(from diary Feb.1(Tue), 1994, kpwisha)
...Chari10時すぎにやって来て今日特別のugangaをするから来るようにという。夢で何度も指示されたugangaだという。しないでいるとますます病気になるので、そろそろやってしまいたいという。夢で「fyokp'a1がやってくる。それを避けるには、mukone2の木のところにchiza3を据えて子供たちを洗ってやれば良い。」そして儀礼の細かい指示を与えられたという。たまたま昨夜近所のJumaの娘Nyamvulaから、Chariが来たら連れて来て赤ん坊の治療をしてほしいと頼まれていたので、その旨伝えるとOK。午前中はその治療に同行する。 muhi7の名前と現物の同定がまだできていないので、そろそろそれをはじめようと思い、手始めにmutserere16、muvunzakondo42、mudzala komba43、mudzala doe43を私も採取する。でも覚えるのは無理そうな悪寒。...
施術師: Chari Malau 患者: Nyamvulaの息子Mumbo(乳児) Nyamvulaは病気の息子についての占いでDungumale37等の憑依霊のせいだと言われたという。施術師にはChariが選ばれた。Nyamvulaは、Chariがキナンゴに行くときなどに、私の小屋に立ち寄っていくのを知っており、早く治療を受けたかったので、私に伝言を頼みに来たという。
(フィールドノートより。(DB 7767)等の表記はフィールドノートのウェブ化に際して付加された、書き起こしデータとの紐づけのための表記。また(浜本注:...)もウェブ化に際しての注記。)
【makokoteri to vuo for a sick baby】(Chari_Malau) vuo5: mihi ya mulungu + mudzala43 etc.(浜本注: やる気ないのかと、当時の自分を叱りつけたい!) (DB 7767-7772) a good sample of complete version of her usual makokoteri51 for arumwengu osi53.
makokoteri for preparing vuo (DB 7767-7768)
Chari pours vuo over the head of the mother(Nyamvula) and yunakokotera54 (DB 7769-7772) sunduzi55, chizuka56, mudoe50, p'ep'o k'oma57 それぞれが乳児に引き起こす症状について 描写あり(DB 7770) Chariのuganga8の経歴のサマリ!(DB 7771-7772)
日本語訳各セクションの始まりの数字をクリックすると該当するドゥルマ語テキストに跳びます。 ドゥルマ語テキスト (DB 7767-7772)
薬液に対する唱えごと 7767 (スフリアの水の中で草木(葉)を揉みしだきながら唱えごと)
Chari(C): さて、私はお話します。このような時間にお話しすることはなかったでしょうに。私がお話するとすれば、私は... (Nyamvulaに向かって)その子の名前、ムンボだっけ? Nyamvula(W): ええ。 C: 私はムンボのためにお話するのです。ムンボはその父と母から産まれました。美しい息をもって産まれました。でもなんと最後に美しい息だったのはいつのことでしょう。それは母親のお腹のなかにいたときのことです。外に出てきてからというもの、たくさんの問題が続いているのです。子供は病気です。病気です。熱がある。子供は病気です。咳がある。子供は病気です。身体が冷たくなる。子供は病気です。すべての関節がだらりとしている。ときには、何の力もまったく、入らないのです。血を吸い取られ、体力がありません。抱き上げると、まるで重さがない! でも、後に私たちがに占いに参りますと、世界の住人の皆さま66のせいだと言われたのです。世界の住人とは他でもありません。あなた方のことです。あなたムルング子神よ。 今日、私はお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu67)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。 そしてあなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)。
7768 (唱えごとは続く)
Chari(C): あなたムルング子神、またの名をマレラ(marera)、あなたこそ腹のなかにいる子供を育てる(ureraye=you who nurture)お方、子供が外に出てくるよう(腹の中の)子供を育てるお方、そしてその後も同じく育て手であるお方。私はあなたにお静まりくださいと申し上げます。 皆さまどうかおだやかに。ジャビジャビ(Jabijabi90)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)の方々。サンブル(Samburu、地名93)は、ムガマーニ(Mugamani94)で争っておられる皆さま。ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私は皆さまにおだやかにと申し上げます。キンガンギーニ(Ching'ang'ini、おそらく池の名前)の皆さま、私はおだやかにと申します。キンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の皆さま、皆さまにおだやかにと申します。私は穏やかにと申します、マカンガ(Makanga98)の皆さまにおだやかにと申します。おだやかに、ゾンボ92山の方々、はては大きな木々の方々。マンゲラ(Mangera99)の池の皆さま、さらにはキツァンゼ(Chitsanze100)の池の皆さま、私はお静まりくださいと申し上げます。私は皆さまにお静まりくださいと申し上げます。そしてこの「お静まりください(pore)」という(慰撫の)言葉には耳を傾けるものです。砦を解きほどき、それがつつがなくありますように。 私は皆さまにおだやかにと申し上げます。皆さまにおだやかにと申し上げます。皆さま、私の兄弟の皆さま、全員。どうか私がお話することに耳を傾けてください。私は癒し手101ではございません。私にあるのは不安、私に降り掛かった不安。私自身が私は健康にはならないだろうと言っていたほどです。そして私は、祖霊とムルングによって癒やしの術(uganga8)を授けられました。私は、行って人々を救うようにと言われたのです。今日、私は誰に調えてあげるのでしょうか。ムンボです。この者ムンボ。私は断じました。この者がこれなる薬液で洗われたなら、明後日に、私が彼に調えてやりにやって来たら、この子供が何のトラブルもないようになっておりますようにと。癒し手は否認されるものではない。癒し手はタイレと言われるもの。そして私は癒し手ではありません。癒し手はムルング。私の唾液(mahe[^mahe])がムルングによって受け入れられますように。 どうか御主人様。私たちはあなた方の足元に身を投げ出しております。争いあう二人。そこに三人目がやってくると、その者は仲裁します。今日、私は仲裁者、争いごとを鎮めます。プッ(唾液を吐き出す)。 ホーフィ(大きなため息)
Chari(C): ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ。(スワヒリ語で)平安、平安、平安、平安。プッウ(唾液を掌に吐く)。 (アラビア語?で)ビスミラーイ、レヘマーニ、ラヒーム、アブドゥビラーイ、ナ、シェトワーニ、ラジーム。アイャカナ、ブドゥ、アイャカナ、スタヒーム、マリキ、ヤミディーニ、ムサラティ、ナ、ムラディーニ、アラビーナ、ナ、ヒーム(コーランの最初の章句Al-Fatihahの途中までの耳コピか?) うう。さて私はお話いたします。このような時間にお話することもなかったでしょうに。(声がかすれたことで中断)ああ、私、まだ何も食べてないのよ。唱えごとできないわ。(唱えごと再開) お話することもなかったでしょうに。でも私がお話するとすれば、私はニャンブーラのためにお話するのです。ニャンブーラはその父と母から産まれました。産まれてきたときは、神の(神が創造した)生き物(chumbe)でした。神の(創った)人間(binadamu)でした。生まれてきた者は、自身、産むものです。ニャンブーラはその子供を産みました。ムンボです。子供は病気です。病気です。熱がある。子供は病気です。突然(何かに驚いたみたいに)ビクッとします。病気です。咳が出る。身体が冷たくなる、この子供は。ときに手を固く握りしめる、この子供は。 さて、今、私はムルングにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu67)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)に。私は皆さまにお祈りいたします。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。そしてあなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)に。
7770 (唱えごと続く)
Chari(C): 私は皆さまにお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がたに。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)、サンブル(Samburu、地名93)はムガマーニ(Mugamani94)で、争っておられる皆さま、ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私は皆さまにお静まりくださいと申します。私はお静まりくださいと申します。私はどなたとお話しているのですか?あなたがた、キンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の皆さまにお話しているのです。キンベーブォ(の池)の皆さま、キグルフュラ(chigulufyula103)の皆さまに。皆さまにおだやかにと申し上げます。私は申します。おだやかに、マレレ(marere104)の森と淵の方々。おだやかに、マカンガ(makanga98)の池の方々。私は皆さまに穏やかにと申し上げます。高い木々の方々、キツァンゼ(Chitsanze100)の池の皆さま、マンゲラ(Mangera99)の池の皆さま。おだやかに。 さて、私がお話するとすれば、私がお話するのは、あなたムァムニィカ(mwamunyika105)、あなたヴンザレレ(vunzarere106)、偉大なるヘビです。それはあなたムルング御本人です。