ニャンブーラの息子に対する治療

目次

  1. 薬液を処方する

    1. 概要

    2. 薬液に対する唱えごと

    1. 薬液を作成中の唱えごと

    2. 子供の母親(Nyamvula)に対する唱えごと

  2. ピングを授ける

    1. 概要

    2. ピングの差し出しにおける唱えごと

    1. 完成したピングに対する唱えごと

    2. ニャンブーラに対する唱えごと

  3. 考察・コメント

  4. 注釈

薬液を処方する

概要

(from diary Feb.1(Tue), 1994, kpwisha)

...Chari10時すぎにやって来て今日特別のugangaをするから来るようにという。夢で何度も指示されたugangaだという。しないでいるとますます病気になるので、そろそろやってしまいたいという。夢で「fyokp'a1がやってくる。それを避けるには、mukone2の木のところにchiza3を据えて子供たちを洗ってやれば良い。」そして儀礼の細かい指示を与えられたという。たまたま昨夜近所のJumaの娘Nyamvulaから、Chariが来たら連れて来て赤ん坊の治療をしてほしいと頼まれていたので、その旨伝えるとOK。午前中はその治療に同行する。 muhi7の名前と現物の同定がまだできていないので、そろそろそれをはじめようと思い、手始めにmutserere16、muvunzakondo42、mudzala komba43、mudzala doe43を私も採取する。でも覚えるのは無理そうな悪寒。...

施術師: Chari Malau 患者: Nyamvulaの息子Mumbo(乳児) Nyamvulaは病気の息子についての占いでDungumale37等の憑依霊のせいだと言われたという。施術師にはChariが選ばれた。Nyamvulaは、Chariがキナンゴに行くときなどに、私の小屋に立ち寄っていくのを知っており、早く治療を受けたかったので、私に伝言を頼みに来たという。

(フィールドノートより。(DB 7767)等の表記はフィールドノートのウェブ化に際して付加された、書き起こしデータとの紐づけのための表記。また(浜本注:...)もウェブ化に際しての注記。)

【makokoteri to vuo for a sick baby】(Chari_Malau) vuo5: mihi ya mulungu + mudzala43 etc.(浜本注: やる気ないのかと、当時の自分を叱りつけたい!) (DB 7767-7772) a good sample of complete version of her usual makokoteri51 for arumwengu osi53.

  1. makokoteri for preparing vuo (DB 7767-7768)

  2. Chari pours vuo over the head of the mother(Nyamvula) and yunakokotera54 (DB 7769-7772) sunduzi55, chizuka56, mudoe50, p'ep'o k'oma57 それぞれが乳児に引き起こす症状について 描写あり(DB 7770) Chariのuganga8の経歴のサマリ!(DB 7771-7772)

薬液(vuo)のための唱えごと(日本語訳)

日本語訳各セクションの始まりの数字をクリックすると該当するドゥルマ語テキストに跳びます。 ドゥルマ語テキスト (DB 7767-7772)

  1. 薬液に対する唱えごと 7767 (スフリアの水の中で草木(葉)を揉みしだきながら唱えごと)

Chari(C): さて、私はお話します。このような時間にお話しすることはなかったでしょうに。私がお話するとすれば、私は... (Nyamvulaに向かって)その子の名前、ムンボだっけ? Nyamvula(W): ええ。 C: 私はムンボのためにお話するのです。ムンボはその父と母から産まれました。美しい息をもって産まれました。でもなんと最後に美しい息だったのはいつのことでしょう。それは母親のお腹のなかにいたときのことです。外に出てきてからというもの、たくさんの問題が続いているのです。子供は病気です。病気です。熱がある。子供は病気です。咳がある。子供は病気です。身体が冷たくなる。子供は病気です。すべての関節がだらりとしている。ときには、何の力もまったく、入らないのです。血を吸い取られ、体力がありません。抱き上げると、まるで重さがない! でも、後に私たちがに占いに参りますと、世界の住人の皆さま66のせいだと言われたのです。世界の住人とは他でもありません。あなた方のことです。あなたムルング子神よ。 今日、私はお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu67)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。 そしてあなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)。

7768 (唱えごとは続く)

Chari(C): あなたムルング子神、またの名をマレラ(marera)、あなたこそ腹のなかにいる子供を育てる(ureraye=you who nurture)お方、子供が外に出てくるよう(腹の中の)子供を育てるお方、そしてその後も同じく育て手であるお方。私はあなたにお静まりくださいと申し上げます。 皆さまどうかおだやかに。ジャビジャビ(Jabijabi90)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)の方々。サンブル(Samburu、地名93)は、ムガマーニ(Mugamani94)で争っておられる皆さま。ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私は皆さまにおだやかにと申し上げます。キンガンギーニ(Ching'ang'ini、おそらく池の名前)の皆さま、私はおだやかにと申します。キンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の皆さま、皆さまにおだやかにと申します。私は穏やかにと申します、マカンガ(Makanga98)の皆さまにおだやかにと申します。おだやかに、ゾンボ92山の方々、はては大きな木々の方々。マンゲラ(Mangera99)の池の皆さま、さらにはキツァンゼ(Chitsanze100)の池の皆さま、私はお静まりくださいと申し上げます。私は皆さまにお静まりくださいと申し上げます。そしてこの「お静まりください(pore)」という(慰撫の)言葉には耳を傾けるものです。砦を解きほどき、それがつつがなくありますように。 私は皆さまにおだやかにと申し上げます。皆さまにおだやかにと申し上げます。皆さま、私の兄弟の皆さま、全員。どうか私がお話することに耳を傾けてください。私は癒し手101ではございません。私にあるのは不安、私に降り掛かった不安。私自身が私は健康にはならないだろうと言っていたほどです。そして私は、祖霊とムルングによって癒やしの術(uganga8)を授けられました。私は、行って人々を救うようにと言われたのです。今日、私は誰に調えてあげるのでしょうか。ムンボです。この者ムンボ。私は断じました。この者がこれなる薬液で洗われたなら、明後日に、私が彼に調えてやりにやって来たら、この子供が何のトラブルもないようになっておりますようにと。癒し手は否認されるものではない。癒し手はタイレと言われるもの。そして私は癒し手ではありません。癒し手はムルング。私の唾液(mahe[^mahe])がムルングによって受け入れられますように。 どうか御主人様。私たちはあなた方の足元に身を投げ出しております。争いあう二人。そこに三人目がやってくると、その者は仲裁します。今日、私は仲裁者、争いごとを鎮めます。プッ(唾液を吐き出す)。 ホーフィ(大きなため息)

  1. 子供の母親(Nyamvula)に対する唱えごと 7769 (ニャンブーラに薬液を与える) (チャリは薬液を手ですくって長声102とともにニャンブーラの頭に6回ふり注ぐ)

Chari(C): ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ、ヒリリリリリ。(スワヒリ語で)平安、平安、平安、平安。プッウ(唾液を掌に吐く)。 (アラビア語?で)ビスミラーイ、レヘマーニ、ラヒーム、アブドゥビラーイ、ナ、シェトワーニ、ラジーム。アイャカナ、ブドゥ、アイャカナ、スタヒーム、マリキ、ヤミディーニ、ムサラティ、ナ、ムラディーニ、アラビーナ、ナ、ヒーム(コーランの最初の章句Al-Fatihahの途中までの耳コピか?) うう。さて私はお話いたします。このような時間にお話することもなかったでしょうに。(声がかすれたことで中断)ああ、私、まだ何も食べてないのよ。唱えごとできないわ。(唱えごと再開) お話することもなかったでしょうに。でも私がお話するとすれば、私はニャンブーラのためにお話するのです。ニャンブーラはその父と母から産まれました。産まれてきたときは、神の(神が創造した)生き物(chumbe)でした。神の(創った)人間(binadamu)でした。生まれてきた者は、自身、産むものです。ニャンブーラはその子供を産みました。ムンボです。子供は病気です。病気です。熱がある。子供は病気です。突然(何かに驚いたみたいに)ビクッとします。病気です。咳が出る。身体が冷たくなる、この子供は。ときに手を固く握りしめる、この子供は。 さて、今、私はムルングにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu67)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)に。私は皆さまにお祈りいたします。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。そしてあなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)に。

7770 (唱えごと続く)

Chari(C): 私は皆さまにお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi)の池の方がたに。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)、サンブル(Samburu、地名93)はムガマーニ(Mugamani94)で、争っておられる皆さま、ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私は皆さまにお静まりくださいと申します。私はお静まりくださいと申します。私はどなたとお話しているのですか?あなたがた、キンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の皆さまにお話しているのです。キンベーブォ(の池)の皆さま、キグルフュラ(chigulufyula103)の皆さまに。皆さまにおだやかにと申し上げます。私は申します。おだやかに、マレレ(marere104)の森と淵の方々。おだやかに、マカンガ(makanga98)の池の方々。私は皆さまに穏やかにと申し上げます。高い木々の方々、キツァンゼ(Chitsanze100)の池の皆さま、マンゲラ(Mangera99)の池の皆さま。おだやかに。 さて、私がお話するとすれば、私がお話するのは、あなたムァムニィカ(mwamunyika105)、あなたヴンザレレ(vunzarere106)、偉大なるヘビです。それはあなたムルング御本人です。あなたに続かれるのが、ペーポー(p'ep'o107、ここでは憑依霊アラブ人112のこと)、ご一緒にいるのが、憑依霊バラワ人(mubarawa113)、サンズア(sanzua114)、それにバルーチ人115、ムクヮビ人116、キツィンバカジ117。天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi117 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)。地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma57 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。あなたガラ人(mugala118)、ボニ人(muboni119)、ダハロ人(mudahalo120)、コロンゴ人(mukorongo121)、あなたコロメア人(mukoromea123)。あなたドゥングマレ(dungumale37)、ジム(zimu126)、キズカ(chizuka56)、スンドゥジ(sunduzi55)、ドエ人(ムドエ(mudoe50))。あなたドエ人、またの名をムリマンガオ(murimangao127)。あなた奴隷(mutumwa128)、またの名をンギンドゥ人(mungindo122)。あなた方におだやかにと申し上げます。 あなたスンドゥジ、あなたこそ母乳を奪って、それを水増ししていっぱいにする方。子供が母乳を吸うと、嘔吐する。あなたのせいです。あなたキズカ、あなたこそ、子供をさらって水でふやけさせてしまう張本人。あなた方に、おだやかにと申し上げます。あなたムドエ(憑依霊ドエ人)子供が口をむしゃむしゃさせているのは、あなたのせいです。あなた方に、お静まりくださいと申し上げます。あなたペーポーコマ、地下世界のペーポーコマ、池のペーポーコマ。子供の足が冷たくなる、子供の掌が冷たくなる、子供のお尻まで冷たくなる。あなた方のせいです。あなたペーポーコマ、子供をさらって体中の関節をぼろぼろにし、子供がどの関節も力がはいらず、ぐったりしている。そして咳。あなた地下世界のペーポーコマ、あなた方にお静まりくださいと申し上げます。お静まりくださいの言葉(慰撫の言葉)には耳をお傾けください。砦(ngome157)を解きほどき、つつがなきようにしてください。

7771 (唱えごとは続く)

Chari(C): どうかおだやかに。デナ(dena154)とニャリ(nyari155)、キユガアガンガ(chiyugaaganga158)もいらっしゃいます。ルキ(luki159)とムビリキモ(mbilichimo48)、カレ(kare160)とガーシャ(gasha161)、レロニレロ(rero ni rero162)。あなたマンダーノ(mandano49)、あなたプンガヘワ(pungahewa163)子神。あなた憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo74))もいらっしゃる。ディゴ人とは、あなたムジタ・コマ(mujita k'oma84)のこと、あなたムチェツ・ワ・キディゴ(「ディゴ女」muchet'u wa chidigo)のこと。あなたムチェツ・ワ・キディゴは、あなたマヨ・ムァディワ(mayo mwadiwa86)のこと。あなたにお静まりくださいと申します。 お静まりくださいと申します、あなたライカ(laika139)、ライカ・ムェンド(laika mwendo142)、風とともに進むライカ(laika mwenda na upepo)。ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo164)、あなたムカンガガ(laika mukangaga71)、ヌフシ(laika nuhusi165)、パガオ(laika pagao166)、ムズカ(laika muzuka140)。ライカ・キフォフォ(laika chifofo147)もいます。ライカ・トブェ(laika tophe144)もいます。ライカ・トブェ(laika tophe)は、あなたライカ・ムズカ(laika muzuka140)でもあります。あなた方に、おだやかにと申し上げます。 私はあなた方に、おだやかにと申し上げます。今、子供が解きほどかれますように。私は皆さま方に薬液をお置きします。これは応急治療(hamehame167)です。クヮルカ(kpwaluka171)の日に、私は来て、皆さまにピングをお調えします。今は、私は皆さま方にお静まりくださいと申します。どうかお聞き届けください。どうかおだやかに、どうかおだやかに、わたしたちはあなた方の脚元に身を投げ出しております。もう争いはございません。争いは一昨日、昨日のことでした。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、仲裁します。今日、私は仲裁者。争いをしずめます。施術師は否定されたりしない(muganga kazumwa)、施術師は「そのとおり(taire)」と言われる(muganga wambwa taire)、そうありたいものです。 私は癒しの術(uganga)を欲しがったことはありません。癒やしの術は祖霊とムルングによってあたえられました。私はとても苦しみました。私自身が、もう自分はこのまま死んでしまうだろうと言ったほどです。私は癒しの術を、バンジュ・ワ・ムレマとメズマから授かりました。そしてもとに戻って、癒やしの術をフピ・ワ・ンゴメとマシュディ・ワ・マンガレから授け直されました。その後私は(浜本注:ディゴ人、ライカ、シェラ、デナの)癒やしの術をニャマウィとムワカから授けられました。そしてもとに戻って、私はチャイとキジによって(ディゴ人、ライカ、シェラ、デナの癒やしの術で)外に出し直されました。誰によって(その癒やしの術を)最終的に授け直してもらったのでしょう。ムァインジとアンザジによってです。

7772 (唱えごとは続く)

Chari(C): 神に感謝いたします。でも私は癒しの術を誰か人から与えられたのではありませんでした。(施術のための)瓢箪(瓢箪子供60)は与えてもらいました。でも癒やしの術そのものはムルングによって与えられたのです。だって、私は人から草木について教わったりしなかったんですもの。草木は(夢の中で)祖霊とムルングによって示してもらったんですもの。眠っているときに、私自身が、行ってしかじかの草木を折り取ってきなさいと告げられたのです。夜が明けたら、私は行ってすべての草木を折り取って来ました。フピさんの家で、バンジュさんのところで、ニャマウィさんのところで、ムァインジさんのところで、私は瓢箪(瓢箪子供)を授かりました。この方たちはいわば証人なのです。私は皆さま方に、おだやかにと申し上げます。

ピング(護符)を授ける

概要

(from diary Feb.3(Thu), 1994, kpwaluka)

午前中Chariが来て、Jumaaの娘Nyamvulaの子供(生後5ヶ月)の治療に同行。途中で Mechombo129に会い、いっしょにugangaに向かう。Mechombo日曜日の結婚式への招待を告げに来たのだ。結婚式は...(中略)...ちょっと気が進まない。 ちょうど昼食時になったが、今日はChariがワリ172を食べない日なので、Chariを除く5人で食事をする173。...mavumba9を明日モンバサに買いにいく約束をしてしまう。

施術師: Chari Malau 患者: Nyamvulaの息子Mumbo(乳児) 2月1日にチャリの治療を依頼にやってきた「ジャコウネコの池」村のニャンブーラさんに約束していたピングを、チャリは約束通りこの日、届けにやってきた。ピング(複数)はすでにチャリが自分の家(当時チャリたちは「羊たちの場所」村の少し先の「クルクル回る」村に住んでいた)で作成済み。ただ授与するだけの施術だった。

(フィールドノートより。(DB 7767)等の表記はフィールドノートのウェブ化に際して付加された、書き起こしデータとの紐づけのための表記。また(浜本注:...)もウェブ化に際しての注記。)

【giving out pingu for the baby of Nyamvula】(Chari_Malau)(浜本注: 簡単すぎやろ。以前の一所懸命に行っていたメモ取り精神をどこにやった(怒)) (DB 7777-7781) Feb.1にvuoを処方したNyamvulaの赤ん坊Mumboにpinguを届ける(cf. DB 7767-7772) 録音

  1. makokoteri for the finished pingu (DB 7777-7778)

  2. makokoteri for Nyamvula (DB 7779-7781)

ピング13の差し出しにおける唱えごと(日本語訳)

日本語訳各セクションの始まりの数字をクリックすると該当するドゥルマ語テキストに跳びます。 ドゥルマ語テキスト (DB 7777-7781)

  1. 完成したピングに対する唱えごと 7777

Chari(C):(唱えごと冒頭部分未録音)...私がお話するとすれば、ムンボのためにお話いたします。(ムンボは)その父と母から生まれました。生まれてきたときは、神の生き物でした。神の(創った)人間でした。なのに苦しんでいます。病気です。一昨日、私は来て応急治療(hamehame167)をいたしました。しかしながらその応急治療は、思いますに、ありがとうございます(うまく行ったと思う)。 さて、私たちは皆さまにお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)に。私たちは皆さまにお祈りいたします。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに。あなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)。私はお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi90)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)、ムガマーニ(Mugamani94)のサンブル(Samburu、地名93)で争っておられる皆さま、ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。 私はキンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の皆さまに、おだやかにと申します。キンガンギーニ(Ching'ang'ini、おそらく池の名前)の皆さま、おだやかに。マレレ(marere104)の森と淵の方々、おだやかに。マカンガ(makanga98)の池の方々、おだやかに。キグルフュラ(chigulufyula103)の皆さま、おだやかに。おだやかに、キツァンゼ(Chitsanze100)の池の皆さま。私は皆さまにお静まりくださいと申します。マンゲラ(Mangera99)の池の皆さまに。ゾンボ(Dzombo92)の山の皆さまに。高い木々の皆さまに。私はお静まりくださいと申します。そしてお静まりくださいの慰撫の言葉には、耳を傾けるものです。砦を解きほどき、つつがなきようにしてください。 私は誰に身に着けさせようとしているのでしょうか?私はピングをムンボに身に着けさせようとしています。私はピングをムンボに身に着けさせます。ムンボは病気です。その病気とは、身体の高熱、身体の高熱、高熱です。嘔吐することです、この子供が。そして今も、足が冷たくなる。わたしたちは、あなたペーポーコマ(p'ep'o k'oma57)が、地下世界のペーポー・コマが、そして池のペーポーコマが、いると言われています。あなたドゥングマレ(dungumale37)、ジム(zimu, pl. zimu126)、キズカ(chizuka[^zhizuka])、スンドゥジ(sunduzi55)、ムドエ(mudoe, pl.adoe)もいらっしゃいます。皆さん、全員に、あなたがたのピングを差し上げます。子供を解きほどいてください。子供が嘔吐しそうになることは、なし。あるいは子供が高熱になることも、なし。子供が嘔吐することもなし。また子供の各関節が、力なくぐったりすることも、なし。

