(1992/10/15 Thu. kpwaluka1の日誌より。日誌の事実上最後の記述である。この後は10月16日に、「モンバサ移動、夜の列車でナイロビへ」と記されているのみ。)2
今日がドゥルマ滞在最終日。 朝8時15分すぎ、「刮目せよ」村の若者(30位、独身)Ka....が一人でカヤンバを打ち鳴らしながらキラジニ川の方向へ歩いていくのが見える。彼は kpwayuka3すると、一人で mihi4 を探しに行くのだという。いかにも憑依されている行動なのだが、ただのvitswa17かもしれないという。 Sa....(Nz...の母)来る。その後のNz...だが、良くなったらしい。ku-zuza18はまだだった。200シリング援助。モンバサでmuganga82たちへのお土産用に買っていたushanga83、余っていたのをあげる。 メン...、立ち寄ってutsai84治療のために赤雄鶏必要と。100シリング援助。utsaiが終わっても、憑依霊の問題が残っている。なんでも占いでkulavya nze80される必要があると言われたんだとか。「でもありえない。自分はいわゆるchiganga85的に意味のある夢を見たことがないから。憑依霊は仕事を与えようとする人には、治療上必要なmuhi4とか、自分を襲おうとしている妖術使いとかを夢で教えてくれるというのだが、私はそんな夢を見ない。私はまだ発狂したことがない。」だって。 先日亡くなったMu....(女性)の畑がすでに耕され始めていることについて、Ge....は、これはよくないという。まだ kaola なのに。つまり死体が腐ってしまうまでは死者の畑を誰かが使用することはよくないという観念があるらしい。死体が腐ってchitswa kutokaには40日くらいかかるとか。カタナ君によると、死体が腐ってしまうまでにはけっこう時間がかかる。何日と決まっているわけではない。かなりの期間がたってから屋敷の人々が集まってkukata shauriし、畑を耕すことができるようになる。 さて、午後からはムチェクィシャのkuzuza18
[訳1]: 「腐らない」 [訳2]: 「頭部が分離する」 [訳3]: 「結論を出す」
ライカに奪われたキブリ(chivuri19)を取り返したあとで、もう一度シェラに奪われたキブリを取り返しに行くという二本立てのクズザ(kuzuza18)であった。人はキブリを二つ以上もっているのかと、私は(キブリ=魂のようなものという暗黙の思い込みもあって)いつも心で突っ込んでいたのだが、誰もそれを疑問に思っていない。きっといくつあってもいいのかもしれない。
ライカのキブリ戻しの方は、ライカの棲み処までの往復に付き合ったが、シェラの方は付き合わなかったと見えて、私のフィールドノートは人々がシェラのキブリ戻しに出発したというところで、唐突に終わっている。
次の頁には、ナイロビの公文書館での資料調査のメモが始まっている。
施術中の人々のやり取りやらはしっかり録音したつもりだったので、フィールド・ノートの記述は簡単なメモ程度。しかし、油断大敵だ。 翌日フィールドを出てナイロビに向かうということで、この日の録音資料は書き起こし担当者に託し、翌年来たときにいただくことにしていた。が、よくわからないが、紛失してしまったという。
結果として、残った資料はフィールドメモだけということになった。
(1992/10/08, Thu, kurimaphiri のフィールドノートより)86 【ムチェクイシャの異常】by Ge...Mwa... ブラーニに嫁いでいるGe....の娘Muchekpwishaが、kukpunga88してもらうため先週から来ている。しかし金がないのでモンバサで働いている娘の居所を突き止め、金をもらおうとしたが、100シルしか手に入らなかった。 (私が300シル援助することに決定) 月曜にkpwayuswa3。夜出ていきMulima wa Godoni99まで行ったという。子供たちが水浴びしているのを見かけ、mudzi101を問うと「上の方だ、いっしょに行こう」と言う。山を登りかけたところで正気に戻る。引き返し、途中で一泊。昨日の朝帰り着いた。夜も、眠らない日々が続いている。 占いの結果,kuzuza18が必要。占いでは施術師はChari。しかし男女二人の施術師が必要であるという。kayamba98明日開催。
(1992/10/09 Fri, kpwisha のフィールドノートより) Muchekpwishaのクズザがあるというので朝から待機していたが、9時すぎになって延期の知らせ。 (1992/10/10 Sat, jumma のフィールドノートより) Muchekwpishaのkayamba。日曜の夜開始とのこと。翌朝kuzuza。彼女の母が伝えに来る。 (1992/10/11 Sun, kpwaluka のフィールドノートより) Muchekのクズザ結局中止。 (1992/10/13 Tue, kpwisha のフィールドノートより) Muchek kuzuza 15日午後、施術師Nyale、kuzuzaのみ、徹夜はなし。
(1992/10/15 Thu, kpwaluka のフィールドノートより)
13:12 Chinu102の用意ができる
chiryangona103はChikaphu104の中に用意されている

