと発動するが、夫婦などそれ以外の関係でも生じるとも考えられている。
123 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka124)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
124 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
125 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki126)、キツィンバカジ(chitsimbakazi21)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、ku-yuga aganga つまり「施術師(muganga pl. aganga)たちを困らせる(ku-yuga)」から来ており、病気が長期間にわたり、施術師を困らせるからとか、カヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
126 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ62、ニャリ63、ムビリキモ65などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika20)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術