あなたに続かれるのが、ペーポー(p'ep'o107、ここでは憑依霊アラブ人112のこと)、ご一緒にいるのが、憑依霊バラワ人(mubarawa113)、サンズア(sanzua114)、それにバルーチ人115、ムクヮビ人116、キツィンバカジ117。天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi117 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)。地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma57 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala118)、ボニ人(muboni119)、ダハロ人(mudahalo120)、コロンゴ人(mukorongo121)、あなたコロメア人(mukoromea123)。あなたドゥングマレ(dungumale37)、ジム(zimu126)、キズカ(chizuka56)、スンドゥジ(sunduzi55)、ドエ人(ムドエ(mudoe50))。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao127)。あなた奴隷(mutumwa128)、またの名をンギンドゥ人(mungindo122)。あなた方におだやかにと申し上げます。 あなたスンドゥジ、あなたこそ母乳を奪って、それを水増ししていっぱいにする方。子供が母乳を吸うと、嘔吐する。あなたのせいです。あなたキズカ、あなたこそ、子供をさらって水でふやけさせてしまう張本人。あなた方に、おだやかにと申し上げます。あなたムドエ(憑依霊ドエ人)子供が口をむしゃむしゃさせているのは、あなたのせいです。あなた方に、お静まりくださいと申し上げます。あなたペーポーコマ、地下世界のペーポーコマ、池のペーポーコマ。子供の足が冷たくなる、子供の掌が冷たくなる、子供のお尻まで冷たくなる。あなた方のせいです。あなたペーポーコマ、子供をさらって体中の関節をぼろぼろにし、子供がどの関節も力がはいらず、ぐったりしている。そして咳。あなた地下世界のペーポーコマ、あなた方にお静まりくださいと申し上げます。お静まりくださいの言葉(慰撫の言葉)には耳をお傾けください。砦(ngome157)を解きほどき、つつがなきようにしてください。
7771 (唱えごとは続く)
Chari(C): どうかおだやかに。デナ(dena154)とニャリ(nyari155)、キユガアガンガ(chiyugaaganga158)もいらっしゃいます。ルキ(luki159)とムビリキモ(mbilichimo48)、カレ(kare160)とガーシャ(gasha161)、レロニレロ(rero ni rero162)。あなたマンダーノ(mandano49)、あなたプンガヘワ(pungahewa163)子神。あなた憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo74))もいらっしゃる。ディゴ人とは、あなたムジタ・コマ(mujita k'oma84)のこと、あなたムチェツ・ワ・キディゴ(「ディゴ女」muchet'u wa chidigo)のこと。あなたムチェツ・ワ・キディゴは、あなたマヨ・ムァディワ(mayo mwadiwa86)のこと。あなたにお静まりくださいと申します。 お静まりくださいと申します、あなたライカ(laika139)、ライカ・ムェンド(laika mwendo142)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)。ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo164)、あなたムカンガガ(laika mukangaga71)、ヌフシ(laika nuhusi165)、パガオ(laika pagao166)、ムズカ(laika muzuka140)。ライカ・キフォフォ(laika chifofo147)もいます。ライカ・トブェ(laika tophe144)もいます。ライカ・トブェ(laika tophe)は、あなたライカ・ムズカ(laika muzuka140)でもあります。あなた方に、おだやかにと申し上げます。 私はあなた方に、おだやかにと申し上げます。今、子供が解きほどかれますように。私は皆さま方に薬液をお置きします。これは応急治療(hamehame167)です。クヮルカ(kpwaluka171)の日に、私は来て、皆さまにピングをお調えします。今は、私は皆さま方にお静まりくださいと申します。どうかお聞き届けください。どうかおだやかに、どうかおだやかに、わたしたちはあなた方の脚元に身を投げ出しております。もう争いはございません。争いは一昨日、昨日のことでした。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、仲裁します。今日、私は仲裁者。争いをしずめます。施術師は否定されたりしない(muganga kazumwa)、施術師は「そのとおり(taire)」と言われる(muganga wambwa taire)、そうありたいものです。 私は癒しの術(uganga)を欲しがったことはありません。癒やしの術は祖霊とムルングによってあたえられました。私はとても苦しみました。私自身が、もう自分はこのまま死んでしまうだろうと言ったほどです。私は癒しの術を、バンジュ・ワ・ムレマとメズマから授かりました。そしてもとに戻って、癒やしの術をフピ・ワ・ンゴメとマシュディ・ワ・マンガレから授け直されました。その後私は(浜本注:ディゴ人、ライカ、シェラ、デナの)癒やしの術をニャマウィとムワカから授けられました。そしてもとに戻って、私はチャイとキジによって(ディゴ人、ライカ、シェラ、デナの癒やしの術で)外に出し直されました。誰によって(その癒やしの術を)最終的に授け直してもらったのでしょう。ムァインジとアンザジによってです。