小屋とchinuの配置
施術師、小屋の中に座って、コーランを開いて眺めている(読んでるふり)
udi105に火をつけ、それを左手に持ち、ubani106を燻し、その煙でコーランを燻す
次いで、udiでコーランを燻す
イスラム風クズザか!

屋内で椅子に腰掛け、コーランを黙読する施術師。暇だからって、下手なスケッチするな>ワタシ
13:25 muwele91 chinuの水で全身を洗う
13:29 muwele 戸口のところに敷かれたkuchi107に両脚を前に投げ出して座る

小屋の中の配置。入口を入って奥右手に穀物貯蔵庫。その下が炉。患者は入口右に敷かれたマットの上に脚を投げ出して座る。入口左に椅子に座った施術師。その周りを数人のカヤンバ奏者・歌い手が囲むように立って演奏
13:30 Mwarabuより演奏開始
13:50 施術師、vyoni108(?)の演奏を要求
人々、歌を知らないと言う。ともかく打ち始め、施術師が歌を先導する
14:08 施術師、歌を止めて、バカリと少し問答。mburuga109なのか?まったく聞き取れない
しかしすぐに歌再開
歌の演奏中にもBakariとのやりとりは継続している。聞き取れない。
14:15 施術師、座っていた椅子をのけ、kuchiをそこに敷かせる
muweleをkuchiの上に座らせる
vuri110の方角を向かせて
ndonga112二つは小屋の外のchinuの下に置く
14:20 Laika muzuka22 演奏
14:30 出発
14:50 Mbandi113の muzuka33で白鶏のchala114を切る
15:10 回り道して帰宅 Laika mwendo50演奏
反時計回りに小屋を一周して、そのまま小屋の中に入っていく
(チャリのように後ろ向きに入るのではなく)
chinuの水をmulunguの布115に含ませて、それで数回、患者の全身を拭く
次で同じくchinuの水をshera68の赤布に含ませて、数回
muzukaから持ち帰ったmafufuto116を燻す
水を盛んにかける
15:30 Shera の演奏開始
Muchekpwisha 踊らない
Muchekpwishaの母、首に巻いているpingu10をとるよう施術師に指示され、ナイフで切り取る
続いて muduruma118、mudigo76 と演奏
16:10 Muchekpwisha相変わらず踊らず
母親がkuhatsa121
Muchekpwisha はそれに応じて Mudigo でkugolomokpwa123
16:20 施術師も座り(施術師は椅子に、muweleは地面に)chiyugaaganga125等演奏
muweleを椅子に座らせ、施術師がsheraのushanga布[^shera_nguo]をmuweleの肩にショールのように巻いてやる
muwele、shera でgolomokpwa
施術師は瓢箪の中を覗いたり,chinuの水を患者にかけたりする
16:57 再び chiyugaaganga
17:01 施術師とカヤンバ隊、外に出てchinuを取り巻いてカヤンバを打つ
17:04 再び出発
<a id="anchor3"
開始こそ、すわイスラム風クズザか、とばかり色めき立ったが、後は普通のクズザだった。二本立ての方も、二回クズザしました、というだけの話し。キブリを戻しに行った先も、患者宅から歩いて10分程度の近くのムズカで、なんということはなかった。 とは言うものの、同じクズザといっても施術師によって新たな趣向が試みられる例のひとつであることは確かである。一部のドゥルマの人々にはイスラム的な施術のほうが効き目がありそうに見えるということはおおいにある。そのうちにキリスト教的なクズザも現れるかもしれない。やっぱりないか。
↩ ↩ ↩
↩ ↩
tsovyaの別名とされる「内陸部のスディアニ」の絵 ↩
↩
↩ ↩
↩ ↩ ↩
↩
↩