チュンバ氏の屋敷での「重荷下ろし」(「嗅ぎ出し」付き)

目次

  1. 概要

  2. チュンバ氏の屋敷での「重荷下ろし」

    1. 用意された品物

    2. シェラを罠に掛け、病人にとり憑かせる

    3. 嗅ぎ出し(kuzuza)

    4. 重荷下ろし

    1. 出発前の水かぶり

    2. 搗き臼での作業

    3. 重荷を負って移動

    4. ウリンゴでの施術

    5. 屋敷にて

  3. チャリたちによる論評

    ムァインジ氏宅での会話: シェラを罠でとり憑かせるのは罪だ!

  4. 考察・コメント

  5. 注釈

概要

(from diary, Nov.13(Sat), 1993, kp'sha)

今日はMawayaのmesomo1(Chumba氏の夫人)に対するkuphula mizigo2がある。朝八時に行くが、結局始まったのは午後四時である。Murinaの屋敷で待機。...(浜本注: 中略)...Kapilao(浜本注: 人名)がmbuzi42頭を連れて立ち寄り、Murinaとnjama5。その後Chumbaの屋敷(すぐ近く)に移動。女性muganga6はGwadu(浜本注:「ジャコウネコの池」に隣接する地区の一つ)のPesaさん、もう一人の男性mugangaはSaidi氏(片目が見えない)。遅くなったのは、muganga達が通常の手続きとは逆に、最初にfungu8の支払いを要求したためで、当然のように不足しており(後で安く済まそうという魂胆が悪いのだが)mugangaがこれに納得しなかったためである。おかげでこちらはすき腹を抱えたまま待ちぼうけだった。開始が遅れたために既に日が暮れかかる。...(浜本注: 中略)... このmugangaたちのkuphula mizigoのやり方はかなり変わっていて、しきりとkutsodza tsoga9をする。Chariによるとshera10 をkuhega28しているのだということだが、いまいちよくわからない。もう一度詳しく聞いてみる必要がある。舞台装置や演出がかなり凝っており、面白かったのだが、カメラを出すと、写真禁止と言われた。録音も歌だけならいいということで、とほほなことになった。下手くそスケッチと細かくフィールドメモをとることで補う。 ンゴマのあいだじゅう、Chari体調がすぐれず、しきりと頭痛を訴えていたが、血も少々吐く。吐血という感じではない。口の中を切って出血したという程度。実はkuphula mizigoで屠殺された赤いヤギは急遽Murinaのヤギを使ったのだが(Kapilaoが連れて行ったヤギの一頭がこれ)、これがチャリの持ち霊の一人Muduruma30のためにとっておかれていたヤギで、うっかりMudurumaに許可を求めるmakokoteri36抜きで屠殺してしまったため、mudurumaが怒ってしまったせいだという。

チュンバ氏の屋敷での「重荷下ろし」式次第(フィールドノートより転記)

用意された品物

  1. chinu(搗き臼) 4 中心のchinuには灰ivu と炭(煤)misiziとオーカー mbuuの 三色で直線模様・斑点模様が付けられている

  2. mutsi(杵) 4 それぞれの chinu の傍らに

  3. madafu38 8 未成熟のヤシの実 ivu39とmisizi40とmbuu41 で ku-donwa42

  4. sufuria(アルミの鍋) 4, ivuとmisiziとmbuu で ku-donwa

  5. chibakuli(椀) 4, ivuとmisiziとmbuu で ku-donwa

  6. payu(パパイヤの実) 2, ivuとmisiziとmbuu で ku-donwa

  7. nazi(ヤシの核) 1. ivuとmisiziとmbuu で ku-donwa

  8. こぶし大の石 8,

  9. vitambaa(布) 黒いgushe43 3枚  uringo44で使用

muhala76の中程、小屋Aの前に、彩色されたchinu77を中心に3つのchinuが mutsi78とともに置かれる。東側のchinuと西側のchinuは上下逆さまに置かれている。 中心のchinuの中には薬液vuo

ku-hega shera

shera10 を罠につかまえる shera が確実にmuwele79の中にいるように、またatsiyuge83

  1. 北のchinu

上下逆さまにし(このchinuは前もって逆さまになっていなかった)北側の道の入口に置く muweleはmutsiを支えにして、裏返されたchinuの上に立ち、東を向く 施術師(男)、鏡に反射した光をmuweleに当て、光が当たった箇所を安全カミソリの刃でkutsodza9し、ndonga85のmureya86をすり込む muwele、mutsiを道の方向に倒して降りる chinuを上下正しく置き、中にmutsiを差し入れる

  1. おなじことを東のchinuと西のchinuでも行う

  2. 3つのchinuが全て道の入口に据えられ、中央のchinuのまわりに 図のように sufuria87, dafu38, chibakuli88, payu89, mawe90が並べられる

石maweはそれだけでラインを形成、他の品物も2つのlineを形成 品物を並べる順序には特に決まりはないという sufuriaとchibakuliには水が入れられる 東に向かうlineに沿って一本のバナナの茎が置かれる 人々は小屋Bの前で見物

ku-zuza

16:00 小屋Aの内部でkayamba開始

muweleは戸口に向かって(西を向いて)すわる mulunguの演奏から始まる ku-suka91 3曲、ku-tsanganya92 5曲、ku-bit'a93 1曲 施術師Pesa、ku-bit'aでgolomokpwa94 続いて chitsimbakazi96 1曲 laika mwendo97

16:25 施術師Pesaそのまま走り出て、muhoni98

その後を白、赤、黒のヒヨコをもったmwanamadzi99とkayamba演奏隊が続く muweleはそのまま小屋の中にとどまる

16:40 近所のKilazini川の水中で赤と白のkukuをkutsinza,

水中から泥やtoro101, chilongozi102をとり、mulunguの布にくるむ kuku mwiru103はそのまま持ち帰る

17:10 帰宅

小屋Aを時計回りに2回周回し、小屋の戸口から後ろ向きに小屋に入る。 仰向けに寝ているmuweleの上にanamadziはmulunguの布を広げて持ち、Pesaは布の上に広げた泥やtoroなどの上から水をかける 下に寝ているmuweleはびしょ濡れ Pesa、ndongaをもち、その口をmuweleの耳、に近づけて息を強く吹きかける

muhoni出発してから、この間、ずっとlaikaの歌が演奏され続けていた

kuphula mizigo

17:18 muweleを小屋の外に連れ出す

戸口から出る時、「戸口の上の屋根の上から」Mwanamadziの一人がmuweleにvuoの薬液をぶっかける

[中央のchinuを周り、水を浴びる]

3人の女が、東、北、西のchinuをkuphondaする
一方、muwele、中央のchinuのところに導かれる

chinuの周りを時計回りに周回しながら、muweleの頭の上にnaziを置き、それをmwanamadziがmundu104で割る、payuについても同じことをする、 最後にmadafu38 dafuのなかのmadzi105を次々にmuweleにかける 最後にmuweleはchibakuliとsufuriaの水を自分で浴びていく