7772 (唱えごとは続く)
Chari(C): 神に感謝いたします。でも私は癒しの術を誰か人から与えられたのではありませんでした。(施術のための)瓢箪(瓢箪子供60)は与えてもらいました。でも癒やしの術そのものはムルングによって与えられたのです。だって、私は人から草木について教わったりしなかったんですもの。草木は(夢の中で)祖霊とムルングによって示してもらったんですもの。眠っているときに、私自身が、行ってしかじかの草木を折り取ってきなさいと告げられたのです。夜が明けたら、私は行ってすべての草木を折り取って来ました。フピさんの家で、バンジュさんのところで、ニャマウィさんのところで、ムァインジさんのところで、私は瓢箪(瓢箪子供)を授かりました。この方たちはいわば証人なのです。私は皆さま方に、おだやかにと申し上げます。
(from diary Feb.3(Thu), 1994, kpwaluka)
午前中Chariが来て、Jumaaの娘Nyamvulaの子供(生後5ヶ月)の治療に同行。途中で Mechombo129に会い、いっしょにugangaに向かう。Mechombo日曜日の結婚式への招待を告げに来たのだ。結婚式は...(中略)...ちょっと気が進まない。 ちょうど昼食時になったが、今日はChariがワリ172を食べない日なので、Chariを除く5人で食事をする173。...mavumba9を明日モンバサに買いにいく約束をしてしまう。
施術師: Chari Malau 患者: Nyamvulaの息子Mumbo(乳児) 2月1日にチャリの治療を依頼にやってきた「ジャコウネコの池」村のニャンブーラさんに約束していたピングを、チャリは約束通りこの日、届けにやってきた。ピング(複数)はすでにチャリが自分の家(当時チャリたちは「羊たちの場所」村の少し先の「クルクル回る」村に住んでいた)で作成済み。ただ授与するだけの施術だった。
(フィールドノートより。(DB 7767)等の表記はフィールドノートのウェブ化に際して付加された、書き起こしデータとの紐づけのための表記。また(浜本注:...)もウェブ化に際しての注記。)
【giving out pingu for the baby of Nyamvula】(Chari_Malau)(浜本注: 簡単すぎやろ。以前の一所懸命に行っていたメモ取り精神をどこにやった(怒)) (DB 7777-7781) Feb.1にvuoを処方したNyamvulaの赤ん坊Mumboにpinguを届ける(cf. DB 7767-7772) 録音
makokoteri for the finished pingu (DB 7777-7778)
makokoteri for Nyamvula (DB 7779-7781)
日本語訳各セクションの始まりの数字をクリックすると該当するドゥルマ語テキストに跳びます。 ドゥルマ語テキスト (DB 7777-7781)
完成したピングに対する唱えごと 7777
Chari(C):(唱えごと冒頭部分未録音)...私がお話するとすれば、ムンボのためにお話いたします。(ムンボは)その父と母から生まれました。生まれてきたときは、神の生き物でした。神の(創った)人間でした。なのに苦しんでいます。病気です。一昨日、私は来て応急治療(hamehame167)をいたしました。しかしながらその応急治療は、思いますに、ありがとうございます(うまく行ったと思う)。 さて、私たちは皆さまにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)に。私たちは皆さまにお祈りいたします。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。あなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)。私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi90)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)、ムガマーニ(Mugamani94)のサンブル(Samburu、地名93)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私はキンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の皆さまに、おだやかにと申します。キンガンギーニ(Ching'ang'ini、おそらく池の名前)の皆さま、おだやかに。マレレ(marere104)の森と淵の方々、おだやかに。マカンガ(makanga98)の池の方々、おだやかに。キグルフュラ(chigulufyula103)の皆さま、おだやかに。おだやかに、キツァンゼ(Chitsanze100)の池の皆さま。私は皆さまにお静まりくださいと申します。マンゲラ(Mangera99)の池の皆さまに。ゾンボ(Dzombo92)の山の皆さまに。高い木々の皆さまに。私はお静まりくださいと申します。