7778 (唱えごとは続く)

Chari(C): どうかおだやかに。私は癒し手(muganga176)ではありません。癒し手はムルングです。私のすることと言えば、平安の手を置いて、小指の爪に退き、そこに座って、静かにしているだけです。争い合うものは二人、三人目がやって来ると、争いを鎮めます。今日、私は争いをしずめます。争いは、今日限りで、壊れ去りますように。プツッ(唾液を掌に吐く) (唱えごと終了。同行していた施術師ムニャジを呼ぶ) C: ああ、ようこそこちらへ、匠さん。ときどきすっかり忘れてしまうの。私の分別のなさったら、ひどいもんよ。ちょっと待って、心を引き締めて、お話し(憑依霊たちに対する唱えごと)をしなくっちゃ。だって、お腹がすいて、お話しできないほどなの。 Nyamvula: あなたツァンガジミ(父の姉妹)、あいにくでした。せっかくいらっしゃったのに、砂糖が底を突いていて。 C: うう。仕方ないわね。プツッ(唾液を掌に吐いて唱えごと再開)

  1. ニャンブーラに対する唱えごと 7779 (ニャンブーラを前に座らせ、頭に左手を置いて唱えごと再開)

Chari(C): うう。おだやかに、おだやかに世界の住人の皆さま。世界の住人の皆さま、私はお話いたします。このような時間にお話することもなかったでしょう。私はお話しますが、私がお話するのはニャンブーラのためです。ニャンブーラはその父と母から生まれました。生まれてきたときは、神の被造物たる人間でした。そして生まれてきた者は、今度は産むことになります。ニャンブーラは子供たちを産みます。さて今、私は誰を治療するのでしょう?私はニャンブーラの子供を治療します。ニャンブーラの子供とは他でもありません。ムンボです。 一昨日、私がこの子に会いに来たとき、病人でした。身体は高熱、嘔吐、口をむしゃむしゃ動かし、身体のあちこちが冷たい、それがこの子です。私は薬液(mavuo5)を調えました。私の薬液です。でも感謝いたします。今日、こうして来て、見たところ、一昨日のようではありません。でも私自身、この施術を今日この日に調えに参ろうということだったのです。今こうして、私は癒しの術を彼に施します。どなたの癒やしの術でしょうか?あなた子神ムルングの癒やしの術です。 私はお祈りいたします。北の皆さま(a kpwa vuri)に、南(a kpwa mwaka)の皆さまに、東(mulairo wa dzuwa)の皆さまに、西(mutserero wa dzuwa)の皆さまに。ブグブグ(bugubugu67)の方々、ニェンゼの小池の方々(achina kaziya ka Nyenze)。子神ドゥガ(mwanaduga68)、子神トロ(mwanatoro69)、子神マユンゲ(mwanamayunge70)、子神ムカンガガ(mwanamukangaga71)、キンビカヤ(chimbikaya72)、あなたがた池を蹂躙する皆さまに、お祈りいたします。あなた子神ムルング・マレラ(mwanamulungu marera73)、そして子神サンバラ人(mwana musambala88)とともにおられる子神ムルングジ(mwanamulungu mulunguzi89)。私は皆さまにお祈りいたします。ジャビジャビ(Jabijabi90)の池の方がた。ングラとングラ(ngura na ngura91)、お母さんの場所ゾンボ(Dzombo92)の方々。ムガマーニ(Mugamani94)のサンブル(Samburu、地名93)で争っておられる皆さま。ンディマ(ndima95)を見ようと、皆さまが家に帰ると、なんとポングェのカヤ(kaya Pongbwe96)が壊されている。それは皆さまがた(憑依霊の皆さま)のせいだというのです。皆さまどうかおだやかに。皆さま方にお静まりくださいと申し上げます。マカンガ(Makanga98)の方々、私はおだやかにと申します。おだやかに、マレレ(marere104)の森と淵の方々。おだやかに、キンベーブォ(Chimbepho97)(の池)の方々。皆さまどうかお静まりください。

7780 (唱えごと続く)

Chari(C): 私は皆さま方におだやかにと申します。キンガンギーニ(Ching'ang'ini)の皆さま全員。おだやかにと申します。キツァンゼ(Chitsanze100)の池の方々。おだやかにと申します。マンゲラ(Mangera99)の池の方々。おだやかにと申します。ゾンボ92山の方々。私は皆さまにお静まりくださいと申します、わたしの兄弟姉妹たちよ。私の慰撫の言葉(pore177)が、つつがなさの言葉でありますように。 私は癒し手ではありません。癒し手はムルングです。私のすることはと言うと、平安の手を置いて、小指の爪に退くのです、私の兄弟たちよ。そこに行って腰を下ろし、静かにしています。 私たちに、神の被造物をしっかりと養なわせてください。この子供を育ててください、あなた子神ムルングよ。私がお話するとすれば、あなたムルングにお話するのです。あなたこそ、砦の主です。もしかしたら、お客人たちがおられるのかもしれません。猛々しい方たちなのでしょうか?でも椅子の主は、あなたです。今、砦は壊されています。あなたご自身が見ておられます。 子神ムルング、あなたに続かれるのが、ペーポー(p'ep'o107)、サンズア(sanzua114)、バルーチ人115、ムクヮビ人116、天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi117 cha mbinguni)、池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)、地下のペーポーコマ(p'ep'o k'oma57 wa kuzimu)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)。ご一緒におられるのは、あなたガラ人(mugala118)、ボニ人(muboni119)、ダハロ人(mudahalo120)。あなたコロンゴ人(mukorongo121)、あなたコロメア人(mukoromea123)、ジム(zimu126)とキズカ(chizuka56)、スンドゥジ(sunduzi55)、ムドエ(ドエ人(mudoe50))。あなたムドエ、またの名をムリマンガオ(murimangao127)。あなた奴隷(mutumwa128)、またの名をンギンドゥ人(mungindo122)。おだやかに、おだやかに、そこにいらっしゃるあなたデナ(dena154)とニャリ(nyari155)、キユガアガンガ(chiyuga aganga158)、ルキ(luki159)、ムビリキモ(mbilichimo48)、カリ(kari160)とガシャ(gasha161)、レロニレロ(rero ni rero162)、あなたマンダーノ(mandano49)、あなた子神プンガヘワ(mwana pungahewa163)。 お静まりくださいと申します。そこにおられる、あなたムジタ・コマ(mujita k'oma84)。ムジタ・コマは、あなたムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo85)。そこにおられる、あなたムァディワ(mwadiwa86)、シェラの大女(jichet'u wa shera178)、心をホウキで掃く者、頭をホウキで掃き、腹をホウキで掃き、脚をホウキで掃く。私はあなたにお静まりくださいと申します。

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お静まりくださいと申します。そこにいらっしゃるあなたライカ(laika139)。ライカ・ムェンド(laika mwendo142)、風とともに動くライカ、キブェンゴ(chibwengo164)、ムカンガガ(mukangaga179)、ヌフシ(laika nuhusi165)、パガオ(laika pagao166)。ライカ・マジャロ(laika majaro180)もいます。おだやかにと申します。ライカ・キフォフォ(laika chifofo147)もいます。あなたライカ・ヌフシ(laika nuhusi165)のことです。おだやかにと申します。あなたライカ・ムズカ(laika muzuka140)、おしずまりください。御主人様がた、私たちはあなた方の脚元に身を投げ出しております。ライカ・トーブェ(laika tophe144)、お静まりくださいと申します。 しかし、私がやって来て皆さま方にお静まりくださいと申し、こんなふうに、多くの言葉を申し上げました。私はこれらのピングをお置きいたします。ドゥングマレの皆さん(madungumale37)の、キズカ(chizuka56)の、スンドゥジ(sunduzi55)の、ムドエ(mudoe50)のピングです。子供が高熱をだしたり、突然ビクッとしたりすることは、なしです。子供が足が冷たくなることも、なしです。子供が口をむしゃむしゃさせることも、なしです。 御主人様方、あなた地下世界のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu57)、池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)、子供が嘔吐することは、なしです。おだやかにと申します。あなたキズカ。子供が嘔吐することは、なしです、すべての皆さま方。母乳は粉のようであれ。私は母乳のためにたくさんの椅子(chihi181)をお置きします。あなたスンドゥジ、あなたこそ母乳を水増しして、水のようにしてしまう張本人です。今日、私は皆さま方に、御主人様方と申します。争いはございません。今はただおだやかに。この「おだやかに(hai183)の言葉をもって、私は断言いたします。子供が、その母ともども、治るようにと、どうか御主人様方。 (人々に向かって) C: ああ、疲れたわ。

考察・コメント

スンドゥジたち、昔からいるとされる一群の憑依霊が治療の対象である。カヤンバやンゴマなどの徹夜で踊り明かす憑依霊関連の「治療」のメインイベントでは、あまり登場しない憑依霊たちではあるが、乳幼児の病気に責任があるとされることが多いことから、このページで見られるような治療の機会はたいへん多い。たいへん多いので、飽きて、ついつい「ああ、ドゥングマレとかですか、じゃあ、今日はちょっと遠慮させていただきます」みたいな感じになってしまっていた。占いでの語られ方、薬液処方の唱えごと、護符差し出しの唱えごとなど、まとめて見ると、それぞれの憑依霊が、患者の特定の症状に責任があるものとして語り分けられていることがよくわかる。