すべての石、nazi、payuを一つのkaphu106に詰める。バナナの茎も入れる

この間、3人の女はずっと3つのchinuをそれぞれ搗き続けている

[chinuをmutsiで搗く]

muwele 東のchinuに導かれ、chinuを搗く

施術師(男)、ndongaを打ちながらkugomba107 ndongaのmureya86をmuweleに吹きつける

muwele、mutsiを持って道に入り、数メートル進んだところでそれを投げ捨てるよう言われる

被っていたmulunguの布を取り去り、chinuを頭の上に置かれる chinuをそのまま運んでmutsiを投げ捨てた場所に投げ捨てる

同じことを北のchinu、西のchinuでも繰り返す。 中心のchinuに戻り、vuoの薬液を再び浴びた後に、中心のchinuを南の方角に投げ捨てる

[mizigoを負って移動]

中心のchinuが置かれていた場所に戻り、石、nazi、payu、mugomba108を詰めたkaphu106をkuphika109する

赤いmbuzi4が連れてこられ、muwele、kaphuを頭に載せたまま、鞭(葉のついた木の枝)で打たれながら、赤いmbuziを先に立てて進む

ziya64に作ってあったuringo44のところに着く

[uringo]

muwele、運んできたmizigo3をuringoの北の方に捨てる

muwele、uringoに腰をかけているmwanamadzi(女性)の膝の上に北を向いて腰掛ける。

両方のバケツの水を浴びせられる。 施術師(男)はndongaをmuweleの頭においてlulimi110を激しく上下させる

mbuzi4をmuweleの前に連れてきて、muweleにmbuziをまたがせ、その上に座らせる。

この状態でmbuziをkutsinza111し、血をchibakuli88で受ける。 その血はバケツの水に加えられる。 この間、施術師(男)は休みなくndongaのlulimiを打ち続けている。

muwele 再びuringoの上に座らされる(今度は独りで)

uringoの布を取り去り、muweleに血の混じったバケツの水を浴びせる 施術師(女)、muweleの頭にmarero112を付けてやる 女性のanamadziたち、全員でmuweleを洗ってやる

この間にuringoの上部の棒を取り去り、4本の枝を跳ねさせる。

muweleをuringoの上に南に向いて立たせる。 施術師(男)、muweleにkutsodza9を施す mwanamadzi、uringoの上部を完全に解体

施術師(男)、muweleの手を取って南の方向に下ろす

mwanamadzi、muweleの背後に回ってuringoの下部を引き抜き(地面から)、muweleの頭越しに南の方角に投げ捨てる

[屋敷にて]

屋敷に戻る。

muwele、手鍬2本を入れたchikaphu106をkudziphika109し、munda113に行き、畑を耕す仕草をさせられる

これ以降は、これまでに見た他のkuphula mizigoとほぼ同じ。

チャリたちはこの「重荷下ろし」をどう見たか

(from diary Nov.17(Wed), 1993, kpwisha) 朝8時にMurinaたち来る。日差しが強くなる前に出発しようという腹である。Bang'a114 のMwainzi夫妻のugangaがkuloga115された件で、mukoba27にnguvu116を取り戻し、Dunia117、Jamba121に対するkombe66治療をするのが目的である。Bang'aには10時すぎに到着。mihi60を集めたり雑談したりしているうちに午後1時になる。雑談のなかでは、チャリたちは先日のChumbaの屋敷でのちょっと風変わりなkuphula mizigoについても論評。けっこう批判的。...

ku-hega shera は「罪(dambi)」だ!

Nov.13の「重荷下ろし」についてのチャリたちの論評 (DB 5973-5986)

各段落の先頭の数字をクリックすると、ドゥルマ語テキストの該当箇所に跳びます

5973

Murina(Mu): そいつはね、ただ「重荷下ろし」だけがしたいんだよ。 Mwainzi(Mw): なるほど。 Mu: (憑依霊に)施術の(仕事を)要求(されている)とか、そんなものはない。例えば、あのヤギだけど、もし施術師になろうというんじゃなければ、あのヤギは必要なんだろうか、それとも? Mw: ヤギは必要だよ、それは。たとえば、今ここに病人がいて、その人は「重荷下ろし」をしたいだけだとする。それでも、赤いヤギは不可欠だ。そう。赤いヤギこそ、あそこへ行って、それに対して語りをするものなんだから、そのヤギこそが。 Anzazi(A): もしヤギがなければ、雄鶏が2羽必要よ。 Hamamoto(H): それで、そのヤギには、ムウェレ(muwele)が腰を下ろさなければならないんでしょうか? Mw: ええ?そうだよ。そのヤギこそ、語り諭されるやつなんだよ。それと白い幼鶏。それもそこで語りかけられる。それと赤い幼鶏もそこで語りかけられる。黒い幼鶏は、ビーズ飾りのために屠られる。そうして、病人にビーズ飾りを装着させるのさ。黒い鶏はね。 (浜本注: ここでは、ムァインジ氏には私の質問の意味が伝わらなかったようだ。私は先日の「重荷下ろし」でヤギの上にムウェレが馬乗りになるのを初めて見て、びっくりしたので、それが正しい手続きなのかどうかが聞きたかったのだが、いきなり聞くのはちょっと焦りすぎ。後のムリナたちとの同じ問題でのやり取りからもわかるように、ムァインジ氏にとっては、ヤギの上に人が乗るという事態そのものが想定外のことだったため、私のいつもの意味不明な問いの一つとして受け止められてしまったみたい。というわけで私はしばらく余計な質問はしないことにした) H: 黒い鶏? Mw: そう。(ムリナに向かって)もしこの人がそのことをまだ十分にわかっていないのなら、当日、彼がここにやってくるとしたら.... Mu: ああ、いや。私が言ってることはね、私は実際にこの目で見たから、言ってるんだよ。もしかしたら自分が見逃してしまったかもしれないから、というわけじゃなくてね。 Mw: そうだろうね。

5974

Murina(Mu): とんでもない。私はたった一つの段取りすら忘れたことはない。(段取りは)全部、頭の中に入ってる。でも、私はそれ以上のことを知りたかったんだよ。病人が、(シェラの施術師になるためにというのではなく、単に)「重荷下ろし」をするというときにも、それにヤギが必要か、それとも。そこで、あちらで私は ... Mwainzi(Mw): ヤギは必要です。 Mu: ということで(私の質問の意味は)おわかり? Mw: ええ。 Mu: つまり、ヤギがそこに用意されていることは、必須だと。たとえもしヤギがないなら、鶏ならすでに手に入るとは言え、でもやはりヤギだと! Mw: ヤギなんです。それと白い雄の幼鶏、赤い雄の幼鶏、それと黒い雌の幼鶏。黒い幼鶏は、ビーズ飾りのために供犠されます。その鶏は、唱えごとをし、終わったら、あちらに投げ捨てられます。 Chari(C): ところでそれらの鶏はどこで屠られるのですか? Mw: ウリンゴのところ(chiringoni44)ですよ。 Mu: ウリンゴのところ。 Mw: そこで唱えごとをして... Mu: ウリンゴのそこで死ぬ。 Mw: そう。あなたはそこで各方角に唱えごとをする。 C: でも、鶏たちは水の中に行って死んでたわよ。