そしてお静まりくださいの慰撫の言葉には、耳を傾けるものです。砦を解きほどき、つつがなきようにしてください。 私は誰に身に着けさせようとしているのでしょうか?私はピングをムンボに身に着けさせようとしています。私はピングをムンボに身に着けさせます。ムンボは病気です。その病気とは、身体の高熱、身体の高熱、高熱です。嘔吐することです、この子供が。そして今も、足が冷たくなる。わたしたちは、あなたペーポーコマ(p'ep'o k'oma57)が、地下世界のペーポー・コマが、そして池のペーポーコマが、いると言われています。あなたドゥングマレ(dungumale37)、ジム(zimu, pl. zimu126)、キズカ(chizuka[^zhizuka])、スンドゥジ(sunduzi55)、ムドエ(mudoe, pl.adoe)もいらっしゃいます。皆さん、全員に、あなたがたのピングを差し上げます。子供を解きほどいてください。子供が嘔吐しそうになることは、なし。あるいは子供が高熱になることも、なし。子供が嘔吐することもなし。また子供の各関節が、力なくぐったりすることも、なし。
7778 (唱えごとは続く)
Chari(C): どうかおだやかに。私は癒し手(muganga176)ではありません。癒し手はムルングです。私のすることと言えば、平安の手を置いて、小指の爪に退き、そこに座って、静かにしているだけです。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、争いを鎮めます。今日、私は争いをしずめます。争いは、今日限りで、壊れ去りますように。プツッ(唾液を掌に吐く) (唱えごと終了。同行していた施術師ムニャジを呼ぶ) C: ああ、ようこそこちらへ、匠さん。ときどきすっかり忘れてしまうの。私の分別のなさったら、ひどいもんよ。ちょっと待って、心を引き締めて、お話し(憑依霊たちに対する唱えごと)をしなくっちゃ。だって、お腹がすいて、お話しできないほどなの。 Nyamvula: あなたツァンガジミ(父の姉妹)、あいにくでした。せっかくいらっしゃったのに、砂糖が底を突いていて。 C: うう。仕方ないわね。プツッ(唾液を掌に吐いて唱えごと再開)
ニャンブーラに対する唱えごと 7779 (ニャンブーラを前に座らせ、頭に左手を置いて唱えごと再開)
Chari(C): うう。おだやかに、おだやかに世界の住人の皆さま。世界の住人の皆さま、私はお話いたします。このような時間にお話することもなかったでしょう。私はお話しますが、私がお話するのはニャンブーラのためです。ニャンブーラはその父と母から生まれました。生まれてきたときは、神の被造物たる人間でした。そして生まれてきた者は、今度は産むことになります。ニャンブーラは子供たちを産みます。さて今、私は誰を治療するのでしょう?私はニャンブーラの子供を治療します。ニャンブーラの子供とは他でもありません。ムンボです。 一昨日、私がこの子に会いに来たとき、病人でした。身体は高熱、嘔吐、口をむしゃむしゃ動かし、身体のあちこちが冷たい、それがこの子です。私は薬液(mavuo5)を調えました。私の薬液です。でも感謝いたします。今日、こうして来て、見たところ、一昨日のようではありません。でも私自身、この施術を今日この日に調えに参ろうということだったのです。今こうして、私は癒しの術を彼に施します。どなたの癒やしの術でしょうか?あなた子神ムルングの癒やしの術です。 私はお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu67)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。あなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)。私は皆さまにお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi90)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)の方々。ムガマーニ(Mugamani94)のサンブル(Samburu、地名93)で争っておられる皆さま。ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。皆さま方にお静まりくださいと申し上げます。マカンガ(Makanga98)の方々、私はおだやかにと申します。おだやかに、マレレ(marere104)の森と淵の方々。おだやかに、キンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の方々。皆さまどうかお静まりください。
7780 (唱えごと続く)