注釈


1 フィヨクァ(fyokpwa)。「下痢」。ク・フョカ(ku-fyoka)は「下痢をする」を意味する動詞。fyokpwa ya mukpwikpwi 気ばって出す下痢(これ、下痢なのか?)、と fyokpwa ya fyarafyara 水のような下痢がある。
2 ムコネ(mukone, pl.mikone)。冷やしの施術に欠かせない「冷たい草木(muhi wa peho)」。実は食用になる。Grewia plagiophylla(Pakia&Cooke2003:394,Maundu&Tengnas2005:255-256)
3 キザ(chiza)。憑依霊のための草木(muhi主に葉)を細かくちぎり、水の中で揉みしだいたもの(vuo=薬液)を容器に入れたもの。患者はそれをすすったり浴びたりする。憑依霊による病気の治療の一環。室内に置くものは小屋のキザ(chiza cha nyumbani)、屋外に置くものは外のキザ(chiza cha konze)と呼ばれる。容器としては取っ手のないアルミの鍋(sfuria)が用いられることも多いが、外のキザには搗き臼(chinu)が用いられることが普通である。屋外に置かれたものは「池」(ziya4)とも呼ばれる。しばしば鍋治療(nyungu6)とセットで設置される。
4 ジヤ(ziya, pl.maziya)。「池、湖」。川(muho)、洞窟(pangani)とともに、ライカ(laika)、キツィンバカジ(chitsimbakazi),シェラ(shera)などの憑依霊の棲み処とされている。またこれらの憑依霊に対する薬液(vuo5)が入った搗き臼(chinu)や料理鍋(sufuria)もジヤと呼ばれることがある(より一般的にはキザ(chiza3)と呼ばれるが)。
5 ヴオ(vuo, pl. mavuo)。「薬液」、さまざまな草木の葉を水の中で揉みしだいた液体。すすったり、phungo(葉のついた小枝の束)を浸して雫を患者にふりかけたり、それで患者を洗ったり、患者がそれをすくって浴びたり、といった形で用いる。
6 ニュング(nyungu)。nyunguとは土器製の壺のような形をした鍋で、かつては煮炊きに用いられていた。このnyunguに草木(mihi)その他を詰め、火にかけて沸騰させ、この鍋を脚の間において座り、すっぽり大きな布で頭から覆い、鍋の蒸気を浴びる(kudzifukiza; kochwa)。それが終わると、キザchiza3、あるいはziya(池)のなかの薬液(vuo)を浴びる(koga)。憑依霊治療の一環の一種のサウナ的蒸気浴び治療であるが、患者に対してなされる治療というよりも、患者に憑いている霊に対して提供されるサービスだという側面が強い。https://www.mihamamoto.com/research/mijikenda/durumatxt/pot-treatment.htmlを参照のこと
7 ムヒ(muhi、複数形は mihi)。植物一般を指す言葉だが、憑依霊の文脈では、治療に用いる草木を指す。憑依霊の治療においては霊ごとに異なる草木の組み合わせがあるが、大きく分けてイスラム系の憑依霊に対する「海岸部の草木」(mihi ya pwani(pl.)/ muhi wa pwani(sing.))、内陸部の憑依霊に対する「内陸部の草木」(mihi ya bara(pl.)/muhi wa bara(sing.))に大別される。冷やしの施術や、妖術の施術8においても固有の草木が用いられる。muhiはさまざまな形で用いられる。搗き砕いて香料(mavumba9)の成分に、根や木部は切り彫ってパンデ(pande10)に、根や枝は煎じて飲み薬(muhi wa kunwa, muhi wa kujita)に、葉は水の中で揉んで薬液(vuo)に、また鍋の中で煮て蒸気を浴びる鍋(nyungu6)治療に、土器片の上で炒ってすりつぶし黒い粉状の薬(muhaso, mureya)に、など。ミヒニ(mihini)は字義通りには「木々の場所(に、で)」だが、施術の文脈では、施術に必要な草木を集める作業を指す。
8 ウガンガ(uganga)。癒やしの術、治療術、施術などという訳語を当てている。病気やその他の災に対処する技術。さまざまな種類の術があるが、大別すると3つに分けられる。(1)冷やしの施術(uganga wa kuphoza): 安心安全に生を営んでいくうえで従わねばならないさまざまなやり方・きまり(人々はドゥルマのやり方chidurumaと呼ぶ)を犯した結果生じる秩序の乱れや災厄、あるいは外的な事故がもたらす秩序の乱れを「冷やし」修正する術。(2)薬の施術(uganga wa muhaso): 妖術使い(さまざまな薬を使役して他人に不幸や危害をもたらす者)によって引き起こされた病気や災厄に対処する、妖術使い同様に薬の使役に通暁した専門家たちが提供する術。(3)憑依霊の施術(uganga wa nyama): 憑依霊によって引き起こされるさまざまな病気に対処し、憑依霊と交渉し患者と憑依霊の関係を取り持ち、再構築し、安定させる癒やしの術。
9 マヴンバ(mavumba)。「香料」。憑依霊の種類ごとに異なる。乾燥した草木や樹皮、根を搗き砕いて細かくした、あるいは粉状にしたもの。イスラム系の霊に用いられるものは、スパイスショップでピラウ・ミックスとして購入可能な香辛料ミックス。
10 パンデ(pande, pl.mapande)。草木の幹、枝、根などを削って作る護符11。穴を開けてそこに紐を通し、それで手首、腰、足首など付ける箇所に結びつける。
11 「護符」。憑依霊の施術師が、憑依霊によってトラブルに見舞われている人に、処方するもので、患者がそれを身につけていることで、苦しみから解放されるもの。あるいはそれを予防することができるもの。ンガタ(ngata12)、パンデ(pande10)、ピング(pingu13)、ヒリジ(hirizi14)、ヒンジマ(hinzima15)など、さまざまな種類がある。ピング(pingu)で全部を指していることもある。憑依霊ごとに(あるいは憑依霊のグループごとに)固有のものがある。勘違いしやすいのは、それを例えば憑依霊除けのお守りのようなものと考えてしまうことである。施術師たちは、これらを憑依霊に対して差し出される椅子(chihi)だと呼ぶ。憑依霊は、自分たちが気に入った者のところにやって来るのだが、椅子がないと、その者の身体の各部にそのまま腰を下ろしてしまう。すると患者は身体的苦痛その他に苦しむことになる。そこで椅子を用意しておいてやれば、やってきた憑依霊はその椅子に座るので、患者が苦しむことはなくなる、という理屈なのである。「護符」という訳語は、それゆえあまり適切ではないのだが、それに代わる適当な言葉がないので、とりあえず使い続けることにするが、霊を寄せ付けないためのお守りのようなものと勘違いしないように。
12 ンガタ(ngata)。護符11の一種。布製の長方形の袋状で、中に薬(muhaso),香料(mavumba),小さな紙に描いた憑依霊の絵などが入れてあり、紐で腕などに巻くもの、あるいは帯状の布のなかに薬などを入れてひねって包み、そのまま腕などに巻くものなど、さまざまなものがある。
13 ピング(pingu)。薬(muhaso:さまざまな草木由来の粉)を布などで包み、それを糸でぐるぐる巻きに球状に縫い固めた護符11の一種。厳密にはそうなのだが、護符の類をすべてピングと呼ぶ使い方も広く見られる。
14 ヒリジ(hirizi, pl.hirizi)。スワヒリ語では、コーランの章句を書いて作った護符を指す。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。ドゥルマでも同じ使い方もされるが、イスラムの施術師が作るものにはヒンジマ(hinzima15)という言葉があり、ヒリジは、ドゥルマでは非イスラムの施術師によるピングなどの護符を含むような使い方も普通にされている。
15 ヒンジマ(hinzima, pl. hinzima)。革で作られた四角く縫い合わされた小さな袋状の護符で、コーランの章句が書かれた紙などが折りたたまれて封入されている。紐が通してあり、首などから掛ける。イスラム教の施術師によって作られる。スワヒリ語のヒリジ(hirizi)に当たるが、ドゥルマではヒリジ(hirizi14)という語は、非イスラムの施術師が作る護符(pinguなど)も含む使い方をされている。イスラムの施術師によって作られるものを特に指すのがヒンジマである。
16 ムツェレレ(mutserere)、別名ムジョンゴロ(mujongolo)。Hoslundia opposita(Pakia&Cooke2003:391)、ムルングの草木、冷やしの施術(uganga wa kuphoza)においても、ニョンゴー(nyongoo17)という妊娠中の女性の病気(妖術によってかかるとされている)の治療、子供の引きつけ(nyuni18と総称されるnyama wa dzulu「上の憑依霊」によって引き起こされる)の治療など、様々な治療に用いられる。
17 ニョンゴー(nyongoo)。妊娠中の女性がかかる、浮腫み、貧血、出血などを主症状とする病気。妖術によってかかるとされる。さまざまな種類がある。nyongoo ya mulala: mulala(椰子の一種)のようにまっすぐ硬直することから。nyongoo ya mugomba: mugomba(バナナ)実をつけるときに膨れ上がることから。nyongoo ya nundu: nundu(こうもり)のようにkuzyondoha(尻で後退りする)し不安で夜どおし眠れない。nyongoo ya dundiza: 腹部膨満。nyongoo ya mwamberya(ツバメ): 気が狂ったようになる。nyongoo chizuka: 土のような膚になる、chizuka(土人形)を治療に用いる。nyongoo ya nyani: nyani(ヒヒ)のような声で泣きわめき、ヒヒのように振る舞う。nyongoo ya diya(イヌ): できものが体内から陰部にまででき、陰部が悪臭をもつ、腸が腐って切れ切れになる。nyongoo ya mbulu: オオトカゲのようにざらざらの膚になる。nyongoo ya gude(ドバト): 意識を失って死んだようになる。nyongoo ya nyoka(蛇): 陰部が蛇(コブラ)の頭のように膨満する。nyongoo ya chitema: 関節部が激しく痛む、背骨が痛む、動詞ku-tema「切る」より。nyongooの種類とその治療で論文一本書けるほどだが、そんな時間はない。
18 ニューニ(nyuni)。「キツツキ」。道を進んでいるとき、この鳥が前後左右のどちらで鳴くかによって、その旅の吉凶を占う。ここから吉凶全般をnyuniという言葉で表現する。(行く手で鳴く場合;nyuni wa kumakpwa 驚きあきれることがある、右手で鳴く場合;nyuni wa nguvu 食事には困らない、左手で鳴く場合;nyuni wa kureja 交渉が成功し幸運を手に入れる、後で鳴く場合;nyuni wa kusagala 遅延や引き止められる、nyuni が屋敷内で鳴けば来客がある徴)。またnyuniは「上の霊 nyama wa dzulu19」と総称される鳥の憑依霊、およびそれが引き起こす子供の引きつけを含む様々な病気の総称(ukongo wa nyuni)としても用いられる。(nyuniの病気には多くの種類がある。施術師によってその分類は異なるが、例えば nyuni wa joka:子供は泣いてばかり、wa nyagu(別名 mwasaga, wa chiraphai):手脚を痙攣させる、その他wa zuni、wa chilui、wa nyaa、wa kudusa、wa chidundumo、wa mwaha、wa kpwambalu、wa chifuro、wa kamasi、wa chip'ala、wa kajura、wa kabarale、wa kakpwang'aなど。nyuniの種類と治療法だけで論文が一本書けてしまうだろうが、おそらくそんな時間はない。)これらの「上の霊」のなかには母親に憑いて、生まれてくる子供を殺してしまうものもおり、それらは危険な「除霊」(kukokomola)の対象となる。
19 ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl. nyama a dzulu)。「上の動物、上の憑依霊」。ニューニ(nyuni、直訳するとキツツキ18)と総称される、主として鳥の憑依霊だが、ニューニという言葉は乳幼児や、この病気を持つ子どもの母の前で発すると、子供に発作を引き起こすとされ、忌み言葉になっている。したがってニューニという言葉の代わりに婉曲的にニャマ・ワ・ズルと言う言葉を用いるという。多くの種類がいるが、この病気は憑依霊の病気を治療する施術師とは別のカテゴリーの施術師が治療する。時間があれば別項目を立てて、詳しく紹介するかもしれない。ニャマ・ワ・ズル「上の憑依霊」のあるものは、女性に憑く場合があるが、その場合も、霊は女性をではなく彼女の子供を病気にする。病気になった子供だけでなく、その母親も治療される必要がある。しばしば女性に憑いた「上の霊」はその女性の子供を立て続けに殺してしまうことがあり、その場合は除霊(kukokomola20)の対象となる。
20 ク・ココモラ(ku-kokomola)。「除霊する」。憑依霊を2つに分けて、「身体の憑依霊 nyama wa mwirini21」と「除去の憑依霊 nyama wa kuusa2223と呼ぶ呼び方がある。ある種の憑依霊たちは、女性に憑いて彼女を不妊にしたり、生まれてくる子供をすべて殺してしまったりするものがある。こうした霊はときに除霊によって取り除く必要がある。ペポムルメ(p'ep'o mulume30)、カドゥメ(kadume33)、マウィヤ人(Mwawiya34)、ドゥングマレ(dungumale37)、ジネ・ムァンガ(jine mwanga38)、トゥヌシ(tunusi39)、ツォビャ(tsovya41)、ゴジャマ(gojama36)などが代表例。しかし除霊は必ずなされるものではない。護符pinguやmapandeで危害を防ぐことも可能である。「上の霊 nyama wa dzulu19」あるいはニューニ(nyuni「キツツキ」18)と呼ばれるグループの霊は、子供にひきつけをおこさせる危険な霊だが、これは一般の憑依霊とは別個の取り扱いを受ける。これも除霊の主たる対象となる。動詞ク・シンディカ(ku-sindika「(戸などを)閉ざす、閉める、閉め出す」)、ク・ウサ(ku-usa「除去する」)、ク・シサ(ku-sisa「(客などを)送っていく、見送る、送り出す(帰り道の途中まで同行して)、殺す」)も同じ除霊を指すのに用いられる。スワヒリ語のku-chomoa(「引き抜く」「引き出す」)から来た動詞 ku-chomowa も、ドゥルマでは「除霊する」の意味で用いられる。ku-chomowaは一つの霊について用いるのに対して、ku-kokomolaは数多くの霊に対してそれらを次々取除く治療を指すと、その違いを説明する人もいる。
21 ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini)「身体の憑依霊」。除霊(kukokomola20)の対象となるニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa)「除去の憑依霊」との対照で、その他の通常の憑依霊を「身体の憑依霊」と呼ぶ分類がある。通常の憑依霊は、自分たちの要求をかなえてもらうために人に憑いて、その人を病気にする。施術師がその霊と交渉し、要求を聞き出し、それを叶えることによって病気は治る。憑依霊の要求に応じて、宿主は憑依霊のお気に入りの布を身に着けたり、徹夜の踊りの会で踊りを開いてもらう。憑依霊は宿主の身体を借りて踊り、踊りを楽しむ。こうした関係に入ると、憑依霊を宿主から切り離すことは不可能となる。これが「身体の憑依霊」である。こうした霊を除霊することは極めて危険で困難であり、事実上不可能と考えられている。
22 ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa, pl. nyama a kuusa23)。「除去の憑依霊」。憑依霊のなかのあるものは、女性に憑いてその女性を不妊にしたり、その女性が生む子供を殺してしまったりする。その場合には女性からその憑依霊を除霊する(kukokomola20)必要がある。これはかなり危険な作業だとされている。イスラム系の霊のあるものたち(とりわけジネと呼ばれる霊たち26)は、イスラム系の妖術使いによって攻撃目的で送りこまれる場合があり、イスラム系の施術師による除霊を必要とする。妖術によって送りつけられた霊は、「妖術の霊(nyama wa utsai)」あるいは「薬の霊(nyama wa muhaso)」などの言い方で呼ばれることもある。ジネ以外のイスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba29)も、ときに女性を不妊にしたり、その子供を殺したりするので、その場合には除霊の対象になる。ニャマ・ワ・ズル(nyama wa dzulu, pl.nyama a dzulu19)「上の霊」あるいはニューニ(nyuni18)と呼ばれる多くは鳥の憑依霊たちは、幼児にヒキツケを引き起こしたりすることで知られており、憑依霊の施術師とは別に専門の施術師がいて、彼らの治療の対象であるが、ときには成人の女性に憑いて、彼女の生む子供を立て続けに殺してしまうので、除霊の対象になる。内陸系の霊のなかにも、女性に憑いて同様な危害を及ぼすものがあり、その場合には除霊の対象になる。こうした形で、除霊の対象にならない憑依霊たちは、自分たちの宿主との間に一生続く関係を構築する。要求がかなえられないと宿主を病気にするが、友好的な関係が維持できれば、宿主にさまざまな恩恵を与えてくれる場合もある。これらの大多数の霊は「除去の憑依霊」との対照でニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini, pl. nyama a mwirini21)「身体の憑依霊」と呼ばれている。
23 クウサ(ku-usa)。「除去する、取り除く」を意味する動詞。転じて、負っている負債や義務を「返す」、儀礼や催しを「執り行う」などの意味にも用いられる。例えば祖先に対する供犠(sadaka)をおこなうことは ku-usa sadaka、婚礼(harusi)を執り行うも ku-usa harusiなどと言う。クウサ・ムズカ(muzuka)あるいはミジム(mizimu)とは、ムズカに祈願して願いがかなったら云々の物を供犠します、などと約束していた場合、成願時にその約束を果たす(ムズカに「支払いをする(ku-ripha muzuka)」ともいう)ことであったり、妖術使いがムズカに悪しき祈願を行ったために不幸に陥った者が、それを逆転させる措置(たとえば「汚れを取り戻す」24など)を行うことなどを意味する。
24 ノンゴ(nongo)。「汚れ」を意味する名詞だが、象徴的な意味ももつ。ノンゴの妖術 utsai wa nongo というと、犠牲者の持ち物の一部や毛髪などを盗んでムズカ25などに隠す行為で、それによって犠牲者は、「この世にいるようで、この世にいないような状態(dza u mumo na dza kumo)」になり、何事もうまくいかなくなる。身体的不調のみならずさまざまな企ての失敗なども引き起こす。治療のためには「ノンゴを戻す(ku-udza nongo)」必要がある。「悪いノンゴ(nongo mbii)」をもつとは、人々から人気がなくなること、何か話しても誰にも聞いてもらえないことなどで、人気があることは「良いノンゴ(nongo mbidzo)」をもっていると言われる。悪いノンゴ、良いノンゴの代わりに「悪い臭い(kungu mbii)」「良い臭い(kungu mbidzo)」と言う言い方もある。
25 ムズカ(muzuka)。特別な木の洞や、洞窟で霊の棲み処とされる場所。また、そこに棲む霊の名前。ムズカではさまざまな祈願が行われる。地域の長老たちによって降雨祈願が行われるムルングのムズカと呼ばれる場所と、さまざまな霊(とりわけイスラム系の霊)の棲み処で個人が祈願を行うムズカがある。後者は祈願をおこないそれが実現すると必ず「支払い」をせねばならない。さもないと災が自分に降りかかる。妖術使いはしばしば犠牲者の「汚れ24」をムズカに置くことによって攻撃する(「汚れを奪う」妖術)という。「汚れを戻す」治療が必要になる。