5975

Mwainzi(Mw): 違う、違う。それは(シェラ(shera10)の)「嗅ぎ出し(ku-zuza)11」のためのやつ(鶏)だよ。水場に行って屠られるのは赤い鶏だけだよ、そこでは。もし「嗅ぎ出し」をライカ(laika122)も一緒にやるのなら、白の鶏も、赤い鶏といっしょに屠られる場合もあるね。それはムズカ(muzuka53)でかもしれないけど。もしシェラそのものを「嗅ぎ出」しに行くのなら、あなたが探しに行くのは... Murina(Mu): 池(ziya)だね。 Mw: そう池のある場所、あるいは川、それも大きな川。 Mu: 睡蓮が生えているようなね。 Mw: そう、さてそこで... Mu: そこで、あなたはシェラを探さねばね。 Mw: そこで、あなたはシェラを探さないとね。さあ、さてそこに着くと、あなたは南の角で立ち止まり、そこであなたの鶏で唱えごとをする。そこでその鶏を屠って、そこに捨てる。次に北の角にもどって、もう一羽の鶏で唱えごとをし、それを屠って、そこに置く。(屠られた鶏の)脚の向き、鶏がどんな風に死ぬかをよく見ないとね(吉凶を判断するために)。さて、ヤギを持ち上げて、(ムウェレ(muwele79)の)頭上に置いて唱えごとをする。ヤギをこんな風に(ムウェレの背中をこするようにして)下に降ろし、そこに置いて、屠る。さて... Mu: 先日(のGbwaduでの「重荷下ろし」)では、ヤギの上にムウェレが座らされたんだよ。 Chari(C): 先日はあの人たち、私を殺したのよ。 Hamamoto(H): そう。ヤギは(ムウェレに)上に座られたんですよ。(浜本注: やっと先の私の質問に戻ることができたよ!)

5976

Chari(C): ねえ、あなた(浜本注:親しみを込めて文字通りには「私の妹」と呼びかけている)、あのヤギはね、私自身が血がワーッと流れるのを感じたわ。だってあのヤギは私の家のヤギだったんだもの。(赤いヤギ(茶色のヤギ)が「重荷下ろし」に必要だということで、所望されたので、別のヤギと)交換(で提供)したヤギなんだけど、唱えごとをしていなかったの(浜本注: 実はそのヤギはチャリの持霊である憑依霊ドゥルマ人のために飼い置かれていたヤギだった)。その私のヤギが屠られたのよ。ヤギは脇腹を人に座られたのよ。そのお腹がここからはみ出して、ピクピクして。もうしたたかに押し座られたのよ。 Mwainzi(Mw): その病人に? Hamamoto(H): うむ。 C: その病人によ。 Anzazi(A): 上に乗られたのね。 C: そうなのよ。あなた(妹よ)、上に乗られて、ヤギは苦しそうにビクビク。で施術師は延々と唱えごとよ。でヤギは上に座られたままで、屠られる。私はズーッって感じた(血の気が引いた)。お腹がギーッと押しつぶされて、脇腹のこちらとこちらからはみ出して。 H: そして血が水の中に注がれたんです。 Mw: 血が水に注がれた。薬液(mavuo65)のなかにですか? Murina(Mu): 水はバケツの中にはいってました。(血が注がれた)水は(患者に)浴びせかけられました。 C: そのヤギで、私は悲しかった。私自身が死にそうになった。 Mw: こちら(のやり方)では奴隷(施術師のこと)は、御椀(vibakuli pl.)に灰と灯油を入れて、ヤギで火を消すんですよ。(その御椀の灯油に)火を点けてね、こんな風に立っているところに当てて、火がジュワジュワって、ああ! Mu: (先日の施術師は)その手続は怠ってましたね。

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Mwainzi(Mw): まあ、それぞれの施術師ごとに... Murina(Mu): 病人が(ヤギの上に)上らされる。 Mw: ええ。 Anzazi(A): 水そのもの(瓶などに詰めて荷物として運んできた)、例の水も、ウリンゴのところ(chiringoni44)で浴びせられるの? Mw: 水は、そこ、ウリンゴのところで浴びせられます。 Mu: そう、水を浴びせられなければ... Mw: そう、水を浴びせられなければ、だって、水を浴びせられなければ。 Chari(C): 水は御椀に入れて搗き臼の周りを回る。 Mu: 水はすべて浴びせられる。 Mw: 全部浴びせられますよ、瓶(に入った水)も浴びせられます、ワーッて。こちらでは人(施術師)が唱えごと。そしてココナツの実(核(nazi))が持ってこられて、唱えごと、ゲッ(ココナツの核が割られる音)、ワーッ(中の水が撒かれる様)。キャッサバが持ってこられて、人が唱えごと。 C: そのココナツの実(nazi)だけど、そのココナツの実。ココナツの実すべて、未成熟のココナツ(madafu)、8個だったっけ、はウリンゴのところには行きませんでしたよ(先日の「重荷下ろし」では)。それらは。 Hamamoto(H): ええ、それらは搗き臼のところで割られました。 Mw: そもそもココナツの実(核)は2つだけだし。 C: それらのココナツの実は屋敷で叩き割られましたが。 Mw: 屋敷で叩き割られただって? C: ええ、さらに御椀も全部、その搗き臼の周りを回っただけだった。

5978

Hamamoto(H): ココナツの実全部、それにパパイヤの実も... Mwainzi: それにパパイヤの実も? H: はい。 Chari: 御椀も搗き臼の周りを回ったわ。おまけにその水も、人に掛けてもらったんじゃない。(ムウェレ)本人が自分で運んで、自分で浴びたのよ。本人が運んで、自分自身に掛けたのよ。 Mw: そうさせられたんですか? C: そんな風にさせられたのよ。腰をかがめて、自分でとって、自分自身で掛けたのよ。さらに、そうしろと言われて、あちらでも御椀8個とお鍋(スフリア(sufuria87))8個、自分で取って、自分で浴びて。 Mw: 御椀すべて、お鍋すべて終了するまで。 C: そう。その次に、突然搗き臼を頭の上に載せられて、それを投げ捨てさせられた。 Murina(Mu): 最初は杵だよ。ああ、違った。まず搗き臼を搗くところから始めた。搗かせられ、私が見ていると... C: 彼女は搗いたりしなかったわよ。 Mw: 搗かなかった? Mu: でも、私はドゥガ、ドゥガ(杵で搗き臼を搗いている様)が見えたし、彼女が首をこんな風に振っているのも見えた。 C: ええ、こちらで女性が臼を搗き、あちらでも、真ん中でも、それぞれ臼を搗いていたわ。そしてこっちの方で彼女が自分で水をかぶっていた。あちらでは女性たちが搗いている。ンブ、ンブ、ンブってね。 Mw: 3人? C: 3人よ。そして4つ目の臼は... Mu: でも、おまえ。あの、(重荷を)肩から掛ける場面で、彼女が杵を持たされているのを見たんだけど。 H: うーむ。