Chari(C): 私は皆さま方におだやかにと申します。キンガンギーニ(Ching'ang'ini)の皆さま全員。おだやかにと申します。キツァンゼ(Chitsanze100)の池の方々。おだやかにと申します。マンゲラ(Mangera99)の池の方々。おだやかにと申します。ゾンボ92山の方々。私は皆さまにお静まりくださいと申します、わたしの兄弟姉妹たちよ。私の慰撫の言葉(pore177)が、つつがなさの言葉でありますように。 私は癒し手ではありません。癒し手はムルングです。私のすることはと言うと、平安の手を置いて、小指の爪に退くのです、私の兄弟たちよ。そこに行って腰を下ろし、静かにしています。 私たちに、神の被造物をしっかりと養なわせてください。この子供を育ててください、あなた子神ムルングよ。私がお話するとすれば、あなたムルングにお話するのです。あなたこそ、砦の主です。もしかしたら、お客人たちがおられるのかもしれません。猛々しい方たちなのでしょうか?でも椅子の主は、あなたです。今、砦は壊されています。あなたご自身が見ておられます。 子神ムルング、あなたに続かれるのが、ペーポー(p'ep'o107)、サンズア(sanzua114)、バルーチ人115、ムクヮビ人116、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi117 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma57 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。ご一緒におられるのは、あなたガラ人(mugala118)、ボニ人(muboni119)、ダハロ人(mudahalo120)。あなたコロンゴ人(mukorongo121)、あなたコロメア人(mukoromea123)、ジム(zimu126)とキズカ(chizuka56)、スンドゥジ(sunduzi55)、ムドエ(ドエ人(mudoe50))。あなたムドエ、またの名をムリマンガオ(murimangao127)。あなた奴隷(mutumwa128)、またの名をンギンドゥ人(mungindo122)。おだやかに、おだやかに、そこにいらっしゃるあなたデナ(dena154)とニャリ(nyari155)、キユガアガンガ(chiyuga aganga158)、ルキ(luki159)、ムビリキモ(mbilichimo48)、カリ(kari160)とガシャ(gasha161)、レロニレロ(rero ni rero162)、あなたマンダーノ(mandano49)、あなた子神プンガヘワ(mwana pungahewa163)。 お静まりくださいと申します。そこにおられる、あなたムジタ・コマ(mujita k'oma84)。ムジタ・コマは、あなたムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo85)。そこにおられる、あなたムァディワ(mwadiwa86)、シェラの大女(jichet'u wa shera178)、心をホウキで掃く者、頭をホウキで掃き、腹をホウキで掃き、脚をホウキで掃く。私はあなたにお静まりくださいと申します。
お静まりくださいと申します。そこにいらっしゃるあなたライカ(laika139)。ライカ・ムェンド(laika mwendo142)、風とともに動くライカ、キブェンゴ(chibwengo164)、ムカンガガ(mukangaga179)、ヌフシ(laika nuhusi165)、パガオ(laika pagao166)。ライカ・マジャロ(laika majaro180)もいます。おだやかにと申します。ライカ・キフォフォ(laika chifofo147)もいます。あなたライカ・ヌフシ(laika nuhusi165)のことです。おだやかにと申します。あなたライカ・ムズカ(laika muzuka140)、おしずまりください。御主人様がた、私たちはあなた方の脚元に身を投げ出しております。ライカ・トーブェ(laika tophe144)、お静まりくださいと申します。 しかし、私がやって来て皆さま方にお静まりくださいと申し、こんなふうに、多くの言葉を申し上げました。私はこれらのピングをお置きいたします。ドゥングマレの皆さん(madungumale37)の、キズカ(chizuka56)の、スンドゥジ(sunduzi55)の、ムドエ(mudoe50)のピングです。子供が高熱をだしたり、突然ビクッとしたりすることは、なしです。子供が足が冷たくなることも、なしです。子供が口をむしゃむしゃさせることも、なしです。 御主人様方、あなた地下世界のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu57)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)、子供が嘔吐することは、なしです。おだやかにと申します。あなたキズカ。子供が嘔吐することは、なしです、すべての皆さま方。母乳は粉のようであれ。私は母乳のためにたくさんの椅子(chihi181)をお置きします。あなたスンドゥジ、あなたこそ母乳を水増しして、水のようにしてしまう張本人です。今日、私は皆さま方に、御主人様方と申します。争いはございません。今はただおだやかに。この「おだやかに(hai183)の言葉をもって、私は断言いたします。子供が、その母ともども、治るようにと、どうか御主人様方。 (人々に向かって) C: ああ、疲れたわ。
スンドゥジたち、昔からいるとされる一群の憑依霊が治療の対象である。カヤンバやンゴマなどの徹夜で踊り明かす憑依霊関連の「治療」のメインイベントでは、あまり登場しない憑依霊たちではあるが、乳幼児の病気に責任があるとされることが多いことから、このページで見られるような治療の機会はたいへん多い。たいへん多いので、飽きて、ついつい「ああ、ドゥングマレとかですか、じゃあ、今日はちょっと遠慮させていただきます」みたいな感じになってしまっていた。占いでの語られ方、薬液処方の唱えごと、護符差し出しの唱えごとなど、まとめて見ると、それぞれの憑依霊が、患者の特定の症状に責任があるものとして語り分けられていることがよくわかる。