26 マジネ(majine)はジネ(jine)の複数形。イスラム系の妖術。イスラムの導師に依頼して掛けてもらうという。コーランの章句を書いた紙を空中に投げ上げるとそれが魔物jineに変化して命令通り犠牲者を襲うなどとされ、人(妖術使い)に使役される存在である。自らのイニシアティヴで人に憑依する憑依霊のジネ(jine)と、一応区別されているが、あいまい。フィンゴ(fingo27)のような屋敷や作物を妖術使いから守るために設置される埋設呪物も、供犠を怠ればジネに変化して人を襲い始めるなどと言われる。
27 フィンゴ(fingo, pl.mafingo)。私は「埋設薬」という翻訳を当てている。(1)妖術使いが、犠牲者の屋敷や畑を攻撃する目的で、地中に埋設する薬(muhaso28)。(2)妖術使いの攻撃から屋敷を守るために屋敷のどこかに埋設する薬。いずれの場合も、さまざまな物(例えば妖術の場合だと、犠牲者から奪った衣服の切れ端や毛髪など)をビンやアフリカマイマイの殻、ココヤシの実の核などに詰めて埋める。一旦埋設されたフィンゴは極めて強力で、ただ掘り出して捨てるといったことはできない。妖術使いが仕掛けたものだと、そもそもどこに埋められているかもわからない。それを探し出して引き抜く(ku-ng'ola mafingo)ことを専門にしている施術師がいる。詳しくは〔浜本満,2014,『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会、pp.168-180〕。妖術使いが仕掛けたフィンゴだけが危険な訳では無い。屋敷を守る目的のフィンゴも同様に屋敷の人びとに危害を加えうる。フィンゴは定期的な供犠(鶏程度だが)を要求する。それを怠ると人々を襲い始めるのだという。そうでない場合も、例えば祖父の代の誰かがどこかに仕掛けたフィンゴが、忘れ去られて魔物(jine26)に姿を変えてしまうなどということもある。この場合も、占いでそれがわかるとフィンゴ抜きの施術を施さねばならない。
28 ムハソ muhaso (pl. mihaso)「薬」、とりわけ、土器片などの上で焦がし、その後すりつぶして黒い粉末にしたものを指す。妖術(utsai)に用いられるムハソは、瓢箪などの中に保管され、妖術使い(および妖術に対抗する施術師)が唱えごとで命令することによって、さまざまな目的に使役できる。治療などの目的で、身体に直接摂取させる場合もある。それには、muhaso wa kusaka 皮膚に塗ったり刷り込んだりする薬と、muhaso wa kunwa 飲み薬とがある。muhi(草木)と同義で用いられる場合もある。10cmほどの長さに切りそろえた根や幹を棒状に縦割りにしたものを束ね、煎じて飲む muhi wa(pl. mihi ya) kunwa(or kujita)も、muhaso wa(pl. mihaso ya) kunwa として言及されることもある。このように文脈に応じてさまざまであるが、妖術(utsai)のほとんどはなんらかのムハソをもちいることから、単にムハソと言うだけで妖術を意味する用法もある。
29 ニャマ・ワ・キゾンバ(nyama wa chidzomba, pl. nyama a chidzomba)。「イスラム系の憑依霊」。イスラム系の霊は「海岸の霊 nyama wa pwani」とも呼ばれる。イスラム系の霊たちに共通するのは、清潔好き、綺麗好きということで、ドゥルマの人々の「不潔な」生活を嫌っている。とりわけおしっこ(mikojo、これには「尿」と「精液」が含まれる)を嫌うので、赤ん坊を抱く母親がその衣服に排尿されるのを嫌い、母親を病気にしたり子供を病気にし、殺してしまったりもする。イスラム系の霊の一部には夜女性が寝ている間に彼女と性交をもとうとする霊がいる。男霊(p'ep'o mulume30)の別名をもつ男性のスディアニ導師(mwalimu sudiani31)がその代表例であり、女性に憑いて彼女を不妊にしたり(夫の精液を嫌って排除するので、子供が生まれない)、生まれてくる子供を全て殺してしまったり(その尿を嫌って)するので、最後の手段として危険な除霊(kukokomola)の対象とされることもある。イスラム系の霊は一般に獰猛(musiru)で怒りっぽい。内陸部の霊が好む草木(muhi)や、それを炒って黒い粉にした薬(muhaso)を嫌うので、内陸部の霊に対する治療を行う際には、患者にイスラム系の霊が憑いている場合には、このことについての許しを前もって得ていなければならない。イスラム系の霊に対する治療は、薔薇水や香水による沐浴が欠かせない。このようにきわめて厄介な霊ではあるのだが、その要求をかなえて彼らに気に入られると、彼らは自分が憑いている人に富をもたらすとも考えられている。
30 ペーポームルメ(p'ep'o mulume)。ムルメ(mulume)は「男性」を意味する名詞。男性のスディアニ Sudiani、カドゥメ Kadumeの別名とも。女性がこの霊にとり憑かれていると,彼女はしばしば美しい男と性交している夢を見る。そして実際の夫が彼女との性交を求めても,彼女は拒んでしまうようになるかもしれない。夫の方でも勃起しなくなってしまうかもしれない。女性の月経が終ったとき、もし夫がぐずぐずしていると,夫の代りにペポムルメの方が彼女と先に始めてしまうと、たとえ夫がいくら性交しようとも彼女が妊娠することはない。施術師による治療を受けてようやく、彼女は妊娠するようになる。その治療が功を奏さない場合には、最終的に除霊(ku-kokomola20)もありうる。
31 スディアニ(sudiani)。スーダン人だと説明する人もいるが、ザンジバルの憑依を研究したLarsenは、スビアーニ(subiani)と呼ばれる霊について簡単に報告している。それはアラブの霊ruhaniの一種ではあるが、他のruhaniとは若干性格を異にしているらしい(Larsen 2008:78)。もちろんスーダンとの結びつきには言及されていない。スディアニには男女がいる。厳格なイスラム教徒で綺麗好き。女性のスディアニは男性と夢の中で性関係をもち、男のスディアニは女性と夢の中で性関係をもつ。同じふるまいをする憑依霊にペポムルメ(p'ep'o mulume, mulume=男)がいるが、これは男のスディアニの別名だとされている。いずれの場合も子供が生まれなくなるため、除霊(ku-kokomola)してしまうこともある(DB 214)。スディアニの典型的な症状は、発狂(kpwayuka)して、水、とりわけ海に飛び込む。治療は「海岸の草木muhi wa pwani」7による鍋(nyungu6)と、飲む大皿と浴びる大皿(kombe32)。白いローブ(zurungi,kanzu)と白いターバン、中に指輪を入れた護符(pingu13)。
32 コンベ(kombe)は「大皿」を意味するスワヒリ語。kombe はドゥルマではイスラム系の憑依霊の治療のひとつである。陶器、磁器の大皿にサフランをローズウォーターで溶いたもので字や絵を描く。描かれるのは「コーランの章句」だとされるアラビア文字風のなにか、モスクや月や星の絵などである。描き終わると、それはローズウォーターで洗われ、瓶に詰められる。一つは甘いバラシロップ(Sharbat Roseという商品名で売られているもの)を加えて、少しずつ水で薄めて飲む。これが「飲む大皿 kombe ra kunwa」である。もうひとつはバケツの水に加えて、それで沐浴する。これが「浴びる大皿 kombe ra koga」である。文字や図像を飲み、浴びることに病気治療の効果があると考えられているようだ。
33 カドゥメ(kadume)は、ペポムルメ(p'ep'o mulume)、ツォビャ(tsovya)などと同様の振る舞いをする憑依霊。共通するふるまいは、女性に憑依して夜夢の中にやってきて、女性を組み敷き性関係をもつ。女性は夫との性関係が不可能になったり、拒んだりするようになりうる。その結果子供ができない。こうした点で、三者はそれぞれの別名であるとされることもある。護符(ngata)が最初の対処であるが、カドゥメとツォーヴャは、取り憑いた女性の子供を突然捕らえて病気にしたり殺してしまうことがあり、ペポムルメ以上に、除霊(kukokomola)が必要となる。
34 マウィヤ(Mawiya)。民族名の憑依霊、マウィヤ人(Mawia)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつ。同じ地域にマコンデ人(makonde35)もいるが、憑依霊の世界ではしばしばマウィヤはマコンデの別名だとも主張される。ともに人肉を食う習慣があると主張されている(もちデマ)。女性が憑依されると、彼女の子供を殺してしまう(子供を産んでも「血を飲まれてしまって」育たない)。症状は別の憑依霊ゴジャマ(gojama36)と同様で、母乳を水にしてしまい、子供が飲むと嘔吐、下痢、腹部膨満を引き起こす。女性にとっては危険な霊なので、除霊(ku-kokomola)に訴えることもある。
35 マコンデ(makonde)。民族名の憑依霊、マコンデ人(makonde)。別名マウィヤ人(mawiya)。モザンビーク北部からタンザニアにかけての海岸部に居住する諸民族のひとつで、マウィヤも同じグループに属する。人肉食の習慣があると噂されている(デマ)。女性に憑依して彼女の産む子供を殺してしまうので、除霊(ku-kokomola)の対象とされることもある。
36 ゴジャマ(gojama)。憑依霊の一種、ときにゴジャマ導師(mwalimu gojama)とも語られ、イスラム系とみなされることもある。狩猟採集民の憑依霊ムリャングロ(Muryangulo/pl.Aryangulo)と同一だという説もある。ひとつ目の半人半獣の怪物で尾をもつ。ブッシュの中で人の名前を呼び、うっかり応えると食べられるという。ブッシュで追いかけられたときには、葉っぱを撒き散らすと良い。ゴジャマはそれを見ると数え始めるので、その隙に逃げれば良いという。憑依されると、人を食べたくなり、カヤンバではしばしば斧をかついで踊る。憑依された人は、人の血を飲むと言われる。彼(彼女)に見つめられるとそれだけで見つめられた人の血はなくなってしまう。カヤンバでも、血を飲みたいと言って子供を追いかけ回す。また人肉を食べたがるが、カヤンバの席で前もって羊の肉があれば、それを与えると静かになる。ゴジャマをもつ者は、普段の状況でも食べ物の好みがかわり、蜂蜜を好むようになる。また尿に血や膿が混じる症状を呈することがある。さらにゴジャマをもつ女性は子供がもてなくなる(kaika ana)かもしれない。妊娠しても流産を繰り返す。その場合には、雄羊(ng'onzi t'urume)の供犠でその血を用いて除霊(kukokomola20)できる。雄羊の毛を縫い込んだ護符(pingu)を女性の胸のところにつけ、女性に雄羊の尾を食べさせる。
37 ドゥングマレ(dungumale)。母親に憑いて子供を捕らえる憑依霊。症状:発熱mwiri moho。子供泣き止まない。嘔吐、下痢。nyama wa kuusa(除霊ku-kokomola20の対象になる)23。黒いヤギmbuzi nyiru。ヤギを繋いでおくためのロープ。除霊の際には、患者はそのロープを持って走り出て、屋敷の外で倒れる。ドゥングマレの草木: mudungumale=muyama
38 ジネ・ムァンガ(jine mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネの一種。別名にソロタニ・ムァンガ(ムァンガ・サルタン(sorotani mwanga))とも。ドゥルマ語では動詞クァンガ(kpwanga, ku-anga)は、「(裸で)妖術をかける、襲いかかる」の意味。スワヒリ語にもク・アンガ(ku-anga)には「妖術をかける」の意味もあるが、かなり多義的で「空中に浮遊する」とか「計算する、数える」などの意味もある。形容詞では「明るい、ギラギラする、輝く」などの意味。昼夜問わず夢の中に現れて(kukpwangira usiku na mutsana)、組み付いて喉を絞める。症状:吐血。女性に憑依すると子どもの出産を妨げる。ngataを処方して、出産後に除霊 ku-kokomolaする。
39 トゥヌシ(tunusi)。憑依霊の一種。別名トゥヌシ・ムァンガ(tunusi mwanga)。イスラム系の憑依霊ジネ(jine26)の一種という説と、ニューニ(nyuni18)の仲間だという説がある。女性がトゥヌシをもっていると、彼女に小さい子供がいれば、その子供が捕らえられる。ひきつけの症状。白目を剥き、手足を痙攣させる。女性自身が苦しむことはない。この症状(捕らえ方(magbwiri))は、同じムァンガが付いたイスラム系の憑依霊、ジネ・ムァンガ40らとはかなり異なっているので同一視はできない。除霊(kukokomola20)の対象であるが、水の中で行われるのが特徴。
40 ムァンガ(mwanga)。憑依霊の名前。「ムァンガ導師 mwalimu mwanga」「アラブ人ムァンガ mwarabu mwanga」「ジネ・ムァンガ jine mwanga」あるいは単に「ムァンガ mwanga」と呼ばれる。イスラム系の憑依霊。昼夜を問わず、夢の中に現れて人を組み敷き、喉を絞める。主症状は吐血。子供の出産を妨げるので、女性にとっては極めて危険。妊娠中は除霊できないので、護符(ngata)を処方して出産後に除霊を行う。また別に、全裸になって夜中に屋敷に忍び込み妖術をかける妖術使いもムァンガ mwangaと呼ばれる。kpwanga(=ku-anga)、「妖術をかける」(薬などの手段に訴えずに、上述のような以上な行動によって)を意味する動詞(スワヒリ語)より。これらのイスラム系の憑依霊が人を襲う仕方も同じ動詞で語られる。
41 ツォビャ(tsovya)。子供を好まず、母親に憑いて彼女の子供を殺してしまう。夜、夢の中にやってきて彼女と性関係をもつ。ニューニ18の一種に加える人もいる。除霊(kukokomola20)の対象となる「除去の霊nyama wa kuusa23」。see p'ep'o mulume30, kadume33
42 ムヴンザコンド(muvunzakondo)。ムクロジ属(soapberry)の木、Allophylus rubifolius、ムルングの鍋の成分、その名称は ku-vunza kondo 「争いごとを壊す=争いをなくす」より。
43 ムザラ(mudzala)。ムザラ・ドエ(mudzala doe)とも。uvaria acuminata, または monanthotaxis fornicata(Pakia&Cooke2003:386)。これらとは別にムザラ・コンバ(mudzala komba)もあり、こちらはUvaria faulkneraeおよびUvaria lucida(Pakia&Cooke2003:386)。ムルング、憑依霊ドゥルマ人(muduruma44)、憑依霊ドエ人(mudoe50)の草木。
44 ムドゥルマ(muduruma, pl. aduruma)。憑依霊ドゥルマ人、田舎者で粗野、ひょうきんなところもあるが、重い病気を引き起こす。多くの別名をもつ一方、さまざまなドゥルマ人がいる。男女のドゥルマ人は施術師になった際に、瓢箪子供を共有できない。男のドゥルマ人は瓢箪に入れる「血」はヒマ油だが女のドゥルマ人はハチミツと異なっているため。カルメ・ンガラ(kalumengala 男性45)、カシディ(kasidi 女性46)、ディゴゼー(digozee 男性老人47)。この3人は明らかに別の実体(?)と思われるが、他の呼称は、たぶんそれぞれの別名だろう。ムガイ(mugayi 「困窮者」)、マシキーニ(masikini「貧乏人」)、ニョエ(nyoe 男性、ニョエはバッタの一種でトウモロコシの穂に頭を突っ込む習性から、内側に潜り込んで隠れようとする憑依霊ドゥルマ人(病気がドゥルマ人のせいであることが簡単にはわからない)の特徴を名付けたもの、ただしニョエがドゥルマ人であることを否定する施術師もいる)。ムキツェコ(muchitseko、動詞 kutseka=「笑う」より)またはムキムェムェ(muchimwemwe(alt. muchimwimwi)、名詞chimwemwe(alt. chimwimwi)=「笑い上戸」より)は、理由なく笑いだしたり、笑い続けるというドゥルマ人の振る舞いから名付けたもの。症状:全身の痒みと掻きむしり(kuwawa mwiri osi na kudzikuna)、腹部熱感(ndani kpwaka moho)、息が詰まる(ku-hangama pumzi),すぐに気を失う(kufa haraka(ku-faは「死ぬ」を意味するが、意識を失うこともkufaと呼ばれる))、長期に渡る便秘、腹部膨満(ndani kuodzala字義通りには「腹が何かで満ち満ちる」))、絶えず便意を催す、膿を排尿、心臓がブラブラする、心臓が(毛を)むしられる、不眠、恐怖、死にそうだと感じる、ブッシュに逃げ込む、(周囲には)元気に見えてすぐ病気になる/病気に見えて、すぐ元気になる(ukongo wa kasidi)。行動: 憑依された人はトウモロコシ粉(ただし石臼で挽いて作った)の練り粥を編み籠(chiroboと呼ばれる持ち手のない小さい籠)に入れて食べたがり、半分に割った瓢箪製の容器(ngere)に注いだ苦い野草のスープを欲しがる。あたり構わず排便、排尿したがる。要求: 男のドゥルマ人は白い布(charehe)と革のベルト(mukanda wa ch'ingo)、女のドゥルマ人は紺色の布(nguo ya mulungu)にビーズで十字を描いたもの、癒やしの仕事。治療: 「鍋」、煮る草木、ぼろ布を焼いてその煙を浴びる。(注釈の注釈: ドゥルマの憑依霊の世界にはかなりの流動性がある。施術師の間での共通の知識もあるが、憑依霊についての知識の重要な源泉が、施術師個々人が見る夢であることから、施術師ごとの変異が生じる。同じ施術師であっても、時間がたつと知識が変化する。例えば私の重要な相談相手の一人であるChariはドゥルマ人と世界導師をその重要な持ち霊としているが、彼女は1989年の時点ではディゴゼーをドゥルマ人とは位置づけておらず(夢の中でディゴゼーがドゥルマ語を喋っており、カヤンバの席で出現したときもドゥルマ語でやりとりしている事実はあった)、独立した憑依霊として扱っていた。しかし1991年の時点では、はっきりドゥルマ人の長老として、ドゥルマ人のなかでもリーダー格の存在として扱っていた。)
45 憑依霊ドゥルマ人(muduruma44)の別名、男性のドゥルマ人。「内の問題も、外の問題も知っている」と歌われる。
46 カシディ(kasidi)。この言葉は、状況にその行為を余儀なくしたり,予期させたり,正当化したり,意味あらしめたりするものがないのに自分からその行為を行なうことを指し、一連の場違いな行為、無礼な行為、(殺人の場合は偶然ではなく)故意による殺人、などがkasidiとされる。「mutu wa kasidi=kasidiの人」は無礼者。「ukongo wa kasidi= kasidiの病気」とは施術師たちによる解説では、今にも死にそうな重病かと思わせると、次にはケロッとしているといった周りからは仮病と思われてもしかたがない病気のこと。仮病そのものもkasidi、あるはukongo wa kasidiと呼ばれることも多い。またカシディは、女性の憑依霊ドゥルマ人(muduruma44)の名称でもある。カシディに憑かれた場合の特徴的な病気は上述のukongo wa kasidi(カシディの病気)であり、カヤンバなどで出現したカシディの振る舞いは、場違いで無礼な振る舞いである。男性の憑依霊ドゥルマ人とは別の、蜂蜜を「血」とする瓢箪子供を要求する。