5979

Chari(C): いえ、いえ。あの杵はね、臼を搗くときに一緒に搗いたのよ。それを搗いていた女性といっしょに握ったのよ。 Murina(Mu): だって、私は彼女の頭がこんな風に(動いているのを)見たんだから。 C: ええ、杵は、搗いていた人が使っていたの。その後で杵を持ち上げて、彼女の頭の上に置いて、彼女はそれを投げ捨てに行くのよ。 Hamamoto(H): そうだっけ? C: 次に戻って臼を頭のうえに載せられて、さあ。それを投げ捨てに。さて、あちらでも搗いて、杵を頭に載せられて、投げ捨てに行く、戻って今度は臼を頭に載せられて、行くよう命じられる。すべての臼が終わるまで。 H: すべては屋敷内でです。 Anzazi(A): 屋敷内で? C: 屋敷内で。 Mwainzi(Mw): 屋敷内で? H: そう、屋敷内で。 Mw: 池のそばのウリンゴ(karingoni44)ではやらなかったのかい? C: ああ、その後で、ウリンゴのところへ行かなくっちゃよ。 Mw: おお、そうか。そこで頭の上にのせたんだね。 C: そうよ。さてその後で、(ムウェレの)頭に石をつめた編み籠の重荷を載せられて。あちらのウリンゴのところまでね。 (浜本注: ムリナさんとチャリさん、ちょっと記憶に齟齬があるみたいですが、正確には私がフィールドノートに克明に記録しているとおりです。えっへん。だからなんだって感じですが。)

5980

Mwainzi(Mw): そこでウリンゴでのヤギの死ですね。 Chari(C): そうよ。 Anzazi(A): (ムウェレが)その上に座ったのね。 C: ええ、その上に座ったのよ。 Mw: ウリンゴでは、搗き臼での搗き作業はなかったんですね? C: 搗き作業どころか、薪もなかったんですよ。薪の束を採りにもいかないの。私が見たのは水浴びせだけよ。 Mw: 水! A: そこで(ムウェレは)水をぶっかけられたのね。 Mw: そうか。 C: さて、重荷はウリンゴを行き過ぎたところまで行って、そこで投げ捨てられて、その後でウリンゴに戻って座らされるのよ。 Mw: でも、まずウリンゴのところを通り過ぎるんですね。 C: そこには人が埋葬されているとか言って。 Hamamoto(H): さて、彼女はウリンゴに座らされるのですが、そのウリンゴが、まるで跳ね罠のようで、最後に一本、一本跳ねさせて、その後で彼女にまたクツォザ(kutsodza9)が施されるんですよ。 Mw: じゃあ、そこで鏡を使ってクツォザされるんですね。 C: まず最初に、すでにクツォザされてるのよ。

5981

Mwainzi(Mw): ところで、クツォザされて、それから水を掛けられるんですか? Chari(C): 最初にクツォザされるのよ。まだカヤンバが打たれる前に。 Mw: ええ? C: そうなのよ。 Mw: 彼女がしっかり防御される(achifinywa138)ように... Hamamoto(H): そしてウリンゴのところで、もう一度クツォザで締めくくられるんです。 C: 締めくくりで、もう一度クツォザされるのよ。 Murina(Mu): 私は言ったんだよ。あいつ、あいつは薬の(wa muhaso139)シェラにあの御婦人をつかまえさせ(shakasha140)ようとしていると。

C: そう。あの鏡ときたら、...イィィ(浜本注: 嫌悪などを表す表現)! 施術師はこっちに立ってるじゃない。で彼女は杵をもって搗き臼の上に立ってるの。それで鏡をこんな風にね、彼女が見えなくなるくらい、ンガッ、ンガッ、ンガッ(鏡の反射がギラギラしている様を表す擬音語)。ンガッとされたところ(皮膚の、鏡に反射する太陽の光があたった場所)がクツォザされるのよ。ンガッとされたところが、クツォザ。 Mu: 太陽の光を罠に掛けていたんだね。しっかり、上々に、太陽の状態をつかまえたってこと。太陽全体が鏡の中に完全に落とされたんだ。 Mw: 太陽が鏡の中に落としこまれた! Mu: そう、こんなふうにしたら、燃やすこともできるぞ。小屋だって一発で燃える。(浜本注: いや、いや、いや...) C: そこでは、彼は角(つの)をもって、それで罠に掛けていたよ。これくらい大きい角そのもの。まさにそれに捕らえていたんだね。赤と白と黒の端布がついていた。 Mw: 彼の施術が、妖術使いによって邪魔されないように! Mu: 用心しないと(k'anga ni dzuphi!141)!

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Chari(C): そもそもあの男、人々にシェラの罠をかけているのよ(浜本注: 薬(妖術)で人々にシェラをとり憑かせている)。 Mwainzi: 彼が? C: そうなのよ。 Murina(Mu): 用心しないと(k'anga ni dzuphi)。 Mw: そうなんだ。 Mu: そうとも。私を見たそいつは、自分の技を仕掛けても、くたびれもうけになる。私はただ、そいつが何をするのか見に行ったんだけど。 Mw: それだけ? Mu: それだけ。 Mw: さて、そこで、あなた方が先に話してた大きな角(つの)なんだね。罠を仕掛ける日に、彼は自分のムバレ(mbareze142)を地面に打ち込んだんだ。 C: そうなんだってば。あの人、自分の施術が(妖術によって)妨害されると思ったんだね。 Mu: 「なあ、なんで私があんたを(妖術で)妨害しなくちゃならないんだよ。あんたを妨害して、それが何になるっていうんだ?仕事は一つなのに。あんたの仕事を妨害したら、私は自分の仕事を妨害したことになるじゃないか。」 Mw: そうだね。 C: ところで、シェラっていうのは、お父さん。あなたのシェラは、あなたを狂わせる(kpwayusa143)もので、普通、自分でもわかるわね。 Mw: そうだとも。

5983

Chari(C): さて、そいつが重荷を下ろすあなたのシェラ。でもあなたはあなたのシェラを人に罠を掛けてとり憑かせることはできません。でも、お金で買える薬のシェラ(wa muhaso139)もいます。私には施術上の子供がいて、彼女を外に出しました144。彼女を憑依霊ドゥルマ人とムルングで外に出しました。でも先日会ったら、すでにシェラの施術師になってたの。彼女のシェラは罠に掛けるシェラなのよ。 Mwainzi(Mw): 罠に掛けるシェラ。 C: そうお金で買うシェラなの。 Mw: そうだとも。お金で買うやつ。 Murina(Mu): 聞くところじゃ、彼女のもつシェラ、そいつは罠に掛けるシェラだってさ。 Mw: そのとおり。 Mu: 聞くところじゃ、彼女のは、完全に彼女自身のもの。それはフュラモヨ(fyulamoyo145)の妖術だよ。 Mw: フュラモヨ! C: そんなわけで、そのシェラに捕らえられたら、こんな風になるのよ(身体を掻きむしる動作)。 Mu: そいつのシェラはフュラモヨそのものだよ。ある人が私にその施術を与えてくれる気まんまんだったんだけど、私は欲しくないって言ったんだ。私にろくでもないものをくれようとしていたんだよ。 Mw: 私は、ここに行ったんだけど、病人で...(浜本注: 言葉の途中で遮られたため、何を言おうとしていたのかは不明) Mu: そいつが言ったことには、「もしあんたが、ここのシェラで、ご婦人たち全員を泣かせたいなら、私はあんたに草木を教えてあげるよ。行って、水場の水にそれを仕掛けたらいい。」 Anzazi(A): もう、それは罪じゃないの、それは! Mw: そう、それは罪だよ、それは。

