施術師チャリによると、施術師が自分の仕事を助けてくれる「憑依霊たちに感謝」するために、あるいは「自分がもっている憑依霊たちを喜ばせるために」(DB1910)、月に一回、自らをムウェレ(muwele1)として開催するとされるカヤンバ6である。施術師が、患者の病気の治療の一環として主宰するンゴマ9やカヤンバと違って、誰か治療すべき病人がいるわけではない(施術師本人が病気ということもしばしばあるが)ンゴマ(カヤンバ)であり、一見、緊急性の薄いンゴマであるように思われる。
というわけで、きっと参加する人々の関心も、他のカヤンバとは異なり、楽しみを求めての傾向が強いだろう。なんといっても目的が「自分がもっている憑依霊たちを喜ばせる」というのだから。そう深刻なものではない。実際「喜びのカヤンバ(kayamba ra raha)」とも呼ばれているくらいだから。祝祭的な感じのもの。「月のカヤンバ」の話を聞いたときに、最初、私もそんな感じで理解していた。だから、初めてそれに参加したときも、いつものように、そこで歌われる歌も、かわされるやり取りも、できる限り録音はしたが、たいしたことは起こるまいと高をくくって、ほとんどメモも取らずに、気楽に私自身も演奏に参加したりして楽しんでいたくらいだ。
それを毎月律儀に開催している施術師など、私の知る限り一人もいない。ときには何年も開いていないと語る施術師もいる。
徹夜で開催されるンゴマ(カヤンバ)は、そのための出費だけをとっても、けっこう大変であり、そう理由なしに(自分の憑依霊たちを喜ばせる、というのも理由だとは言えるが)開催できるものではない。おそらく、すごく金銭的に余裕があるときにやるんだろうな、と漠然と考えていた。
しかし、それほど滅多に開かないものを開くということは、単に金銭的余裕がすごくあったからというよりも、それを開かねばならないよほどの理由があったからと考えることもできるかもしれない。そして、それは実際に「月のカヤンバ」に参加し、それを理解するにつれてわかってきた。「月のカヤンバ」は実際にはかなりディープな催しなのだ。
1989年に初めて「月のカヤンバ」に呼ばれて参加したときに、愕然とした。それまでに通常のカヤンバにはいろいろ参加して、かなり慣れてきた(少し飽きてきた)ところもあった。他のカヤンバやンゴマと同じく、様々な憑依霊の歌が演奏され、人々が機嫌よく踊ったり、憑依状態でぶっ倒れる者が出たりと行った点では、特に変わっていたわけではない。そして多くのカヤンバやンゴマと同様、ムウェレやそれに対する施術師がともに憑依状態になり、人々も巻き込んで掛け合いが始まるのも同じ。占いっぽいことが始まったりも同じ。しかし、その「月のカヤンバ」においては、憑依霊と施術師や人々の掛け合いで何が進行しているのか、さっぱりわからなかったのである。その場でわからなかったのは、私のドゥルマ語理解が不十分だったで済むかも知れない。が書き起こされたテキストを解析しても、いやいや、何をみんな話しているの、全然わからないんですけど状態。カヤンバに居合わせている主だった人々が(当然)ちゃんとわかっているらしいこともショック。解読を手伝ってくれていたカタナ氏も、なんとなくこういうことを言っているのじゃないか、と推測はできるが、あまりよくわからないと。
要するに、コンテクストや背景を共有している者ででもない限り、よくわからないやり取りが展開していたのだ、と思う。
「月のカヤンバ」の開催は他のカヤンバやンゴマ同様に、近隣に告げ回られるが、やってくる観客たち(そして私)を除くと、月のカヤンバの参加者は事実上、一つのグループの面々のみである。
施術師チャリの場合、彼女自身がムウェレ、主宰する施術師は通常は、彼女の夫であるムリナ氏10であり、残りは彼女の家族(二人の未婚の娘)と「施術上の子供たち」(ana a chiganga2)のみなのだ。主催する施術師を彼女の「施術上の父」あるいは「母」に依頼することもあるが、彼らは自らが主宰する他のンゴマの場合のように、自分たちの「施術上の子供たち」を演奏者や助手として引き連れては来ず、単独でやってくる。カヤンバを演奏するのも、食事の用意などをするのも、すべてチャリの「施術上の子供たち」である。こうした集まりは、同様に施術師本人がムウェレとなるンゴマである「お悔やみのカヤンバ(kayamba ra pore)」でも同様である。主宰する施術師をムリナ氏が務めるか他の施術師が呼ばれるかにかかわらず、いずれにしてもチャリの施術上の父、母、子供たちだけからなるグループが中心となって実施されるのである11。
和気あいあいの雰囲気になったり、コンテクストや背景を共有しているものどおしのディープなやり取りになったりするのも当然のことなのかもしれない。
月のカヤンバの開催は、施術師の「施術上の子供たち」の協力によって可能となる。施術上の子供たちは、施術師の活動にさまざまな形で(歌い手、カヤンバ奏者、草木の採取、薬液作りなど)協力するが、月のカヤンバ(それと施術師自身をムウェレとする「お悔やみのカヤンバ」)においては、通常のンゴマではムウェレの親族たちが行う資金面での協力を含めて「施術上の子供」たちの役割になる。また月のカヤンバは、普段の施術や通常のンゴマには参加しない、遠方の「子供たち」の何人かも参集するめったにない機会である。料理する際の薪集め、マコロツィクでのお茶とマハムリなどの調理、朝食の用意は女性の「子供たち」の仕事である。食材の小麦やショートニング、砂糖などの購入のための資金は「子供」たちが出し合うことが期待されているが、「子供たち」に現金のゆとりがない場合には、施術師が用意することも普通である。翌日の食事に「子供たち」の有志によってヤギが提供されることもあるし、施術師自身が奮発してヤギを屠って「子供たち」に振る舞うこともある。
施術師の治療行為(それもうまく行ったもの)によって結びつけられた、ある程度気心の知れた人々が、協力して開催するンゴマであり、和気あいあいとした感じで終始するときもあるが、そうした仲間的な集まりの中のちょっとした緊張が垣間見えるときもある。 どれだけ「父母」のために手助けできたかで、施術上の娘たちが競い合うような場面が見られたり、施術上の父母が特定の子供を贔屓した(小屋に呼んで特定の子供に紅茶を振る舞ったetc.)ということで、子供どうしでちょっとした諍いが起きることもある。子供の一人が、途中で泣き出して小屋の中に引っ込んでしまうのを、施術師が行ってなだめるなんていう場面や、施術師が進行を「子供」にまかせて、小屋の中に入って出てこないときに、憑依状態の「子供」が泣きながら追ってきて、施術師を連れ出そうとするなんていう場面も2度ばかり見たことがある。
まあ、そんな感じである。
一夜が開けて、カヤンバが終了した後で、カヤンバの進行に協力した演奏者たちや、女性の補助者たち、ゲストとしてンゴマを主宰していた施術上の父や母には、通常のンゴマの場合と同様に、一定額の現金が報酬(fungu13)として支払われる。その額についての不満が口にされ、それを巡っての議論が起こるのも、通常のンゴマでもおなじみの光景である。主催した自らがムウェレでもあった施術師にとっては、トータルするとけっこうな出費である。
それを考えると、単に「憑依霊たちを喜ばせる」ためのンゴマというよりも、施術師にとってはそれを開催せざるを得なかった、それなりの深い理由のあるンゴマであると考えたほうが良いのかもしれない。それらは月のカヤンバの具体的事例の中で考えていきたい。