47 ディゴゼー(digozee)。憑依霊ドゥルマ人の一種とも。田舎者の老人(mutumia wa nyika)。極めて年寄りで、常に毛布をまとう。酒を好む。ディゴゼーは憑依霊ドゥルマ人の長、ニャリたちのボスでもある。ムビリキモ(mubilichimo48)マンダーノ(mandano49)らと仲間で、憑依霊ドゥルマ人の瓢箪を共有する。症状:日なたにいても寒気がする、腰が断ち切られる(ぎっくり腰)、声が老人のように嗄れる。要求:毛布(左肩から掛け一日中纏っている)、三本足の木製の椅子(紐をつけ、方から掛けてどこへ行くにも持っていく)、編んだ肩掛け袋(mukoba)、施術師の錫杖(muroi)、動物の角で作った嗅ぎタバコ入れ(chiko cha pembe)、酒を飲むための瓢箪製のコップとストロー(chiparya na muridza)。治療:憑依霊ドゥルマの「鍋」、煙浴び(ku-dzifukiza 燃やすのはボロ布または乳香)。
48 ムビリキモ(mbilichimo)。民族名の憑依霊、ピグミー(スワヒリ語でmbilikimo/(pl.)wabilikimo)。身長(kimo)がない(mtu bila kimo)から。憑依霊の世界では、ディゴゼー(digozee)と組んで現れる。女性の霊だという施術師もいる。症状:脚や腰を断ち切る(ような痛み)、歩行不可能になる。要求: 白と黒のビーズをつけた紺色の(ムルングの)布。ビーズを埋め込んだ木製の三本足の椅子。憑依霊ドゥルマ人の瓢箪に同居する。
49 マンダーノ(mandano)。憑依霊。mandanoはドゥルマ語で「黄色」。女性の霊。つねに憑依霊ドゥルマ人とともにやってくる。独りでは来ない。憑依霊ドゥルマ人、ディゴゼー、ムビリキモ、マンダーノは一つのグループになっている。症状: 咳、喀血、息が詰まる。貧血、全身が黄色くなる、水ばかり飲む。食べたものはみな吐いてしまう。要求: 黄色いビーズと白いビーズを互違いに通した耳飾り、青白青の三色にわけられた布(二辺に穴あき硬貨(hela)と黄色と白のビーズ飾りが縫いつけられている)、自分に捧げられたヤギ。草木: mutundukula、mudungu
50 ムドエ(mudoe)。民族名の憑依霊、ドエ人(Doe)。タンザニア海岸北部の直近の後背地に住む農耕民。憑依霊ムドエ(mudoe)は、ドゥングマレ(Dungumale)やスンドゥジ(Sunduzi)、キズカ(chizuka)などとならんで、古くからいる霊とされる。ムドエをもっている人は、黒犬を飼っていつも連れ歩く。それはムドエの犬と呼ばれる。母親がムドエをもっていると、その子供を捕らえて病気にする。母親のもつムドエは乳房に入り、母乳を水のように変化させるので、子供は母乳を飲むと吐いたり下痢をしたりする。犬の鳴くような声で夜通し泣く。また子供は舌に出来ものが出来て荒れ、いつも口をもぐもぐさせている(kpwafuna kpwenda)。ピング(pingu13)は、ムドエの草木(特にmudzala43)と犬の歯で作り、それを患者の胸に掛けてやる。ムドエをもつ者は、カヤンバの席で憑依されると、患者のムドエの犬を連れてきて、耳を切り、その血を飲ませるともとに戻る。ときに muwele 自身が犬の耳を咬み切ってしまうこともある。この犬を叩いたりすると病気になる。
51 マココテリ(makokot'eri)。「唱えごと」。動詞 ku-kokot'era「唱える」より。同じ意味の言葉に動詞ク・ルマ(ku-ruma)から派生したマルミ(marumi52)がある。ku-ruma は薬(muhaso, とくにmureya)に対するもの、ku-kokot'eraは憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
52 マルミ(marumi, -gaga)。唱えごと。マココテリ(makokot'eri51)と同じ。動詞、ク・ルマ(ku-ruma)「唱えごとをする」より。ku-ruma は薬(muhasoとくにmureya)に対するもの、ku-kokot'era は憑依霊に対するもの、と区別する人もいる。
53 アルムェング・オシ(arumwengu osi)。ンゴマなどに招待できるすべての憑依霊をひっくるめたもの。オシ(osi)は、「すべて」を意味する限定詞の人や動物の名詞クラスに対する形。たとえば「生徒全員」は、anafunzi osiとなる。名詞クラスによって形は変化する。例えば「全ての本」はvitabu vyosiとなる。
54 ク・ココテラ(ku-kokotera)。「唱えごとをする」を意味する動詞。唱えごとはマココテリ(makokoteri)。
55 スンドゥジ(sunduzi)。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、ジム(zimu)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。スンドゥジ(sunduzi)は、母乳を水に変えてしまう(乳房を水で満たし母乳が薄くなってしまう ku-tsamisa maziya, gakakala madzi genye)ことによって、それを飲んだ子供がすぐに嘔吐、下痢に。。母子それぞれにpingu(chihi)を身に着けさせることで治る; Ni uwe sunduzi, ndiwe ukut'isaye maziya. Maziya gakakala madzi.スンドゥジの草木= musunduzi
56 キズカ(chizuka)。憑依霊「泥人形」chizukaは粘土で作った人形。憑依霊としては、ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、スンドゥジ(sunduzi)、ペポコマ(p'ep'o k'oma)などと同様に、母親に憑いて、その母乳経由で子供に危害を及ぼす。症状:嘔吐(kuphaphika)、「子供をふやけさせるchizuka mwenye kazi ya kuwala mwana ukamuhosa」。キズカをもつ女性は、白い羊(virongo matso 目の周りに黛を引いたように黒い縁取りがある)を飼い置く。除霊(kukokomola20)の対象となることもある。
57 ペーポーコマ(p'ep'o k'oma)。ムルング(mulungu58)と同じだと言う人も。ムルングの子供だとも。ペーポーコマには2種類あり、「地下世界のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」と「池のペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa ziyani)」であるが、特に断りがなければ前者である。草木はムラザコマ(mulazak'oma64)、ムブァツァ(muphatsa65)。ペーポーコマの護符ンガタ(ngata12)やピング(pingu13)のなかに入れるのはムルングの瓢箪の中身。主な症状としては、身体の発熱(しかし、手足の先は氷のように冷たい)。寝てばかりいる。トウモロコシを挽いていても、うとうと、ワリ(練り粥)を食べていても、うとうとするといった具合。カヤンバでも寝てしまう。寝てばかりで、まるで死体(lufu)のよう。それが「死者の土地ペーポーコマ(p'ep'o k'oma wa kuzimu)」の名前の由来。治療には、ピング(pingu)の中にいれる材料としてミミズが必要。寝てばかりなのでムァクララ(mwakulala(mutu wa kulala(=眠る))の別名もある。スンドゥジ(sunduzi55)やムドエ(mudoe50)と同様に、女性に憑いた場合、母乳を介してその子供にも害が加わる。
58 ムルング(mulungu)。ムルングはドゥルマにおける至高神で、雨をコントロールする。憑依霊のムァナムルング(mwanamulungu)59との関係は人によって曖昧。憑依霊につく「子供」mwanaという言葉は、内陸系の憑依霊につける敬称という意味合いも強い。一方憑依霊のムルングは至高神ムルング(女性だとされている)の子供だと主張されることもある。私はムァナムルング(mwanamulungu)については「ムルング子神」という訳語を用いる。しかし単にムルング(mulungu)で憑依霊のムァナムルングを指す言い方も普通に見られる。このあたりのことについては、ドゥルマの(特定の人による理論ではなく)慣用を尊重して、あえて曖昧にとどめておきたい。
59 ムァナムルング(mwanamulungu)。「ムルング子神」と訳しておく。憑依霊の名前の前につける"mwana"には敬称的な意味があると私は考えている。しかし至高神ムルング(mulungu)と憑依霊のムルング(mwanamulungu)の関係については、施術師によって意見が分かれることがある。多くの人は両者を同一とみなしているが、天にいるムルング(女性)が地上に落とした彼女の子供(女性)だとして、区別する者もいる。いずれにしても憑依霊ムルングが、すべての憑依霊の筆頭であるという点では意見が一致している。憑依霊ムルングも他の憑依霊と同様に、自分の要求を伝えるために、自分が惚れた(あるいは目をつけた kutsunuka)人を病気にする。その症状は身体全体にわたる。その一つに人々が発狂(kpwayuka)と呼ぶある種の精神状態がある。また女性の妊娠を妨げるのも憑依霊ムルングの特徴の一つである。ムルングがこうした症状を引き起こすことによって満たそうとする要求は、単に布(nguo ya mulungu と呼ばれる黒い布 nguo nyiru (実際には紺色))であったり、ムルングの草木を水の中で揉みしだいた薬液を浴びることであったり(chiza3)、ムルングの草木を鍋に詰め少量の水を加えて沸騰させ、その湯気を浴びること(「鍋nyungu」)であったりする。さらにムルングは自分自身の子供を要求することもある。それは瓢箪で作られ、瓢箪子供と呼ばれる60。女性の不妊はしばしばムルングのこの要求のせいであるとされ、瓢箪子供をムルングに差し出すことで妊娠が可能になると考えられている61。この瓢箪子供は女性の子供と一緒に背負い布に結ばれ、背中の赤ん坊の健康を守り、さらなる妊娠を可能にしてくれる。しかしムルングの究極の要求は、患者自身が施術師になることである。ムルングが引き起こす症状で、すでに言及した「発狂kpwayuka」は、ムルングのこの究極の要求につながっていることがしばしばである。ここでも瓢箪子供としてムルングは施術師の「子供」となり、彼あるいは彼女の癒やしの術を助ける。もちろん、さまざまな憑依霊が、癒やしの仕事(kazi ya uganga)を欲して=憑かれた者がその霊の癒しの術の施術師(muganga 癒し手、治療師)となってその霊の癒やしの術の仕事をしてくれるようになることを求めて、人に憑く。最終的にはこの願いがかなうまでは霊たちはそれを催促するために、人を様々な病気で苦しめ続ける。憑依霊たちの筆頭は神=ムルングなので、すべての施術師のキャリアは、まず子神ムルングを外に出す(徹夜のカヤンバ儀礼を経て、その瓢箪子供を授けられ、さまざまなテストをパスして正式な施術師として認められる手続き)ことから始まる。
60 ムァナ・ワ・ンドンガ(mwana wa ndonga)。ムァナ(mwana, pl. ana)は「子供」、ンドンガ(ndonga)は「瓢箪」。「瓢箪の子供」を意味する。「瓢箪子供」と訳すことにしている。瓢箪の実(chirenje)で作った子供。瓢箪子供には2種類あり、ひとつは施術師が特定の憑依霊(とその仲間)の癒やしの術(uganga)をとりおこなえる施術師に就任する際に、施術上の父と母から授けられるもので、それは彼(彼女)の施術の力の源泉となる大切な存在(彼/彼女の占いや治療行為を助ける憑依霊はこの瓢箪の姿をとった彼/彼女にとっての「子供」とされる)である。一方、こうした施術師の所持する瓢箪子供とは別に、不妊に悩む女性に授けられるチェレコchereko(ku-ereka 「赤ん坊を背負う」より)とも呼ばれる瓢箪子供61がある。瓢箪子供の各部の名称については、図63を参照。
61 チェレコ(chereko)。「背負う」を意味する動詞ク・エレカ(kpwereka)より。不妊の女性に与えられる瓢箪子供60。子供がなかなかできない(ドゥルマ語で「彼女は子供をきちんと置かない kaika ana」と呼ばれる事態で、連続する死産、流産、赤ん坊が幼いうちに死ぬ、第二子以降がなかなか生まれないなども含む)原因は、しばしば自分の子供がほしいムルング子神59がその女性の出産力に嫉妬して、その女性の妊娠を阻んでいるためとされる。ムルング子神の瓢箪子供を夫婦に授けることで、妻は再び妊娠すると考えられている。まだ一切の加工がされていない瓢箪(chirenje)を「鍋」とともにムルングに示し、妊娠・出産を祈願する。授けられた瓢箪は夫婦の寝台の下に置かれる。やがて妻に子供が生まれると、徹夜のカヤンバを開催し施術師はその瓢箪の口を開け、くびれた部分にビーズ ushangaの紐を結び、中身を取り出す。夫婦は二人でその瓢箪に心臓(ムルングの草木を削って作った木片mapande10)、内蔵(ムルングの草木を砕いて作った香料9)、血(ヒマ油62)を入れて「瓢箪子供」にする。徹夜のカヤンバが夜明け前にクライマックスになると、瓢箪子供をムルング子神(に憑依された妻)に与える。以後、瓢箪子供は夜は夫婦の寝台の上に置かれ、昼は生まれた赤ん坊の背負い布の端に結び付けられて、生まれてきた赤ん坊の成長を守る。瓢箪子どもの血と内臓は、切らさないようにその都度、補っていかねばならない。夫婦の一方が万一浮気をすると瓢箪子供は泣き、壊れてしまうかもしれない。チェレコを授ける儀礼手続きの詳細は、浜本満, 1992,「「子供」としての憑依霊--ドゥルマにおける瓢箪子供を連れ出す儀礼」『アフリカ研究』Vol.41:1-22を参照されたい。
62 ニョーノ(nyono)。ヒマ(mbono, mubono)の実、そこからヒマの油(mafuha ga nyono)を抽出する。さまざまな施術に使われるが、ヒマの油は閉経期を過ぎた女性によって抽出されねばならない。ムルングの瓢箪子供には「血」としてヒマの油が入れられる。
63 ンドンガ(ndonga)。瓢箪chirenjeを乾燥させて作った容器。とりわけ施術師(憑依霊、妖術、冷やしを問わず)が「薬muhaso」を入れるのに用いられる。憑依霊の施術師の場合は、薬の容器とは別に、憑依霊の瓢箪子供 mwana wa ndongaをもっている。内陸部の霊たちの主だったものは自らの「子供」を欲し、それらの霊のmuganga(癒し手、施術師)は、その就任に際して、医療上の父と母によって瓢箪で作られた、それらの霊の「子供」を授かる。その瓢箪は、中に心臓(憑依霊の草木muhiの切片)、血(ヒマ油、ハチミツ、牛のギーなど、霊ごとに定まっている)、腸(mavumba=香料、細かく粉砕した草木他。その材料は霊ごとに定まっている)が入れられている。瓢箪子供は施術師の癒やしの技を手助けする。しかし施術師が過ちを犯すと、「泣き」(中の液が噴きこぼれる)、施術師の癒やしの仕事(uganga)を封印してしまったりする。一方、イスラム系の憑依霊たちはそうした瓢箪子供をもたない。例外が世界導師とペンバ人なのである(ただしペンバ人といっても呪物除去のペンバ人のみで、普通の憑依霊ペンバ人は瓢箪をもたない)。瓢箪子供については〔浜本 1992〕に詳しい(はず)。
64 ムラザコマ(mulazak'oma)。Achyrothalamus marginatus(Pakia&Cooke2003:387)、ムルング(mwanamulungu)とペポコマ(p'ep'o k'oma)の草木。動詞 ku-laza は「眠らせる」を意味する。k'omaはドゥルマでは「祖霊」を指すが、同時に「夢」の意味でも用いられている。ムラザコマは「祖霊を眠らせる者」あるいは「夢を眠らせる者」になる。祖霊は子孫の夢のなかでのみ子孫の前に現れるので、祖霊を眠らせるなら子孫の夢の中に出てきてさまざまな要求を伝えてくることもなくなる。などとこじつけることもできるが。施術師Chariはこの名称をムブァツァ(muphatsa65)の別名だとしているが、Pakia&Cookeは muphatsaを別の植物 Vernonia hildebrandtiiとして記述している(ibid.)。
65 ムブァツァ(muphatsa)。チャリはmuphatsa(Vernonia hildebrandtii)の別名をmulazak'oma64としているが、これをmlazakomaと呼ぶのはギリアマ語らしい(Parkia&Cooke2003:387)。ドゥルマ語でmulazak'omaと呼ばれているのはParkia&Cookeによると、Achyrothalamus marginatusという別の植物である(ibid.)。
66 アルムェング(arumwengu, sing. murumwengu)。スワヒリ語では人間、とりわけ世俗的な人のことをmlimwengu(pl. walimwengu)と呼ぶ。ulimwengu は「環境、世界、宇宙」を意味する。ドゥルマの施術師たちは、憑依霊全般をひっくるめて「世界の住人」を意味するこの言葉で呼ぶ。ドゥルマ語ではなぜかスワヒリ語のこの言葉に対応する言葉を、人ではなく憑依霊を指すのに用いているのである。
67 ブグブグ(bugubugu)、ブドウ科のまきヒゲのあるつる植物、シッサス。Cissus rotundifolia,Cissus sylvicola(Pakia&Cooke2003:394)
68 ムァナドゥガ(mwanaduga)。憑依霊の名前の最初につくmwanaは「子供」という意味だが、憑依霊に対する「敬称」のようなものであると思う。ムドゥガ(muduga)は、水辺に生える植物の一種。mwanaを付けて呼ばれているすべての憑依霊に対して、敬称mwanaをここでは「子神」と訳してみたが、どうもよくない。「童子」という語も考えたが、仏教臭いし。
69 トロ(toro、pl.matoro)は「睡蓮」、Nymphaea nouchali zanzibariensis。憑依霊ディゴ人(mudigo)、シェラの草木(shera)。
70 マユンゲ(mayunge)。別の唱えごとの中ではmayungiとも。viyunge「浮き草」のことか。スワヒリ語ではmayungiyungiは睡蓮(ドゥルマ語ではtoro(pl.matoro))なのだが。
71 ムカンガガ(mukangaga, pl.mikangaga)「葦」, 正確にはカイエンガヤツリ Cyperus exaltatus、屋根葺きに用いられる(Pakia2003a:377)
72 キンビカヤ(chimbikaya)。オヒシバ。Eleusine indica(Pakia 2005:142)。イネ科オヒシバ属の雑草。
73 マレラ(marera)。ムルング子神の別名。「養う者」。動詞ku-rera(子供を「養う、養育する」)より。施術師によってはマレラを憑依霊ディゴ人(mudigo74)やシェラ(shera75)のグループに入れる者もいる。
74 ムディゴ(mudigo)。民族名の憑依霊、ディゴ人(mudigo)。しばしば憑依霊シェラ(shera=ichiliku)もいっしょに現れる。別名プンガヘワ(pungahewa, スワヒリ語でku-punga=扇ぐ, hewa=空気)、ディゴの女(muchet'u wa chidigo)。ディゴ人(プンガヘワも)、シェラ、ライカ(laika)は同じ瓢箪子供を共有できる。症状: ものぐさ(怠け癖 ukaha)、疲労感、頭痛、胸が苦しい、分別がなくなる(akili kubadilika)。要求: 紺色の布(ただしジンジャjinja という、ムルングの紺の布より濃く薄手の生地)、癒やしの仕事(uganga)の要求も。ディゴ人の草木: mupholong'ondo, mup'ep'e, mutundukula, mupera, manga, mubibo, mukanju
75 シェラ(shera, pl. mashera)。憑依霊の一種。laikaと同じ瓢箪を共有する。同じく犠牲者のキブリを奪う。症状: 全身の痒み(掻きむしる)、ほてり(mwiri kuphya)、動悸が速い、腹部膨満感、不安、動悸と腹部膨満感は「胸をホウキで掃かれるような症状」と語られるが、シェラという名前はそれに由来する(ku-shera はディゴ語で「掃く」の意)。シェラに憑かれると、家事をいやがり、水汲みも薪拾いもせず、ただ寝ることと食うことのみを好むようになる。気が狂いブッシュに走り込んだり、川に飛び込んだり、高い木に登ったりする。要求: 薄手の黒い布(gushe)、ビーズ飾りのついた赤い布(ショールのように肩に纏う)。治療:「嗅ぎ出し(ku-zuza)76、クブゥラ・ミジゴ(kuphula mizigo 重荷を下ろす78)と呼ばれるほぼ一昼夜かかる手続きによって治療。イキリク(ichiliku80)、おしゃべり女(chibarabando81)、重荷の女(muchet'u wa mizigo82)、気狂い女(muchet'u wa k'oma83)、狂気を煮立てる者(mujita k'oma84)、ディゴ女(muchet'u wa chidigo85、長い髪女(mwadiwa86)などの多くの別名をもつ。男のシェラは編み肩掛け袋(mukoba87)を持った姿で、女のシェラは大きな乳房の女性の姿で現れるという。