5984

Murina(Mu): (そいつが言うことには)「お前が水場に罠を掛けさえすれば、(女たちは)すぐに一人残らずさ。お前はそこに行って彼女ら全員を扇いでやることになるよ。」 Mwainzi(Mw): なんと! Chari(C): お前の儲けのために扇げ。でも癒やしのために扇ぐなって? Mu: 私は欲しくないって言った。占いで、私がやったってバレちゃうじゃないか。 Mw: その通り。 Mu: そうなると私は癒し手じゃないことになっちゃう。 Mw: そう、お前は癒やし手じゃなくなるよ、あんた。お前は言われる。「あなた方が水を汲む場所に、そう、誰それさんがモノを注ぎ込んだよ、そこに。」ってね。さあ、お前はもう癒し手ではなくなる。 C: あんたは袋叩きにあうよ。健康じゃいられない。 Mw: そう。あなたは言われる。「このあたりの人々は大変な目に遭った。そいつは金のためだけさ。」お前が罠を掛けにいって、もしかしたら、お前自身は、占いで捕らえられないかもしれない。別の人が捕らえられてしまう。一方、お前は、さらに別の場所に罠を掛けに行く。あああ! Mu: お前は言う。このあたり全部だぜって。 C: さて、お前はお前の仲間に(治療をさせて)お金をうけとらせる。 Mw: はい。 C: で、お前自身はお前が罠を仕掛けた場所から、とっくにいなくなってる。 (浜本注: なぜか、ここで悪人目線で悪巧みを練ってみる彼ら!) Mu: 躓かない、躓かないかっていうと、お前躓いちゃうよ。躓かないかっていうと、躓くよ。躓くやつ、躓けばよい。 Mw: (捕まって)「ああ、私じゃないですよ。私は、私は治療するだけです!」

5985

Murina(Mu): おれはお前を号泣させるさ。 Mwainzi(Mw): 以上! Mu: 以上!心は不安で満ちて、号泣のみ。 Mw: ところで、思ったんだけど、シェラと、このフュラモヨ(fyulamoyo145)とは実際とっても近いよね。あなた、ご存知ですか... Chari(C): だって、お父さん146、あなたお父さん... Mw: ご存知ですか、憑依霊は癇癪もち(vitunusi)... C: ねえ、お父さん、ご存知でしょ。昔からシェラは買うこともできたとでも!昔からシェラがいたとでも! Mw: 私の聞くところによると、昔からの憑依霊は、はじめはムルング(mulungu)だけだったと。それに憑依霊アラブ人(mwarabu)。 C: プンガヘワ(pungahewa147)。 Mw: それとプンガヘワ。 Mu: こいつシェラは、あとから出てきた。 Mw: そう、このシェラ本人ね。このイキリク(ichiliku19)は別の憑依霊。最近になって別れたんじゃなかったっけ。 C: そうじゃないわ。 Mu: シェラがイキリクだよ。 Mw: シェラがイキリクなんだね。 Mu: イキリクなんだ。 Mw: なるほど!

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Murina(Mu): (シェラ)はイキリク。あいつレロ・ニ・レロ(rero ni rero148)もイキリク。 Mwainzi(Mw): そいつ。つまり増やされてきただけなんだね。 Mu: 悪知恵さ。憑依霊を分け増やして、お金を稼ごうっていう話だね。 Anzazi(A): (レロ・ニ・レロの歌、口ずさむ)。「年寄り女、彼女のお金は夜を越さない、今日限りのお金。彼女の施術は、別の日に延ばせない(字義通りには他の日時を指定できない)」こんなの嘘よね。 Mw: ああ、今日び、(その施術にかかる費用は)高額だよ。2000シリングだよ。 Mu: それじゃあ、とても扇げないね(簡単にンゴマは開催できないね)。 C: (ンゴマを開催する人が用意する)食費は、あなた方の金額と同じ。 Mu: とても扇げないね。でもあちら下の方だと。 Mw: ほう。(料金は)また低くなったの? C: (チャリの娘)タブが嫁いだ下の方の話よ。 Mw: ああ、そうですか。 C: ああ、でもほとんど同じ屋敷と言ってもいいくらい。遠くはないの。 Mu: ああ、でもあそこじゃ、仕事はできないね。あいつらケチだもの。 Mw: そこでは! C: でも考えても見て。小麦粉4袋のところ、小麦粉は5袋、砂糖4キロ半、そのうえに何、キンボ(ショートニング)、そのキンボも瓶(1本350cc)6本分のプラスティック容器にいっぱい。 Mw: なんてこと!

考察・コメント

重荷下ろしについての概説でも指摘したように、比較的近年(と言っても1960年前後と思われる)に出現したとされるシェラについての施術は、施術師ごとの違いが比較的顕著な施術である。しかし、ここで紹介したものは、そのなかでも、かなり型破りな「重荷下ろし」だった。

重荷を下ろした後の屋敷への帰還、その後の展開は、他の「重荷下ろし」とほとんど違いはなく、サラッと流された感じだった。

しかし「重荷下ろし」に出発する前の、あれこれの作業は舞台装置もかなり細かい設定が凝らされていたし、鏡に太陽光を反射させて、ムウェレに当たった部分をクツォザ(kutsodza9)するとか、いったい何の演出かと思うほどだった。搗き臼を4つも同時に使用するとか、凝りすぎやり過ぎな感も。このあたりに凝ることで「家事嫌いで病気がちな奥さんを働き者の奥さんに変えることができるのか」、まあ普通に考えると無理だと思うが、そういう身も蓋もないことを言うと、「それを言っちゃあおしまいよ」と言われそうで、ここでこそっと言うだけにしておきたい。

後日、施術師ムァインジ・アンザジ夫妻の家でのチャリたちの論評は、かなり辛口だった。でも親しい施術師たちが会うと、話は施術についての意見・情報交換やディスカッション。専門家同士の深い話はいつ聞いても面白いな。

注釈


1 メソモ(mesomo)。一夫多妻婚において、生みの母以外の父の妻のことを、子供はメソモ(mesomo)と呼ぶ。
2 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo3)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
3 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」「重荷」。
4 ムブジ(mbuzi)。「ヤギ」。 ndenge 雄山羊、ndila 去勢山羊、goma ra mbuzi 仔を産んだ雌山羊、mvarika 出産前の牝山羊
5 ンジャマ(njama)とは内緒の話し合いのこと。Kapilaoは今日の「重荷下ろし」で用いる赤いヤギが手に入らなかったため、ムリナにチャリたちが飼っている赤いヤギを提供してほしいと相談していたらしい。Kapilaoの連れていた別のヤギとの交換で、チャリたちの赤ヤギが差し出されることになった。
6 ムガンガ(muganga pl. aganga)。癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga7であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
7 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
8 フング(fungu)。施術師に払う料金
9 ク・ツォザ・ツォガ(ku-tsodza tsoga)。妖術の治療などにおいて皮膚に剃刀で切り傷をつけ(ku-tsodza)、そこに薬(muhaso)を塗り込む行為。ツォガ(tsoga)は薬を塗り込まれた傷。憑依霊は、とりわけイスラム系の憑依霊は、自分の憑いている者がこうして黒い薬を塗り込まれることを嫌う。したがって施術には前もって憑依霊の同意を取って行う必要がある。
10 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)11、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす2)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku19)、おしゃべり女(chibarabando20)、重荷の女(muchet'u wa mizigo21)、気狂い女(muchet'u wa k'oma22)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma23)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo25、長い髪女(mwadiwa26)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba27)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
11 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri12)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ13を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
12 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza11と呼ばれる手続きもある。
13 ンガタ(ngata)。護符14の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
14 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata13)、パンデ(pande15)、ピング(pingu16)、ヒリジ(hirizi17)、ヒンジマ(hinzima18)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
15 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符14。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
16 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符14の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
17 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima18)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
18 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi17)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
19 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera10)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
20 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera10の別名の一つ
21 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ10の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
22 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ10の別名ともいう。
23 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera10)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo24))の別名ともされる。
24 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
25 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ10の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo24)の女性であるともいう。
26 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
27 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
28 ク・ヘガ(ku-hega)。「罠にかける、罠でとらえる、罠を仕掛ける」。妖術の最も一般的な方法は薬(muhaso29)を用いて、犠牲者を罠にかけるというやり方である。ちなみにテープレコーダで(今日ならvoice recorderだろうか)録音することはドゥルマ語ではク・ヘガ・サウティ(ku-hega sauti)「声を罠でとらえる」である。
29 ムハソ(muhaso, pl. mihaso)。「薬」。ムハソ(muhaso)という言葉は、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)や憑依霊の治療(uganga wa nyama)において用いられる生の草木(muhi, pl.mihi)、あるいは煎じて飲まれる草木なども含む広い概念であるが、単にムハソというと、ムレヤ(mureya, pl. mireya)あるいはムグラレ(mugurare, pl.migurare)と呼ばれる、さまざまな材料を黒い炭になるまで炒めて粉にした形態のものが、含意されている。こちらには妖術で邪悪な意図で用いられるものが多数あり、そのため、単になんらかの不幸や病気がムハソによるものだと言うことで、それが妖術によるものだと言うのと同義に解釈される。
30 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性31)、カシディ(kasidi 女性32)、ディゴゼー(digozee 男性老人33)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
31 憑依霊ドゥルマ人(muduruma30)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
32 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma30)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
33 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo34)マンダーノ(mandano35)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
34 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
35 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
36 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma)から派生したマルミ(marumi37)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
37 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri36)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
38 ダフ(dafu, pl.madafu)。「ココヤシの若い実」ダフは、核のなかに甘い(少し生臭い)液体が溜まっている。「ダフの水」madzi ga dafuと呼ばれる。
39 イヴ(ivu, riri-)。「灰」。
40 ミシジ(misizi)。「煤」
41 ンブー(mbuu, pl.mbuu)。「オーカー ochre」赤色の彩色に用いる酸化鉄を含んだ赤い粘土。水を少量加えて擦り、赤い模様を描くのに用いる。黒は炭で、白は灰、トウモロコシ粉などを用いる。
42 ク・ドナ(ku-dona)。「斑点模様をつける」「斑点をいれる」を意味する動詞。
43 グーシェ(gushe)。織りの荒い薄い黒布。憑依霊ペンバ人などの「布」
44 ウリンゴ(uringo, pl.maringo)。木や木の枝を組んで作られる台。治療で用いられるものは、概ねムコネ(mukone45)の木で作られる。小さいものについては指小辞をつけてカウリンゴ(kauringo)、カリンゴ(karingo)、キリンゴ(chiringo)などとも語られる。憑依霊の文脈ではシェラ10に対する「重荷下ろしkuphula mizigo2」のカヤンバにおいて、池あるいは水場近くに設置されたウリンゴに患者を座らせて施術が行われる。またニューニ(nyuni46)に捕らえられた乳幼児の治療でもウリンゴが用いられる。
45 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:255-256)
46 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu47」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
47 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ46)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola48)の対象となる。
48 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini49」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa5051と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume58)、カドゥメ(kadume67)、マウィヤ人(Mawiya68)、ドゥングマレ(dungumale71)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga72)、トゥヌシ(tunusi73)、ツォビャ(tsovya75)、ゴジャマ(gojama70)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu47」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」46)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
49 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola48)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
50 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa51)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola48)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち54)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba57)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu47)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni46)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini49)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
51 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」52など)を行うことなどを意味する。
52 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ53などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
53 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ52」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