76 クズザ(ku-zuza)は「嗅ぐ、嗅いで探す」を意味する動詞。憑依霊の文脈では、もっぱらライカ(laika)等の憑依霊によって奪われたキブリ(chivuri77)を探し出して患者に戻す治療(uganga wa kuzuza)のことを意味する。キツィンバカジ、ライカやシェラをもっている施術師によって行われる。施術師を取り囲んでカヤンバを演奏し、施術師はこれらの霊に憑依された状態で、カヤンバ演奏者たちを引き連れて屋敷を出発する。ライカやシェラが患者のchivuriを奪って隠している洞穴、池や川の深みなどに向かい、鶏などを供犠し、そこにある泥や水草などを手に入れる。出発からここまでカヤンバが切れ目なく演奏され続けている。屋敷に戻り、手に入れた泥などを用いて、取り返した患者のキブリ(chivuri)を患者に戻す。その際にもカヤンバが演奏される。キブリ戻しは、屋内に仰向けに寝ている患者の50cmほど上にムルングの布を広げ、その中に手に入れた泥や水草、睡蓮の根などを入れ、大量の水を注いで患者に振りかける。その後、患者のキブリを捕まえてきた瓢箪の口を開け、患者の目、耳、口、各関節などに近づけ、口で吹き付ける動作。これでキブリは患者に戻される。その後、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。それがすむと、屋外に患者も出てカヤンバの演奏で踊る。クズザ単独で行われる場合は、この後、患者にンガタ12を与える。この施術全体をさして、単にクズザあるいは「嗅ぎ出しのカヤンバ(kayamba ra kuzuza)」と呼ぶ。やり方の細部は、施術師によってかなり異なる。
77 キヴリ(chivuri)。人間の構成要素。いわゆる日本語でいう霊魂的なものだが、その違いは大きい。chivurivuriは物理的な影や水面に写った姿などを意味するが、chivuriと無関係ではない。chivuriは妖術使いや(chivuriの妖術)、ある種の憑依霊によって奪われることがある。人は自分のchivuriが奪われたことに気が付かない。妖術使いが奪ったchivuriを切ると、その持ち主は死ぬ。憑依霊にchivuriを奪われた人は朝夕悪寒を感じたり、頭痛などに悩まされる。chivuriは夜間、人から抜け出す。抜け出したchivuriが経験することが夢になる。妖術使いによって奪われたchivuriを手遅れにならないうちに取り返す治療がある。chivuriの妖術については[浜本, 2014『信念の呪縛:ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版,pp.53-58]を参照されたい。また憑依霊によって奪われたchivuriを探し出し患者に戻すku-zuza76と呼ばれる手続きもある。
78 憑依霊シェラに対する治療。シェラの施術師となるには必須の手続き。シェラは本来素早く行動的な霊なのだが、重荷(mizigo79)を背負わされているため軽快に動けない。シェラに憑かれた女性が家事をサボり、いつも疲れているのは、シェラが重荷を背負わされているため。そこで「重荷を下ろす」ことでシェラとシェラが憑いている女性を解放し、本来の勤勉で働き者の女性に戻す必要がある。長い儀礼であるが、その中核部では患者はシェラに憑依され、屋敷でさまざまな重荷(水の入った瓶や、ココヤシの実、石などの詰まった網籠を身体じゅうに掛けられる)を負わされ、施術師に鞭打たれながら水辺まで進む。水辺には木の台が据えられている。そこで重荷をすべて下ろし、台に座った施術師の女助手の膝に腰掛けさせられ、ヤギを身体じゅうにめぐらされ、ヤギが供犠されたのち、患者は水で洗われ、再び鞭打たれながら屋敷に戻る。その過程で女性がするべきさまざまな家事仕事を模擬的にさせられる(薪取り、耕作、水くみ、トウモロコシ搗き、粉挽き、料理)、ついで「夫」とベッドに座り、父(男性施術師)に紹介させられ、夫に食事をあたえ、等々。最後にカヤンバで盛大に踊る、といった感じ。まさにミメティックに、重荷を下ろし、家事を学び直し、家庭をもつという物語が実演される。
79 ムジゴ(muzigo, pl.mizigo)。「荷物」。
80 イキリクまたはキリク(ichiliku)。憑依霊シェラ(shera75)の別名。シェラには他にも重荷を背負った女(muchet'u wa mizigo)、長い髪の女(mwadiwa=mutu wa diwa, diwa=長い髪)、狂気を煮たてる者(mujita k'oma)、高速の女((mayo wa mairo) もともととても素速い女性だが、重荷を背負っているため速く動けない)、気狂い女(muchet'u wa k'oma)、口軽女(chibarabando)など、多くの別名がある。無駄口をたたく、他人と折り合いが悪い、分別がない(mutu wa kutsowa akili)といった属性が強調される。
81 キバラバンド(chibarabando)。「おしゃべりな人、おしゃべり」。shera75の別名の一つ
82 ムチェツ・ワ・ミジゴ(muchet'u wa mizigo)。「重荷の女」。憑依霊シェラ75の別名。治療には「重荷下ろし」のカヤンバ(kayamba ra kuphula mizigo)が必要。重荷下ろしのカヤンバ
83 ムチェツ・ワ・コマ(muchet'u wa k'oma)。「きちがい女」。憑依霊シェラ75の別名ともいう。
84 ムジタ・コマ(mujita k'oma)。「狂気を煮立てる者」。憑依霊シェラ(shera75)の別名の一つ。憑依霊ディゴ人(ムディゴ(mudigo74))の別名ともされる。
85 ムチェツ・ワ・キディゴ(muchet'u wa chidigo)。「ディゴ女」。憑依霊シェラ75の別名。あるいは憑依霊ディゴ人(mudigo74)の女性であるともいう。
86 ムヮディワ(mwadiwa)。「長い髪の女」。憑依霊シェラの別名のひとつともいう。ディワ(diwa)は「長い髪」の意。ムヮディワをマディワ(madiwa)と発音する人もいる(特にカヤンバの歌のなかで)。mayo mwadiwa、mayo madiwa、nimadiwaなどさまざまな言い方がされる。
87 ムコバ(mukoba)。持ち手、あるいは肩から掛ける紐のついた編み袋。サイザル麻などで編まれたものが多い。憑依霊の癒しの術(uganga)では、施術師あるいは癒やし手(muganga)がその瓢箪や草木を入れて運んだり、瓢箪を保管したりするのに用いられるが、癒しの仕事を集約する象徴的な意味をもっている。自分の祖先のugangaを受け継ぐことをムコバ(mukoba)を受け継ぐという言い方で語る。また病気治療がきっかけで患者が、自分を直してくれた施術師の「施術上の子供」になることを、その施術師の「ムコバに入る(kuphenya mukobani)」という言い方で語る。患者はその施術師に4シリングを払い、施術師はその4シリングを自分のムコバに入れる。そして患者に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」(20シリング)を与える。これによりその患者はその施術師の「ムコバ」に入り、その施術上の子供になる。施術上の子供を辞めるときには、ただやめてはいけない。病気になる。施術上の子供は施術師に「ヤギと瓢箪いっぱいのヤシ酒(mbuzi na kadzama)」を支払い、4シリングを返してもらう。これを「ムコバから出る(kulaa mukobani)」という。
88 ムサンバラ(Musambala)。憑依霊の一種、サンバラ人、タンザニアの民族集団の一つ、ムルングと同時に「外に出され」、ムルングと同じ瓢箪子供を共有。瓢箪の首のビーズ、赤はムサンバラのもの。占いを担当。赤い(茶色)犬。
89 ムルングジ(mulunguzi)。至高神ムルングに従う下位の霊たちを指しているというが、施術師によって解釈は異なる。指小辞をつけてカルングジ(kalunguzi)と呼ばれることもある。
90 ジャビジャビ(jabijabi)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとに出てくる言葉。コンテクストからは高い山、池などの地名と思われるが該当箇所は不明。なお憑依霊ジャビジャビ導師(mwalimu jabijabi)は憑依霊ペーポームルメ(p'ep'o mulume)つまりスディアニ導師(mwalimu sudiani31)の別名とされている。しかし唱えごとのコンテクストからはこの意味ではないと思われる。
91 ングラ(ngura)。意味不明。NguraあるいはNgura na Ngura で池の名前か?
92 ゾンボ(Dzombo)。地名。モンバサの南海岸後背地にある山(クワレ・カウンティ南部、標高470mだが、周囲の平地から突出して見える、かつてディゴのカヤ(Kaya dzombo)もここに位置していた)。至高神ムルングやその他の憑依霊たちの棲まう場所とされている。
93 サンブル(Samburu)。ナイロビとモンバサを結ぶ街道沿いの小さな交易町。モンバサからナイロビに向かい、マリアカーニを過ぎると、次の主要交易町がサンブルである。ドゥルマの中心町キナンゴで分岐する道の一つは、ヴィグルンガーニを経由してサンブルに至るダートロードで、私の最初の調査地、「青い芯のトウモロコシ」村もこのダートロード沿いにあった。
94 ムガマーニ(Mugamani)。地名。mugama は実が食用、幹が薬用になる高木。目立つ木なので、ムガマーニ(ムガマのところ)という地名をもつ場所は多い。学名Mimusops somalensis(Pakia&Cooke2003:393)
95 ンディマ(ndima, ndimwa)。チャリによるとlaika系の憑依霊の名。昔はkuzuza(chivuri戻し)の際によく歌われていたという。今日ではあまり耳にしない。他の人に(施術師、一般人)尋ねると、ndimaは畑仕事のことだという。「畑の状態を見ようと家に帰ると」の方が筋が通るように見えるが...
96 ポングェ(Pongbwe)。チャリの解説によると、kaya pongbwe「ポングェのカヤ」というのは憑依霊が棲まう患者の身体のこと。「カヤ・ポングェというのは、あなたの身体のなかに憑依霊が腰掛けているそんな感じ。ねえ、カヤって屋敷のことでしょうが。あなたがた(憑依霊たち)の屋敷をあなたがたが壊している。」(Kaya pongbwe ni dza viratu udzisagarirwa muratu mwirini. Sambi kaya ni mudzi mba. Ni mudzi wenu munavunza.)(DB 7293)
97 キンベーブォ(Chimbepho)。池だと説明される。キンベポ(kimbepo, kimbevo)はキトゥイ・カウンティにある大きな浅い池だが、これを指しているのかどうかは確かではない。
98 マカンガ(makanga)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとの中に出てくる言葉。チャリの説明によると、ヴィグルンガーニからサンブルに向かう途中にある大きな窪地(湿地帯)で、そこを越える際にさまざまな不思議を経験する。憑依霊たちの停留地の一つだという。
99 マンゲラ(Mangera)。唱えごとの中で「マンゲラの池」という形で言及される。Mangera という言葉はドゥルマ語では、水辺に棲む白い鳥。図鑑でカタナ君はこの鳥をサギ(シラサギ)に同定した。一方、ドゥルマのはずれにはMangeriと呼ばれる湿地帯がある。Mangeri Swampは、キリバシ山の北西、ヴォイの南方に位置する大きな湿地帯。「マンゲラの池」がこのいずれであるかは不明。
100 キツァンゼ(Chitsanze)。クワレ・カウンティ、マトゥガ・ディヴィジョンの一地区。聖なる森カヤ・キツァンゼおよびその近くの滝で知られている。
101 私はドゥルマ語のmugangaを「施術師」、「治療師」、「癒し手」などと訳している。この唱えごとのこの箇所で、あえて「癒し手」と訳しているのは、この唱えごとの中で、自分はmugangaではない、mugangaはムルング(「神」)であると語るくだりがあるから。いくらなんでも神を施術師と呼ぶのはいかがなものか、と感じたからである。
102 ンジェレジェレ(njerenjere)。「長声」、踊りや歌の際に女性が立てるかん高く,引延ばされた叫び声のこと。
103 キグルフュラ(chigulufyula)。施術師チャリ(Chari)の唱えごとの中に出てくる言葉。チャリによると池の名前である。地図上では同定不可。キグル(chigulu, pl.vigulu)は「脚(gulu, pl.magulu)」の指小形。クフュラ(ku-fyula)は「曲げる、向きを変えさせる、逸らす」などを意味する動詞。
104 マレレ(Marere)。シンバヒル(Shimba Hill)のなかの森。マレレの森。その近くのペンバ川とクワレ・キナンゴを結ぶ街道が交差するあたりの淵もマレレと呼ばれる。モンバサ、およびキナンゴへの水道の水源になっている。
105 ムァムニィカ(mwamunyika)。大雨季の際に空から内陸部に降りて川を海まで下る空想上の大蛇。mulunguの別名(というか化身 chimwirimwiri)とされている。別名、ヴンザレレ106。(ただしチャリによると、ムァムニィカ=ヴンザレレは憑依霊世界導師(mwalimu dunia)であり、ムルング(またはムルング子神mwanamulungu)と世界導師は同一であるという。)
106 ヴンザレレ(vunzarere, pl. mavunzarere)。猛毒を持つ毒蛇、東アフリカグリーンマンバDendroaspis angustoceps。ムルングの別名(実体?)。
107 ペーポー(p'ep'o, pl. map'ep'o)。p'ep'oは憑依霊一般を指すが、憑依霊アラブ人(Mwarabu)と同義に用いられる場合もある。ペーポー子神(mwana p'ep'o)という呼称は、憑依霊アラブ人に対する呼称。なお憑依霊一般については p'ep'oの他に、shetani108もあるが、ドゥルマ地域ではnyama(「動物」を意味する普通名詞109)という言葉が最も一般的に用いられる。
108 シェタニ(shetani, pl.mashetani)。憑依霊を指す一般的な言葉の一つ。スワヒリ語。他にドゥルマ語ではペーポ(p'ep'o, pl.map'ep'o)、ニャマ(nyama, pl.nyama)。p'ep'o はpeho「風、冷気、冷たさ」と関係ありか。nyama は「動物、肉」を意味する普通名詞。
109 ニャマ(nyama)。憑依霊について一般的に言及する際に、最もよく使われる名詞がニャマ(nyama)という言葉である。これはドゥルマ語で「動物」の意味。ペーポー(p'ep'o107)、シェターニ(shetani108スワヒリ語)も、憑依霊を指す言葉として用いられる。名詞クラスは異なるが nyama はまた「肉、食肉」の意味でも用いられる。憑依霊はさまざまな仕方で分類される。その一つは「ニャマ・ワ・ムウィリニ(nyama wa mwirini21)」と「ニャマ・ワ・クウサ(nyama wa kuusa22)」の区別。前者は「身体にいる憑依霊」の意味で人に憑いて一生続く関係をもつ憑依霊。憑依霊の施術師たちの手を借りて交渉し、霊たちの要求を満たしてやることで、霊と比較的安定して友好的(?)な関係を維持することができる。このタイプの霊の多くは除霊できない。後者は「除去の憑依霊」の意味で、女性に憑くが、その子供を殺してしまうので除霊(kukokomola20)が必要な霊。後者の多くは、妖術使いによって送りつけられたジネ系の霊で、イスラム教徒の施術師による除霊を必要とする。他にも「上の霊(nyama wa dzulu)」と呼ばれる鳥の霊たちがあり、こちらはドゥルマの施術師によって除霊できる。この分類とは別に憑依霊を、「海岸部の憑依霊(nyama wa pwani110)」あるいは「イスラム系の憑依霊(nyama wa chidzomba29)」と「内陸部の憑依霊(nyama wa bara111)」の2つに分ける区別もある。
110 ニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl.nyama a pwani)。「海岸部の憑依霊」。イスラム系の霊(nyama wa chidzomba29)に同じ。非イスラム系の土着の憑依霊たち、ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara)との対比で、この名で呼ばれる。
111 ニャマ・ワ・バラ(nyama wa bara, pl. nyama a bara)。「内陸系の憑依霊。」イスラム系の霊がニャマ・ワ・プワニ(nyama wa pwani, pl. nyama a pwani)、つまり「海岸部の憑依霊」と呼ばれるのに対比して、内陸部の非イスラム的な憑依霊をこの名前で呼ぶ。
112 ムァラブ(mwarabu)。憑依霊アラブ人、単にp'ep'oと言うこともある。ムルングに次ぐ高位の憑依霊。ムルングが池系(maziyani)の憑依霊全体の長である(ndiye mubomu wa a maziyani osi)のに対し、アラブ人はイスラム系の憑依霊全体の長(ndiye mubomu wa p'ep'o a chidzomba osi)。ディゴ地域ではカヤンバ儀礼はアラブ人の歌から始まる。ドゥルマ地域では通常はムルングの歌から始まる。縁飾り(mitse)付きの白い布(kashida)と杖(mkpwaju)、襟元に赤い布を縫い付けた白いカンズ(moyo wa tsimba)を要求。rohaniは女性のアラブ人だと言われる。症状:全身瘙痒、掻きむしってchironda(傷跡、ケロイド、瘡蓋)
113 ムバラワ(mubarawa)。イスラム系憑依霊、バラワ人は、ソマリアの港町バラワに住むスワヒリ語方言を話す人々。イスラム教徒。症状:肺、頭痛。赤いコフィア,チョッキsibao,杖mukpwajuを要求
114 サンズア(sanzua)。憑依霊ギリアマ人、女性。占いをする。matali(野ネズミ)を食べる。憑依されると、周りにいる人の誰が健康で、誰が病気かを言い当てたりする。症状: 発狂kpwayusa,歩くのも困難なほどの身体の痛み。要求: hando ra mupangiro(細長く切った布片を重ねるように縫い合わせて作った蓑=chituku)、3本脚の御椀(chivuga)
115 ブルシ(bulushi)。憑依霊バルーチ(Baluchi)人、イスラム教徒。バルーチ人は19世紀初頭にオマンのスルタンの兵隊として東アフリカ海岸部に定住。とりわけモンバサにコミュニティを築き、内陸部との通商にも従事していたという。ドゥルマのMwakaiクランの始祖はブッシュで迷子になり、土地の人々に拾われたバルーチの子供(mwanabulushi)であったと言われている。要求:イスラム風の衣装 白いローブ(kanzu)、レース編みの帽子(kofia ya mukono)、チョッキ(chisibao)。
116 ムクヮビ、憑依霊クヮビ(mukpwaphi pl. akpwaphi)人。19世紀の初頭にケニア海岸地方にまで勢力をのばし、ミジケンダやカンバなどに大きな脅威を与えていた牧畜民。ムクヮビは海岸地方の諸民族が彼らを呼ぶのに用いていた呼称。ドゥルマの人々は今も、彼らがカヤと呼ばれる要塞村に住んでいた時代の、自分たちにとっての宿敵としてムクヮビを語る。ムクヮビは2度に渡るマサイとの戦争や、自然災害などで壊滅的な打撃を受け、ケニア海岸部からは姿を消した。クヮビ人はマサイと同系列のグループで、2度に渡る戦争をマサイ内の「内戦」だとする記述も多い。ドゥルマの人々のなかには、ムクヮビをマサイの昔の呼び方だと述べる者もいる。
117 キツィンバカジ(chitsimbakazi)。別名カツィンバカジ(katsimbakazi)。空から落とされて地上に来た憑依霊。ムルングの子供。ライカ(laika)の一種だとも言える。mulungu mubomu(大ムルング)=mulungu wa kuvyarira(他の憑依霊を産んだmulungu)に対し、キツィンバカジはmulungu mudide(小ムルング)だと言われる。男女あり。女のキツィンバカジは、背が低く、大きな乳房。laika dondoはキツィンバカジの別名だとも。「天空のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha mbinguni)」と「池のキツィンバカジ(chitsimbakazi cha ziyani)」の二種類がいるが、滞在している場所の違いだけ。キツィンバカジに惚れられる(achikutsunuka)と、頭痛と悪寒を感じる。占いに行くとライカだと言われる。また、「お前(の頭)を破裂させ気を狂わせる anaidima kukulipusa hata ukakala undaayuka.」台所の炉石のところに行って灰まみれになり、灰を食べる。チャリによると夜中にやってきて外から挨拶する。返事をして外に出ても誰もいない。でもなにかお前に告げたいことがあってやってきている。これからしかじかのことが起こるだろうとか、朝起きてからこれこれのことをしろとか。嗅ぎ出しの施術(uganga wa kuzuza)のときにやってきてku-zuzaしてくれるのはキツィンバカジなのだという。
118 ムガラ(mugala)。民族名の憑依霊、ガラ人(Mugala/Agala)、エチオピアの牧畜民。ミジケンダ諸集団にとって伝統的な敵。ミジケンダの起源伝承(シュングワヤ伝承)では、ミジケンダ諸集団はもともとソマリア国境近くの伝説の土地シュングワヤに住んでいたのだが、そこで兄弟のガラと喧嘩し、今日ミジケンダが住んでいる地域まで逃げてきたということになっている。振る舞い: カヤンバの場で飛び跳ねる。症状:(脇がトゲを突き刺されたように痛む(mbavu kudunga miya)、牛追いをしている夢を見る、要求:槍(fumo)、縁飾り(mitse)付きの白い布(Mwarabuと同じか?)
119 ムボニ(muboni)。民族名の憑依霊、ボニ人(Boni)、ケニア海岸地方のソマリアに隣接する内陸部にいた狩猟採集民。ドゥルマの人々にとってはMuryangulo(Aryangulo(pl.))の名の方が馴染み深い。憑依霊の別名kalimangao(kalima=dim. of mulima「小さい山」、ngao=「盾」)、占いの能力、症状: kpwayusa(発狂)、その歌にはカヤンバ演奏ではなく太鼓を要求する。
120 ムダハロ(mudahalo)。民族名の憑依霊、ダハロ人(Dahalo)、19世紀にはクシュ系の狩猟採集民で、ワサーニェ(Wasanye)、ワータ(Wata)などの名前でも知られている。憑依霊としては、カヤンバではなく太鼓ngomaを要求、占いmburugaをする。症状: 発狂、ブッシュに逃げ込んでしまう
121 ムコロンゴ(mukorongo)。民族名の憑依霊、ンギンド人122の別名とされるが、コロンゴ人(Korongo)だとすると、その居住地はスーダン・コルドファン地域であり、ンギンド人の別名とするには無理がある。一方、korongoはスワヒリ語ではツル科(Gruidae)の鳥を指す。
122 ムンギンドゥ(mungindo)。民族名の憑依霊、ンギンド人(Ngindo)、マラウィに住む東中央バントゥの農耕民、憑依霊「奴隷mutumwa」の別名とされる。「奴隷」はギリアマでの呼び名。足に鉄の輪をはめて踊る。占いmburugaをする。カヤンバではなく太鼓を要求。mukorongoもその別名だとする意見もある。
123 ムコロメア(mukoromea)。民族名の憑依霊、ナンディ人124の別名とされる。近い名前の民族集団としてはエチオピアに同じナイロートにカロマ(Karoma)、コルマ(Korma)、モクルマ(Mokurma)、ニィコロマ(Nyikoroma)などがいるが、やや無理があるように思える。
124 ムナンディ(munandi)。民族名の憑依霊、ナンディ人(Nandi)。西ケニアに住むナイロート系の牧畜民。症状: 1日中身体のあらゆるところが痛い。カヤンバではなく太鼓を要求。品物: 先端が瘤のようになった棍棒(lungu)と投げ槍(mkuki)を要求。mukoromea123、mukavirondo125はいずれもナンディ人の別名であるという。
125 ムカヴィロンド(mukavirondo)。民族名の憑依霊。カヴィロンド(Kavirondo)は、西ケニア・ヴィクトリア湖のかつてのカヴィロンド湾(今日のウィナム湾)周辺に住んでいたバントゥ系、およびナイロート系諸集団に対する植民地時代の呼び名。ドゥルマの憑依霊の世界においては、ナンディ人、カンバ人などの別名、あるいはそれらと同じグループに属する憑依霊の一つとされている。唱えごとの中で言及されるのみ。
126 ジム(zimu, pl.mazimu)。憑依霊の一種。ジム(zimu)は民話などにも良く登場する怪物。身体の右半分は人間で左半分は動物、尾があり、人を捕らえて食べる。gojamaの別名とも。mabulu(蛆虫、毛虫)を食べる。憑依霊として母親に憑き、子供を捕らえる。その子をみるといつもよだれを垂らしていて、知恵遅れのように見える。うとうとしてばかりいる。ジムをもつ女性は、雌羊(ng'onzi muche)とその仔羊を飼い置く。彼女だけに懐き、他の者が放牧するのを嫌がる。いつも彼女についてくる。gojamaの羊は牡羊なので、この点はゴジャマとは異なる。ムドエ(mudoe)、ドゥングマレ(dungumale)、キズカ(chizuka)、スンドゥジ(sunduzi)とともに、昔からいる霊だと言われる。
127 ムリマ・ンガオ(murima ngao)。民族名の憑依霊ドエ人(Mudoe)の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。kalima ngaoとも。
128 ムトゥムァ(mutumwa)。ムトゥムァは「奴隷」を意味する名詞。ムリナとチャリの夫妻の施術師によれば、民族名の憑依霊ンギンド人(Mungindo)122の別名(ギリアマにおける呼び名)だという。ムニャジ(Munyazi129)は、憑依霊ドゥルマ人のグループに属する憑依霊だとする。
129 ムニャジ(Munyazi wa Shala)。1990年に施術師(muganga)になる。彼女の施術上の父と母はムァインジとアンザジ(130)の夫婦。メチョンボ(Mechombo)は彼女の子供名(dzina ra mwana156, 最初に産んだ子供の名前にちなむ呼び名で女性に対する敬意がこめられた名前)。
130 ムァインジ(Mwainzi)とアンザジ(Anzazi)。キナンゴの町から10キロほど入った「犬たちの場所」という名の地域に住む施術師夫妻。ムァインジは1990年1月にムニャジ(Munyazi129)の「外に出す」ンゴマを主宰、1991年にはチャリ(Chari131)の三度目の「重荷下ろし(ku-phula mizigo)78」とライカ(laika139)およびシェラ(Shera75)の「外に出す」ンゴマを主宰する。アンザジは後にチャリによって世界導師135を「外に出し」てもらうことになる。
131 ムリナとチャリ(Murina & Chari)。私が調査中、最も懇意にしていた施術師夫婦のひとつ。Murinaは妖術を治療する施術師だが、イスラム系の憑依霊Jabale導師132などをもっている。ただし憑依霊の施術師としては正式な就任儀式(ku-lavya konze133を受けていない。その妻Chariは憑依霊の施術師。多くの憑依霊をもっている。1989年以来の課題はイスラム系の怒りっぽい霊ペンバ人(mupemba134)の施術師に正式に就任することだったが、1994年3月についにそれを終えた。彼女がもつ最も強力な霊は「世界導師(mwalimu dunia)135」とドゥルマ人(muduruma44)。他に彼女の占い(mburuga)をつかさどるとされるガンダ人、セゲジュ人、ピニ(サンズアの別名とも)、病人の奪われたキブリ(chivuri77)を取り戻す「嗅ぎ出し(ku-zuza76)」をつかさどるライカ、シェラなど、多くの霊をもっている。
132 ジャバレ(jabale)。憑依霊ジャバレ導師(mwalimu jabale)。憑依霊ペンバ人のトップ(異説あり)。症状: 血を吸われて死体のようになる、ジャバレの姿が空に見えるようになる。世界導師(mwalimu dunia)と同じ瓢箪子供を共有。草木も、世界導師、ジンジャ(jinja)、カリマンジャロ(kalimanjaro)とまったく同じ。同時に「外に出される」つまり世界導師を外に出すときに、一緒に出てくる。治療: mupemba の mihi(mavumba maphuphu、mihi ya pwani: mikoko mutsi, mukungamvula, mudazi mvuu, mukanda)に muduruma の mihi を加えた nyungu を kudzifukiza 8日間。(注についての注釈: スワヒリ語 jabali は「岩、岩山」の意味。ドゥルマでは入道雲を指してjabaleと言うが、スワヒリ語にはこの意味はない。一方スワヒリ語には jabari 「全能者(Allahの称号の一つ)、勇者」がある。こちらのほうが憑依霊の名前としてはふさわしそうに思えるが、施術師の解説ではこちらとのつながりは見られない。ドゥルマ側での誤解の可能性も。憑依霊ジャバレ導師は、「天空におわしますジャバレ王 mfalme jabale mukalia anga」と呼びかけられるなど、入道雲解釈もドゥルマではありうるかも。
133 ク・ラヴャ・コンゼ(ンゼ)(ku-lavya konze, ku-lavya nze)は、字義通りには「外に出す」だが、憑依の文脈では、人を正式に癒し手(muganga、治療師、施術師)にするための一連の儀礼のことを指す。人を目的語にとって、施術師になろうとする者について誰それを「外に出す」という言い方をするが、憑依霊を目的語にとってたとえばムルングを外に出す、ムルングが「出る」といった言い方もする。同じく「癒しの術(uganga)」が「外に出る」、という言い方もある。憑依霊ごとに違いがあるが、最も多く見られるムルング子神を「外に出す」場合、最終的には、夜を徹してのンゴマ(またはカヤンバ)で憑依霊たちを招いて踊らせ、最後に施術師見習いはトランス状態(kugolomokpwa)で、隠された瓢箪子供を見つけ出し、占いの技を披露し、憑依霊に教えられてブッシュでその憑依霊にとって最も重要な草木を自ら見つけ折り取ってみせることで、一人前の癒し手(施術師)として認められることになる。
134 ムペンバ(mupemba)。民族名の憑依霊ペンバ人。ザンジバル島の北にあるペンバ島の住人。強力な霊。きれい好きで厳格なイスラム教徒であるが、なかには瓢箪子供をもつペンバ人もおり、内陸系の霊とも共通性がある。犠牲者の血を好む。症状: 腹が「折りたたまれる(きつく圧迫される)」、吐血、血尿。治療:7日間の「飲む大皿」と「浴びる大皿」32、香料9と海岸部の草木7の鍋6。要求: 白いローブ(kanzu)帽子(kofia手縫いの)などイスラムの装束、コーラン(本)、陶器製のコップ(それで「飲む大皿」や香料を飲みたがる)、ナイフや長刀(panga)、癒やしの術(uganga)。施術師になるには鍋治療ののちに徹夜のカヤンバ(ンゴマ)、赤いヤギ、白いヤギの供犠が行われる。ペンバ人のヤギを飼育(みだりに殺して食べてはならない)。これらの要求をかなえると、ペンバ人はとり憑いている者を金持ちにしてくれるという。
135 ムァリム・ドゥニア(mwalimu dunia)。「世界導師136。内陸bara系137であると同時に海岸pwani系29であるという2つの属性を備えた憑依霊。別名バラ・ナ・プワニ(bara na pwani「内陸部と海岸部」138)。キナンゴ周辺ではあまり知られていなかったが、Chariがやってきて、にわかに広がり始めた。ヘビ。イスラムでもあるが、瓢箪子供をもつ点で内陸系の霊の属性ももつ。
136 イリム・ドゥニア(ilimu dunia)。ドゥニア(dunia)はスワヒリ語で「世界」の意。チャリ、ムリナ夫妻によると ilimu dunia(またはelimu dunia)は世界導師(mwalimu dunia135)の別名で、きわめて強力な憑依霊。その最も顕著な特徴は、その別名 bara na pwani(内陸部と海岸部)からもわかるように、内陸部の憑依霊と海岸部のイスラム教徒の憑依霊たちの属性をあわせもっていることである。しかしLambek 1993によると東アフリカ海岸部のイスラム教の学術の中心地とみなされているコモロ諸島においては、ilimu duniaは文字通り、世界についての知識で、実際には天体の運行がどのように人の健康や運命にかかわっているかを解き明かすことができる知識体系を指しており、mwalimu duniaはそうした知識をもって人々にさまざまなアドヴァイスを与えることができる専門家を指し、Lambekは、前者を占星術、後者を占星術師と訳すことも不適切とは言えないと述べている(Lambek 1993:12, 32, 195)。もしこの2つの言葉が東アフリカのイスラムの学術的中心の一つである地域に由来するとしても、ドゥルマにおいては、それが甚だしく変質し、独自の憑依霊的世界観の中で流用されていることは確かだといえる。
137 バラ(bara)。スワヒリ語で「大陸、内陸部、後背地」を意味する名詞。ドゥルマ語でも同様。非イスラム系の霊は一般に「内陸部の霊 nyama wa bara」と呼ばれる。反対語はプワニ(pwani)。「海岸部、浜辺」。イスラム系の霊は一般に「海岸部の霊 nyama wa pwani」と呼ばれる。
138 バラ・ナ・プワニ(bara na pwani)。世界導師(mwalimu dunia135)の別名。baraは「内陸部」、pwaniは「海岸部」の意味。ドゥルマでは憑依霊は大きく、nyama wa bara 内陸系の憑依霊と、nyama wa pwani 海岸系の憑依霊に分かれている。海岸系の憑依霊はイスラム教徒である。世界導師は唯一内陸系の霊と海岸系の霊の両方の属性をもつ霊とされている。
139 ライカ(laika)、ラライカ(lalaika)とも呼ばれる。複数形はマライカ(malaika)。きわめて多くの種類がいる。多いのは「池」の住人(atu a maziyani)。キツィンバカジ(chitsimbakazi117)は、単独で重要な憑依霊であるが、池の住人ということでライカの一種とみなされる場合もある。ある施術師によると、その振舞いで三種に分れる。(1)ムズカのライカ(laika wa muzuka140) ムズカに棲み、人のキブリ(chivuri77)を奪ってそこに隠す。奪われた人は朝晩寒気と頭痛に悩まされる。 laika tunusi141など。(2)「嗅ぎ出し」のライカ(laika wa kuzuzwa) 水辺に棲み子供のキブリを奪う。またつむじ風の中にいて触れた者のキブリを奪う。朝晩の悪寒と頭痛。laika mwendo142,laika mukusi143など。(3)身体内のライカ(laika wa mwirini) 憑依された者は白目をむいてのけぞり、カヤンバの席上で地面に水を撒いて泥を食おうとする laika tophe144, laika ra nyoka144, laika chifofo147など。(4) その他 laika dondo148, laika chiwete149=laika gudu150), laika mbawa151, laika tsulu152, laika makumba153=dena154など。三種じゃなくて4つやないか。治療: 屋外のキザ(chiza cha konze3)で薬液を浴びる、護符(ngata12)、「嗅ぎ出し」施術(uganga wa kuzuza76)によるキブリ戻し。深刻なケースでは、瓢箪子供を授与されてライカの施術師になる。
140 ライカ・ムズカ(laika muzuka)。ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)の別名。またライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・パガオ(laika pagao)、ライカ・ムズカは同一で、3つの棲み処(池、ムズカ(洞窟)、海(baharini))を往来しており、その場所場所で異なる名前で呼ばれているのだともいう。ライカ・キフォフォ(laika chifofo)もヌフシの別名とされることもある。
141 ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)。ヴィトゥヌシ(vitunusi)は「怒りっぽさ」。トゥヌシ(tunusi)は人々が祈願する洞窟など(muzuka)の主と考えられている。別名ライカ・ムズカ(laika muzuka)、ライカ・ヌフシ。症状: 血を飲まれ貧血になって肌が「白く」なってしまう。口がきけなくなる。(注意!): ライカ・トゥヌシ(laika tunusi)とは別に、除霊の対象となるトゥヌシ(tunusi)がおり、混同しないように注意。ニューニ(nyuni18)あるいはジネ(jine)の一種とされ、女性にとり憑いて、彼女の子供を捕らえる。子供は白目を剥き、手脚を痙攣させる。放置すれば死ぬこともあるとされている。女性自身は何も感じない。トゥヌシの除霊(ku-kokomola)は水の中で行われる(DB 2404)。
142 ライカ・ムェンド(laika mwendo)。動きの速いことからムェンド(mwendo)と呼ばれる。mwendoという語はスワヒリ語と共通だが、「速度、距離、運動」などさまざまな意味で用いられる。唱えごとの中では「風とともに動くもの(mwenda na upepo)」と呼びかけられる。別名ライカ・ムクシ(laika mukusi)。すばやく人のキブリを奪う。「嗅ぎ出し」にあたる施術師は、大急ぎで走っていって,また大急ぎで戻ってこなければならない.さもないと再び chivuri を奪われてしまう。症状: 激しい狂気(kpwayuka vyenye)。
143 ライカ・ムクシ(laika mukusi)。クシ(kusi)は「暴風、突風」。キククジ(chikukuzi)はクシのdim.形。風が吹き抜けるように人のキブリを奪い去る。ライカ・ムェンド(laika mwendo) の別名。
144 ライカ・トブェ(laika tophe)。トブェ(tophe)は「泥」。症状: 口がきけなくなり、泥や土を食べたがる。泥の中でのたうち回る。別名ライカ・ニョカ(laika ra nyoka)、ライカ・マフィラ(laika mwafira145)、ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka146)、ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。
145 ライカ・ムァフィラ(laika mwafira)、fira(mafira(pl.))はコブラ。laika mwanyoka、laika tophe、laika nyoka(laika ra nyoka)などの別名。
146 ライカ・ムァニョーカ(laika mwanyoka)、nyoka はヘビ、mwanyoka は「ヘビの人」といった意味、laika chifofo、laika mwafira、laika tophe、laika nyokaなどの別名
147 ライカ・キフォフォ(laika chifofo)。キフォフォ(chifofo)は「癲癇」あるいはその症状。症状: 痙攣(kufitika)、口から泡を吹いて倒れる、人糞を食べたがる(kurya mavi)、意識を失う(kufa,kuyaza fahamu)。ライカ・トブェ(laika tophe)の別名ともされる。
148 ライカ・ドンド(laika dondo)。dondo は「乳房 nondo」の aug.。乳房が片一方しかない。症状: 嘔吐を繰り返し,水ばかりを飲む(kuphaphika, kunwa madzi kpwenda )。キツィンバカジ(chitsimbakazi117)の別名ともいう。
149 ライカ・キウェテ(laika chiwete)。片手、片脚のライカ。chiweteは「不具(者)」の意味。症状: 脚が壊れに壊れる(kuvunza vunza magulu)、歩けなくなってしまう。別名ライカ・グドゥ(laika gudu)
150 ライカ・グドゥ(laika gudu)。ku-gudula「びっこをひく」より。ライカ・キウェテ(laika chiwete)の別名。
151 ライカ・ムバワ(laika mbawa)。バワ(bawa)は「ハンティングドッグ」。病気の進行が速い。もたもたしていると、血をすべて飲まれてしまう(kunewa milatso)ことから。症状: 貧血(kunewa milatso)、吐血(kuphaphika milatso)
152 ライカ・ツル(laika tsulu)。ツル(tsulu)は「土山、盛り土」。腹部が土丘(tsulu)のように膨れ上がることから。
153 マクンバ(makumba)。憑依霊デナ(dena154)の別名。
154 デナ(dena)。憑依霊の一種。ギリアマ人の長老。ヤシ酒を好む。牛乳も好む。別名マクンバ(makumbaまたはmwakumba)。突然の旋風に打たれると、デナが人に「触れ(richimukumba mutu)」、その人はその場で倒れ、身体のあちこちが「壊れる」のだという。瓢箪子供に入れる「血」はヒマの油ではなく、バター(mafuha ga ng'ombe)とハチミツで、これはマサイの瓢箪子供と同じ(ハチミツのみでバターは入れないという施術師もいる)。症状:発狂、木の葉を食べる、腹が腫れる、脚が腫れる、脚の痛みなど、ニャリ(nyari155)との共通性あり。治療はアフリカン・ブラックウッド(muphingo)ムヴモ(muvumo/Premna chrysoclada)ミドリサンゴノキ(chitudwi/Euphorbia tirucalli)の護符(pande10)と鍋。ニャリの治療もかねる。要求:鍋、赤い布、嗅ぎ出し(ku-zuza)の仕事。ニャリといっしょに出現し、ニャリたちの代弁者として振る舞う。
155 ニャリ(nyari)。憑依霊のグループ。内陸系の憑依霊(nyama a bara)だが、施術師によっては海岸系(nyama a pwani)に入れる者もいる(夢の中で白いローブ(kanzu)姿で現れることもあるとか、ニャリの香料(mavumba)はイスラム系の霊のための香料だとか、黒い布の月と星の縫い付けとか、どこかイスラム的)。カヤンバの場で憑依された人は白目を剥いてのけぞるなど他の憑依霊と同様な振る舞いを見せる。実体はヘビ。症状:発狂、四肢の痛みや奇形。要求は、赤い(茶色い)鶏、黒い布(星と月の縫い付けがある)、あるいは黒白赤の布を継ぎ合わせた布、またはその模様のシャツ。鍋(nyungu)。さらに「嗅ぎ出し(ku-zuza)76」の仕事を要求することもある。ニャリはヘビであるため喋れない。Dena154が彼らのスポークスマンでありリーダーで、デナが登場するとニャリたちを代弁して喋る。また本来は別グループに属する憑依霊ディゴゼー(digozee47)が出て、代わりに喋ることもある。ニャリnyariにはさまざまな種類がある。ニャリ・ニョカ(nyoka): nyokaはドゥルマ語で「ヘビ」、全身を蛇が這い回っているように感じる、止まらない嘔吐。よだれが出続ける。ニャリ・ムァフィラ(mwafira):firaは「コブラ」、ニャリ・ニョカの別名。ニャリ・ドゥラジ(durazi): duraziは身体のいろいろな部分が腫れ上がって痛む病気の名前、ニャリ・ドゥラジに捕らえられると膝などの関節が腫れ上がって痛む。ニャリ・キピンデ(chipinde): ku-pindaはスワヒリ語で「曲げる」、手脚が曲がらなくなる。ニャリ・キティヨの別名とも。ニャリ・ムァルカノ(mwalukano): lukanoはドゥルマ語で筋肉、筋(腱)、血管。脚がねじ曲がる。この霊の護符pande10には、通常の紐(lugbwe)ではなく野生動物の腱を用いる。ニャリ・ンゴンベ(ng'ombe): ng'ombeはウシ。牛肉が食べられなくなる。腹痛、腹がぐるぐる鳴る。鍋(nyungu)と護符(pande)で治るのがジネ・ンゴンベ(jine ng'ombe)との違い。ニャリ・ボコ(boko): bokoはカバ。全身が震える。まるでマラリアにかかったように骨が震える。ニャリ・ボコのカヤンバでの演奏は早朝6時頃で、これはカバが水から出てくる時間である。ニャリ・ンジュンジュラ(junjula):不明。ニャリ・キウェテ(chiwete): chiweteはドゥルマ語で不具、脚を壊し、人を不具にして膝でいざらせる。ニャリ・キティヨ(chitiyo): chitiyoはドゥルマ語で父息子、兄弟などの同性の近親者が異性や性に関する事物を共有することで生じるまぜこぜ(maphingani/makushekushe)がもたらす災厄を指す。ニャリ・キティヨに捕らえられると腰が折れたり(切断されたり)=ぎっくり腰、せむし(chinundu cha mongo)になる。胸が腫れる。
156 子供を産んだ女性は、その第一子の名前に由来する「子供名(dzina ra mwana)」を与えられ、その名前で呼ばれるようになる。例えば、第一子が女の子で、夫が自分の父の姉妹の名前(たとえばニャンブーラNyamvula)をその子に与えた場合、妻はそれ以降、周囲の人々(夫も含めて)から敬意を込めてメニャンブーラ(Menyamvula)と呼ばれることになる。第一子が男児でその名前がムエロ(Mwero)であればメムエロ(Memwero)になる。naniyoはドゥルマ語で「誰それさん」を意味するので、Menaniyoは「メ誰それさん」、つまり女性が与えられる子供名一般を代理する言葉となる。Mefulaniも同じ。同様に父親も子供の名前のまえにBeをつけたBenaniyoで呼ばれることになる。
157 ンゴメ(ngome)。憑依の文脈では、憑依霊たちが棲まう砦(ngome)、つまり患者の身体のこと。
158 キユガアガンガ(chiyugaaganga)。ルキ(luki159)、キツィンバカジ(chitsimbakazi117)と同じ、あるいはそれらの別名とも。男性の霊。キユガアガンガという名前は、病気が長期間にわたり、施術師(muganga/(pl.)aganga)を困らせる(ku-yuga)から、とかカヤンバを打ってもなかなか踊らず泣いてばかりいて施術師を困らせるからとも言う。症状: 泥や灰を食べる、水のあるところに行きたがる、発狂。要求: 「嗅ぎ出し(ku-zuza)」の仕事
159 ルキ(luki)。憑依霊の一種。唱えごとの中ではデナ154、ニャリ155、ムビリキモ48などと並列して言及されるが、施術師によってはライカ(laika139)の一種だとする者もいる。症状: 発狂(kpwayuka)。要求: 赤、白、黒の鶏、黒い(ムルングの紺色の)布(nguo nyiru ya mulungu)、「嗅ぎ出し(kuzuza)」の治療術
160 唱えごとのなかで常に'kare na gasha'という形で憑依霊ガーシャ(gasha)とペアで言及されるが、単独で問題にされたり語られたりすることはない。属性等不明。アザンデ人(スーダンから中央アフリカにかけて強大な王国を築いていた)に同化されたとされるカレ(kare)と呼ばれる民族があるが、それがこの憑依霊だという根拠はない。カリ(kari)と書き起こされていることもある。カレナガーシャで一つの憑依霊である(ガーシャの別名)もありうる。
161 ガーシャ(gasha)。憑依霊の一種。唱えごとの中では常に'kare na gasha'という形で言及される。デナ(dena154)といっしょに出現する。一本の脚が長く、他方が短い姿。びっこを引きながら歩く。占い(mburuga)と嗅ぎ出し(ku-zuza)の力をもつ。症状は腰が壊れに壊れる(chibiru kuvunzika vunzika)で、ガーシャの護符(pande)で治療。デナやニャリ(nyari155)の引き起こす症状に類するが、どちらにも同一視される(別名であるとされる)ことはない。デナと瓢箪子供を共有するが、瓢箪子どもの中身にガーシャ固有の成分が加えられるわけではない。ガーシャのビーズ(赤、白、紺のビーズを連ねた)をデナの瓢箪に巻くだけ。他にデナの瓢箪を共有する憑依霊にはニャリとキユガアガンガ(chiyuga aganga158)がいる。ソマリア内に残存するバントゥ系(ソマリに文化的には同質化している)ゴシャ(Gosha)人である可能性もある。その場合、民族名をもつ憑依霊というカテゴリーに属すると言えるかもしれない。
162 レロニレロ(rero ni rero)。レロ(rero)はドゥルマ語で「今日」を意味する。憑依霊シェラ(shera75)の別名ともいう。男性の霊。一日のうちに、ビーズ飾り作り、嗅ぎ出し(kuzuza76)、カヤンバ(kayamba)、「重荷下ろし(kuphula mizigo)78」、「外に出す(ku-lavya konze133)まですべて済ませてしまわねばならないことから「今日は今日だけ(rero ni rero)」と呼ばれる。シェラ自体も、比較的最近になってドゥルマに入り込んだ霊だが、それをことさらにレロニレロと呼んで法外な治療費を要求する施術師たちを、非難する昔気質の施術師もいる。草木: mubunduki
163 プンガヘワ(pungahewa)。憑依霊ディゴ人(mudigo)の別名。しかし昔はプンガヘワという名前の方が普通だった。ディゴ人は最近の名前。kayambaなどでは区別して演奏される。
164 ライカ・キグェンゴ(laika chigbwengo)。別表記としてライカ・キブェンゴ(laika chibwengo)、ライカ・キブェング(laika chibwengu)。ライカ・キグェングェレ(laika chigbwengbwele)、ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ライカ・グドゥ(laika gudu)などはその別名ともいう。スワヒリ語のキブェンゴ(kibwengo)は辞書では「大木や海に棲む悪霊」と定義されている。Caplan,1975によるとMabwenguは憑依しない海の精霊だと述べられている(Caplan,A.P., 1975, Choice and Constraint in a Swahili Community: Property, Hierarchy and Cognatic Descent on the East African Coast, Routledge, p.112)
165 ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)、ヌフシ(nuhusi)はスワヒリ語で「不運」を意味する。ドゥルマ語の「驚かせる」(ku-uhusa)に由来すると説明する人もいる。ヌフシはまたムァムニィカ同様、内陸部と海を往復する霊であるともされる。その通り道は婉曲的に「悪い人の道njira ya mutu mui(mubaya)」と呼ばれ、そこに屋敷などを構えていると病気になると言われる。ある解釈では、ヌフシは海で人に取り憑いた場合は、海のパガオ(ライカ・パガオ(laika pagao166))が憑いているなどと言われるが、単にヌフシの別名に過ぎない。ライカ・ムズカ(laika muzuka140)もヌフシの別名。ムズカに滞在中に取り憑いた際の名前である。その証拠に、この3つは同じ症状を引き起こす。つまり「口がきけなくなる」という症状。霊がその気になれば喋れるのだが、その気がなければ、誰とも口をきかない。
166 ライカ・パガオ(laika pagao)。海辺で取り憑くライカ。ライカ・ヌフシ(laika nuhusi)の別名。
167 ハメハメ(hamehame, pl.hamehame)。本格的に治療する(ku-lagula168)する前に、とりあえず症状の緩和を目指して行う暫定的な応急治療や対処。ク・ヘンダ・ハメハメ(ku-henda hamehame)「ハメハメを行う。応急治療を行う」。
168 ク・ラグラ(ku-lagula)。「治療する」行為を意味する動詞。私が「治療する」「治す」と訳している動詞には他に、ク・ブォザ(ku-phoza169、字義通りには「冷やす」)やク・ティブ(ku-tibu170スワヒリ語で「治療する」「癒やす」)がある。本格的治療であるク・ラグラの前に、一時的に対処する治療はハメハメ(hamehame167)と呼ばれる。
169 ク・ブォザ(ku-phoza)は第一義的には「冷ます」を意味する動詞だが、人の病気を「治す」「治療する」という意味でも用いる。ク・ブォラ(ku-phola)は「冷める」「治る」。治療する行為そのものを指す動詞としてはク・ラグラ(ku-lagula168)がある。またスワヒリ語のク・ティブ(ku-tibu170)も同様に用いられる。
170 ク・ティブ(ku-tibu)。スワヒリ語で「治療する」「癒やす」を意味する動詞。ドゥルマでも普通に使われる。英語における cure, heal, treat(medically)などの意味をカバーしている。治療する行為を指すにはク・ラグラ(ku-lagula168)、「癒やす」、「治す」の意味にはク・ブォザ(ku-phoza169)がより一般的に用いられている。
171 クヮルカ(kpwaluka)。ドゥルマの4日で一周する週の第一日目。昔は、この日は(一夫多妻婚の)妻たちは共同で、夫の所有するメインの畑(dzumbe)を耕作した。詳しくはドゥルマの月日の数え方
172 ワリ(wari)。トウモロコシの挽き粉で作った練り粥。ドゥルマの主食。大きな更に盛って、各自が手で掴み取り、手の中で丸めてスープなどに浸して食する。スワヒリ語でウガリ(ugali)と呼ばれるものと同じ。
173 憑依霊は自分が憑いている宿主にさまざまな制約を課してくる。Chariに憑いている一つの霊は、ドゥルマの食生活を嫌っており、そのせいで毎週木曜日は、Chariはドゥルマの主食であるトウモロコシの練り粥を食べられない(食べると病気になる、という)。その霊は、かつて1989年頃はチャリの占いを司る「ガンダ人(muganda174)」であり、彼らの主食であるバナナを食べるよう命じていた。この霊の正体はその後は世界導師(mwalimu dunia135)だったりセゲジュ人(ムセゲジュ(musegeju175))だったり、曖昧になってきていたが、木曜のワリの禁止は続いていた。
174 ムガンダ(muganda)。憑依霊ガンダ人。民族名の憑依霊。バナナを主食にするなど。Chari以外にこの霊をもっている人にあったことがない。1991年の時点でChariの占いを担う霊とされていた。ジンジャ導師(mwalimu jinja)の別名。
175 ムセゲジュ(Musegeju)。憑依霊セゲジュ人。民族名をもつ憑依霊。セゲジュはタンザニアの北海岸部に住む、ミジケンダと隣接する民族集団。イスラム教徒。1992年に突然チャリに憑いた。
176 ムガンガ(muganga pl. aganga)。癒やす者、施術師、治療師。人々を見舞うさまざまな災厄や病に対処する専門家。彼らが行使する施術・業がuganga8であり、ざっくり分けた3区分それぞれの専門の施術師がいる。(1)秩序の乱れや規則違反がもたらす災厄に対処する「冷やしの施術師(muganga wa kuphoza)」(2)薬(muhaso)を使役して他人に危害をもたらす妖術使いが引き起こした災厄や病気に、同じく薬を使役して対処する「妖術の施術師(muganga wa utsai(or matsai))」(3)憑依霊が引き起こす病気や災いに対処し、自らのもつ憑依霊の能力と知識をもとに、患者と憑依霊の関係を正常化し落ち着かせる技に通じた「憑依霊の施術師(muganga wa nyama(or shetani, or p'ep'o))」がそれである。
177 ポーレ(pore)。名詞・副詞として、ゆっくりしたさま、穏やかなさま、礼儀正しいさまなどを指す。間投詞としては、穏やかに、もの静かに、ゆっくりと、などに加えて、ひどい目に遭った人や、感情を高ぶらせている人に対して、相手がクールダウンするように、宥めたり、同情の意を示したり、謝ったりする言葉として用いられる。憑依の文脈では私はこれを「お静まりください」と訳している場合が多いが、コンテクストによっては異なる訳語を当てている。
178 ジチェツ・ワ・シェラ(jichet'u wa shera)。シェラの大女。数多くある憑依霊シェラ75の別名の一つ。ムチェツ・ワ・シェラ(muchet'u wa shera)ということもある。jichet'u は既婚(or 年配)女性を意味する muchet'u のaugmentative形。
179 ライカ・ムカンガガ(laika mukangaga)。ムカンガガ(mukangaga)は水辺に群生するイネ目カヤツリグサ科の植物。ドゥルマでは伝統的な屋根ふきの材料。
180 ライカ・ジャロ(laika jaro)、ライカ・マジャロ(laika majaro)とも。ジャロ(jaro)は「旅」を意味するチャロ(charo)のaug.形、その複数形がmajaro。このライカは休むことを知らず、ひたすら旅を続ける(mutu ariye kaoya, jaro kpwenda tu.)。ライカ・ムェンド(laika mwendo142)の別名。
181 キヒ(chihi, pl.vihi)。「椅子」を意味する普通名詞だが、憑依の文脈では、憑依霊に対して差し出される「護符11」を指す。私は pingu、ngata、pande、hanzimaなどをすべて「護符」と訳しているが、いわゆる魔除け的な防御用の呪物と考えてはならない。ここでの説明にあるように、それは患者が身につけるものだが、憑依霊たちが来て座るための「椅子」なのだ。もし椅子がなければ、やってきた憑依霊は患者の身体に、各臓器や関節に腰をおろしてしまう。すると患者は病気になる。そのために「椅子」を用意しておくことが病気に対する予防・治療になる。カヤンバのときにも、椅子に座るよう説得することで、憑依霊が別の憑依霊を妨害することを防ぐことができる。同様な役割を果たすものに「馬(farasi)」182がある。
182 ファラシ(farasi, pl.farasi)。スワヒリ語で「馬」。ドゥルマでもそのままこの言葉を用いる。憑依の文脈では、とりわけイスラム系の憑依霊が、宿主の身体のかわりに滞在する依代(という訳語を使って良いものか、躊躇いはあるが)。憑依霊は宿主のところにやってくると、もしこうした場所が用意されなければ、宿主の身体のどこかに腰を下ろしてしまう。そうすると宿主は身体に苦痛を感じる。病気とはこうした形での憑依霊の到来である場合もある。というわけで、憑依霊が滞在する場所を用意してやることが、治療の一部となる。通常、こうした場所は「椅子(chihi181)」と呼ばれるが、具体的には施術師が患者に作って身に付けさせるピング(pingu)、ヒリシ(hirizi,herizi)、パンデ(pande)、ンガタ(ngata)など、とりあえず護符とでも呼んでおくが、こうした身に付けるなにかである。憑依霊はやってきたらこれらの椅子に座って、患者の身体に座らないので、患者は苦痛を感じずに済むのである。憑依霊を追い返すのではなく、むしろ迎え入れ滞在させてあげるものなので、魔除けを連想させる「護符」という言葉は不適切なのだが、あいにく代わりの言葉がない。それに対して、患者の「外」に憑依霊の滞在場所を確保する場合が「馬」である。鶏やその他の家畜が「馬」として差し出されると、憑依霊は患者の身体に座るかわりにその「馬」にまたがってくれるわけである。必ずしも生き物であるわけではない。除霊などの際に用いられる泥人形も「馬」と呼ばれることがある。
183 ハイ(hai)。相手が目上、あるいは複数の場合はハイニ(haini)となる。誰か、あるいは事態を沈静化したい思いを伝える間投詞。OK、とか Be coolといった感じ。憑依霊への語りかけのなかで頻繁に発せられる。私は「穏やかに」と訳することが多いが、ちょっと工夫が足りない気もする。「ヨシ」、「よしよし」が良いかも。