54 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo55)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
55 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso56)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine54)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
56 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
57 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume58)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani59)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
58 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola48)もありうる。
59 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」60による鍋(nyungu62)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe66)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu16)。
60 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術7においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba61)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande15)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu62)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
61 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
62 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza63、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
63 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya64)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu62)とセットで設置される。
64 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo65)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza63)と呼ばれるが)。
65 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
66 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
67 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
68 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde69)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama70)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
69 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
70 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola48)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
71 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola48の対象になる)51。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
72 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
73 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine54)の一種という説と、ニューニ(nyuni46)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ74らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola48)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
74 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
75 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ46の一種に加える人もいる。鋭い爪をもった憑依霊(nyama wa mak'ombe)。除霊(kukokomola48)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa51」。see p'ep'o mulume58, kadume67
76 ムハラ(muhala, pl.mihala)。小屋の前庭、ドゥルマの伝統的な小屋には戸口が一つあり、その前の広いスペースが前庭である。とりわけ屋敷の長の小屋の前の庭は、公共的空間であり、客人の応接や、屋敷の人びとの共食はここで行われる。小屋の中はそれに対してより私秘的空間とされる。
77 キヌ(chinu)。「搗き臼」。憑依の文脈では、laikaやsheraのための薬液(vuo)を入れる容器として用いられる。そのときはそれは「キザ(chiza)」「池(ziya)」などと呼ばれる。
78 ムツィ(mutsi, pl. mitsi)。杵。長さ1.5mほど直径10cmほどの棒で、搗き臼(chinu77)とペアで用いられる。
79 ムウェレ(muwele)。その特定のンゴマがその人のために開催される「患者」、その日のンゴマの言わば「主人公」のこと。彼/彼女を演奏者の輪の中心に座らせて、徹夜で演奏が繰り広げられる。主宰する癒し手(治療師、施術師 muganga)は、彼/彼女の治療上の父や母(baba/mayo wa chiganga)80であることが普通であるが、癒し手自身がムエレ(muwele)である場合、彼/彼女の治療上の子供(mwana wa chiganga)である癒し手が主宰する形をとることもある。
80 憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の子供(mwana wa chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。この4シリングはムコバ(mukoba27)に入れられ、施術師は患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者は、その癒やし手の「ムコバに入った」と言われる。こうした弟子は、男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi,pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。これらの言葉を男女を問わず用いる人も多い。癒やし手(施術師)は、彼らの治療上の父(男性施術師の場合)81や母(女性施術師の場合)82ということになる。弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。治療上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。治療上の子供は癒やし手に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る」という。
81 ババ(baba)は「父」。ババ・ワ・キガンガ(baba wa chiganga)は「治療上の(施術上の)父」という意味になる。所有格をともなう場合、例えば「彼の治療上の父」はabaye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」80を参照されたい。
82 マヨ(mayo)は「母」。マヨ・ワ・キガンガ(mayo wa chiganga)は「治療上の(施術上の)母」という意味になる。所有格を伴う場合、例えば「彼の治療上の母」はameye wa chiganga などになる。「施術上の」関係とは、特定の癒やし手によって治療されたことがきっかけで成立する疑似親族関係。詳しくは「施術上の関係」80を参照されたい。
83 sheraがトラブル・困難をもたらさないように。動詞ク・ユガ(ku-yuga84)より。その三人称単数subjunctive
84 ク・ユガ(ku-yuga)。「困らせる、邪魔をする、困難を感じさせる」などを意味する動詞。
85 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
86 ムレヤ(mureya)。黒い粉末の薬。草木や、さまざまなものを煎って炭にして粉状にしたもの。黒い薬(muhaso wiru)、煎った薬(muhaso wa kukalanga)、ムグラレ(mugurare)などとも呼ばれる。
87 スフリア(sufuria)。ケニアで一般家庭で用いられているアルミ製の、取っ手のない鍋。
88 キバクリ(chibakuli, pl. vibakuli)。椀、大きめの椀。ボウル。
89 パユ(payu, pl.mapayu)。パパイヤの実。
90 ジウェ(dziwe, pl. mawe)。「石」
91 クスカ(ku-suka)は、マットを編む、瓢箪に入れた牛乳をバターを抽出するために前後に振る、などの反復的な動作を指す動詞。ンゴマの文脈では、カヤンバを静かに左右にゆすってジャラジャラ音を出すリズムを指す。憑依霊を「呼ぶ kpwiha」リズム。
92 ク・ツァンガーニャ(ku-tsanganya)。カヤンバの演奏速度(リズム)は基本的に3つ(さらにいくつかの変則リズムがある)。「ゆする(ku-suka)」はカヤンバを立ててゆっくり上下ひっくりかえすもので、憑依霊を「呼ぶ(kpwiha)」歌のリズム。その次にやや速い「混ぜ合わせる(ku-tsanganya)」(8分の6拍子)のリズムで患者を憑依(kugolomokpwa)にいざない、憑依の徴候が見えると「たたきつける(ku-bit'a)」の高速リズムに移る。
93 クビタ(ku-bit'a)。「投げ倒す、叩きつける」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、カヤンバ演奏のリズムで最も速いリズム。憑依の兆候を見せた患者を、本格的な憑依状態に導く。同じ歌詞の繰り返しになるが、演奏者たちは躍起になって患者を憑依状態にしようとする。
94 ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)。動詞ク・ゴロモクヮ(ku-golomokpwa)は、憑依霊が表に出てきて、人が憑依霊として行為すること、またその状態になることを意味する。受動形のみで用いるが、ku-gondomola(人を怒らせてしまうなど、人の表に出ない感情を、表にださせる行為をさす動詞)との関係も考えられる。憑依状態になるというが、その形はさまざま、体を揺らすだけとか、曲に合わせて踊るだけというものから、激しく転倒したり号泣したり、怒り出したりといった感情の激発をともなうもの、憑依霊になりきって施術師や周りの観客と会話をする者など。憑依の状態に入ること(あること)は、他にクカラ・テレ(ku-kala tele)「一杯になっている、酔っている」(その女性は満たされている(酔っている) muchetu yuyu u tele といった形で用いる)や、ク・ヴィナ(ku-vina)「踊る」(ンゴマやカヤンバのコンテクストで)や、ク・チェムカ(ku-chemuka)「煮え立っている」、ク・ディディムカ(ku-didimuka95)--これは憑依の初期の身体が小刻みに震える状態を特に指す--などの動詞でも語られる。
95 ク・ディディムカ(ku-didimuka)は、急激に起こる運動の初期動作(例えば鳥などがなにかに驚いて一斉に散らばる、木が一斉に芽吹く、憑依の初期の兆し)を意味する動詞。
96 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
97 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
98 ムホ(muho, pl. myuho)。「川」。1989年以降の調査の小屋があった「ジャコウネコの池」地区では最寄りの川は、土地の人々がキラジニ川(Chirazini)と呼んでいたペンバ川である。塩分を少し含んでいて灌漑には使えない。飲水は溜池(mutsara)だったが、クワレとキナンゴを結ぶ街道にそってキナンゴ病院に水を送る水道管が走っていたので、街道に近い人々は、本管にそって点在する蛇口で飲用の水道水を購入できた。ただ朝夕30分程度しか水は出なかったが。
99 ムァナ・ワ・キガンガ(mwana wa chiganga)。憑依霊の癒し手(治療師、施術師 muganga)は、誰でも「治療上の(施術上の)子供(mwana wa chiganga, pl. ana a chiganga)」と呼ばれる弟子をもっている。もし憑依霊の病いになり、ある癒し手の治療を受け、それによって全快すれば、患者はその癒し手に4シリングを払い、その癒やし手の治療上の子供になる。男性の場合はムァナマジ(mwanamadzi, pl.anamadzi)、女性の場合はムテジ(muteji, pl.ateji)とも呼ばれる。男女を問わずムァナマジ、ムテジと語る人もかなりいる。これら弟子たちは治療上の親であるその癒やし手の仕事を助ける。もし癒し手が新しい患者を得ると、弟子たちも治療に参加する。薬液(vuo)や鍋(nyungu)の材料になる種々の草木を集めたり、薬液を用意する手伝いをしたり、鍋の設置についていくこともある。その癒し手が主宰するンゴマ(カヤンバ)に、歌い手として参加したり、その他の手助けをする。その癒し手のためのンゴマ(カヤンバ)が開かれる際には、薪を提供したり、お金を出し合って、そこで供されるチャパティやマハムリ(一種のドーナツ100)を作るための小麦粉を買ったりする。もし弟子自身が病気になると、その特定の癒し手以外の癒し手に治療を依頼することはない。
100 ハムリ(hamuri, pl. mahamuri)。(ス)hamriより。一種のドーナツ、揚げパン。アンダジ(andazi, pl. maandazi)に同じ。
101 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。
102 キロンゴジ(chilongozi, pl.vilongozi)。浮草の一種。Water Lettuce= pistia stratiotes
103 クク(k'uk'u)。「鶏」一般。雄鶏は jogolo(pl. majogolo)。'k'uk'u wa kundu' 赤(茶系)の鶏。'k'uk'u mweruphe' 白い鶏。'k'uk'u mwiru' 黒い鶏。'k'uk'u wa chidimu' 逆毛の鶏、'k'uk'u wa girisi' 首の部分に羽毛のない鶏、'k'uk'u wa mirimiri' 細かい混合色(黒地に白や茶の細かい斑点)、'k'uk'u wa chiphangaphanga' カタグロトビのような模様の毛色(白、黒、灰色)の鶏など。
104 ムンドゥ(mundu, pl.myundu)。「マチェーテ、山刀、大なた」
105 マジ(madzi)。「水」
106 キカブ(chikaphu)。麻あるいはエダウチヤシ(mulala)の葉で編んだ袋。編み籠。一本の持ち手(sikiro)がある。大きいものはカブ(kaphu, pl.makaphu)。
107 ク・ゴンバ(ku-gomba)。ドゥルマ語では「話す、発話する、発言する」など発話行為全般を意味する動詞。スワヒリ語では同じ言葉が、議論する、談判する、叱るなどの強い意味をもつが、ドゥルマでもそうした用法もある。とりわけprepositional formのku-gombera などの場合。
108 ムゴンバ(mugomba, pl. migomba)。バナナの木。バナナの実はイズ(izu, pl.mazu)。バナナの葉と樹皮はゴンバ(gomba pl. magomba)。ゴンバは乾燥させて嗅ぎタバコを入れる容器(chiko, pl.viko)になる。
109 ク・ブィカ(ku-phika)。「(荷物などを)人の頭に載せる、頭に載せてやる」。自分で頭に載せる場合はク・ジブィカ(ku-dziphika)。
110 ルリミ(lulimi)。「舌」を意味する名詞。ndonga(瓢箪)の栓の瓢箪内部に入っている部分もlulimi舌と呼ばれる。瓢箪子供の各部の名称については図85を見よ。
111 ク・ツィンザ(ku-tsinza)。「(ナイフで)切る」「喉を切って殺す」「屠殺する」
112 マレロ(marero pl.のみ)。ビーズ(ushanga)で作った装身具、特に施術師らが身につける装身具の総称。chisingu 頭部につけるもの、tungo(pl. matungo) 関節部につけるもの、mudimba 首から背中にかけてつけるもの、mudzele たすき掛けにつけるもの、など。
113 ムンダ(munda, pl. minda,or myunda)。「畑」
114 バンガ(Bang'a)。キナンゴからヴィグルンガーニを経てサンブルに至る道の途中の地名。プーマ・ロケーションのチーフのオフィスがあった。
115 ク・ロガ(ku-loga)。「妖術をかける」を意味する動詞。
116 ングヴ(nguvu)。「力」「体力」「強さ」などを意味する名詞。
117 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師118。内陸bara系119であると同時に海岸pwani系57であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」120)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
118 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia117)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
119 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
120 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia117)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
121 ジャンバ(jamba)。ジャンバ導師(mwalimu jamba)。ヘビの憑依霊の頭目。イスラム系。症状: 身体が冷たくなる、腹の中に水がたまる、血を吸われる、意識の変調。治療: 飲む大皿66、浴びる大皿、護符(hanzimaとpingu)、7日間の香料のみからなる鍋。
122 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi96)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka123) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri12)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi124など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo97,laika mukusi125など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe126, laika ra nyoka126, laika chifofo129など。(4) その他 laika dondo130, laika chiwete131=laika gudu132), laika mbawa133, laika tsulu134, laika makumba135=dena136など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze63)で薬液を浴びる、護符(ngata13)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza11)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
123 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
124 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni46)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
125 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
126 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira127)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka128)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
127 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
128 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
129 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
130 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi96)の別名ともいう。
131 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
132 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
133 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
134 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
135 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena136)の別名。
136 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari137)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande15)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
137 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)11」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena136が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee33)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande15には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
138 ク・フィニャ(ku-finya)。「覆う、閉ざす」を意味する動詞。「予防的対処をする」意味でも用いられる。eg. ku-finya matso「目を閉じる」, yunenda akafinywe nyongoo「彼女はニョンゴーの予防施術をしてもらいに行く」, kufinya chilume 妖術使いの攻撃に対して全身を防御するための施術 etc.ライカやシェラによって影あるいはキヴリ(chivuri12を奪われないようにする施術もク・フィニャと呼ばれ、ライカやシェラ、デナ、ニャリなどの施術師は通常の瓢箪子供の他にク・フィニャの瓢箪を所持している。
139 ワ・ムハソ(wa muhaso)。字義通りには「薬の~」であるが、この表現の最も普通のコンテクストでの含意は、「妖術に用いられる薬で作り出された(あるいは犠牲者を罠にかける)」という意味になる。憑依霊とされている存在のあるものは、妖術使いが薬によって作り出した、あるいは薬を水場などに仕掛けて、犠牲者が特定の憑依霊にとり憑かれるようにされたものだという疑いがひろくもたれている。
140 ku-shakashaという動詞はスワヒリ語にはない。「不安、疑念」を意味するshaka(pl.mashaka)の動詞化かとも考えたが、おそらくはku-shakishaの間違いではないかと思う。ku-shakisha は 「つかむ、つかまえる」を意味する動詞 ku-shikaのcausative で、to cause to hold, tu make sb. hold sth.になる。
141 K'anga ni dzuphi.ドゥルマの諺。k'angaは「ホロホロ鳥」dzuphiは「気づいていること、意識していること、気にすること」dzuphi ra hatari=危険の察知、ukale na dzuphi= be carefulなど。この諺は字義通りには「ホロホロ鳥は気づいている」だが、人々の用心を喚起する表現。「用心しろよ、要注意だぞ」みたいな。
142 ムバレ(mbare)。妖術使いが用いるとされる薬(muhaso)のひとつ。キラブォ(chirapho)と呼ばれる、条件つけを含むコマンドによる力の行使にも使用可。けっこう怖がられている。
143 ク・アユカ(kpwayuka)。「発狂する」と訳するが、憑依霊によって kpwayuka するのと、例えば服喪の規範を破る(ku-chira hanga 「服喪を追い越す」)ことによって kpwayuka するのとは、その内容に違いが認められている(後者は大声をあげまくる以外に、身体じゅうが痒くなってかきむしり続けるなどの振る舞いを特徴とする)。精神障害者を「きちがい」と不適切に呼ぶ日本語の用法があるが、その意味での「きちがい」に近い概念としてドゥルマ語では kukala na vitswa(文字通りには「複数の頭をもつ」)という言い方があるが、これとも区別されている。霊に憑依されている人を mutu wa vitswa(「きがちがった人」)とは決して言わない。憑依霊によってkpwayukaしている状態を、「満ちている kukala tele 」という言い方も普通にみられるが、これは酒で酩酊状態になっているという表現でもある(素面の状態を matso mafu 「固い目」というが、これも憑依霊と酒酔いのいずれでも用いる表現である)。もちろん憑依霊で満ちている状態と、単なる酒酔い状態とは区別されている。霊でkpwayukaした人の経験を聞くと、身体じゅうがヘビに這い回られているように感じる、頭の中が言葉でいっぱいになって叫びだしたくなる、じっとしていられなくなる、突然走り出してブッシュに駆け込み、時には数日帰ってこない。これら自体は、通常の vitswaにも見られるが、例えば憑依霊でkpwayukaした場合は、ブッシュに駆け込んで行方不明になっても憑依霊の草木を折り採って戻って来るといった違いがある。実際にはある人が示しているこうした行動をはっきりと憑依霊のせいかどうか区別するのは難しいが、憑依霊でkpwayukaした人であれば、やがては施術師の問いかけに憑依霊として応答するようになることで判別できる。「憑依霊を見る(kulola nyama)」のカヤンバなどで判断されることになる。
144 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
145 フュラモヨ(fyulamoyo)。妖術の一種。ザイコ(zaiko)と呼ばれる薬によって掛けられる妖術。さまざまな症状を示す。特徴的な身体症状の一つが全身が痒くなって掻きむしること。しかし深刻なのはさまざまな「心理的」症状。自分が居る場所が適切でないような気がして、どこかに行ってしまいたいような気がするなど。学業不振、自殺、家庭内不和、離婚、新婦が逃げ出す、などはこの妖術のせいであるとされる。多くの種類がある。fyulamoyo mwenye, fyulamoyo ra p'ep'o,fyulamoyo ra dzimene, chimene chenye( mbayumbayu, mbonbg'e) etc.〔浜本, 2014:61-66を参照のこと〕
146 チャリにとってムァインジ氏はチャリをライカとシェラで「外に出し」てくれた施術上の父(baba_wa_chiganga80)にあたる。
147 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
148 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera10)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza11)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)2」、「外に出す(ku-lavya konze144)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki